God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

・・・白きを見れば夜ぞ明けにける

2007-12-27 20:21:14 | 日々の暮らし
というわけで、放射冷却現象のため今朝は冷え込みがきつうございました。



快晴で、冬枯れした田圃にも朝が訪れます。



畦の雑草にもびっしりと霜の華が!



呼吸するからなのでしょうか、笹の葉は縁にしか霜がつきません。



車のボンネットにも、霜の華が咲いたよう!!
空気中の水分が氷結するときには、核が必要です。
おそらく、ボンネットについていた塵や埃が核となり、
その場所から放射状に結晶が広がっていったので、
こんな形になったのではないでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/bow1965/e/30ae0ff80ff84c032fcb18d86bf82b46

http://blog.goo.ne.jp/bow1965/e/e0320060f2edbb58f124bb4287b20843

昨年のブログを見てみると、暖冬だった昨年よりも、
今年の方が寒くなるのが遅かったのか・・・?

今度こそ

2007-12-23 20:31:57 | 日々の暮らし
ほんとうに今年の遠征は昨日で終了!! お疲れさまでしたと自分をねぎらう(w)

いろんなところに行って、いろんな人とあって、いろんな話を聞いて、
いろんなものを見て、いろんな本を読んで・・・
自分にこんな肥やしをやって、この齢でいったいいつ花咲くのだろう(爆)

年末年始はテレビを見てだらだらの予定。年明け早々、再度の山形GK大詣で(w)

おかわり!

2007-12-16 08:23:52 | 歴史/民俗/伝統芸能
今月に入ってからは・・・・
1・2日は会津で史跡整備の勉強会で磐梯温泉泊まり
7・8日は木製品の保存科学の研究会で高湯温泉泊まり
そのあいだに奈良に一泊二日で出張
一段落したものの、第2ラウンド開始!?
で、昨日は白河で研修 ばたばたばたばた・・・・

今回の研修は、大先達であるところの鈴鹿さんが縄文土器について語る。

写真で見ると好々爺(w)なのだけれど、鋭いんですなぁ。
ものすごくオーソドックスなかつわかりやすい編年を提示して、
「まずは何がわかっていて何がわからないのか、それが一番大事なのだ」
そうなんです。いたずらに細分を避けて、大きいところから囲い込む、これが王道’w)
中期と後期の境目はどこか気になるのはそうだけれど、
次期区分については山内大先生も言っているように便宜的な区分でしかないので、
まずは流れと並行関係をゆるくおさえよう、というのが鈴鹿さんの論旨。
どこで線引きをするのは、そのあとのあとのあとぐらい(w)

お腹いっぱい土器を見たよ(爆)



実物を見たかったものの一つ。地味だけど・・・



こういうのは、写真映えがするのかしら!?

研修の日には、同じ白河市で古代寺院の発掘現場の公開がありました。
昼休みにみんなで押しかけて、無理矢理説明させました。

白河市のS先輩、ありがとうございました。お互い忙しくて年に1度くらいしか会わなないけれど、
合えば必ず漫才になるS先輩・・・・お互い薄くなりましたね(爆)
お寺は東北で唯一の法隆寺式の伽藍配置をもつもので、
甎仏つまり仏様のレリーフのあるタイルが見つかっている事でも有名です。

食玩ではありません(爆)

一段落

2007-12-09 19:58:34 | 歴史/民俗/伝統芸能
ひさびさに、本業の記事です。
この週末は遺跡の見学と勉強会に行ってました。
浜の方にある、古代の製鉄遺跡の現地公開です。

古代の製鉄に関しては、拙ブログの過去記事を読んでくださいまし。




今まで、膨大な量の製鉄遺跡が見つかっている地域ですが、今回の製鉄炉跡は今まで見つかっているものとちょっと違います。
というのは、普通は傾斜面にならぶ製鉄炉が、ちょうどドーナツのように環状に土を盛った上にならんでいるからです。人が立っているところが土を盛ったところで、向かって右側のくぼんだところに見える黒い帯は、鉄滓と呼ばれる鉄づくりのときにでる不純物です。



角度を変えて見てみると、大勢の人が立っているのが土を盛ったところ、その手前の横長のくぼみが、「たたら」と呼ばれる送風施設で、赤っぽいくぼみが製鉄炉の跡です。炉自体はできた鉄を取り出すときに壊してしまうので、構造がわかりにくいかもしれませんが、製鉄実験の時に使っていたのは風呂桶みたいな「箱形」の炉で、今回見つかっているのは「ドラム缶」サイズの円筒形の「縦型」の炉です。生産量と歩留まりの問題で、縦型からはじまった製鉄炉は次第に大型化し、平安時代には箱形炉に切り替わります。

炉は壊され、鉄は消費され、遺跡に残っているのは炉を壊した残骸と鉄滓だけです。あと製鉄に使う炭を焼いたたくさんの炭窯(w)


その鉄滓は、すべて拾い集めて洗って、青いカゴに入れて干してから、分類選別します。



こんな感じで乾燥されてます。ちなみに、今回の調査では50トンを超える鉄滓が掘り出されていますが、それでも「なんだ、その程度で済んだのか」と言われるほどの量でしかありません(爆)遺跡は開発で壊される部分以外は発掘をせずにそのまま残っていますので、遺跡全体では数百トンが埋蔵されていると思われます。



炉の残骸の中には、炉体と羽口がそっくり残っているものもあったりします。これによって、炉への送風の角度が判明します。この羽口の取り付け角度と本数で、鉄の出来具合がかわってくるのだそうです。

この製鉄遺跡はいわば奈良時代の製鉄コンビナートですが、ここで作られた鉄は朝廷の対蝦夷政策用の武器として使われていたと考えられていますが、おそらくはそればかりではありますまい!この遺跡から車で15分のところに、平安時代の磨崖仏があります。



岩盤を掘りくぼめて巨大なドームを作り、その中に仏像を掘り出し、彩色しています。この写真ではなかなか大きさがわからないかもしれませんが、



実に巨大な磨崖仏がずらりとならんでいます。いかに柔らかい岩盤とはいえ、ふんだんに鉄製利器がなければできない事業だとおもわれるので、この地区にこれがあるのは決して偶然ではないでしょう。
仏像は今はお堂風の覆い屋がかけられています。覆い屋を一歩出ると、黄色い絨毯。



この辺は温暖で、柚子もたわわに実っていました。



急いで引き返して、午後からは勉強会。夜は高原の温泉宿で懇親会。
街の灯りがとても奇麗ね高湯温泉、です。



旅館の方からは朝日も奇麗だとうかがったのですが、残念ながら朝から曇り。雲の切れ間からかすかにオレンジ色が。