2012年に行われた「九条の会」の講演会の記録から、発起人のお一人・奥平康弘氏の講演のご紹介を続けます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
「僕たちが選び取ってきたもの」
加藤典洋という著名な文芸評論家がいます。
彼は今から十数年程前に「敗戦後論」という本を書いて、日本は〝敗戦‴をどういう風に受け止めたのかということを論じています。
彼は「我々は、押しつけられた憲法を押しつけられたままでいたんじゃないか?
我々はそういうところから出発せざるを得なかった。
すなわち、押し付けられた憲法から出発したんだ、ということをきちんと自覚し、そしてその部分について〝再び自分が選び取る″べきだ」という趣旨のことを書いています。
〝選び取る″とはどういうことか?
ぼくがそこで想起するのは、砂川大訴訟があります。
この訴訟はものすごいエネルギーを要しました。
そういう過程で、「憲法9条」のあの平和主義を、僕らはただ単に見ていたのではなくて、僕たちも一緒になって守ろうとしてきた。
そういう形で僕たちは〝選び取った″。
それをずっと続けているんです。
「憲法9条」に関する訴訟においては、まごうかたなくその時その時にその状況に合わせて、私たちは他のなにものでもない「9条」を、そして他のなにものでもない〝9条の〝あの魂″・・人は理想論と言うけれども・・″を選び取ってきた。
それは55年体制以降も、そして今に至るまでも、そうなんです。
「自衛隊があったからと言って困ることないじゃないの?」「自衛隊も一緒にやってるんだから、なにも「憲法9条」を改正する必要はないじゃないか?」という議論がまた流行っています。
つまり「自衛隊は国民にもう受け入れられているし、何も困ることないじゃないの」という種類の「改正反対論」、「改正消極論」があります。
それに対して先ほど「敗戦後論」の筆者として紹介した加藤氏には「さようならゴジラたち。戦後から遠く離れて」という、さらに十数年後の「敗戦後論」を書いた著書があるんです。
彼は前の本では「「9条」は押しつけられた憲法だ、だから自分で再び選び直せ」、と言っていました。
今はもっと危機が迫っていると言っていい時期ですけども、彼は相変わらず「自分で再び選び直せ」という言葉を書いています。
人々が、「自衛隊だって、いて困ることないじゃない?」
3・11で助けてもらったじゃないか?
あれはあれでいいじゃないか?
なにも憲法改正する必要がない」。
と、結構言う中で、「いやちょっと待って」と加藤さんは言います。
「この「憲法9条」は一体何を戦後に、日本に、日本の国民に、与えてきたのか・・?
一言で言うならば、〝高邁(こうまい)な理念″である。
これは失うべきものであってはならない」
ということを言っています。
さすが文学者というものはこういう観点をもっているのだと思って、感心してお話しするのです。
本当のところをいいまして、〝あの理念″は歴史のある一駒に生じた偶然の出来事です。
それが、本当に幸いにして〝選び取られた″のです。
亡くなられた加藤周一先生がいつも、個人的な会話の中で言われていました。
「押しつけれたからと言ってなあ、そのこと自体は中身が良ければいいじゃないか」。
「9条」も、「押しつけられた」と言う人がいるかもしれないけれども、あの〝高邁な理念″というものを押し付けられた僕たちが、僕たちの感度に合うものとして、それを承認し、〝選び取ってきた″。
一つ一つの裁判で争うという、抵抗し続けるという形でそれを選び取ってきたんです。
「陸空海軍その他の戦力はこれを保持しない」という「9条」に鑑みて争われた裁判があって、無防備であるとか、戦争しないとか、自衛権がどうのこうのというような議論がずっと今に至るまで引きずられている中で、しかし「9条」はいかなる字句の改正もなしに今に至るまで僕たちは持っている。
「これが気に入らん、これを気に入るようにするためには直してしまわなくてはけない」、と自民党の改正案が出てきたりしています。
自民党の改正案の場合も、96条改正という大阪市長の提言が出てきているわけですね。
「9条」の改正だけをするということは、彼らは避けました。
避けたのは、いついかなる世論調査をしても「9条」は人気がある。
だから「9条」を直接めがけないで、水増しして全文改正を提言しているわけです。
そしてその中心になっているのは明らかに「96条」なのです。
「現行憲法は、あるはまたそれにもとづく改正手続き法も、当然のこととして、衆参各議員の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がまず発議する」となっていて、彼らにとってはこれがネックになっている。
転機をみいださなくてはならないというので、自民党の最新の日本国憲法改正草案では、「この憲法の改正は衆議院または参議院の議員の発議により両議員のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民
に提案して、その承認を得なければならない」としています。
3分の2と過半数との違いは小さな数字みたいに思われがちなほど、技術的な要素だけに絞っているけれど、改正を装って「9条」の改正を目論んでいるのです。
ぼくたちが持っている「憲法の魂」を、「空虚な理想論」だなんて言わないで、「今一度我々は選び取ろう」、ということをぜひ提言したいと思います。
(引用ここまで・終)
*****
講演にでてくる「砂川事件」について、2014年に解説された分かりやすい文章がありますので、ご紹介させていただきます。
*****
(引用ここから)
「THE PAGE 砂川判決がなぜ集団的自衛権の論拠に? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語」より
2014.05.07
集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈見直しへ向けた議論が来週以降、本格化します。
安倍首相や自民党幹部らは、集団的自衛権の行使容認の論拠として、1959年の「砂川事件」判決を持ち出しています。
「砂川判決」とはいったいどんな内容だったのでしょうか。
「砂川判決」の概要
砂川事件とは、東京・米軍立川基地(1970年代に日本に返還)の砂川町(現・立川市)などへの拡張に反対する「砂川闘争」の最中に起きました。
57年7月に反対派が基地内に立ち入ったとして日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)で、学生ら7人が裁判にかけられました。
被告人は根拠法すなわち安保条約やそれに基づく米軍の駐留が憲法に違反しているから無罪と主張。
東京地裁は「憲法9条に」駐留米軍は違反するとして全員無罪の判決を出しました。
いわゆる「伊達判決」です。
法律や行政のあり方が憲法に照らしてどうなのかという「違憲審査権」は地方裁判所も持っています。
ただ「違憲」の場合は通常の高等裁判所への控訴を飛び越して最終判断する最高裁へ上告できるので、検察官は上告しました。
1959年12月に出されたその最高裁判決で、「憲法は」「自衛のための措置を」「他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではな」く「外国軍隊は」9条の「『戦力』には該当しない」としました。
では「自衛」とは何かという点に関して、9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定して」おらず「わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使である」としました。
これがいわゆる「砂川判決」です。
地裁判決は破棄差し戻しとなり、再びの地裁判決は有罪(罰金2000円)で上告棄却された63年に確定しました。
「自衛権」を明確に認めた判決
それでは、なぜ集団的自衛権の行使の論拠になるのでしょうか?
まず最高裁判決で「自衛権」を明確に認めている点です。
憲法を改正せずに内閣の解釈変更だけでどうにでもなるのであれば、憲法を事実上無力化するに等しいとの立憲主義からの反発が根強いため、「集団的自衛権がある」としたい安倍政権は、ならば違憲審査権の総本山たる最高裁の判決で権威化しようと考えたのでしょう。
「主権国として有する固有の自衛権」として集団的自衛権「行使」が認められると判断する材料として国連憲章51条があります。
「武力攻撃が発生した場合は」「個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」が挙げられます。
憲章は45年に制定され、日本の国連加盟は56年。
砂川事件の最高裁判決はその後なので、当然「固有」の「自衛権」「権利」を推認し得たはずという論法です。
なお砂川判決を持ち出してまで現政権が進めたいのは、集団的自衛権の「限定容認」。
背景にいわゆる「地球の裏側論」があります。
日米同盟に基づいて米軍が地球の裏側で戦っていたら自衛隊も参戦するのかと。
そうではなくあくまで最小限度に止めた個別的自衛権に果てしなく近い事態を想定しているようです。
「論拠化」への否定的な見方は?
真っ先に思い浮かぶのは「何が悲しくて砂川を持ち出すのか」という反発。
この事件は当時盛んだった米軍基地反対闘争の一環と一般に認知されており、事件名も日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反です。
それが違憲か合憲かを具体的に争ったのが裁判本来の目的で、自衛隊に集団的自衛権があるかどうかまで見通したとは到底思えないという認識が強く存在します。
何しろ自衛隊の発足は54年。
当時は自衛隊そのものが「9条」に違反しているという声も強い時代でした。
あれは「保持しない」はずの「陸海空軍その他の戦力」そのものだと。
これに対して歴代政権は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」けど9条2項の「前項の目的を達するため」「認めない」から「前項の目的」でない個別的自衛権、当時盛んに使われた言葉だと「専守防衛」のみ認められると答弁してきました。
まして海外派遣にいたっては、90年代に入って国会がもめにもめたPKO(国連平和維持活動)協力法成立まで、おそらく自衛隊や防衛庁(当時)すら意識していなかったと思われます。
今回の件が出てくるまで砂川判決で集団的自衛権を説明しようとしてこなかったし、近年アメリカで開示された公文書で、焦点の最高裁判決を下した裁判官がアメリカに「無罪判決破棄」を伝えていたと類推できる資料まで見つかっています。
集団的自衛権行使容認派からさえ「砂川を用いるのは筋が悪い」と首を傾げる人もいます。
判決「傍論」論の是非
先に示したように事件名は安保条約と米軍基地に関する法律違反であり、自衛権の問題は個別であれ集団であれ、核心部分からはずれた「傍論」に過ぎないという意見があります。
砂川判決で集団的自衛権を容認したいグループは「最高裁判決に傍論などない」「傍論もまた判決の一部だ」と訴え、否認派は「傍論を用いたこじつけだ」と反発しています。
ただこういう議論は立場が逆転すると態度も変えるからどっちもどっちといえます。
2008年、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高等裁判所が航空自衛隊のバグダッド空輸活動を違憲とする判断を示し、その後確定しました。
裁判そのものは損害賠償請求などを退けて原告敗訴です。
この時、政府内から「違憲」は傍論に過ぎないと公然と声があがった一方で、派遣に懐疑的な側は「判断は重い」「撤収の論議をせよ」と訴えました。
(引用ここまで)
*****
さだまさしの「防人(さきもり)のうた」の、もの悲し気なメロディーが心に流れます。
砂川という字が含む「砂」は、砂漠のような無色の世界を暗示しているようです。
「自衛隊は憲法違反だ」という、遠い時代のシュプレヒコールの記憶は、映画のようにノスタルジックな気分にさせます。
そんな感傷的な気分にはなりますが、今、我々は世界といかに対峙するべきか?という問題には、感傷に流されず、自分の頭と直感で、しっかりと判断をしてゆきたいと思います。
ブログ内関連記事
「再掲・青木やよひ著「ホピ族と徴兵拒否の思想」を読む」
「右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(1)」(3)まであり
「脱原発しない社会」の社会学的考察・・小熊英二氏インタビュー(1)」(2)あり
「なぜ人を殺してはいけないのか?(1)・・「殺すなかれ」の声を聴く」(2)あり
「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般