始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

死にゆく母との日々

2018-04-28 | 心理学と日々の想い




「チベットの死者の書」の資料は集めているのですが、実母の危篤にあり、分析・記述することができません。

実母の死にあたっては、自然死を選択しました。


今まで、何回も入院しては、老人ホームに戻るために、わたしは命をけずって努力してきました。

なぜなら、介助あり・無しありますが、口から食事をとれないと、老人ホームは受け入れてくれないからです。

胃ろうという選択もありますが。


娘が母に、なんとか、自分で食事をとれるよう、食べさせてあげ、自分で食べられるよう、心をくだいて協力する、ということは、人生のフィルムを逆回転させて見るようなものです。


かつて(前世)、わたしは、、おそらく、父母に、歓喜を持って誕生を受け入れいられ、この世に生を受けました。

そして、母の乳をふくみ、寝息をたてるわたしは、、おそらく、父母の間で、たいせつに見守られたのだとおもいます。


それ以上のことは、もう、人生で、いらない、とすら思います。


ただ、感謝ですし、無力なわたしをゆるしてほしいです。


もう10数年お世話になっている老人ホームでは、「看取り」を希望したら、「〇〇さんの最期なら喜んで看取らせていただきます」と、二つ返事でご了解をいただきました。

担当ドクターの了解も得ています。

ですから、わたしが、母ののどをしめて、殺そう、というわけではありません。


もう、水も飲めなくなって、8日になります。

夜が明けたら、9日目です。

救急搬送していただいて、息を吹き返した10日前に、母とは、ちゃんとお別れのご挨拶を、互いにしあいましたから、あとは、苦しまないで、その時をむかえてほしい、と思うだけです。


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「チベットの死者の書」(1)・・いかにして、輪廻から抜け出すか?

2018-04-21 | メディテーション



「チベットの死者の書」という本を初めて知ったのは、うんと若い頃でした。

わたしが持っているのは、初版1974年とありますが、わたしが手にしたのはもう数年、後のことでした。

この本は、非常に手ごわいので、なかなか上手に説明はできないのですが、「精神世界」というジャンルが日本の文化に登場した最初の時には、この本は中心的な位置を占めていた、と言うことはできるのではないかと思います。

そしてもちろん今も、仏教書のコーナーにも、スピリチュアル系のコーナーにも、心理学のコーナーにも、大学の先生が訳し直したものや、解説をしたものや、仏教研究家の方が書いたものなどが、並んでいます。

わかりやすい説明としては、「心理学者のユングが、大絶賛した思想書だ」と言うと端的だと思いますが、

歴史的にどのような経緯で、この本が書かれ、英語に翻訳され、ドイツ語に翻訳されたり、日本語に翻訳たりしてされてきたのか、

を辿ることは、もう人類史全体を旅するようなものであると言える、とすら言いたいと思うほど、わたしにとっては、思い入れが深い本です。


この「チベットの死者の書」によると、人間は、死ぬ時に、意図と知識を持っていれば、自分の死を認識し、さらに、輪廻をするかどうかを選ぶこともできるということです。

その旅は、死後49日続き、新しい子宮に入る旅が続く。

しかし、新しい子宮に入らない、という選択をすることもできる。

そのように、強い意思を持って選択すれば、輪廻の輪から抜けることができる。


本には、死ぬ時、死んだ直後、死んで数日、人の意識がどのような旅を行うかが、チベットの文化の言葉で力強く書かれています。

そして、目指すのは、二度と再受肉してこの世に生まれない、ということを、しっかりと考えながら、死出の旅路を歩むべきであり、歩むことができる、と書かれ、そのための細かい技法が述べられています。


エジプトの「死者の書」は、死後には、現世とよく似た世界があり、そこに到達するために、まわりの人々は、死体をミイラとして、いかに保存するかを研究しましたが、

「チベットの死者の書」は、現世、および、現世に似た来世、輪廻、どれも否定するべきであると考えられています。

この本は、チベットでは、広く知られており、家族が死ぬ時には、枕元で、この本を死者の耳元で大きな声で読んできかせるという風習があるそうです。

日本にもある、「まくら経 」というものが、いかに由緒ある伝統であるか、チベットの仏教が、日本にも深く浸透しているのだ、と思うこともできます。

日本の、49日という儀式そのものをかえりみる機会を与えてもらえます。

今日は、ここまでで終わりにします。

続きは、追って、投稿したいと思います。


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母が危篤のため、少し更新を遅くさせていただきます。

2018-04-17 | 心理学と日々の想い


すみません。

全くのわたくしごとなのですが、実母が危篤のため、ブログの更新が滞っております。


とは言え、数年前のわたくしでしたら、なにがどうして、どうなろうとも、文章の一つや二つ、なんとかなりましたことを思いますと、母ではなくて、わたくしの、老化現象なのであろうとも思います。


昨年紹介させていただいたことで、一番心に残っていますのは、「ラスコー洞窟展」の研究でした。

なんと、クロマニヨン人(現生人類)は、ものを描写するという行為の最初から、幻覚を描いていたのだ、ということは、とても言葉では言い表せないほどの衝撃でした。

表現ということのパラドックスを思い、心から震撼いたしました。

そして、もし、わたくしのこんなブログが、多少なりとも価値があるとすれば、そのような、本当に人間の文化において価値があることの資料を集積したもの、である以外、なにものでもありません。

これからも、一生懸命に努力いたしますので、どうぞご愛読いただければ、幸いです。


今は、心の余裕がある時には、アボリジニ文化の本を読んでいます。


それは、ドリームタイムというものの上になりたつ文明であり、今の我々の文明とは、全く異なった文明と言えると思います。


ドリーム。。

タイム。。


どちらも、わたくし個人的に申し上げれば、吐き気がしそうな言葉ですが、翻訳の問題もあるかもしれませんし、言わんとすることは、分かると思っております。


わたくしのカテゴリーでいうところの「先住民族」の文明は、どう考えても、本物です。


なぜ、そのような、本物の文明が消えてしまい、今のような、吐き気をもよおすような、あるいは、精神を病んでしまうような文明が、代わりに存在するのか?ということが、当ブログの命題でございます。


当ブログも、10年続けさせていただけました。

いろいろなテーマを経巡るために、あきれておしまいになる方々もたくさんいらっしゃると思いますし、とある特定のテーマのブログとして、好んでいただけることもあるかもしれません。


ほんとうに、至らないことばかりで、泣きたいような気持になることもございますが、どうか今後とも、お読みいただけますよう、尽力いたす所存です。

更新が遅れておりますことを、重ねて、お詫び申し上げます。








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