1968年8月に「作文と教育」に掲載された評論です。
教科書や児童漫画雑誌が権力に支配されて、軍国主語的な内容が復活していることを批判しています。
この時期には、中学生だった私はすでに少年漫画雑誌はほとんど卒業(もう買ってはいませんでしたが、書店で立ち読みはしていました)していたのですが、私が毎週少年サンデーを買っていた(近所の友達と交換して回し読みにしていたので、少年マガジンも少年キングも毎週読んでいました(少年ジャンプや少年チャンピオンはまだ出ていませんでした))ころ(1960年代半ば)は、もっと戦記物マンガや戦艦などの資料が多く載っていました。
「ゼロ戦はやと」や「紫電改のタカ」(これは単純な戦記物ではなく主人公の悲しみのようなものが描かれていました)などが、記憶に残っています。
著者は、それに対応すべき児童文学の無力さも、同時に指摘しています。
ここに引用されている子どもの読書人口が5%だということは、私の経験からしてもうなづけます。
その一方で、著者は自分の住む町の小学校三年生99人のうち、一学期の間に一冊も物語類(物語、童話、伝記)の単行本を買わなかった(買ってくれなかった)子どもが46人もいることを嘆いていますが、これは私にはむしろ驚きでした(どんなお金持ちの子どもたちが通う学校なのでしょうか?)。
私の子ども時代に、参考書やドリル以外に親に買ってもらった本は、少年サンデー以外には「ゼロ戦の栄光と悲劇」(著者はこの文章にも出てくる撃墜王の坂井三郎です)ただ一冊でした。
私の家は特に貧しくも教育に不熱心なわけでもなく、高校教師の父は、自分のために「世界文学全集」と「日本文学全集」と「古典文学全集」を、姉たちのために「講談社版少年少女世界文学全集」を全巻そろえていました。
飛び抜けて優秀で美人だった姉たち(特に上の姉)を溺愛していた両親は、自家中毒で体が弱かった末息子はただ過保護にして何もさせない方針だったようです。
おかげさまで、いろいろな事情で友だちもいず家で寝ていることが多かった私は、姉たちがほとんど見向きもしなかった「講談社版少年少女世界文学全集」を幼稚園のころから読みふけり(私の児童文学観はほとんどこの時期に形成されています)、小学校になってからはこれもほとんど手付かずだった「世界文学全集」と「日本文学全集」にまで手を伸ばすようになります(「古典文学全集」はさすがに手に余りました)。
といっても、健康を完全に取り戻した小学校高学年からは、完璧なスポーツ少年になったので、児童文学の世界のことは高校二年に「子どもと文学」(その記事を参照してください)を読むまでは完全に忘れていました(大人の小説は、区立図書館で借りて読み続けていました)。
私の周辺の子どもたち(男の子たちしか分かりませんが)も同様で、少年マンガ雑誌やアニメの話は熱心にしましたが、本の話など一度もしたことがありませんでした(むしろ本など読んでいるのは、女の子のようで恥ずかしい(ジェンダー観が古いですね)ことのように思っていました)。
その後、多様な本が出版されるようになり、いろいろな読書運動も活発だった1970年代から1980年代には、子どもの読書人口も増大したと思われます。
特に、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズのようなエンターテインメント作品が、量的な拡大には貢献したと思われます。
しかし、1980年代から1990年代に児童文学の「小説化」が進むにつれて、児童文学のコアな読者である小学校高学年(特に男の子)の児童書離れが進んだので、現在の子どもの読書人口は、学校などで無理やり読まされるのを除けば、当時の5%よりさらに低くなっているかもしれません。
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児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ) |
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