始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

天体と人間と時計と暦・・「ホピの太陽」(3)

2014-07-28 | ホピ族


引き続き北沢方邦氏の「ホピの太陽」のご紹介をいたします。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****

          (引用ここから)


ホピ族の友人シドニーといて驚いたことは、シドニーの時間についての感覚の鋭さだった。

デイスクールの用務員という職業にも関わらず、彼は腕時計を持っていなかった。


彼に限らず、私たちはアメリカインディアンが時計を持っているのをほとんど見たことがない。

つまり彼らは時計を必要としないほど、時間の感覚を正確に所有しているのだ。

シドニーと一緒に外に出て、家に帰り着く時はたいてい正確に食事の時間だった。


一つの原因はホピの天文学からきている。

たとえば「布告役首長」の役目の一つは、村の最も高い建物の屋上から毎朝太陽の運行を観察することである。

それぞれの村によって異なる目標から、太陽が「冬の家」に入ったとか「夏の家」の北限に達した、とかが観測され、それが祭りの日を起算する資料となる。


キバの梯子穴はまた、天体観測の天文台でもあり、儀礼の開始や終了は、たとえばソヤル(冬至)の儀式がその方形の穴の中央にスバルが煌めく時刻に始まり、

また儀式の頂点であるカチーナの入来がオリオン座の三ツ星がそこにかかる時刻に行われる、というように、星座の位置によって決められている。


おそらく天文学に対する深い関心と正確な観測は、マヤ以来の伝統であろう。

チチェン・イツァの遺跡の有名な天文台が象徴するように、マヤの暦法や天体観測は、かつてないほど精密であった。

例えばマヤの太陽暦は現代の天文学の観測による計算にわずか0・0002日の誤差しかなく、西洋の太陽暦の基本となってきたグレゴリオ暦より正確である。

また太陽系諸惑星の観測から、彼らは天文学的時間を算定し、月の一年周期である360日を1単位とし、6億年にいたる計算法を考えだした。


今でもホピの暦は冬至から冬至に至る太陽暦であるが、夜の儀礼は必ずこの月の運行の暦に従っている。

ホピの暦は一日の単位で見れば、日の出と日没によって区切られる昼と夜の世界に分けられ、「父なる天」の諸聖性、とりわけ太陽の支配する昼=生と、地下の諸聖性、とりわけ夜の太陽である火と、死を司るマサウの支配する夜=死との二元論的循環によって完全な円となっている。


それをまた一年の単位でみれば、冬至から夏至に至る「夏の季節と、夏至から冬至にいたる「冬の季節」との循環によって成り立っている。

夏は神々の諸精霊の使者であるカチーナがホピの村々に滞在する季節であり、カチーナによる儀礼と祭りが中心となる季節である。

冬はカチーナ達が去ったあと、すでに述べたスネークダンスのように、人間たちが仮面をつけずに顔に色彩を塗って儀礼を行い、祭りを催す季節である。

なぜならトウモロコシが蒔かれ、生育する夏は精霊たちの助力が必要なのであり、それによって収穫がもたらされる冬は人間たちが神々や精霊に感謝する時だからである。


したがって、この2つの季節の循環の接点となる冬至と夏至を中心とした月に、最も重要な儀礼が集中することとなる。

すべての生命の死と再生、そして生のたわむれである性的結合と生誕を示す4大儀礼が、月の暦にしたがって配置され、夏=生の世界への誕生と、冬=死の世界への誕生をそれぞれ表わしている。


この宗教的意味論の中で回転する正確な暦のなかで育ってきたホピの人々が時間についての、正確で独特の反応を示すのは当然であろう。

シドニーはふと何気なく太陽をふりあおいで、そろそろ帰ろうとつぶやいたが、その時彼は太陽の位置で正確な時間を無意識に測定したのだ。

あたかも我々が、必要があるとき、無意識に腕時計に目をやるように。

いや、時には彼は太陽さえも必要ないのかもしれない。

自然のさなかに生きる人々は、人間に固有の天文学的な時間の測定法とともに、動物にも共通の、正確な体内時計をもっているのが普通なのであるから。


             (引用ここまで)


                *****


ブログ内関連記事

「水木しげるのホピ体験・・ゆったり暮らせば、お化けも逃げない」

「2012年(6)・・オリオンからの訪問者」

「ホピの祭・・夏至祭・精霊たちを見送る(ニマン・カチーナ祭1)」

「冬至・星のしるしを持つ者が、太陽を引き戻す・・ホピの祭(ソヤル祭2)」

「かつて「青い星」と月が入れ替わった・・ホピ族と、かくされた青い星」

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翼のある蛇になる秘術・・「ホピの太陽」(2)

2014-07-26 | ホピ族



引き続き、北沢方邦氏の「ホピの太陽」のご紹介をします。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

           *****


          (引用ここから)

ホテビラ・・蛇の力の泉

桃やスモモの果樹園の緑の木立に囲まれ、ホテビラの村は荒廃したオライビと対照的に美しく、牧歌的であった。

荒涼とした岩肌の上に建設された他の村々と異なり、第3のメサの西の端の一段と低くなった土の丘に建設されたこの村は、大木の木陰のいくつかの泉が象徴しているように「母なる大地」の諸聖性の恩寵が支配している。

こころなしか、久しぶりに帰省するホピ族の友人シドニーの顔もなごんでいるように見える。

果樹園の終わったあたりから古びた石造りの家々が連なり、いくつものキバが家々を囲んで散在している。

私たちは友人シドニーの実家があるこの地、ホピの伝統派の最強の砦、ホテビラの心臓部に降り立ったのだ。

小さな城のような石造りの家の中は、静かでひんやりとした微風が裏口の方から入り込み、あたりの空気をこの上なくさわやかなものにしていた。

伝統的な髪形に編んだ白髪の上に赤いバンダナをした、極めて美しく品のよいシドニーの父は、ほとんど英語を話さないらしく、シドニーのホピ語に時々相槌を打つだけで、インディアンの伝統派の老人らしく、寡黙であった。

シドニーの母も古風なスペイン風肩掛けをした伝統的な姿で、これもほとんどおしゃべりをすることなく、黙って座り、時々息子の話にうなずいていた。

草原に続く小道を指さしながら、シドニーは「あれはスネークダンス(蛇祭り)のときの競走用の道で、少年の頃はよく走ったものだ」と、ホテビラのスネークダンスの思い出を語ってくれた。

「本当には「カモシカと蛇の儀式」と呼ぶのだけれど、16日間にわたって行われる儀式の最後の2日に、競争が行われるのだよ。

まだ日が昇らない早朝、あの砂漠の東の方に出発点があって、少年や若者は皆参加するものだ。

太陽が地平線に昇ると、長老の合図で一斉に走り出す。

砂漠の道を、裸足で7,8キロの距離を全力で走るのだ。

ちょうどあの辺に来ると、もう暑さと疲労で目もくらみそうで、最後にこのメサを駆け上がる時は心臓も破れるかと思うほどだよ。

優勝者はあそこの、ほら、スネークキバの中で、キバの首長から祈祷用の羽(ハポ)と「フルートの泉」の聖なる水の入った壺を、勝利の印として渡される。

それを自分の畑に持って行って、畑に聖なる水を灌ぐのだ。

優勝者の畑は来年の豊作が約束されると言われるから、みんな必死で走るのさ。

メサの上では村中の女が声援するし、「カモシカ祭祀」や「蛇祭祀」たちが、雷の音を象徴するブルローラー(雷鳴か牡牛の咆哮のような音を出す楽器)を鳴らして景気づけるし、それは大変なものだよ」。

「競争が終わると、今度は女たちがキバの屋根に置かれたカボチャやスイカの蔓やトウモロコシの茎を奪いあうのさ。

勝者が手にした蔓や茎は「蛇」の象徴で、それを手に入れて家に持って帰れば雨と豊作が約束される、という縁起物なのさ」

シドニーはまた、「村ではだいぶ前に「蛇氏族」の家系が絶えてしまったので、その関係氏族であるナミンハ家の「太陽の額氏族」が、スネークダンスを主催している」と説明してくれた。

スネークダンスはかつて多くのプエブロで行われていたらしいが、現在ではホピにしか残っていない。

多くの人類学者たちが指摘しているように、これはマヤやアステカの「翼ある蛇」の宗教儀礼と共通のものである。

ケツァルコアトルの名で知られ、龍の形で表象されるこのマヤやアステカの神は、生身の人間の犠牲で知られる彼らの宗教の血なまぐさいイメージとは逆に、非暴力的な友愛と共感の神であり、ケツァルコアトルの神殿だけはいかなる生き物の犠牲も受け入れられなかったという。

マヤの神話によれば、彼は「父なる太陽」と「母なる大地」との間に生まれた長子であり、この三者が「マヤの聖三位一体」として宇宙を支配している。

ケツァルコアトルは人間の優しい友であり、彼らの飢えを見かねて黒蟻の姿に変身し、赤蟻の巣からトウモロコシの種を盗んで人間に与え、人間に初めてトウモロコシの農耕を教えて、飢えから免れさせたともいう。

ケツァルコアトルはまた、「翼ある蛇」として、風や雲や雷雨を制御する神であり、農耕に不可欠の雨をトウモロコシ畑にもたらす。

平和の神であるケツァルコアトルはまた、性愛の神でもあり、ベトナム戦争中の白人ヒッピーたちの標語「メイクラブ・ノットワー」はそのままケツァルコアトルの標語としてもよいほどである。

ホピの神と言ってもよいこのケツァルコアトルの宗教儀礼と、ほとんど共通の神話的意味を、スネークダンスは担っている。

すなわち16日間にわたる儀礼は、必ず「カモシカ祭祀」たちとそのキバ・「蛇祭祀」たちとそのキバという一対によって行われる。

その秘儀の一つの頂点が第11日の夜執り行われる「カモシカの若者」と「蛇の乙女」の結婚の儀式である。

それぞれの結社から選ばれた少年と少女が、キバの中で儀礼的な結婚式を行う。

それは高山の動物「カモシカ」と地下の動物「蛇」の、トーテム的に象徴される、「父なる天」の力と「母なる大地」の力との結婚であり、それによるケツァルコアトル・・「翼(天)ある蛇(地下)の誕生の秘儀である。

その翌朝、すなわち12日目の朝、「蛇祭司」たちは、聖なる4方向に向かって蛇の採取に行く。

砂漠の中で彼らは猛毒のガラガラヘビ各種や巨大なブルスネークを素手で捕まえる。

よい心の人間を、蛇はけして襲わない。
あるいは恐怖心が疑惑を呼び、襲撃を招くといってもよい。

彼は蛇に優しく語りかけ、首のすぐ後ろを掴んで壺に入れる。

もし蛇の機嫌が悪い時は、じっと動かず、他の者がハゲワシの羽根で作った道具で柔らかに蛇の頭をなでる。

蛇はたちまち催眠術にかけられたようにおとなしくなり、言うことを聞く。

こうして40~50匹から多い時には60匹もの蛇が集められ、キバに持ち帰られる。

「蛇祭司」たちは蛇の身体を清め、油を塗り、美しく磨きあげる。

夜は瞑想の時である。

キバの梯子の穴に銀河がかかり、白鳥座の尾がきらめく時、祭壇の前の薄茶色の砂を蒔いた一画に、祭司たちは円陣を組んで座り、中央に蛇たちを放つ。

祭司たちは目を閉じ、手を隣り合った者の膝に触れ、身体の中の「地下の力」すなわち「蛇の力」が、身体の中の「天の力」すなわち「カモシカの力」と合体する瞬間を待ち受ける。

具体的にはそれはインドのクンダリーニ・ヨガの瞑想と全く同じ生理学に基づいており、脊柱の下部に当たる潜在エネルギー「蛇の力」を次第に上昇させて、脳を支配する「カモシカの力」と合体させるのである。

目を閉じて、祭祀たちは低く静かに歌う。

蛇たちはいわばその子守歌に酔い、祭祀たちの膝や砂の中で静かにまどろむ。

今こそ「蛇の力」と「カモシカの力」は合体し、万物をその友愛の絆の中で抱き留める至高の瞬間なのだ。

星々も土も人間も蛇も、「母なる大地」の子宮であるキバの始源の静寂の中で一体となって、永遠に目覚めたまままどろみをむさぼる。

これを涅槃と言わずしてなんと言うべきだろう。

4日間にわたる蛇たちとのこうした「行」の最後の日に、競争とスネークダンスが行われるのだ。

競争は東(太陽)から西(地下)へと走られることによって、「父なる天」の使信を「母なる大地」であるキバにもたらし、それを受けて、キバから地上の踊り場へと現れた祭司たちは、蛇と共に踊ることによって、この「第4の世界(地上)」に生きる人間たちの、雨と豊作への願いを、「父なる天」と「母なる大地」に伝達しようというのである。

広場の中央に、ハコヤナギの緑の小枝で作った、まるで能の作り物のような儀礼用の小屋の中に蛇たちを安置し、それを囲んで「カモシカ祭司」たちと「蛇祭司」たちが交互に踊る。

全身を灰色の塗料で塗り、あごと足首を白く塗り分け、白い祭祀用のスカートを着用した「カモシカ祭司」たちの低く唸る雷鳴のような歌に応えて、

緋色の羽を頭に、黒色の蛇の模様を染め付けた茶褐色のスカートを着用し、同色のモカシンを足に、そして全身を赤褐色に塗ったうえで、顔を黒に、胴と腕に稲妻模様を白く塗り分けた「蛇祭司」たちが、儀礼用の小屋から蛇を取り出し、一匹ずつ口にくわえて踊る。

この眩惑的な光景は、「メキシコの朝」に収録されているD・H・ロレンスのすばらしい文章「ホピ・スネーク・ダンス」にゆずる他ない。

今でもこのスネークダンスは、ロレンスが見た1920年代とまったく変わりなく、古い村々で行われている。


             (引用ここまで)


                *****


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「ホピの太陽」・・どこから来て、どこへ行く?

2014-07-24 | ホピ族


北沢方邦氏の「ホピの太陽」を、久しぶりに読み返してみました。
1976年に書かれたものです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****

          (引用ここから)


ホピの伝説によると、マヤやアステカは、人類誕生の日に「父なる天」と「母なる大地」から教えられた教えにそむき、巨大な都市を築き、権力に酔い、邪悪な宗教を創始して亡びることとなった「ホピの悪い兄弟」であるという。

ホピは創造主たちの教えを忠実に守り、彼らとたもとを分かって、北への道を辿った少数派であり、マヤやアステカが亡びた後にも創造主たちの「予言」の成就を見届けるために生き続けることを運命づけられた部族であるという。

マヤやアステカとホピが種族的・文化的に親戚関係にあることは、ホピの言語がアステカ語族の一種であるショショニー語であることや、その人種的特徴(幼児の蒙古斑など)からも、また祭祀や儀礼のある種の共通性などからも証明されている。

しかしマヤやアステカの好戦性や残虐性は、およそホピの平和性とは対照的である。


ホピの神話によれば、戦争や暴力行為は常に「父なる天」の教えに背くものであり、過去の「第一・第二・第三の世界」の滅亡は、必ずそれが原因で起こったこととなる。

すなわち「第一の世界」は、すべての生命が誕生し、人間も動植物も分け隔てなく暮らしていた理想の世界であったが、おしゃべりなモチニ鳥が、人間と動物との差別や、言葉や皮膚の色の違いによる人間相互の差別を人々に吹き込み、悪知恵をもつカトナ蛇が、お互いに他人を疑うことを教え、そうして人間たちが争い始めたが故に、「父なる天」によって、火の雨と火山の爆発などの中で滅ぼされてしまったのである。

「父なる天」の教えを守っていた「選ばれた少数の人々」だけが、「母なる大地」の導きで蟻の民のキバに逃れて、「第二の世界」に生き延びる。

しかし蟻の民にならって食物の集め方や貯蔵法、家やキバの作り方などといった人間固有の文化を創り出した「第二の世界」も、村々や部族が対立し、部族間戦争を始めたがゆえに滅ぼされ、全世界は「父なる天」によって氷結されてしまうのだ。

ここでも「父なる天」の教えを守る少数の人々は、温かな蟻の民のキバに逃れて、「第三の世界 」に生き残ることとなる。

しかし「第三の世界」は、文明が生まれ数多くの巨大な石造りの都市が建設されるが、また人々の悪い知恵が極度に発達した時代でもある。

諸都市の間で戦争が起こり、武装した人々は「空飛ぶ円板」に乗って都市を攻撃して回る。

「父なる天」は再び大洪水によって「第3の世界」を滅ぼす。

「父なる天」の教えを守る少数の人々だけが、大きな中空の「葦の舟」に乗って脱出し、「第4の世界」、すなわち現在の世界へと到達する。


火山の噴火、大氷河時代、旧約聖書のノアの方舟の記述とも一致する大洪水と、ホピの神話は、地球の年代記をかなり正確に反映しているように思われる。

「第4の世界」が同時にアメリカ大陸を指しているのは確かであるらしく、すでにその一部を紹介した各種族固有の移住説伝説はこの「第4の世界」の中で展開されるのである。

しかし神話によると「第4の世界」への到達は、大洪水後、海に浮かぶいくつかの島々を経てなされたことになっていて、アメリカ大陸への人類の移住はベーリング海峡伝いに行われた、とする考古学的な通説と矛盾している。

その上、ホピの人々はベーリング海峡をアメリカ大陸の「裏口」と呼んでいて、ホピはアパッチやナバホのように「裏口」からやって来たのではなく、「表口」からこの大陸にやって来た最初の人類であると固く信じ、伝承してきている。

スペイン軍の侵入によるアステカ滅亡の時、マヤ・アステカの文明の歴史が亡びることを恐れた無名の祭司の手で、侵略者スペインの文字であるローマ字で書き記されたマヤの神話と歴史の書「ポポル・ヴフ」にも、マヤの先祖たちは水没した大陸(ホピの言う「第3の世界」から島伝いにアメリカ大陸にやって来た、と記され、ホピの神話を裏付けている。

ポリネシア人は南米から移住したインディオであるとするヘイエルダールの仮設とは逆に、彼らの先祖たちは、太平洋の島伝いにやって来た、という想像も成り立たなくもない。

そこに、失われたムー大陸の伝説(ポリネシアの島々は水没したムー大陸の山々であった、とする)が加われば、この創造図は完璧となろう。


いずれにしてもホピがこれらの廃墟も含み、北米南部から中南米一帯にかけて繁栄した古代中世文明・・その規模と質の高さにおいてアジアや中近東、あるいはヨーロッパの古代諸文明のみが匹敵しうる・・の担い手たちの子孫であることは、疑うことのできない事実である。

人口わずか7000人のこの一部族の所有する膨大な神話と伝説、多くの民族学者たちに悲鳴を上げさせた、その複雑にして高度に抽象的、哲学的な祭祀や儀礼の諸体系、医療や薬草についての博大な知識などは、何よりもそのことを証明しているであろう。


私たちはホピの最も西の端に位置するモエンコピの村に向かった。

私たちが車を止めた村の東のはずれはまた、中世代の恐竜ティラノザウルスの足跡が保存されている場所でもある。

平らな火山岩の上に、恐らくそれがまだ熱をもって柔らかい間に踏まれたものであろう、直径50~60センチの3つ跡の足跡が点々と東の方向に連なり、消えている。

鳴動し噴火する火山、溶岩流、沸騰する蒸気、火山性ガス、逃げまどう巨大な爬虫類・・「第1の世界」の滅亡はこんな状況であったのであろうか?

足跡を保護する金網のたな越しに、私たちはしばし神話的古代に想像をはせていた。


           (引用ここまで)


             *****


この話は何度もご紹介していますが、その度に不思議な気持ちになります。

なにか、大きな謎があり、幾度訪れても迷子になってしまう土地のような、懐かしいような、わけの分からない迷宮に入ったきり出られなくなったような気持ちになります。


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祖先としての蛇・・ホピ族と蛇(7・終)

2014-02-01 | ホピ族


ヴァールブルク氏による「蛇儀礼」のご紹介を続けさせていただきます。

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             *****

           (引用ここから)


ワルピの人々の「蛇」崇拝は、彼らのコスモロジーの中での出祖伝説に遡ります。


ある伝説では、ティヨという英雄についてこう語られています。

ティヨは、皆が渇望している水の源泉をみつけるために、地下への旅に出ます。

ティヨの右の耳にはいつも見えない「雌の蜘蛛」がいて、彼のお供をしています。

いわば地獄までダンテのお供をするヴェルギリウスの、インディアン版です。

ティヨは、地下の王様達が支配している地下礼拝堂をいくつも通って、西と東にある二つの「太陽の家」を過ぎ、大きな「蛇」の地下礼拝堂(キバ)に至ります。

そこで彼は天気を司るための「魔法のハポ」を授かるのです。


伝説によると、ティヨはこの「ハポ」を携え、二人の蛇娘を連れて下界から地上に戻ります。

そしてこの二人との間に生まれた子供たちは、「蛇」の形をしています。


この子ども達は危険極まりない生き物で、最後には部族全体が住む場所を変えざるをえなくなります。


こうしてこの神話には、「蛇」は天気の神であると同時に、部族の移動を引き起こす祖先動物としても組み込まれることになります。


今述べた「蛇舞踏」で、「蛇」が生贄にされることはありません。

「蛇」は聖別されて、様々な模倣舞踏の働きによって、雨乞いの使節へと「変身」させられ、送り出されるのです。

そして死者たちの魂のいる所に戻り、稲妻と化して、空に雷雨を引き起こすのです。

未開の人々の間で、神話と魔術行為がどのように絡み合っているかがわかります。


            (引用ここまで)

   
              *****


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「ホピインディアンの2番目の世界の出現と終末」


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100匹のガラガラヘビとガラガラ・・ホピ族と蛇(6)

2014-01-30 | ホピ族


途切れましたが、ヴァールブルクによる「蛇儀礼」のご紹介を続けます。

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                 *****

   
               (引用ここから)


動物を通じて自然と一体化しようというこの魔術が最高に高揚した形態は、オライビとワルピのホピ族による生きた「蛇」を使った踊りです。

8月になると、夕立が来るか来ないかで、作物の収穫が決まります。

いわば、彼らの危機が訪れます。

その時にオライビ村とワルピ村が交代で、生きた蛇を使って救いの雨を呼ぶための舞踏がなされます。

ここでは踊り手と生き物が、魔術的に一体化するのです。

そして驚くべきことに、インディアン達は一切の生き物の中で最も危険なガラガラヘビを、暴力を全く使わずに操って、蛇の方が従順に、何日か続く儀礼を共にするようもっていくのです。

これはもし、ヨーロッパ人が行えば、破局的な事態になることでしょう。

この祭に当たっては、ホピ族の村の2つの氏族「カモシカ氏族」と「蛇氏族」が参加します。

この2つのグループはそれぞれに、伝説を通じトーテム信仰によって両方の動物とつながっているのです。

人間が動物の仮面を被って現れるだけでなく、それ以上に最も危険な動物である生きた「蛇」と共に呪術的儀礼をしているのを見ると、この地においては、今日においてもトーテミズムが生きているのがわかります。

ホピ族の「蛇舞踏」は、模倣によって動物になる「カモシカの舞踏」と「流血の生贄」との間に位置します。

というのも、動物は模倣の対象ではなく、はっきりと儀礼に加わるからです。

しかも生贄にされるのではなく、「ハポ」と同じに、人間に代わって雨乞いをする立場として登場するのです。

というのもワルピの「蛇舞踏」は、「蛇」自身に大願を強要する踊りなのです。

「蛇」は夕立の訪れが期待される8月、16日間続く儀礼のために、低地の砂漠で生け捕りにされ、地下礼拝堂(キバ)で「蛇氏族」及び「カモシカ氏族」の首長たちに世話を受け、その間独特の儀礼を受けます。

中でも「蛇洗いの儀礼」は極めて重要な意味を持っています。

蛇に対する扱いは、まるで神の秘儀に召される乙女に対するようです。

ありとあらゆる薬を混ぜた聖水の中に、蛇の頭を浸します。

蛇は抗いますが、無理やり浸すのです。

その後で地下礼拝堂(キバ)の床の、砂に描かれた絵の上に、この蛇を投げつけるのです。

床には真ん中の四足の動物を囲む形で、4匹の稲妻型の蛇が描かれています。



別の地下礼拝堂(キバ)では、砂の上に大きな雲が描かれていて、その雲からそれぞれ異なる色彩の4本の稲妻が走り出しています。



それぞれは4つの方位を示し、かつ蛇のようにくねっているのです。

最初に述べた砂の絵にすごい力でなげつけられると、絵が壊れて、蛇は砂まみれになります。

明らかなことに、「蛇」をこのように放り投げる魔術は、蛇が稲妻を引き起こし、水を創りだす存在と化すように無理強いしているのです。

儀礼の全体の意味が、この点にあることは明らかです。

それに続く儀礼行為を見ても、聖別されたこの「蛇」がインディアン達と一体になって、雨を引き起こす存在、及び雨乞いをする存在と化すように仕向けられていることが分かります。

「蛇」の形をした“生ける雨乞い聖者”となるのです。


「蛇」は地下礼拝所(キバ)で飼われ、祭りの最後の日には、紐で囲われた藪の中に置かれます。

もちろん、100匹の「蛇」の中には本当の「ガラガラヘビ」もたくさんいて、毒牙を抜かれないままの状態でいます。

儀式の頂点は、インディアン達がその藪に近づいて「蛇」を捕まえて運びだし、使者を派遣する目的でその「蛇」を草原に放つシーンです。

インディアン達が3人一組で「蛇」のいる藪に近寄ります。

「蛇氏族」の大祭司が、藪から「蛇」を引っ張り出すと、顔に色を塗り、刺青をし、臀部にキツネの皮をまとったもう一人のインディアンがその「蛇」を掴んで尾尻を口に入れます。

彼の肩を掴みながら歩いていく二人目のインディアンは、羽のついた棒を振って「蛇」の注意を逸らします。

3人目はいわば警備要員で、もし「蛇」が口から外れたら捕まえる役を担っています。

「蛇舞踏」は、このホピの地ワルピの狭い広場で行われますが、時間は30分ちょっとです。

こうしてすべての「蛇」が、楽器のガラガラという音に合わせて運び出されます。

踊り手達は、その後「蛇」を速やかに草原に持って行き、放ちます。

「蛇」たちは、すぐにどこかに消えていきます。

インディアン達はこのガラガラ道具にも、膝の関節にも、小石で飾り付けた亀の甲羅を付けていて、これでガラガラという音が出るのです。


            (引用ここまで)


               *****


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蛇を統御する・・ホピ族の「蛇とカモシカの祭り・その(3)

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動物は完璧に美しいが、人間は完璧ではない・・ホピ族と蛇(5)

2013-10-30 | ホピ族


ヴァールブルク著「蛇儀礼」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



               *****


              (引用ここから)


食糧確保という社会的行為は、こうしてみると分裂的です。

つまり、魔術と技術が合体しているのです。

魔術とロゴスの中間にある彼らが、状況に対処する手段は、「象徴」なのです。


サン・インデフォンソで「カモシカの舞踏」を見ました。

まずは音楽隊が大きな太鼓を持って現れます。

それから彼らは2列に並んで、仮装や体の動きでカモシカになりきります。

この舞踏の場合は一つの列は動物の歩き方を真似し、もう一つの列は羽が巻きつけてある小さな棒をカモシカの前足に見立てて、それを支えとして半立ちになり、その場で様々な身振りをします。

二つの列の先頭には、女性の像と猟師がいます。

動物になったふりをしている人々は、彼女に願をかけている様子でした。

「狩猟舞踏」にあっては動物の恰好をすることによって、当該の動物が、いわばあらかじめ捕まえられることになります。

狩りの現場における動物への攻撃が、模倣されるのです。


こうした「仮装舞踏」は、人間以外の存在と自らを結合させるプロセスであり、それは自分とはまったく違う存在に徹底的に服することを意味するのです。

インディアン達が仮装してそうした動物の表現や運動を真似するのは、自分の人格を変容させることによって、自然から魔術的な何かを奪いとろうとしているからです。

自分の人間としての人格を広げ、変えないかぎり、そうしたことは不可能だと思っているのです。

こうしたパントマイム的な「動物舞踏」における模倣は、人間とは異なる存在に恭順の意を示す自己放棄で、そういうものとして礼拝的な行為なのです。


動物に対するインディアンたちの心の内の態度は、ヨーロッパ人のそれとはまったく異なります。

インディアン達は、動物を人間より高次の存在と見ています。

なぜなら、動物はまさに動物であるというその完璧なあり方によって、人間という弱い存在よりもはるかに高い能力を持った存在となっているからです。

動物へと転成しようとするこの意志の心理的分析に関して、クッシング氏は、あるインディアンが彼に「なぜ人間が動物より高等だと言えるのか?」と聞いた時の話をしてくれました。

インディアンはこう言ったのです。

「カモシカを見てごらんなさい。走っているだけだが、走るのは人間よりはるかに上手ではありませんか。あるいは熊を考えてください。力そのものではありませんか。人間は何かがほんのちょっとできるだけです。ところが動物はそのままで完璧な存在です」と。

この夢のような考え方は、尊崇による恐れの気持ちから・・トーテミズムと言われるものですが・・一切の動物は自分たちの種族の神話的な祖先である、と信じることで、動物世界と関わっているのです。

彼らは動物世界と自分たちを恣意的に結びつけることで、自然の発展過程を説明しようとするのです。

こうした人々の生活を規定しているのは、神話的な親和力により自然の発展過程を説明しようとしているのです。

サン・イルデフォンソに残っている「カモシカの舞踏」は、明らかに「狩猟舞踏」です。

しかしこの地域ではすでに3世紀前にカモシカは絶滅しています。

それゆえこの「カモシカの舞踏」は純粋に魔術的な「カチーナ舞踏」への過渡期のものかもしれません。


               (引用ここまで)

 
                *****

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「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピープルと人間

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上昇と下降の宇宙論・・ホピ族と蛇(4)

2013-10-25 | ホピ族


ヴァールブルク著「蛇儀礼」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                 *****


               (引用ここから)


こうしたまじないの中でも、我々から見てもっとも驚くべきは、生きた「蛇」を使うことです。

「蛇」がくねって稲妻のような形をしていることから、稲妻との魔術的な因果関係があるとされているのです。

階段状の破風屋根の「世界=家」、そして「蛇」の矢のように尖った嘴、および「蛇」そのもの、これらはインディアン達の象徴的なイメージ言語の構成要素なのです。

破風の階段状の模様は、疑いなく「コスモス」の象徴として、アメリカ全土にわたるもので、ひょっとしたら世界中に共通するものかもしれません。

スティーブンソンが撮影した地下礼拝所(キバ)の写真に、捧げものの儀礼の中心となる木彫りの「稲妻祭壇」が見えます。




四方を示す象徴と並んで、稲妻型の「蛇」が映っています。

四方八方からやってくる稲妻のための祭壇です。

また、ホピ族アコマ村の教会に行った時は、その壁には異教の宇宙論的なシンボルが描かれていました。



この絵は、階段状の屋根を持った宇宙を象徴しています。

ギザギザの模様は階段を表わしています。

しかも石を積み重ね、漆喰で止めた階段ではなく、もっと原始的な、つまり、木に切り込みを入れたものです。

プエブロ族ではまだこういうものが使われていたのです。



階段や梯子は、自然の生成や有為転変を視覚的象徴で表わそうとする者にとっては、人類の根源的経験を示しています。

それは空間の中での上昇と下降の関係を闘い取ることの象徴です。

また円環は、くねった「蛇」と同じに、時間のリズムの象徴であります。

4本足で動くことをやめ、垂直歩行を始めた人間は、上方を見て、重力を克服するためには補助手段が必要となり、階段という道具を発明したのです。

それによって、動物より低い能力をより高等なものに変換できたのです。

空を見上げるということこそ、人間の恩寵であり、また呪いでもあるのです。

そしてインディアン達は「世界=家」を、梯子を使って入る階段状の彼らの「家」と同じ形として想定することで、彼らの宇宙論に合理的な要素を生み出したのです。

しかしまたこの「世界=家」を、文化的に安定した宇宙論がそのまま形を成したものと見るには慎重でなければなりません。

というのも、この「世界=家」の主は、あの気持ちの悪い「蛇」という動物なのですから。


プエブロインディアンは農耕民であるとともに狩猟民でもあります。

彼らは生きていくために、トウモロコシ以外に肉を必要としています。


「仮面舞踏」も、魔術的行為を通じて行われる社会全体としての食糧調達の方策と見るべきでしょう。

こういう「仮面舞踏」は、その本質からすると生存闘争のための真剣な戦闘行為なのです。

その起源や意図から見れば、獲物をめぐる、そして生贄をめぐる「舞踏」だったのです。

狩猟民および農耕民である彼らは「仮装」によって、つまり、模倣によって、動物や穀物といった獲物や収穫物に「なる」のです。

この神秘的な「模倣による変身」を通じて、彼らは実際の狩猟と農耕にあたっての、冷静で用心深い働きを通じて得るべく努めているものを、あらかじめ確保できると考えているのです。

 
           (引用ここまで)


             *****


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稲妻のような蛇は、雨を呼び寄せる・・ホピ族と蛇(3)

2013-10-21 | ホピ族


ヴァールブルク著「蛇儀礼」のご紹介を続けます。



                    *****

                  (引用ここから)


鳥は、インディアンの神話的象徴の中で大きな役割を果たしています。

祖鳥は祖霊のすべての動物と同じに、想像上の祖先を表わす動物=トーテム動物として尊敬されていますが、それとは別に、鳥はまた埋葬儀礼において特別な尊崇を集めています。

先史時代のホピ族の地域の村(ホピの言葉では「黄色い家」という名)の発掘層では、神話的幻想の基礎的表象に、猛禽類の「魂の鳥」というのがあったようです。


また鳥に対する偶像崇拝的な崇敬は、鳥の羽の故でもあります。

インディアン達は、羽を結んだ「ハポ」と呼ばれる小さな棒を祭壇の前に置いたり墓に立てたりして、祈りの道具に使います。

飛ぶ存在である鳥の羽「ハポ」は、彼らの望みや願いを自然の中の精霊に与えてくれるのです。


フュークス氏の発掘によって、古い時代から土器の技術があったこと、しかもそこには紋章のような鳥が描かれ、その横には「蛇」の絵もあったことが明らかになっています。

そしてこの「蛇」というのは、ホピ族にあっては最も生き生きした象徴であり、宗教的崇敬の対象となるのです。

この「蛇」は羽をつけた頭で、現在作られている容器の表面でも、とぐろを巻いています。

容器の縁には、4か所に方形の上飾りがついていますが、それぞれに動物の絵が描かれています。

カエルやクモといったこうした動物たちは四方を表わしており、またこれらの容器が地下礼拝所(キバ)の祭壇の前に置かれていたことがわかります。

地下礼拝所では、「蛇」は「稲妻」の象徴として、崇拝の中心的存在となるのです。


当地の祭司であり、竈(かまど)部屋の鍵の保管者であるクレオ・フリオ氏とその子息に頼んで、「蛇」の絵を描いてもらいました。




古い絵に描かれているのは、天候を司る神格としての蛇でした。

この絵では「世界=家」の屋根は、破風が階段状になっています。そして壁の上に、虹が広がっているのです。

モクモクと出ている雲の塊からは、下に何本もの短い縦線が出ていますが、これは雨が滝のように降ってくることを示しています。



そして中央にこの「雷雨=世界=家」の本当の支配者として、祭壇が建っています。

これは「ヤヤ」もしくは「イエリック」と呼ばれるもので、「蛇」の形はしていません。

このような絵を使って、信心のあるインディアン達は魔術的なまじないで夕立の恵みを得ようとするのです。


              (引用ここまで)

                *****


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「動物霊たちと人間の行進・・ホピの祭・ヤヤ祭り(3)

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はしごで屋根から入る家と宇宙・・ホピ族と蛇(2)

2013-10-18 | ホピ族


ちょっと時間があいてしまいました。

ヴァールブルク著「蛇儀礼」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****

              (引用ここから)


この地域の、有史以前の、あるいは有史以後の住民たちが、自分達の故郷として選んだのは、全体として見ると自然の恵みの薄い土地でした。

リオ・グランデ、デル・ノルテがメキシコ湾に向かっている東北部の狭いうねうねと続く峡谷を別にすれば、この地域は基本的に台地状です。

つまり、どこまでも水平に広がっている巨大な岩石の塊です。

そしてその台地は頂部が平坦で、端は突然の崖になって終わっている卓上大地(スペイン語の「メサ」=机)となっているかと思えば、所によっては水流に浸食されており、1000フィート、あるいはそれ以上の険しい谷、いわゆるキャニオンになっています。

このキャニオンの一番上の壁は、のこぎりで削り込まれたかのように、ほとんど直角に落ち込んでいます。

一年の大半はこの大地に降水は全くなく、キャニオンの大部分は完全に干上がっています。

ただ雪解けの季節と、短い雨期に、猛烈な水量がこの乾ききった峡谷を逆巻きながら流れていくのです。


ロッキー山脈のコロラド大地地域には、先史時代の住居跡があり、また今日インディアン達が暮らしている村々があります。

大地の北西地域のコロラド州に、今日ではもう人の住んでいない岩窟住居、つまり岩壁に掘り込まれた居住跡が残っています。


最も行きにくいが、しかしそれゆえに昔ながらの特色を最もよく残しているのが、ホピ族の村々です。

ホピ族の村は6つほどあり、並行して走る3つの岩の尾根上にあります。

このアルパカーキの近くにあるラグーナ村は、プエブロインディアンの集落のきわめてよい例です。


先住民の村は二階建てあるいは三階建ての家々から成っていますが、入口は上にあって、外から「はしご」で昇っていく様に作られています。

下の階には、出入り口のドアがないのです。

かつてはこういう造りの方が、敵の攻撃から守るのに適していたというのが理由でしょう。

このような家を造ることで、プエブロインディアン達は住居と要塞建築の中間となるものを造っていたわけです。

そしてこうした彼らの文明の特徴は、おそらくアメリカの先史時代にまで遡るものです。


テラス状に家を重ねていく作り方で、一つの家の上に更にもう一つの家を作ります。

このような家の内部には、人形が掛かっています。

しかしこれは遊ぶためのおもちゃではなく、いわゆる「カチーナ」人形で、「仮面舞踏」の時に使うものを忠実に模して作られています。

ホピ族やズニ族を中心に、プエブロインディアンは万物に潜む精霊(カチーナ)を信仰し、それを表現する人形や仮面を「カチーナ」と称しました。

「カチーナ」は神々と人間の仲介者とも考えられていました。

農作業のさまざまな年中行事に、人間と自然の魔術的な仲介者として、この「仮面舞踏」が行われるのですが、この奇妙な習慣は、この農業・狩猟民族の宗教性の極めて独特な表現なのです。


工芸上の産物として、実用的な目的にも宗教的な目的にも極めて重要なのは、粘土製の「壺」です。

これを使って、生活に欠かすことのできない乏しい水が運び込まれるからです。


こうした容器の表面の模様の特徴は、自然現象の骨格を象った形の紋章にしていることです。

たとえば「鳥」は、その重要な構成部分に分解した形で描かれていて、結果として紋章めいた抽象的形態になっています。

「鳥」の抽象的形態は、いわば一種の先史文字=ヒエログリフとして読み取られることを要求します。


ここにあるのは、現実の写像と記号との間の、あるいは写実的な鏡像と文字の中間的段階なのです。

こうした動物たちを描いた装飾の作り方を見ると、このような視覚の在り方、思考の在り方がどのようにして象徴的な絵文字を産むに至るかが分かるでしょう。


            (引用ここまで)


              *****


>「先住民の村は二階建てあるいは三階建ての家々から成っていますが、入口は上にあって、外から「はしご」で昇っていく様に作られています。

下の階には出入り口のドアがないのです。

そしてこうした彼らの文明の特徴は、おそらくアメリカの先史時代にまで遡るものです」


著者はこの本全編において、ホピ族のこの「家屋」の構造をとても重視しています。

そして、著者は遠い昔=先史時代からのインディアン文明に思いをはせているのです。


>「このような視覚の在り方、思考の在り方がどのようにして象徴的な絵文字を産むに至るかが分かるでしょう」


著者は、とてもわかりにくいインディアンの描く記号のようなデザインや絵を、どうしたら読み解くことができるかと考えています。

インディアンによって描かれたもの、創られたものから、彼ら独特の考え方を理解することができるはずだと考えています。


wikipedia「ヒエログリフ」より

ヒエログリフ (hieroglyph, 聖刻文字、神聖文字) とは、ヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種の文字のうちの1つ。

エジプトの遺跡に多く記されており、紀元4世紀頃までは読み手がいたと考えられているが、その後使われなくなり、読み方は忘れ去られてしまった。

19世紀になって、フランスのシャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読により読めるようになった。

一般には古代エジプトの象形文字あるいはその書体を指すが、広義にはアナトリア・ヒエログリフ(英語版)、クレタ・ヒエログリフ、マヤ・ヒエログリフ(マヤ語の象形文字)など、他の象形文字に対しても用いられることがある。

ヒエログリフの呼称

ヒエログリフの名称はギリシア語の ヒエログリュピカ に由来し、「 聖なる + 彫る」 を意味する。古代エジプト遺跡で主に碑銘に用いられていたためこう呼ばれた。

文字の歴史

ヒエログリフがいつ頃使われ始めたかについてはまだ解明されていない。

エジプト原始王朝時代以前の紀元前4000年のGerzeh cultureの壷に描かれたシンボルがヒエログリフに似ていることが知られている。

紀元前3200年頃、上エジプトにあったen:Nekhenの遺構から1890年に出土したナルメルのパレット(英語版)の文字を最古のヒエログリフとする立場が長い間一般的であった。

紀元前3000年頃にはヒエログリフとヒエラティックが使い分けられていた。

ヒエログリフは主に石碑に刻んだりするための正式な文字で、言わば漢字における楷書に相当する。

一方、パピルスへ手書きするときにはヒエラティック(神官文字)が使われ、これは行書に例えられる。

エジプト中王国時代(紀元前2040年-紀元前1782年)にヒエログリフの改革が行われ、使用する文字の数を750程度に抑え、単語の綴りも一定化された。

当時、古代エジプト語は中エジプト語に移行した時期で、古エジプト語よりも細かいニュアンスを表現出来る文章語としての完成度が求められたことも要因として上げられる。

この改革は、同時代の古代オリエント世界において楔形文字でも使用する文字数を減らす改革と、起こった時期が一致している。

もう一つの改革は、母音を表す記号がなく子音のみで音素を表現するアブジャドの原型となった使用法(ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字)が生まれたことである。ロゼッタ・ストーンのファラオ名表記はその一例である。

後に、この使用法から原シナイ文字から派生した文字体系にみられるようなアブジャド、アブギダ、アルファベットなどの文字体系が生まれた。

末期王朝時代のエジプト第26王朝(紀元前650年)頃にはヒエラティックの簡略化が進み、草書体とも言うべきデモティック(民衆文字)となった。


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ホピ族と蛇(1)・・自然現象への呪術的崇拝

2013-10-08 | ホピ族


ヴァールブルク著「蛇儀礼―北米プエブロインディアン地域で見た様々なイメージ」という本を読んでみました。

著者は1923年に同タイトルで講演を行っており、それが書籍となったものです。

プエブロインディアンとして描かれているのは、ホピ族です。

著者は、ホピ族における「蛇」について考察しています。

ホピの研究書として、とても古いものでもあり、重要だと思いました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

 
            (引用ここから)


「プエブロインディアン」という名前の由来は、スペイン語で「村」を意味する語(プエブロ)で呼ばれる複数の集落に、彼らが定住していることにあります。

そのように呼ぶのはまた、現在プエブロインディアンが定住しているニューメキシコやアリゾナの同じ地域で何十年か前までは狩猟と戦いにあけくれていた流浪の狩猟民族と区別するためでもあります。

私が興味を引かれたのは、アメリカのいわば真ん中に、未開の時代の異教的な文化の飛び地が残っているという事態、そして彼らが農業と狩猟を目的とした魔術を、今なお断固として守っている点であります。

この地域では、いわゆる迷信と生活の活動とが相互に手を携えて生きているのであります。

この迷信とは自然現象に対する、そして動物や植物に対する呪術的崇拝です。

インディアン達はそれらが生きた魂を持っていると思い、しかも何にも増して、仮面をかぶって行う自分たちの踊りでこうした様々な魂に力を及ぼすことができると信じているのです。

このように狂信的な魔術と冷めた合目的的な行動が同居している様は、我々から見ると分裂の印にしか思えません。

ところがインディアン達にとっては、分裂でもなんでもなく、それどころか人間と環境世界との間に限りない結合の可能性があるという、解放の体験なのです。


この地域には固有の宗教形成のファクターがあります。

それは水不足です。

水不足と、水への渇望の故に、魔術的儀礼がなされたからです。

土器の装飾を見ただけで、宗教的象徴の基本的な問題が見えてきます。

見た目にはただの飾りに見える模様が、実は宗教的に解釈する必要があり、宇宙論的に解き明かし得るのです。

それを示しているのが、私があるインディアンからもらった一つの絵です。



この絵では、宇宙論的表象の基本的要素である「家」・・それは「宇宙」が「家」の形をしているという、宇宙論的な想念・・の近くに、非合理的な大きさで動物が描かれています。

謎めいた、そして恐ろしいデーモンとしてここに現れているのは、蛇なのです。


また、自然に魂を見るアニミズム的儀礼の最も激しい形態は「仮面舞踏」です。

これは純粋の動物舞踏であったり、あるいは木を崇める舞踏であったりします。

最後に重要なものとして、生きた蛇との舞踏です。


               (引用ここまで)


                *****


蛇を中心とした、ホピ族の魔術についての研究です。

著者は、ホピ族のことは、「彼らが農業と狩猟を目的とした魔術を、今なお断固として守っている」人々としてとらえています。

文中の絵は、「インディアンの学童が描いた蛇型の稲妻の絵」というタイトルがついています。

家の左右の上方から下りているものが、蛇なのだと思います。

この絵が、ホピ族の世界観を表わしていると、著者は考えています。

ホピ族は家と世界とを、相似形でとらえていると考えています。

そして、世界は、ただ一つ、蛇とつながりをもっていると述べられています。



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「ホピの祭り・・「蛇」宗団と「カモシカ」宗団の儀式(1)

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小原田泰久「ホピ的感覚」(5・終)・・選択した道が正しいか、やがて結果が出る

2012-08-03 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
 

         ***** 
     

        (引用ここから)


「ホピの予言」では、物質を神様とする道を歩き続ければ、結果的に自ら進んで破滅を迎え入れると言われている。

神様というシナリオライターからすれば、役割を演じきれなかった人たちの末路と言うしかないだろう。

気づきのドラマは、誰にも平等に与えられているはずなのだから。



人間は何のために生きているのか、という難問について考えてみたい。

もしこの質問をホピの長老マーティン氏にしてみたら、どんな答えが返ってくるだろうか。

きっと彼はこう言うに違いない。

「聖地を守るため」

それが彼らホピの長老たちがグレートスピリットから与えられた大きな役割だった。

そしてその役割を全うすることが地球を破滅から救うことであるし、素晴らしい夢の世界を作り上げることにつながっていくことも、彼らはグレートスピリットから教えられた。

彼に与えられた役割は、彼自身の魂に深く刻まれている。

魂の側から見れば、魂はその役割を果たす手段としてマーティン氏の肉体をまとい、ホピの村に生まれてきたのである。

そして重大な役割を果たすことによって、魂はそのレベルがまた一歩、完全無欠の神様の領域に近づくのである。


人間は肉体を持っているばかりに、つまらない欲望に振り回される。

欲望に振り回されるということは、魂の本来の目的達成、役割の全うにとっては大きな足かせとなる。

そんな足かせをはめられながら、それでも自分の役割を忘れることなく、肉体的な欲望に打ち勝つことが、魂の修行なのである。

マーティン氏は電気、ガス、水道を使った便利な生活を得ることができるにも関わらず、それを頑なに拒否している。

これは彼の魂の叫びである。

肉体的な快適さや便利さよりももっと大事なものがあることを、快適さ、便利さに流されることが修行の妨げになることを、魂がきちんと知っているからこそ、彼は昔ながらの不便で退屈な生活にこだわっているのである。

すべての人には、それぞれの魂に役割が与えられている。

そのことを知り、その役割を全うすることを第一に考えることこそ、私たちが生きていくうえでもっとも重要なことなのである。

そのためにもまず知らなければいけないのは、私たちの舞台が魂の修行の場であることである。

肉体を大事にするあまり、魂が成長するどころか、退化してしまったというのでは、私たちがこの世に生を受けた意味がなくなってしまうのである。


長老たちは「ホピの予言」が当たっているとか当たっていないとか、そんなことを議論しようとしているわけではない。

「予言」は神様からのメッセージである。

こういう生き方が本当の生き方ですよ、道をはずすと、こんなことになりますよ、と神様が教えてくれているのである。

その教えを道しるべとして、あるいは戒めとして生きていくのは、人間として当然のことだと彼らは認識して生きてきた。

その当然のことが通用しなくなってきたことが大きな問題なのである。


ホピ族には5つの石版についての予言が伝わっている。

その石版は、この世界が始まった時に、兄弟たちが一枚ずつ持って世界各国へ散っていったと言われている。

ホピの村にも一枚が残っている。

浄化の日には、その石版がホピの地に集まってくる。

「予言」ではそう言われている。

今、その石版と思われるものがあちこちでみつかっているそうだ。

日本でも、「ホピの予言」と同じ内容のことが絵として刻まれた石が見つかった。

それが何を意味しているのか?

浄化の日がいよいよ大きな山を迎えるということではないだろうか?

今私たち人類は、とても重要な時期に差し掛かっているのである。

そのことをしっかりと心に刻みこんで、一日一日を神様の意思に沿った正しい道を模索しながら生きていかなければならないのである。

自分の選択した道が正しいかどうかは、やがて結果が出るはずだ。

その結果はすべての人に示されるだろう。


           (引用ここまで)

            *****
 

筆者はわかりやすくまとめておられると思いました。




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「ホピ的感覚」(4)・・正しく生きていれば精霊に守られる

2012-07-30 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

          (引用ここから)

ホピ的な生き方

私たちが生き方を見つめ直す上で、「ホピの予言」から得るものは大きい。

「予言」には、マサウと呼ばれる創造主が私たち人間に正しく生きる道を示してくれたとある。

その道を歩んでいけば、特別な修行や努力をすることもなく霊性を高めることができ、自然に次のユートピアともいえる世界に辿り着けるのである。


マサウが示してくれた道とは、どんな道なのか?

伝統的なホピの人々の生き方から、その答えは見つけだすことができるはずである。

もっとも重要な点は、ホピの人々が精霊と共に生きてきたということだろう。

カリフォルニアピークスという山に住む1000を超える数の精霊たちは一年の半分をホピの村で過ごし、人々にさまざまな恵みを与えてくれた。

作物が成長し、人々が喉を潤すに必要なだけの雨を降らせてくれ、家を作るに十分な石と土、衣類になる植物や動物を与えてくれたのである。

ホピの人々は、心からの感謝を込めて、それらを精霊から受け取った。

もちろん精霊たちは人間の目に見える存在ではなかっただろう。

しかしホピの人々は精霊の存在を感じながら生きていた。

精霊たちが導いてくれていることを実感として感じていたのである。


精霊たちとの接触は祈りによって行われた。

祈りの形はさまざまだったろう。

彼らの踊りもその一つだろうし、メディスンマンが行うような儀式も、精霊たちへの意思の伝達手段としてあったのだろう。


ホピの人たちは、神様は存在するという前提のもとに生きてきた。

そして神様はすべてに宿っていると考えていた。

この世の出来事はすべて神様の意思で起こってきたものである。

だからどんな災害が起ころうと、どんな不幸に見舞われようと、彼らにとっては、それは神様の意思であるから、感謝の気持ちですべてを受け入れることができたのだ。

食糧が無くなっても、いつかそれは与えられるものであるから、彼らはじっとその時が来るのを待った。

雨が降らなければ雨乞いをしながら、神様が降らせてくれるまで辛抱強く空を眺めていた。

それで生きるのに十分な食料や水を得ることもできたのである。


神様はけっして悪いようにはしないと信じているから、そのようなことができるのである。

自分たちの願いは必ず神様の下に届くと信じているから、けっして焦ったりすることもない。

さらに彼らが知っているのは、神様の意思の前には、人間の力など無力であるということだ。


現代人の力をもってすれば、砂漠に水道を引くことも可能だろう。

トラックで食糧を運んでくることもできるだろう。

しかし彼らはそれをしなかった。

神の意思を感じることなく飢えや渇きを癒しても、一時しのぎにすぎないことを知っていたのである。

神様は、自分たちが正しく生きていれば必ず守ってくれる。

食糧がなかったり、水が不足するのは、自分たちが何か間違っているからだ。

彼らは何が間違っているのかを考え、答を出す。

そうすれば畑にトウモロコシが実り、雨も必要なだけ降ってくるのである。

神様がいることを前提にした生き方がより多くの人に広がっていけば、地球も、人間以外の生き物や物も、どんどん健康を取り戻していくだろう。

すべてが幸せになる生き方が、神様の存在を前提にすれば可能になってくる。


               (引用ここまで)

                 *****


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クリスタルの入った機械で人間は振り分けられる・・小原田泰久「ホピ的感覚」(3)

2012-07-22 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

           (引用ここから)


マーティン氏は来日を機会に、日本人に向かって貴重なメッセージを残している。

宮田雪氏が雑誌「ハイ元気」(さわやか出版)で紹介しているので、引用させていただこうと思う。


              ・・・


「私たちは、ここに一つのメッセージを伝える使命を持って参りました。

今、この世界に何が起こっているのか、今後何が起こるのかということを、皆さんに伝え、私たちの知識を分かち合いたいと思っております。

私たちが、住んでいる土地にやってきた時に、そこを私たちは「家」と呼んでいますが、そこで創造主と出会い、掟を与えられました。

しかし私たちの土地では、若者たちの多くは創造主のことを忘れ、長老たちの言うことに耳を傾けず、掟を無視し、その傾向はますます強くなりつつあります。

私も皆さんのように、若い時には、この預言や知識について聞いてもよく理解できず、初めて長老たちから聞かされた時には、これは全部でたらめだと思ったものです。

しかし年をとるに従い、その知恵というものは、すべて真実で、その通りに物事が進んでいるということ、今私たちがとても重要な時代の変化に直面しているということもはっきりと理解できるようになりました。


皆さんは本当の知識を求めています。

私のこの話を聞いて、怖くなったり悲しくなったり絶望的になったりするかもしれません。

しかしこれからお話しする私たちの知識を、きちんと記憶に留めてください。

必ずや皆さんの未来を助けるものとなるでしょう。

このメッセージの意味することをよく考え、次のステップを歩みだしてください。


私たちは創造主の法に従い、日本に来ました。

これからお伝えすることは、これからの皆さんの人生を決定するものとなるかもしれません。

私たちが今住んでいる世界というものは、非常に物質的な価値観が強い社会で、これは白人の世界です。

私は学校でたくさんの知識を詰め込まれましたが、それは何の役にも立ちませんでした。

白人は、世界中の先住民や、すべての人々の生活や精神を破壊しようという悪しき企みの下にこの文明を作りました。

そしてその文明が崩壊する時は、直前に迫りました。

私たちの命、未来が危険にさらされています。

ですから今一人一人が、何ができるのか、何をしたらよいのかを考え、行動していくことを迫られています。


今日はまだ大丈夫だと言えるかもしれません。

しかし近い未来にやってくる変化は、想像を超えるほど困難なものとなるでしょう。

UFOピープルと呼ばれる外宇宙の別次元に住む人たちも、この惑星で何が起こっているのかを逐一監視しています。

彼らがやがてその意図することを私たちの上に実現する時も迫っています。

同じ国家や民族や兄弟、親戚、隣人たちの間でさえも、争いが多発すると言われ、それはすでに私たちの間で起こっています。


いくつかの国では、すでに浄化が始まっています。

浄化のサイクルが始まると、それは加速度的に広まっていきます。

火山の爆発や地震、竜巻といった天変地異はその浄化のサインなのです。


私たちの土地には世界中からたくさんの人たちがやってきます。

そして私たちに同じ質問を投げかけます。

「どうやってこの困難な浄化の時を乗り越えて生きていることができるのか?」


その最善の答え、知恵は、創造主に対して強い信仰を持つことより他にはありません。

みなさんの伝統的な教えを守り、それを生きていくこと、その中にこそ「生存のための鍵」が隠されていると、私たちは信じています。

これは私たちに伝えられた知恵であり、決して強制するものではありません。

この知恵を生かしていくかどうかは、皆さん一人ひとりにあります。

創造主を信じ、祈りと強い信仰を持ち、その道を歩んでいく中にこそ、「生存のための知恵」が隠されているのです。

その道を歩んでいく中で、どうしたらよいのかを、どこに向かったらよいのかを、やがて皆さん一人一人の見る夢の中で、創造主が示されるでしょう。

私たちに預言された未来は、生存の非常に困難な未来です。

逃げられる所はどこにもありません。

外の世界の人々、UFOピープルはやがて、自分たちの力を行使し始めるでしょう。

すべてのものが凍りついてしまいます。

まるで氷河期のように。

残念ながら、この世界はもう美しくないのです。

未来も絶望的でさえあります。

しかし、どうか絶望しないでください。

創造主を信じ、祈り、強い信仰をもつことで、創造主は必ず夢を通して、その意思と知恵が訪れ、私たちを導いてくれると確信しています。


この浄化の時代には、多くの人の命が失われ、世界中でわずかな人たちしか生き残ることができないでしょう。

その生き残った人々は、やがて一つの土地に集まり、未来のために創造主の教えにそった生活を始めると言われています。


最後の審判の日、クリスタルの入った機械で、人間が振り分けられます。」


この言葉を最後にマーティン氏は黙ってしまった。

私たちはもうこれ以上質問するのは失礼なような気になった。

静かで重い一日だった。


               (引用ここまで)


                 *****


なぜこのような事が起きるのか、また、行われるのか、、想像もつかないことですが、大変興味深い事ではあります。

日本とホピ族に何らかの関係があるのか、あるいは、ないのかということも、想像もつきませんが、大変興味深い事ではあります。



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先住民に学んでこそ未来が開ける・・小原田康久「ホピ的感覚」(2)

2012-07-12 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。   

       *****


        (引用ここから)

1977年、ホピ族のメッセンジャーと出会ったことがきっかけで、宮田氏は人生の大半をインディアンの地で過ごし、彼らのメッセージを映像として残す仕事に専念することになったのである。

宮田氏は語った。

「アメリカ大陸横断平和行進」の時にホピの予言のメッセンジャー、トマス・バニヤッカ氏に出会ったんです。

彼はホピ族に言い伝えられている予言を伝えるべく、世界を回っていました。

原爆が広島と長崎に落とされることが、「ホピの予言」の中で何千年も前から言われていたことを、彼から聞いて、非常に驚かされました。

トマス・バニヤッカ氏は、初めて会うわたしに、

『私はあなたがやってくるのを知っていた。
あなたたち日本人は特別の役割・使命を持った人たちだ。
太陽のシンボルを持つ人たちだ。

私たちは遠い昔からあなたたちを知っていた。
遠い昔に、私たちの土地から別の土地に分かれて行ったが、ある日帰って来て、私たちを助け、一緒になってこの世界を浄化していくだろう、と。

そういうことが、私たちが何千年も大切にしてきた予言に語られているのだ。』

と言ったのです。」


このバニヤッカ氏の言葉は、宮田氏にとって啓示であった。

以来日本でアニメや劇画のシナリオを書いてはお金を稼ぎ、それを全部アメリカへ持って行って、映画作りの資金とするという生活を続けているのである。

そんな彼の活動を理解する人が、ここ数年増えてきているという。

ホピのメッセージを聞ける人が、あちこちに現れてきたということだろう。

ホピ族を通して、地球の悲鳴がより多くの人の耳に届くようになったのである。


現代文明は、アメリカインディアンやアボリジニといった先住民たちの、神様と密接な関係を保ちながら暮らしてきた生活を破壊した上に成り立ってきたのだ。

精神性を無視した科学の発展は、私たちに“これこそ幸せだ”と思わせるような物質的な豊かさをもたらしてくれた。

しかしながらその代償として、私たちはこの何百年かの間で、得ることができた物質的な豊かさでは穴埋めできないような大切なものを失ってきたのである。

そのことに人々が気づき始めているのが現代だと、「ホピの予言」は言っている。

私たちは「ホピの予言」で言われているような、大きなターニングポイントを迎えている。

変化の必要性を本能で感じとっている。

その一つの方法として、もう一度古きインディアンの精神の戻ろうと、関心がインディアンたちに向かいつつあるのだろう。

いろいろな方法で新しい時代が語られてきたが、少なくともここ数百年の先住民を虐待してきた歴史の延長には、人類の未来が存在し得ないことは間違いないことだろう。

先住民に学んでこそ、未来は開けてくるのだ。

それが実現出来なければ、私たちには 自己破滅の道しか残されていないのである。

宮田監督は語った。


「ナバホ族の人たちの中には被爆者がたくさんいるんです。
1966年までアリゾナやニューメキシコではウラニウムが掘られていました。
その採掘現場や精錬所で働いていたのがナバホの人たちだったのです。」

ここで掘られたウラニウムは第二次大戦で広島・長崎に落とされた原爆の原料になったと言われている。

このことを「ホピの予言」の中では、

「太陽のシンボルを持つ国が灰のつまったひょうたんを二つ、空から投下され、すさまじい破壊がもたらされる」、と言い伝えられてきた。

多くのホピの人たちが村を捨ててしまう中、周囲からは非難や中傷を受けながらも、マーティン氏らはかたくなに予言の言葉を守ってきた。

彼らよりも年長の人はもう亡くなってしまっている。

彼らよりも若い人は「ホピの予言」を迷信だと馬鹿にしている。

今ではマーティン氏が「ホピの予言」を伝え守っていく最後の砦なのだ。

        (引用ここまで)


         *****


wikipedia「インディアン」中「レッドパワーによる主な抗議運動」より

1978年2月11日:「ロンゲスト・ウォーク」

BIA(インディアン管理局)によるインディアンの土地の開発に抗議して、サンフランシスコのアルカトラズ島からワシントンに向けて、400人以上のインディアン、白人、黒人、アジア人、日本人が4828キロ(3,000マイル)を行進したもの。

インディアン達は、ホワイトハウスの門前にティピーを建てた。

ロンゲスト・ウォークは、「涙の旅路」などのインディアン強制移住の苦難を再現したものであり、デニス・バンクスが、ジム・ソープの業績を記念し、平和的な抗議行動として発案したもの。

ジム・ソープの子供達も参加した。以後、現在まで毎年行われている。


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小原田泰久氏「ホピ的感覚」(1)・・インディアンの時代

2012-07-07 | ホピ族


1995年に出版された小原田泰久氏の「ホピ的感覚」という本を読んでみました。

90年代の時代風景の中のホピ族が感じられるように思いました。

著者は、気功術師や自然療法家と共に、映画「ホピの予言」制作監督の宮田雪氏の案内でホピの地を訪れたことなどを述べています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

この本のサブタイトルは「預言された浄化の日のメッセージ」というもので、帯には「本当の精神世界の時代を感じる・・サイババ・イルカ・ホリスティック医学・そしてアメリカインディアン」とあります。


                       *****


                     (引用ここから)


わたしは医療という分野を取材しながら、今という時代がまさに人類の、あるいは地球の歴史の中で、もっともダイナミックな変化を見せようとしていることを、自信をもって断言することができる。

そしてその変化の方向を示すことができるのは、現代社会で高い評価を得ている立派な科学者でも宗教家でもなく、そのレベルをはるかに超えた“偉大な宇宙の力”でしかないと強く感じるのだ。

その偉大な力からのメッセージを伝えるメッセンジャーが、現代にはたくさん出現している。

イルカもそういった役割を持っているのだろう。

そして本書で取り上げたインディアンも、今ではその一部の人だけにしか残されていないが、偉大な力と交信できる能力を持ち続けてきた。

彼らの声が、今、世界に響きつつある。

消えてしまいそうになってしまった声が、小さな輪から大きな輪へ、共鳴現象を起こしながら広がっているのである。

その背景には、私たちがその声に耳を傾けなければならない状況に追い込まれている現実がある。

環境問題しかり、エネルギー問題しかり。

宮田雪氏は1977年からアメリカインディアン・ホピ族のメッセージを映像に収めてきた。

ホピの人々の生きざまをとおして、今という時代がどんな状況にあるのかを、世界に訴え続けているのである。


「ホピをはじめとするインディアンたちは悲惨な目にあっています。そのことをほとんどの人が知らないでいる。

インディアンに関する本もたくさん出ているようですが、ほとんどが彼らの持つ神秘性のようなものを興味本位でとらえたもので、本当に今、彼らがどんなひどい状況におかれているのか、ひとことも触れていません。」

宮田氏の話を聞いて、わたしはぜひホピ族のことを本にしたいと申し出たのだが、その時も、

「本当にインディアンが、ホピ族がどういった状況に置かれていて、何を世界に向けうったえようとしているのか、しっかりと理解した上でやってほしい。」と強い口調で念を押された。

宮田氏は、インディアンたちの沈んだ目の奥にある人類に向けたメッセージを聞くことができる数少ない一人であった。


              (引用ここまで)
 

                *****


この本は何年か前に入手し、何回か読んだのですが、どのようにご紹介したらいいのだろうか、とずっと考えてきました。

「ホピ的」という言葉は初めて聞く言葉でしたので、どのように理解したらよいか、考えました。

現在、私は、「ホピ的」という言葉は、自分としては、まだ理解できておりません。



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