God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

しばしも休まず鎚うつひびき!

2006-11-30 06:04:27 | 日々の暮らし
飛び散る火花に走る湯玉ぁ~~

というわけで、某所で刀づくり体験をしてきましたぁ!!

まずは細長い板状の鉄棒を叩いて伸ばし、先を尖らせていきます。


手動式のふいごを左で操作しながら、右手で鉄の棒を炉の中に突っ込みます。
鉄が赤くなったら(といっても、それは火の中なので見えません)引き出して、
叩いて鍛えます。その温度はおよそ900~1000℃ほどにもなるといいます。
叩いてのばして、叩いて整えて、叩いて尖らせて、の繰り返しですが
そう上手くは行きません。曲がったり、うすくならなかったり、デコボコだったり・・・

ちなみに、途中で水を打ちながら鍛えると、鉄の表面にできた酸化鉄の
皮膜がはがれて奇麗になり、仕上げがらくになります。その水を打つときに
焼けた鉄の上を水が玉になって転がる様子が「走る湯玉」だそうです。

結局、大まかな形をつくったら、あとはヤスリでけずって形を整え、
ある程度刃のほうを薄くします。ま、小刀一本と言えど2時間程度では
到底作り上げられませんので、そこんとこはご愛嬌。

以上が私が体験した刀づくりです。ここから先は素人ではむりなので
講師の方々が少しずつやっていくそうです。
なので、ここからは刀匠のデモを見ました。

その後、焼き入れから研ぎ出しとなります。で、今回のお話のメインはここから。
日本刀は極めて鋭利な刃物です。しかも、鋼自体に適度な粘りと堅さを併せ持った
希有な刀なのです。刃物は堅くすればするほど切れるようになりますが、
粘りが無いと欠けやすくなります。両者は相反する性質なのです。
そして、その相反する性質を併せ持った刀を可能にするのが
粘土を使った焼き入れの技術なのです。

まず、粘土です。まるでごますり団子のごま餡のような黒くてつややかな粘土。
これは粘土と炭粉と砥石の粉を配合したものだそうです。

おいしそうですね!

それを、竹のヘラで刀に盛っていきます。

一見、無造作に見えますが実はこののせかたも出来不出来を決める重要なポイントです。
というのは、

はい、わかりますでしょうか。粘土は刃先のほうが薄く峰のほうが厚く盛られています。

焼き入れとは加熱した鉄を急激に冷やして硬度を増す技法です。ゆっくり冷やすと軟鉄となり
粘りが出ます。つまり、冷却速度の違いで堅くなったり軟らかくなったりするのです。
ということは、同じように加熱した状態でも、水につけて冷却したときに、
粘土の薄い部分は早く冷え、粘土の厚い部分は冷えるのにそれよりも時間がかかる、というわけです。
それによって、刀身の部分には粘りを持ち、刃先の部分は切れ味鋭い刀が出来るわけです。
その厚さとあんばいは、経験なのでしょう。


粘土をぬった刀をもう一度炉で加熱します。これも真っ赤になるまでです。
炉から引き出した瞬間には粘土も真っ赤になっており、非常に奇麗です。
ちなみに、刀の切れ味はこの焼き入れにかかっているのですが、
その温度は非常に微妙で、長年の経験と勘に頼って具合を見ながら
温度を微調整していました。
実際には夜になって暗いところで、加熱された刀の発光の具合で判断するのため、
昼間はやりたくないのだそうで、今回は体験学習のため特別の実演だそうです。


さて、冷却の速度が切れ味を決めるため、本当は刀をつける水の温度も
重要なのだという話を聞いたことがあります。弟子がその水に手をいれて
温度を測ったところが、その場で師匠にその腕を切り落とされたという話を
何かで読んだ覚えがあります。


そして、研ぎだしです。時間がなかったので大まかに研ぎをかけて、
実際には刃をつけるところまでは行きませんでしたが、それでも



切れそうじゃぁありませんか。焼きの入った部分と入らなかった部分の境にできる
刃紋を「におい」といって、これも鑑賞のポイントです。
私の打った小刀もこうなるのかしら??
ちなみにこの日使った鉄は、以前たたらで作ったものだそうです。

さて、馬だ その3 附さて牛だ

2006-11-27 22:13:01 | 歴史/民俗/伝統芸能
前回の貴族の話、結局よくわかりません
やんごと無い人を 殿上人、下々のものを地下(じげ)人といいます。
つまり、地面に触れずにつねに建物のなかにいるものと、地面の上で暮らすものと
はっきりと分かれていたのです。殿上人は家から家へ牛車で移動します。
それはいわば廊下を歩くようなものです。それゆえ、馬に乗るときも
廊下の延長なので、特に緊急事態でなければ沓など履かなかったのかもしれません。
ま、これは勝手な想像ですけど。根拠はありません(笑)

では、中世の地下人や庶民たちはどんな馬に乗っていたのでしょうか?

こんな感じです。そまつな鞍の下にわらで編んだ敷物を敷いています。
そして、重要なことは轡(くつわ)をはめていないことです。
口の周りに環をかけて、そこから手綱を出しているので、いわゆる
噛み
の部分がありません。

アップですが、わかりますか?甚だしいものは、こんな感じで

口に籠をかぶせたものもあります。名付けて口籠、そのまんま(笑)
なので、馬に人を乗せるときには、多くの場合口取りをする人が一緒についていきます。
つまり、馬に乗れば楽は出来るけど、人が歩く以上の早さでは進まないということです。
なので、一般に馬は乗り物としてよりもものを運ぶために使われていました。


こんな感じですね。馬4頭に対して馬子が3人ついております。
俵がそれぞれ二つずつのせられていますが、それでは馬が運送の主力であったかと言うと
必ずしもそうではありませんでした。短距離の場合はこうです。

馬が一頭につき二俵なのに対して、牛は荷車を使って五俵運んでいます。
そうなんです、農耕にしても運搬にしても主力は牛だったのです!!
馬が活躍するのは山越えや長距離の運送など、牛に適さない条件のときが
多かったのではないでしょうか。もちろん、そうした傾向は近世までつづくのでしょう。

牛の、なんと力強いこと!!

ちなみに牛も馬も一般には放し飼いに近い状態だったりもしますが、
やんごと無いところではこうです。

牛も馬も家の中で普通に飼われています。曲屋なんかではなく、
しかも床ばりです。おそらく牛は牛車用の牛でしょう。
猿は馬小屋の必需品です。猿を見ると馬が落ち着くというような
迷信があったような話を聞いたことがあります。
お腹に縄をまわすというのは、柵なんかよりも簡単で効果的なようです。

さて、馬だ その2

2006-11-25 07:58:06 | 歴史/民俗/伝統芸能

ここに一枚の絵があります。鎌倉時代ぐらいの?絵巻物の一場面で、
武士が従者を連れて狩りにいくところだそうです。
馬に乗る者、徒歩で行くものがいますが、
ちょっと拡大してみましょう。


どうでしょう、前回の埴輪馬ではありませんが、
何とはなしに人と馬のバランスが悪いような
気がしませんか??
そうなんです、日本の馬は小さかったのです!かなり。
それゆえ日本では馬は力仕事には向かないものとされていました。
道理で、日本では馬車が生まれなかったわけです。
日本の馬が大型化したのは、明治以降にアラブ馬が
導入されて以来の話です。

では、もう一枚

これは合戦におけるフル装備の武士と馬です。
フル装備の武士の重量に、馬はおそらく30分程度
しか耐えられなかったと考えられます。
ましてや、上であんな大きな旗とか振られた日には(笑)
日本の合戦は短期決戦だったのでしょうかね。


ちなみに、こちらの鞍上には正装した貴族がいますが、
足もとにご注目ください。なんと裸足です。
武士や庶民はおもにわらじや草履で、場合によっては沓で
馬に乗るのですが、貴族は裸足だったのでしょうか??
それともたまたまこの人だけ??大謎です。

ちなみに、この辺から民俗学の巨人、宮本常一の受け売りです(w)

さて、馬だ その1

2006-11-22 05:33:32 | 歴史/民俗/伝統芸能
馬が日本に渡ってきたのは、おそらく古墳時代の初め頃です。
そのへん、私は専門でないので結構いい加減かもしれません(笑)

馬は韓半島からきた渡来してきた人たちが、財産として持ち込んだのだろうと思います。
初期の古墳からはきらびやかな馬具が出土しており、それは韓半島でも同様な
状況です。

日本においては、馬は豪族の権勢を示す重要なアイテムだったようです。
今で言えば、たとえばロールズ・ロイスの様なものでしょうか。
財力とコネクションとステータスが無ければ持てないもの、それが馬です。

当然のことながら、公式の席では馬も正装です。なかなか当時の馬の
様子を伝えるものは多くはありませんが、権勢を示す威信財であっただけに、
豪族の古墳に供えられる埴輪は馬型のものが少なくありません。

たてがみをたて、三角文の描かれた飾り帯をかけられ、
全身に鈴と飾り金具をちりばめた出で立ちです。
鞍とハミがつけられ、手綱が見えます。


旗を立てれば完璧な正装です。


そして、行列です。どうだっって感じでしょう。

きっと、地方の平民は馬を見ただけでひれ伏したに違いありません(爆)
そして、おそらく、馬は財産として徹底的に管理されたことと思います。
ところが、やはり本能のままに脱走する馬もいたようで、野馬が発生します。
つまり野生化した馬ですね。野良馬(笑)
これが旺盛に繁殖しているのを捕まえて、調教して輸出していた
のが陸奥の国は平泉ですね。平泉の文化を支えた財力は砂金と馬です。
また、福島の相馬ではこの野馬を捕まえることで、戦の訓練をしたり
したことが、相馬野馬追という祭礼の発端となっています。
ですから、少なくとも平安時代も半ば過ぎには馬は比較的
一般化していたのではないでしょうか?
ということは、当然家畜化してきているというわけですが、
家畜という部分では、まず乗り物として活用されはじめたようです。

ところでこの馬、なんかバランスが悪く見えません?

それは作った人間がへただったからなのかどうかは
次回のこころだ~~!

秋の里山 その3

2006-11-19 07:45:37 | 日々の暮らし
こんどは、里山ならぬ仕事場のそばの公園に分け入ってみました。
お出迎えは、まずキノコ! 何はなくともまずキノコ(爆)



見上げるように巨大なキノコでした(ウソ)

さて、前回に引き続き、地衣類です。私は箱庭系と名付けました。


杉林のようです。いまだ新緑って感じ!


こちらは陣取り合戦?それとも雌花がのびているところ?


渾然一体となっております。


この小さな小さな雌花は、何の種類かもわかりませんが、バンデル星人のよう(爆)
向かって左は私の左手の親指の先です。

もちろん、地面を覆っているのは、地衣類ばっかりではありません。

紅葉もピークを過ぎ、落ち葉も少しずつモノトーン・・・・


場所が変われば、落ち葉の種類もかわります。


これは夏の落ち葉か?すでに化石のようだ。


公園で私を見送ってくれたのは、ひときわ鮮やかなヒイロチャワンタケでした。
ちょっとゴム系の触感ですが、食べられるそうです。

素知らぬ顔で仕事に戻ると、空はこんな感じ。


間もなく夕焼けがはじまって、現場は撤収。



そろそろ携帯も買い替えたいのですが、今使ってるやつは接写が奇麗なのと、
モニタが回転するので、地衣類を撮りやすい(笑)よって、こういう写真を
アップし続けようとおもうと、なかなか機種変更に踏み切れないのです(笑)

秋の里山 その2

2006-11-16 21:38:41 | 日々の暮らし
森に分け入ると、ほとんど生き物の気配はありません。
でも、よく目をこらすと、親指ほどもあるこの人が歓迎してくれました!


けっこう、美人かも(笑)


この人は別人です。他人のそら似??


お腹を見るとつい思い出します、クール星人。そういえば、全回はビラ星人のお仲間の写真が(爆)


人家の裏には秋の野らしいこんな風景。

もうちょっとひいて撮ってみました。

さらにひくと、そう、これは杉苔(かな?)。ミクロな世界でした。


そのオトナリさんはこんな感じの人たち。

それとなく南国の感じもするし、

テペト星人(爆)な感じもしますが。

地上の星??いえいえ、

銭苔でした。


この日は終日、こんな天気!暖かかったけど、風が強かった。

秋の里山 その1

2006-11-14 20:13:45 | 日々の暮らし
さて、次第に秋も深まり、柿も葉が落ちてきています。


田圃におりると、そこかしこに小さな泥の塔が築かれているのです。

近寄ってみると、真ん中に穴があいています。

ここの家主は、秋になると穴を掘って冬眠するこいつです。

けっこう、にらみをきかせています(笑)

さて、野に出るとお月様が

いやいや、どっかのプリミティブハウスのようにも見えます。