なんか、タイトルがつまらない(笑)
さて、イヌが日本に渡ってきたのは、およそ8000年前であると言われています。もっと古いイヌの骨も見つかってはいますが、実際のところ骨の断片ではオオカミとの区別が困難であるため、今ひとつ決定打に欠けるようです。では、イヌはどのように渡ってきたのかと言うと、
このように渡ってきました。
中国南東部の浙江省にいる浙江犬と日本の固有種である犬たちは非常に血液中の蛋白構造が近いらしく、この浙江省あたりの犬が日本に渡ってきたのはほぼ間違いないようです。沖縄のほうから来たか、韓国の近くを通ってきたかは不明ですが、おそらく犬かきで渡ってきたのでしょう(笑)。ちなみに、ネット人口のおよそ75%ほどの人がブログに書かれていることは真実だと思っているそうです。そういう人にこそ、私のブログを読んで欲しい(爆)本土に上陸すれば、あとは一気に北海道まで駆け抜けます。赤い→はイメージです。もちろん、関門海峡も津軽海峡も犬かきです。みよ、このたくましい姿!!
縄文犬はおよそ小型犬の大きいほうか、中型犬の小さいほうくらいのサイズだそうです。日本に渡ってくる時点で、すでに縄文犬たちはパートナーとして、人とともに生活していました。それは、明らかに犬を他の動物と区別していたことからもうなづけます。まず、犬は他の動物と違って、食べられた形跡がありません。弥生時代になると犬を食べる習慣が生まれるようですが、縄文人たちが犬を食べた形跡はありません。そして、犬は死ぬと埋葬されます。
年老いた犬も少なくないため、猟犬としての役目を果たした後も、ずっと大切に飼われていたようですし、骨折などの怪我が治癒したあとも見られます。
さて、その後弥生時代になると、今度は韓半島から数種類の新しい犬が入ってきます。黄色い→はイメージです。この新しい犬はやはり本土を中心に広まっていき、在来の縄文犬と交配を繰り返した結果現在の和犬が生まれてくるのですが、北海道と沖縄には渡りませんでした。それゆえ、北海道と沖縄では縄文犬の血を現在でも色濃く残しておりますし、沖縄と北海道の犬は非常に近い血縁関係にあるのだそうです。
また、弥生犬は渡来人が連れてきたものと考えられますが、同時に犬を食べると言う習慣も渡ってきます。じつは、この習慣は江戸時代まで密かに続いていたのです。
ということで、この話もつづく・・・
さて、イヌが日本に渡ってきたのは、およそ8000年前であると言われています。もっと古いイヌの骨も見つかってはいますが、実際のところ骨の断片ではオオカミとの区別が困難であるため、今ひとつ決定打に欠けるようです。では、イヌはどのように渡ってきたのかと言うと、
このように渡ってきました。
中国南東部の浙江省にいる浙江犬と日本の固有種である犬たちは非常に血液中の蛋白構造が近いらしく、この浙江省あたりの犬が日本に渡ってきたのはほぼ間違いないようです。沖縄のほうから来たか、韓国の近くを通ってきたかは不明ですが、おそらく犬かきで渡ってきたのでしょう(笑)。ちなみに、ネット人口のおよそ75%ほどの人がブログに書かれていることは真実だと思っているそうです。そういう人にこそ、私のブログを読んで欲しい(爆)本土に上陸すれば、あとは一気に北海道まで駆け抜けます。赤い→はイメージです。もちろん、関門海峡も津軽海峡も犬かきです。みよ、このたくましい姿!!
縄文犬はおよそ小型犬の大きいほうか、中型犬の小さいほうくらいのサイズだそうです。日本に渡ってくる時点で、すでに縄文犬たちはパートナーとして、人とともに生活していました。それは、明らかに犬を他の動物と区別していたことからもうなづけます。まず、犬は他の動物と違って、食べられた形跡がありません。弥生時代になると犬を食べる習慣が生まれるようですが、縄文人たちが犬を食べた形跡はありません。そして、犬は死ぬと埋葬されます。
年老いた犬も少なくないため、猟犬としての役目を果たした後も、ずっと大切に飼われていたようですし、骨折などの怪我が治癒したあとも見られます。
さて、その後弥生時代になると、今度は韓半島から数種類の新しい犬が入ってきます。黄色い→はイメージです。この新しい犬はやはり本土を中心に広まっていき、在来の縄文犬と交配を繰り返した結果現在の和犬が生まれてくるのですが、北海道と沖縄には渡りませんでした。それゆえ、北海道と沖縄では縄文犬の血を現在でも色濃く残しておりますし、沖縄と北海道の犬は非常に近い血縁関係にあるのだそうです。
また、弥生犬は渡来人が連れてきたものと考えられますが、同時に犬を食べると言う習慣も渡ってきます。じつは、この習慣は江戸時代まで密かに続いていたのです。
ということで、この話もつづく・・・