God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

ロコモーティブ・ブレス

2004-11-28 16:28:01 | その他
 さて、昔は鉄道の線路には枕木というものがあった。今もあるのかもしれないけど、ほとんどコンクリートに取ってかわられている。で、言われてみればむかしはひっきりなしに枕木の交換をしていたような気がする。保線区の人夫さんたちがよってたかってレールを持ち上げ、犬釘をぬいて枕木を外し、新しい枕木に入れ替える。
 別に普通の光景であったのだが、そこには大きな秘密が隠されていたのであった!!ま、別に大きな秘密ではないのだけれど、実は列車のレールと車輪からでる鉄粉、これが問題だったらしい。鉄は有機質を腐食させる触媒なので、たとえタールに浸してあったとしても枕木の耐久年数は非常に短かったというのである。そうね、たしかに路線にしかれていた砂利は真っ赤になってたもんね。だから鉄と有機質の組み合わせは、有機質の寿命を縮めるのである。
 ここからは蛇足なんだが、特にkubikaさん、先日教え忘れたので、よく読むように(笑)それゆえ、大島紬は染色の触媒に鉄を使っているので、他の染織品よりも寿命が短いんだって!!とはいっても、うちにもじいさんの着ていたいい塩梅にこなれた大島があるので、まぁ50年100年というスパンの事ではないのだろうが。たしかに文化財に指定されてる大島ってあんまり見た事がないような気がする!?
 で、写真は「木』の細胞組織の顕微鏡写真。しかも接眼レンズに押しあててとった携帯の写メです。けっこうかっこいいと自分では思っているので、機会にぜひご覧ください。ポコポコあいている白く見える穴が水や養分がとおる導管と呼ばれるあなです。たぶん栗の木だと思うのですが、枕木つながりという事で。
BGMはジェスロ・タルで、「蒸気機関車のあえぎ」でした。絶対日本では売れないネーミングね。

ライク ア ローリングストーン!?

2004-11-14 19:51:02 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、引き続き石の話。石は永遠の象徴であり、建材として使われているのは前回書いたが、そのほか、好んでモニュメントの資材として用いられるものでもある。その代表が石碑であろう。しかしながら、石碑の中でも「板碑」とよばれるものはすこし系統が違う。板碑??そう、石を板状に加工した供養塔である。もともと卒塔婆を模したものと言われ、建てた者(施主)が自分の死後の供養のために建てる場合(逆襲供養)と、既に死んだ者への供養(追善供養)のために建てる場合がある。まれに火葬した骨の一部を下に埋めていたりもする。一周忌、三回忌、七回忌なんかに供養のために建てられるものが多いのかな。
 なんだ、ほとんど墓石みたいなものじゃないか!でもね、板碑の多くは最近まで忘れ去られ、打ち捨てられ、埋もれていたのですよ。ほんとに、畑の用水にかかっている石の橋を裏返してみたら、板碑だった、とか。みんな踏みつけて歩いていたじゃないか。多分、墓碑つまり墓石だったら「縁起わり~~」って、踏んだりしない、よね。
 板碑の場合は、どうやら一通りの供養が終わればそのまま遺棄されたらしい。なかにはわざわざ細かく割られて捨てられたり、表面を削り取って次回に使い回しっつーのもあり。どうやら石を使っているのも、永くかたちをとどめたかったからという理由ではないらしい。その証拠に、石の表面に字を彫り込むかわりに、墨で字を書いたものもある!雨が降ったら消えちゃうじゃないか。板碑はつまり、石のもつ恒久/不動という属性を全く無視した使い方をしている。ほんとにライク・ア・ローリングストーンですね。私は板碑のそんなところに惹かれているのかも(笑)
 そういえば、昔、「ロゼッタストーン」ってバンドがいなかったっけ!?ベイシティローラーズと同じくらいの時代に(爆)
青春のロゼッタストーン だったか 追憶のロゼッタストーン だったか・・・(大謎)
 ちなみに、なんで板碑は石を使っていたのかと言うと、それこそ大謎!

人は石垣、人は城!?

2004-11-09 03:00:58 | 歴史/民俗/伝統芸能
 石造物/磨崖仏といえば高円寺の吉田達也さんが有名です(笑 気にな方はヤフーで”MAGAIBUTSU”と検索してください)。石は世界中にありふれた資材であり、人々は石を使って記念碑から宮殿まで様々なものをつくってきた。

 さて、かつてたとえば中南米のピラミッドについて、巨大な石材を寸分の狂いもなく積み上げたその技術は大きな謎として語られてました。少年マガジンのグラビアページとかで。余談ですが私が子供の頃には少年誌のグラビアには、アイドルの水着なんて載ってなかったぞ!!あと、ピラミッドは「ムー」とかにも「驚異の古代技術」特集みたいな感じで、よく載ってた。
 
でもねぇ・・・そういうのを未だに信じている方は(いないとは思うけど)、大阪城の石垣を見なはれ。あれもほとんど人力で、タガネとノミで切り出して、人力と馬力で運んで、梃子の原理で積み上げたものザンす。一昔前は「ピラミッドは宇宙人がつくった」なんて言ってた人もいたけど、さすがに「大阪城は宇宙人がつくった」って言う人はいなかった。技術的には大差ないのに!大阪城の石材は木製の修羅とよばれる「橇」とコロを使って運搬されたのだが、エジプトのピラミッドの石材も同様の手段で運ばれていたのがわかったのは比較的最近の話。もちろん持ち上げて運ぶわけにはいかないから、引きずって運ぶしかない。であれば、いかに摩擦をなくすか、人の考えつく方法なんてみーんな同じ。

 でも中国はちょっと違う。発想の方向が違うと言うか、スケールが違うと言うか、多分これは中国でしか行われなかった事だと思うのだが。もっとも、この話は私にしては珍しく誰に聞いたか、あるいは何で読んだかも思い出せないので、もしかすると私の妄想かもしれない(笑)まず石切り場から建設現場まで道路を造る。これはおそらくどこでも一緒なのだろうが、中国のことだからうんざりするほど長い道なんでしょう、きっと。次に、一定の間隔で井戸を掘る!!そして冬になると、井戸の水を道路にまいて路面を凍らせ、その上を資材を滑らせながら運ぶのである。効率がいいのか、悪いのか。一度インフラを整備してしまえば、そのあとのコストをきわめて低く抑える事が可能であるのだから、
「これから千年ぐらいは使ってやろう」
というくらいの意気込みであれば、きわめて有効な手段である。なんせ白髪だけで三千丈の国だから!
<つづく>

DNA

2004-11-03 19:21:28 | 歴史/民俗/伝統芸能
 いつの間にか11月になっていて、10月は2回しか更新できなかったです。
 さて、今回のお題は「DNA」です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、三内丸山遺跡からみつかった「くり」の実のDNAを鑑定したところ、ほとんどのくりのDNAが見事に一致しました。そのことから縄文時代には栗の(原始的な)栽培が行われていたと言われています。ん??ちょっとまって??鑑定した栗の実は同じ場所からまとまって見つかったものだから、もしそれが同時に同じ木から収穫した栗の実だったら、みんな同じDNAをもってるんじゃないの?鑑定した栗の実が100個か200個かわからないけど、もしみんな同じ栗の木から収穫したものだったら鑑定しても意味ないじゃん!!と考えた。
 その疑問を自然化学分析をやっている方にぶつけてみました。「私も同じ疑問をもったので、専門家に聞いてみたんですが・・・」と語ってくれた衝撃の事実!!!!!
 栗は風に乗ってきた花粉によって受粉し、自家受粉しない植物なので、極端な話をすると実一つごとに違うDNAをもつのが普通なのだそうだ。つまり同じ木/枝から収穫された栗の実であっても違うDNAをもつものらしい。ん??またちょっとまって??じゃあ、どうして三内丸山遺跡にはおなじDNAをもつ栗の実がそろっているの????実はそっちの方が大謎らしいです。
 私のような自然科学の門外漢がなんなんですが、シビアな言い方をさせてもらえれば、じつはDNA鑑定からは何もわからないのじゃないかぁぁぁぁ~~