現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ジャンニ・ロダーリ「チポリーノの冒険」

2016-12-20 18:10:10 | 作品論
 1951年に書かれたイタリアの児童文学の代表作です。
 タマネギの子どものチポリーノが、レモン大公によって理不尽に囚われた父親を救出するために、いろいろな野菜や果物、それに動物の仲間と協力して大活躍し、最後には王政を打倒して共和国を樹立します。
 野菜や果物の名前がついた登場人物(緻密に描かれた挿絵がふんだんにあって、それぞれのキャラクターの具体的なイメージがつかめます)が多数登場するドタバタ喜劇ですが、その背景には当時のイタリアの国の歴史があり、結果的にその時代の権力者たちを風刺しています。
 革命を深刻に描かずに(なぜかクモの郵便配達人だけは悲惨な死に方をしますが)、ユーモアたっぷりに描いた点が世界中の子どもたちに受け入れられたのでしょう。
 今回読んだ本は、1957年の原作の改訂版をもとにして2010年に出た新訳なので、現在の子どもたちにも読みやすく工夫されています。

チポリーノの冒険 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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児童文学のグレードと主人公の関係

2016-12-20 11:40:52 | 考察
 児童文学には、出版の都合上グレードというものがあります。
 年少なものから順に並べると、幼年(幼稚園から小学校低学年ぐらいまで)、低学年(小学校一、二年生)、中学年(小学校三、四年生)、高学年(小学校五、六年生)、中学生、ヤングアダルト(中学生から高校生ぐらいまで)などです。
 ただし、出版社によっては、区分が違う場合もあります。
 これらは、子ども本人や親などが書店で本を選ぶときの参考にもなりますが、公立図書館や学校の図書室などに納入するときに選定者(司書や教師)が便利だという理由もあります(一般に児童書は部数が少ないので、学校や図書館への販売は重要です)。
 これらのグレードにより、想定される読者にあった書き方(漢字の使い方、用語の選定、文章の長さなど)が、編集者から求められることもあります。
 こうした表面的な(そうではない場合もありますが)書き方だけならばあまり問題ないのですが、内容まで対象読者に合わせなければならないのは、もっとやっかいです。
 特に、主人公の年齢を対象読者に合わせなければならなくなると、物語の展開に制約が生じてしまいます。
 今の児童文学の出版状況では、幼児が主人公の高学年向きの本や、中学生が主人公の幼年ものなどは、特別な場合を除いては出版が難しいでしょう。
 子どもが主人公の一般文学や、大人が主人公の児童文学はたくさんあるのですが、児童文学の子どもの主人公の年齢に関しては意外な制約があります。


幼い子の文学 (中公新書 (563))
クリエーター情報なし
中央公論新社





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6分30秒3

2016-12-20 09:27:16 | キンドル本
 主人公の少年は、陸上部で一人黙々と長距離走の練習に励んでいます。
 彼は、中学最後の大会である区大会出場をかけた校内の選考会に臨みます。
 彼は、望みどおりに区大会の代表に選ばれます。
 でも、彼の大会出場には、人には言えない秘密がありました。
 その秘密を克服するために、彼はさらに激しい練習をして大会に挑みます。
 いよいよレースのスタートがきられます。
 レースは、初めから思ってもみなかった展開になります。
 はたして、その結果はどうだったでしょうか?
 そして、レースに対するみんなの反応はどうだったのでしょうか?
 さらに、出場の秘密までが暴露されてしまいます。
 長距離ランナーの孤独と、少年の日々の栄光と挫折を描きます。

 (下のバナーをクリックすると、スマホやタブレット端末やパソコンやKindle Unlimitedで読めます)。

6分30秒3
クリエーター情報なし
平野 厚



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芹沢清美「体験から物語へ――学童疎開の児童文学を読み直す」日本児童文学2012年9ー10月号所収

2016-12-20 08:35:30 | 参考文献
 第5回日本児童文学者協会評論新人賞に入賞した論文です。
 論文の冒頭で触れていたので、東日本大震災と論文の内容の疎開児童文学を結びつけているのかと思いましたが、まったく関係ありませんでした。
 もし注目を集めるためだけに東日本大震災のことを前振りに書いているのであれば、かえって論文の評価を下げるものではないでしょうか。
 たとえ3.11がこの論文を書いたきっかけだったとしても、論文も少しは東日本大震災との関連を示す内容になっていなければならないでしょう。
 ここで繰り返し述べられている「皇国少女とはなんだろうか?」については、定義づけがまったくなされていないのでよくわかりませんでした。
 ただし、「公」を担うことがもたらした成長というのが、この論文のユニークな視点ではないでしょうか。
 また、大人への告発が、「子どもは戦争の被害者」という立場ではなく、「大人が戦争をまじめに戦っていない」という立場で書かれている点が、「子どもも加害者」という視点を示しているかもしれません。
 しかし、それらは、1959年に書かれた芝田道子の「谷間の底から」自体の評価ですし、今までにすでに指摘されていた点であって、この論文での新しい発見ではないのではないのだろうと思われます。
 古い日本児童文学のバックナンバーを確認したところ、作品の発表当時から「谷間の底から」が成長物語だというとらえ方はあったようです。
 そういう意味では、この論文では先行論文の調査が不十分ではないでしょうか。
「学童疎開の文学を読み直す」という論文を本格的に書くのならば、学童疎開を取り上げた作品群の俯瞰図が必要と思われます。
 ただし、賞に応募するために枚数に制限があるので、先行論文に触れたり俯瞰図を示すのは無理かもしれないので、せめて新しい視点が示されればいいのかもしれません。
 では、この論文の新しい視点はなんだったのでしょうか?
 どうもそのあたりも不明です。
 疎開時の子どもの視点と作者としての大人の視点という二重構造については、登場人物が成長することによって解消されたように書いてありますがどうもあいまいです。
 「成長」を作品の「出口」と考えるかどうかの作者の意見もあいまいです。
 ラストの「ガラスのうさぎ」の評価についても、これが記録なのか物語なのかはっきりしません。
 最後に論評抜きにさねとうあきらの「神がくしの八月」などの作品が羅列してありますが、意味不明です。
 注の部分で本文から脱線した内容が記載してありますが、研究論文ではなく評論なのだから、本文に含めるか割愛すべきだったでしょう。
 この論文からは離れますが、戦争や東日本大震災などの記憶の継承は必要だと思います。
 その際には、津波や地震などの天災と、原発事故や戦争などの人災は区別して語られるべきでしょう。

日本児童文学 2012年 10月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店


児童文学批評・事始め (てらいんくの評論)
クリエーター情報なし
てらいんく
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