God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

ここほれ、わんわん

2006-08-29 22:18:25 | 歴史/民俗/伝統芸能
なんか、タイトルがつまらない(笑)

 さて、イヌが日本に渡ってきたのは、およそ8000年前であると言われています。もっと古いイヌの骨も見つかってはいますが、実際のところ骨の断片ではオオカミとの区別が困難であるため、今ひとつ決定打に欠けるようです。では、イヌはどのように渡ってきたのかと言うと、

このように渡ってきました。
 中国南東部の浙江省にいる浙江犬と日本の固有種である犬たちは非常に血液中の蛋白構造が近いらしく、この浙江省あたりの犬が日本に渡ってきたのはほぼ間違いないようです。沖縄のほうから来たか、韓国の近くを通ってきたかは不明ですが、おそらく犬かきで渡ってきたのでしょう(笑)。ちなみに、ネット人口のおよそ75%ほどの人がブログに書かれていることは真実だと思っているそうです。そういう人にこそ、私のブログを読んで欲しい(爆)本土に上陸すれば、あとは一気に北海道まで駆け抜けます。赤い→はイメージです。もちろん、関門海峡も津軽海峡も犬かきです。みよ、このたくましい姿!!


 縄文犬はおよそ小型犬の大きいほうか、中型犬の小さいほうくらいのサイズだそうです。日本に渡ってくる時点で、すでに縄文犬たちはパートナーとして、人とともに生活していました。それは、明らかに犬を他の動物と区別していたことからもうなづけます。まず、犬は他の動物と違って、食べられた形跡がありません。弥生時代になると犬を食べる習慣が生まれるようですが、縄文人たちが犬を食べた形跡はありません。そして、犬は死ぬと埋葬されます。


年老いた犬も少なくないため、猟犬としての役目を果たした後も、ずっと大切に飼われていたようですし、骨折などの怪我が治癒したあとも見られます。

 さて、その後弥生時代になると、今度は韓半島から数種類の新しい犬が入ってきます。黄色い→はイメージです。この新しい犬はやはり本土を中心に広まっていき、在来の縄文犬と交配を繰り返した結果現在の和犬が生まれてくるのですが、北海道と沖縄には渡りませんでした。それゆえ、北海道と沖縄では縄文犬の血を現在でも色濃く残しておりますし、沖縄と北海道の犬は非常に近い血縁関係にあるのだそうです。

 また、弥生犬は渡来人が連れてきたものと考えられますが、同時に犬を食べると言う習慣も渡ってきます。じつは、この習慣は江戸時代まで密かに続いていたのです。

 ということで、この話もつづく・・・

動物と人 イヌ編

2006-08-26 20:47:45 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、先日地区の動物愛護のボランティア関係の団体で少しお話をしてきました。それをもとに、少し編集して、加筆してここでお披露目したいと思います。人と動物は、どのようにかかわってきたかの歴史の話です。

 さて、人間の一番古いパートナーであるイヌは、いつ頃生まれたのでしょうか??いまだに決定的な学説はありませんが、最も古い犬の骨は西アジアで見つかっており、およそ二万年から三万年前に、インドオオカミないしはアラビアオオカミから分化したと考えられます。その後、かなりの速度で各地に広まっており、おそらくイヌの発生については人の手が加わっているものと思われます。

 具体的に想定されているのは、「人とオオカミの共生」です。一般にオオカミは凶暴なイメージがありますが実際にはそれほど好戦的でもなく、大型獣の近寄らない人間の集団のそばにいて食べ物の残滓をあさることが多かったようです。もちろん、危険な大型獣が近寄ってくれば唸ったり吠えたりといった警戒行動をとるので、人々はいつしか番犬ならぬ番オオカミとして、頼りにするようになっていきます。
 イヌは人の手によって広められていったため、ヨーロッパのイヌにはヨーロッパのオオカミの血が、アジアのイヌにはアジアのオオカミの血が混ざっており、各地でイヌとオオカミあるいはイヌ同士の交配が進むことによってさまざまな犬種が出来上がったと考えられます。

 さて、次第に人間はオオカミの、というよりイヌの運動能力と狩猟本能を利用するようになり、猟犬として、イヌはさらに人々の生活に不可欠なパートナーとなりました。その後、人々のくらしが流浪の狩猟生活から次第に農耕中心の定住生活になると、必ずしも生活の中で番犬や猟犬はそれほど重要なものではなくなりました。しかし、イヌはそれでも愛玩動物として依然人間のもっとも親しいパートナーであることにかわりはありませんでした。

 では、イヌはいつ頃日本にわたってきたのでしょう??次回はそのお話しになるかどうかは、次回のこころだぁ~!

納涼

2006-08-13 21:20:03 | 歴史/民俗/伝統芸能
 お盆である。お盆と言えば盆踊り。盆踊りとは、年に一度この世に帰ってきた祖霊との交歓の場である。高い櫓の上で太鼓を叩いてその拠り所を高らかに示すことからも、それの目的は明らかである。そして、その前に打ち上げられる種々の花火は、祖先にたいしての迎火である。さあ、今夜はみんなで花火をやって、ご先祖様をお迎えしようではないか!

 さて、今日はお盆らしい企画、死霊結婚についてである。これはあるいは冥界結婚・冥婚などとも呼ばれるものであるが、元々日本語にはない言葉で、ゴースト・マリッジの訳である。

 「しずかさや・・・」で有名な山寺の、そのさらに北側に若松寺がある。山形市の北隣にある天童市に所在するその寺はそれほど大きな寺ではなく、どちらかと言えば人家の途切れるあたりの山間にひっそりとたっている。ひっそりと、というのは正しくないかもしれない。時に観光バスが訪れるからである。

東北に住むものなら、一度は聞いたことのある民謡、目出たァ目出たァーのぉ、若松様ぁよぉ~で有名な若松様、若松観音がまつられている。この若松様、縁結びの仏様である。はい、おわかりでしょう。この若松様ではなくなった方達の結婚も執り行われるのである。

 もともと死霊結婚については、青森(恐山!)、山形、沖縄のほか、台湾から朝鮮半島、中国大陸の一部までそれに類する儀式・信仰が根付いている。しかし、それぞれの基層文化によって、それぞれの現象と目的は多様なかたちをとる。その中で、青森・山形ではほぼ同じ形態をとっている。最大の特徴は、男性が死者/女性はイメージ(あるいはその逆もあるのかもしれない)という組み合わせ。韓国で行われている死者同士の結婚式とは対照的である。

 若松寺の場合は、亡くなった子供が結婚適齢期になったときに死霊結婚が行われる。なかには幼くして亡くなった子供に対して行われる場合もある。死霊結婚には、当然何らかの儀式がともなうのであろうが、私はそれを具体的に知らないし、知る術も無い。ただ、その結果として奉納されたおびただしい数の絵馬を見ただけである。

 この絵馬をむかさり絵馬という。山形の方言で祝言を意味するむかさりとは、「迎え去る」と言う意味で、その名の通り絵馬には祝言の風景が描かれている。
http://www.geocities.jp/murayamaminzoku/katudou/kensyuu/kensyuukai.html
生きていれば、おそらくこのくらいの年格好だろうと言う新郎の隣には、花嫁が描かれている。古くは、親戚が描いたと言うその絵馬は、次第に専門の画家が描くようになったと言う。その画家もたった一人になり、高齢であるためほとんど絵筆をとることはないらしい。

 この婚礼は、ひたすらに子をおもう親のせめてもの供養である。せめてあの世で花嫁を迎え、夫婦となって欲しいという思いが、亡き子供の結婚式を行うただ一つの理由である。恐山でも同様のことが行われているが、こちらは夫婦の人形が奉納されているのである。

 山形においでの際は、是非訪れてみることをお勧めします。次回(ではないかも)は韓国の死霊結婚の話をしましょう。

時折、送られてくるもの・・・

2006-08-04 22:02:22 | 日々の暮らし
 古本屋からけっこう高い本を買ったりすると、しばらくの間古書目録や古書市の案内が送られてくる。そのほかにもいろんな会の名簿なんかをもとに送られてきたりもするし、そういう場合は宛名が「~先生」となってたりもする(苦笑)

 古本屋さんによっては、巻頭にカラーのある結構な厚さの冊子だったりして、こんなのをみんなに無料で配布して儲けはあるのか?と思う反面、こんなことが出来るということは一冊売っただけでも結構な儲けがあるんだろうななどとさもしい事を考えたりもする。

 もちろん、そういったものは一通り目を通しておくのである。だって、面白いんだもん!最近届いた目録は、文字中心の450頁ぐらいある、結構分厚いものである。一番面白い学術雑誌のとこをちょっとのぞいてみましょう。

 まず、目についたのが、日本貝類学会の発行している貝類学雑誌ヴヰナスという雑誌。これはヴヰナスが貝の上にたっていることから命名したのだろうか?昭和3年にはじまって、平成11年まで70年以上続いている、由緒正しい学会誌である。きっと、一般人にはどうでも良いような貝類のことが事細かにのっているんだろうな(笑)さらに、貝類学会はもう一つ、こちらは昭和35年から平成14年まで刊行していた雑誌があって、こちらのなまえはちりぼたん。えっ?貝を牡丹の散った花びらに見立ててるのか!?ネーミングの由来が良くわからない。
 ちなみに、ちりぼたんは全32巻でおよそ27万円、ヴヰナスは全60巻(ただし1~10巻は復刻版)でおよそ47万円!!

 さて、こういう専門学会の専門誌には、当然聞き慣れない分野もある。植物分類地理学会もその一つ。会誌の名前が植物分類・地理であるが、はいったい何を表しているのだろう?

 地学研究という会誌は、名前からすると直球ど真ん中の非常に堅い感じの学会によるものと考えたいが、発行しているのは日本鉱物趣味の会である。趣味?研究?趣味が研究?研究が趣味?う~ん、わからない。

 ほかには、たとえば魚病研究魚病研究談話会が出している。常に魚の病気について談話していそうで、微笑ましいではないか(笑)

 で、私が究極の雑誌と呼んでいる、雑誌の頂点というよりもはや雑誌と呼ぶことすら申し訳ない(というより本当に雑誌なのか??)本がある。その名も国華!月刊で、明治22年に創刊されたかなり大判の書籍である。国華社というところ出だしている、日本美術の粋を紹介する本である。その美を表現するために、常に最新・最高の印刷技術を用いているらしい。それほど発行部数は多くないものと思われるが、とにかく手間と金を惜しまない本づくり。これの創刊号から平成17年までの1314冊コンプリートセットが売りに出ている。それも、内容を考えるとかなりお買い得だとは思うんだけど・・・9,975,000円だから、ちょっと手が出ない(笑)県立クラスの図書館には入っていると思うので、話の種にみんなで見てみよう!!