「ちゃんちゃら可笑しい」理由
ここ一週間で3人の方から、珈琲焙煎時において「水分を抜く」というフレーズを聞いたので私自身は違和感を覚えました。ここから書くのは、その方達に対する意見でも批判でも決してありません。そういう胡散臭い話をもっともらしく誰かがしているという現実に対しての、自分なりの意見(批判)を書きます。
■私は、コーヒー焙煎とは生豆を焼いているという感覚を持ってます。それは芋を焼く、餅を焼く、ピザを焼く、コンロの網の上で「さけ」を焼くのと同じです。baked,griled,roasted,flied,などで表せます。
熱を加えて変化させることは同じです。だからコーヒーの場合もポップコーンのように1ハゼ、2ハゼを変化してゆきます。そこを狙っているわけです。
■焙煎は決して「水分を抜く」という意識ではない。第一、現場では、どれだけ抜けたかその度合いは絶対に判らない。絶対に判らないのだ。
上記のお一人は「4%まで抜くのですね?」と言われたので、私は「どうして、今何%かわかるのですか」とお聞きした。
申し訳ないが、インドモンスーンなどは殆ど水分は無い。だったら生豆で飲める筈である。つまり水分を抜くのが本分なら、ただ「天日干し」すれば良いわけですが。実際、それで珈琲が出来るわけではない。当り前の話なんですが。
誰かが何処かで、もっともらしい顔で素人さんにヨタを語っているだろうと想像します。・・・
■珈琲焙煎は珈琲豆にカロリー(熱)を加えるだけの単純な作業です。余程の滅茶苦茶しない限り、中心が生焼けになんかなりはしません。絶対にならないと断言できます。逆にそうする方が難しいですね。餅を網で焼いて、ふっくら膨張して食べてみたら中がカチカチなんて殆ど無いのと同じ感じだと思って下さい。(冷凍は除く、最近はこういう事をイチイチ書かないと上げ足を取る方をいるので)疑心暗鬼になる必要など一切ないのです。
温度を上げれば水分は抜けてゆくのは自然の理であり、職人ワザでもテクニックでも手法でも方法でもない。天麩羅と同じですねん。
■何度も書きますが珈琲焙煎はあきれるほど単純な作業です。簡単な事を難しく語るのは虚栄心であり自己保身以外の何物でもない。【中点】などに意味はないのです。どんな屁理屈やもっともらしい数字を並べても。珈琲焙煎は一作業に変わりはないのです。当教室では1キロ機が操作出来れば、誰でもスグ自然に3キロ機を使いこなせる。
機械的にキチンと設置・メンテ出来ていれば、例えば3キロ機で500グラムでも2.8キロでも何キロでも豆の量に関係なく、ボトム温度(俗に言う、中点)までの時間は丁度3分です。(当店の機械の場合と書いておきます)
日によって焙煎が変わるという方は、そのスカタンな焙煎機が安定していないだけだと思います。それが【職人ワザ】なんてチャンチャラ可笑しいのです。
多くは、煙突の理屈も判らないから外風からの逆風で安定していないのだろう。珈琲焙煎機の煙突はたった数万円ですが、薪ストーブは同じ長さで数十万します。よく見る焙煎屋の煙突なんて、その程度のものなんです。価格差は10倍違う。
■これから焙煎を始める若い方々は、もし先生を選ぶなら「難しいことを、判り易く教えてくれる人」を選べば良いと思います。数字を言う人は怪しいのです。
私は「手打ち蕎麦」も打ちますが、日本全国で数本の指に入る蕎麦打ち職人連中とは兄弟弟子だが、誰一人、加水率、湿度、温度、蕎麦粉の水分なんて言いません、計りもしないです。そういう数値を誇らしげに語る多くが脱サラの蕎麦屋である。(それらしく聞こえるのが心地良いのだろう)それに、そんな数字も計器もない江戸の昔から蕎麦打ちはあるのです。
■焙煎機で「蒸らす」なんて芸当は出来ない・そういう「感じ」って作業方法なら、まだ理解は出来るが、言葉として不適切ですね。我々は「茶碗蒸し」をつくってるんじゃないんです、ただ焼いているのです。
世界で理解されないのに、「日本国内だけ」「蒸らす」なんてのはもう根本的に止めるべきだと思います。だから、もう今の時代の焙煎屋さんは「蒸らす」なんて言葉は一切使わない。構造的に出来ないのは当然である。
もう一度書くが「水分を抜く」も同じ、水分を抜いて珈琲が出来るのなら「天日干し」で出来る筈だ。嘘と思うならインドモンスーンの生豆を水に入れば確認出来る全部浮くのだ、それがその答えである。
■簡単な事を難しく言う人は、ニセ者である。どん分野でも同じですね。
「水分抜く」なんて発想は本末転倒です。迷うだけである。天麩羅はカリっと揚げるだけである。その為に衣や油に気を使う、100度を超えれば水は沸騰し蒸発してゆく。出来上がりは確かに水分は抜けているだろう。じゃ衣を付けてオーブンに入れれば天麩羅が出来るのでしょうか?
本文を見失ってはいけないのです。
珈琲は国際商品である、その焙煎方法が日本だけ特殊というのは、どうも腑に落ちません。日本だけで通用する数学の定理も、哲学も物理の法則もないのです。一見通用しそうに思えるのは、その検証範囲が狭いだけです。なぜなら日本の珈琲焙煎の歴史が浅いからです。
■これから「焙煎」を始める若い方は、ネットで調べるほど、迷ってしまうことと思います。それは頭で判ろうとするからです。焙煎は作業です。体で覚えるのが最初です。頭で判ることは現実に出来ることではない。私はF-1の運転の仕方も鈴鹿の攻め方もアイルトン・セナのコース取りも知っています。けれどF-1は運転出来ないでしょう。
以上、多少乱暴な書き方に終始しましたが、どれだけ抜けたのも判らない「水分を抜く」なんて概念で人を迷わすのは頂けない。結果的に「水分が抜けて」いるのはアジの開きと同じであり、決して職人技ではない。サンマの開きも同じ・・・・
覚えておいて下さい。「大地震が、何月何日に来る」という予言は絶対に嘘なんです。日時が出てるのは嘘、嘘だから」日時で信憑性を持たせるのです。
コーヒーも同じ、数字や成分を詳しく書いてるのは実は中味がない。
焙煎なら、具体的な操作方法をそういう方は書かない。
スポーツカーをサーキットで走らせるのは、操縦テクニックです。 空燃比や噴射量やカムやギア比を書かれても困りますね。
職人ワザでないから「半自動化された焙煎機が多く出回っています」、決して職人ワザを機械にインプットしたのではありません。そこんとこ夜露死苦!