God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

休憩

2007-03-31 08:43:11 | 日々の暮らし
今朝は早起きだったので、久々に少し家の周囲を散歩してきました。
今朝はかなり冷え込んで、車のフロントも真っ白になっていました。
このところずっと暖かかったので、けっこう寒く感じました。



家のすぐ脇の田圃の土手には、毎年水仙が咲きます。そのあとはスノードロップ。
家の周りはいまだ田圃や畑が広がるのどかな郊外で、少し山勝ちになっています。
そのため、市街地よりも朝夕の気温が低く、花も遅れて咲きます。



ですが、さすがに蕗の薹は遅すぎでしょう。出遅れたのかな?
開けたところでは踊り子草やイヌフグリが盛りですが、
山の斜面にも小さな花が人知れず咲き誇っています。



名も無き花、ではなくて名も知らぬ花、だれか教えてください(笑)



もちろん、地衣類も元気です。



胞子嚢をつけています。春ですねぇ(笑)



なんかわからないかわいいつぼみもありました。
寒くて手がかじかんでピントが合わない!



植物がつづいたので、ここでちょっと動物質のものを(笑)



冬を越せなかった蛾の繭、なかには蛹が・・・



これは木五倍子(キブシ)、漢字4文字で読みが3文字。百舌鳥とかと同じ構成ですね。
かつてはお歯黒や染料に使われていました。

なんか今回は写真にパンチがない・・・

花のたより

2007-03-21 17:22:09 | 日々の暮らし
と、がらにもなく。
市街地では結構梅も散り始めているようだけれども、
我が家のあたりはやっと盛りにさしかかったところ。
先々週の週末には、うちの裏の梅の古木には一輪二輪花がついていた。



ところが、週明けにかけて、結構雪が降ったのだ。予想外であった。



当然、梅の木はこうなる。



それが、やっと満開になった。そばに行くと梅の香りが仄かに漂ってくる。
「徽章は香りのいみじき梅花 氷霜凌げる操は清し」高校の校歌



庭の隅にはこんなものが



春だねぇ、まったくもって!


これは先週出た現場のそばで見つけた風景。
この先はどこに通じるのだろう・・・
私は知っているけど、教えない(笑)


三つ子の魂

2007-03-20 18:59:36 | その他
私が幼かったころ、祖父母は私の家から電車でふた駅のところに住んでいた。
私の実家は当時お菓子屋(その後、温泉場のお土産屋)だったので、
祖父母はそこから私の家、つまり店まで毎日(でもないが)通っていた。
今にして思えば、祖父母はいわゆる家庭内別居に近く、
私が小学校に入った年に店舗兼住宅を新築してからは
祖父と住んでいた家にはあまり帰らずに、
私の家に寝泊まりするようになっていた。

それでも、一度も帰らなかったわけではなく、
週末なんかは時々帰っていたのであるが、
やはり二人っきりになるのは嫌だったらしく、
よく私と兄を連れていった。

祖父母の暮らす家は子供にとっては退屈で、
暇を持て余して仕方がなかった。
夏は庭で遊んだりすることもできたが、
天気が悪かったり、暗くなってきたり、
兄が来ないで一人っきりだったりするとすることもなく、
祖父の本棚から適当に本を抜き取って
パラパラと眺めているしかなかった。

祖父は見栄っ張りだったので、当時はやった百科事典以外にも
教養関係の本がかなりの部分を占めていた。
祖父が本を読んでいるところはついぞ見たことがなかったが。

その中に、TIMEやLIFEが編集した「自然の驚異」とか、
「秘境を探る」とか、「砂漠の生き物」とか、
なんかそんなような写真を中心とした図鑑めいた本が
少なからずあった。

たとえば、深海で大王烏賊とマッコウクジラが格闘している
エッチング風の挿絵や、グランドキャニオンの空中写真、
蠅の複眼の拡大写真に最新鋭ジェット機の風洞実験、
クラインの壷の解説だったりインカのピラミッドだったり。
ページをめくるたびひろがってゆく未知と神秘の世界を
何となく眺めながら過ごしたりしていた。

その中で、一番印象的だったのがこの写真だった。



どちらかといえば、こんな狭いところで行われている未知の世界に
魅力を感じた。しかも、壷かなんか掘り出しているところは、
最高に格好いいと思った。変な子供だった(笑)
インディ・ジョーンズではないけれど、冒険家は危険なので、
それに近くて比較的安全な職業という選択だったかもしれない。



なんとなく神秘的な感じが好ましかったのだろうか、
そのころの私にとっての考古学は神殿と木乃伊である。

それから40年近くたった今、その神殿や木乃伊以上に、
縄文土器にときめいている私がいる(爆)

人生、仕事がすべてだと思ってる私は(笑)
仕事が人を選ぶのか、人が仕事を選ぶのか、
お互いに惹かれ合っているのなら、それは幸せ。
仕事に片思いでも幸せ。
でも、自分の仕事を愛せなくなったら、
そこから先はもはや私ではなくなってしまうかもしれない。
どんな仕事でも、自分の仕事になれば
私はキット愛してしまうに違いない。

このブログを見ているのは多分ほとんどが古い社会人だと思うけれど、
新社会人、新入生の季節に、彼らに向けてなんか書かなきゃ、と思った次第です(笑)

でも、溺愛は駄目よ!

六根清浄 4

2007-03-12 20:04:18 | 歴史/民俗/伝統芸能


さて、これが一番高いところにある奥の院です。お疲れさまでした!
この奥の院を含めて、5つの寺院があるわけですが、
かつてはかなりの数の寺院があったということは前に話しました。

また、この岸壁の峻険さや風穴がここに寺院が営まれた
最大の理由だと言う話もしました。

では、そこで暮らしていた数百(数千??)の僧侶は
どうやって暮らしていたのでしょう??
たくさんの堂宇をどのように維持していたのでしょう??
多分、答えはこの景色の中にあります。



川沿いに広がる水田地帯、見渡す限りの土地が、
おそらくは立石寺の領地だったのでしょう。
在地の領主たちは税を逃れるために、幾ばくかの名義料で
土地の名目だけ立石寺に寄進したことにして、
中央の目を逃れて私財を肥やしていたこととおもいます。
立石寺は寄進を受けたと言う書状を出すだけで、
たくさんの名義料を受け取っていたのでしょう。

寄進を受ければ受けるほど寺の勢力は強大になり、
強大になるほど寄進が増える、まるで今の政治家のよう!?
もしかすると、立石寺から遠くはなれたところの土地でも
名義だけが立石寺のものとなっていたりしたかもしれません。
違うかなぁ??


六根清浄 3

2007-03-11 17:23:20 | 歴史/民俗/伝統芸能
参道も中程をすぎ、結構のぼったと感じるあたりで(個人差あり)
仁王門にたどり着きます。



ここからさきに山院が点在するのです。
ちなみに、来た道を振り返るとこう。


さて、やはり岸壁は穴だらけではありますが、
このへんから少し事情が変わってきます。
まずは見てください。



中央の岩の裂け目に何かあるのがおわかりですか?
そう、石製の五輪塔が納められています。



こちらは五輪塔というよりは角柱状の供養塔でしょうかね。
よく見てください、ここにもあります。



これが山寺の本来の姿なのです。
先人たちは、この風穴を供養の場所として利用してきました。
たとえば、亡くなった人の遺骨や遺髪の一部、歯などを
回忌供養の際にこの風穴に納め、追善を行ったのです。
その際、柿経や小型の石製卒塔婆や五輪塔なども
一緒に納めています。その五輪塔が山寺の風穴の
至る所で見られるのです。

これはいわゆるお墓ではなくて、あくまで供養所です。
埋葬施設ではなく、亡き近親者の冥福を祈る場所です。
同じような行為は会津河東町の八葉寺雄島の岩窟も同様です。

泉崎にある観音山磨崖供養塔婆群なんかも同様の形態です。
山寺の場合は風穴を使った供養から、磨崖碑に変化していくというのが
特殊と言えば特殊かもしれません。

さて、このあたりになるとけっこう下界からは隔絶されており、
修行の場と行った雰囲気も出てきます。



岸壁の中腹には修行の場がしつらえてあります。そこに行くまでには
鎖をたよりに岸壁を上ったり、丸太橋をわたったり、それこそ修行です。
さらに山を分け入った奥の方なんかにも修行場があるそうですが、
一般の人は立ち入りを許されていません。


六根清浄 2

2007-03-10 12:23:20 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、つづら折りの参道の石段を少しずつのぼっていくと、至る所に
このようなものが作られています。



これは、岩壁に彫り込まれた供養塔(磨崖供養塔)です。
数百あるいは千数百あるこの供養塔は江戸時代から
彫り続けられてきたもので、大きなものでは
人の背丈を超えるものもあり、
足場を組まなければ彫れないような高いところに
刻まれているものも少なくありません。



現在まで、ほとんど学術的な調査がなされておらず、
その全容はよくわかってはいません。
なので、今回はどういう場所にいくつ、どんな風に
分布しているのか、いつの時代でどんな形をしているのか、
どんな内容の文句が刻まれているのか、などを
一つ一つ丁寧に記録する調査です。
もちろん、一年では終わらないので、
これから数年かけて資料を積み重ね、
そののちにさまざまなデータ分析を行う予定だそうです。


この写真の場所は、参道の中程よりも少し下のあたりで、
磨崖供養塔発祥の地点らしいです。雨により岩肌が削られ、
少しえぐれているのがわかるでしょうか?
そのえぐられている形が、如来様の座像に見えたことが
ここに供養塔を彫る契機になったようです。

前回書いたように、この辺は溶結凝灰岩で非常に軟らかい岩盤であり、
供養塔なんかを刻むのにはもってこいの石質だったようです。
ここからもう少しのぼると、また違った、もう少し古い
供養の形態が明らかになってきます。それは次回ということで!
乞う、ご期待。

六根清浄!

2007-03-08 20:40:25 | 歴史/民俗/伝統芸能
さて、社会復帰がてらかつて予告のみで終わってしまた幻の企画(笑)
山寺を行くと言う話を少し・・・

昨年の夏に山形の大学が調査をしているというので、見学しにいってきました。
今回はその時の話。夏の話です(笑)

山寺というのはあの山寺で、松尾芭蕉が閑さや、岩にしみいる蝉のこえ
と読んだ、あの山寺です。山形県は山形市と天童市の境に位置するこのお寺は
市街地からやや離れた山間にあります。というより峨々たる岩山の山腹にあります。
しかしながら、山寺というのは通称で、正式には立石寺といい、
実際はいくつかのお寺の集合体でその初源は古代にまで遡ります。
かつては山腹に幾重にも僧坊が連なっていたらしいですが、
現在は5つの寺院と4つのお堂からなっているようです。
門前市から石段で少しあがると、まず目に入ってくるのは根本中堂。



かなりでかいので、圧倒されます。中央の浄財函の上に鎮座しているのは大黒様。
ここまでは無料で参詣できます。ただし山寺周辺には土産物屋の管理する
有料の駐車場しかなく、おおむね1回の駐車で500円払わなければなりません。
ちなみに、ここまでで百段近い石段を上ってきています。

そこをすぎて、いよいよ山登りならぬ山寺のぼりがはじまるのです。



この山門で参拝料を払って、いよいよ聖域にはいります。
ここからは、石段を一段のぼると、煩悩が一つ払われるそうです。降りてくるときに
また背負い込んだりして(笑)

さて、山寺が山腹にあるという話をしましたが、山門から少しのぼっていくと、
次第に異様な光景が目に入ってきます。奇岩怪岩と行ったところでしょうか。



山全体がおそらく溶結凝灰岩からなっており、風化して出来た穴や
ガスの抜けた後なんかで穴ぼこだらけなのです。



この穴が、実は重要な意味を持っているのですが、それはまた後ほど話したいと思います。



さ、次回はもう少し上までのぼってみましょう。

病床日記(笑)

2007-03-03 18:21:08 | 日々の暮らし
なんか、文豪になった気分です・・・
で、時間を持て余していたので、買ったままになっていた本を少しずつ
読んでいました。そのうち、
澁澤龍彦は没後20年。この本はときどきここにも足跡を残してくださるもりのさかなさんの掲示板で知りました。

こちらの音楽書は、こちらで控えめに宣伝されていたもの。

こういう本は、世間から隔絶された状態で、ゆっくりと楽しまなくっちゃ!!!!!