文章を書くプロセスにおいて、推敲は非常に重要です。
たんに誤字脱字の修正をするだけでなく、内容や構成に誤りや矛盾がないかを、客観的に見直すことができるからです。
自分の経験を振り返ってみると、ワープロやパソコンを使用するようになってからは、本来は推敲して書き直しがしやすくなったにもかかわらず、かえってきちんと推敲しなくなったような危惧を感じています。
手書きの時代は、まず適当な紙(研究用箋というマス目の細かい用紙をつかっていました)に文章を書きなぐります(頭の中にアイデアや文章が出てくるスピードに負けないように、素早く書く必要があります)。
次に、四百字詰めの原稿用紙に清書します。
これが、第一稿ですが、手書きの時代は書き直しが大変なので、非常に真剣に文章や内容を推敲しながら清書していました。
その後、同人誌の仲間や編集者などのフィードバックをもとに第二稿や第三稿を作る場合も、書き直しが大変なので(一から書き直すか、せいぜい使える部分を切り貼りしなければなりませんでした)、非常に真剣に推敲していました。
以上のように、その時代の方が書くことにより真剣だったので、文章の完成度が高かったような気がします。
今では、最初からパソコンで書いていますが、手書きにはスピードが及ばないので(一応ブラインドタッチでタイピングしていますが)、頭の中に浮かんだアイデアや文章をずいぶんとり逃したような気がします。
また、いつでも、削除や挿入やコピーができるので、推敲においても手書きの時よりも真剣みが欠けてしまいます。
こう考えてみると、手書きに戻った方がいいようですが、一度楽してしまうとなかなか元のやり方には戻れません。
たんに誤字脱字の修正をするだけでなく、内容や構成に誤りや矛盾がないかを、客観的に見直すことができるからです。
自分の経験を振り返ってみると、ワープロやパソコンを使用するようになってからは、本来は推敲して書き直しがしやすくなったにもかかわらず、かえってきちんと推敲しなくなったような危惧を感じています。
手書きの時代は、まず適当な紙(研究用箋というマス目の細かい用紙をつかっていました)に文章を書きなぐります(頭の中にアイデアや文章が出てくるスピードに負けないように、素早く書く必要があります)。
次に、四百字詰めの原稿用紙に清書します。
これが、第一稿ですが、手書きの時代は書き直しが大変なので、非常に真剣に文章や内容を推敲しながら清書していました。
その後、同人誌の仲間や編集者などのフィードバックをもとに第二稿や第三稿を作る場合も、書き直しが大変なので(一から書き直すか、せいぜい使える部分を切り貼りしなければなりませんでした)、非常に真剣に推敲していました。
以上のように、その時代の方が書くことにより真剣だったので、文章の完成度が高かったような気がします。
今では、最初からパソコンで書いていますが、手書きにはスピードが及ばないので(一応ブラインドタッチでタイピングしていますが)、頭の中に浮かんだアイデアや文章をずいぶんとり逃したような気がします。
また、いつでも、削除や挿入やコピーができるので、推敲においても手書きの時よりも真剣みが欠けてしまいます。
こう考えてみると、手書きに戻った方がいいようですが、一度楽してしまうとなかなか元のやり方には戻れません。
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