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古代の日朝交流、広がるロマン・・韓国から九州の石器、山形にも

2014-07-21 | 日本の不思議(古代)


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「日朝交流、広がるロマン・・韓国から九州の石器、山形にも」
                   2013年1月21日朝日新聞


「旧石器時代」

仙台市の「地底の森ミュージアム」では昨年末、東北地方と朝鮮半島のつながりを、約25000年から20000年前の石器から考える展覧会が開かれた。

主役は、形の似た日韓の石器だ。

先端が槍先のように尖り、根本に「えぐり」を入れた、山形県新庄市の遺跡出土の「剥片尖頭器(はくへんせんとうき)と、韓国光州近くの遺跡出土の「スンベチルゲ」。

ともに狩猟などに使われたらしい。


この石器はもっぱら九州で出土し、朝鮮半島との交流を示すものとされてきた。

約25000年から20000年前は氷河期で、九州北部と朝鮮半島の間は陸続きか、海峡が狭かったと見られる。

スンベチルゲが見つかった韓国の遺跡では、九州の黒曜石を使った石器が見つかった。


今回はそうした「石器文化の広がり」の可能性を、遠く東北地方にまで広げた点に新味がある。

主催者は「これだけで朝鮮半島から人が来ていたとは言えないが、文化交流の波が東北にまで波及していた可能性はある」と話す。


石器文化に詳しい安蒜政雄・明治大教授は「この時期は九州で遺跡が急増し、朝鮮半島から大勢の人が渡って来たと考えられる。

「剥片尖頭器」は長野や神奈川でも出土しており、人の移動が九州、四国、中国、関東をへて山形まで及んだかもしれない」と見る。

「日本から大陸へ渡る動きも含め、東アジア全体で人と物の動きを検討すべきだ」と話した。



「日韓の文字文化」

一方、国立歴史民俗博物館は、朝鮮半島との関わりから日本の文字文化を考えるシンポジウムを都内で開いた。

日本は漢字を受け入れ、かな文字などの表記を発展させてきた。

同館は10年来、韓国と共同研究をし、中国との関係で語られがちな日本の文字文化の源流に、古代朝鮮が関わっていたことを、多くの資料とともに示した。

韓国では、日本独自の国字とされてきた「畠」「鮑(あわび」を記した木簡が見つかっている。

記録に欠かせない文字の使用の歴史からは、古代社会の姿も見えてくる。

韓国で出土した7世紀の木簡から、農民に種もみを貸しつける日本の出挙(すいこ)と同様の仕組みが、古代朝鮮の百済にもあったことがわかった。

今回は新たに、日本と古代朝鮮で同じ読みをする漢字があることが発表された。

埼玉県・稲荷山古墳の鉄剣にあるワカタケル大王(雄略天皇)の名と、7世紀半ばの百済の木簡にある人名「スガル」に使われた「ル」の文字だ。

館長は、「同じ音に同じ漢字を当てたのは、両国に共有する文化があったからでは」と話す。

また文字文化の交流を担った人にも着目。

館長は、韓国や日本の木簡にある「作文人」は、「仕事で文字を書く人」を意味すると考え、「古代日本では多くの渡来人が文筆に関わっていた。

「日本三古碑」の一つ、多胡碑(高崎市)のある群馬県など、渡来人の多い地域に文字に関わる遺跡が多い」と話す。

李成市早稲田大教授は、
「古代朝鮮の百済、高句麗、新羅から派遣された僧や留学生が、聖徳太子ら日本の中心人物と交わった事例をあげ、文字文化の発展に仏教が果たした役割」を報告した。


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