さて、これが一番高いところにある奥の院です。お疲れさまでした!
この奥の院を含めて、5つの寺院があるわけですが、
かつてはかなりの数の寺院があったということは前に話しました。
また、この岸壁の峻険さや風穴がここに寺院が営まれた
最大の理由だと言う話もしました。
では、そこで暮らしていた数百(数千??)の僧侶は
どうやって暮らしていたのでしょう??
たくさんの堂宇をどのように維持していたのでしょう??
多分、答えはこの景色の中にあります。
川沿いに広がる水田地帯、見渡す限りの土地が、
おそらくは立石寺の領地だったのでしょう。
在地の領主たちは税を逃れるために、幾ばくかの名義料で
土地の名目だけ立石寺に寄進したことにして、
中央の目を逃れて私財を肥やしていたこととおもいます。
立石寺は寄進を受けたと言う書状を出すだけで、
たくさんの名義料を受け取っていたのでしょう。
寄進を受ければ受けるほど寺の勢力は強大になり、
強大になるほど寄進が増える、まるで今の政治家のよう!?
もしかすると、立石寺から遠くはなれたところの土地でも
名義だけが立石寺のものとなっていたりしたかもしれません。
違うかなぁ??