筑紫申真氏の「アマテラスの誕生」という本のご紹介を続けさせていただきます。
1962年に上梓された古い本です。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
「アマテラス」像を本来の姿に復元するためには、京都の「賀茂神社」の「御蔭祭(みかげまつり)」を見ることが役立ちます。
「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」の失われた過去の秘密、すなわち宇治における「神の御蔭」の秘密を解きほぐすことができます。
「賀茂神社」の上社の本殿は、「空っぽ」であると言われています。
本殿の裏手に、「賀茂山(神山)」と呼ばれている神聖な山があります。
人々が、拝殿から本殿を見通して拝礼すると、神社の裏手の「賀茂山」=「神」を拝んでいることになるのです。
それならば、本殿は「空っぽ」のままでよいでしょう。
神山の頂上には岩があり、これを「降臨石」と呼んでいます。
「神」はまず舟に乗って、天からこの山上の岩まで、空中を漕ぎ下ってきます。
「神」は、麓の「見あれどころ」と呼ばれる聖域に降りてきます。
「「プレ・皇大神宮」の全貌」
「アマテラスオオカミ」は、「日本書紀」が述べるように、「大和国から伊勢に移して祭られた」ものではないのです。
「アマテラスオオカミ」は、もともと宇治において、人々の祀りを受けるために、天から降りて来ていたのです。
そういう「地方の神」でありました。
「オオカミ」とは、「伊勢のオオカミ(大神)」でした。
この「オオカミ」が、「アマテラスオオカミ」に成長させられるのです。
「オオカミ」の持つ「みかげ川神」という神名こそ、「プレ・アマテラス」、「プレ・皇大神宮」の謎を解く最も大事な鍵なのです。
「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」の前身の「イセのオオカミ」も、京都の「賀茂神社のカミ」も、本をただせば、同じ「天つカミ」でした。
「イセのオオカミ」は、もともとは、日とも風とも雷とも考えられていましたが、朝廷の政策として、ことに「太陽神」であることが強調されて、「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」に昇華させられたのです。
ところが、「賀茂神社」の場合は、「雷神」である点が強調されました。
違いといえば、それくらいのことです。
それも本質的な違いではないことはお分かりいただけると思います。
「まつられぬアマテラス」
古典を調べてみますと、古い時代、「アマテラス」は、実際には全く祀られていません。
天皇家の祖先神としての「アマテラス」は、天武・持統天皇によって、7世紀後半に作り上げられた、大変新しい神だからです。
「アマテラス」以前の「太陽霊」は、「アマテル」と呼ばれ、男性の神でした。
「アマテル」は、全国各地における土豪と民衆の守護神でした。
奈良の「三輪山神社」は、神体は三輪山で、神は山肌の岩を伝わって降りてくる、と信じられていました。
三輪山の信仰は、日本の固有の信仰の元々の状態をよく保存している、最も代表的な神社の一つです。
この三輪山の信仰が、京都の賀茂神社の信仰とも、「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」の「鼓が岳」の信仰とも、大変よく似ていることは重要です。
「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」の前身の信仰の形は、三輪山の信仰の形と同じでした。
三輪山の近くに、「アマテラスオオカミ」を最初に祀った「笠縫邑(かさぬいむら)」があったのでした。
笠は、丸い形をしていますので、太陽のシンボルなのでした。
太陽のシンボルを祀っている点が、大和と伊勢で共通していることは重要なことです。
「八咫鏡」
「八咫鏡(やたのかがみ)」は、もともと普通名詞にすぎません。
「八咫鏡」は、宇治では、初めは「付き榊」にかけて礼拝されていました。
その「付き榊」の柱の上に、神の常住する建物が建てられ、「鏡」は取り外されて、ついにその中に納められました。
古い昔は、神の寄り付くものは、石や木や水、およびそれらの存在する山や、平地林や、川である、とみなされていました。
次に、「鏡」や「剣」のような、人間の工作した物に寄り付くようになりました。
そしてそれら「鏡」や「剣」が、「神体」として、建物の中に納められ、拝まれるようになったのです。
神社が、今のように神の住む社殿を持つようになったのは、7世紀の終わり頃からです。
「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」は、その最も早い例の一つです。
神社が社殿を持つようになるのは、仏教の寺院建設の影響であろうと思われます。
神の住まいができると、神は年に一度、あるいは数回、定期的に訪れては去るという、今までのしきたりを止めて、神の住まいにいつでも住んでいるようになりました。
「伊勢神宮・内宮」=「皇大神宮」の「神体」は、元来は、「鼓が岳」の「木」に寄り付いていました。
また、五十鈴川の「水」に寄り付いていました。
次に、この「木」の枝が払われて、「柱」になりました。
「柱」に神が寄り付いている、と信じて、地面にこの「柱」を打ち立てて、拝みました。
それからこの「木」、または「柱」に「鏡」をかけて、この「鏡」に神が寄り付いていると信じました。
「プレ・皇大神宮」の神は、宇治における「付き榊の神」です。
常緑樹に寄り付いた神だったのです。
この「付き榊」、または「心の御柱」に、「鏡」がかけられました。
その状態を描いた記事が、「古事記」・「日本書紀」にあります。
それが「天岩戸の神話」です。
太陽の霊魂である「アマテラス」の再生を祈るために、榊を押し立て、太陽のシンボルである鏡をその枝にかけています。
これが「八咫鏡」です。
「アマテラス」の誕生
「天岩戸」、「天孫降臨」の神話を口走った宮廷巫女たる猿女君らは、7世紀末における天皇の絶対的権威への奉仕者たる立場から、
今の天皇と自分達との関係を、双方の祖先の深いつながりのある昔物語として、話を構成しました。
つまり、自分たちの神事伝承と日常の生活体験の中から材料を拾い、その素材を天皇家への因縁話として、神話を組み立てたのでした。
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桶を伏せて、その上で舞踏をする所作は、猿女君が毎年11月に、宮廷で鎮魂祭の時に実演していたものでした。
宇治土工氏もまた、宇治において、毎年「鼓が岳」の「賢木」を根こじにしては、それに鏡や玉をかけて、その前で自ら祝詞を述べ、そして宇治の娘に桶の上で踊りをさせていたのでしょう。
それは太陽の威力の衰えた冬の最中に、太陽霊の復活を祈るために、定期的な行事として毎年行われていたものでしょう。
太陽を復活させて、そのトーテムの霊魂を、宇治の人々の身に付けることによって、生命の再更生を願ったのです。
「ウズメ」や「猿女」は、もともと宇治氏が五十鈴川端で太陽神の妻として差し出していた「棚機(たなばた)つ女」だったのです。
奇妙なことに、「天岩戸神話」では、太陽のシンボルが2つ重なっています。
榊にかけた「八咫鏡」が丸く、「太陽」を象徴していますから、本来「アマテラス」の魂は、この機と鏡に寄り付いているはずなのです。
だからこそ、この鏡が、後に「アマテラス」から孫の「ニニギノミコト」に手渡された時、「これを私と思って祀れ」と言われる訳なのです。
ですから本当は、「アメノウズメ」は、この「榊」にかけられた「鏡」に向かって復活の祈りをすればよかったはずです。
それが、本来的な神事であるべきです。
しかるに神話にはもう一つ、「岩戸に隠れたアマテラスが外に引き出される」という物語が追加されます。
巫女がストリップをするのは、男性である太陽を刺激して感奮させ、元気を出させるためです。
「太陽霊」を復活させるための、マジックでした。
「天岩戸」に隠れた「アマテラス」を引き出すというアイデアは、「ゲーター祭」に日輪を空中に出す演出と同一のものです。
違うのは、後者は、グミの輪を人格化せず、太陽のスピリットの寄り付く物とみなしていた、大変古めかしく素朴な感覚が保存されている点です。
対して、「天岩戸」神話では、「太陽のスピリット」を人格化して表現し、話が大変合理化され、新感覚で処理されているという点です。
古典の物語るところによれば、「アマテラス」は「高木の神」の巫女なのです。
「高木の神」とは、取りも直さず、「付き榊」、「心の御柱」に寄り付く「太陽霊」のことです。
古典の中の「アマテラス」は、「天孫降臨」とか、「国ゆずり」など、なにか重大な政治的決意をする時、必ず「高木の神」に教えを乞うています。
女性「アマテラス」が、男性たる「高木の神」の神妻であった証拠です。
「アマテラス」は、「高木の神」に神がかりして、「高木の神」の託宣を乞うていたのです。
神武天皇の東征の時、「ヤタガラス」を派遣して天皇のピンチを救った神を、「古事記」は「高木の神」と言い、「日本書紀」は「アマテラス」だと言っています。
この時代には、「高木の神」すなわち「アマテラス」である、とみなされるまで、アマテラスの皇祖神化が進んでいる状態が伺われます。
神体の変遷のプロセスにおいて、「木=心の御柱」にかけた「鏡」の方が、「木」そのもの以上に「カミのよりつくもの」として重く見られるようになった時、
「付き榊=忌み柱=高木」は、カミとしての主体性を、新たに「木」にかけられた「鏡」に移そうとしたでしょう。
「高木のカミ」が、巫女アマテラスの口をついて、「この鏡をわたしと思え」と託宣する可能性は非常に強いのです。
これが、「八咫鏡」=「神鏡」を理解するためのポイントでしょう。
(引用ここまで)
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>「アマテラス」以前の「太陽霊」は、「アマテル」と呼ばれ、男性の神でした。
>太陽のシンボルを祀っている点が、大和と伊勢で共通していることは重要なことです。
>「高木のカミ」が、巫女アマテラスの口をついて、「この鏡をわたしと思え」と託宣する可能性は非常に強いのです。
>これが、「八咫鏡」=「神鏡」を理解するためのポイントでしょう。
今一つ、伊勢神宮という神社がピンと来ないと思っていた私には、納得がいく解説でした。
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