私が幼かったころ、祖父母は私の家から電車でふた駅のところに住んでいた。
私の実家は当時お菓子屋(その後、温泉場のお土産屋)だったので、
祖父母はそこから私の家、つまり店まで毎日(でもないが)通っていた。
今にして思えば、祖父母はいわゆる家庭内別居に近く、
私が小学校に入った年に店舗兼住宅を新築してからは
祖父と住んでいた家にはあまり帰らずに、
私の家に寝泊まりするようになっていた。
それでも、一度も帰らなかったわけではなく、
週末なんかは時々帰っていたのであるが、
やはり二人っきりになるのは嫌だったらしく、
よく私と兄を連れていった。
祖父母の暮らす家は子供にとっては退屈で、
暇を持て余して仕方がなかった。
夏は庭で遊んだりすることもできたが、
天気が悪かったり、暗くなってきたり、
兄が来ないで一人っきりだったりするとすることもなく、
祖父の本棚から適当に本を抜き取って
パラパラと眺めているしかなかった。
祖父は見栄っ張りだったので、当時はやった百科事典以外にも
教養関係の本がかなりの部分を占めていた。
祖父が本を読んでいるところはついぞ見たことがなかったが。
その中に、TIMEやLIFEが編集した「自然の驚異」とか、
「秘境を探る」とか、「砂漠の生き物」とか、
なんかそんなような写真を中心とした図鑑めいた本が
少なからずあった。
たとえば、深海で大王烏賊とマッコウクジラが格闘している
エッチング風の挿絵や、グランドキャニオンの空中写真、
蠅の複眼の拡大写真に最新鋭ジェット機の風洞実験、
クラインの壷の解説だったりインカのピラミッドだったり。
ページをめくるたびひろがってゆく未知と神秘の世界を
何となく眺めながら過ごしたりしていた。
その中で、一番印象的だったのがこの写真だった。
どちらかといえば、こんな狭いところで行われている未知の世界に
魅力を感じた。しかも、壷かなんか掘り出しているところは、
最高に格好いいと思った。変な子供だった(笑)
インディ・ジョーンズではないけれど、冒険家は危険なので、
それに近くて比較的安全な職業という選択だったかもしれない。
なんとなく神秘的な感じが好ましかったのだろうか、
そのころの私にとっての考古学は神殿と木乃伊である。
それから40年近くたった今、その神殿や木乃伊以上に、
縄文土器にときめいている私がいる(爆)
人生、仕事がすべてだと思ってる私は(笑)
仕事が人を選ぶのか、人が仕事を選ぶのか、
お互いに惹かれ合っているのなら、それは幸せ。
仕事に片思いでも幸せ。
でも、自分の仕事を愛せなくなったら、
そこから先はもはや私ではなくなってしまうかもしれない。
どんな仕事でも、自分の仕事になれば
私はキット愛してしまうに違いない。
このブログを見ているのは多分ほとんどが古い社会人だと思うけれど、
新社会人、新入生の季節に、彼らに向けてなんか書かなきゃ、と思った次第です(笑)
でも、溺愛は駄目よ!
私の実家は当時お菓子屋(その後、温泉場のお土産屋)だったので、
祖父母はそこから私の家、つまり店まで毎日(でもないが)通っていた。
今にして思えば、祖父母はいわゆる家庭内別居に近く、
私が小学校に入った年に店舗兼住宅を新築してからは
祖父と住んでいた家にはあまり帰らずに、
私の家に寝泊まりするようになっていた。
それでも、一度も帰らなかったわけではなく、
週末なんかは時々帰っていたのであるが、
やはり二人っきりになるのは嫌だったらしく、
よく私と兄を連れていった。
祖父母の暮らす家は子供にとっては退屈で、
暇を持て余して仕方がなかった。
夏は庭で遊んだりすることもできたが、
天気が悪かったり、暗くなってきたり、
兄が来ないで一人っきりだったりするとすることもなく、
祖父の本棚から適当に本を抜き取って
パラパラと眺めているしかなかった。
祖父は見栄っ張りだったので、当時はやった百科事典以外にも
教養関係の本がかなりの部分を占めていた。
祖父が本を読んでいるところはついぞ見たことがなかったが。
その中に、TIMEやLIFEが編集した「自然の驚異」とか、
「秘境を探る」とか、「砂漠の生き物」とか、
なんかそんなような写真を中心とした図鑑めいた本が
少なからずあった。
たとえば、深海で大王烏賊とマッコウクジラが格闘している
エッチング風の挿絵や、グランドキャニオンの空中写真、
蠅の複眼の拡大写真に最新鋭ジェット機の風洞実験、
クラインの壷の解説だったりインカのピラミッドだったり。
ページをめくるたびひろがってゆく未知と神秘の世界を
何となく眺めながら過ごしたりしていた。
その中で、一番印象的だったのがこの写真だった。
どちらかといえば、こんな狭いところで行われている未知の世界に
魅力を感じた。しかも、壷かなんか掘り出しているところは、
最高に格好いいと思った。変な子供だった(笑)
インディ・ジョーンズではないけれど、冒険家は危険なので、
それに近くて比較的安全な職業という選択だったかもしれない。
なんとなく神秘的な感じが好ましかったのだろうか、
そのころの私にとっての考古学は神殿と木乃伊である。
それから40年近くたった今、その神殿や木乃伊以上に、
縄文土器にときめいている私がいる(爆)
人生、仕事がすべてだと思ってる私は(笑)
仕事が人を選ぶのか、人が仕事を選ぶのか、
お互いに惹かれ合っているのなら、それは幸せ。
仕事に片思いでも幸せ。
でも、自分の仕事を愛せなくなったら、
そこから先はもはや私ではなくなってしまうかもしれない。
どんな仕事でも、自分の仕事になれば
私はキット愛してしまうに違いない。
このブログを見ているのは多分ほとんどが古い社会人だと思うけれど、
新社会人、新入生の季節に、彼らに向けてなんか書かなきゃ、と思った次第です(笑)
でも、溺愛は駄目よ!