今、成功している大阪のカフェの「坊」の話です。
最初は、公共施設の門前の好立地ですが、内部分裂で他所に移り「坊」一人で独立しました。
内装も整えて1年後、立ち退きの憂き目。
好立地じゃないから、「箱」の中で考えるよりも、他の施策を色々と考えてて今があります。
店舗という「箱」に縛られると、そこからしか発想が出来なくなります。「箱」が小さいと、思考も小さくなります。ベースが一日の売り上げですから・・。
数年前に彼に珈琲焙煎を授業して、しばらく後、彼が寄り道して当店に寄って「ラテアート」を見せてくれました。 彼が投げたその球を素直に打って、今の私のエスプレッソの事業があります。
最近は子供も生まれ、立派な「おじさん」になりました。
昔、私が書籍輸入を始めたのもピカデリーの書店の2階の主任さんの「一言」(不思議な瞬間)です。そういう小さな小さなバンドを4回重ねて1点です。
思い切り振って、大ファールもあります。勿論、空振り三振がほとんどですよ。
他の人の話にも多く同じようなことがあります。今で例えるなら、彼が待たされてるその時間にスマホを漫然として時間をつぶすか?仕事場を観察したかで、その後の人生は大きく違った話です。(この実は感動的です。)
私も何処かで投げられているであろう絶好球を見逃しているのでしょうね。
いつも書いてる100戦して49敗 51勝 たった1勝の差で私は
生きています。
9回の裏まで試合は続き、イチローでも3割です。
退場にならずに頑張ればチャンスはあるのでしょうか?大切なことは、退場にならないことです。(リスク管理:自己破産や倒産しないこと)
日々、ボールは誰にも平等に投げられています。それを残らず場外に運んでいけば「孫正義」さんになれるのでしょうか?彼は30代で余命半年と宣言され、そこから半年で本を3000冊読んだ。我々凡人は絶対に出来ません。ボールが見える人は違いますね。トホホ
不平不満ばかり言ってる人は、まず全部、人のせいにします。
球が目の前に飛んでいても見えないのはどうしてなのでしょうか?
人の「せい」なのでしょうか?