goo

ballet @ royal albert hall




ご招待頂いて(正確には夫に手を回してもらった)イングリッシュ・ナショナル・バレエのロイヤル・アルバート・ホール公演を鑑賞した。
演目は「白鳥の湖」。わたしは白鳥の湖が三度の飯より好きなのである。

イングリッシュ・ナショナル・バレエに関しては今までの経験からあまり期待感はなく、それがいい方向に裏切られるといいと念じつつ、今回はセッティングを目当てに。

ロイヤル・アルバート・ホールはすり鉢状、つまり古代ギリシャ劇場の形をしており、360度の舞台をどのように活用するのかとても興味があったのだ。


さすがにいい席(正面8列目)を頂いたので、とにかく舞台と観客が近いことを強烈に感じた。舞台がそのまま観客席につながっており(普通はオーケストラボックスが間にある)、まるで自分がギリシャ喜劇のコロス(コーラス)の一員になったかのような近さ。

ニーチェはギリシャ悲劇のコーラスを「事物の根底にある生命」にふれる理想的な観客と考える。
「ギリシャ人の悲劇のコーラスは、舞台上の人物を生身の肉体を備えた実在の人物と見なすよう強いられている。オケアノスの娘たちのコーラスは、巨人プロメテウスを目の前にながめているのだとほんとうに信じているし、自身、舞台の神と同様に実在の身であると考えているのである」
「完全に理想的な観客とは、舞台の世界を美的なものとしてではなく、生身の肉体をそなえた経験的なものとして感受することだというのである」(ニーチェ、「悲劇の誕生」、西尾幹二訳)

ダンサーは精霊や影絵ではなく、生身の肉体を持った人間なのだ、そしてわたしの感動も、ということがはっきりと分かる距離...非常に新鮮な体験だった。これがよかった点。


360度の舞台について。普通の舞台は180度だから、倍のスペースを使うことになる。これは、スペースが倍、だからダンサーも倍、とすることで解消しようとしていた。
例えば白鳥の姫オデットには、同じように白鳥に姿を変えられた乙女が群舞(コール・ド・バレエ)として従っている。この人数が実に58人(<数えました)! 普通に考えて180度の舞台における人数の倍。ちょっと多すぎるとも言えようが、劇場の形に合わせた豪華な感じと、前後のオデット姫とジークフリード王子のパ・ド・ドゥとの対照が幻想的な感じを与えていて成功だったと思う。
他にも、有名な4羽の小さい白鳥の踊りも、4羽x2組で踊られ、そこまでしなくてもいいのではという気もする一方、ショーマンシップ的にはこういうのもありなのかもしれない。


振り付けについて。360度の観客を意識してだろうが、主流のいくつかの振り付けとはかなり異なっていた。
もちろんアレンジはあっていいと思う。しかしパ・ド・ドゥの見せ場が極々少なく、バレエファンとしては非常に残念だった。アレンジをするなら改悪ではなくて改良でなければならないし、変えることによって観客を納得させなければならないと思うのだがどうだろう。
あるいは単純に考えて舞台の広さが倍なのでダンサーの体力も倍必要、だから体力を最後まで消耗しないよう...そういうことだったのかもしれない。


最後にダンサーについて。
群舞は全く悪くないと思った。でもでもでも...主役のオデット姫のあの人選は何だったのだろう。最初の登場場面から目立つミスもあり、力不足なのでは?と嫌な予感はした。王宮の舞踏会の場面では「絶対無理」と思ったら、やはり黒鳥のグラン・フェッテが回りきれず、(アクシデントは常にあり得るのを承知の上で言う)、取り繕うことすら出来ず、バランスを崩すというのはどういうことだ! 雰囲気ぶち壊し。なにしろあの場面は黒鳥の魔の魅力が全開し、登場人物も観客も幻惑されて完全に取り憑かれた状態になり、当然、当事者のジークフリード王子の気持ちも滅茶苦茶に盛り上がるクライマックス、最重要シーンなのに。
どういう事情でとか、プロのレヴューなども探す気にすらなれない。


全体的にはアートというよりはショウ寄りの構成だった、と。


このセッティングで、例えばスヴェトラーナ・ザハロワを見ることができたなら...

次回の白鳥の湖は、7月末にロイヤル・オペラでザハロワなのである。わたしは南仏で休暇中なのだが、一泊二日で飛行機でロンドンに戻って絶対に見るつもりにしている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« monochrome メッセージ »