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「主体的に9条を選びとる」奥平康弘氏2012年・・「九条の会」の立ち位置(5)

2016-09-28 | 野生の思考・社会・脱原発



2012年に行われた「九条の会」の講演会の記録から、発起人のお一人・奥平康弘氏の講演のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****

           (引用ここから)


「僕たちが選び取ってきたもの」

加藤典洋という著名な文芸評論家がいます。

彼は今から十数年程前に「敗戦後論」という本を書いて、日本は〝敗戦‴をどういう風に受け止めたのかということを論じています。

彼は「我々は、押しつけられた憲法を押しつけられたままでいたんじゃないか?

我々はそういうところから出発せざるを得なかった。

すなわち、押し付けられた憲法から出発したんだ、ということをきちんと自覚し、そしてその部分について〝再び自分が選び取る″べきだ」という趣旨のことを書いています。

〝選び取る″とはどういうことか?


ぼくがそこで想起するのは、砂川大訴訟があります。

この訴訟はものすごいエネルギーを要しました。

そういう過程で、「憲法9条」のあの平和主義を、僕らはただ単に見ていたのではなくて、僕たちも一緒になって守ろうとしてきた。

そういう形で僕たちは〝選び取った″。

それをずっと続けているんです。

「憲法9条」に関する訴訟においては、まごうかたなくその時その時にその状況に合わせて、私たちは他のなにものでもない「9条」を、そして他のなにものでもない〝9条の〝あの魂″・・人は理想論と言うけれども・・″を選び取ってきた。

それは55年体制以降も、そして今に至るまでも、そうなんです。

「自衛隊があったからと言って困ることないじゃないの?」「自衛隊も一緒にやってるんだから、なにも「憲法9条」を改正する必要はないじゃないか?」という議論がまた流行っています。

つまり「自衛隊は国民にもう受け入れられているし、何も困ることないじゃないの」という種類の「改正反対論」、「改正消極論」があります。

それに対して先ほど「敗戦後論」の筆者として紹介した加藤氏には「さようならゴジラたち。戦後から遠く離れて」という、さらに十数年後の「敗戦後論」を書いた著書があるんです。

彼は前の本では「「9条」は押しつけられた憲法だ、だから自分で再び選び直せ」、と言っていました。

今はもっと危機が迫っていると言っていい時期ですけども、彼は相変わらず「自分で再び選び直せ」という言葉を書いています。


人々が、「自衛隊だって、いて困ることないじゃない?」

3・11で助けてもらったじゃないか?

あれはあれでいいじゃないか?

なにも憲法改正する必要がない」。

と、結構言う中で、「いやちょっと待って」と加藤さんは言います。

「この「憲法9条」は一体何を戦後に、日本に、日本の国民に、与えてきたのか・・?


一言で言うならば、〝高邁(こうまい)な理念″である。

これは失うべきものであってはならない」

ということを言っています。

さすが文学者というものはこういう観点をもっているのだと思って、感心してお話しするのです。


本当のところをいいまして、〝あの理念″は歴史のある一駒に生じた偶然の出来事です。

それが、本当に幸いにして〝選び取られた″のです。

亡くなられた加藤周一先生がいつも、個人的な会話の中で言われていました。

「押しつけれたからと言ってなあ、そのこと自体は中身が良ければいいじゃないか」。

「9条」も、「押しつけられた」と言う人がいるかもしれないけれども、あの〝高邁な理念″というものを押し付けられた僕たちが、僕たちの感度に合うものとして、それを承認し、〝選び取ってきた″。

一つ一つの裁判で争うという、抵抗し続けるという形でそれを選び取ってきたんです。


「陸空海軍その他の戦力はこれを保持しない」という「9条」に鑑みて争われた裁判があって、無防備であるとか、戦争しないとか、自衛権がどうのこうのというような議論がずっと今に至るまで引きずられている中で、しかし「9条」はいかなる字句の改正もなしに今に至るまで僕たちは持っている。

「これが気に入らん、これを気に入るようにするためには直してしまわなくてはけない」、と自民党の改正案が出てきたりしています。

自民党の改正案の場合も、96条改正という大阪市長の提言が出てきているわけですね。

「9条」の改正だけをするということは、彼らは避けました。


避けたのは、いついかなる世論調査をしても「9条」は人気がある。

だから「9条」を直接めがけないで、水増しして全文改正を提言しているわけです。

そしてその中心になっているのは明らかに「96条」なのです。

「現行憲法は、あるはまたそれにもとづく改正手続き法も、当然のこととして、衆参各議員の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がまず発議する」となっていて、彼らにとってはこれがネックになっている。

転機をみいださなくてはならないというので、自民党の最新の日本国憲法改正草案では、「この憲法の改正は衆議院または参議院の議員の発議により両議員のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民
に提案して、その承認を得なければならない」としています。

3分の2と過半数との違いは小さな数字みたいに思われがちなほど、技術的な要素だけに絞っているけれど、改正を装って「9条」の改正を目論んでいるのです。

ぼくたちが持っている「憲法の魂」を、「空虚な理想論」だなんて言わないで、「今一度我々は選び取ろう」、ということをぜひ提言したいと思います。


              (引用ここまで・終)

                *****


講演にでてくる「砂川事件」について、2014年に解説された分かりやすい文章がありますので、ご紹介させていただきます。


             *****

          (引用ここから)



「THE PAGE 砂川判決がなぜ集団的自衛権の論拠に? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語」より

                                  2014.05.07


集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈見直しへ向けた議論が来週以降、本格化します。

安倍首相や自民党幹部らは、集団的自衛権の行使容認の論拠として、1959年の「砂川事件」判決を持ち出しています。

「砂川判決」とはいったいどんな内容だったのでしょうか。

「砂川判決」の概要

 砂川事件とは、東京・米軍立川基地(1970年代に日本に返還)の砂川町(現・立川市)などへの拡張に反対する「砂川闘争」の最中に起きました。

57年7月に反対派が基地内に立ち入ったとして日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)で、学生ら7人が裁判にかけられました。

被告人は根拠法すなわち安保条約やそれに基づく米軍の駐留が憲法に違反しているから無罪と主張。

東京地裁は「憲法9条に」駐留米軍は違反するとして全員無罪の判決を出しました。

いわゆる「伊達判決」です。

法律や行政のあり方が憲法に照らしてどうなのかという「違憲審査権」は地方裁判所も持っています。

ただ「違憲」の場合は通常の高等裁判所への控訴を飛び越して最終判断する最高裁へ上告できるので、検察官は上告しました。

1959年12月に出されたその最高裁判決で、「憲法は」「自衛のための措置を」「他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではな」く「外国軍隊は」9条の「『戦力』には該当しない」としました。

では「自衛」とは何かという点に関して、9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定して」おらず「わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使である」としました。

これがいわゆる「砂川判決」です。

地裁判決は破棄差し戻しとなり、再びの地裁判決は有罪(罰金2000円)で上告棄却された63年に確定しました。


「自衛権」を明確に認めた判決


それでは、なぜ集団的自衛権の行使の論拠になるのでしょうか?

まず最高裁判決で「自衛権」を明確に認めている点です。

憲法を改正せずに内閣の解釈変更だけでどうにでもなるのであれば、憲法を事実上無力化するに等しいとの立憲主義からの反発が根強いため、「集団的自衛権がある」としたい安倍政権は、ならば違憲審査権の総本山たる最高裁の判決で権威化しようと考えたのでしょう。

「主権国として有する固有の自衛権」として集団的自衛権「行使」が認められると判断する材料として国連憲章51条があります。

「武力攻撃が発生した場合は」「個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」が挙げられます。

憲章は45年に制定され、日本の国連加盟は56年。

砂川事件の最高裁判決はその後なので、当然「固有」の「自衛権」「権利」を推認し得たはずという論法です。

なお砂川判決を持ち出してまで現政権が進めたいのは、集団的自衛権の「限定容認」。

背景にいわゆる「地球の裏側論」があります。

日米同盟に基づいて米軍が地球の裏側で戦っていたら自衛隊も参戦するのかと。

そうではなくあくまで最小限度に止めた個別的自衛権に果てしなく近い事態を想定しているようです。


「論拠化」への否定的な見方は?


真っ先に思い浮かぶのは「何が悲しくて砂川を持ち出すのか」という反発。

この事件は当時盛んだった米軍基地反対闘争の一環と一般に認知されており、事件名も日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反です。

それが違憲か合憲かを具体的に争ったのが裁判本来の目的で、自衛隊に集団的自衛権があるかどうかまで見通したとは到底思えないという認識が強く存在します。

何しろ自衛隊の発足は54年。

当時は自衛隊そのものが「9条」に違反しているという声も強い時代でした。

あれは「保持しない」はずの「陸海空軍その他の戦力」そのものだと。

これに対して歴代政権は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」けど9条2項の「前項の目的を達するため」「認めない」から「前項の目的」でない個別的自衛権、当時盛んに使われた言葉だと「専守防衛」のみ認められると答弁してきました。

まして海外派遣にいたっては、90年代に入って国会がもめにもめたPKO(国連平和維持活動)協力法成立まで、おそらく自衛隊や防衛庁(当時)すら意識していなかったと思われます。

今回の件が出てくるまで砂川判決で集団的自衛権を説明しようとしてこなかったし、近年アメリカで開示された公文書で、焦点の最高裁判決を下した裁判官がアメリカに「無罪判決破棄」を伝えていたと類推できる資料まで見つかっています。

集団的自衛権行使容認派からさえ「砂川を用いるのは筋が悪い」と首を傾げる人もいます。


判決「傍論」論の是非


先に示したように事件名は安保条約と米軍基地に関する法律違反であり、自衛権の問題は個別であれ集団であれ、核心部分からはずれた「傍論」に過ぎないという意見があります。

砂川判決で集団的自衛権を容認したいグループは「最高裁判決に傍論などない」「傍論もまた判決の一部だ」と訴え、否認派は「傍論を用いたこじつけだ」と反発しています。

ただこういう議論は立場が逆転すると態度も変えるからどっちもどっちといえます。

2008年、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高等裁判所が航空自衛隊のバグダッド空輸活動を違憲とする判断を示し、その後確定しました。

裁判そのものは損害賠償請求などを退けて原告敗訴です。

この時、政府内から「違憲」は傍論に過ぎないと公然と声があがった一方で、派遣に懐疑的な側は「判断は重い」「撤収の論議をせよ」と訴えました。

           (引用ここまで)

             *****


さだまさしの「防人(さきもり)のうた」の、もの悲し気なメロディーが心に流れます。

砂川という字が含む「砂」は、砂漠のような無色の世界を暗示しているようです。

「自衛隊は憲法違反だ」という、遠い時代のシュプレヒコールの記憶は、映画のようにノスタルジックな気分にさせます。

そんな感傷的な気分にはなりますが、今、我々は世界といかに対峙するべきか?という問題には、感傷に流されず、自分の頭と直感で、しっかりと判断をしてゆきたいと思います。


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「九条の会」の立ち位置(4)・・立憲主義が危うい・奥平康弘氏

2016-09-26 | 野生の思考・社会・脱原発


2012年の「九条の会」の講演会の記録から、同会発起人のお一人の奥平康弘氏の講演のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

            *****

         (引用ここから)


「憲法改正の流れに抗する」

だけどそういう時期が確実にあったにも関わらず、朝鮮戦争を経て、占領軍が日本からいなくなるといった状況の中で、55年体制になりました。

そして55年体制となった時には、憲法改正のための手続き要件を定めている「憲法96条」、すなわちまず衆参両議員の総議員の3分の2以上の多数を自民党が占めるようになるだろう、そのような国会がやがて
出来上がるに違いない、いやそういう国会を作ろうと、支配層の政治家は考えるようになってきました。

現時点で最も重要な憲法改正の争点、「96条の規定・・憲法改正のためには衆議院参議院における総議員の3分の2以上の賛成を得た後、国民の過半数の賛成を得なければならない」という規定が、その55年体制以来ずっと今に至るまで、改憲を企画する連中にのしかかってきている。

保守勢力は何とかして「憲法9条」を消してしまいたいと思っていますが、そのためには「憲法96条」でいう「3分の2以上の賛成」が不可欠なのです。

改憲派の連中は、何とかしてもっとはっきりと自衛隊を擁護したい。

この「もっとはっきりと」という時の「はっきり」の仕方なんですけれども、彼らは自衛隊を作った頃には「我が国は我が国だけで守る」、そして「わが国土内に留まって守る」というだけのことだったのです。

それがだんだん、湾岸戦争が始まるあたりから、その自衛隊を外へ差し出す、、つまりアメリカに差し出すようになりました。

アメリカが「旗を立ててやって来い」とさかんに言い始めるようになったのは、湾岸戦争の時期あたりからです。

この頃に、彼らが人々に憲法改正を訴えたかというと、必ずしも真剣にはしていません。

訴えてもほとんど現実的な意味もない、つまり憲法改正について衆参両院で過半数の賛成は取れるかもしれないけれども、3分の2以上の多数を取ることはできなかったからです。

ではどうするかということが問題になって、この問題は「集団的自衛権」が可能か可能ではないかという議論と同じように、政治支配層の宿題に、現になっています。

そして現になっているという「現」が、今なのです。

そのような状況に、今ある、ということは皆さんも当然のことながら、念頭に置いておられると思います。

けれども最初は、今お話ししたような状況から始まったのです。

先ほどの作家の方は「淡雪のように消え去った」とお書きになっているけれども、ぼくはまだそう状況を議論しあっているのであって、「憲法改正」をして〝憲法をほんとうに「亡き者にしてしまう」″こととの闘いは終わっていない。

今まさに我々は「九条の会」が立ち上がった時の本当の出発点、本当の魂を発揮することが問われているのだろうと思うのです。


「立憲主義を危うくするもの」


さらに東京都知事の石原慎太郎氏は「憲法、憲法というのは馬鹿だ」と言わんばかりに「憲法破棄」と言うのです。

「もう憲法なんていらんのだよ」という言い方です。

これは驚くべきことです。

「憲法破棄」って、いったいなんだ?

僕らの憲法学という研究の中では、そういう言葉を言葉として知っている人間は、ほんの少ししかいません。

石原氏は学問的な背景やそれが持っているインパクトや問題にはまったく触れずに、軽々しく「憲法破棄」と言う。

大阪のおっかない市長が「維新八策」で語っているのはもっと怖いですよ。

橋下徹さんはその「八策」の中で、「「憲法96条」を改正しろ」という主張を全面に押し出し、二番手として、「憲法9条」などに関しては、「やるかやらないかを国民投票にすべきである」と書いているんです。

彼は「憲法破棄」なんてエキセントリックに愛国的なことは言わないんです。

橋下氏は、憲法については2年間かけて議論し、国民投票をやると語っています。

「日本人全体で「9条」をどうするか、決めなきゃいけない時にきている。「9条」の改正内容については、国民の皆さんに決めていただく」と、例の顕著なポピュリズム(大衆迎合主義)な話し方をするわけです。

ところが「国民投票に任せる」と言いながら、「戦争しない」、「中立主義の平和主義で行くんだ」という考えについては、「国民が「9条」を維持して自己犠牲はしないことを選ぶなら、そういう国でやっていけばいい。それならぼくはこの国と別のところに住もうと思う」とも言う。

「俺の「自己犠牲してでも戦争に加わってやろう」という自分の自由な魂を、「憲法9条」は〝阻止″している。

そんな「9条」を国民が選ぶんだったら、俺はさっさとそんな国を出ていく」と言っているのですね、彼は。

独特な言い回しで言っていますが、こんなことを言う人はたくさんいます。

「自己犠牲をする自由」があるだろう、「9条」はそれを拒んでいるじゃないか?という考え方になりますと、今度は「立憲主義とは何か?」という話になっていきます。


大事なことは、あの「9条」を制定してしばらくの間は、いわゆる「非武装中立」あるいは「非戦中立」、「必然的平和主義」というものを、政府も含めて皆が、キャッチフレーズとしてとらえていったのが始まりだったということです。

          (引用ここまで・続く)


                *****

wikipedia「憲法無効論」より

「憲法無効論」とは、日本国憲法は無効あるいは失効しているとする論の総称。

憲法無効・失効論の述べるところは憲法失効にともない大日本帝国憲法を唯一の法源とすべしという点にほぼ要約されるが(別論あり)、これはあくまで手続き上の議会主義的正統性に関する要求であり、旧憲法の改正手続きに則り速やかに新たな自主憲法を策定すべし(石原慎太郎等)、ないしは憲法の正当性を確保するべく日本国憲法を改正すべし(小沢一郎等)との論である。

今日では、既に解決済みの論題として法曹界で積極的に採り上げられる事は無く、日本国憲法が無効ないし失効していると主張する法学者は少ないが、一方で議会を中心とした「憲法改正論議」においてしばしば紹介され論じられることがある。

論点としては当初は、新憲法9条と日米安全保障条約の整合性に焦点があったが、天皇主権を明示する帝国憲法が国民主権を前提とする新憲法を制定することはできないとする論点や(憲法改正限界説)、あるいは仮に可能であったとしても制憲過程に重大な瑕疵があったのではないかとの観点を含んでおり(無限界説における押し付け憲法説)論争を生んだ。

             ・・・・・


ほんの4年前の言葉ですが、隔世の感がありますね。

今や、やろうと思えばできる状況です。

しかし、対米追従なんて、今更どうなの?という感じでもありますね。

トランプ氏もクリントン氏も、今更感があるように思いますが、どうなんでしょうか?


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奥平康弘氏「9条の魂」2012年・・「九条の会」の立ち位置(3)

2016-09-23 | 野生の思考・社会・脱原発



2012年に行われた「九条の会」の講演会の記録「いま、憲法の魂を選びとる」の中から、会の発起人のお一人の憲法学者・奥平康弘氏の講演をご紹介します。

独特な言い回しが少し分かりづらいのですが、青年のような感性に好感を持ちました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                *****


               (引用ここから)

「いま一度、魂を選びとる」        奥平康弘

〝空虚な理想論″、、著名なコメンテーター・寺島実郎氏が雑誌「世界」に書いておられる文章の中に出てきた言葉です。

「「非武装中立論」という言葉は、国際情勢の紛争のなかで〝淡雪のごとく″、急速に勢いを落として、空虚と化した」とありました。

あえてぼくは、その著者に対して反発をします。

〝淡雪のごとく、「非武装中立論」が空虚と化した″という文章が、こちらとしてはすごく気になったのです。

こういうことを主張している人もいる、ということは分かっているのですけれど。

現今最大の争点の一つである「原発存廃問題」について、「平和利用に徹した原子力の基盤技術の維持と蓄積こそ大事なのに、原発を今すぐなくしてしまうという、「脱・原発」論は現実的ではない」ということを言わんとしているその文章の文脈の中で、寺島氏は次のように述べます。

「私は多くの「脱・原発」の論調に「非武装中立論」にも通じる虚弱さを感じる」。


敗戦国日本で、深い反省に立ち、二度と戦争に巻き込まれたくないとの思いで宣言している「非武装中立」であるというのに。。


「非武装中立」、、ぼくの学生時代には「「再軍備」しない平和主義」という言葉もありました。

戦争は絶対しない、武器は絶対とらない、平和主義ということを示すために、非常に大きな枠組みで「非武装中立」という言葉が広く使われていました。

著者は、その言葉と、「脱・原発」とに、似たような〝ひ弱さ″を感じる」と言っているのです。

寺島氏は言います。

「かつては「二度と戦争に巻き込まれたくない」との思いで「非武装中立」を希求した人たちが存在したことも理解できる。

しかし現実には、峻厳な国際環境の中で瞬く間に〝空虚な理想論″にさせられていった。

求められるのは、重層でたくましい構想力なのである」。


「非武装中立」は「空虚な理想論」でしかなくなってしまった」という、その件(くだり)が、ぼくにとっては非常に衝撃的でありました。

ぼくのように、そしておそらく「九条の会」にお集まりの方々は、スローガンとしての「非武装中立」、あるいは「非戦平和」とか、「無武装平和主義」という言葉を使いながら、「憲法9条」のまとまりをつけてきているのだと思うのです。

必ずしも「非武装」という部分に重点を置かず、「自衛権は保持し、しかしそれは自衛に留まり、絶対に外には行かない、戦わない(=非戦)」といったレベルで考える人たちも含め、そのフレーズには「9条」の魂が込められていることは確かであると言えるわけです。

それを寺島氏は、「瞬く間に〝空虚″と化してしまっているじゃないか。あんなもの役に立たなかったんだ」とおっしゃっている。

              ・・

wikipedia「寺島実郎」より

寺島 実郎(1947年 - )は、鳩山由紀夫政権でのブレーンであり日本の評論家。

政治経済における東アジア統合を唱えており、憲法9条2項の改正とともに、対等な日米同盟とアジアでの多国間安保関係を提唱する一方で、軽武装・経済国家路線の堅持を説くなど、穏健な保守派として知られる。

ジョージ・W・ブッシュ政権となって以降はしばしば反米的な発言をするが、本来は親米派であり、「親米入亜」)を標榜している。

“アジアダイナミズム”の重要性を説いている。

日本のエネルギー戦略の脆弱さを指摘し、東日本大震災後においては、「日本の原発技術を絶やしてはならない」と発言し、早期の原発再稼働や原発技術の海外輸出推進を主張している。

              ・・

「9条の魂をつかまえる」


歴史の中で「非武装中立」あるいは「再軍備反対平和主義」あるいは「非戦平和主義」、いろいろな言葉で呼ばれてきた「9条」というものは、どのように戦われてきたのか?

戦われずにはすまされないほど、いろいろな問題を持っていたわけです。

ご承知のように、アメリカによる占領が終了するのと、朝鮮戦争が始まるのとほぼオーバーラップしながら、「警察隊」が出来、次にそれに合わせて「保安隊」となり、1954年に「自衛隊法」が成立します。

そうすると政府としては、あるいは国会対策としては、「自衛隊法」を正当化しないわけにはいかないということになって、もとは一緒に「非武装中立」なり「再軍備反対」なりで固まってきた日本人の中が分かれてきて、そして「自衛のためだったらいいんじゃないの?」という話が浮き上がってきました。

そして55年体制あたりから、支配階級側、社会を支配する人たち・・ぼくは「向こう側」と言うのですが・・そしてそれに直接的に影響を受ける人たちは「自衛のための戦争ならいいんじゃない?自衛のために実力を持つということは「憲法9条2項」でいう「゛陸海空軍その他の戦力″には当たらないんだ」という理屈を付け始めます。

それが「集団的自衛権」とは別ものとして「個別的自衛権」として、内閣はずっと理屈付けているのです。

こういった道筋がある中で、ぼくは憲法研究者として、どんな憲法裁判があったかということを辿っています。

いろんな憲法裁判がありました。

そして、おいそれと〝空虚″とは化さなかった、ということが分かります。

いや過去形ではなく、今でもそうです。

最近も2008年名古屋高裁が、バグダッドなどで行われる航空自衛隊の空輸活動を巡る裁判で、「違憲である」という判決を、いわゆる「傍論」で語っています。

しかし、「9条」が「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と言っている中で、「いや自衛のための実力は戦力じゃない」という内閣解釈が出てきて、それが居座っているのが「個別的自衛権」です。

「個別的自衛権」として、我が国がわが国だけで守る。

敗戦当初は、政治家ももちろん全国民的な規模で、「非武装中立・再軍備反対・中立」という線をかなりの時間真面目に真剣に考えていたことがありました。

1945年8月の敗戦により一切の軍隊がなくなった時、日本人は初めて理想的な見地を語ることができたものでした。

その唯一の戦後の時期に於いて、圧倒的多くの人たち、国民は「非武装中立」「非武装平和主義」「非戦平和主義」、いろんな言葉をもって「9条の魂」をつかまえていたのです。


          (引用ここまで・続く)

             *****

とても分かりにくい文章なのですが、敗戦直後の一時期には、日本人は政府も本気で「非武装中立」という命題を、新しい日本国憲法として、真剣に受け止めていたのだ、と著者は言いたいのだと思います。

その後、体制側、反体制側に分裂して久しいけれど、日本人の共通体験として、「非武装中立」を現実の命題として考えていたのは事実である、と。

その共通体験という歴史的事実を、著者は「たましい」という言葉に込めているのではないかと思います。


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「九条の会」の立ち位置(2)・2014年・・澤地久枝さん「品位ある政治を」

2016-09-17 | 野生の思考・社会・脱原発


2014年の「九条の会」の講演会の記録の中から、会の発起人のお一人である、

澤地久枝さんの講演のご紹介を続けます。

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             *****

         (引用ここから)


「市民の希望を蹂躙する政治」


私たちは今、「憲法を忘れよ」と迫られています。

「忘れよ」と言われ、次々に新しい草案を見せられて反対をしました。

次に安倍内閣は憲法改正条項である「96条」を変えて、改正をしやすくしようとしました。

これにも私たちは猛反対しました。

日本は「憲法9条」があるために、戦後今日まで一人の戦死者も出さずにきたわけです。

どの国の人も、一人も殺していません。

その「9条」を変えるとなれば、国民の大反撃に会うのだということを、安倍さんという人は想像もしていない。


私たちはなめられています。

「9条」を、あの人にちゃんと読んでやりたいと思います。

「9条」の1項「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」。

そして2項は「前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」。

ここのどこに「集団的自衛権」などというものが生まれる解釈の余地がありますか?

それなのに今、新聞やテレビは「集団的自衛権」という言葉が勝手に一人歩きをしています。


地球全体で見れば、世界はもう戦争とか戦力といったものから抜け出そうという気運になっています。

戦争よりもたとえば、汚い水を飲んで子供が死んでいくとか、学校へ行くことができない、あるいは子供が拉致されて政治のテコにされるというような、平和でない状態から抜け出したい。

そういう気持ちが一般市民の気持ちとして、とても強くあると思います。

でも、そういう世界において占める日本の位置、希望を蹂躙しているのが、今の安倍内閣だと私は思います。


「恥じ知らずの政治家たち」


こんなにひどい政治に日本が陥ったことは、昔の明治憲法の時代を振り返ってみても、かつてないと私は思います。

こんなにも人々の意思が踏みにじられたことが、かつてあったでしょうか?

もっと平和で安らかでそれぞれに豊かに暮らしていきたいと思う私たちの気持ち、世界中の人たちと仲良くしたい、戦争も紛争もいらないと心の底から思ったその日から、まだ満70年にならないという時に、政治家たちはそんな出発点をもう振り向きもしません。

高級官僚たちもそうです。


それに3年前の福島の原発事故はまだ何も問題は解決されていませんね?

原発の事故なんか忘れたような顔をしている政治家たちは、なんと恥知らずなのだろうと思います。

2020年のオリンピック開催地が、東京に決まりました。

決めた国際オリンピック委員会もひどいですが、この招致のために安倍さんは何と言いましたか?

「福島第一原発事故を巡る状況はコントロールされている」と言いました。

コントロールなんかできていますか?

放射能で汚染された水を海に流して、海はどうなるんですか?

海は命の源ですね?

海の水は世界を回遊しています。

日本だけの問題ではなくて、世界の海で魚資源を中心とした海からの恩沢が放射能で汚染される日が来ようとしているのです。

放射能で汚染された水がどれだけ海に流されたか、今も流されているか、考えてみてください。

そんな状況であるのに「コントロールされている」とは、よくも言ったものだと私は思います。

安倍さんは本当にセールスマンになったと思いますが、財界の代表を引き連れて世界中に行っています。

トルコとも約束をした。

インドとも約束をした。

何をやろうとしているかというと、あの原発のノウハウを輸出するということです。

自分の国で事故を起こしてどうにもできないでいるものを、外国に輸出して金儲けをしていいのですか?

そんなことが許されますか?

それがアベノミクスです。

こういう国であることを、私は恥じます。

非常に残念だと思う。

おかしいことはおかしいと、言わなければならないのです。


「市民運動のうねり、言葉の力」


「九条の会」は今全国に7500もできています。

さらに他にも「平和のための会」とかその土地その土地でユニークな言葉をみつけて市民運動をやっているところが全国に何万とあります。

時には5人、10人しか集まらないかもしれないけれども、定期的に会合をもって「戦争はしたくない、戦争をしないでいるにはどうすればいいか」ということを市民たちは話し合っています。

こういうことは、日本の社会ではかつて考えられないことでした。

日本の市民社会は、確実に変わってきています。

こうした運動を通じて、人々は政治というものは信じられないと考え始めた。

政治家たちは、市民がさらに自覚して動き始めるならば、自分たちの命は絶たれると思っています。

だから安倍さんは一番、市民運動を恐れています。

怖がっていると思います。

怖がる人は何をするかというと、笠に着たように挑発をするんです。

威嚇をします。

今私が目にしているのは、本当に恥ずかし気もなく市民に向かって威嚇を繰り返している政治家なんです。

井上ひさしさんは、

「話し合いによって解決できないことは何もない。

言葉にはそれだけの力がある」

と言っていました。

言葉にその力があるならば、必ずこんな愚かしい政治も変えることができるでしょう。


「小国の幸福を築けばよい」


1988年、もう昭和の時代がいつ終わるかという年の暮れでしたが、大岡昇平さんは、もうすぐ80才という時に亡くなりました。大岡さんの言葉をご紹介したいと思います。

大岡さんは、敗戦の時はフィリピンのレイテ島の捕虜収容所におられて、そこで祖国の敗北を知りました。

「祖国の敗北に人生の道半ばで出会うわが身の不幸に泣いた」。

大岡さんはこの時35才くらいで、妻と二人の子供がありながら、軍隊へ持っていかれていました。

「不幸に泣いたが、絶望はしなかった。
明治の初心、明治のそもそもの心に戻って4つの島の小国の幸福を築けばよいと思っていた」。

大岡さんは本当に先を見通していたと思います。

私は今、日本は小さな国になるといいと思っています。

なんで金儲けをしなくてはならないんでしょう?

なぜこんなに金、金と言う国になってしまったんでしょう?

武器輸出案も、非核三原則も、みんな「なし」にして、武器を作り、武器を買い、武器を輸出する。

核兵器になる原発のノウハウも輸出している。

そんな政治の下に、今私たちはあります。

それはなぜですか?

誰のためですか?

経済界の人たちがもっともっと金儲けをしたいと思っている今の政治は、その彼らの欲望のお先棒を担いでいるのです。

日本は、これ以上大きな国になどならなくていいです。

中国が世界の貿易の額では日本を抜いて、今やアメリカも抜こうという勢いで発展しています。

中華人民共和国という1949年に新しくスタートした国として、大きくなろう、大きくなろうとしている。

その表れの一つが、軍備の強化ですね。

挑発的な行為をすることもあります。

けれどもこうした中国に対して、世界に対して、今こそ、

「私たちは憲法を守る国であります。

私たちは、武力は全部捨てました。

武力を使って解決をしようとは思いません」と言うべき時です。

この言葉が、世界中の人たちに答えをもたらします。


「歴史を伝えていくために」


今、武力がどれだけ大きくあったとしても、武力を使って解決されることなど何もありません。

国境線がどこだというようなことは、武力によって解決してもまた武力によって蒸し返して、結局元の木阿弥になります。

元の木阿弥どころか、よりひどいことになるということは、私たちのこの前の戦争がつぶさに教えてくれています。

この前の戦争、第2次世界大戦の口火を切ったのは、1931年に満州事変を起こした日本です。

日本は日独伊三国同盟を結んで、世界を敵としました。

そして最終的にはただ一国で戦い、最後に無条件降伏をし、初めて世界中が平和になりました。

1944年までしか統計はありませんが、戦争中軍事費は国の予算の85.6パーセントを占めていました。

軍事費が予算の9割近くになって、人々の生活が成り立ちますか?

そういう過去の歴史を今、若い人たちに伝えるのは非常に難しいですけれども、「九条の会」のもとに集まっている皆さんは若い人の肩をたたいて、私たちが体験してきたことを伝えていかなければならないですね。

加藤周一さんは、「老人と若者が同盟を組んでやっていける。老若同盟」とおっしゃっていました。

なぜならば老人と若者には時間があるから、と。

そのとおりですね。


「九条の会」の皆が熱く心に秘めていることは、二度と戦争はしない、ということですね。

今や「わが子を戦場にやらない」「わが家族を戦場にやらない」という言葉が、本当に現実のものになってきています。

この言葉を安倍さんに、政治家たちに投げつけたい。

「憲法」は私たちのものです。

みなさん、元気で長生きしましょう。

私は、日本の政治をしっかり見届けるつもりです。

私たちは私たちの理想とする憲法を、この国の一番大事な宝物として掲げていきます。

政治家や文化人と呼ばれる人たちが何を言おうと、私たちは私たちが持っているこの理想を変えることはないのです。

             (引用ここまで)

               *****

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「再掲・青木やよひ著「ホピ族と徴兵拒否の思想」を読む」

「右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(1)」(3)まであり


「脱原発しない社会」の社会学的考察・・小熊英二氏インタビュー(1)」(2)あり


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「九条の会」の立ち位置・・2014年・澤地久枝さん「小さな国でいいのです」

2016-09-13 | 野生の思考・社会・脱原発




憲法9条について考えていましたら、2004年に立ち上げられた「九条の会」に行き当たりました。

「9条の会」オフィシャルサイト」


この会の設立に際して発表された「九条の会アピール」というものを以下にご紹介します。




               *****

             (引用ここから)

「九条の会」アピール


日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。

ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。

この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。

侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した「九条」を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。

しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、「九条」を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。

その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。

そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。

また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。

そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。

これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。

私たちは、この転換を許すことはできません。

アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。

なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。

一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。

だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。

二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて「憲法九条」を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。

相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。

「憲法九条」に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。

「憲法九条」をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。

私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて「憲法九条」を、激動する世界に輝かせたいと考えます。

そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、「九条」を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。

それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。

日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。

                               2004年6月10日

井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)




           (引用ここまで・文中のカギかっこは加筆したものがあります)


             *****


次に2014年に行われた「九条の会」の講演会の記録「憲法9条は私たちの安全保障です」から、同会発起人のお一人、

澤地久枝さんの「小さな国として生きる」という講演をご紹介しようと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

         (引用ここから)


わたしたちの「9条の会」が発足して、10年の間に4人の呼びかけ人を失いました。

小田実さんがいつも言っていたことは、

「人間には小さな人間と大きな人間がいる。

大きいとは、例えば建物を建てるとか政治を動かすとか戦争をするというようなことです。

しかし、実際にそれをやるのは小さな人間である。

その実際にやる、小さな人間が嫌だと言ったら、大きな人は何もできない。

だから小さな人間よ、がんばれ」

と小田さんはおっしゃっておられました。

まさに私たちは名もない小さな人間だと思いますけれども、私たちが今の政治の状況に絶望してあきらめてしまったら、政治は本当にやりたい放題になります。

もうすでにそういう状況がきています。

でもこういう時こそ、地球全体の視点で2014年という時を考える必要があると思います。


「集団的自衛権と安倍政権」

集団的自衛権について、様々なことが言われています。

しかし軍備でもって脅かす、あるいはアメリカの海兵隊みたいな非常に強い部隊が戦争をしかけていくことで、事が解決するでしょうか?

解決するどころか、かえって問題が複雑化し、解決が遠ざかるのを私たちは何度も見てきました。

だからこそ今わたしは、日本の憲法がこれまでになく光を当てられるところへ来ていると思っています。

それなのに「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定がなされるなど、「9条」だけでなく憲法全体が大きく揺るがされています。

そもそも「集団的自衛権」などという言葉は憲法のどこにもありませんね。

「集団的自衛権」として安倍内閣がやろうとしているのは、たとえばアメリカがどこかの国に武力で干渉し、戦争を始めるという時に、アメリカと一緒になって戦争する国に日本を変えようということです。

おそろしいことは、そういうアメリカの同盟国として日本が戦争することだけではありません。

特に今、尖閣列島のあたりで中国と日本がつばぜり合いをしていますが、どちらかが故意に一発の銃弾を打つ。

そうすると打たれたと思った側は応戦して、打ち返す。

これは作為でできます。

こうした武力的な小競り合いがあった時、「自衛のための措置だ」といって自衛隊を投入して、小さな火花だけだったものから戦争の態勢に持っていこうとする。

ひいては「集団的自衛権」が必要だという雰囲気を作り出す。

それが今の安倍内閣の姿勢であると、わたしは思います。

安倍さんは最初に内閣総理大臣になった時に、「わが内閣のうちに憲法を変える」とはっきり言いました。

そもそも自由民主党は党の決まりに「憲法を変える」という項目を揚げています。


ところで最近の自治体の選挙では投票率が40パーセントを切っているところが多くあります。

わたしは最近の、多くの有権者が棄権する選挙に意味があるだろうかと思います。

私たちはもっと早くに、たとえば50パーセントを割った選挙は無効であるというような決まりを持つべきだったと思っています。

これはいわば私たちの意思です。

政治あるいは内閣というものは国民=有権者の信託によって成立しているわけですから、有権者が意思を示せばそれに従わざるを得ないのです。

           (引用ここまで・続く)


             *****


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再掲「過激で懐が深い・・「憲法9条を世界遺産に」」(3・終)

2016-09-09 | 野生の思考・社会・脱原発



また間が空いてしまいましたが、引き続き爆笑問題の太田光さんと学者の中沢新一さんの「憲法9条」をめぐる対談を、2012年3月の当ブログから再掲します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

           (引用ここから)




爆笑問題の太田光さんと、中沢新一氏の憲法9条をめぐる対談のご紹介の終わりです。

なかなか革命的な話だと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


        *****

        (引用ここから)


太田 ひとはなぜ右翼と左翼に分けたがるんでしょうね。どちらも自分の役割を意識した瞬間になにか捨てるものがあります。

右翼、左翼で分けてしまうことが、大事なことを見落とすことになるんじゃないかと思うんです。


中沢 太田さんが最近考えたり書いたりしていることを見ると、これは右翼が怒るなと思うところもあると同時に、じゃあ、それは左翼の理論かというとそれとも違う。

たぶんこれが「中道」なんでしょうね。

「中道」だから、右にも左にもいいなと言われる。

あるいは両方から文句を言われる。

その意味で言うと、「日本国憲法」はすごく懐が深い。

ある面とても過激なんですよ。

しかし過激でありながら、その過激さがバランスを産んでもいる。


中沢 「日本国憲法」に共鳴しているこの「中道」というものを明らかにすることができれば、混迷から抜け出る道がみつかると思います。


太田 それはたぶん世界中でできていないことですね。

中沢 できていませんね。

中沢 芸術と政治が合体した時に生まれた最大の失敗作はナチズムでしょう。

ナチズムの思想は、人間が人間を超えて行こうとした。

非人間的なものも飲み込んで、人間を前進させるんだという考えが、現実の政治とつながって行った時、途方もない怪物が生まれた。

ところが「日本国憲法」はナチズムとは逆のことを実行してきました。

この憲法自体、現実には存在しえないことを語ろうとしているわけですから、芸術に近いものだともの言えます。

日本は、それを政治の原理にしようとしてきた。

それが戦後の日本の保ってきたユニークさでした。


中沢 「日本国憲法」がどんなに問題をはらんでいたとしても、日本人の心に深く入っていくものがあった。

ぼくは、世界を変えたいという狂気じみたパラノイアを太田さんと共有しています。

ただ世界を変えようとする思想がひっかかりやすい一番の罠が「平和」です。

この「平和」というやつを表現することがいかに難しいか?

戦争を語ることよりずっと難しい。

天国のことより地獄のことの方が、表現しやすいものね。

しかし「世界遺産としての憲法9条」を究極に置いて、そこに映し出される自分たちの思想と表現を磨いていけば、今のような混乱から抜け出ていく道がつけられるんじゃないかと僕は確信しています。



「本書あとがき」より (中沢新一)

国家を生命体にたとえてみれば、生命体としての同一性を保つために、免疫機構を備えていなければならない。

自分と他者を見分けて、自分の内部に外からの異質な力や存在が侵入してこようとすると、国家はすぐさまある種の免疫機構を発動させて、これを自分の外に押し出そうとする。

その際にはしばしば、武力が行使される。

いずれにしても国家と戦争は切っても切れない関係で結ばれているのである。

ところが「日本国憲法」は第9条において、「いかなる形であれ、国家間の紛争解決の手段としての戦争を放棄する」と言うのである。

免疫機構の比喩で譬えれば、日本という国家はその機構の最深部分で、みずから免疫機能を解除しようと思うと語っているのと同じである。


自らの存在の深部に、免疫抗体反応の発動を否定しようとしてきたものが、この世には二つある。

一つは「母体」である。

女性の体は自分の身体の内に自分とは異なる生命体が発生してきたとき、異物に対して敏感に反応するはずの免疫機構を部分的に解除して、その異物を数カ月にわたって慈しみ育てる。

もうひとつは「神話」である。

神話はかつて人間と動物は兄弟同士であったと語ることによって、お互いの間に発生してしまったコミュニケーションの遮断と敵対的関係を思考によって乗り越えようとしてきた。

「憲法9条」に謳われた思想は、現実においては女性の産む能力が示す「生命の思想」と、表現においては近代的思考に先立つ神話の思考に表明されてきた「ディープエコロジー的思想」と同じ構造で出来上がっていることになる。


他のどこの国の憲法も近代的な政治思想に基づいて書かれたものである。

だから当然のことながら、そこには生命を産むものの原理も、世界の非対称性を乗り越えようとする神話の思想も混入する余地を残していない。

ところが我が憲法のみが、その心臓部に他のどの憲法にも見出せない尋常ならざる原理を背負っているのだ。

「憲法9条」を世界遺産の一つとして考えて見る時に、はっきりと見えてくるこの国のユニークさだけは明瞭に示すことができたのではないかと思う。


      (引用ここまで・終わり)


               *****


なにか、言葉にしがたいひとつの理想の世界があるような気がする。。

二人が語っているのは、そういういわく言い難い一つの「理想の地」の感触なのだと思います。


なぜ“それ”は、「懐が深い」と感じられるのか?

なぜ“それ”は「過激」だと感じられるのか?

なぜ“それ”に魅力を感じるのか?

その問題をみつめることで、今の文明を相対化できた時、別の形の文明の在り方を見出す可能性があるのだと思います。

その「理想の地」への旅をすることが、若者のつとめであったのは、、昔のことなのでしょうか?



             (引用ここまで)


              *****

実に魅力的な会話でした。

〝これ″を、このように、言葉という〝虫取り網″に絡め取るのは、とてもとても難しいことなのだと、わたしは心から思うのです。



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再掲「1万年の先住民の魂を引き継ぐ・・爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」」(2)

2016-09-03 | 野生の思考・社会・脱原発



引き続き「憲法9条」について考察している対談を、2012年の当ブログから再掲します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

   
             *****

           (引用ここから)



「1万年の先住民の魂を引き継ぐ・・爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」(2)」
                              2012-02-23

爆笑問題の太田光さんと中沢新一氏の対談集「憲法9条を世界遺産に」のご紹介の続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



            *****
   

           (引用ここから)


中沢 アメリカの建国精神も、アメリカ先住民の平和思想との合作であったとすると、いろいろと面白いことが見えてきます。

アメリカ先住民の、戦争と平和に関する思想というのは、環太平洋のいろんな民族が共通に持っていた考え方の中から、一つの理念を抽出したものになっています。

人間の世界には、憎しみもあれば不正もあり、戦争はいつでも起こる可能性がある。

アメリカ先住民は、戦争は無条件に悪だなどは考えてはいないんです。

そこには立派な戦士たちがいる。

気高い戦士の精神をもった人たちがいて、その上に立って、平和な世界を作りだそうとしていました。

こういう考えは環太平洋の諸民族に共通の考えでした。

戦争と平和についての古い考えを探って行くと、意外なところで「日本国憲法」に通じている考え方を見出すことになります。


「日本国憲法」の精神の底流を流れているものはそんなに表面的なものじゃない。

もっと大きな人類的な思想の流れなんだと思いますよ。


太田 今この時点では絵空事かもしれないけれど、世界中がこの平和憲法を持てば、一歩進んだ人間になる可能性もある。

それなら、この憲法をもって生きていくのはなかなかいいもんだと思うんです。


僕らが闘うべき相手が何なのかは、分からない。

人間の作り出した神という存在なのかもしれない。

人の心に住む、何か他のものかもしれない。

その何かがいつも人間に突きつけてくるわけです。

人間はしょせん死んでいくものだ、文明は崩壊していくものだと。

でも、たとえそうであっても、自分が生まれて死ぬまでは挑戦していくほうにベクトルが向いてないと面白くないと思うんですよ。


秩序と無秩序、最近はエントロピーと言いますが、この社会はエントロピーが増大していくものだという。

でも、僕としては、そうは思いたくない。

人間は秩序を構築できる生き物であると、少なくとも、生きる態度として示したいと思う。

その証が「憲法9条」だと僕は思っているんです。

太平洋戦争が終わったときに、アメリカと日本が「日本国憲法」で表現したことは、アメリカの世界の古典をこっちに引っ張ってきて、表現してみせたことだと思うんです。

それを今の人間の都合で作りかえちゃいけない。

それをするのは世界遺産に落書きするようなものです。



中沢 「日本国憲法」は短かい歴史しか持っていないようで、実は1万年規模の歴史をもった平和思想なんですね。

環太平洋の平和思想というものの最高表現だ、とも思っています。

アメリカ先住民の思想がアメリカの建国宣言に影響を及ぼし、その精神の中のかすかに残ったものが日本国憲法に生きている。

それが日本民族の精神性と深い共鳴を持ってきた。

そう考えれば、「日本国憲法」のスピリットとは、1万年の規模をもった環太平洋的な平和思想だと言っていい。

だから決して新しいものではないのです。


             (引用ここまで・つづく)


                 *****


wikipedia「イロコイ連邦」より

アメリカ連邦政府との関わり

イロコイ連邦は、アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったため1779年に破れて、1794年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。

アメリカ合衆国国務省のパスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。

国連も認める独立自治領であり、1949年にはイロコイ族代表団はニューヨークの国連ビルの定礎式に招かれている。

アメリカ合衆国が1917年にドイツに宣戦布告をした際には、イロコイ連合は独自の独立宣言を発行し、第一次世界大戦同盟国としての地位を主張している。

独立した国家として、FBIなど連邦政府の捜査権も及ばない。

イロコイの連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、アメリカ合衆国が13の植民地を州として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係した、とする研究者は多い。

かつてアメリカ合衆国大統領は、就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。

イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。

1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。

イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、アメリカ合衆国の独立から憲法制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。

共和主義と民主主義の高潔な原理に基づいたイロコイ族の国家組織は、ベンジャミン・フランクリンを含む多くの植民地指導者の関心を集めた。

18世紀中を通して、彼らの五カ国の自治システムの中心にあった共和・民主の両原則は、白人の男性支配の哲学のなか、より正当で人道的な政治手法を捜していたヨーロッパとアメリカの政治体に組み込まれたのである。

合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連合としての「連邦制」など、イロコイ連邦から合衆国へと引き継がれたものである。



wikipedia「環太平洋火山帯」より

環太平洋火山帯は、太平洋の周囲を取り巻く火山帯のことで、火山列島や火山群の総称。

別名環太平洋造山帯とも言い、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界の2大造山帯とも言われる。

太平洋プレートを中心とする太平洋の海洋プレートが、その周辺の大陸プレートや海洋プレートの下に沈み込むことによって火山列島や火山群が形成された。

プレートの沈み込みに伴う物であるため、火山活動のほか地震活動も活発である。

太平洋プレートができた中生代以降に形成されたと考えられている。

日本列島やインドネシア、フィリピン、アリューシャン列島などの火山列島、またアンデス山脈、ロッキー山脈などが含まれる。

世界の2大造山帯ともいわれており、共に地震の多発地帯となっているが、環太平洋造山帯は火山を伴った活動が多いのに対して、アルプス・ヒマラヤ造山帯は火山が少なく褶曲が多い点が異なる。

基本的に、東太平洋では諸島、西太平洋では、大陸に付随する山脈を形成する事が多い。


              (引用ここまで)

                *****


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「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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「2008年9条世界会議」(1)記事再掲します」(6)まであり


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再掲「「憲法9条を世界遺産に」・言葉は世界を変えるためにある・・中沢新一・太田光対談」

2016-08-31 | 野生の思考・社会・脱原発




「憲法9条」について語り合っているこの対談、以前ご紹介しましたが、当ブログから再掲したいと思います。

9条を世界遺産にしようではないか?というアイデアは、お笑いタレントの「爆笑問題」の太田光さんのアイデアで、当時たくさん発言や行動をしていた学者・中沢新一さんとの対談は、なかなか読み応えがあります。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

               *****


             (引用ここから)

「爆笑問題vs中沢 「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある」
                       2012-02-18




http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012021402000030.html
脱原発「グリーンアクティブ」 「格差社会に抵抗 国民戦線」

                       2012年2月14日 東京新聞朝刊

          ・・・・・

 文化人類学者の中沢新一氏らは十三日、東京都内で記者会見し、脱原発などに取り組む市民団体「グリーンアクティブ」の設立を正式に発表した。

中沢氏は「原発に依存せず、むやみな自由主義や経済格差に抵抗する人々の力を集め、現状の政治を変えていく」と設立趣旨を説明した。

 団体は「緑の日本」と称した将来の環境政党を目指す部門など、四部門で運営される。環境保護と経済成長の両立を目指した「緑の経済人会議」も置く。

具体的な政策では脱原発を柱に据え、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)の推進反対、熟議の民主主義の構築などを訴える。

 中沢氏は「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えていく国民戦線をつくる」と強調した。

             ・・・・・


グリーンアクティブという政治組織を作って「日本の大転換」をめざすこととなった中沢新一氏ですが、大変意義深いことと思いますので、いろいろとご著書を読んでみました。

以下にご紹介するのは、お笑いタレント「爆笑問題」の太田光さんとの対談ですが、なかなか面白かったです。

「憲法9条を世界遺産に」というアイデアを発案した太田光氏と、中沢新一氏が敬意を込めて話し合っています。

二人の力量には何の差もなく、いい友人の楽しい会話という風で、読んでいても心地良さをかんじました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



          *****


        (引用ここから)


中沢  言葉の戦場を戦い抜くのは、ほんとうに難しい。

でも僕は今、多くの仲間たちに呼びかけたい。

言葉は世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが
使っているこの言葉に、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。


太田  平和の問題というのは、最終的には、人間の持っている愛とはなにかという問題に突き当たると思うんです。

愛が人類を破滅させる危険も十分にある。

愛がなければ戦争も起きませんからね。


 
中沢  あのナチズムの場合でさえ、血が結びあう共同体へのゆがんだ愛情が、ドイツ人をあそこまで連れていってしまった。

ほんとうに微妙なものなんですよ。

真理はいつも危険なもののそばにあって、それを求めると間違った道に踏み込む可能性の方が大きいんです。



太田  今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、愛情というものを履き違えていますよね。

人間の愛はもっともっと未熟で危ういものなのに、そうじゃないところに行こうとしているように見える。

誰かを憎んだり、傷ついたりすることはすごく人間的なことなんだけれど、そこを否定して逃げようとしているんじゃないか。

過去の戦争も忘れたふりをしている。

それじゃだめだろうと思う。

戦争や愛情から発生するネガティブな感情を否定することは人間そのものを否定することですよね。



中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいう「幼形成熟」ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。

矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。

たとえば神話がそうでしょう。

神話にはちゃんとした論理が働いている。

しかしその論理は矛盾を受け入れて、その矛盾によって動いています。

そうすると未熟に見えてしまうんですね。

普通の大人はそうは考えません。

現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。

効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。

僕も長いこと、お前はいつまでも未熟だと言われてきました。

しかし自分の内面にそう簡単に否定できないカオスがありますから、そのカオスを否定しないで生きて行こうとしてきました。


中沢 「ギフト」と言うドイツ語は、「贈り物」という意味と同時に「毒」という意味ももっています。

贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだ、とでもいう意味が込められているんでしょう。

昔の人達は、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。

だから矛盾を平気で自分の中に受け得入れていた。

絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じていなかったし、あり得ないと思っていたわけですね。

神話を通じて理想的な状況を考えようとしていた人々は、一方でとても現実的なものの考え方をしていた。

そういう思考法が、日本人には一番ぴったりくるんじゃないですか。

マッカーサーはよく言ったものです。
「日本人は精神年齢12才の子供だ」って。

12才といえばハリー・ポッターの年ですね。
その年頃の子どもはよく世界を凍らせるような真実を口にするでしょう?

日本人はそういう存在として人類に貢献すべきなんじゃないかな。



中沢  太田さんは「憲法9条を世界遺産に」というすばらしい発想をどんなシチュエーションで思いついたんですか?



太田  戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。

時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向き合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。

日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしよう、というアメリカ側の思惑が重なった瞬間に、ぽっと出来た。

これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境界すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だと思ったんです。

アメリカは5年後の朝鮮戦争でまた降りだしに戻っていきますしね。



中沢 グールドという生物学者は、生物の進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう抗争に入らないで、ゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも“幼児型”を保ち続けた生物が哺乳類として後のち発展することになったと言っています。

日本国憲法に関しても、それと同じことが起こりうると考えるべきだと思っています。

太田さんの言うように、日本国憲法はたしかに奇跡的な成り立ち方をしています。

当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後に日本人の後悔や反省の中から生まれて来たよいところがうまく合体しているんですね。

ところが政治の世界でこんなことが起こるのはめったにないことなんですね。

政治の世界の常識が出現をずっと阻止し続けていた“子ども”がとうとう現れてしまい、それで世界は変わらざるをえなくなった。

そういうものを葬り去りたいという勢力は常に存在してきましたが、かろうじて今まで命脈を保ってきました。

もしこれを簡単に否定してしまうと、日本人は確実になにか重大なものを失うことになるはずです。


      (引用ここまで・続く)

   
        *****


wikipedia「幼形成熟」より

ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。

ネオテニーと進化論

進化論においてネオテニーは進化の過程に重要な役割を果たすという説がある。

なぜならネオテニーだと脳や体の発達が遅くなる代わり、各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い。

そのことで成体になるまでに環境の変化があっても柔軟に適応することができるとされる。

たとえば脊椎動物の場合、それに近縁な無脊椎動物として重要なものにホヤ類などがあり、それらでは幼生で脊椎動物の基本に近い構造が見いだせる。

このことから、そのような動物のネオテニーが脊椎動物の進化の始まりであったとの説が唱えられた。

しかし異論もあり、たとえばより似通ったナメクジウオに近いものを想定する説もある。

また、そのような現生の動物にこだわらなければ、ホヤの幼生の様な姿の祖先的動物がいたと考えた方が簡単ではある。




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「チンパンジーより平和な「ボノボ」・・殺人する猿、しない猿。。」

「2008年9条世界会議」(1)記事再掲します」(6)まであり


「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般
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「憲法9条」を世界規模で拡大しよう・・「2008年9条世界会議」(6・終)再掲

2016-08-30 | 野生の思考・社会・脱原発




すっかり間が空いてしまいましたが、2008年5月に開催された「9条世界会議」のまとめとして行われた「大会宣言」をご紹介します。

これは当時ウェブ中継していたものをわたしが聞き書きして、当ブログに掲載したものの、再掲載です。



                *****

              (引用ここから)


「大会宣言に見る「環境と平和をつなぐ」方法」

(5月15日記す)

前回の日記に転載した「9条世界会議」大会宣言文の中から、これまで取り上げてきた
「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの話し合いに関わりのある部分をまとめてみた。


             ・・・・・

今日の世界における9条
    
    ↓

今日の世界は、武力紛争、大規模な貧困、格差の拡大、武器の拡散、
地球規模の気候変動に覆われている。


「9条」の原則を保持し、地球規模の平和と安定のための国際メカニズムとして強化することが、
かつてないほどに重要になっている。



9条と地球市民社会

     ↓

1990年代より、地球規模の市民社会が、草の根レベルで国境をこえて団結し、
人類の将来の決定に参加するようになってきた。

そして、平和、人権、民主主義、ジェンダーおよび人種の平等、環境保護、
文化的多様性といった課題について、主要な役割を果たすようになってきた。




9条の約束を実現する

     ↓

世界的に軍事費を削成し、限られた資源を持続可能な開発に振り向けることは、
地球規模で人間の安全保障を促進し軍事活動による環境への悪影響を
軽減することにつながる。

持続可能な開発に関する世界サミットおよび国連委員会は、各国政府および企業に対して、
地球の気候、水、森林、生物多様性、食料、エネルギー供給を保全するよう求めている。

同時に、気候変動は紛争の発生、悪化、助長をもたらす危険があり、
気候変動の過度の影響から地球を守ることに投資することが重要である。



わたしたちはすべての政府に以下のことを求めます

       ↓

11 地球規模の気候変動に対処することを誓約するとともに、戦争と軍事のもたらす
環境への負の影響を転換すること。

持続可能な地球を守り、クリーンで安全なエネルギーのための技術を促進し共有するような
「国際持続可能エネルギー機関」の設立にむけて投資すること。



わたしたちは日本の政府が以下のことに取り組むことを奨励します

       ↓


3 世界各地における持続可能な開発のための人間の安全保障に注力するとともに、
ミレニアム開発目標の達成という経済大国としての責任を果たすことによって、
国際社会で主導的な役割を果たすこと。



市民社会は以下のことに取り組むことを誓約します

        ↓

1 「9条」の主要な原則の維持・拡大を地球規模で促進していくごとに真剣に取り組み、
平和の文化を普及していくこと。


3 平和、人権、人道援助、軍縮、環境、持続可能な開発といった異なるセクター間の
協力を強めることで、能力を高め、効果的なネットワークを築くこと。

地元、地域、世界レベルでの市民社会の参加をより拡大するために、政府、国家機関、
国際機関との定期的な連絡チャンネルを設置すること。


6 不公平を生み環境を破壊し紛争を助長するようなグローバル経済の力の集中に対抗して、
平和、開発、環境に投資し、公正で非軍事的な経済をつくり出すこと。
 
       ・・・・・

      (大会宣言抜粋ここまで)


軍事費を削減し、地球規模で人間の安全保障を図る
地球規模の視野に立ち、持続可能なエネルギーを探求する
戦争、軍事による環境破壊を防ぐ
開発に関わる人間の安全に責任をもつ
環境を破壊しない経済をつくりだす
「9条」の主要な原則を維持、拡大することを、地球規模で促進する


これらのことを希求するべきであるということが、大会で話し合われ、
確認合意されたのではないかと思われる。

「9条」という言葉が、日本から巣立って、世界規模の概念として取り扱われていることが、
実感として、感じられた。

さまざまな問題を、大きな視野にたって、前向きに考えていきたいと思った。


wikipedia「市民社会」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%A4%BE%E4%BC%9A

wikipedia「ミレニアム開発目標」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A0%E9%96%8B%E7%99%BA%E7%9B%AE%E6%A8%99

wikipedia「グローバル経済」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

wikipedia「反グローバリゼーション」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3


           (引用ここまで)


            *****


今読み返してみると、この会議が行われた時点では、政治より環境問題が、より重点的に「9条」と結び付けて考えられていたように思いました。

8年の歳月をへて、世界はいっそう危険に満ちた状況に陥っていると思います。

この国が「憲法9条」を手にしていることを最大限に大切にして、これからも考えてゆきたいと思います。


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「いとし子よ 愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/27a5d895c4fb420f33f14ffeca5b6b4c

「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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安保と9条・ダグラス・ラミスさんの語り・・「2008年9条世界会議」(5)再掲

2016-08-16 | 野生の思考・社会・脱原発





引き続き、2008年5月に行われた「9条世界会議」のウェブ放送の聞き書きのまとめを、当ブログより再掲します。

次にダグラス・ラミスさんが登壇し、「安保と9条」という基本の部分に補足的指摘をされました。

その後プログラムは終了しました。

わたしの感想を含めて、再掲します。


              *****

             (引用ここから)

「夢見る力をはぐくみたい・・わたしの感想」

          (5月14日記す)

前回までの4つの記事で、「9条世界会議「環境と平和をつなぐ」シンポジウム」の聞き書きを記してきた。

リライト(まとめることで、元の言葉をいじってしまうこと)の責任を負ってまで、どうしても書き置きたいと思ったのは、やはりわたしにとって、とても興味深い、実験的な話の内容だったからである。

以下、わたしの感想です。



発言者たちの話に、コメントを求められたダグラス・ラミスさんが、

「9条の裏には日米安保があることを忘れてはいけない」と述べたが、

この話し合いでは、発言者たちは、その問題を視野に入れつつも、
極力ふれずに、「何とかしてそこを超えたものを探ろう」という視点が
強いように感じていた。

だからラミスさんのこの発言があったときには、来るべきものが来たと思った。


ラミスさんは、以下のように指摘した。

                  ***


沖縄に基地がいらないとか、辺野古が環境破壊だとか言っているが、

戦争になれば、それどころではない状況になることを忘れてはいけない。

今の日本を支配しているのは、9条ではなく、日米安保。

安保は見えにくいが、「9条と安保」の問題がある。

また、「経済成長と9条」は、セットでとらえられてきた。

「9条で平和をまもり、経済成長で豊かになる」、
というモデルがあった。

それを切り離し、マインドセットから抜けていく必要がある。                      

                 ***


このように指摘されると、それまでの議論は、やはりどこかしら空理空論に近い、
腰の弱さがあるように感じられた。

やはり“9条で戦争を放棄して、平和に生きることを選択する”、というのは、
空理空論のおめでたい理想主義なのだろうか?。。

ラミスさんに、理想主義と指摘され、さて、何と答えればいいのだろうかと、
わたしも身を硬くして、考え直した。


実際、今の日本の現状では、〝平和を守る″、ということが、

“安保で保障されている平和を守っているにすぎない″、

という状況が、盲点になって見えないでいれば、平和ぼけである。

平和を維持したいと望む気持ちが、軍備がはりめぐらされているという事実の、
かくれみのになってしまう。



それでは、日本が安保を捨てて、かつ戦争放棄ができるのか?、

という話になると、日本とただ二国、戦争放棄をかかげているコスタリカも、
アメリカの羽の下の安全、という側面があるし、問題はふりだしに戻ってしまう。

「環境と平和」、というお題に対して、「戦争は環境を破壊する」という観点は
誰にも等しく共通だけれど、、。


「戦争になれば、環境破壊など問題にしている状況でなくなる」、という現実優先の論理と、

「環境保護問題の革新性=環境破壊も戦争だ、人間と環境はつながっている」をうったえる論理のすれ違いは、

この問題の持つ大きなテーマではないかと思った。


それは、理想のもつ力と限界という風にも見え、人間の本質は善か悪か、
の定義に立ち戻ることとも言えると思う。

そして、人間は善か悪か、と考えるとき、

「日本という国家が9条を持ち、国家として武力を放棄している」、という事実は、ひとつの状況証拠として、大変貴重なのではないかと思われる。

なぜなら、「9条」から話を始めることで、従来の性悪説に基づく人間観、
を超えることができるからだ、、。

戦わない人間、殺さない人間、、そのような人間観から、人間を語ることができるからだ。

だからこそ、世界中の人々が、「9条」を持っている日本という国の奇跡を尊重し、
「なんと奇跡的なことだろう!」と、驚愕するのだと思う。

だとすれば、、この既成事実に立脚しないという手(脚?)はないのでは
ないだろうか?。

この既成事実を手放す手はないのではないだろうか?


“9条のもつ可能性”と、そこにある“もう一つの人間のすがた”を「夢見る力」について、これからも考えていければ、と思っている。


憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


はてなダイアリー「ダグラス・ラミス」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C0%A5%B0%A5%E9%A5%B9%A1%A6%A5%E9%A5%DF%A5%B9


wiki「コスタリカ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB


            (引用ここまで)


              *****


wikipedia「ダグラス・ラミス」より

ダグラス・ラミス(1936年 - )はアメリカ合衆国の政治学者、評論家。専門は政治学。日本在住。
サンフランシスコに生まれ、カリフォルニア大学バークレー校卒業。
1960年に海兵隊員として沖縄県に駐留。
1961年に除隊後、関西に住み、「ベ平連」の一員として日本での活動を始める。
1980年津田塾大学教授。2000年退職。
以後は沖縄に移り住み、非常勤講師を勤める傍ら、執筆や講演活動を行っている。
日本人論批判で知られ、のち平和運動家、また文筆活動をする。

ウェブマガジン「マガジン9」HP中にあるインタビュー記事



「この人に聞きたい・ダグラス・ラミスさんに聞いた沖縄と9条と日米安保」


上にリンクを張ってご紹介しているインタビュー記事で、ラミスさんは「今、〝9条はすばらしい″と言う人には、日米安保をよく理解していない人が多くいる」と述べていました。

わたしなどは、「9条保持」も大切だけれど、まずは「反安保」が前提に来るのが当然という感覚があるので、この問題は口が重くなりがちです。

「9条守れ」と言うとピースサインが返ってくるけれど、「反安保が基本」、と口にすると、「ダサい」「時代遅れな感覚だ」という反応が返ってきて、驚くことがあるのは事実なのです。


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「ハチドリのひとしずく・エクアドル・コタカチ州知事の語り・・「2008年9条世界会議(4)」再掲

2016-08-14 | 野生の思考・社会・脱原発



引き続き、2008年5月に開かれた「9条世界会議」の聞き書きを、当ブログより再掲します。

               *****

              (引用ここから)

「ハチドリのひとしずく・・アウキ・ティトゥアニャさんの語り」


(5月10日記す)

前回の記事に続き、9条世界会議「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの備忘録。

3人目は、南米エクアドル・コタカチ州知事就任12年目の、
アウキ・ティトゥアニャさんだった。

アウキさんは、

「デモクラティア」とは、「民衆の力」という意味の言葉である。

しかし今世界に民主主義はあるだろうか?

ない。

民衆には力がない。

だから民主主義もまた、ない。

石油の力がある。ドルの力が、テレビの力がある。


川を渡ろうとするなら、水に入らなければならない。

我々は参加しなければならない。

変革は、参加によってうまれる。


500余年の状況を超えて、民主主義を作り出すこころみがなされている。

「先住民の知恵」は、人々の政治的な意思と、政府の政治的な意思が、
同時になければならないと考える。

責任あるビジョンが必要だ。


先祖代々の3つの原則がある。

なまけものにならない
うそをつかない
盗まない


これが今までの政治への、われわれの答えである。

我々の働き方のかぎは、大きな集会をすること。

あらゆる人がみんなで集まり、みんなで話し合う。

不透明性や腐敗を追い出す日を定める。

いっしょに成功し、いっしょに失敗し、みんなで担い合おう。


そして我々は12年つねに勝利しつづけてきた。

かぎは、「対話」だ。

多文化の人々の話し合いだ。

経済や投資、予算も、100パーセント住民参加型で準備する。

平和を構築するためには、「対話」が重要だ。

我々は、腐敗した政治家、資本家がコタカチを食い物にすることを、

わたしたちの森や水を汚染し、社会をくずすのを、くいとめてきた。


エクアドルの軍事費は25%~30%。

長年アメリカの属国だった。

今や通貨もドルだ。

しかし、〝すべてのものをするための時間はある″、と言われる。

9条をもつエクアドル、
軍隊をもたないエクアドル、
エコなエクアドル

に向かう筋道を。


それは可能か?


今コタカチは非武装。

エクアドルは、コロンビアの脅威もあり、すぐに非武装にはできないが、

9条をかかげ、段階的にへらすことは可能である。

現にある雇用、産業を、どう転換するか?

環境教育者や、森の世話の仕事を。

環境危機だから、環境問題に取り組む必要があるのだ。


コスタリカでは、

空軍は、鳥でいい
陸軍は、蟻でいい
海軍は、さかなでいい

という。

我々は様々な攻撃を受けてきた。

だから我々は、戦争をにくむ。

だから我々は命と平和を愛する。


南米に伝わるハチドリの話をしよう。

森が火事で燃えていた。

森の生き物はみんな逃げていった。

でも一匹のハチドリだけは逃げなかった。

くちばしで水を一滴づつはこんで、火の上に落とし続けた。

動物たちがそれを見て、

そんなことをして何になる?ときいた。

ハチドリは答えた。

わたしはわたしに出来ることをしているだけです。


わたしが出来ることを、わたしがする。

一人一人が、できることをやっていきましょう。
               (文責veera 聞き書き)

             ・・・

実際に12年間州政治の変革に取り組んでいる人の、威風堂々たる演説だった。

9条との関連について、進行役の辻信一氏が補足した分は、次回に載せる。




憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

ナマケモノ倶楽部HP「エクアドル・コタカチ」
http://www.sloth.gr.jp/ecua/cotacachi_basic.htm

wiki「コスタリカ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB

「いま静かなブーム・・ハチドリのひとしずく」
http://allabout.co.jp/family/volunteer/closeup/CU20060830A/



           (引用ここまで)

              *****


実に、大変気高い精神を、感じます。

自分の卑しさを恥じずに読むことはできません。。

最近では、国際会議で発言されたウルグアイ大統領の発言が印象的でした。

「世界一貧しい大統領と呼ばれた男ムヒカさんの幸福論」2016・03・31朝日新聞 デジタル



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「いとし子よ 愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言」

「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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イロコイ連邦の平和の法・星川淳さんの語り・・「2008年9条世界会議」(3)再掲

2016-08-13 | 野生の思考・社会・脱原発



引き続き、2008年5月に開催された「9条世界会議」のネット配信の聞き書きの記事を、当ブログより再掲します。

今度の話り手は、「グリーンピース」の元代表であり、著書・訳書多数、北米インディアンが先祖から口承で語り継いだ1万年にわたるアジアから北米への移動の驚異的な記録「1万年の旅路」の翻訳者でもある、星川淳氏です。

 
               *****

             (引用ここから)


「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」

(5月8日記す)

前回に続き、9条世界会議の「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの備忘録。

二人目の発言者は、グリーンピース代表の星川淳氏だった。


星川氏は、

環境・エネルギーの問題は、自分たちをどう治めていくか、つまり、自治の問題だ、といえる。

人間には、グッドマインド、、理性、良い知、というべきものがある。

かつて12世紀、北米の東海岸に、イロコイ連邦というものが出来た。

当時熾烈な争いを繰り返していたインディアンの部族の中に、
ピースメーカーと呼ばれる人があらわれて、大変な努力をして、
部族間の争いをやめさせた。

すべての部族をまとめて、一つの“連邦”を作りあげた。

このイロコイ族が、“合衆国”の作り方を、米国人に教えた。

だから、日本の憲法はアメリカの押し付けだという人もいるが、
アメリカの先住民のいとなみから来ているとも言える。


「イロコイの大いなる平和の法」と呼ばれるものがある。

それは、武器をすてる、非戦の考えである。

この考えは、アメリカにはないが、日本にはある。

モンゴロイドからモンゴロイドに、「9条」が戻ってきたともいえる。

六ヶ所村は、たくさんの問題をはらんでいる。

再処理の技術が確立されていない状態は、トイレのないマンションのようだ。

未来への責任はもてるのか?

日本が、全然経済性のない核、プルトニウムにこだわるのは、
核武装できるオプションをとっておきたいためでは?

最近は、あたりまえ、いいじゃないか、という空気をかんじる。

マスコミ、メディアは全然機能していない。

これでは第二の戦艦大和だ。

負けるのがわかっているのにスタートする。

このまま行けば、ひどいことになる。

お金と人材は二度は使えない。

原子力に使うと、省エネには使えない。

どちらに使うかの分かれ道だ。


2050年までに原子力を半分にする、これは世界の平均値。

温室効果ガスの排出をへらし、気温上昇を2度以下におさえなければ。

日本は二酸化炭素を削減しなければいけない。

核物質があふれる世界作りにお金をそそいでしまっている。

2020年までに自然エネルギー、省エネルギーに大シフトしなければならない。

エネルギーの消費を30パーセント落とそう。

そのためには、

「まず原子力をはずそう、全然解決にならないからはずそう」、
というシナリオが必要。

自然エネルギーで70パーセント供給することをめざしたい。

年4パーセント削減で、複利計算で、80年までに80パーセント削減できる。


この世界は、安心で、壊れてしまわない、という感覚がなければならない。

自分がもっているものを花開かせられる気分が必要。

そのためには、たくさんのイエスとノーを言わなければならない。

たくさんのDO、やることと、BE、ありようで。

生きてきた恵みのかぎりを、在り尽くし、やり尽くす。

なににノー、イエスを言うかのわざをみがく必要。

民主主義はまだまだ発展途上だ。

たくさんの工夫をこらさなければ。

最終的にどういうことになるか。

自分の望む在り方、生き方を。

みんなで作っている社会だ。

安保、基地は9条違反だ。

安保闘争は70年でとだえたが、2010年を安保を考え直すときにしたらどうか。

パックス・エコノミカ(経済均衡による平和)に代わる、パックス・エコロジカ(生態学的均衡による平和)を。

         (文責 veera 聞き書き)

         ・・・

と、熱く語った。

たくさんの「DO」と「BE」を、という言葉が心に残った。

ひょうひょうとした、知的なさわやかさが印象的だった。



憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

wikipedia「イロコイ連邦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E9%80%A3%E9%82%A6

温暖化
http://contest.thinkquest.jp/tqj2001/40218/ondanka.htm

greenpeace「六ヶ所村核燃料再処理施設とは」
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/plutonium/rokkasho/


          (引用ここまで)

            *****

今、改めて読み直すと、

「生きてきた恵みのかぎりを、在り尽くし、やり尽くす。」

という言葉にも、ぐっときました。

こういう言葉は、本当にまっとうに苦しみぬいてきた人にしか出せる言葉ではないということが、年を重ねるとわかってくるように思われます。

そう、、9条支持者は、大人なのだ。



Amazon.com「1万年の旅路」(ポーラ・アンダーウッド著星川淳訳)より

イロコイ族の系譜をひく女性が未来の世代へ贈る
一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路

アメリカ大陸に住む、インディアンとも呼ばれるネイティブ・アメリカンの人々は、その昔ベーリング海峡が陸続きたっだころベーリング陸橋をわたり、アジア大陸へ渡ってきたモンゴロイドの子孫だという説が定着しつつある。

「一万年の旅路」は、ネイティブアメリカンのイロコイ族に伝わる口承史であり、物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住していたアジアの地を旅立つ所から始まる。

彼らがベーリング陸橋を超え北米大陸にわたり、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの出来事が緻密に描写され、定説を裏付ける証言となっている。

イロコイ族の系譜をひく著者ポーラ・アンダーウッドは、この遺産を継承し、それを次世代に引き継ぐ責任を自ら負い、ネイティブ・アメリカンの知恵を人類共通の財産とするべく英訳出版に踏み切った。

wikipedia「星川淳」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%B7%9D%E6%B7%B3


ブログ内関連記事

「いとし子よ 愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言」

「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「海は怒れる山のごとく立ち上がった・・「一万年の旅路」の記憶(1)」(10)まであり


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トウモロコシを燃やさない選択・・「2008年9条世界会議」(2)記事再掲

2016-08-12 | 野生の思考・社会・脱原発


引き続き、2008年5月に行われた「9条世界会議」の講演の聞き書きを、当ブログより再掲します。

         *****

      (引用ここから)


「トウモロコシを燃やさない選択・・アリス・スレーダーさんの語り」

                        (5月07日記す)


前回書いた「9条世界会議」の「環境と平和をつなぐ」というシンポジウムをWEBテレビで見た。

備忘録に、メモをまとめてみる。
9条と自分の関係を考えてみたいので。

3人の話なので、一人ずつまとめてみる。

最初に話をしたのは、核時代平和財団のアリス・スレーダーさんという方だった。

アリスさんは、

9条は、日本だけのものではない。

環境破壊は、自然への戦争である。
9条を拡大解釈すると、9条はその戦争に対抗するものとして、
世界的な意味合いを持ちうる。


地球上の生物は相互依存している。
9条は環境・生態系への戦争、破壊を防ぐものとなりうる。

代替エネルギーは今すでに可能なのに、私たちはそれを知らされていない。

原子力を段階的に廃止していかなくてはならない。
原子力廃棄物は、25万年影響力をもつ。
日本では45トンのプルトニウムが蓄積されている。
六ヶ所村の原子力施設の稼動で、2012年までの4年で、30トン増える。
代替エネルギーに変えるべきである。
日本は地熱と風力で発電をまかなえるのではないか。

世界の125兆円の軍事費を、生き延びるために使うか、
殺すために使うかの選択がある。

食料のトウモロコシをもやして車のために燃やすなんて、いやだ。

私たちは、自分たちがほしいものを知っている。
深遠なるビジョンも持っている。

私たちは質のよい、安全なクリーンなエネルギーを求めている。
私たちは世界を変えられる。
          (文責 veera 聞き書き)

と力強く語られ、大変説得力があった。


9条も戦争の概念も拡大解釈した上でのお話ではあったが、平和と環境、
9条と環境、というお題でどういう話をされるのかと思っていたので、
なるほど納得であった。


憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

ブログ「メディアサボール」矛盾だらけのバイオエタノール
http://mediasabor.jp/2007/07/post_154.html asahi.com

「新エネルギー覇権争い」
http://www.asahi.com/special/070110/TKY200802060298.html


            (引用ここまで)

             *****


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「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

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2008年の「9条世界会議」(1)記事再掲・・9条関係を再掲します。

2016-08-11 | 野生の思考・社会・脱原発



敗戦の日近くになりますと、たくさんの方々が、永井隆氏の遺言「いとし子よ」を、当ブログ奥深くに埋もれているにも関わらず、読み直しに来てくださいます。

そこで、同じく埋もれている記事として2008年5月4日から行われた「9条世界会議」をネットで視聴した時の聞き書き記事など、あれこれ連載再掲します。

他の、昔書いた9条関係記事も再掲します。

お読みいただければ幸いです。


              *****



            (再掲ここから)


「9条世界会議、幕張で開催・・2008・5・4」
     

(5月3日記す)

憲法9条をめぐる「9条世界会議」が、明日から千葉の幕張メッセで開かれる。

憲法9条は、平和の手段たりうるか、それとも敗戦の遺物なのだろうか。。

憲法記念日は、憲法について思いをはせたい。。

     
                ・・・・

戦後60年たったから、新しくしなくちゃという発言も一部あったけれど、
60年以上も平和を守ってきた9条だから、もっと考えて、もっと大切にして!

 そう痛感して世界から9条へのメッセージを携えた人たちがやってくる、

それが『9条世界会議』です。

ノーベル平和賞受賞者や平和問題に取り組む人たちの話に耳を傾け、
ときに意見交換したりと、彼らとシェイクハンドするのは会場に足を運んでくれるみなさん。

ライブや研究発表、映像コンペなど、企画して、参加するのも自由。

誰かが企画するのを待ってないで、どんどん参加する、創っていくのが、
この新しい世界会議のスタイルです。

まずは、仲間と声をかけあってみよう。何がやりたい? できることは何? 

とりあえず、はじめの一歩を踏み出してみよう。

      (「9条世界会議公式HP」より)

                ・・・・

4日は基調講演
5日は分科会
6日に大会宣言

もりだくさんの話し合いがあります。

「9条世界会議」公式HP http;//whynot9.jp
「グローバル9条キャンペーン」HP http://www.article-9.org/

本部は、NPOピースボート内
呼びかけ人は伊藤真氏、辻信一氏ほか多数



「ミクシィ“9条世界会議”コミュニティ」よりスケジュールをコピーします。


              ・・・・
        
          (引用ここから)


【日時】
2008/5/4(日)~6(火・祝)

【場所】
幕張メッセ

【内容】

■□■5/4(日)■□■

<9条を考える 全体会>

開場:12:30
開演:13:30(21:00終了予定)
幕張メッセ・イベントホール 定員7000名

◆初日を盛り上げる音楽ライブ、”9ALIVE”出演アーティスト◆

UA
加藤登紀子
FUNKIST
原田真二
亀淵友香
高橋竹山
ナターシャ・グジー
普天間かおり
AINU REBELS

◆その他、講演などもりだくさん◆

ゲスト
マイレッド・マグワイア(北アイルランド/1976年ノーベル平和賞受賞)
コーラ・ワイス(アメリカ/ハーグ平和アピール代表)
雨宮処凜(作家)
池田香代子(翻訳家)
伊勢崎賢治(東京外国語大学)
伊藤真(伊藤塾塾長)
C・ウィラマントリー(元国際司法裁判所判事)
香山リカ(精神科医)
キャサリン・サリバン(軍縮教育家)
品川正治(経済同友終身理事)
高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
辻信一(NGOナマケモノ倶楽部)
星川淳(グリーンピース・ジャパン)
ベアテ・Sゴードン(元GHQ日本国憲法起草者)
水島朝穂(早稲田大学教授)
湯川れい子(作詞家)


■□■5/5(月・祝)■□■

<9条を生かす 分科会>
開場: 9:00
開演:10:00(19:00終了予定)
幕張メッセ・国際会議場 定員3000名

◆シンポジュウムはじめ特別フォーラム、ワークショップなど◆


■□■5/6(火・祝)■□■

◆まとめの総会、記者会見など◆


【チケット】
5/4(日)全体会・音楽ライブ(イベントホール)
前売り券1,000円/当日券1,500円(中学生以下無料)
※音楽ライブもこのチケットで見られます


5/5(月) 分科会(国際会議場)
前売り券1,000円/当日券1,500円(中学生以下無料)

ローソンチケット 
全国ローソン(店内Loppi)にて発売中 <Lコード33580>0570-084-003

【お問合せ先】

9条世界会議実行委員会
Tel 03-3363-7967 Fax 03-3363-7562

【公式サイト】
http://whynot9.jp


           (引用ここまで)

               ・・・・


なお、このイベントはスティッカムTVというところで、web中継をするそうです。


また、2月24日に広島を出発した9条ピースウォークが、4日同会場に到着です。

9条ピースウォークHP
http://homepage3.nifty.com/peace_walk/Welcome.html


          (再掲ここまで)

          *****


わたしのこのブログ「始まりに向かって」は2008年から作っていますが、2008年当時、ミクシィの日記に書き溜めたものをブログの形にしていくことで、骨子を作っていきました。

これからも、気合入れていこうと思います。


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〝平成大合併″の後に残るもの・・離島に、日本の未来を見る(2)

2016-02-26 | 野生の思考・社会・脱原発



「島国の島々ーニッポンの「これから」を訪ねて」

           朝日新聞・別刷り「globe」2016・01・03

からのご紹介を続けます。


                  ・・・・・

〈沖縄県・南大東島〉

「サトウキビ畑に、吹き付ける風」

8月に南大東島を訪れた。

台風情報でよく耳にする太平洋の島だ。

那覇から東に360キロ。

夕暮れ、島の集落の飲み屋や食堂では、仕事を終えた人たちの大きな笑い声が響いた。

約1300人が住む島では、秦r櫛との4割をサトウキビ農家が占める。

島では、面積の9割はサトウキビ畑だ。

島は昨年、「環太平洋経済連携協定(TPP)」をめぐり大きく揺れた。

サトウキビから作る砂糖の価格は、外国産の数倍はする。

世せ当なら1キロ103円という高い関税があって、外国産はほとんで輸入されてこなかった。

TPP交渉のする、安い外国産が入ってくれば、壊滅的な打撃を受けることは必至だ。

結局、関税の大枠は残ることになった。

「聖域なき関税撤廃」を唱えていた英国自身が、米国内の精糖メーカーを守る必要があったことなども、島にはプラスに働いたようだ。

でもこの間、島では投資をためらう農家もいて、TPPに振り回された1年だった。

南大東村産業課の担当者は「とりあえず、ホッとしました」と語る。

その「島の宝」から、新たな名産も生まれた。

グレイスラム社が製造するラム酒だ。

島のサトウキビ、そして海水から作られた身ぅが言ぁ医療

海水を淡水化施設で真水に変える。

蒸留の際には、磯の匂いがするそうだ。

この2つの島の素材によって、他のラムには無い、独特の味と香りを醸し出せるという。

フランスなどへの輸出実績も、積みつつある。


            ・・・・・
関連観光HP
「南大東島」HP


            ・・・・・




〈長崎県・小値賀島〉

「ここは半分が外国。大陸と国境を接しているのだから」


日本中で、「平成大合併」が進められた。

だが小値賀町は2004年、高速船で1時間半の距離にある、佐世保市などと合併しない道を選んだ。

現在の人口は2600人。

長崎県で最も小さな自治体だ。

町民の数は、ピークだった1950年の11000人から減り続け、高齢化も進む。

そんな島を「美しき日本の残影」などの著作で知られる東洋文化研究家アレックス・カーが2005年に訪れた。

島の魅力に感動し、「日本の本来の豊かさがある」と評したことをきっかけに、「島おこし」が始まった。

2006年にスタートした「小値賀アイランドツーリズム事業」は、カーの協力で、島の古民家を改築して宿泊施設にし、島民の暮らしを一緒に体験してもらう「民泊」なども展開する。

事業は軌道に乗り、最近は一般の観光客や修学旅行生ら、年間のべ4万人が島を訪れている。

町の観光事業に携わってきた「アイランドツーリズム協会」は、

「観光は手段でしかない。目的はこの島が抱える過疎や高齢化などの地域問題を解決すること」だと言う。

「民泊」した人たちが「良い島だ」と言ってくれて、島の人間が自分たちの島の普遍的価値を再確認する。

すると本土に出た自分たちの子供にも「戻ってきたら」と言えるようになってきた。

最近、30代の「Uターン」、「Iターン」も少しずつ増えてきたと手ごたえを感じている」と語った。


                   ・・・・・

関連観光HP
「おぢか島旅ーおぢかアイランドツーリズム協会」HP


                   *****



島というのは、孤立した一つの大地であり、また、海の中の土のひとくれでもあり、海を伝ってはるかな場所へ至る道すじでもあり、虚飾に満ちた文明を捨てたいという思いで「島」を思う人にとってのあこがれの場所でもあると思います。

人類が、遠い昔から、島伝いに世界を旅してきたことは知られています。

「今、わたしたちは、どこに行こうとしているのでしょうか?」

それは、「今、わたしたちは、どこに居ようとしているのでしょうか」?という問いでもあると思います。

旅することと、旅を終わらせること。。

人類の長い夢物語の一こまなのだと思います。


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「ゲートウェイとしての国境という発想・・ボーダーツーリズムの試み」

「42000年の旅路・・ボルネオのニア洞窟」

「東北と関東の縄文人の系統は別・・DNAを読む」


「丸木舟の記憶・・北海道のフゴッペ洞窟」


「アマテルとアマテラス(1)・・日の神アマテラスと、月の神」(3)まであり


「梅も僕も 黒豚もいる 大地かな・・屋久島で豚を飼った山尾三省」

「山尾三省の遺言・・清らかな水と 安らかな大地」



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