現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

モノローグと児童文学

2017-12-05 18:47:52 | 考察
 児童文学の世界でも、モノローグを中心に描かれた作品はあります。
 しかし、そういった作品は、単調で物語があまり動かないことが多いようです。
 また、作家の主張が生に出やすくて、作品が教訓くさくなる恐れもあります。
 やはり、児童文学は、アクションとダイアローグで描かれる文学なのかもしれません。

モノローグ
クリエーター情報なし
講談社
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児童文学を書く動機

2017-12-05 18:47:04 | 考察
 児童文学の作家たちは、なぜ児童文学作品を書くのでしょうか?
 おそらく、皆それぞれの理由があって書いているのでしょう。
 でも、そこには一定のパターンがあるに違いないと思います。
 私自身のささやかな経験をもとに考えてみようと思います。
 初めて作品を書いたのは、大学の児童文学研究会の時ですが、これはサークルの企画でいやいや書かされたので、適当な童話を模倣して書きました。
 この従来の作品を模倣するというパターンは、初心者ではけっこう一般的なのではないかと思われます。
 次のパターンは、同人誌に参加するようになってすぐに始めたようですが、自分の子ども時代の記憶に触発されたものでした。
 おそらくこの時期の作品が、自分では一番できがよかったように思います。
 ケストナーを初めとして、多くの児童文学作家も、子ども時代の記憶をモチーフにしていることが多いと思います。
 私の場合の次のパターンは、少年野球のコーチをしていた時に出会った子どもたちに触発されて書いたものです。
 そして、その後、自分の子どもが生まれてからは、彼らやその友達を題材にするようになりました。
 子どもたちが大きくなってからは、世の中の子どもたちが直面している問題を調べて書くようになりました。
 もちろん、特に子どもたちを意識しないで、物語の面白さだけを意識して書いたこともあります。
 現在の児童文学作家の多くは、この「面白さ」を重要視しているように思われます。
 しかし、私の場合は、エンターテインメント作品を書こうというモチベーションはあまり強くありませんでした。
 その方向へ進むことを主に経済的なメリットの問題で取りやめたことは、別の記事に詳しく書きましたのでそちらを参照してください。


わたしが子どもだったころ (ケストナー少年文学全集 (7))
クリエーター情報なし
岩波書店
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