God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

針の痕も糸の痕もつけずに、シャツを縫え!

2005-12-30 23:53:53 | その他
先駆者たち

はい、皆さんご存知の「スカボロ・フェアー」の一節でございます。で、これはチャイルドの2番になります。つまり、もともとはチャイルド教授が採集したバラッド#2「The Elfin Knight」が原曲です。そのバリエーションをフォークリヴァイヴァルの旗手であったMartin Carthyがアレンジして歌っていたのですが、それを渡英していたポール・サイモンが聞いて、譲ってもらったのです。ま、もとがトラッドなので、そのアレンジを「買った」ということらしいのですが。また、かのボブ・ディランもMartin から同じ曲を教わっているようです。スカボローフェアーのオリジナルはMartinのデビューアルバムにおさめられていますが、

アレンジをまんまS&Gに譲っているので、ほとんど同じ演奏です。ただし、こちらにはMartinの実直な人柄が滲みだしております。

 彼はまた、その後エレクトリックトラッド!の頂点を極め(これについては次回)たのち、イギリス伝統のブラスバンドとトラッドの融合ともいうべきバンドであるブラスモンキー

を結成したり、ウォーターソンズに参加したり、現在でもトラッドシーンを縦横無尽に暴れ回っております。

 さて、A.L.Lloydによって大きな一歩を踏み出したフォーク・リヴァイヴァルはイーワン・マッコールを筆頭に、前回ふれたAnne BriggsやMartin、彼の片腕ともいうべきデイヴ・スワブリックなどによって牽引されてきましたが、この二人も重要な位置をしめています。

Shirley CollinsとDavy Grahamです。Davyはギターの名人で、後々の様々なミュージシャンに多大な影響を与えた人です。どのくらい上手いかというと、かのツェッペリンのジミーペイジが、インタビューでどうしてアコースティックギターを弾かないのかと聞かれたとき、「バート・ヤンシュがいるからさ。彼以上に上手く弾けるとは思わない」と答えたのですが、Davyはいってみればそのバート・ヤンシュの師匠のようなものです。もともとはジャズからポピュラーまで幅広い音楽性を持つ人なのですが、やはりこの一枚をもってしてトラッドで語られることが多い人です。
 もうひとりのShirleyはふしぎな魅力を持った歌手です。このアルバムの時点でたしか20歳くらいだったと思いますが、いわゆる「ピュア・トラッド」のシンンガーです。そして、彼女は後のフォークシーンにこれまた大きな影響を与えました。それは「古楽」をもそのレパートリーに取り入れたことです。

 それまで、どちらかといえばフォークのレパートリーは近代以降のバラッドが主流でした。しかし前にも述べたようにバラッドの中には中世から歌い継がれていたものもあり、さらに記録はあるものの忘れ去られている歌もたくさんあります。彼女はそういった曲「古楽」に光を当てました。のちには古楽器奏者である姉のDollyと一緒に活動したりもしました。彼女が古楽をトラッドに呼び込まなければ古楽はトラッドの「歴史」であり「資料」にすぎず、トラッドはこれほど奥深くはならなかったでしょう。ということはアシュレイ・ハッチングスもペンタングルも生まれなかったということです。

 このようにして、トラッドはじわじわとその奥行きをひろげてきました。はじめにS&Gとディランにすこし触れましたが、アメリカでもこの時期にフォークブームが巻き起こっております。それは日本を含め全世界を席巻しました。もちろんイギリスもご多分に漏れず、実際にはトラッドとは無関係にディランやPPMにあこがれてフォークを始める若者たちがほとんどでした。しかしながら、そこはさすが大英帝国!自分たちのオリジナリティを模索していた若者たちはフォークリヴァイヴァルと接触し、次第に融合していきます。こうして勢いづいたフォークリヴァイヴァルはいっきに広がりをみせ、若者の有り余るエネルギーのままにかつてなかった音楽を産み出すのです。
<つづく>


な、なんと!アメリカ人だったとは!!!

2005-12-29 21:45:38 | その他
 さて、今回はイギリス民謡の話です。一部で盛り上がっているVashti Bunyanを含むフォークについては、次回以降に取り上げる予定です(笑)あと、アイリッシュは好みじゃないので、触れません。

 フォークソンングというと皆さんは何を思い浮かべます?四畳半?友よ?それともタカダワタル??はたまたボブ・ディランかな?私の場合はマーティン・カーシーです。誰だかわからないって?ではこれからゆっくりと(笑)その話をしましょう。

 イギリスにはフォークソングの伝統があります。最初に大きなくくりを説明しますと、今回のテーマであるトラッド系フォークと次回のテーマ(予定)である非トラッド系フォークがあります。トラッド系のミュージシャンたちはもちろんイギリス古来の(でもないけど)伝承歌謡(バラッド)をレパートリーの中心としており、非トラッド系はSSWを含めいわゆる「フォークソング」を歌う人たちです。しかしながら、曲には伝承歌謡かそうでないものか厳然とした区別がありますが、歌う側は一部のミュージシャン以外はそれほど区別をしていません。トラッド系シンガーのなかには伝承歌謡と区別がつかないほどの作品を生み出す人も珍しくありません。
 ところで、実際にはイギリスではどちらも「フォーク(ソング)」と呼ばれており、「トラッド」といっても通じません。日本で伝承歌謡を「トラッド」と呼ぶのは、曲のクレジットに「Trad.」と表記されていることに由来します。なので、ここではフォークとトラッドを使い分けていきます。

では、いざ奥深きブリティッシュ・トラッドの森へ・・・



土壌
 イギリスでは、家族で歌を歌います。ことある毎に歌います。そして子から孫へと歌い継がれています。それを生業としている家族もいます。有名なところではウォーターソンズやコパーファミリーでしょうか。アーサーファミリーなんてのもいるらしい。
 なかには中世から歌い継がれている俗謡もあります。当然、それらの歌は口承されていくものですし、一子相伝なんかではもちろんないため、時には時代に合わせて脚色され、合体させられたり分割させられたり、入れ替わったりしながら一部は広がってゆき、多くは細々と伝承されていきました。これに注目したのはハーバード大学の文献学者であるF.J.Child教授です。時は19世紀の末、教授はイギリスを歩き(多分)たくさんのバラッドを採取し、それを5冊の本にまとめました。
            

 かれは文献学者であったことから、膨大な数のバラッドを分類し、整理し、バリエーションを体系的にまとめあげました。この文献はイギリスにおいては音楽史の基礎となっており、いまだに多くのトラッドは彼の付した整理番号をもって、チャイルドのNo.○○と呼ばれていますが、まさかチャイルド教授がアメリカ人だったなんて!!!しかしながら、彼はまた文献学者ゆえに歌詞の分析に労力の大半を費やしており、そのメロディについてはそれほどこだわってはいなかったようです。


 さて、時は19世紀末、ここで重要な人物があらわれます。その名はCecil Sharp卿!かれもまた、精力的に多くのバラッドを採集し、母国の伝統のためにその資料を役立てようと考えました(多分)。いまだにCecil Sharp Houseはブリティッシュトラッドの聖地であり続けます。ここにおいて初めて伝承音楽が文化としてイギリス国民に認められる基礎が出来たのです(拍手)

 20世紀に入ると、産業革命以降近代化を推し進めていたイギリスでは多くのものが失われていきました。ここで登場するのがトラッドの神様A.L.Lloydその人であります。彼もまた一つでも多くのバラッドを後世に残そうと、更なる探求を続けました。ここまでは前出の二人とかわりませんが、彼はさらにバラッドを「資料」や「文化」ではなく、本来の形であるうたとして復権させたのです。もちろん、まず自分で歌います。
        
これは一時期捕鯨船に乗り組んだ経験をいかして(笑)吹き込んだ鯨とりにまつわるバラッド集です。
そして、人にも歌わせます。たとえばアン・ブリッグズ。彼女はロイド先生の秘蔵っ子で、産業革命の頃に歌われた労働歌を集めた 「Iron Muse」
やイギリス唯一の「春歌」集である
「Bird in a Bush」
を経てだされた初のソロアルバムは感動的な一品です。

 こうして始まった活動は、イギリスの音楽的土壌に根をはりめぐらせ、着実に広まってきました。こそして1960年の後半には、フォーク・リバイバルとよばれるムーブメントとなってイギリス全土を覆い尽くすのです!!
<つづく>

トラジを食べながら考えた

2005-12-11 17:45:02 | 日々の暮らし
 二十歳ぐらいまでの私にとって、「韓国」はどちらかといえばネガティブな印象しかなかった。

 朝鮮戦争しかり。KCIAによる朴正煕大統領の暗殺事件しかり。全斗煥大統領による軍政しかり。そのもとで勃発した光州事件や戒厳令など韓国は民主化とはほど遠い位置にある国であると思っていた。
 と同時に、ソウルの冬の平均気温が-5℃であるとか、当時日本の一部で流行っていた「妓生」パーティーとか、統一教会とか、断片的に入ってくる韓国の情報は、どれも当時の私には重くて暗いものであった。

 すこし印象が変わってきたのは、白竜(本名:田貞一)の「アジアン」「光州City」の2枚のアルバムを聴いてからである。ロックンロールにのせて、在日の目から見た韓国のことが歌われ、合間に韓国民謡が差し挟まれる。日本や韓国、在日と行った問題を超えて、「アジア」人としてのアイデンティティを歌い上げる彼のロックンロールはとても新鮮だった。

 大学3年のときに訪れた韓国は、まさに「歴史」と「美味」の国であった。そして、なにより市場には活気が満ちあふれていた。当然キムチうまいし。法酒うまいし。プルコギうまいし。サムルノリ格好いいし。あぁ、良い国だ(笑)
 今の仕事について日本の歴史を勉強し始めると、日本と韓半島の歴史は切り離せないことや,文化的にも様々な影響を受けていることがわかり始めた。

 韓半島の陶磁器、とくに私は高麗青磁が大好きである。深みのある翡翠色と柔らかいフォルム。見ているだけで幸せになってしまう。興味がある方はこちらをどうぞ。日本の焼き物や中国の焼き物もいいのだけれど、私は断然高麗青磁が好きなのだ!

 さて、興味をもちながらでも漠然としたものであったその嗜好を決定づけたのは、数年前に見た韓国の伝統舞踏であった。というより、そのバックに流れていた音楽である。説明によれば、「シナウィ」と呼ばれる音楽であるとのこと。とりあえず注文して聴いてみることに。と、なんと全然違う音楽が!!よくよく調べていくと、もともと即興音楽なのだそうで、当然同じものはない。伝統芸能が即興だなんて、かなり目からウロコが落ちた感じ。凄いぞ朝鮮民族!!で、いわゆる韓流ブームとは無縁なところでマイブームは韓国になってしまった。
春香伝祝祭西便制の3本の映画がそれに拍車をかけた!!!

 同時に私のテーマである「死んだ人の取り扱い」にかかわる民俗でも、韓国と日本との間には共通点が。さらにさけて通れないものになってしまった。

いつの間にか、韓国に対するネガティブイメージは払拭され、憧れの国になった。また行けたらいいなぁ。

 今の韓国の若い人たちは、おそらく私がかつて持っていたネガティブなイメージの時代をほとんど知らない世代なのであろう。ソウルオリンピック以後の世代は特にそうだと思う。と同時に、すこし表現が乱暴になるかもしれないが、反共/反日/反米教育を受けた彼らはそれでも中立な見方が出来るようになってきている。今、若くして日本に留学してきている人たち、働きにきている人たち。彼らはどんな気持ちで日本に来ているのだろうか。と同時にその両親や祖父母は一体どんな気持ちで子供たちを送り出したのであろうか??

 私の韓国に対する思いは過去にとどまらなくなってしまった。韓国人のメンタリティは非常に魅力的なものである。昔の韓国も今の韓国も私にとってはとても大事な、魅力的な国である。恨五百年という言葉がいつかわかるようになりたい。そう思えるのも、チョンさんに会えたからなのである。ありがとう!チョンさん!!

行ってきました

2005-12-10 17:04:57 | 日々の暮らし
先週の土日は学会打ち合わせで前橋まで行ってきました。

13時に駅の改札に集合してから日付が変わるころまで、
延々ず~~~~~~~~~~~っと縄文時代前期の土器の話が続き、
翌朝8時半に再集合してから15時半に解散するまで、
延々ず~~~~~~~~~~~~~~~~っと縄文時代前期の土器の話!!!

よくもまあ、飽きずにやってるもんだと我ながら感心してしまった。
土器ヲ○クに囲まれて、幸せな二日間でした。

で、当初宿泊予定だったこのビジネスホテル。
              


強度不足(べつに私の体重のせいではない!)で営業を停止しており、事務局がかわりに手配していてくれた宿は・・・・う~~ん、昭和の香り

              

ちなみに、考古学の学会は、発表を依頼/要請された場合、
交通費/宿泊費/参加費/懇親会費すべて発表者が自腹で参加します。
発表前に何らかの資料調査が派生した場合も、もちろん発表者が負担します。
当日会場で販売される発表資料集が予想以上に売れた場合は懇親会費ぐらいは出ますが、
参加者が少なくて資料が売れなかった場合には発表者が分担して買い取ります。
ですから、発表者は出来る限り宣伝して、売れる良い資料を作ります。命がけです。
今度の学会は、手出し5万くらいかな (汗)