大阪支店の真田です。
今年も造幣局の通り抜けに行ってきました。相変わらずの人ごみで桜を見に来たんだか他人様の後頭部を見に来たんだかわからない状態でしたが。
一本の桜の前に「今年の花 都錦(みやこにしき)」という看板が出ていたので周囲の人達と一緒に「ほー、これが,,,」と立ち止まって見ていたら場内整理の係員に「都錦はこの先でーす」とハンドマイクで叫ばれました。
何年住んでもこの手の関西流フェイント攻撃には慣れません。
ところで大阪にはもう一つ「通り抜け」があるのをご存知でしょうか。
それが「平成の通り抜け」。大阪に新たな桜の名所を作ろうと建築家の安藤忠雄氏が呼びかけ、市民の募金5億2千万円を使い大阪市内中心を流れる大川沿い約7キロの両岸に桜3,000本を植えるという壮大なものです。観光の中心となるのはその名もずばりJR環状線「桜ノ宮」駅周辺。この駅周辺の桜は数奇な運命をたどりました。今から30年近く前、当時の桜ノ宮駅にはホームに屋根がほとんど無く代わりに沢山の桜の枝が覆っていました。
しかしやはり屋根が無いのは「シャッターアイランド」のヒント並みに不親切だと利用者から苦情が殺到、運賃値上げが間近だったこともあり桜を伐採して屋根を付ける事になりました。ところが今度は「名物の桜を切らないで」という声が殺到。大阪人ならずとも「どっちやねん」と叫びたくなる状況に追い込まれた国鉄(当時)。結局一本だけ駅周辺の別の場所に植えることになりました。今その桜はニョキニョキ伸びて再びホームに元気な姿を見せています。
さて「桜ノ宮」とは近くにある「櫻宮神社」から取った名前だというのが有力ですが、なぜ同じ「さくらのみや」なのに地名と駅名で表記が違うのか。一説では駅名は他の地方の方にも読めるようにと「ノ」を入れたのだとか。まあ近所には「放出」なる全国トップクラスの難読駅名もありますしね。もちろん「ほうしゅつ」ではありませんよ。
(歴史メモ:櫻宮神社は規模こそ大きくありませんが大阪城(すぐ近所)の守護社として豊臣家や徳川家から尊崇を受けていたそうです。昔から桜の名所として知られていましたが、不運なことによく天災や戦火に見舞われ創建当時の記録やお宝は消失。さらに明治18年の洪水で周辺もろとも荒廃しましたが、大正12年に毛馬桜ノ宮公園として整備され、今では再び大阪屈指の桜の名所となっています。)
切られても流されてもまた綺麗な花を咲かせる桜の根性を我々も見習いたいと思います。応援よろしくお願いいたします。
「放出」の読みが「はなてん」だとわかって「へぇ」と思ったらこちらをクリックしてください。
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それが「平成の通り抜け」。大阪に新たな桜の名所を作ろうと建築家の安藤忠雄氏が呼びかけ、市民の募金5億2千万円を使い大阪市内中心を流れる大川沿い約7キロの両岸に桜3,000本を植えるという壮大なものです。観光の中心となるのはその名もずばりJR環状線「桜ノ宮」駅周辺。この駅周辺の桜は数奇な運命をたどりました。今から30年近く前、当時の桜ノ宮駅にはホームに屋根がほとんど無く代わりに沢山の桜の枝が覆っていました。
しかしやはり屋根が無いのは「シャッターアイランド」のヒント並みに不親切だと利用者から苦情が殺到、運賃値上げが間近だったこともあり桜を伐採して屋根を付ける事になりました。ところが今度は「名物の桜を切らないで」という声が殺到。大阪人ならずとも「どっちやねん」と叫びたくなる状況に追い込まれた国鉄(当時)。結局一本だけ駅周辺の別の場所に植えることになりました。今その桜はニョキニョキ伸びて再びホームに元気な姿を見せています。
さて「桜ノ宮」とは近くにある「櫻宮神社」から取った名前だというのが有力ですが、なぜ同じ「さくらのみや」なのに地名と駅名で表記が違うのか。一説では駅名は他の地方の方にも読めるようにと「ノ」を入れたのだとか。まあ近所には「放出」なる全国トップクラスの難読駅名もありますしね。もちろん「ほうしゅつ」ではありませんよ。
(歴史メモ:櫻宮神社は規模こそ大きくありませんが大阪城(すぐ近所)の守護社として豊臣家や徳川家から尊崇を受けていたそうです。昔から桜の名所として知られていましたが、不運なことによく天災や戦火に見舞われ創建当時の記録やお宝は消失。さらに明治18年の洪水で周辺もろとも荒廃しましたが、大正12年に毛馬桜ノ宮公園として整備され、今では再び大阪屈指の桜の名所となっています。)
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