God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

エンヤコォラ今夜も船をだすぅ~

2005-08-27 07:39:18 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、以前古墳時代の古墳の壁画には仏教色がないという話をしました。古墳は仏教とは違う宗教観(厳密にはこれも道教の影響をかなり受けているので、そういう意味では日本古来とはいいがたい)によって成立しており、仏教伝来以後もしばらくの間古墳はつくられ続けています。ここで、仏教推進派と旧勢力派の軋轢が生まれます。もしかすると、その逆で旧勢力派に対する革新勢力がその旗印に仏教を掲げたのかもしれません。古代史はあんまり詳しくなくてすみません(笑)その衝突が大化の改新です。懐かしい言葉でしょ!ほとんど全国民がその年号を暗記していると思います(笑)

 さて、仏教伝来と仏教文化の伝搬は微妙に意味が違うのです。つまり、仏教伝来以前の日本には、仏教の教義/教典や僧侶といったいわば仏教のシステムが不在でも、仏教から生まれた死生観が着実に根付いていたといえます。たとえば、古墳の副葬品に「銅碗」といった、仏教特有の什器が用いられることなどがあげられます。

 しかし、そのもっとも大きな影響は以前書いたように、死後の世界のイメージが具体化したことです。たとえば、高松塚古墳の壁画は仏教色が見られません。しかしながら、それまでの縦穴を掘って地中に遺骸を埋めてしまう古いタイプの古墳と違って、埋葬施設が横穴式の石室という「空間」であること、そしてそこを壁画で飾ることはすなわち死者を「死後の世界」に安置することにほかなりません。いまだ死後の世界のイメージについては統一されてはいないようですが。

 さて、高松塚古墳やキトラ古墳、珍塚古墳に王塚古墳。こういった古墳には比較的具体的な装飾が施されている一方で、中田横穴墓



虎塚古墳



と言った古墳には円と三角という非常に幾何学的な文様が主体となっています。連続する三角文は、葬送の儀式の際に周囲に張り巡らせた幕(鯨幕みたいなものか?)を、円は日/月あるいは「辟邪の目」を表しているともいわれます。この件については稿をあらためて述べたいと思いますが、この三角と円というのが日本古来のもっとも伝統的な文様になります。
 その一方で、高松塚をはじめとする絵画的な装飾はいずれも中国の習俗や伝説/神話をモチーフとしています。東西南北に配された四神獣や高松塚の女官、馬の口取りをする人や龍などなど。

 この時点では、やはり仏教思想の中での”死後の世界”という漠然とした概念だけが先行して伝搬してきたようです。仏教伝来と仏教文化の伝搬は意味が違うと言ったのは、つまりそういうことです。概念だけが伝搬すると日本伝統の三角文や円文で装飾するようになるし、大陸の文化や習俗と渾然一体となって伝搬してくると(あるいは大陸からの渡来人に装飾を任せると??)神話的なモチーフが描かれるのでしょう。多分。

で、この頃にあの世へは「船で渡る」というイメージが次第に醸し出されてきます。ちなみに、末法思想が流行った平安末期、西方浄土はこの世と地続きではない(どちらかというと遥か海上にあり断崖絶壁に囲まれたイメージ)と考えられていましたが、三途の「川」というイメージはいつ頃で来たのでしょうかね?

私と音楽:信仰告白 衝撃の・・・

2005-08-06 18:53:52 | その他
 さて、高校の頃の私のフェイバリットといえば、たとえばグランドファンクレイルロードであり、ストレイキャッツであり、ホワイトスネイクであった。「ベストヒットUSA」は欠かさず見ていたが、ジョーン・ジェットは「格好いいなぁ」なんて、能天気な高校生。

 ところが、何を思ったのか入学と同時に合唱部に入部していた。結局3年間在籍し、2度の全国大会出場(うち1回は金賞)という輝かしい秘められた過去を持っているのだよ、実は。しかし、誤解のないように声を大にしてここではっきり言っておこう。私は音痴だ。3年間、指導者に怒鳴られっぱなしで、いつもいつも退部する隙をうかがっていたのだが、結局自分で歌うという行為以外は極めて魅力的な環境であったため、ずるずると続けてしまった。

 さて、合唱というとちょっとひいてしまう人たちも少なくないだろう。私の通っていた高校は男子校であったため、当然男声合唱だった。そして、音楽教師は変人であったため、カウンターテナーを編成しルネッサンス期の英国の宗教音楽を中心に据えるという暴挙に出た。無調・無拍の5声のポリフォニーしかもカウンターテナー付き!を男子高校生に歌わせる。常規を逸した行為である。でもそれによく応える生徒たち!!

 で、私は音痴(繰り返すぞ)だったので、歌うことで貢献できるわけもなく、「中世ルネサンスの文化と宗教」とか、「ラテン語のミサ全文の抄訳」とか、「教会音楽における宗教観」とかをミーティングで発表してそれなりの立場を守った(笑)なんとなく、どうして今の私が形成されたのかわかるような気がする。

 三年間で最も歌った歌がエレミアの哀歌である。預言者エレミアの言葉にトマス・タリスが曲をつけた。バビロン捕囚の歌である。5声部で無調で無拍で無伴奏の純正調でポリフォニーである。はっきりいって、同級生の大部分は本気でやればそのまま声楽家になれそうな奴らばっかりだった。というより、ふるい落とされてそういう奴らばっかりが残ったというほうが正しい。今にして思えばよく私が追い出されなかったものだ。

 さて、ルネサンス期の西洋音楽というものがその後に与えた多大な影響に気がついたのはずっとあとの話。ようするに西洋音楽の父であるバッハ以前の音楽、狭義のクラッシック以前の古典音楽に触れ、その構造を学ぶという経験は高校では普通は出来ない。無調無拍とういのは、とくに教会音楽が口伝によって伝えられてきたことで、その時々で歌いやすく聞きやすいように自然に改変されながら伝承され定型をもたないできていることに由来するのかもしれない。その一方でたとえばカルミナブラーナ(カール・オルフではない)に代表される世俗曲は吟遊詩人/謡曲師たちが村から村へとわたりあるきながら、人々を楽しませるために歌われてきた歌である。まるで琵琶法師かゴゼのようだ。こちらも時事ネタやゴシップ、歴史物などが伝統的な旋律や即興にのせて演奏され、非常に自由闊達な音楽である。

 で、これが第2のスタートになった。自由な音楽がキーワード。それまで聞いていたほとんどの音楽がいわゆる「西洋音楽」の枠に見事にはまっているものである。それ自体は別に悪いことでもなんでもない。しかし、様々な音楽があふれている現在でさえ、その枠を越えた(超えたではない)音楽を聞こうと思うと、いくばくかの努力となにがしかのお金が必要となる。無料で手に入る音楽のほとんどは枠の中でのコピーと再生産によってなされているものだから。

 だから、意識的にせよ無意識のうちにせよその枠を越える/またぐ/無視する音楽を、私は探し出して聞くことを始めた。だから、伝統音楽と前衛音楽という極端に走りがちなのだが、無意識のうちに思わず枠を越えてしまうようなことをしてしまう人たち、意識して伝統を極めようとする人たちは、やはり良質のエンターテイメント性を持ち合わせている。

 伝統を極めて前衛に至る!これが基本じゃなかろうか??そのへんが、私の趣味趣向にたいして「趣味が悪いけど好みがうるさい」とか、「まんべんなく片寄っている」といわれる所以であろう。