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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学で一冊の本になる作品の長さ

2016-12-25 10:38:33 | 考察
 児童文学の作品の長さは、中学生向けやヤングアダルトの場合は一般文学とあまり変わりませんが、小学生向けの場合はかなり短くなります。
 この傾向は、子どもたちの読解力が低下するにつれて顕著になっています。
 現在では、一冊の本になる作品の長さは、高学年(小学校五、六年生)では四百字詰め原稿用紙で百枚程度からで、一般文学なら中編ぐらいの分量です。
 中学年(小学校三、四年生)ではそれが五十枚程度からになり、低学年(小学校一、二年)では三十枚程度からと、もはや一般文学ならば短編の領域です。
 その分、文字や挿絵が大きくなり、挿絵の枚数も増えるのが一般的です。
 こうして、だんだん絵物語や絵本の領域に近づいていきます。
 余談ですが、それにつれて印税の配分も変わってきます。
 一般文学の場合の印税は普通10パーセントですが、挿絵がつく児童文学(例えば高学年向け)の場合は8対2で絵描きさんと印税を分け合うことになります。
 そして、低学年向けで挿絵の割合が多くなるにつれて、印税の比率は、7対3、6対4、5対5とどんどん絵描きさんの取り分が増えていきます。
 出版社によっては、印税を合計10パーセントを出さなくて、4対4などに削られてしまう場合もあるようです。
 児童文学の作品の中には、ハリーポッター・シリーズのような例外もあって、そういう場合は大長編などと銘打たれることが多いです。
 また、最近は減りましたが、短編集、あるいは連作短編集として、いくつかの短編を組み合わせて一冊の本として出版される場合もあります。


昔、そこに森があった (復刻版理論社の大長編シリーズ)
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理論社
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深夜の電話

2016-12-25 10:00:25 | キンドル本
 主人公の男の子の家に、深夜に突然電話がかかってきます。
 どうやら、おとうさんんが、泥酔してころんでけがをしたようです。
 おかあさんが、車で病院へ迎えに行きました。
 実は、おとうさんは会社をリストラされてしまっていたのです。
 そのうさばらしに深酒をしたのでした。
 その後、転職することを決めたおとうさんは、ようやくさばさばしたようです。
 おとうさんは、次の仕事が決まるまで、主人公が入っている少年野球チームの手伝いをします。
 そんなおとうさんに、主人公は?

 (下のバナーをクリックすると、スマホやタブレット端末やパソコンやKindle Unlimitedで読めます)。

深夜の電話
クリエーター情報なし
平野 厚



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児童文学における文学性について

2016-12-25 09:46:50 | 考察
 現代の児童文学を考える上で重要な点のひとつに、「読者は誰なのか?」という問題があります。
 特に、現代では小学校高学年の男の子の読者は、かなり少数になっています。
 彼らは、携帯ゲームやトレーディングカードで物語消費の欲求を満たしているので、よほど面白い本でないと読みません。
 それもエンターテインメント系の本に限られているので、普通の男の子を主人公にした文学的な(小説的と言ってもいいかもしれません)作品は、1990年代の初めごろまでならば本になりましたが、今は無理でしょう。
 あきらかに、読書に対して子どもたちが求めている物が、1990年代なかばぐらい(私がいわゆる狭義の「現代児童文学」が終焉したと考えている時期)に大きく変化して、本には文学性ではなく娯楽性のみを求めるようになっているのです。
 これが、女性の場合だと、児童文学の読者は子どもから大人、さらには高齢者まで広範にわたっていますので、文学的な作品も受け入れられる余地は今でもあると思われます。

文学・文化研究の新展開―「間テクスト性」
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研究社
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