God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

吸ってー、吐いてー

2004-09-28 20:34:03 | その他
 笛を吹くということは、つまり腹から息を出すということである。腹式呼吸などという表面的なことでは、ない。
 縄文時代にあったといわれる「土笛」を作ってみた。本当に「腹から息を出す」ようにしないと、きれいな音が出ない!それはそのほうが息の早さや量をコントロールしやすいからといってしまえば、それまでなのだが。
 呼吸法は演奏の技法の一部であり、テクニックであるという解釈は西洋音楽。かれらは良くも悪くも技巧を磨くから、彼らの使う「笛」の多くは自分の指が届かないところにまで穴をあけてしまう。高価な楽器を使って、どんな難曲でも弾きこなすのが理想。宴会を盛り上げるため、あるいはバルコニーの下で求愛のラブソング。人も楽しませ、自分も楽しむ、これが音「楽」。
 ところが東洋ではそうはいかない。伝統楽器はひたすらシンプルに、竹を切っただけでも結構。弦なんて2本くらいしかない!そして演奏もひたすら深く、深く、深く。だから、腹から息を出すことは、体内の「気」を練って楽器を通して広げることとみた。一曲を極めるのに5年間山ごもりしたりするし(余談だが工藤冬里氏はギターのあるコードについて、いい音を出すための手の動かし形を極めるのに数年かかった由)、曲が完成すると演奏終了と同時に天に昇ったりもしちゃう。竹林で碁を打つジジイたちが月夜に山を隔てて合奏したり、死んだ先祖を慰めたり、むしろ「楽」より「道」に近い。「音道」だ(笑)

 さて、マハリンガムさんである。南インドの「カルナーテイック」音楽の人で、竹フルート奏者。インドでは音楽は神と一体化する手段であり、マハリンガムさんはもっとも神に近づいた演奏家の一人であるといわれている。曰く「深山で笛を吹いたら小鳥が集まってきた」「風のように現れて演奏をはじめ、風のように去っていく」「演奏会で3時間も聴衆を待たせたが、ついに現れなかったこともある。」「それでも聴衆は彼が演奏しているところを想像しただけで、十分満足して帰ってしまう」等々。まるで70’のフリージャズの話のようだ。一部の極めてつっこみの深いショップにしか置いていない上に、ほとんどのところで「入荷待ち」状態が延々と続いていることからも局地的な人気の高さとまぼろし度がわかる(笑)。一番人気の高いフランスでのライブ盤は、かすかに聞こえる太鼓の彼方から、軽やかに鳥のさえずりのようなフルートが風にのって響いてくる、というしろものらしい。で、このたびやっと私が手に入れることができたのは、かれの録音の中でももっとも人気の低い(笑)、つまり神秘度の低い作品である(多分)。 音?音のほうは文字通り ぴ~ひゃらら!! これを神秘の音色と聞くか、片田舎のふえふきおじさんの芸と聞くかは聞く人次第でしょう・・・
 画像は別なアルバムのジャケットですが、なんか実直な銀行員のよう!

たすけた亀につれられて

2004-09-18 05:31:07 | 歴史/民俗/伝統芸能
 浦島太郎は、亀につれられて竜宮城へ行きました。何故?亀を助けたから(笑)
 古来、陸で生活している人間は、水(海)の中には人のはいっていけない異界があると考えていました。その異界の象徴が竜宮城です。これが沖縄になると、「海のむこうのニライカナイ」と、ややニュアンスがかわるのは、海との結びつきがきわめて強い地域性からなのでしょうか。水の中には異界があるという考え方は例えば川であれば、「河童」が異界の使者となります。河童に川に引きずり込まれるというのは異界に連れ去られる事を意味してます。余談ですが河童の世界を異界として描いた水木しげる大先生の「河童の三平」の、文章では表現できないシュールでストレンジな感覚は絶品です。

 さて、亀は水の中でも陸でも生活できる生き物です。そこが大事。亀のみが陸と海、現界と異界を行き来できる唯一の生き物なので、浦島太郎はその亀の助けなくしては絶対に異界には行けなかったのでしょう。つまり亀はそれ自身が異界への交通機関であり通行手形であり、案内人となる生き物なのです。だから、たとえば網にかかった魚では、いくら逃がしてあげても竜宮城へは連れて行ってもらえない!!水陸両用の「蟹』は微妙な立場(笑)
 ほかの生き物は助けてあげても何かを持ってきてくれたり、恩返しでピンチから救ってくれたりするだけなので、異界に行きたい人はぜひ亀を助けてあげてくださ(笑)

 そしてもう一つ異界には「あの世』があります。亀はここでも同じ役割を果たします。死者をあの世へのせていく生き物として、しばしば亀が選ばれていることはご存知ですか?墓石の台座のなかには亀のかたちをしているものがあります。これは「亀趺/きふ」と呼ばれるもので、やはりあの世への案内人としてもちいられているのです。極楽に行きたい人も亀を助けましょう。

 写真は会津松平家の墓所に立つ、故人の業績を刻んだ墓碑です。高さは5m以上で、巨大な亀にのっているのがおわかりでしょうか?隣の人が小さく見えま~す(笑)

paint it RED!!

2004-09-11 14:20:00 | 歴史/民俗/伝統芸能
もりのさかなさんから、仏教伝来以前の色彩感覚はそれ以後とは違っていたのでは?という、鋭い指摘を受けた。そうなんです、多分。やはり色彩感覚にとどまらず、仏教伝来は大きな転機であったことだろう。そして、それに先立つ弥生時代には韓半島や大陸と交渉があったため、その時点から少しずつ汎アジア的な色彩を受け入れ初めたのだとおもう。
 その背景には、弥生時代に伝わってきたと考えられる絹織物も一役買っていると私は思っている。絹は蚕の糸からつくる動物性の繊維で、つまりタンパク質が含まれている。一方、縄文時代に使われていた繊維は植物質のもので、タンパク質を含まない。これが大事。天然の染料である「草木染め」は繊維のタンパク質と結びついて定着するので、植物質のものとは相性が悪い。しかも無漂白の素材であればなおさら彩度の高い発色は期待できない。縄文時代の装いはアースカラーかわびさびか!?やはり派手な(?)装いは純白の絹織物の出現を待たなければならなかったのであろう。
 ただし、縄文時代にも例外がある。赤(朱)と言う顔料。酸化第二鉄ないしは水銀朱は縄文時代でも古い時期から存在している。ハレの土器や木の器が赤く塗られている。シャーマンの墓の中にも赤い顔料が敷きつめられていたりする。弓や髪を飾る櫛も赤く塗られていた。赤(朱)は破邪の色であり、ハレの色であった。赤色の顔料は粉末にして塗り付けられる事もあり、漆に混ぜて赤漆として使われる事もあった。たとえば黒漆地の土器に赤漆で文様を描くこともあった。赤と黒は縄文時代においても重要な色彩だったのだろう。
 赤は生の色、黒は死の色とはあまりにも直接的で通俗すぎるが、縄文時代以来の伝統なのだから仕方あるめぇ!

天まで届く柱を立てよう

2004-09-08 20:45:16 | 歴史/民俗/伝統芸能
 原始時代には「森」あるいはその象徴としての「木」を集落に持ち込む行為があったのではないかと疑っている。そして、その木が高いほどいいんじゃないかと(笑)

 三内丸山遺跡なんかで発見された巨大な柱穴から、みんないろんな構造物を想定しているが、単純に山から木を切ってきて集落の中に立てるという行為自体に意味があるように思えてならない。森の中で最も高い木=力のある精霊という図式を想定したとき、その力によって何かを「封じ込める/守る」あるいは「導く」という行為があってもいいと思う。 具体的には祖霊信仰ないしは死者の再生に絡めて考えていたりする。縄文時代の遺跡では割合お墓のそばにあるから(笑)
 森に住む祖先霊が柱(つまり森の出張所)に帰ってきたり、死んだ子供たちが柱を通って森へ帰って、やがて再生して戻ってきたり。

 それがやがて 聖と俗の境界、聖域の入り口、実社会と他界の境界に「柱」をたてるという行為につながって、出雲大社の「心御柱」や木曽の「御柱祭」を生み出したり、あるいは神社の鳥居に継承されたりしてたら面白いのに。「高天原」に届くように高い建物や柱を立てるんではなくて、高い柱や建物の方が先にあって、そこから「天界」という連想が行われていたりして。

 神道以前のアニミズムに近い段階の話なので、すべて想像の域を超えないので、神道がある程度確立した段階くらいから気長にさかのぼっていくほかない。で、気になったのは出雲大社の「心御柱」や木祖の「御柱祭」よりもむしろ「鳥居」をたてるという行為。鳥居の原型って、どんなのなんだろう??

 写真は三内丸山遺跡の巨大建物。私はこの復元に納得していない(爆)

ペルソナ・・・

2004-09-06 20:29:23 | 歴史/民俗/伝統芸能
 縁日では必ずと言っていいほど「お面」が売られている。その時々のヒーローである場合が多いが、何故縁日ではお面が売られているのだろう。
 縁日とは本来、他界から現世へ戻ってきた祖先霊をもてなすための催しが行われる場である。その催しの多くは現在は歌舞伎/神楽/軽業など、(伝統)芸能として存続している。そして、芸能に不可欠なもの、それがペルソナ(仮面)である。縁日と仮面は切っても切れない縁がある。
 さて、では何故人は仮面つまり異なったペルソナを身にまとうのであろうか?自分の顔を作るという意味では、縄文時代にさかのぼりうる。土偶に見られる身体文様のなかには、衣類の文様ではなく入れ墨や自傷が含まれているようであり、弥生時代には魏誌倭人伝にあるように「鯨面文身」つまり全身に入れ墨をした人が居るという事実が報告されている。おそらく人は自分の持てる以上の力を持つために自分自身に文様を施し、結果的に自分とは異なるペルソナを身にまとう事となったのである。
 呪術と文様の関係についてはまた日を改めるとして、我々の世代で具体的にペルソナを纏った人として思い浮かぶのはSTALINのミチロウ、ガスタンクのBAKIやAUT-MODのJUNEである(笑)彼らは自らの「歌」に更なる力を込めるためにペルソナを纏った。簡単に言ってしまうと髪を立てるとPUNKな気分が盛り上がるのと大差ないのかもしれないが、もともと表現すべき/歌うべき何かを持っている人たちにとって、その表現を増幅するために、ペルソナは非常に有効な手段であったことだろう。彼らにとってのペルソナはトレードマークでもなければセールスポイントでもない。忌野清志郎はかつて「ステージに上がるたびに自殺している」と言われたが、多くのミュージシャンは一度死んで、生まれかわった新たなペルソナとともにステージにあがるのであろう(かな??)。
 その表出された外面的な呪術性しか見ない(見えない)次の世代には、それは派手なメイクとしか映らず、ペルソナ(メーク)と表現が乖離した段階で、ロックの失速(ビジュアル系の出現)が始まり、エスカレート合戦の末、お笑い一直線か、卒業を決め込んでAOR風歌謡曲になっていくのは必然と言えば必然であろう。

古代寺院の衝撃 その1

2004-09-04 20:23:28 | 歴史/民俗/伝統芸能
 現在は住宅地になってしまっているためその面影すらもたどれないが、地元には古代の寺院跡がある。
以前の発掘調査でその古代寺院跡から出土した屋根瓦には、柱を塗っていたと思われる朱がついていた。
 平等院鳳凰堂しかり、白水阿弥陀堂しかり、すべての古代寺院はおそらく荘厳さよりむしろ祝祭空間とでもいうべき、大陸的な極彩色をその身に纏っていたのであろう。

 さて、現在でも東北の片田舎である我が地元、古代は言うに及ばず。水田のなかに草葺きの縦穴住居が点在する全くの辺境の地に、極彩色の巨大な寺院がそびえ立っていたとすれば、やはり人々はそこに極楽浄土を夢見たのであろうか??
当時の人々の受けた衝撃はあたかも成毛滋がほとんど唯一の日本人とし、てウッドストックで本物のロックンロールを体験したときの衝撃のごとし!!(か?)
 そんな寺院を建立した豪族に対して人々はもう絶対服従せざるを得ない。人々に極楽浄土を夢見させつつ、無言のうちに服従させる。寺院は有効な権力装置であったことだろう。それはある意味ではこけおどしかもしれないが、自分の想像を遥かに超えたものを突きつけられたときに、悲しいかな、人々はすべてを受け入れてしまう場合がある。この構造自体はおそらく原始時代から現在までかわっていない。

 ちなみに写真はこのたび修復を完了し、公開予定の仙台市の国宝大崎八幡です。建物自体は中世のものですが、
この意匠は日本人の美意識としてそのまま古代から継承されていたものと考えています。

寺院の彩色については『建造物彩色の保存と修復-日本および東アジアの社寺を中心に』(クバプロ刊)が面白いです。

御挨拶

2004-09-04 16:43:11 | その他
 仕事柄、日本の文化の源流について考える機会が多いため、備忘録としてblogを使おうと思う。論文にまとめるほどでもないけど忘れたくない、あるいはあまりにも突飛な思いつきなので公表できないことどもを書き付けるための非常に個人的なページとして活用していくつもりである。
 あんまりPCには詳しくないし、このblogだって、はてさていつまで続くやら。期待している人が居ない、締め切りがないと言うのが唯一の救いだ(W)

 で、初回は全く関係なく「胡麻の花」の写真をアップ。薄紫のこの可憐な花を見た事のある人はあんまり居ないでしょう。なんで胡麻の花かと言うと、blogの口開けにちなんで「開けゴマ!」だから。

 こんな感じで、脱線していくのか・・・・