先駆者たち
はい、皆さんご存知の「スカボロ・フェアー」の一節でございます。で、これはチャイルドの2番になります。つまり、もともとはチャイルド教授が採集したバラッド#2「The Elfin Knight」が原曲です。そのバリエーションをフォークリヴァイヴァルの旗手であったMartin Carthyがアレンジして歌っていたのですが、それを渡英していたポール・サイモンが聞いて、譲ってもらったのです。ま、もとがトラッドなので、そのアレンジを「買った」ということらしいのですが。また、かのボブ・ディランもMartin から同じ曲を教わっているようです。スカボローフェアーのオリジナルはMartinのデビューアルバムにおさめられていますが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/de/837766eea96ed1a621525ed79e430b7f.jpg)
アレンジをまんまS&Gに譲っているので、ほとんど同じ演奏です。ただし、こちらにはMartinの実直な人柄が滲みだしております。
彼はまた、その後エレクトリックトラッド!の頂点を極め(これについては次回)たのち、イギリス伝統のブラスバンドとトラッドの融合ともいうべきバンドであるブラスモンキー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/83/5a92c7d8f5b0793e88bf644e567d1049.jpg)
を結成したり、ウォーターソンズに参加したり、現在でもトラッドシーンを縦横無尽に暴れ回っております。
さて、A.L.Lloydによって大きな一歩を踏み出したフォーク・リヴァイヴァルはイーワン・マッコールを筆頭に、前回ふれたAnne BriggsやMartin、彼の片腕ともいうべきデイヴ・スワブリックなどによって牽引されてきましたが、この二人も重要な位置をしめています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/67/7ed51069eebd462104b7ab120a090bdc.jpg)
Shirley CollinsとDavy Grahamです。Davyはギターの名人で、後々の様々なミュージシャンに多大な影響を与えた人です。どのくらい上手いかというと、かのツェッペリンのジミーペイジが、インタビューでどうしてアコースティックギターを弾かないのかと聞かれたとき、「バート・ヤンシュがいるからさ。彼以上に上手く弾けるとは思わない」と答えたのですが、Davyはいってみればそのバート・ヤンシュの師匠のようなものです。もともとはジャズからポピュラーまで幅広い音楽性を持つ人なのですが、やはりこの一枚をもってしてトラッドで語られることが多い人です。
もうひとりのShirleyはふしぎな魅力を持った歌手です。このアルバムの時点でたしか20歳くらいだったと思いますが、いわゆる「ピュア・トラッド」のシンンガーです。そして、彼女は後のフォークシーンにこれまた大きな影響を与えました。それは「古楽」をもそのレパートリーに取り入れたことです。
それまで、どちらかといえばフォークのレパートリーは近代以降のバラッドが主流でした。しかし前にも述べたようにバラッドの中には中世から歌い継がれていたものもあり、さらに記録はあるものの忘れ去られている歌もたくさんあります。彼女はそういった曲「古楽」に光を当てました。のちには古楽器奏者である姉のDollyと一緒に活動したりもしました。彼女が古楽をトラッドに呼び込まなければ古楽はトラッドの「歴史」であり「資料」にすぎず、トラッドはこれほど奥深くはならなかったでしょう。ということはアシュレイ・ハッチングスもペンタングルも生まれなかったということです。
このようにして、トラッドはじわじわとその奥行きをひろげてきました。はじめにS&Gとディランにすこし触れましたが、アメリカでもこの時期にフォークブームが巻き起こっております。それは日本を含め全世界を席巻しました。もちろんイギリスもご多分に漏れず、実際にはトラッドとは無関係にディランやPPMにあこがれてフォークを始める若者たちがほとんどでした。しかしながら、そこはさすが大英帝国!自分たちのオリジナリティを模索していた若者たちはフォークリヴァイヴァルと接触し、次第に融合していきます。こうして勢いづいたフォークリヴァイヴァルはいっきに広がりをみせ、若者の有り余るエネルギーのままにかつてなかった音楽を産み出すのです。
<つづく>
はい、皆さんご存知の「スカボロ・フェアー」の一節でございます。で、これはチャイルドの2番になります。つまり、もともとはチャイルド教授が採集したバラッド#2「The Elfin Knight」が原曲です。そのバリエーションをフォークリヴァイヴァルの旗手であったMartin Carthyがアレンジして歌っていたのですが、それを渡英していたポール・サイモンが聞いて、譲ってもらったのです。ま、もとがトラッドなので、そのアレンジを「買った」ということらしいのですが。また、かのボブ・ディランもMartin から同じ曲を教わっているようです。スカボローフェアーのオリジナルはMartinのデビューアルバムにおさめられていますが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/de/837766eea96ed1a621525ed79e430b7f.jpg)
アレンジをまんまS&Gに譲っているので、ほとんど同じ演奏です。ただし、こちらにはMartinの実直な人柄が滲みだしております。
彼はまた、その後エレクトリックトラッド!の頂点を極め(これについては次回)たのち、イギリス伝統のブラスバンドとトラッドの融合ともいうべきバンドであるブラスモンキー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/83/5a92c7d8f5b0793e88bf644e567d1049.jpg)
を結成したり、ウォーターソンズに参加したり、現在でもトラッドシーンを縦横無尽に暴れ回っております。
さて、A.L.Lloydによって大きな一歩を踏み出したフォーク・リヴァイヴァルはイーワン・マッコールを筆頭に、前回ふれたAnne BriggsやMartin、彼の片腕ともいうべきデイヴ・スワブリックなどによって牽引されてきましたが、この二人も重要な位置をしめています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/67/7ed51069eebd462104b7ab120a090bdc.jpg)
Shirley CollinsとDavy Grahamです。Davyはギターの名人で、後々の様々なミュージシャンに多大な影響を与えた人です。どのくらい上手いかというと、かのツェッペリンのジミーペイジが、インタビューでどうしてアコースティックギターを弾かないのかと聞かれたとき、「バート・ヤンシュがいるからさ。彼以上に上手く弾けるとは思わない」と答えたのですが、Davyはいってみればそのバート・ヤンシュの師匠のようなものです。もともとはジャズからポピュラーまで幅広い音楽性を持つ人なのですが、やはりこの一枚をもってしてトラッドで語られることが多い人です。
もうひとりのShirleyはふしぎな魅力を持った歌手です。このアルバムの時点でたしか20歳くらいだったと思いますが、いわゆる「ピュア・トラッド」のシンンガーです。そして、彼女は後のフォークシーンにこれまた大きな影響を与えました。それは「古楽」をもそのレパートリーに取り入れたことです。
それまで、どちらかといえばフォークのレパートリーは近代以降のバラッドが主流でした。しかし前にも述べたようにバラッドの中には中世から歌い継がれていたものもあり、さらに記録はあるものの忘れ去られている歌もたくさんあります。彼女はそういった曲「古楽」に光を当てました。のちには古楽器奏者である姉のDollyと一緒に活動したりもしました。彼女が古楽をトラッドに呼び込まなければ古楽はトラッドの「歴史」であり「資料」にすぎず、トラッドはこれほど奥深くはならなかったでしょう。ということはアシュレイ・ハッチングスもペンタングルも生まれなかったということです。
このようにして、トラッドはじわじわとその奥行きをひろげてきました。はじめにS&Gとディランにすこし触れましたが、アメリカでもこの時期にフォークブームが巻き起こっております。それは日本を含め全世界を席巻しました。もちろんイギリスもご多分に漏れず、実際にはトラッドとは無関係にディランやPPMにあこがれてフォークを始める若者たちがほとんどでした。しかしながら、そこはさすが大英帝国!自分たちのオリジナリティを模索していた若者たちはフォークリヴァイヴァルと接触し、次第に融合していきます。こうして勢いづいたフォークリヴァイヴァルはいっきに広がりをみせ、若者の有り余るエネルギーのままにかつてなかった音楽を産み出すのです。
<つづく>