Digital photo's diary

自称「暇人」によるデジタル写真日記。

たくましい子猫

2006年08月30日 | デジタル写真

釣りのホームグラウンドである、水郷公園に数匹の猫がいる。
居ると言っても、もとから住んでいた訳ではなくて、心ない人間が処分に困っ
て捨てていったと思われる。
以前、話題にしたゴイサギと同じ様に、釣り人の側に座って釣れた雑魚が貰え
るのをジッと待っている。
雑魚が釣れるやいなや、もの凄い勢いで駆け寄ってきて、釣り人から魚を奪う
ようにしてくわえて行く。
ノンビリしていると、ゴイサギに先を越されてしまうからである。
不憫に思ってなのか、公園の管理人さんが時々自宅から餌を持ってきて与えて
いる姿を見かける。(上の写真)
その中に生後間もない子猫がいるのだが、これがまた逞しい子猫なのである。

桟橋で釣りをしていたら、後ろの方で”ポチャン”と言う水音がした。
魚がはねた水音だろうと思って、気にもとめずに釣りをしていると、そのうち
猫の鳴き声が聞こえたので振り返ってみた。
何と、子猫が必死になって泳いでいるではないか。
猫たちは、雨露が凌げる桟橋の下を住処にしているのだが、子猫は誤って落ちて
しまったらしい。
助けようと、手を伸ばしたのだが既に桟橋から遠く離れてしまって手が届かない。
そうそこうしているうちに、数メートル離れている対岸まで泳ぎ切って自力で
岸に這い上がったのには驚いた。
しかし、何と言う逞しさであろう。
我が家の”ぐーたら猫”も少しは見習って欲しいものである。

元来、人間に飼われているべき猫が野生化し、野生であるはずのゴイサギが、人
間に頼って自分では餌を取ろうとしない。
何とも奇妙で滑稽な光景であるが、全て人間の身勝手さが原因のようだ。

自己満足?

2006年08月29日 | デジタル写真

昨日話題にした8mmビデオとVHSビデオをデジタル化(DVD化)する作業がようやく
終わった。
延べにすると、数時間にも及ぶ膨大な量の映像を、最初から最後まで一つずつ見て、
気に入ったカットを年代順に数分ずつ抽出して1時間半程度に編集し直した。
今時の最新式のビデオカメラで撮った映像に比べると鮮明度には欠けるし、ノイズ
も目立つし、音も不明瞭なのは仕方がない。
しかし、子供達の成長の様子を見るには十分である。
小さい頃はお喋りだった息子は、年とともに少しずつ無口になり、こちらからの問い
かけにもろくな返事をしていない様子がはっきりと映っている。
娘の映像は、殆どピアノを弾いている場面ばかりであった。
全く音符の読めない私の娘が音大に進んだとあって、友人達からは、”鳶が鷹を生
んだ”と良くからかわれたものである。

未来は1分先の事すら全く分からないが、必ずやってくる。(と思う)
過去は十数年も前の事もはっきりと覚えているのに、二度と戻る事は出来ない。
「今」は、ちょうどその狭間にあって、限りなく0に近い時間の流れに過ぎないと
したら、やはり今を悔いなく過ごす事が後悔を残さない為にもベストな生き方のようだ。

「毎日、こんなこんな事していて本当に良いのか?」と、改めて自分自身に問いか
けてみたものの、今の生き方がベストなのかどうかは正直分からない。
しかし、活力も無くぬるま湯のような毎日の中で、愚痴ばかり零しあっている人達
に比べたら、少なくとも生き生きしていると思うし、「得な人生」を送っている様な気
もする。(自己満足?)





古いビデオテープ

2006年08月28日 | デジタル写真

今日は、比較的しのぎやすい日だったので、外の物置を片付けていたら十数年
前に撮った8mmビデオやVHSビデオがたくさん出てきた。
その中の数本には、子供達がまだ小学生の頃の姿が映っている。
ラベルには1990年と書いてあった。今から16年も前のものだ。
今では、私の背丈よりも遙かに大きい息子がまだあどけない顔をして画面に出
てくる。(写真、最前列の右端)
ビデオを見ていると、ふと忘れかけていた当時の記憶が面白い様に蘇ってくる。
あの場面ではどんな会話を交わしたとかさえも、まるで昨日の様に想い出される。
このまま8mmビデオやVHSとして保存しておいても映像が劣化してしまうだけだ。
これこそ二度と撮ることは出来ない大切な思い出の映像である。
この際、デジタル化(DVD)しておいた方が良さそうだ。

近いうちに娘は母親になり、息子も来年あたりには結婚する事になっている。
子供達への出産祝いと結婚祝いの一品に、このDVDを添えて贈ろうと思う。
親が子達に何かを伝えたいと思う気持を、映像の中から見つけてくれる事を期待
しよう。
何れ、娘や息子達も自分の子ども達に何かを伝えたいと思う時が必ず来るはずで
ある。親から子へ、そして子から孫に伝えられるものがあると言う事は、素晴ら
しい事だと思う。
もしかしたら、それが我が家の伝統であり、我が家の文化なのかも知れない。

時の流れの一コマ

2006年08月27日 | デジタル写真

朝から降りそうで降らない微妙な一日だった。
特に予定もなく、久しぶりにボンヤリと家で一日を過ごしてしまった。
空き地に、気の早いコスモスが幾つか花を咲かせているのを見つけた。
最近では、品種改良によって様々なコスモスの花を見る事が出来るが、やはり
薄紅色の一重のものが一番コスモスらしい。

近所のチビッコ達も、今日で夏休みも終わり明日から学校が始まるそうだ。
真っ黒に日焼けした子供達の顔からは、楽しかっただろう夏休みの思い出が読
み取れる。私も日焼け具合では決してチビッコ達には負けてはいないのだが、特に
楽しいと思えるような毎日ではなかった。
暑さにめっぽう弱い私にとっては、ただジッと我慢の毎日だったのである。

娘や息子が小さい頃は、この時期は毎日が特別な日々だったように思える。
プールに連れていったり、まだ暗いうちに起きてかぶと虫を取りに行ったり・・・・。
ご近所の数家族が材料を持ち寄って、我が家の前の空き地でバーベキューを
しながら花火大会をするのが恒例だった。
今では空き地も無くなり、当時の子供達もそれぞれ成人してしまい花火大会は
いつの間にか思い出の一コマとなってしまった。
そして、私はと言うと”毎日が夏休み”のような生活をしている。
これも、「時の流れの一コマ」なのかも知れない。

アキアカネ

2006年08月25日 | デジタル写真

先日修理に出したFine-pix-S2Proが戻ってきた。
17日に出したのだから、ちょうど1週間という事になる。
「修理には、かなりの日数が掛かりますよ」と言う販売店の話しからすると、
1ヶ月位は覚悟していたのだが、これだけ迅速な対応には驚いた。
おそらく、メーカーに送った時点で故障原因が特定できていたものと思われる。
つまり、リコール対応だったようだ。(修理代が無償だった事からも伺える)
富士フイルムのWEBページにも、同じ様な症状のトラブルが多発していると言う
記事が載っていた。
それにしても、何の前触れもなく突然の故障には肝を冷やした。
もし、これが結婚式等のように一生に1度だけのチャンスという大事な時に突
然起きたとしたら・・・・。
これから寒い季節になると、バッテリーの性能低下によるトラブルや、暖かい
車内から急に零下の外気にさらした事で起きる結露という問題も心配される。
ここ一番と言う時には、多少重いのは覚悟の上で出来るだけ2台のデジ一を持
って行くようにしている。万が一の際の保険の様なものだ。
たかが1枚の写真を撮るのにも、本気で撮るにはそれなりの苦労が必要だ。

この所、朝夕は随分と過ごしやすくなり、アキアカネの飛ぶ姿が見られるように
なってきた。アキアカネは、夏の暑い時期には奥日光の辺りで過ごし、夏の終わ
りには里に下りて来て産卵をするらしい。
私もそろそろ夏眠から目覚めて本気で活動しなくては・・・・。

残暑見舞い。

2006年08月22日 | デジタル写真

立秋、つまり8月7日を過ぎれば暦の上では秋と言う事になる様だ。
立秋を過ぎてからの暑さを残暑と言い、この事から、暑中見舞いは7月7日頃
から、立秋の前日8月7日まで。残暑見舞いは、立秋の8月8日から8月末までに
出すのが常識のようである。

最近は、年を取ったからと言うだけではなく、暑くて寝苦しいという理由もあって、
日の出の頃には目が覚めてしまう。2ヶ月前の頃に比べると日の出も30分ほど
遅くなったようで、今の時期はだいたい5時頃である。
早くに目が覚めてしまうせいか、午後は昼寝をする習慣がついてしまった。
遠くで鳴く蝉の声を聞きながらの”うたた寝”は、また格別なものだ。
何やら、横でモゾモゾと動く気配に目を覚ますと、いつの間にか我が家の猫が
私の隣でスースーと鼾をかきながら、これまた昼寝の真っ最中である。
毎日一緒に居るせいか、私が猫に少しずつ近づいているのか、或いは猫が私と
同類だと思いこみ始めたのかは分からないが、この頃私にくっついている事が多い。
取り敢えず私が食べているものは何でも欲しがる。
アイスクリーム、ヨーグルト、クッキー、パン・・・etc、大抵の物は食べられるようだ。
そのくせ、目刺しなどやっても頭だけは残してしまう。
犬と違って何の役にも立たない猫ではあるが、少なくとも日中は私の唯一の話し相
手である事には違いない。
今日もまた、長閑な夏の一日である。

ミノムシ亭主

2006年08月18日 | デジタル写真

団塊の世代は第二次世界大戦直後の日本において1947年から1949年にかけての
第一次ベビーブームで生まれた世代で、作家の堺屋太一が発表した小説『団塊の
世代』によって登場した言葉らしい。
インターネットでこの言葉を検索すると驚くほどの数がヒットする。
しかし、どれを見ても高齢化社会問題であるとか、年金問題であるとか、問題ばか
りが強調されているようだ。
好きこのんでこの時代に産まれてきた訳でもないのに、何故か肩身の狭い思い
をしてしまう。
昨夜TVで、「ミノムシ亭主」と言う言葉を聞いた。
定年退職してから、外に出ないで一日中家の中でゴロゴロしている様な亭主を指す
らしい。と言う事は私のように殆ど家に居ないで、あっちこっち出歩いている亭主
は何と呼ばれているのだろう。

しかし、父親と言うのは実に損な役割ばかり演じさせられている様に思えてならな
い。粗大ゴミだの濡れ落ち葉だの散々言われながら、ようやく定年を迎え、第二の
人生を楽しく過ごそうとしている矢先に、「ミノムシ亭主」とは・・・・。
つまりの所、やる事さえやっていればそんな事も言われないで済む訳である。
私など、掃除洗濯は当たり前。庭の草取りから粗大ゴミ出し、スーパーでの買い物
から、挙げ句の果ては夕飯まで炊いておく。
これなら誰からも文句をつけられる事は無いだろうと思うのだが・・・・・。

地獄で仏

2006年08月17日 | デジタル写真

お盆も終わり、8月も半ばを過ぎてしまった。
毎日、こう暑くては写真を撮りに行く気にもなれずにカメラは全て防湿庫に入れっ
ぱなしにしておいた。
思い付いたように「機械物は、たまには動かしてみないと・・・・」と、カメラの調子
を見ながら数カットずつ撮ってみる事にした。
所が、PCに取り込んだ画像を見て我が目を疑った。
S2Proで撮った画像だけが全て真っ黒ではないか。
この時点でとんでもないトラブルに見まわれている事に始めて気が付いた。
記録メディアを取り替えてみたり、カメラの設定を変えたり、考えられる全ての事
を試してみたのだが、出てくる画像は相変わらず全て真っ黒である。
(つい先日の花火を撮った時には、何でもなかったのだが・・・・。)
この辺が、デジタル機器の脆さというか、怖さと言うものなのかも知れない。
購入してから既に3年が経っているのでメーカー保証はとっくに切れている。
ネットで修理費用の概算見積もりをしてみた所、とんでもない数字が返ってきた。
今の私にそんな大金は逆立ちしても払えそうにはない。
所が、メーカー保証書の裏にもう1枚の紙がホチキスで留めてあり、”カメラ
の○○5年間保証書”と書いてあった。
メーカー保証期間後も販売店独自で5年間の保証をしてくれると言うシステムだ。
多分買った時に言われるがままに1000円程度の掛け金を払ったのだと思う。
今回の場合、購入額の60%まで(10万円程度)が保証されるらしい。
これこそ「地獄で仏」と言う事である。

蝉の一生

2006年08月10日 | デジタル写真

台風7号の影響なのか、今日は特別暑い!!!。
軽く35℃は超えているような感じである。
撒水をしていたら、庭木の陰に蝉の抜け殻があるのを見た。
蝉は7年間地中にいて、地上に出たら1週間で死んでしまうと言う。
「はかない」一生だと言う人もいるが、そうとばかりは言い切れない。
地上に出てきてからが人生(?)の始まりではなく、地中にいる間も蝉は蝉なりに精
一杯生きているのだと思う。
もしかしたら、地中にいる7年間の方が、蝉にとっては安全で快適なのかも知れない。
地上に出た途端に、鳥などの外敵から身を守らなければならないからだ。
(我が家の猫も、時々蝉を捕ってくる)
そう考えると、7年+1週間の蝉の一生と言うのは、昆虫にしては長寿の部類
に入るのでは無いだろうか。地中が天国で地上が地獄なのかも知れない。
7年前というと、私は未だ現役で働いていたし娘は大学生、息子は高校生だった。
7年の年月を経て、地上に出てきたこの夏には、我が家の環境はその頃と大き
く様変わりをしている。
蝉にとっても我が家にとっても7年間というのは確かに長い時の流れの様だ。

と、言うことは今でも地中の何処かで数年後の夏に顔を出す蝉がジッと自分の
出番を待っていると言う事になるのか・・・・。
その頃の我が家はどんな風になっているのだろうか。
私自身が居るかどうかさえも分からない。
そう考えると何だか不思議な感じがする。

小さな花火大会。

2006年08月07日 | デジタル写真

昨夜、地元の夏祭りのイベントとして、花火大会が開催された。
花火大会と言っても、人口1万人程度の小さな田舎町の小さな花火大会である。
打ち上げ場所が、私の家から100m程しか離れていないので実に良く見える
のだが、写真を撮るにはかえって近過ぎである。
数年前になるが、若い女の子達が遊びに来てビールを片手に屋根の上に登って
大騒ぎをしながら花火見物をした事があった。
私が年を取ったのと同じ様に、彼女たちもまた年月を重ね、結婚し既に母親に
なった子もいる。お互いあんな馬鹿げた真似は二度とする事も無いだろう。
今回は家の前の田圃の畦道に三脚を立てて花火を撮る事にした。
田圃のど真ん中の、ほんの30Cmにも満たない用水堀の水面に花火が写り田
舎町の素朴な花火大会の風情を感じさせてくれる。
私が未だ子供の頃は、田圃の彼方此方で蛍が飛び交う姿が当たり前のように見
られたものだ。夜空には天の川や色々な星をはっきりと見る事が出来た。
今では、蛍や天の川を見るには特別な場所に行かなくてはならないようだ。
便利さと引き替えに、自然が少しずつ消えていくのは寂しい限りである。