God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

paint it RED!!

2004-09-11 14:20:00 | 歴史/民俗/伝統芸能
もりのさかなさんから、仏教伝来以前の色彩感覚はそれ以後とは違っていたのでは?という、鋭い指摘を受けた。そうなんです、多分。やはり色彩感覚にとどまらず、仏教伝来は大きな転機であったことだろう。そして、それに先立つ弥生時代には韓半島や大陸と交渉があったため、その時点から少しずつ汎アジア的な色彩を受け入れ初めたのだとおもう。
 その背景には、弥生時代に伝わってきたと考えられる絹織物も一役買っていると私は思っている。絹は蚕の糸からつくる動物性の繊維で、つまりタンパク質が含まれている。一方、縄文時代に使われていた繊維は植物質のもので、タンパク質を含まない。これが大事。天然の染料である「草木染め」は繊維のタンパク質と結びついて定着するので、植物質のものとは相性が悪い。しかも無漂白の素材であればなおさら彩度の高い発色は期待できない。縄文時代の装いはアースカラーかわびさびか!?やはり派手な(?)装いは純白の絹織物の出現を待たなければならなかったのであろう。
 ただし、縄文時代にも例外がある。赤(朱)と言う顔料。酸化第二鉄ないしは水銀朱は縄文時代でも古い時期から存在している。ハレの土器や木の器が赤く塗られている。シャーマンの墓の中にも赤い顔料が敷きつめられていたりする。弓や髪を飾る櫛も赤く塗られていた。赤(朱)は破邪の色であり、ハレの色であった。赤色の顔料は粉末にして塗り付けられる事もあり、漆に混ぜて赤漆として使われる事もあった。たとえば黒漆地の土器に赤漆で文様を描くこともあった。赤と黒は縄文時代においても重要な色彩だったのだろう。
 赤は生の色、黒は死の色とはあまりにも直接的で通俗すぎるが、縄文時代以来の伝統なのだから仕方あるめぇ!