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日本の中のイスラームの暮らし・・教えにそった食品を得るには?

2016-01-29 | アジア





「ムスリム安心・和素材提供・・文教大学学部生が考案、ネット公開」
                      朝日新聞2015・12・08

  
                ・・・

手羽元と大根の煮物、手打ちうどんにおはぎ、、文教大・健康栄養学部の学生たちが、約40種におよぶ「ハラール・レシピ」を考案した。

宗教上の理由から豚肉やアルコールを口にできないイスラム教徒でも、日本での食生活を楽しめるよう工夫されており、インターネット上で公開されている。

「ハラール」とは、「イスラムの法で合法である」ことを指す。

近年はムスリムの生活への理解が進み、豚肉やアルコールを避け、牛肉や鶏肉もイスラームの教えにそって処分されたものしか使わない、といった「ハラール食」の取り組みが広がりつつある。

2020年開催の東京五輪でも、世界中から多くの観光客が訪れることから、注目を集めている。

ハラール事業を進める株式会社〝伝(つたう)″が、ハラール・レシピのウェブサイトを立ち上げることになり、ムスリムとの同居経験もある同学部の笠岡誠一教授に協力を依頼。

笠岡教授のゼミで学ぶ学生が、レシピを考えた。

「ハラール」の概要、使えない食材などは、事前に講義。

日本の家庭料理を念頭にしたレシピ作りを依頼した。

できあがった約40種のレシピは、日常的なおかずからデザートまで幅広い。

「かつおのガーリックステーキ」を考案した学生は「日本の美味しい魚を使った料理にしようと思った。煮魚だと調理にアルコールを使うから、洋風にした」。

「さつまいものお汁粉など、手軽で安心して食べられる料理を工夫した」という学生は、「レシピを通じてムスリムの日常を支援したい。日本人でも、ムスリムに料理を作ってあげる際などに利用してもらえれば」と話した。

今後もさらにレシピを増やしていく予定。

                  ・・・



桜井啓子氏の「日本のムスリム社会」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

               *****


             (引用ここから)


ムスリムにとって、目の前の食品が「ハラール(宗教的に許されたもの)」なのか、「ハラーム(禁忌)」なのかは、大問題である。

ムスリムが絶対に口にしてはならないとされているものは、アルコール類と、アラーの御名を唱えずに殺した動物の肉である。

特に「コーラン」の第5章3節は、食肉に関する禁忌について、次のように語っている。

               ・・・


あながたたに禁じられたものは、死肉、血、豚肉、アラー以外の名を唱え殺されたもの、絞め殺されたもの、撃ち殺されたもの、堕落したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの。
ただし、この種のものでも、あなたがた自身がそのとどめを刺したものは別である。
また石壇に犠牲とされたもの、くじで分配されたもの、である。
これらは忌まわしいものである。


               ・・・



つまりムスリムにとっては、豚肉は勿論であるが、日本で販売されている鶏肉や牛肉なども「ハラーム(=食べてはならない)」なのである。

そうなると日本人向けに売られている肉、ラード、ゼラチンなどを使用した一切の食品が問題となる。

しかし、肉類はともかく、焼き菓子などに獣脂であるショートニングが使用されているのかどうかといったことを判断するのはなかなか難しい。

そこで、名古屋モスクでは、日本で生活するムスリムのために、日本で日常的に販売されている食品の成分を詳しく調べ、リストを作成し、希望者に配布している。

そのリストには、ファーストフードの主要なメニューから、コンビニで売られているサンドイッチ、菓子、ベビーフード、調味料にいたるまで掲載されている。

リストには、ショートニングを使用していないパンやビスケット、ゼラチンを使用していないキャンディやヨーグルト、ラードを使用していない粉ミルク、肉エキスを含まないインスタント麺、保存用目的のアルコールが添加されていない味噌・醤油についての情報が載せられている。

味噌、醤油についてのアルコールで特に問題となるのは、保存のために後から添加する95度以上のアルコールであるが、微量であることから、「ハラール」か「ハラーム」かの判定はされていない。


こうしたリストがあるからといって、すべての人が微量のショートニング、ゼラチン、アルコール類に至るものを排除することに全力を尽くしているわけではない。

どの程度配慮するかは、あくまでも個人の判断にゆだねられており、疑わしいものは一切口にしないという厳格な人から、餃子やラーメンを食べながらビールを飲むのが最高、という人までいる。

一般的には、外食の際にはある程度妥協して、肉料理は避ける、酒類は口にしないこととし、できるだけ自宅で調理するといったもののようだ。

それでも出先で食事時になった時や、ちょっと何かを口にしたい時など、外食に頼れないのは辛いという。
「コンビニがムスリム用に「ハラール」マークのついた軽食や菓子類を販売するようになればずっと暮らしやすくなるのに」と言う人は多い。


ムスリム人口の増加によって「ハラール」食品の需要が拡増大し、1990年代にはこうした商品を取り扱う店が急増した。

日本国内の「ハラール」食料品店は80店に上った。

これらは関東に集中している。

商品の中心は何と言っても食肉で、羊肉、鶏肉、牛肉、ヤギ肉などである。

オーストラリア、ニュージーランド、ブラジルなどから輸入された冷凍ハラール・ミートが多いが、90年代中頃から、国産のハラール・ミートも販売されるようになった。

群馬県で国産のハラール・ミートを扱っているインド人は、食肉処理場の一画を借りて、自分で買い付けてきた牛肉をイスラーム方式で処理し、希望者に販売している。

熊本でも、インドネシア人留学生が地元の鶏肉加工会社と契約して、イスラーム方式によるハラール・チキンの国内調達を可能にした。

処理されたハラール・チキンはハラール食品販売会社を通じて全国に売られている。

国産のハラール・ミートは輸入肉よりも価格が高いが、定住化と共に新鮮な肉を求める人が増えていることから、需要は伸び続けている。

日本で暮らすムスリムの多くが男性の単身者であるにも関わらず、こうした食品の需要はかなり高いように思われる。

外食では安心できないという思いが、自炊を促しているようだ。


外国人ムスリムの定住化が進んだことで、私たちは「ムスリム」という新しい隣人を迎えることになった。

私たちはこれまで、外国人を国籍や民族によって識別してきたが、新しく隣人となった人々は、国籍や民族の他に「ムスリム」という宗教的アイデンティティを持っており、それを何よりも重視しているという点で、私たちがこれまであまり接することのなかった新しタイプの隣人である。

もちろん全国的に見れば、彼らはまだまだ圧倒的な少数者であるが、関東地方では、必ずしもそうとはいえない状況になりつつある。


キリスト教もイスラーム教も、一神教という点で類似性をもつが、日本人から見たこの2つの宗教のイメージには、大きな隔たりがある。

キリスト教は日本が近代化のモデルとしてきた西洋文化の基礎であるのに対して、イスラームは第三世界の人々の信仰であり、「後進性」や「停滞」の元凶であるといったイメージがある。

礼拝は生産性向上を阻害する、断食は経済停滞を招くといった評価もこうしたイメージからきている。

何年も、ときには、何世代にもわたって非イスラーム世界で暮らしながら、なおも信仰を捨てないムスリムが多い。

彼らがかたくなに守ろうとする礼拝や断食が、信仰に基づくものであるがゆえに、「習慣」とはちがって「譲る」ことはできないということを、ムスリムを受け入れる社会がどのようにとらえるかが重要であると思う。

現在までのところ日本では、ムスリムの宗教的義務をどのようにとらえる、それに対してどのような対応をするかは、現場での判断に委ねだられている。

しかし今後外国人ムスリムの定住化が進み、彼等が日本社会での一員として受け入れられたいと主張するようになれば、やがてより公的な場で議論しなければならない時代がくることになるだろう。

しかしイスラームへの対応の難しさは、宗教的義務の実践についての見解が、政府、宗派、個人によって相当に異なっている点にある。

トルコのように国民の大多数がムスリムであるにも関わらず、政教分離の原則に基づいて、公的な場におけるヴェールの着用を禁じている国がある一方で、

イランやサウジアラビアのように国家が女性のヴェールの着用を義務付けて、違反を取り締まっているような国もあるからだ。

さらにそうした国家の見解とは別に、個々のムスリムは宗教的義務の履行に熱心な人からほとんど関心を払わない人まで、千差万別なのである。

こうした多様なムスリムを前に、われわれは、しばしば混乱してしまうのだが、現時点で大切なことは、そうした多様性も含め、まずはイスラームについて学ぶことなのではないかと考える。

             (引用ここまで)

               *****


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被害者と加害者の対話で心を近づける・・「修復的司法」の取り組み

2016-01-25 | メディテーション


この記事は一年近く前のものです。

私自身の中で、取り上げたいという気持ちと、拒絶したいという気持ちが錯綜していて、投稿するのに時間がかかりました。

               ・・・・・

「被害者と加害者の対話・・本心を語り距離を縮める」
                   朝日新聞「インタビュー」2015・03・06

              

被害者と加害者が対話することで、精神的な回復や弁償、更生をめざす取り組みがある。

「修復的司法」と言われる手法だ。

最近は、いじめの予防や解決のために、採り入れられつつある。

対立や紛争、憎しみの連鎖が続く世の中で、新たな地平を開く手段となるのだろうか?

2001年から「対話」に取り組む、弁護士の山田由紀子さんに聞いた。


問 

被害者と加害者の「対話」というのは、どのように行うのですか?

山田

私たちの場合は少年事件を中心に、ボランティアの進行役が、中立の立場で、事前に双方から相手に伝えたいことを丁寧に聞き取り、充分に準備した上で対話の場を設けます。

申し込みは被害者、加害者のどちらからでも構いません。

1・犯罪の成否にかかわる争いがない
2・相手の人格を尊重して対話できる
3・双方が参加に同意する

などが条件です。

家族や地域の人たちも参加します。

輪になって座り、それぞれが自分の体験を話します。

ここがとても重要で、すべて「私メッセージ」で語ってもらいます。

被害者は事件に会ったときの体験、ショック、生活への影響などを話します。

これは、加害少年が被害者の視点から、何が起こったのかを理解するのに役立ちます。

加害少年も、自分がいつ、どのように、どんな思いで何をしたのかを語ります。

参加する家族や関係者も、同様に自分の体験を語ります。

被害者にはなぜ自分だったのか、通報したことで報復されないか、など疑問や心配があります。

そうした相手から聞きたいこと、相手に伝えたいことを、その後に互いに話してもらいます。

さらに次の段階で、被害者が求める具体的な償いはどんなものか、加害少年が考える責任の取り方、参加者
の創意工夫による修復の方法などを話し合っていきます。

加害少年が10万円のバイト代から毎月1万円づつ、被害者に弁償するという結論が出たこともあります。

家を壊して損害を与えた事件では、加害少年自身が、その修理をするという結論になったこともあります。

合意文書を作り、参加者全員が署名します。

後に約束が守られたかも、確認します。




本当にそのようなことが役に立つのですか?

山田

大学生がバイクを盗んだ事件がありました。

加害者は小さいときからサッカーをやり、推薦で大学に進んだ大学生です。

彼の父親がサッカーの監督で、彼はいわゆる「良い子」。

でも、なんでも父親の言う通りにしてきた反動で、鍵の付いたバイクを見て、「乗ったらどんなにスカッとするだろう」と思って実行しました。

盗んだのは、町工場のバイクで、そのバイクで仕事をしていた従業員と町工場の社長が対話に参加しました。

バイクは3か月も行方不明だったので、従業員は、

「社長は気にするなと言っていたが、鍵をつけたままにしていた自分が悪い。自分の車を売ってでも弁償しようと考えていました」などと語りました。

大学生は反省はしていましたが、自分の経歴に傷をつけてしまった後悔と反省でした。

しかし「対話」で盗んだものに被害者の生活が深く関わっていることに思いが至ります。

これは説教などでは引き出せません。

一方被害者は、加害者がモンスターのような少年だと想像していましたが、「対話」で普通の少年だと分かり、また彼の立ち直りに寄与できたことが喜びにつながったそうです。

謝ってほしい、償ってもらいたい、と思いながらも、満たされないままの被害者がいる一方で、謝りたい、償いたいという思いがありながら、それを果たせないでいる加害者もいます。

わたしが理事長をつとめる「対話の会」は、その間を取り結んでいます。





活動は2001年からですね?

山田

少年事件で「対話」の実践を目的にした日本で初めての団体です。

発足からこれまでに70件の申し込みがありました。

被害者側から26件、加害者側から44件です

「対話」が成立したのは27件です。

双方から話を聞き、「対話」は開けない、と判断することもあります。

その場合でも「関係調整」はします。

事件の内容では、傷害が33件と一番多いですが、殺人、殺人未遂、傷害致死、強盗致傷などさまざまです。


20才の男性が9人の少年から集団リンチを受け、逃げようとして川に飛び込んで水死した事件がありました。

遺体の状態が悪く、周囲の勧めに従って、確認を父親に任せた母親が、「ちゃんと遺体と対面しておけばよかった」という気持ちが強くなり、「最後の状況を詳しく聞きたい」と事件から3年後に「対話」を申し込んできました。

当時民事訴訟で、金銭面での和解は成立していました。

9人のうち、最も関与の度合いが低かった少年はすでに少年院を出て、定時制高校に通っていました。

申し訳ない気持ちはあるけれど、なにも償いができないという思いを抱えていた彼は、「最後の様子を知りたい」という家族のニーズを聞き、自分にもできることがあると「対話」に応じました。

対話の場で両親は、帰ってこない息子を心配する思いや、遺体と対面した時のことなどを語りました。

加害少年にとっては初めて聞く話ばかり。

緊張していましたが、心から申し訳なく思っている様子がこちらにも伝わってきました。

加害少年は母親の求めに応じて、男性がどのように追い詰められ、川に飛び込んだのかを話しました。

両親は黙って聞いていましたが、帰る時、母親が加害少年に声をかけました。

「よく話してくれました。ありがとう」と。

少年の目は潤んでいました。




被害者の申し出に、よく加害者が応じましたね?

山田

私たちの経験では、加害者の申し込みを被害者が断ることはあっても、その逆はありません。

加害者には、謝って「けじめ」をつけたい思いがあっても、怒鳴られるのでは、多額の賠償を求められるのでは、という恐れがあります。

安心して会える場であることを伝えると、直接謝罪したいと応じる加害者は多いです。

報道される被害者の声は「厳罰を」というものが多いです。

でも、一般的な被害者は「加害者はどういう少年なのか?ちゃんと反省しているのか?なぜこんなことをしたのか?」などを知りたいし、二度としてほしくない、という思いが強いです。

私たちは、そういう被害者のニーズを大事にしたいと考えています。




取り組みは広がっているのですか?

山田

世界的には、欧米や南アフリカなどで1000件を超えるプログラムが運営されています。

ニュージーランドでは1988年に法律ができ、少年事件は原則的に全件が少年の家族と被害者が集まる会議に委託され、「修復的司法」の手続きを踏みます。

立ち直りについていい提案があり、少年がそれを実行するなら裁判所に報告して、裁判にはかけない、という仕組です。

米国でも多くの州が「対話」などを取り入れていますが、ミネソタ州では少年事件だけでなく、刑務所とNPOが連携して刑務所内での「対話」を実践しています。

日本では、あまり普及していないのが実情です。

背景には、被害者側の抵抗感があります。

加害者の更生に利用され、和解や許しを強要されるという誤解があるようです。

「対話の会」のパンフレットを千葉県内の保護観察所や検察庁、少年院などに置いてもらっていますが、公的機関に公認された活動ではないのでなかなか広がりません。




「修復的司法」には、どんな可能性を感じていますか?

山田

1994~1997年に米国で行われた大規模調査では、被害者との「対話」を経験した少年の再犯率は19パーセントで、経験しなかった少年より9ポイント低かったという結果が出ています。

日本でも約10年前に、警察庁がモデル事業として軽微な少年事件を対象に、家裁送致の前に「対話」を実施したことがあります。

成立したのは大正事件の1.4%の56件ですが、被害者の71%、加害少年の83%、少年の保護者の95%が「対話」について「満足」と答えています。

「対話」を制度として位置付けて、導入を考えるべきです。

「修復的司法」は、和解や仲直り、許しを求めるものではありません。

被害者と加害者の間には、やむを得ない距離があっていいのです。

ただ、現状は情報不足や誤解などがあって、相手に対する不信、恨み、つらみが増幅されがちで、両者が不合理で理不尽に離れた状況になっていることが多い。

「対話」は、その遠く離れてしまった距離を本来の距離まで戻すためのものです。

被害者の心の安定や加害者の立ち直りの発展になる可能性があります。

今の社会は処分や厳罰が物事の解決方法となっていて、対立を深める方向に動いています。

「対話」の実践は、寛容な社会の形成につながります。

少年事件に限らず、いじめ、職場の不和、親子や兄弟間の葛藤などにも広く活用できるものです。

                  ・・・

修復的司法

「修復的正義」と訳されることもある。

犯罪を地域社会に起きた害悪と捉え、被害者、加害者、地域の人々が直接関わってその害悪を修復しようという考え方。

「対話」は1970年代にカナダで始まり、世界各地で普及しつつあるが、日本では「対話の会」の他、岡山や兵庫の弁護士会などで実施されている程度にとどまっている。


                 ・・・・・

始めて知った言葉でしたが、とても含蓄があると思いました。

>犯罪を地域社会に起こった害悪ととらえる。

という発想が、いいと思いました。

ニュージーランドでは、この「修復的司法」をすべての少年犯罪において行うことが法制化されていると知り、日本にも導入するべきだという、山田氏の考えに賛同します。

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アボリジニの野焼き・・温室ガス削減に効果と、COP21で紹介

2016-01-20 | その他先住民族



「温室ガス減 先住民の知恵・・豪アボリジニ「火つけ」応用」
                        朝日新聞2015・12・11

                ・・・

大規模な山火事に悩むオーストラリアで、先住民アボリジニーの伝統を温室効果ガスの排出削減に生かす試みが進んでいる。

数万年前から受け継いできた延焼を防ぐ知恵で、排出をどれだけ減らせるのか。

科学的に計算して「排出権」として売ることも可能になった。

南十字星の下で

北部準州の州都ダーウィンから車で3時間余り、1800平方キロのほとんどを森林が占めるフィッシュリバー地区。気温45度、ワニが泳ぐ川を渡り、熱風が吹く大地を進むと、水牛やカンガルーの群れが、土ぼこりをたてて通り過ぎる。

しばらく行くと、黒こげの木々が並ぶ森が現れた。

「ここは外部からの人間の失火で燃えてしまった。

木が枯れたままでは動物も来ない。一度死んだ森は生き返るのに何年もかかる」。


同地区で自然保護活動をする先住民レンジャー、ジョン・デイリーさんが表情を曇らせた。

乾期のうちでも最も乾燥する8月に、山火事が起きたのだ。


だが、離れた場所にある別の森に入ると、風景が一変した。

同じユーカリの木でも、焦げているのは幹の下部分だけ。

上部は緑色に芽吹いた枝が伸びる。

「4月に『火付け』しておいた。森を生かし続けるアボリジニーの知恵だよ」。

デイリーさんは誇らしげだ。


「火付け」とは、火のついた木片を手に、サバンナの下草に火を付けて回ること。

豪州大陸に5万年以上暮らすアボリジニーに代々伝わる。

カンガルーなどを追い立てる狩猟のほか、大火事を防ぐ効果がある。

燃えやすい下草を焼いておけば、木々に燃え広がる原因をあらかじめ取り除くことになるからだ。


山火事の原因は、落雷から旅行者の失火まで様々だ。

だが、燃えた分だけ温室効果ガスの二酸化炭素などが発生してしまう。

そこで、先住民土地公社が政府から補助金を得て2010年に、白人の牧場主らから同地区の土地を計約1300万豪ドル(約11億円)で購入。

2011年から、公有地になった土地で、約20人の先住民レンジャーが「火付け」を始めた。

弱い火をおこす「火の種」と呼ぶ薬品をヘリコプターから落とす方法も使うと、焼失面積は以前の30分の1近くに減った。

北部準州のアボリジニーらを代表する公的機関「北部土地評議会」のジョー・モリソン代表は、

「乾燥大陸を植民地化した白人にとって、火は恐ろしい悪の存在。

だが、火と共存してきた我々は、幼いころから火の管理法をたたき込まれている」と話した。


排出権取引で収入も

火付けの知恵を山火事の管理に生かそうと働きかけたのは、連邦科学産業研究機構(CSIRO)のガリー・クック博士だ。

北部準州のサバンナで土地や植生を調べ、「山火事による温室効果ガスの排出は深刻だ」と考えていた1990年代、「木の棒でちょこちょこと火を付けて歩く人々」に気づき、「これを排出を減らす仕組みに応用できないか」と考えた。

乾期に燃える草木などの重さや、排出される煙の成分を分析。

毎年、国土の約25%を占めるサバンナの山火事が、豪州全体で出る温室効果ガスの2~4%を占めるとはじき出した。

さらに、植生の種類や衛星画像などのデータも加え、火付けを始める前の温室ガス排出量を算出。

火付けで排出を減らした分を豪州が独自に認証する「炭素クレジット」(温室ガス1トン削減分が1単位)として、排出権取引で国内で売れるようにした。

買う側の企業が、自社の温室ガス排出と埋め合わせて、排出削減に貢献する仕組みだ。
 
フィッシュリバー地区で11~14年に企業へ売られたクレジットは50万豪ドル(約4200万円)分以上で先住民社会の貴重な収入源となった。

取り組みは、北部準州の14万平方キロのサバンナに広がっている。

先住民土地公社のネリッサ・ワルトンさんは「先住民の伝統文化と科学が融合した画期的なモデル」と評価する。

ただ、2年前に労働党から保守連合に政権交代したことに伴い、クレジットの単価自体は下がっている。

労働党政権は企業に排出削減義務を課しており、企業がクレジットを買う仕組みだったが、保守連合政権は「排出量を減らす取り組みを直接、政府が支援する」という方針に転換。

今年から様々な排出削減のクレジットについて、政府が主に費用対効果の高い順に買う制度に変えると価格が急落した。

11月5日の最新の競売では、クレジット1単位の平均価格は12・25豪ドル(約1100円)と労働党時代の約半額になった。


COP21でアピール

国内ではクレジット売買にブレーキがかかる状況となっているものの、国連大学高等研究所のサム・ジョンストン上級研究員は、アボリジニーの知恵は世界中で活用できるという。

「南米やアフリカ、アジアには、「火付け」に似た方法が先住民に存在した国が多い。

すでに約20カ国が豪州の制度に興味を示している」
 
こうした国々では近年、温暖化対策として先住民の伝統的なエコシステムが見直されており、豪州で確立された算出法などが役立つ。

パリで開かれている国連気候変動会議(COP21)でも、アボリジニーの代表者が「国際先住民フォーラム」で火付けによる火災管理を発表し、「先住民は温室ガスから地球を守る最高の保護者」とアピールした。

               ・・・




この記事を読んで、アボリジニの集落から、ミステリアスな方法で招待を受け、約3か月をすごした海美央さんの本「アボリジニの教え・・大地と宇宙をつなぐ精霊の教え」という本を思い出しました。

アボリジニの女性が彼女に語った言葉です。


              *****

           (引用ここから)

現在、都会となった場所は、かつては森だったのよ。

その森には、様々な動植物たちが存在していたのよ。

それが人間によって、破壊されていった。

人間によって崩されてしまった自然の中に今、人々は置かれている。

その中で、これからも人々は、辛く悲しい思いをしながその風景を見るでしょう。

でもね、たとえばブッシュ・ファイアーを考えてほしいの。

乾季になると自然発火してしまい、何日間も草木が燃え続けるのよ。

動物たちは焼かれ、それは悲しい風景ではあるのよ。

でも、それで大地のバランスをとっていく仕組みになっているの。

その後は「時」の恵みによって、再び新しく新鮮に、自然はうまれ変わっていく。

また素晴らしい世界がやってくるのよ。

これはなんてありがたいことなんでしょう。
 
            (引用ここまで)

              *****


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スサノオノミコトから頂いた・・・大祓いの「茅の輪くぐり」(2)

2016-01-16 | 日本の不思議(現代)



大晦日に、近所の神社の「大祓いの茅の輪くぐり」に行ってみました。

茅の輪くぐりの伝承を調べてみました。

引き続き、川村湊氏の「牛頭天王と蘇民将来伝説」のご紹介を続けます。


                 *****



              (引用ここから)


「日本書紀」の「一書」に、以下のようにある。

                ・・・


この時に、スサノオノミコトは、その子「イソタケル神」を率いて、新羅の国に降しまして、「ソシモリ」のところにいまします。

すなわち、言あげしていわく。

この地、われ不欲居(居たくない)

とのたまひて、

ついには、土をもって舟を作り、乗りて、東に渡り、出雲国の鳥上の峯に至ります。


                 ・・・



玄界灘を渡り、瀬戸内の海を航海して「ともの浦」に上陸するのは、はるか後のことではあるが、江戸幕府の将軍職の代変わりごとに、朝鮮からやってくる「朝鮮通信使」のコースともなっていた。

牛頭天皇も、そんな渡来人(渡来神)の1人だったのではないか?

ともの町の、細く曲がった裏通りを歩いているうちに、わたしは門口に、「茅の輪」をかざった家が多いことに気が付いた。

両手の指で丸く円を作った程度の小さな輪が、玄関の上に吊るされているのである。

古い民家や商家に限らず、新建材による新しい住宅にも、家並みのほとんどの家にそれが飾られている。

これが、説話の中で「武塔神」が「蘇民将来」に教えた、という疫病よけ、魔除けの呪術に他ならないことは、明らかだろう。

「ともの浦」には、「蘇民将来」の子孫を任ずる人が多いのだろう。


また、玄関にイワシの頭を、ヒイラギの葉と共に飾っているのも見かけた。

これも、魔除けである。

腐ったイワシの悪臭に閉口した魔物が、それが飾られた門口を避けて行くと信じられているのである。

「茅の輪」と「イワシの頭」の両方を飾っている玄関もあった。

「ともの祇園」と呼ばれた「祇園神信仰」の歴史の古さと、伝統の古さが感じられるのだ。


最初の「蘇民将来」の信仰、すなわち「武塔天神」=「牛頭天皇」=「スサノオ」という「天王信仰=祇園信仰」は、初めに「ともの浦」に足を下したのではないだろうか?

しかし、そこにはすでに「オオワタツミノミコト」のような日本の海神や、住吉神、金毘羅、神功皇后のような、海と舟と航海の神々がひしめいていた。

それらの神々との競合を嫌った新来の「渡来神」=「異神」としての「牛頭天皇」=「武塔天神」は、次に川を遡って、備後におけるもう一つの「祇園社」=「スサノオ神社」となったのではないか?

北の海から南の海へと渡ってゆく途中で、「蘇民将来」の親切に出会った「武塔天神」=「牛頭天皇」は、そこに住む「蘇民将来」の子孫たちの健康と安全を保障する。

そこに蘇民将来の子孫たちが住む家々が残された。

崇敬されるべき神としての牛頭天皇と、その信者の代表格ともいえる蘇民将来についての信仰の古い形を辿る時は、単に古い神社や縁起の存在を辿るだけではなく、その信仰がどれだけ土着化していたか、いるか、を調べる必要があるのではないか?


「茅の輪くぐり」や「蘇民将来」のお札やお守り。。

神様だけではなく、それを信じる人々がいなければ、信仰は成立しない。

「ともの浦」の民家の軒飾りは、そんな神信仰の在り方を、わたしに教えてくれたのである。


             (引用ここまで)

   写真(上)は、大晦日の大祓いの茅の輪くぐりの後の、人型のお焚き上げの火です。


              *****



蘇民将来という、明らかに大陸的な名前の人物をめぐる物語が、8世紀の「風土記」には記されていたのです。

そして、彼に災難除けの手段として、「茅の輪」を与えた神はスサノオノミコトであった、と「風土記」は記しているのです。

スサノオノミコトはイザナギ・イザナミの子供ですが、「風土記」を編纂した人々は、蘇民将来の物語を記すことで、「スサノオノミコトは外来の神である」ということを語っているのだと思います。

「風土記」の編纂を命じたのは、8世紀の大和朝廷であり、スサノオノミコトの姉・アマテラスを祖神とする神話が描かれた時代でした。

スサノオノミコトは外来の神である、ということが図らずも語られている、と思われます。

であるならば、その姉・アマテラスはどこから来た神なのでしょう?


また、関東に暮らすわたしは、お正月、「輪飾り」という、茅の輪に裏白がついたようなものを飾っていたことを記憶しています。

実家では、裏門やら勝手口やら、また、部屋の入口一つ一つにも飾っていたのを覚えています。

輪飾りも、「茅の輪」の一種なのでしょうか?



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大祓の「茅の輪くぐり」・・蘇民将来と、スサノオノミコトと、日本

2016-01-12 | 日本の不思議(現代)


大晦日、近所の神社の「大祓の茅の輪くぐり」に行ってきました。

神主さんたち総勢10人。

夕刻、参集し、社殿にて参列者も祝詞をあげ、お祓いをしていただきました。

それから、いざ出発。

境内に設置された茅の輪をくぐり、境内全体を、大きく八の字に3回、めぐりました。

そして、お返しした「人型」を、お焚き上げで燃やしていただきました。

大きな炎が立ち上がり、とても見事でした。

一年の厄払いをしていただき、すっきりした気持ちになりました。


茅の輪をくぐる、、この不思議な風習がどこから来たものなのか、を考えたくなりました。


川村湊氏の「蘇民将来と牛頭天皇」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



                *****


              (引用ここから)


現在、考古学的に証明できる最古の蘇民将来の信仰は、長岡京跡から出土した8世紀末のものと思われる木札によって確認されている。

文献的には、「備後国風土記」の「疫隈の国つ社」(えのくまのくにつやしろ)の縁起がある。

蘇民将来という名前が、日本の古い記録に一番最初に出てきた文章として、よく知られている。

全国の「風土記」が朝廷の命を受けて編纂されたのは、奈良時代8世紀の最初のことだから、この文章が書かれたのはそのころと考えてよい。


14世紀に卜部兼方によってまとめられた「釈日本紀」には以下のように記載されている。


                 ・・・

備後の国の風土記にいはく

疫隅の国つ社。昔北の海にいましし「武塔の神、南の海の神の女子を夜ばいに出まししに、日暮れぬ。

そのところに蘇民将来2人ありき。

兄の蘇民将来はいと貧しく、弟の将来は富みて、家屋蔵一百ありき。

ここ(弟の家)に、武塔の神、宿を借りたまふに、惜しみて貸さず。兄の蘇民将来、貸しまつりき。

すなはち、粟柄をもちて、座となし、粟飯どもをもちて、与えたてまつりき。

ここに、終えて出でませる後に、時を経て八柱の子を率いて帰りきて、のりたまひしく。

「われ、奉り報答せむ。

何時が、子孫その家にありや」と問ひたまひき。

蘇民将来、答えて申しく。

「おのが女子とこの婦人と侍り」。

武塔神、みことのりたまひしく。

「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」と。

みことのりのままに、着けしむるに、その夜に蘇民と女子1人を置きて、皆ことごとく殺し、滅ぼしてき。

すなはち、みことのりたまひしく。

「我は速須佐の雄の神(スサノオノミコト)なり。

後の世に、疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と言ひて、茅の輪を持ちて、腰に着けたる人は免れなむ」とのりたまひき。

                   ・・・


この話は後に、牛頭天皇とともに語られることになるのだが、ここでは、牛頭天皇はまだはっきりとは出てこない。

ただ、「武塔神」が「スサノオ神である」とされていること、「茅の輪」の防疫の効用は、すでに語られているのである。


               (引用ここまで)


                *****


ほう、、茅の輪は、スサノオノミコトから渡されたものなのですね!


筆者は、広島県・福山にある「スサノオ神社」に出かけます。


           *****


         (引用ここから)


本殿の左隣には「蘇民神社」と「疱瘡神社 」という額のかかった神社がある。

中には、それぞれ、小さな木製の祠があり、「疱瘡神社」の方は、赤く塗られている。

祭神は、「蘇民神社」は「蘇民将来」であり、「疱瘡神社」は「ひいらぎの神」である。


「「延喜式」神名張」には、「備後の国一の宮」として「スサノオ神社」があげられている。


翌朝は、備後三祇園の一つとされる「沼名前神社」にもうでた。

ともの港のすぐそばにあった住吉神社や、海に突き出た岬の小高い丘の上にあった淀姫神社と同じように、

「おおわたつみのみこと」とスサノオノミコトを現在の祭神とする「沼名前神社」は、やはりその起源としては海神、漁民や公開民を守る海や舟の神として、ともの浦の町の山の手に位置している。


古くから瀬戸内の海上交通の要衝として栄えてきた「ともの浦」に、海神信仰がないはずはなく、

港に大きく建てられた常夜灯に彫られた金毘羅の神名や、住吉神、神功皇后のような、海や航海にまつわる神々の社があるのは、当然のことなのだ。

わたしはそうした古い社と、古い事を一つ一つ、歩いて回りながら、「牛頭天皇」と「蘇民将来」に関わるものを探そうとしたのである。


「ともの港」からすぐの「沼名前神社」が「祇園社」となったのは、「武塔神」と言われる「牛頭天皇」が、瀬戸内の海から最初に上陸した場所だったからではないだろうか?


「武塔神」、「牛頭天皇」、、いずれも海外から日本に寄ってきた「異神」に相応しい名前だし、スサノオはその息子の「いそたけるの命」といっしょに、朝鮮半島から舟に乗って戻ってきた神である。



最初の「蘇民将来」の信仰、すなわち「武塔天神」=「牛頭天皇」=「スサノオ」という「天王信仰=祇園信仰」は、初めに「ともの浦」に足を下したのではないだろうか?

しかし、そこにはすでに「オオワタツミノミコト」のような日本の海神や、住吉神、金毘羅、神功皇后のような、海と舟と航海の神々がひしめいていた。

それらの神々との競合を嫌った新来の「渡来神」=「異神」としての「牛頭天皇」=「武塔天神」は、次に川を遡って、備後におけるもう一つの「祇園社」=「スサノオ神社」となったのではないか?

北の海から南の海へと渡ってゆく途中で、「蘇民将来」の親切に出会った「武塔天神」=「牛頭天皇」は、そこに住む「蘇民将来」の子孫たちの健康と安全を保障する。

そこに蘇民将来の子孫たちが住む家々が残された。

崇敬されるべき神としての牛頭天皇と、その信者の代表格ともいえる蘇民将来についての信仰の古い形を辿る時は、単に古い神社や縁起の存在を辿るだけではなく、その信仰がどれだけ土着化していたか、いるか、を調べる必要があるのではないか?


「茅の輪くぐり」や「蘇民将来」のお札やお守り。。

神様だけではなく、それを信じる人々がいなければ、信仰は成立しない。

「ともの浦」の民家の軒飾りは、そんな神信仰の在り方を、わたしに教えてくれたのである。


             (引用ここまで)

                   写真(上)は、人型のお焚き上げの様子。


              *****



馴染みのない地名が多くて、ますます遠い昔話のような気配が漂うようです。

しかし、そこはれっきとした、日本の中です。

「蘇民将来の子孫なり」と名乗った人々のことが、今も人々の記憶にあるとするならば、蘇民将来を守護した神=我はスサノオの神なりと名乗った神は、いったい今はどこにいるのでしょうか?


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いつまでも支え合ってゆける社会作り・・しんがりの思想(3)

2016-01-08 | 野生の思考・社会・脱原発


鷲田清一氏の「しんがりの思想」のご紹介を続けます。


             *****


           (引用ここから)


「最近の学生は、〝なんか合わないな”と思うと、文句も言わないで知らぬ間にすーっと消えてなくなるね」と、職場で若い先生と感想をもらしあったことがある。

ゼミや懇談会などでも、なにかおかしいと思うことがあるなら、苦情を言う、注文をつけるといったことをしてほしいのだけれど、あるいはせめて、憮然とした顔を見せつけてほしいのだけれど、次に集まった時には、もういなくなっている。

ある場の空気に、違和を感じた時、特に若い世代は、ふてくされたり、わざと空気を乱したり、仲間と組んで抵抗するものだと、ずっと思ってきた。

「違和感」から「抵抗」まで、さして隔たりはないと思い込んできた。

「違和感」といえば、すぐに「反体制」とか、「カウンターカルチャー」とか、「ドロップアウト」といった、対抗もしくは不従順を思い浮かべる世代に属するからかもしれない。


「インモラル」に対して、「アモラル」という言葉がある。

「インモラル」が背徳的(みだら、ふしだら、反道徳的)であるのに対して、「アモラル」は、言ってみれば、「非道徳的」「道徳と関係なく」という意味である。

これにならって言うと、かつて多くの若者が、現状に「違和感」を覚えた時、それに「〈反〉体制」のふるまいで対抗しようとしたのに対し、現在の「消える若者」は、どうもそれに「〈非〉体制」として処するようなのだ。

大学から、立て看板という、抵抗の意思の集団的な表現が消えて久しいが、今時の若者は、まずは、「身を消す」ということだろうか?

しかし、わたしが関心をそそられるのは、これとは別の実の消し方だ。


東京のある私立高校を訪れた時、十数人の生徒が米国の大学への進学を志望して、その準備をしていた。

東京大学を頂点に、偏差値で順位付けられた大学には入れば完了、みたいな日本の大学に夢を持てないというのだ。

こうして、彼等は日本から静かに身を消そうとしている。


一方いったん企業に就職しながら、離職した20代~30代には、地域の一隅で、あるいは農村部で、友人たちとささやかながらも企業する人たちがじわりじわりと増えている。

グローバル経済という制御不能な〝怪物″に、物価・株価の変動も就労環境も翻弄され、また成長を止めれば世界は滅びるという社会の強迫観念に身動きがきかなくなっている現状に見切りをつけて、

もう一度経済の流れを、場合によっては、みずから修正したり、抑制したり、訂正したりできる、そういう制御可能なものに戻そうということなのだろう。


言い換えると、仕事と家族生活、仕事と地域生活を切り離さない、という本来なら当たり前のサイズに、暮しを戻そうということかもしれない。

Uターン、Iターンと呼ばれる行動、消費欲の減衰。

シェアハウス、あるいはシェア田んぼ。

そういう小さなサイズ感で、「一致団結」は志向せずに、むしろ互いにゆるくつながり合って暮らしてゆこうと動き出した世代。

彼らは改めて、かつての「結」(農業における労力の対等な交換)や「もやい」(地引網、漁獲物の平等分配)に連なるような感覚を日々の暮らしのなかで探り出している。

一方は活動の場をこの国の外に求めるという形で、他方は国家というサイズより小さな地域へと引っ込むという形で、この国から消えようとしているかに見える。


わたしはしかし、ここに、危機よりは一つの希望を、反抗より強い意思を見る。

両者は国家より広い場所と狭い場所という、反対のベクトルを志向しているかに見えるが、そこにはある共通の意思が読み取れる。

誰もが当たり前のように受け入れている既存の体制に拠ることなく、それに「対抗」しようというのでもなく、体制とは別に、自分たちの活動のコンテクストは自分たちで編んでゆこうという、表立つこともない、静かな意思である。


「Uターン」や「Iターン」の動きを、〝地方に引きこもる”といったネガティブなイメージで捉えてはならない。

これは自分たちの生命の世話をそれぞれに引き受けられるところで引き受ける、つまりは「相互扶助」のネットワークは自分で準備していくという、言ってみれば「押し返しの活動」だからである。

公共の事柄に致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化した時には、いつでも対案を示す、あるいはその業務を自分たちで引き取る、というかたちで、「人民が主に戻れる」可能性を担保しておく。

そういう意味での「押し返し」が、これらの動きには見られると思う。


支え合いなしに、人は生きてゆけない。

その支え合いが、サービス業務としてシステム化されてゆくプロセスは、各人が自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。

そのことに気付いた人は、社会のシステムに生活をそっくり預けるのではなく、目に見える回りの他者との間で、心配りや世話をいつでも交換できるようにしておく。

それが、起こりうる危機を回避するために一番大切なことである。


今一度宮本常一が引用していた、あの瀬戸内の石工の話に戻りたい。

「自分のここでの仕事を、未来の石工のことを思いつつなす、ということ。

回りの人に褒められなくても気のすむ仕事とは、そういうものだ」、と石工は言っていた。

そこに宮本は、誰に命令せられるのでもなく、自らが自らに命令することのできる尊さを見たのだった。

人として生きるということの印として、世代から世代へと受け継がれていく仕事の「芯」となるべきものを、私たちが久しく忘れてきたのも、「未来からのまなざしを受けつつ仕事をする」という、そんな矜持を忘れてしまったからではないだろうか?


             (引用ここまで)


              *****


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速度を落とすべし・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(2)

2016-01-04 | 野生の思考・社会・脱原発



明けまして おめでとう ございます。

今年も よろしく お願いいたします。


年末に途中までご紹介した、鷲田清一氏の「しんがりの思想」の続きです。

     
            *****



          (引用ここから)



「限界」を意識するのは、この意味で大事なことである。

「ここを超えると危険水域に入る」という「臨界点を知る」こと。

これが命をつなぐために最も重要なことだ。

限界を見させまいとすることは、子供の心を傷つけまいという思いからのことだろうが、いずれ子供をより大きな危機にさらすことになる。


しかし、限界はよほど眼をこらさないと見えない。

眼をこらすというのは、自分がどういう状況にあるかを距離を置いて見ること、つまりは惰性を脱するということだからだ。


日本人は、〝寡栄養”に強いと言われ、〝過栄養”には弱いと、肝臓疾患の専門医から聞いたことがある。

日本人の体は、体内に採りいれた少ない脂肪を数日間うまく使って、飢えをしのぐには向いているが、栄養過多に対して、脂肪を減らす機能が弱いということらしい。

だからこのところ脂肪肝が原因で、肝臓がんになる人がじわりじわり増えているという。


そういう意味でも、「減らす」というのは本当に難しい。

ごちそうがあるのに、途中で止めるというのは難しい。

便利なものをあえて使わないというのも難しい。

何かある事業を立ち上げるために、別の事業をやめるというのも、難しい。


「足るを知る」という言葉はやさしいが、それを実行するのは難しい。

このことが私たちの社会構造についても言える。


とするなら、「足るを知る」という古人の知恵に、今、誰よりも近いところにいるのが、若者たちではなかろうか?

と言うか、そうならざるを得ない場所へ、一番先にはじき出されたのが、今の若い世代なのかもしれない。

骨の髄まで成長幻想に染められているそれ以前の世代には、「過栄養」という「不自然」が「不自然」には映らないからである。

「ダウンサイジング」というメンタリティーに最も遠い世代のリーダー像では、「縮小してゆく社会」には対応できないのだ。


この国は、本気で「退却戦」を考えなければならない時代に入りつつある。

その時、リーダーの任に堪えるのは、もはや引っ張っていくタイプのリーダーではない。

それは「右肩上がり」の時代にしか通用しないリーダー像だ。

これに対して、「ダウンサイジング」の時代に求められるのは、言ってみれば「しんがり」のマインドである。

「しんがり」とは、言うまでもなく、合戦で劣勢に立たされ、退却を余技なくされた時に、隊列の最後部を務める部隊のことである。

彼等が担うのは、敵の追撃に遭って、本体を先に安全な場所まで退却させるために、限られた軍勢で敵の追撃を阻止し、味方の犠牲を最小限に食い止める、極めて危険な任務である。


「しんがり」・・「後駆(しりがり)」が音便化した語で、「後備え」、「尻払い」「殿軍」とも言われる。 

現代では「ケツモチ」という言い回しもあるようで、いわゆるイベントサークルでトラブルに陥った時、それに〝片を付けて”くれる人のことらしい。

ヤンキー言葉では、暴走族が暴走行為をする時に、最後尾を受け持つメンバーのことを指す。

パトカーに追跡されると、速度を落として蛇行運転し、前の集団を逃がすのが彼等の役目である。

あるいは登山のパーティーで、最後尾を務める人も指す。


経験と判断と体力に最も秀でた人が、その任に着くという。

一番手が、「しんがり」を務める。

二番手は、先頭に立つ。

そして最も経験と体力に劣る者が、先頭の真後ろに付き、先頭はその人に息遣いや気配を背中でうかがいながら、歩行のペースを決めるという。

「しんがり」だけが隊列の全体を見ることができる。

パーティー全体の〝後ろ姿”を見ることができる。

そして隊員がよろけたり、足を踏み外したりした時、間髪を入れず救助にあたる。


「右肩下がり」の時代、「廃炉」とか「ダウンサイジング」が課題として立ってくるところでは、このように仲間の安全を確認してから最後に引き上げる、「しんがり」の判断が最も重要になってくる。


誰かに、あるいは特定の業界に犠牲が集中していないか?

リーダーは張り切りすぎで、皆が付いて行くのに四苦八苦しているのではないか?

そろそろ、どこかから悲鳴があがらないか?

このままで、果たして「もつ」のか?

といった全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、「縮小していく社会」において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。


「地域社会」とか「市民社会」と呼ばれる場は、職業政治の場ではない。

誰もがよそに本務をもったままで、そうしたゆるい集団の一員として参画する。

それは日々、それぞれの持ち場で、おのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、誰もが時にリーダーに推され、時に メンバーの一員、そうワン・オブ・ぜムになって行動する。

つまり普段はリーダーに推された人の足を引っ張ることもなく、よほどのことがない限り従順に行動する。

しかし場合によっては、すぐに主役の交代もできる。

そういう可塑性のある、しなりのある集団だろう。

リーダーに、そしてシステムに全部を預けず、しかし全部を自分が丸ごと引き受けるのでもなく、いつも全体の気遣いをできるところで責任担う。


そんな伸縮可能な関わり方で・・「上位下達」「指示待ち」の対極である・・で維持されてゆく集団であろう。

実際、誰もがリーダーになりたがる社会ほど、もろいものはない。

日ごろは自己の本務を果たしつつ、公共的なことがらについて、ある時は「今は仕事が手を抜けないのでちょっと頼む」。

ある時は「あなたも本業が忙しいでしょうからしばらくわたしが交代しましょう」。

というように、前面に出たり、背後になったりしながら、しかし、いつも全体に気配りができる、そんな賢いフォロワーの存在こそが、ここでは大きな意味を持つ。


公共的なことがらに関して、観客になるのではなく、みずから問題の解決のためのネットワークを編んでゆく能力。

それこそが、「市民性の成熟」の前提であるということである。

この社会ではいまだに、「リーダー待望論」が声高く謳われる。

異様と言わざるを得ない。


             (引用ここまで)


              *****


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