現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

少女小説の未来

2016-12-24 10:12:39 | 考察
 繰り返し述べてきたように、現在の児童文学の読者は女の子だけでなくより広範な年代の女性です。
 幼いころに少女小説に親しみ、そのまま児童文学を読み続けている女性たちもたくさんいます。
 また、少女小説から一般書(特に女性小説)に移行する女性たち(これが以前は一般的でした)も依然としてたくさんいることでしょう。
 こうして、文学の担い手(読者ばかりでなく書き手や編集者も)は、しだいに女性へ移っています。
 これは、紫式部の時代以来の伝統へのカムバックなのかもしれません。
 現在でも、女性と比較すると、経済的な理由で作家をあきらめている人は、男性の方が圧倒的に多いでしょう。
 一方、現在では、児童文学の男の子の読者はごく少数で、その結果成長しても男性は児童文学だけでなく一般文学もあまり読みません。
 唯一の例外はライトノベルで、これらの読者の中心は若い男性ですし、彼らは将来的なSFやミステリなどの一般文学の潜在的な読者でしょう。
 しかし、もともと男の子たちの物語消費欲求は、ゲームやマンガやアニメやカードなどで満たされていて、成長してからは、大半はパチンコ、競馬、競輪などのギャンブルへ移行していました。
 それが、オンラインゲームや携帯ゲームなどの登場とともに、ギャンブルなしで、ゲームやアニメの世界に留まる男性も多くなってきています。
 そのため、成人しても一般文学の読者にならない男性は増えています。
 私は、三十年以上、いろいろなボードゲームの例会に参加していますが、その参加者は圧倒的に男性が多いです(最近は女性のゲーマーも増加していますが、依然として少数です)。
 こうして、文学の世界では、書き手も読み手も女性が中心になっています。
 しかし、それも将来的には先細るでしょう。
 一番大きな理由は、スマホの登場です。
 現在でも、若い世代を中心に、スマホをさわっている(見ているだけではなくインタラクティブなところがポイントです)時間がどんどん増加しています。
 かつては電車の中でマンガ雑誌や本(特に文庫本)を読んでいる人たちがたくさんいましたが、今はほとんど見かけません(いたとしても、たいていは高齢者です)。
 今では、ほとんどの人たちが車内でスマホをさわっています。
 こうして、紙の本のマーケットは、マンガも含めてどんどん小さくなっています。
 そして、この波は小学生(特に女子の普及率が高い)にまで押し寄せています。
 すでに、高学年の女子向けの少女小説は売れなくなっていて、出版社の主なターゲットは中学年以下へ移っています。
 でも、その年代にスマホ(あるいはウェアラブルコンピュータ)が普及して、少女小説を読まなくなるのも時間の問題でしょう。
 こうした時、児童書でも「電子書籍の読み放題」サービスなどを展開して(マンガの世界ではすでにサポートしています)、読者をつなぎ留めないと、少女小説は少女マンガや少女アニメの原作になる以外は消滅するかもしれません。
 そして、彼らが大人になった時は、一般文学(特に女性小説)も衰退してしまうでしょう。

 


コバルト文庫で辿る少女小説変遷史
クリエーター情報なし
彩流社




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後藤竜二「九月の口伝」

2016-12-24 08:58:04 | 作品論
 「口伝」とは、広辞苑によると字義通りに「口頭で伝えること」とありますが、「奥義などの秘密を口伝え教え授けること」という意味もあります。
 この物語は、後藤の父が毎年りんごの季節(北海道では九月のようです)に「口頭で伝えていたこと」という形式をとっていますが、実は後藤自身が読者に対して「奥義のように重要なことを伝え教え授けようとした」作品のように思えます。
 「九月」とは一九四五年九月のことで、一九四三年生まれの後藤は作中の耕二と同じ二歳でした。
「りんごの季節になると、父はきまって ぼくらにおなじ話を語り、聞かせた」
 物語が始まる前にこのような前振りをすることにより、作中の父と語り手である後藤自身との二重の視点を設定して、単なる体験でなくもっと広範な歴史的な事実も含めて作品化をしています。
 また、語り手も、父から話を聞いた少年時代(一九五〇年代)の後藤と、実際に作品を書いた一九九一年の後藤とが併存していて、「祖父や父から受け継いだもの(農民としての生活者の歴史)」と「戦中戦後の史実を語り伝えていく」という二つの側面を担っています。
 それほど長くない作品ですが、「戦争体験」、「敗戦によりもたらされた「民主主義」の薄っぺらさ」、「アメリカ人捕虜との貧しい農民同士の共感」、「中国人、朝鮮人の強制連行」など多くの問題が盛り込まれています。
 実際にこのようなことが、敗戦後の一か月間にすべて起きたとは思えませんが、後藤の筆は未消化な感じを与えずにうまくまとめています。
 ただ、一九九一年という出版時期の問題もあるのでしょうが、最後に登場する中国人、朝鮮人たちが美化されすぎている印象はあります。
 しかし、この本が出版されてから四半世紀以上がたち、現在の中国、韓国、北朝鮮との良好とはいえない関係を考えると、この本が伝えたかった戦後の思いは、さらに重要性が増しているといえます。

九月の口伝 (シリーズ 平和の風)
クリエーター情報なし
汐文社
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