もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

ハローワークの前で「秋の派遣村」のチラシを撒く

2010-09-07 21:20:57 | Weblog
  昨日の夕方、停電をともなう強い雷雨があった。
 短時間で数十ミリのゲリラ豪雨。でも、畑は6・7センチも掘ると白く乾いている。
 今夜は、久しぶりに寝苦しさから開放されそうだ。

 9月11日(土)は「秋の派遣村」。
 昨日からハローワーク前でチラシ撒きを始めた。
 
 6月に撒いたとき毎日来ていた男性、9月になってもまだ来ていた。
 ニコニコ笑いながら手招き。4・5人のハローワーク仲間ができていた。
 「やあ、お久しぶり。元気でしたか?」と互いに親近感も生まれていた。
 
 『相変わらず仕事はない。来る人も減った。』と言う。
 確かに開業前に並ぶ列は昨年の半分以下。
 
 ある若者は、『3ヶ月の派遣があった。2ヶ月になるかもしれないけど』と、笑顔はない。
 
 50ccバイクに長靴を履いてやってきた中年女性。
 ヘルメットを脱いだところでチラシを渡すと、『失業保険もらってっけど、それじゃ生活できねぇ。仕事しねば。』と言いながら靴を履き替え、長靴をしまうために荷物入れから取り出したのは網袋に入った“イナゴ”!<emoji code="a006" />
 『さっき捕ってきたんだ。売ることはしねぇ。捕ることが好きでよ。今日は少ねぇんだ。
ありがとね、ありがとね・・・』とあわただしく入って行った。

 みんな一所懸命だ。早くいい仕事に就けるといいなぁ。

 10日までチラシを撒く予定。

もう一度「国鉄のうたごえ祭典inみやぎ」の感動を!

2010-09-07 12:42:15 | Weblog
  昨日は、小生のパソコン技術の未熟さと夕方の雷雨による停電もありトラブル多発。
 一晩休んだら、昨夜貼り付けられなかった2枚の写真もすんなり入ったので、あの感動を伝えなおしたいと思います。

 
4日(土)・5日(日)、仙台の南隣の名取市文化会館大ホールで行われた
 「第54回 国鉄のうたごえ祭典inみやぎ」をタカと二人で聞きに行った。
 DSCN0042.jpg
 メインテーマは『線路は続くよ どこ(未来)までも』

 この6月、国鉄分割民営化による「1047人のJR採用差別問題」が23年ぶりに最高裁で和解が成立し、残る『JRへの雇用』という課題を掲げての祭典となった。

 一日目は、「合唱・創作発表会」。
 「D51合唱団」をはじめ、闘ってきた20近い各地の国鉄合唱団が発表。
 語りつくせないあの闘争を経て、心の底のマグマから生まれ出る“響き”が伝わり合った。

 二日目、「大音楽会」。
  第1部 オープニングは地元仙台から「すずめ踊り」で歓迎。
 DSCN0037.jpg

  第2部 宮城・東北合同による歓迎・連帯演奏
         混成合唱組曲「おじいちゃんから孫たちへ」
 DSCN0053.jpg 
 合唱団は、東北各地から集まった150名を超える。
 (原文の「戦争と私」は、元国鉄マンで写真家、そして「みやぎ九条の会」の呼びかけ人でもある“後藤 東陽”氏による。)

  第3部 ウクライナの歌姫 ナターシャ・グジーの世界
 彼女は1986年のチェルノブイリの原発事故で、わずか3,5キロの地で被爆。
 民族楽器パンドゥーラの哀愁を帯びた音色と天まで響く澄んだ歌声は身震いするほど。
 DSCN0070.jpg
 「タカ」は驚いたように聞き入っていた。

 第4部 全国の国鉄合同合唱
 DSCN0082.jpg
 「機関車の歌」・・・「長い坂の向こうに」「おお、我が鉄道人生」そして「人間のうた」
 『・・・生きて生きて生き抜いて、生きて生きて生き通して・・・人間のうた』

 フィナーレは「線路は続くよどこまでも」。
 DSCN0108.jpg
 みんなで みんなで歌った。(右下に雀踊りのメンバーも)
 「タカ」は体を揺すり、手をたたいて『う~う~』と歌った。

 感動の渦でおわった。

        

もう一度伝えたい「国鉄のうたごえ祭典inみやぎ」

2010-09-07 11:55:01 | Weblog
  

 4日(土)・5日(日)、仙台の南隣の名取市文化会館大ホールで行われた
 「第54回 国鉄のうたごえ祭典inみやぎ」をタカと二人で聞きに行った。
 
 (アレッ?タイヘンダ!写真が出せなくなったア~
 満杯になった?。削除したら頭の方から出てきた<emoji code="a009" />)
 
 では、続けよう。
 DSCN0042.jpg
 ー線路は続くよ どこ(未来)までもー
 この6月、国鉄分割民営化による「1047人のJR採用差別問題」が23年ぶりに最高裁で和解が成立し、残る『JRへの雇用』という課題を掲げての祭典となった。

 一日目は、「合掌・創作発表会」。
 「D51合唱団」をはじめ、闘ってきた20近い各地の国鉄合唱団が発表。
 語りつくせないあの闘争を経て、心の底のマグマから生まれ出る“響き”が伝わり合った。

 二日目、「大音楽会」。
  第1部 オープニングは地元仙台から「すずめ踊り」で歓迎。
 DSCN0037.jpg
  第2部 宮城・東北合同による歓迎・連帯演奏
         混成合唱組曲「おじいちゃんから孫たちへ」
 DSCN0053.jpg 
 合唱団は、東北各地から集まった150名を超える。
 (原文の「戦争と私」は、元国鉄マンで写真家、そして「みやぎ九条の会」の呼びかけ人でもある“後藤 東陽”氏による。)

  第3部 ウクライナの歌姫 ナターシャ・グジーの世界
 彼女は1986年のチェルノブイリの原発事故で、わずか3,5キロの地で被爆。
 民族楽器パンドゥーラの哀愁を帯びた音色と天まで響く澄んだ歌声は身震いするほど。
 DSCN0070.jpg
 「タカ」は驚いたように聞き入っていた。

  第4部 全国の国鉄合同合唱
 DSCN0082.jpg
 「機関車の歌」・・・「長い坂の向こうに」「おお、我が鉄道人生」そして「人間のうた」
 『・・・生きて生きて生き抜いて、生きて生きていきとおして・・・』

 フィナーレは「線路は続くよどこまでも」。
 DSCN0108.jpg
 みんなで みんなで歌った。
 「タカ」は体を揺すり、手をたたいて『う~う~』と歌った。

 「機関車の歌」・・・「長い坂の向こうに」「おお、我が鉄道人生」そして「人間のうた」
 『・・・生きて生きて生き抜いて、生きて生きて生き通して・・・』
 
 感動の渦でおわった。