God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

かくかく、鹿々!?

2006-10-26 21:20:29 | 歴史/民俗/伝統芸能
 鹿が弥生時代に神聖視されていたと言う話を前回いたしましたが、
それは古墳時代に至っても同様であったようです。
見てください、この凛々しい埴輪!!

見返り鹿(笑)

 さて、奈良の春日山には鹿がたくさんいます。奈良の人たちが早起きなのは
自分の家の前に行き倒れの鹿がいると家主が罰せられるので、隣の家より
早く起きて家の前に鹿がいないのを確認して、もし鹿が死んでたりしたら・・・・
ということだという話を、高校の修学旅行のときの帝産交通のガイドさんが
申しておりました(笑)

 というように、山に鹿はつきものです。絵巻物においても鹿が描かれるのは
奥山か神域かどちらかですし、鹿と他の動物はあまり同時には描かれません。

奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の
といったところでしょうか。秋の風景ではなさそうですけど(笑)

 その一方で、縄文時代以来鹿は依然として(現在も)狩猟の対象であり続けます。
猟師は木の上で鹿を待ち伏せして、弓矢で射止めます。鹿は神聖視される一方で、
神域以外の場所で鹿を狩ることは、特に禁忌とされてはいませんでした。
そして、鹿は骨も肉も皮も利用されたようです。しかし、骨は何に使ったのだろう??

これは猟師の家の様子です。妻の前にある器の中には、煮た鹿の肉が盛られていると言われています。
主人は俎板の上で鹿の骨を細かくしているようです。庭には刻まれた鹿の肉が筵の上に並べられ、
それらはやがて串に刺して火の周りに立てられ、干し肉とされます。
垣根には伸ばして広げられた皮が干されています。その前で番をしているイヌの口には
確かに鹿の肉が・・・・猟のお供をしたご褒美でしょうか!?

稲作がはじまって以来、山には神様が住むと考えられるようになりました。
鹿と山がセットだから鹿が神聖視されたのか、鹿が神聖視されたから山とセットになったのか?
そのへんはわかりませんが、深山に出没する角を持った生き物、
それだけでも何やら有り難い気もします(笑)

再び、動物の話です!

2006-10-14 17:59:55 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、縄文時代において最も重要なタンパク源は鹿で、遺跡からは
両者の骨がしばしば見つかります。もちろん、狩りに際してイヌが重要な働きを
していたのは言うまでもありません。

 猪は狩猟の対象であるとともに、おそらくは多産の象徴として信仰に近い
ものがあったようで、粘土を素焼きして作られた猪形も見つかっています。

 一方、鹿は食生活において猪と同等の比重を占めていたと思われますが、
こちらはあくまで狩猟の対象獣としてであり、鹿の図像は縄文時代では極めて
稀であるうえに、見つかっているものはいずれも弓矢による狩猟の情景を
あらわしているものです。

 ところが、弥生時代になると猪と鹿が逆転します。猪は図像としてほとんど
残されることがありませんが、鹿については多くの図像が残されるようになります。
たとえば、

かなり単純化されていますが、大きな壺に描かれたこれはまぎれも無く鹿です。
あるいは、群れが描かれていることもあります。

どっかの壁画にありそうですが、これも壺に線描されています。
さらに注目すべきはこちらです。


断片ではありますが、鹿が二匹描かれているのが分かります。左端は亀(スッポン?)だそうです。
ここで問題なのは、右側の鹿の足もとです。これは屋根に飾りを持つなかば象徴的な建造物を
あらわしていると言われます。では、その建物とは何なのでしょうか??それがポイントです。

ここで思い出してみましょう。鹿が描かれているのはです。
では弥生時代には壺は何に使われたのでしょうか?もともと壺というかたちは縄文時代には
そう多くは作られていません。弥生時代に入ってから重要度が格段に増した器です。
それは貯蔵を目的とした形で、稲作が行われるようになって、米や籾などを貯蔵するために
多く作られるようになったと言われます。

そこで米・壺・建物で三題噺を考えましょう(笑)簡単に考えれば、米を蓄えた壺を建物に
しまう、という風になります。であるとすれば、鹿とスッポン(笑)の描かれた壺は??

それは食料としての米ではなく、種籾を蓄えるための特別な壺だったのではないでしょうか?
稲作には狩猟とはまた違った固有の宗教観があります。たとえば山から神様(先祖)が
降りてきて実りをもたらすという事の象徴として、山の獣=鹿が神聖視されていた
ということは、それゆえ想像に難くありません。であるとすれば、スッポンは
稲作のもう一つの要素である を象徴しているのでしょうかね。
そうしたものが来年の豊穣を祈願する意味で、種籾を保存する壺に
描かれたのでしょう。と、見てきたようなことを想像します(爆)

会議レポート(2)

2006-10-08 19:53:58 | 歴史/民俗/伝統芸能
 会議初日は朝からバスに詰め込まれて会場へ。古墳群のなかを通り、会場の博物館の下にたどり着く。
 駐車場から博物館をのぞむと、こんな感じ。

比較的最近出来た施設らしく、ピカピカです。この入り口をみて、私は何となく
鬼が島を連想しました(笑)

ま、あたりまえですが鬼が島ではなく、

なんですけど。入り口にはご案内の看板が。なんか、場違いなとこに来てしまった(汗)

展示のほうも、ピカピカでした。金かかってるど~~(笑)


ちょっとだけ会議の模様をお見せしましょう。日中韓入り乱れてる感じでした。


懇親会は、かつてのシーガイア!ロビーだけでもこんな感じ!!

やはり日中韓入り乱れてました(笑)

二日間の会議を終え、来年韓国での再会を約束し、充実した二日間は終了しました。

が、二日間博物館に缶詰だったためほとんど史跡である西都原古墳群を見学しておらず、
翌日三たびこの地を訪れ、飛行機の時間まで心ゆくまで古墳を堪能したのでした。
古墳のほうはひたすら圧倒されてほとんど写真を撮っていないので、
こちらをどうぞ!