始まりに向かって

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追悼・三笠宮殿下・・(再掲)死んでよみがえるのが、王の務め「古代エジプトの神々」(3終)

2016-10-29 | エジプト・イスラム・オリエント


三笠宮殿下ご逝去を悼み、2013年に当ブログにご紹介させていただいた殿下の研究書「古代エジプトの神々」を再掲させていただきます。

3回記事の3つ目です。

日本の天皇制の由来も含め、何事も広い視野で相対的に捉えようとした、博学で心根の広い殿下のご冥福を、お祈り申し上げます。


               *****

             (再掲ここから)





「エジプトのオシリス(3)・・死んでよみがえるのが、王の務め」
                        2013-02-04 | エジプト・イスラム・オリエント



引き続き三笠宮崇仁殿下著「古代エジプトの神々」を紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****


              (引用ここから)


神から王が授かった霊力も、永続的なものではなかった。

王の霊力が衰えると、農作物が不作となるし、天災地変が起こると信じられていたから、そのような現象が生じると王の霊力が失われたとみられたのである。

フレーザーの大著「金枝篇」の主題がまさに王の霊力が低下したために殺される、いわば社会制度としての「王殺し」であり、この問題が古代社会においていかに重大なことであったかが納得できる。


日本の天皇とても例外ではなかった。

即位の際に行われた大嘗祭で授かった霊力は、毎年行われる同様の儀礼「にひなめのまつり」(新嘗祭)によって更新された。

今日では、新嘗祭は11月23日の夕から翌朝にかけて、皇居内の「神嘉殿」で天皇自らとりおこなう。

そこは普段は空き家であり、これは農家の収穫儀礼で田の神をお迎えするのと全く軌を一にしている。

大嘗祭または新嘗祭は、五穀豊穣の原動力と考えられた天皇の霊力の継承、または更新であったから、単に皇室だけの祭儀ではなく、むしろ全国農民の悲願実現のための農耕儀礼であったのである。


エジプト王も同様の目的のために「ヘブ・セド」と呼ばれた祭儀をおこなったことが記録されている。

最初は毎年の行事だったかもしれないが、現在の資料では即位30年に行ったとされている。

この「セド祭」における特殊の行事は、「ジェド柱」を建てる儀式で、それはオシリスが死から奇跡的に蘇った神話の再現、すなわち王の霊力の復活を願って行われたのであろう。


このようにオシリスは復活神と信じられたから、顔は緑色で描かれた。

古代エジプトでは緑色は植物の色であり、生命発生の色であり、そして善を産む色とされていた。

それゆえオシリスは「偉大な緑色」という称号さえ与えられた。

ただしオシリスは一度死んだのであるし、冥界の王となったのであるから、その体は白色の死衣をまとったミイラの姿をもって表されるのを常とした。

ホルスとして現世に君臨したエジプト王も、死ねば冥界に赴いて、父のオシリスと合体すると信じられたのである。

古代エジプトでは来世への吸引力が強く、古代日本では現世の吸引力が強いという特色を持っていた。


              (引用ここまで)



(写真は左向きに座っているオシリス神。緑色の顔と、白いミイラ状の衣服をまとっている)


                *****



吉村作治氏の「ファラオと死者の書・・古代エジプト人の死生観」という本にも、「セド祭」のことが書かれていました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



                *****



              (引用ここから)


「セド祭」の起源は古く、農耕文化がはじまって「王」という身分が現れた頃にまでさかのぼるとされている。

日本でも、農耕儀礼として最も古いものの一つに、「新嘗祭」がある。

稲の刈り入れが終わった頃、刈り取られて死んだ稲の霊を復活させ、次の年の豊穣を祈るというもので、これと同じように、古代エジプトでも、穀霊を象徴化したオシリス神の再生・復活の神話がある。

そのオシリス神はまた、王権の象徴でもあり、死したオシリスはオシリス神となって来世に復活すると信じられていたように、

古くは王の活力そのものが大地の豊穣に影響すると考えられ、健康を害したり、年老いて活力のなくなった王は殺され、若く活力に満ちた王の即位が求められるということがなされてきたのである。

ちなみに、日本の天皇もまた、稲の能力を宿すものとしてあり、皇位が継承されるときには「大嘗祭」をもって稲の霊を新天皇のもとでよみがえらせるという。

ところで、文化程度が向上していくにしたがって、この「王殺し」の風習は儀式の中で処理されるようになり、長期にわたって統治してきた王の活力を、儀式を通して回復させることを目的とするようになる。

王は象徴的、形式的に殺され、若返り、活力を取り戻して、再び即位するという「王位更新」のための儀式に変わっていった。

そしてエジプトに統一王朝が興った頃には、すでに「王位更新」の儀式として確立していたのである。


「セド祭」は、ナポレオンの発見したロゼッタストーンのギリシャ語碑文では「30年祭」と訳されるように、王の在位30年目に、第1回目が行われ、以降は3年ごとに繰り返される。

祭の開催にあたっては、まず儀式のための建築群が用意された。

サッカラのジェセル王のピラミッドコンプレックスの一角に、「セド祭の中庭」と呼ばれる、王が生前行ったと思われる「セド祭」用の建築群の石造模型が作られているが、実際の建物は石で造られることはなかった。

古代エジプトでは現世の生活に関係する建築物は、王宮をはじめとしてすべて、王の死や儀式が滞りなく終了したときには取り崩せる泥レンガなどの素材が用いられたため、現存しない。


祝祭日の前夜には、王の死を象徴する行為として王の像が埋葬される。

当日は、まず王の「疾走の儀式」が行われる。

走ることによって、自らの活力を証明して見せるのである。

そして、祭壇の上に設けられた玉座に座り、上下エジプトの各州の守護神を前にして、上エジプトの神々の前で上エジプトの王としての白冠を戴き、下エジプトの神々の前では下エジプトの王としての赤冠を戴く。

こうして若返った新王が誕生するのである。


しかし、祭の性格も時代が下がるにつれてさまざまな儀式が加えられ、王位の更新というよりは王の長寿を祝い、今後の繁栄を願うというものが中心になっていった。

臣民から王へ、多くの献上品が奉納され、王からもねぎらいの品々が下されるということが行われた。

また、本来は「セド祭」とは関係のない「大地の豊穣を祈願する儀式」や「聖牛アピスの巡礼」、「収穫祭」「ジェド柱の建立」といったものが、付け加えられていったのである。

中でも、「ジェド柱の建立」は、オシリス神を象徴する「ジェド柱」を建立するという行為によって、一度死んだ穀霊の再生・復活、すなわち王の再生・復活を表す儀式、王に新たな生命と繁栄、健康、喜びなどをもたらす儀式として、新王国時代以降重要視されるようになった。


                (引用ここまで)


                 *****


ジェド柱というものは、よほど大切なものと考えられていたようで、「オシリスの脊髄」という表現もされているようです。

走ることの神聖さは、アメリカ・インディアンのロンゲスト・ウォークや、ナスカの果てしなく長いライン、インカの祭りの勇気試しのマラソンなどにも示されていると思われます。

オリンピックも本来は聖なる儀式であったと思われます。





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などあります。(重複しています)


             (再掲ここまで)

               *****
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追悼・三笠宮殿下・・(再掲)大嘗祭との類似「古代エジプトの神々」エジプトのオシリス(2)

2016-10-28 | エジプト・イスラム・オリエント




三笠宮殿下ご逝去の報を聞き、ご冥福をお祈り申し上げ、3年前にご紹介した殿下の研究書のご紹介を続けさせていただきます。
3回記事となります。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****


             (引用ここから)


「エジプトのオシリス(2)・・大嘗祭との類似」
                2013-01-31 | エジプト・イスラム・オリエント



引き続き、三笠宮崇仁殿下の「古代エジプトの神々・・その誕生と発展」を紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                   *****


                 (引用ここから)


日本の皇位継承の諸儀式の中で、最も重要なのが「おほにへのまつり(大嘗祭)」である。

一般的には、天皇が、新穀(米と栗)や、新米で造った白酒と黒酒、その他の神饌を天照大神はじめ神々に供え、天皇もそれらを頂く「神人共食儀礼」と言われている。

確かにそれは事実である。

この祭の起源は、日本に稲作が伝来した時までさかのぼるはずであるが、当時の記録はないから、古事記や日本書紀にある神話を媒介としてそれを求めねばならない。

この祭では、神座が二か所に設けられること自体が珍しいが、ことに第一の神座はきわめて特殊である。

まず「八重畳」が敷かれ、その南端に「坂まくら」が置かれ、「おふすま」(御衾)がかけられる。


「ふすま」とは、夜具である。

この夜具に関連する記録としては、日本書紀に天照大神が「真床追衾を以って・・“あまつひこひこほのににぎのみこと”に覆いて、降りまさしむ」というのがある。

神話では「ひこほのににぎ」の親は「おしほみみ」であるし、子は「ひこほほでみ」である。

つまり、これら三代の神名に共通しているのが「ほ=穂」である。

とすると、古典の記事は、「稲魂の入った稲穂」が「ひこほのににぎ」という人格神となって天から下ったことの象徴であろう。

そうなれば、第一の神座は、「ほのににぎのみこと」つまり「穀霊」が天から下るドラマの舞台だったと考えられるが、そのドラマがどんなふうに演じられたかは今では知るよしもない。


以上の仮説においても、そのドラマの主役が「穀霊」だけとは言えない。

神話で「ほのににぎのみこと」の子孫が日本の天皇となっているから、そこには「祖霊」が加わっていると見なすべきであり、それが従来いわれた「天皇霊」であろう。

そして新帝がそれを身に着けることこそ、即位の諸儀礼の中でもっとも重要だったに違いない。

また「第二の神座」というのは、新帝が十柱分の神饌を供するためのものであった。


エジプトの場合も、「穀霊」オシリスの「種」をイシスが受けて、ホルスが生まれ、ホルスは新王となった。

言い換えれば、ホルスは「穀霊」と「祖霊」とを継承して即位したのであり、エジプトも日本も、古代における王位継承のパターンは類似していたと思われる。


                    (引用ここまで)


                      *****



鳥越憲三郎氏著「大嘗祭・新資料で語る秘儀の全容」を読んでみました。

大嘗祭という日本古来の神事を、世界的な視野で考えておられます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



                    *****


                   (引用ここから)


再生の場としての「寝座」

大嘗会の中でも、大嘗宮における儀礼については、厳重に秘事として口外することが禁じられてきた。

「寝座」は、なにを意味するものであったのだろうか。

もと大嘗会は新嘗祭にもとづいてつくられ、天武朝に起源するものと思われるが、大宝令で大祭として制定されて以後、天皇権の宣揚に伴って、幾多の変革をもたらした。

「日本書紀・神代の巻」に載せる神話は、7世紀末から8世紀初頭にかけての政治・社会を反映してつくられたものであろうが、その神話をはじめ、初期天皇紀の中に、重大な事件を「新嘗の日であった」とするものが多く見られる。


上代の新嘗会には、儀礼の中で床に臥すことが必要であった。

床に臥すことは、死の擬態を意味し、死して後、神としてよみがえるためであった。

稲穂が刈られることで「穀霊」は死に、冬至において復活すると考えられたのも、同じ思想に基づくものである。

そのため冬至に行われていた新嘗祭、その後の大嘗祭においても、「穀霊」の復活を促す歌が歌われながら、新穀は臼でつかれた。


「死して後蘇る」思想は、世界に普遍的にみられるもので、古代や未開社会に見られる「首狩り」も、本来は農耕儀礼として行われていたもので、

殺された人間は神として復活し、その一年間、農作物の豊穣と人々の安寧を守ってくれると考えられていたものである。


そうした「首狩り」が、中国の解放時まで、雲南省に住むワ族に伝わっていた。

その起源は古く、紀元前の雲南に栄えた国の王墓から出土した多くの青銅製の神殿や貯貝器などに、殺された人間を神として祀る情景が生々しく表現されている。

その後裔であるワ族も、首を聖杯で神として祀る。

そのワ族をはじめ雲南・四川・貴州に住む多くの少数民族を、日本人と祖先を同じくするものとみる説を提唱している者であるが、彼らは農耕神として復活した神を「蛇神」とみており、それは紀元前から続いている。


我が国でも、「田の神」を「蛇神」とする信仰が伝わっている。

愛知県の国府宮神社では、江戸期の中ごろまで仕事始めの1月11日に、旅人を捕えていけにえにしていた。

このほか長野県の諏訪大社や福岡県太宰府の観世音寺でも、同じく氏子や旅人を殺して神として祀った。

これらは古社古寺であったために伝承されたもので、古くは広く行われていたものと見てよい。


すなわち「人間犠牲」は、村ごとに、部族ごとに行われていたであろうが、王者となる者は「死して後神としてよみがえる」思想に基づいて、物みな復活する「冬至」の「新嘗」の日に「床に臥す」所作により、神性をもって再生したことを、一般民衆に示そうとしたものと考えられる。

王や酋長は、宇宙の至高神である「日の神」の子孫であるという思想、すなわち日子思想は世界のあらゆる民族に見られた。

        
              (引用ここまで)

    
                *****

                ・・・・・

wikipedia「首狩り」より

「首狩り」は人間を殺し、首級をあげる事を中心とした古い宗教的な慣行のひとつ。

台湾原住民、インドネシア、オセアニア、インド、アフリカ、南アメリカなどで広く見られた慣習であるが、今日ではほとんど消滅したと言われる。なお、古代のスコットランドでも行なわれていた。

自身の所属する集落以外の(時に敵対関係にある)人間を殺害し、切断した犠牲者の首級を持ち帰る。

頭骨の保存に重点が置かれる場合、頭蓋崇拝と呼ばれることもある。

理念

諸説ある。一説では、基本的な理念として人間の頭部に霊的な力が宿るという信仰が根底にあり、その力を自分のものにし、操作しようとする呪術的、宗教的な行為として生まれた行為である。

他方、豊作や豊漁・豊猟を確保するための首狩、死者に他界で使える者を確保するための殉死的首狩、また戦闘での勲功を証明するために首級を持ち帰る首狩(首取)、勇気を示し一人前の青年として結婚可能である能力を示すための首狩、復讐としての首狩、神意を知るための首狩、など首狩の理念には非常な多様性が見いだされる。

首狩りの風習があった部族

エクアドルアマゾン上流のヒバロ族   首級を乾首 (ツァンツァ) に加工していた

フィリピンルソン島のボントック族、イフガオ族、ティンギアン族  祭りの一環として行われた

ボルネオのダヤク族、イバン族   結婚するための条件として首級を手に入れる事があった

南アメリカエクアドル領のヒバロ族   死者を弔う為の葬式の一部として実施された

台湾のアタヤル族(高山族)   成人式の一部として実施された

インドネシアセレベス島のトラジャ族   多産や豊穣の儀礼として行った

ミャンマー北東部のワ族   春の播種期に豊作祈願の行事として首狩りを行った

               ・・・・・


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追悼・三笠宮殿下・・(再掲)「古代エジプトの神々」エジプトのオシリス(1)王権の由来と植物

2016-10-27 | エジプト・イスラム・オリエント

三笠宮殿下がお亡くなりになったと知りました。

3年前に殿下の「古代オリエントの神々」のご紹介をさせていただいたことを思い出し、再掲してみます。
3回記事となります。

博学で開かれた心根をお持ちだった殿下のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

                ・・・・・

              (再掲ここから)




「エジプトのオシリス(1)・・王権の由来と植物」
                2013-01-24 | エジプト・イスラム・オリエント



古代アンデス文明が文字を残さない文明だったのと対極的に、エジプト文明は饒舌なほどに文字の文明だったと思われます。

古代の神聖王、古代の宗教国家という性質からは、二つの文明は似ているところがあるように感じます。

エジプト文明の中の死と生を調べてみたいと思いました。

最初に、三笠宮崇仁殿下の研究書「古代エジプトの神々・その誕生と発展」から、オシリス神話の一解釈を紹介します。

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                *****



                (引用ここから)


エジプト人は非常に古い時代から季節感を抱いていたようである。

一年中ほとんど雨が降らないから、季節のヒントは何といってもナイルの増水であった。

農作業と関連して、一年は三季、すなわち「増水季」、「出現季」、「欠乏季」に分けられていた。


「出現季」というのは、洪水が引いて土地が現れる意味であるが、減水後、撒いた種子から芽が出る時期でもある。

「欠乏季」は言うまでもなく、収穫後から次の増水までの乾燥期である。


そもそもオシリス神話は、農耕生活の中から生まれていた。


本来オシリスは穀物・・それは穀霊によって生を得、成長し、実を結ぶ物・・であった。


また、セトは暴風を象徴していたと考えられる。


その裏付けは、ずっと後代にエジプトにやって来たギリシア人がこのセトを「テュポーン」と名付けたことにある。

それはギリシア神話に出てくる怪物の名であるが、ギリシア語で「テュポーン」というと「激烈な風」を意味している。

今日我々が用いている台風の英語の「タイフーン」の語源でもある。


そうするとセトがオシリスを殺すのは、暴風雨が実った穀物をばらばらと地上に吹き散らすありさまを描写していると言えるし、また、オシリスが蘇生するのは撒き散らされた穀粒から発芽することを象徴的に表現していると受け取れよう。

この見解を補足するのはオシリスのシンボルの「ジェド柱」である。

これは大変古い時代から伝わっているので明確な説明は困難だが、本来は植物の茎を束ねた柱だったらしい。

上方に横棒があるのは、その柱に結び付けられた麦穂を表していると見られる。

そうすると、この柱が農耕儀礼に用いられたことは確かであり、「ジェド柱」には穀物のエネルギー、つまり穀霊が宿っていたことになる。

そして「ジェド柱」を表す記号は、安定とか永続とかを願う護符に用いられるようになった。


エジプトでは非常に古く「セペト」という行政単位ができた。

聖刻文字では「灌漑用の水路」を表す文字を用いている。

ギリシア人がこれを「ノモス」と呼んだので、今日もその呼称を用いることが多いが、本書では「県」と訳しておく。

その県が北エジプトに20、南エジプトに22形成されたことが知られており、前者は北エジプト王国の、後者は南エジプトの王国の基盤となった。


オシリスは「アネジェドに住む者」と呼ばれたが、その地名は北エジプト第9県の呼称であり、その中に「ジェドゥ」という都市があった。

おそらくオシリスのシンボルである「ジェド柱」と関係があったのであろう。


同地はまた、「ペル・オシリス」(オシリスの家)とも呼ばれたので、ギリシア人はそれをなまって「ブシリス」と呼ぶようになった。


                 (引用ここまで)


                  *****


オシリス神話が農耕に関わる神話であるという説は、初めて知りました。

オシリス神話を巡っては、さまざまな解釈がなされてきましたから、この説だけが正しいかどうかは分かりません。

でも、非常に古い由来をもつという「ジェド柱」に、オシリス神話の原点を見るという一つの解釈は、とても面白いと思いました。




wikipedia「オシリス」より

オシリスは、古代エジプト神話に登場する神の一柱。

オシリスとはギリシャ語読みで、エジプト語ではAsar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも呼ぶ。

イシス、ネフテュス、セトの4兄弟の長兄とされる。

王冠をかぶり、体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれる。

同神話によれば生産の神として、また、エジプトの王として同国に君臨し、トトの手助けを受けながら民に小麦の栽培法やパン及びワインの作り方を教え、法律を作って広めることにより人々の絶大な支持を得たが、これを妬んだ弟のセトに謀殺された。

尚、この際遺体はばらばらにされてナイル川に投げ込まれたが、妻であり妹でもあるイシスによって、男根を除く体の各部を拾い集められ、ミイラとして復活。

以後は冥界アアルの王としてここに君臨し、死者を裁くこととなった。

その一方で、自身の遺児・ホルスをイシスを通じて後見し、セトに奪われた王位を奪還。

これをホルスに継承させることに成功。

以降、現世はホルスが、冥界はオシリスがそれぞれ統治・君臨することとなった。

ただし、この神話はエジプト人自身の記述ではなく、ギリシアの哲学者プルタルコスによる「イシスとオシリスについて」に基づくものである。

オシリスの偉業は武力によらずエジプトと近隣の国家を平和的に平定し、産業を広めた古代のシリア王をモデルにしているとされる。

神の死と復活のモチーフは、各地の神話において冬の植物の枯死と春の新たな芽生えを象徴しており,オシリスにも植物神(もしくは農耕神)としての面があると見られる。

右図にあるように肌が緑色なのは植物の色を象徴しているからだといわれる。

古代エジプトの墓の遺跡に、彼の肖像が描かれたり、その名前が記録されているのはそのためであり、当時の人々の死生観に彼の存在が大きく影響していたことの現れであろう。



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「みいちゃんの挽歌」施設で焼き殺された自閉症の女の子(1)・・軽んじられた命

2016-10-25 | 心身障がい




やまゆり園のことはまだ続けますが、「みいちゃんの挽歌・・知的障がい者施設の中で何があったのか」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

著者は、殺された自閉症の「みいちゃん」のお母さまで、ペンネームは「瑞木志穂」となっており、その文字の中に、娘さんの本名=「瑞穂」(みずほ)という文字が埋め込まれています。

なぜこんな事件が起きたのか?
その後、解明されたのか?

悲しいことに、なにもわからないのです。

こんな理不尽なことがあるでしょうか?

暗澹たる気持ちで読み終えました。

ここでは、「前書き」と「目次」と「後書き」だけを載せます。

重い問題です。

まずは「前書き」をご紹介します。


         *****

       (引用ここから)


1992年3月14日、私の娘・瑞穂は千葉県内にある知的障がい者施設S園で、行方不明になりました。

瑞穂は3才10か月頃に、大学病院で自閉的傾向児と診断されました。

中肉中背だった瑞穂は、一般の人のような普通の会話はできなかったものの、人から話しかけられたことはほとんど理解できました。

19才の時からS園で生活していて、24才になっていました。

そのころには幼い時からの試行錯誤の教育がようやく実を結び、また手先の器用さも手伝って、一般に販売できるほどの手芸作品も製作していました。

私はそうした瑞穂のこれからの成長を楽しみに、そして期待もしていました。

それなのに、、。

「園の中はすみずみまで捜しましたが、いません」

というS園側の説明で、私たちは文字通り必死の思いで園の外部を捜索しました。

ところが、行方不明になってから13日目に、瑞穂は園の中から無残な焼死体となって発見されたのです。

瑞穂のその死は、どう見てもどう考えても、不可解としか言いようがありませんでした。

そのため夫と私は、情報を集められるだけ集め、瑞穂の死から3年近く経ってから、民事事件としてS園を提訴しました。

娘の死の真相を知るには、その裁判を通して知るしか方法がなかったからです。


この本は、娘・瑞穂が行方不明になった当初から、1999年3月29日にあった一審の判決までを、事実に基づいてドキュメントとして綴ったものです。

その間、世間では福祉を目的にうたった福祉工場の社長による知的障碍者への犯罪(水戸事件)や、福島にある知的障害者施設での園長による暴力や薬漬け事件などが、マスコミで大きく報道されました。

しかし、この種の問題が表面化するのは氷山の一角で、多くの場合は世間に知られることもなく、片付けられているのが現状です。


福島県の事件報道から数か月後、東京都社会福祉協議会が知的障碍者施設での暴力事件をまとめた小冊子を、施設関係者以外の一般の人々にも配布することを新聞で知りました。

さっそく注文したのですが、長い間待たされた挙句、「どこの施設か分かってしまうので、施設関係者以外には配りません」という理由で、ついにわたしの手元には届けられませんでした。

こうして、知的障碍者施設という密室の中の出来事は、世に問われることなく葬り去られてしまうことを、私は改めて思い知らされました。


とはいうものの、知的障碍者施設の入所者にたいして、献身的に接している施設職員が数多くいることも私は知っています。

実際に、この本に登場する施設の中にも、何人かはおられました。

その一方で、声なき声で叫んでいる入所者がいることもまた、確かな事実なのです。

娘・瑞穂の死を無駄にしたくない思いから綴り始めた私のつたない文章が、そうした人々のために、いくばくかのお役にたつことを願ってやみません。

もしそうなれば、瑞穂の魂も少しは救われるのではないかと思います。

と同時に、この本を書かずにいられなかった、私自身も。。


          (引用ここまで・続く)


           *****




wikipedia「水戸事件」より

「水戸事件」は、1995年に茨城県水戸市で発覚した知的障害者に対する暴行・強姦事件。

裁判の過程で、行政・司法当局の知的障害者に対する無理解が明るみに出ることとなったと被害者側の支援者が主張している。

事件の概要

茨城県水戸市の段ボール加工会社の有限会社アカス紙器(有限会社水戸パッケージを経て現・有限会社クリーン水戸)は積極的に知的障害者を従業員として雇用し、従業員全員を会社の寮に住まわせていた。

アカス紙器の赤須正夫社長は、障害者雇用に熱心な名士として地元では尊敬されていた。

しかし1995年10月、アカス紙器が障害者雇用により国から交付される特定求職者雇用開発助成金を受け取っていながら、実際には知的障害者の従業員に対してほとんど賃金を支払っていないことが発覚し、翌年社長は詐欺容疑で逮捕された。

詐欺容疑で赤須正夫社長の近辺を捜査する過程、彼が長年にわたり、従業員の知的障害者に対して虐待を行っていたことが判明した。

その内容は、角材や野球のバットで殴る・両膝の裏にジュースの缶や角材を挟んで正座させ、膝の上に漬物石を乗せて長時間座らせておくといった拷問ともいうべきものであった。

知的障害者の従業員たちは満足に食事を与えられておらず、時にはタバスコをふりかけた飯や腐ったバナナなどを食べさせられることもあったという。

さらに知的障害者の女性従業員に対する強姦も頻繁に行われ、被害者は10人近くにのぼると言われている。

水戸警察署は、詐欺事件だけでなく知的障害者に対する暴行・強姦事件に関しても捜査を開始したが、被害を受けた日時や状況を正確に証言出来る被害者が少なく、「公判を維持できない」という理由で警察も水戸地方検察庁も立件に消極的であった。

結局、社長は詐欺罪および暴行2件・傷害1件で起訴され、それ以外の暴行・強姦事件はすべて不起訴となった。

(テレビドラマ作家・野島伸司氏により「聖者の行進」というテレビドラマが作られています。)


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ブログが、9年目になりました。。

2016-10-22 | 心理学と日々の想い




当ブログは、10月1日から、9年目に入りました。

いつも読んでくださって、ほんとうにどうもありがとうございます。


今後とも、皆さまに、読みにきていただけるブログでありますよう、精進したいと思っております。

わたくしの住んでいるところは、公立図書館の本が一人10冊まで借りられます。

わたくしは、大きなリュックをいつも担いで、10冊の本を借りたり、返したりして、日々を過ごしております。


学びたいことはたくさんあります。

せっかく学んだら、書き置いておきたい、と思って、ブログを始めたのが、昨日のことのようです。


去年の新年度のご挨拶には、これからはなるべく取材記事を増やしたい、と書いたように記憶しています。

その後、少しは外の催しや、寺社の風情なども残せるようになったかと思いますが、今年はさらに、いろいろな所に行ってみたいと思っております。


相変わらず、一見なんの脈絡もないことを、あれもこれも、書き継いでいますので、おかしな人だとお思いのことと思いますが、わたくしといたしましては、
様々な事柄は、深いところでは、つながっているように感じています。

脳というものも不思議ですが、外界というものも、同じ程度に不思議なものだと思います。


生きていることは、楽しいと、わたくしは思います。

社会は、生き生きとしていると感じますし、一日一日、年をとってゆくことで、以前には思い至らなかったことにも、すこしは思いが及ぶようになった、と感じることもあります。

お釈迦様もお生きになったであろう、林住期を間近に控えて、真剣に生きなければいけないと、日々自分に言い聞かせております。


至らないことだらけではありますが、今後とも、お読みいただければ、まことに幸いでございます。

どうか9年目も、よろしくお願い申し上げます。


末筆になりましたが、皆さまのご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

また、コメントのお返事が遅れがちになりましたことをお詫び申し上げます。

今年度はなるべく早いお返事を心がけますので、ご容赦くださいませ。

                        veera 拝



   写真は、昨年末に出かけた「茅の輪くぐり」の最後に行われた「茅の輪」のお焚き上げの情景です。
  (2016年1月の記事より)


「大祓いの「茅の輪くぐり」(1)・・蘇民将来と、スサノオノミコトと、日本」2016・01・12

「スサノオノミコトから頂いた・・大祓いの「茅の輪くぐり」(2)」2016・01・16
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野田聖子議員、息子を語る。障がいを憎悪する社会とは?・・やまゆり園殺傷事件(5)

2016-10-20 | 心身障がい


 


「相模原殺傷事件 感じた嫌悪「いつか起きる…」 長男が障害を持つ野田聖子衆院議員インタビュー」
                     毎日新聞2016・08・17 



社会に与えた衝撃はあまりにも大きい。

19人の命が奪われた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件。

殺人容疑で逮捕された容疑者の常軌を逸した言い分に、絶句した人も多い。

重い障害を持つ長男真輝(まさき)ちゃん(5)を育てながら国政で活動する自民党の野田聖子衆院議員は何を語るのだろう。


「相模原殺傷 憎悪犯罪、全力で闘おう」

〇 植松聖容疑者(26)は、事件前の同僚らとの会話や逮捕後の供述で「障害者は安楽死できるようにすべきだ」などと、障害者を大量虐殺したナチスに通じる差別的発言をしていると報じられています。

● 野田氏

思うことがあり過ぎて、考えをまとめられていませんが……。

率直に言うと、通り魔のような無差別殺人と比べて、私は意外性を感じなかった。

「いつかこんなことが起きる」って。

なぜなら息子を通じて、社会の全てとは言いませんが、相当数の人々が障害者に対するある種の嫌悪を持っていると日々感じてきましたから。


〇社会の嫌悪、ですか?

● 野田氏 

息子は、心臓疾患や脳梗塞などで11回もの手術を小さな体で乗り越え、来年からは小学生になります。

その息子の治療について、インターネット上にはこんな声もあります。

ある人は「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。

公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」と。

これを書いた人は、作家の曽野綾子さんの文章に触発されたようです。


〇確かに曽野さんは著書「人間にとって成熟とは何か」で、野田さんについて、<自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない>などと指摘していますが……。


● 野田氏 

私、曽野さんを尊敬していたから、読んだ後に頭が真っ白になって。

要は障害があると分かっている子供を産んだ、その医療費は国民が負担する、ならば一生感謝すべきだ、と。

私は何を言われても平気ですが、私が死んだ後、一体息子はどうなるのか、と慄然(りつぜん)としました。

健常者と呼ばれる人たちの中には、「障害者の存在は無駄で、国に負荷をかける」と信じている人がいる。

この国から障害者がいなくなることはあり得ないし、高齢化やら何やらで、今は誰もが障害者になる可能性があるのに。

障害者は「可哀そうな存在」ではなく、将来「なるかもしれない自分を引き受けてくれている存在」だ、ぐらいの気持ちになってくれたらな。


「命ってすごいんだぞ」

〇それにしても私たちが税金や国民健康保険料などを納めるのは、お金を納められない人も含めて「誰もが安心して治療や介護を受ける権利」を守り、享受するための当然の行為です。

ある人に感謝されたり、肩身の狭い思いをさせたりする理由はない。

日本は、そんな「成熟した民主国家」になっていた、と信じていました。


● 野田氏

明治時代からなのか、小さい島国で資源もないせいか、日本人は「強さ」への憧れが強い。

「強い何々」という言葉が大好きでしょ?

これだけ高齢化して人口も減っているのに。

コンプレックスの裏返しというか、自分たちが本当は強くないからこそ強くありたい、と。

だから、生まれながらに強くあることができない人への「線引き」があるのかも。

私も当事者になって初めて気づいた。


〇植松容疑者のような考えの人に、野田さんだったらどう語りかけますか?


● 野田氏

うーん。容疑者だけを悪者にして済ませればいい話ではない。

病気に例えれば免疫力が低下した時に菌が入って病気に感染するように、誰もがそうなり得る。

自分が幸せじゃない時に、しゅっとそんな思想が入り込んだりして……。

でも私が嫌なのは、容疑者が大麻を使っていた、タトゥーを入れていた、病院に入っていた、という話ばかりが注目されること。

措置入院のあり方などが議論されていますが、焦点は「手前の段階」と思います。


〇違和感があるわけですね?


● 野田氏

逆にお聞きしますが、この事件でなぜ被害者の名前が報道されないのでしょうか?

被害者が生きてきた何十年という人生が、ないことになっているのでは?

その人生を失った悲しみは、これで分かち合えるのでしょうか?


〇「遺族が公表を望んでおられない」と警察が説明していることもあります。


● 野田氏

「優生思想」的な考えを持つ人たちから、家族が2次被害に遭うからでしょう。

変ですよね。

だからこそ私は逆を行きたい。

息子の障害や写真を公表したのも、その思いから。

国会議員にも家族の障害を隠す人がいるんじゃないかな?

でも隠す必要はない。息子に誇りを持ってほしいとの思いもある。

でも、本音を言えば私も息子も、いつ襲われるか分からないジャングルの中を歩いているような気分ですが。


〇このジャングル、なくならないのでしょうか?


● 野田氏

そんなことはない。

考えてみてください。セクハラは昔は当たり前のように横行していた。そして女性は泣き寝入り。

それが今は「それセクハラ!」って言えるでしょう?

男の本音は昔と同じかもしれないけど、建前は変わりました。そこに意味がある。

4月に障害を理由にした権利や利益の侵害、差別を禁じる「障害者差別解消法」が施行されました。

これも社会を変えるために、ようやく動き出したと感じています。


〇政治にはまだまだできることがある、と?


● 野田氏

そうです。私も嫌いな人はいます。誰しも心に毒はある。

でも大人になるというのは、心の毒を見せないことだと思う。

毒を隠し、建前を大切にできる。それが成熟した大人、国家です。


〇野田さんのブログに登場する真輝ちゃん、相当なワンパクですね?


● 野田氏

家ではわがままなくせに、保育園の女の子にはいいとこを見せたりね。

安倍晋三首相のモノマネをするんです。安倍さんが朝、首相官邸に入る時に報道陣に手を上げる仕草をまねるだけですが。

詳細は控えますが、石破茂さんのモノマネ、これは相当完成度が高いんです、アッハッハ。


〇ぜひ見せてもらいたいです。

● 野田氏

容疑者にも知ってほしかった。命ってすごいんだぞって。

ちょっと前まで体に17本ものチューブをつながれて生きていた子が、今は2本に減って、安倍さんや石破さんのモノマネして悦に入っているんですから。

命の可能性の醍醐味(だいごみ)を、もっと知ってほしかったと思っています。

           (引用ここまで)

            *****



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生きていること自体が尊さである・朝日新聞「耕論」・・相模原やまゆり園殺傷事件(4)

2016-10-18 | 心身障がい



「(耕論)障害があったとしても 奈良崎真弓さん、浅野史郎さん、雨宮処凛さん」
                         朝日新聞2016・08・26


事件に関する3人の方々へのインタビュー記事です。

             ・・・・・

          (引用ここから)


障害があるゆえに命が奪われる社会とは何なのか?

施設で暮らしていた19人が刺殺された事件。

当事者の思い、私たちの心の底にある意識と、どう向き合えばいいのか?


              ・・・


「障害者でよかった、今思う」 奈良崎真弓さん(「本人会サンフラワー会」代表)


事件はテレビのニュースで知りました。

「障がい者なんていなくなればいい」と植松聖容疑者が話していると知り、心が壊れました。

小学5年の時のことを思い出しました。

授業についていけなくなった私に、友だちは「死ね」「障害者はいらない」と言い、離れていきました。

とてもショックでした。

二十数年忘れていた言葉が心にグサッときて、2日間、嘔吐と寒気に襲われました。

家族と暮らす自宅から週に4日働いている花屋へ行く途中、誰かから同じことを言われるのではと。

怖い。

今も夜中に目が覚める。

事件が起きた施設にいたらどうなっていたのか?

「助けて」と言えただろうか? 妄想してしまう。

植松容疑者が障害者の命を否定したことは許せません。

でも、事件を予告した時、なぜ周りの人が注意しなかったのでしょうか?

植松容疑者の人生がダメになったのは、もったいない。

怒りというより悲しいです。

障害者がいなくなればいいと思うことはたぶん、みんなにあると思います。

でも障害者が本当にいなくなったら、どんな社会になるんだろう? 

みんな年をとると体が動かないことがありますよね?

事故で体が不自由になるかもしれない。

その時、「あなたはいらない」と言われたらどう思いますか? 

ピンピン元気な人ばかりだったらロボットの世界のようだと思いませんか? 

街や駅のバリアフリーもないかもしれません。


月に一度、知的障害者の本人が集う会を開いています。

仕事や年金、住居、恋愛といった悩みを話し合ってアドバイスしたり、法律を勉強したり。

家に閉じこもりがちな人には「怖くても飛び出してみようよ。誰かが君を支えてくれる」と励まします。

街に出て、障害のない人と私たちが出会う機会が増えれば、お互いを大事にできると思う。

障害があるとかないとか関係なく、一緒に笑ったり感動したり、時には泣いたり怒ったり。

それだけで、人は生きている価値があるんじゃないでしょうか?

あるがままの命の重さを感じられるんじゃないかと思うんです。

がんばらなくていい。笑ったり泣いたり、できない人には「どうしたの?」と寄り添えばいい。

専門用語や長い文章はわかりづらいし、難しい漢字は書けません。

頭の中で計算するのも苦手。

障害がない自分になりたいと思ったことは何度もあります。

でも、親身に支えてくれる人や、顔の筋肉は動かないけれど目を開けて「きょうも生きている!」と感動させてくれる知的障がいと身体障がいのある男性など、さまざまな人と出会い、人は一人ひとり違っていいと実感できた。

だから今、こう思うんです。「障害者でよかった」、と。

     *

ならざきまゆみ 78年生まれ。知的障害があり、当事者の視点から発信を続ける。自治体の施策作りに関わり、海外で活動も。



              ・・・

「地域での生活で、偏見をなくす」 浅野史郎さん(神奈川大学特別招聘教授)

1970年に厚生省(現・厚生労働省)に入省してすぐの初任者研修で、重症心身障害児施設を見学しました。

生まれて初めて大勢の重症心身障害児を見てショックを受けました。

「この子たちはこうして生きていく意味があるのだろうか」。これが率直な気持ちでした。

「いなくなればいい」とまで考えなくても、「かわいそう」と思う人は少なくないと思います。
 
「かわいそう」と思うのは、ひとえに私たちが障害者に対して「無知・無理解」だからです。

障害者を知ることで、社会からそんな偏見はなくなっていくと思います。

私の考えが変わったのは、福祉課長として北海道庁に赴任し、施設を訪ねて話を聞いて回ってからです。

どんなに重度の障害者でも、昨日できなかったことが今日できるようになることがある。

そんな進歩があれば、生きていて良かったと思う。

その積み重ねが生きていくということなんだと。

障害者の声なき声に耳を傾けているうちに、彼らは施設での生活を望んでいるのだろうかと疑問を持つようになりました。

当時は「収容施設」という言い方をしましたが、施設に死ぬまでいるのが彼らの望みとは思えなかった。

普通の生活は地域の中にある。

それで厚生省の障害福祉課長の時に始めたのが、少人数で一緒に暮らす「グループホーム(GH)制度」です。

制度が始まった89年は100カ所でしたが、今では7000カ所ぐらいになり、着実に地域移行は進んでいます。

在宅や通所のサービスも充実してきました。

2006年に施行された「障害者自立支援法」では、地域生活支援が明確にうたわれた。

30年近くが経ち、「施設から地域へ」という流れは大きく前進しています。

その一方、事件が起きた「津久井やまゆり園」のように、百数十人の障害者が一緒に暮らしている施設がいまだにある。

一気には変われないと思いますが、10年後も今のままでいいのか、真剣に考えなければいけません。

今回の事件を受けて、施設に防犯カメラを増やしたり、塀を設けたりといった警備の強化を進める動きがあります。

しかし、これはまったく反対の方向だと思います。

施設を一種の「要塞」にしてしまえば、「特異な場所に住む特異な人」という認識を再生産しかねません。

なぜ、40人以上もの人が、わずか1時間足らずで傷つけられたのか?

施設によって確保される安全もあると思うが、グループホームでばらばらに暮らしていれば、いっぺんに襲われることはなかったはずです。

集団的で、ともすれば閉鎖的になりがちな施設の住まい方を変えるため、入所者の地域移行を今後も着実に進めていく必要があると思います。

     *

あさのしろう 48年生まれ。93年から3期務めた宮城県知事時代に大規模施設に入所する知的障害者の地域移行を進めた。

             ・・・

「「命よりお金」、私たちにも」 雨宮処凛さん(作家・活動家)

植松容疑者の行為は、期待通りの経済的な利益を生まない者は生きる価値がないという、この国の津々浦々にうっすらとはびこる価値観が露骨に表れた最悪の結末です。

介護や医療などの社会保障費は財源がないからと削減され、本来は長寿をことほぐべき高齢者が社会のお荷物のように扱われる。

労働者は過労死寸前まで働かされ、企業の都合で使い捨て。

リストラされた人は時に自殺に追い込まれ、生活保護費も切り下げられています。

経済至上主義の中で、障害者だけでなく、そうでない人の命も、常にお金とてんびんにかけられ、値踏みされているのです。

こうした価値観は1990年代後半以降、グローバル化に伴い国際競争が進むにつれて顕著になった。

99年に障害者施設を訪ねた石原慎太郎東京都知事は「ああいう人ってのは人格あるのかね」と述べました。

麻生太郎財務相は今年6月、高齢者の老後に言及して「いつまで生きてるつもりだよ」と発言。

でも、この社会は本気で怒らなかった。

「かけがえのない命」と言われる一方、経済が人の命よりも優先される「命のダブルスタンダード(二重基準)」が、まかり通ってきたのです。

植松容疑者が犯行前、衆院議長あてに「日本国と世界のため」と書いたとされるのは、自身の行為の理解者がいると思ったのではないでしょうか?

人の生存は本来、無条件に肯定されるのが大原則。

2歳児は「年収いくら?」などと聞かないし、障害者を差別もしない。

他者をあるがまま承認する価値観は生まれながら持っているのに、成長する過程で奪われていく。

今大切なのは、私たち一人ひとりが意図的に経済的な価値とは異なる視点に立ち返ることです。

自分の中にも弱い立場の人に対する差別の芽があると自覚し、極端な考えにつながらないよう自己チェックする。

少し弱っていたり、生きづらさを感じている誰かへの優しいまなざしを忘れない。

ふだんから命を大切にする実践を積み重ねることでしか、「利益を創出する者だけに価値がある」という暴力的な価値観にあらがえないと思うのです。

かつては私自身も年収で人を見るような人間でした。

でも「反貧困」の運動を通して、障がいのある人が「生きさせろ」と叫んでいるのを見て、働けるかどうかと個人の存在価値は関係ないのだと、人間観が変わりました。

ある集会で出会った難病の女性の姿が忘れられません。

車いすで眠っているように見えた女性は、わずかな筋肉の動きで介助者にこう伝えたのです。

「まだ死んでない」。

会場は笑いに包まれました。

荘厳な儀式のような豊かなコミュニケーションの作法。

ここに生きていること自体の尊さ。

こうした世界をご存じですか?

     *

 あまみやかりん 75年生まれ。貧困、非正規労働などの問題に取り組む。著書に「14歳からわかる生命倫理」など。

              (引用ここまで)

                *****

雨宮処凛さんの最後の一言、

>荘厳な儀式のような豊かなコミュニケーションの作法。
>ここに生きていること自体の尊さ。
>こうした世界をご存じですか?

まさにそうだと思います。

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実名で理不尽さ訴える、匿名報道、障害の有無関係ない・・やまゆり園殺傷事件(3)

2016-10-16 | 心身障がい

「やまゆり園殺傷事件」で、わたしが一番気になったのは、テレビなどで、被害者の方々の名前が一切報道されなかったことでした。

心からお悔やみ申し上げたい、と思ったのですが、どんな方々なのか、見当もつかないことに戸惑いました。

下の記事は、実名を出してお話をしてくださったご一家の記事です。





             ・・・・・

「障害の有無関係ない、実名公表で理不尽さ訴え」
                    読売新聞 2016・08・26


神奈川県相模原市の知的障碍者福祉施設「津久井やまゆり園」で46人が殺傷された事件は26日で発生から1か月となる。

逮捕された元職員は「重度障がい者は周囲を不幸にする。いなくなればいい」との供述を続けており、県警は、異常な差別意識を募らせた末の犯行とみて事件の全容解明を目指す。

標的とされた入所者やその家族は悲しみと怒りを抱えながら、日常を懸命に取り戻そうとしている。

「かんちゃん、元気?」
やまゆり園の家族会「みどり会」前会長の尾野剛志さん(72)と妻のチキ子(74)さんは19日、腹部を深く刺された長男一矢さん(43)の病室を見舞った。

容体が安定したため、園近くの医療機関に転院してきた。

「園に戻れると思っていたのにね」。両親は息子の手を握り、頭をなでた。


成長の思い出

丸々としてよく笑う赤ちゃんだったが、言葉を覚えるのが遅かった。

「精神薄弱児、自閉症」と診断されたのは、3歳児検診だった。

その年、一矢さんは実の父親を水難事故で亡くしている。

剛志さんが、チキ子さんと出会ったのはその1年半後。

自宅の3畳間にちょこんと立っていた一矢さんを見て「なんてかわいい子だろう」と思った。

チキ子さんとクリーニング店を営みながら、新たな家族の暮らしが始まった。

一矢さんは水が嫌いだったから、お風呂はいつも大騒ぎ。それを克服させようと、雨の日にこそ公園に連れ出し、親子でずぶぬれになって遊んだ。

洋服のボタンをとめるのも苦手で、「ぱちん、ぱちん」と口では言うものの、手が動かない。

半年後、初めてうまくできた時はみんなで大喜びした。

一矢さんの日常の歩みが、大切な思い出として家族の記憶に刻まれた。



世間の目

「手がかかる分、かわいさも人一倍」。

そう家族に映った一矢さんに対し、世間の目は違った。

小学生の時、通学路の小川に葉っぱを流して遊んでいると「なにか捨てていましたよ」と電話がきた。

近所の家の前でアリを捕まえれば「なにか盗んでいきました」。

電話はすべて匿名で、「野放しにせず、施設に入れろ」と吐き捨てられたこともあった。


中学生の途中から支援施設に入所した。

一時帰宅すると、抱き着いて喜びを表してくれたが、両親の体はアザだらけになった。

施設から「自宅に戻るのは難しいのでは」と提案され、「正直ホッとした部分もあった」と剛志さんは明かした。

23才でやまゆり園に移ると、少しずつ環境に慣れ、園を我が家と思うようになった。

安心と少しの寂しさが交錯し、「できるだけたくさん会いに行こう。帰ってくる日はずっとかまってあげよう」と、チキ子さんと約束しあった。

そんな暮らしを続けて20年。

理不尽な事件が家族を襲った。


笑顔に頬ずり

一命を取り留めた一矢さんは病室で「お父さん、お父さん」と笑顔を見せた。

剛志さんは抱きしめて頬ずりしながら「一矢は一矢。障害の有無なんて関係ない。

お父さん、お母さんと言ってくれるだけでいい」と改めて思った。

剛志さんは「容疑者への怒りは煮えたぎっているが、憎しみ合いに引きずりこまれてたまるかという思いもある」と語る。

今はまず、一矢さんに安息の場を見つけてやりたいと願っている。





実名公表で理不尽さ訴え


尾野さん夫婦は「かわいい息子が理不尽な被害に遭ったことを訴えたい」と取材に応じた。

夫婦は実名を明かした上で、一矢さんについて語ることで傷がい者差別をなくしたいと願った。

一方、神奈川県警は、犠牲者の実名を公表していない。

知的障がい者が暮らす施設が現場となり、遺族が公表を望んでいないことを理由としているが、異例の対応だ。

実際、遺族も取材に口を閉ざしている。

やまゆり園に36年勤務した元職員の太田さんは「被害者が、どんな人だったかを伝えるためにも実名を公表すべきだ」と訴える。

20年近く園にボランティアとして携わった80代の女性は、入所者の安否が今も分からない。

「障がい者だから匿名とは、人権を軽く見ているのではないか」と感じるが、障がい者が好奇の目にさらされることも知っており、胸中は複雑だ。

諸沢英道・常盤大元学長(被害者学)は「実名報道で死者の尊厳が傷つけられる恐れはないが、遺族らが強く望むなら尊重すべきだろう」と指摘。

「警察が氏名を伏せると報道機関との接触が困難になり、遺族の選択枝を狭めてしまう。

警察発表は実名で、報道機関が遺族らに配慮しつつ、匿名か実名かを判断すべきではないか」と話している。

           ・・・・・

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相模原やまゆり園殺傷事件(2)・・人権考える動き広がる・追悼集会やライブ企画

2016-10-13 | 心身障がい


               ・・・・・

「相模原殺傷1か月 命、人権考える動き広がる・・追悼集会やライブ企画」
                        読売新聞 2016・08・27


19人が死亡、27人が重軽傷を負った相模原市緑区の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件。

26日で発生1か月を迎えたが、犠牲者の死を悼む献花は絶えない。

障害者の団体による追悼集会やライブイベントも企画され、事件を機にあらためて、命の大切さや人権を考える動きが広がっている。

知的障害を持つ当事者らが1000人規模で集まり、課題などを話し合う「ピープルファースト大会in横浜」(9月21、22日)では、一部のプログラムを変更。

横浜市中区の大さん橋ホールで開く全体会(同21日)で事件概要を報告し、花と折り鶴をささげて犠牲者を追悼する。

会場では、匿名報道などをテーマにディスカッションも実施。

障害者が希望を持って生きることができる社会の実現に向けた宣言も行う予定だ。

「第22回 ピープルファースト大会 in 横浜」HP
http://p1styokohama.wixsite.com/people-first


      ・・・

22年前に秦野市で誕生し、障害者と健常者のメンバーでつくるロックバンド「サルサガムテープ」は9月4日、東京都渋谷区のライブハウス「渋谷ラ・ママ」で、追悼ライブを開催する。

同バンドは事件を受け、ホームページで緊急メッセージを発表。

「平和とほほえみを生みだす人たちが、なぜ惨殺されなければならないのか」と憤り、「犠牲になられた方々の無念に、深い傷を負われた方々の苦しみに、祈りとロックンロールをささげましょう」と訴えた。



バンドリーダーのかしわ哲さん(66)は「障害を持った人たちの人生が、どうして不幸だと言えるのか。

他人が決めつけるのは間違っている。

今だからこそ、ロックで前向きなメッセージを送りたい」と思いを語る。

「サルサガムテープ」HP
https://salsagumtape.tumblr.com/


         ・・・

事件発生1か月となった26日、やまゆり園の正門前に設けられた献花台では、花を手向けて犠牲者を悼む人の姿が見られた。

NPO法人・自立生活センター立川(東京都立川市)の理事長を務める奥山葉月さん(46)は、自身も
骨形成不全症を患って車いす生活を続けている。

「障害を持つ仲間がこんな目に遭って、怖かっただろうなと思う。家族もつらいだろう」と悔しさをにじませた。

障害者を支援する立場としても「障害者が生きづらくならないか、影響を心配している」と言い、

「障害者が社会に不利益をもたらすという考えを持つ人は、見方を変えるべき。私たちが発信していかなくては」と力を込めた。


黒岩神奈川県知事は同日、「引き続き入所者やご家族、職員への支援に全力をあげていく。園の再生に向けた取り組みも本格的に進める」とのコメントを出した。

施設機能の再建を目指す津久井やまゆり園は、体育館などに一時避難する入所者30~40人を月内に「分園施設」に移す計画だ。

県によると、26日現在、34人が他の県立施設などに移動し、92人が園内で暮らす。

園や県などは、体育館で避難生活を送る入所者を中心に、園に近い施設に集団で移り、この場所を分園として扱う準備を進めている。

慣れ親しんだ担当職員も一緒に移るという。

移動する職員は20人程度を想定。

「事件直後に現場を見た職員が一時的に園を離れることで、心理的負担が軽くなることも期待している」(県幹部)という。

一方、園を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の米山勝彦理事長は26日、「日がたつほど、悲しみと卑劣な行為への強い憤りを抑えることができない。事件を防げなかったのは痛恨の極みであり、亡くなった方がたの冥福を祈る」とのコメントを出した。

同会と県は同日、一部の遺族と面会。

面会は今月中旬に始まり、関係者によると、法人や県幹部がおくやみを伝え、犠牲者の「送る会」について意見交換したという。

          ・・・・・


上の記事を読むと、各地で追悼集会が開かれているということではありますが、やまゆり園自体では犠牲者の追悼式あるいは「送る会」が行われたのか、どうなのかがわからないという、不思議な感じがしました。

次は、上の記事に紹介されているライブイベントの記事です。




「障害者も一緒、音を楽しむ・・健常者と混成バンド 追悼ライブ」

                   読売新聞2016・09・06

相模原殺傷事件を受け、障がい者と健常者で編成するロックバンド「サルサガムテープ」が4日、東京都渋谷区のライブハウスで、犠牲になった19人を追悼するライブを開いた。

♪ ぼくなら そんなことはしないさ
 
  わらって ゆるしてやるさ

  しかえしなんか しないのさ
  
  それが ぼくたちなのさ



平和や友愛の心を込めたオリジナル曲「ぼくたちのこたえ」を演奏すると、満員の会場が歓声で答えた。

メンバー以外の障がい者らもステージでダンスを披露。

犠牲者の冥福を祈り、「障がい者も健常者も楽しさを分かち合うことができる」と訴えた。

バンドは、NHKの「うたのお兄さん」だったミュージシャン・かしわ哲さん(66)が22年前神奈川県秦野市でい知的障がい者たちと結成した。

現在のメンバー20人のうち13人は障害があり、バケツに粘着テープを貼った太鼓などを担当。

事件が起きたやまゆり園でも数回ライブを開き、入所者には元メンバーもいる。

逮捕された植松聖容疑者は「障がい者はいらない」「不幸をつくる人たち」などと供述しているが、この日のライブ会場に、障がい者と健常者を隔てる壁は存在しなかった。

脳性まひで幼い頃から車いすで生活してきたボーカルのYOUGOさん(23)は、ライブを終え、「音楽で誰とでもつながれることが実感できた」と充実感に浸った。

児童発達支援管理責任者として障がい児の支援に取り組んでいる笹本智哉さん(29)は、やまゆり園でも披露したというダンスで盛り上げ、「今回の事件で仲間が傷つけられた怒りや悲しみを、音楽で幸せな方向に向けたい」と話していた。

               ・・・・・

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相模原やまゆり園殺傷事件(1)・・犯人の声明文

2016-10-11 | 心身障がい


この夏、わたしが一番おどろいた出来事は、相模原の知的障がい者施設でおきた、突然の大量殺人事件でした。

若者とはいえ、一人で45分間に46人も殺傷するという体力と気力が、どこから出てくるのかと驚きました。

いったいなぜ、そんなことをしようと思うのか、犯人の犯行声明ともいえる手紙を、わたしは幾度も読み返しました。

戦後の殺人事件の殺人数としては最悪だということですが、事件以来、さまざまなことが思われ、ずっと心にかかっています。

まずは、犯人の犯行声明の手紙を掲載します。

奇妙な論理ではありますが、趣旨は一貫しており、犯人が手紙の中に書いているように、精神疾患として無罪になるとは思えない、、と思いますが、その奇妙さを、わたしは検証してみたいと思っているのです。


             *****

           (引用ここから)

植松容疑者が書いた手紙(全文)

以下は1枚目の内容。

衆議院議長大島理森様(1枚目)

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。

しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。

車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

フリーメイソンからなる●●●●が作られた●●●●●●●●を勉強させて頂きました。

戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。

日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。

是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。

衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。


植松聖の実態(2枚目)


私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。

全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。

今までの人生設計では、大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし、特別支援学校の教員を目指していました。

それまでは運送業で働きながら●●●●●●が叔父である立派な先生の元で3年間修行させて頂きました。

9月車で事故に遭い目に後遺障害が残り、300万円程頂ける予定です。

そのお金で●●●●の株を購入する予定でした。

●●●●はフリーメイソンだと考え(●●●●にも記載)今後も更なる発展を信じております。

外見はとても大切なことに気づき、容姿に自信が無い為、美容整形を行います。

進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージ

それらを実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。

本当は後2つお願いがございます。

今回の話とは別件ですが、耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。


医療大麻の導入

精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。

心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます。

何卒宜しくお願い致します。

私は信頼できる仲間とカジノの建設、過すことを目的として歩いています。

日本には既に多くの賭事が存在しています。

パチンコは人生を蝕みます。

街を歩けば違法な賭事も数多くあります。

裏の事情が有り、脅されているのかも知れません。

それらは皆様の熱意で決行することができます。

恐い人達には国が新しいシノギの模索、提供することで協調できればと考えました。

日本軍の設立。

刺青を認め、簡単な筆記試験にする。


出過ぎた発言をしてしまし、本当に申し訳ありません。

今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。


作戦内容(3枚目)


職員の少ない夜勤に決行致します。

重複障害者が多く在籍している2つの園【津久井やまゆり、●●●●)を標的とします。

見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。

職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

2つの園260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。

逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。

心神喪失による無罪。

新しい名前(●●●●)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。

金銭的支援5億円。

これらを確約して頂ければと考えております。

ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。

日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。


        (引用ここまで・写真は記事と関係ありません)

       
            *****


「ご決断いただければ、いつでも作戦を実行致します」と書いてありますので、犯人は、森衆議院議長により依頼されたと判断したのでしょうか?

手紙を渡したのが2月で、事件をおこしたのが7月。

彼は、なにをしようとしたのでしょうか?


>私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。

>全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。

全人類が心の隅に隠した想い。。

全人類の想い、、では決してないけれど、人類史の中にある、障がい者の歴史を考えてみようと思いました。



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市民は平和を求め、和合し得る・金泳鎬氏・・「九条の会」の立ち位置(8・終)2014年

2016-10-07 | アジア



引き続き、2014年に行われた「九条の会」の講演会の記録から、金泳鎬氏の講演のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****

        (引用ここから)



「東アジア市民の連帯をテコとして」


国家と市民のかい離が極端にまで行き、「帝国と国民」の枠に閉じこめられ、安保か平和かの二者択一を強いられて、国民が安保危機対応体制に加わることは、国家の論理であって市民の論理ではない。

市民同士、人民同士は対立したり、敵対したりする理由がない。

市民の論理に立って、市民と国家との関係を再調整し、声を上げてゆくデモクラシーの方にもっと近づかなければならない。

そもそも「平和憲法」自体が、市民の論理の上で国家と市民との関係が再調整された結果の産物であり、その「平和憲法」体制が影響しあう東アジアの平和と高度産業化の過程から形成された6億の中産層が中心になって、

西ヨーロッパ市民社会のように東アジアの市民社会ないしはシビル・アジアが形成される直前まで至った成果を完成しなければならない。

そのためには、国際的に保守政権同士が相互依存するように、市民間ないし国民間の連帯を強化して相互依存関係を強固にすべきである。

東西ドイツ統一の直前に東ドイツ政府の反統一的な動きがあった際、市民が「私たちがまさにその国民である!」と叫びながら、国家の主権者である人民自身が前面に出て、統一妨害工作を粉々に壊したように、

日中韓の市民と国民はシビル・アジアを逆行ないし後退させて戦争の危機を造成する「敵対的相互依存関係」を克服しなければならない。

市民あるいは国民とかい離した政府と政府との間に幾多の国際制度の連携、協議機構があるように、市民社会と市民社会との間、またはNGOとNGOとの間にも、固い連帯関係が形成されてこそ、政府と市民の関係における再調整のための均衡が成り立つ。

このような文脈から、我々は「東アジア市民平和会議」を構成することを提議する。


もし中国側から「市民」という用語に異議が提起されるならば、いくらでも修正ができよう。

この「市民平和会議」は、「東アジア市民平和憲章」の制定を第一次課題とすべきである。

「東アジア市民平和憲章」には、アジア市民の平和意識がアジアの戦争不安を解消するテコになる基本理念を盛り込むべきである。

従来、国によって形成されて、国家のために展開された国際法の世界において、市民の関与は限定的かつ間接的であった。

しかし国際化が深まり、シビル・アジアが進展すれば、市民が国を経由せず、世界やアジアに密接に結ばれる。

こうしてアジア問題に対して国を経由せずに関与したり、あるいは国を補完して参加する状況になり、そして市民とアジアとにおける基本関係の理念定立が重要になった。

地域協力や平和は、政府と市民社会の協治で可能になる時代である。

政府間協力と市民間協力という、2つのワダチで行くべきである。


ただいまのところ、市民不在のアジアになっている。

それが〝危機のアジア″へと帰結している。

今日もっとも重要な課題は、〝市民参加のアジア″であり、それがシビル・アジアに至る近道である。


「市民平和会議」参加者の代表の問題があろう。

この問題の解決が簡単でないことは事実であるが、慰安婦問題なら慰安婦問題国際会議に参加する各国の代表性のある人を、関連NGOが選定するのは難しくないだろうし、尖閣列島問題なら利害当事者を排除した客観的な第三者の団体が代表性のある人を選出することも難しくないだろう。


日本の「平和憲法」を、東アジアの共有資産にしようとする動きも、東アジアで徐々に広がり、その運動のリーダーたちも平和会議に参加することができる。

人権問題、平和問題、環境問題、歴史問題なども似通っていると思われる。

このような市民代表または専門家は、政府代表より合意を導くことにずっと柔軟であろうと思われる。

国ができないことを、市民の手でやってみようとする試みである。

「東アジア市民平和憲章」においては、アジアの平和は各国の安全保障に劣らぬほど優先すべきであり、各国の歴史の立場からアジア共同の歴史を見ることに劣らぬほど、アジア共同の歴史の立場から各国の歴史を見ることが重視されなければならない。


日本の過去の侵略や戦争の歴史清算の課題は避けられない問題であろう。


「東アジア市民社会」は、目指すべき目標である。

「東アジア市民社会」は、東アジア共同の歴史教科書編纂の課題をなし遂げる潜在力を持つだろう。

自由・人権・平等のような市民的普遍価値を抱えて、輝く潜在力もあると思われる。

アジアの日本化、アジアの中国化を乗り越え、アジアのアジア化、すなわちアジアの「アジア市民社会化」をめざすべきであり、東アジア人権裁判機構成立の課題も盛り込むべきである。

「東アジア市民平和会議」は、ユネスコのグローバル市民意識フォーラムのアジア支部の役割も兼ねる。

「ASEAN平和憲章」はすでに、2007年に公表されている。

「東アジア平和憲章」は、結局「東アジア平和憲法」を目指すべきであり、「東アジア平和憲法」の基礎の一つはアジア共有資産の一つである「日本平和憲法」である。

「九条の会」発足10周年を迎えて、東アジアも「9条」というアジア共有の資産を大切に守りたいと願っている。

そのために「市民不在のアジア」から「市民参加のアジア」に向かう初めての歩みとして、「東アジア市民平和会議」を構築し、その最初の課題として「東アジア市民平和憲章」の制定をかさねて提唱したい。


            (引用ここまで・終)


              *****


ヨーロッパにおけるEUの問題が、複雑で流動的であるように、東アジアもまた、論者が述べるように、簡単に統合していけるであろうわけはないと思います。

しかし、わたしたち一人ひとりが、国家という枠を超えて友好的であろうとすることは、できるのではないかと思います。

単純な問題ではない、ということは百も承知してはいるのですが。。

また、「九条の会」が会の党是として、アジアの統一を掲げているわけはありません。

それでも、「9条」の持つ理念が、国際語として広まってゆくことは、喜ばしいと、わたしは思います。



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東アジア共同体という夢・金泳鎬氏・・「九条の会」の立ち位置(7)・2014年

2016-10-05 | アジア




引き続き、2014年に行われた「九条の会」の講演会の記録から、金泳鎬氏の講演のご紹介を続けます。

論者が言うように、東アジアの国々は相互に強く影響しあっているので、どちらが良い、悪い、と言い合うよりは、よりいっそう高い視点から、アジアを相対視し、総合的にとらえたらどうか?という考えには、同意できます。

先日のオリンピックで、日本中の応援を受けて、日本のメダル獲得のために本気で勝負をし、みごと銅メダルに輝いた卓球の福原愛選手は、中国でその技術を磨いてきたのだし、そのみごとな成果とともに、27才の年頃の女性らしい愛らしさで、晴れやかな表情で、台湾の青年との結婚を報告していました。

だれもが、愛さんの幸せを祝福していることと思います。



リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



          *****


         (引用ここから)

「敵対的相互依存の悪循環メカニズムをこえて」


主権者である国民ないし市民の意思と、国家ないし政府の意思との間のかい離は、現代の民主主義が直面している難しい問題であるが、日本、中国、韓国などでは、そのかい離が深まり広がっていく構造に陥ったところに問題の深刻さがある。

中国は150年あまりに亘った「屈辱の世紀」をへて、眠れる獅子が目を覚ましたように立ち上がっているが、それが覇権主義に向かわないようにするためには、過去の日本の覇権主義の遺産を清算することが非常に重要である。

百余年前におきた日本帝国主義による「韓国併合」の不法無効化運動をわれわれが展開した理由も、韓国民族主義の要求にとどまらず、シビル・アジアの必須の前提条件であるからであった。

しかし、安倍政権は正反対の方向に向かった。

「日本を取り戻す」という安倍政権のキャッチコピーは、われわれが乗り超えようとする過去をむしろ肯定し、美化する「歴史修正主義」の立場から、われわれがこれほどまでに守ろうとしている平和憲法体制を克服の対象とみなす憲法改正論として現れており、

それをまず「平和憲法」の精神に反する「集団的自衛権の行使容認」という便法で実践する形として具体化している。

それはまさに戦後、冷戦の波に追われて歴史清算の作業が不十分であったところを、冷戦後さらに清算しようとする、いわば謝罪の時代に正面から逆行することであった。

このごろ世界的な注目を浴びているトマ・ピケテンは「21世紀の資本」で「過去が未来を支配する」という原理を実証的に説明しているが、安倍首相の行動は、過去に対する認識が現在、未来を支配する現象をリアルタイムで見せている。

その結果として中国、韓国などとの歴史の衝突をもたらし、それが領土ナショナリズムの対立を柱として全般的なナショナリズムとナショナリズムの間の対立をあおり、日本と中国との間には安保ナショナリズム、ひいては覇権主義対覇権主義という敵対的関係が形成されてしまった。


これと前後して、尖閣諸島問題が起きた。

国家間の紛争はある一方にその責任を転嫁しにくいほど相対化される傾向があるが、冷静な観察者の間では日本政府の突発的な国有化措置が事態の決定的なきっかけになったと見ているのが事実である。

それは当時、駐中国日本大使が日本政府の措置に激烈に抗議し警告した事実にもよく現れていると思う。

この措置に対応して中国側の激しい反発と武力示威があり、また日本の反撃があって、中国側の再反撃があるという悪循環の過程で、互いの領土ナショナリズムが衝突し、エスカレートしながら急激に危機が拡大深化した。

我々はこれを「敵対的相互依存の悪循環メカニズム」と呼んでいる。

安倍政権としては習近平政権という敵が必要であったのであり、習近平政権としては安倍政権という敵が必要であった。

外部の敵との敵対関係を利用して、国内のナショナリズムを高め、保守化を強めてリベラルの挑戦を弱化させ、その結果として国家は帝国化し、市民は臣民化、あるいは国民に回帰する危険におちいる。

さらに日本政府は、丸山真男氏の指摘のように、太平洋戦争を起こして数千万人の命を失わせたという事実から、ナショナリズムの処女性を失ったという背景のせいで、民族主義をまた復活させるためには戦争犯罪を希釈ないし歪曲させる「歴史修正主義」が必要であった。

日本の市民はまた、市民が市民の権利を譲る代わりに、臣民化されて得られる、他民族に対する特権を享受したことへの郷愁があり、臣民化の誘惑に弱い。

したがって国家と市民との妥協の可能性が生じる。


日本で今起こっているヘイトスピーチの洪水、嫌韓・嫌中の本や雑誌の氾濫、ナチズムをも連想させる在特会の街頭行進(韓国ではすでに20~30年前にほとんど消えた、非文明的な風潮)が、アジアの最先進国である日本で「言論、集会の自由」という名目で横行していることは、特異な歴史的風景である。

これは安倍政権の影の舞台と見る向きもあるが、最近安倍政権の閣僚がヘイトスピーチの主導者たちと共に撮った写真が現れて、やはり根拠のある噂であるかな、と思わざるをえない。

政治哲学者ハンナ・アーレントは、アイヒマンのホロコースト裁判を見て、「悪の平凡性」という概念を表出したが、ヘイトスピーチが言論・集会の自由を名分として、合法的にSNSを使って、公権力の庇護を受けながら、公然と行われることを見ると、「悪の文明性」の具体例を見ているような気持を禁じ得ない。

どこの国でもヘイトスピーチはあるが、健全な市民社会の自浄力で自浄していくので、日本もそのようになると思われる。

我々は日本の市民社会の自浄力を信じたい。

ドイツのメルケル首相が痛烈に指摘したように、ナチズムはヒトラー一味だけの責任ではなく、知識人を含めた市民の責任であるが、日本もまったく同じであったと思う。

日本は中国との戦争の危険に直面して「安保」か「憲法9条」かという二者択一の構図に市民を閉じ込めて、「集団的自衛権」の支持率を引き上げようとしている。

習近平政権もまた、安倍政権という外部の敵を活用し、中国ナショナリズムを高揚させながら、穏健なハト派が後退し、強硬なタカ派が中心になって対外覇権主義的な動きを強化しながら軍拡に拍車をかけ、政府中心の動員体制を強化している。

その結果、国内の広範な民主化要求や政府に対する様々な批判的動きが抑圧され、弱化している。

このような敵対的相互依存の悪循環構図のなかで、国家は市民社会を委縮させる帝国化の傾向を帯びるようになり、相対的に過大国家と市民の国民回帰という、一種の「帝国と臣民」、または「帝国と国民」という構図を作る。

この構図の中では政府間の対立や敵対関係が、市民間あるいは人民間の対立・敵対関係へと広がる。

シビル・アジアは後退して、歴史は逆流する。

活発に行われていた「東アジア共同体」論は、今や遠い過去の話になってしまった。

20世紀初頭、日露戦争で日本が勝利した後、日英同盟体制が支配した時代に、東アジアに手を出す驚異的な国家は存在しなかった。

中国とロシアは革命前の混乱の中にあり、国家の存立自体が揺らぐ状況であった。

したがって他の強大国による植民地化が進んで、日本にとって大きな脅威となるのを防ぐために、日本は領土拡張に先手を打ったのだ、という理論にはまったく根拠がない。

当時日本が侵略主義に進まなかったら、アジアはあれほどの極端な破壊と戦争と恨みの大陸へと化さず、平和な協力体制が形成され、日本は真の盟主になったはずである。

戦後にも東アジアの和解、統合の機会があった。

とくに冷戦後、再び世界的に歴史和解の潮流がおきて、東アジアにおける貿易・投資の統合が急ピッチに展開されたとき、日本は過去の日本の覇権主義の影をぬぐいさって、歴史和解とともに東アジアの韓国、台湾など民主国家および中国のハト派と提携して中国国内を説得し、東アジアの平和民主統合のイニシアティブをとる機会があったと思う。

しかし、安倍政権にいたって正反対の「歴史修正主義」「領土ナショナリズム」「集団的自衛権の行使容認」「日米軍事同盟強化による対中国対決体制の強化」「中国の強硬なタカ派の全面的浮上と新覇権主義的路線の復活」などで、東アジアは100年前のサラエボの銃声が聞かれてもおかしくない状況になってしまった。

日本は再び東アジアの平和と統合を破壊した責任から自由ではなくなった。


          (引用ここまで・続く)

             *****


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アジア共有遺産としての「9条」金泳鐈氏・・「九条の会」の立ち位置(6)2014年

2016-10-01 | アジア



2014年6月に行われた「九条の会」の講演会の記録「憲法9条は私たちの安全保障です」から、次は、金泳鐈氏の講演をご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

「9条」と言えば日本でしょ、と思っていたわたしには、逆転の発想として、興味深い考察だと思われました。

             *****

           (引用ここから)


 「東アジア市民平和憲章を作ろう」        金泳鐈


「市民の声と政府施策のかい離」


「憲法9条」と「集団的自衛権の行使容認」は、単なる日本国内の法的問題ではなく、東アジアと密接なかかわりを持っている、東アジア全体の問題である。

「憲法9条」の成立の背景および過程がアジア太平洋戦争の帰結の一環であったし、その波及や影響もアジア地域史的文脈から把握ができるからである。

そのため韓国から今回出席した私は、国際的側面から申し上げたい。

私は10年前偶然に「九条の会」の創立記念講演会に聴衆の一人として参加した。

あの時は約1000人以上の市民や知識人が集まり、立錐の余地もなかった。

加藤周一先生、大江健三郎先生など呼びかけ人の講演があったが、その真摯かつ熱い雰囲気に感動して、日本の平和憲法は少しも揺らぐことなく持続すると確信した。

そしてこの講演会については、間違いなく新聞やテレビに、恐らくヘッドラインと共に上げられると予想した。

大きな期待を持ち、翌朝の新聞を開いてみたが、紹介記事はなかった。

辛うじてある新聞の一番後ろの社会面に小さく出ていた。

ショックであった。


今日の民主主義は、市民の声と新聞の記事と政府の反応との間に大きなギャップを抱えている。

選挙制民主主義は投票を通じて主権の委託を受けるが、小選挙区制の金権選挙、縁故主義、ポピュリズム、そして野党が分裂すれば、野党支持の総計は多くても与党が当選する事態などにより、一強他弱の寡頭政権が成立して、市民の意思を代弁することができなくなる。

いわば代議制の危機に陥ることになる。

そうなれば、投票で当選した代議士は誰の影響を受けるか?

その背後に時々、ビッグブラザーが登場する。

この場合、代議士は市民の意思より、ビッグブラザーの意思を代弁する傾向が強い。

問題はマスコミさえ企業メディア的な性格を持ち、市民の声より寡頭政権の意思を代弁するようになることである。

市民は企業メディアに徐々に閉じ込められ、影響を受けながら操られる状況に陥る。

民主主義は至る所でこのような落とし穴に陥る。

そして日本は現在、このような落とし穴に陥っているのではないか?


今日の民主主義は、投票制民主主義を超え、声を上げる民主主義を求めている。

同時に企業メディアを超え、市民メディアが求められていることも事実である。

日本では市民革命で政権を打倒した体験がない。

この体験がない場合、政府が市民の声を聞く姿勢が異なり、市民の政府に対する姿勢も異なる。

また二大政党制ではないので、政権を持続的かつ安定的に交代させた経験がほとんどなく、政策に対する主権者の立場からの代案もなく、市民の声と政府の政策とのギャップはより大きくなるしかない。

今日、日本で「平和憲法」を支持する世論が高く、その結果、「集団的自衛権の行使容認」に反対する世論が強い。

にもかかわらず、日本政府が「平和憲法」と矛盾する「集団的自衛権の行使」を閣議決定で容認し、上位の「平和憲法」を無力化、形骸化させるという異常な現象が起きた。

その結果、「集団的自衛権」は意気揚々として容認されたかもしれないが、「憲法9条」は雲に覆われ、「民主主義」は雨雪に当たるようなことになった。


「平和憲法は東アジアの共有資産」


ここでは「平和憲法9条」を東アジア的文脈から考察してみたい。

「平和憲法」は日本軍国主義の侵略史に対する連合国側の要求であり、日本自らの反省と責任の産物という性格と共に、戦後日本と東アジアとの新しい関係樹立と交流協力のための国際的約束という性格を持っている。

戦後西ヨーロッパにおいては、ドイツの徹底的な反省と軽武装化、及びNATO体制によって平和と協力が可能であったように、東アジアにおいては日本の反省と「平和憲法」、そしてアメリカ主導の安保秩序によって平和と協力が可能であった。

戦後日本の市民社会は、平和憲法体制を堅固に守り抜き、その結果、東アジアとの交流協力が深まり広がった。

欧米では概して市民革命の後、市民社会を基盤として産業化が展開される傾向が強かったが、東アジアでは概して国家主義を基調として、高度産業化が展開されながら、中間層が形成された。

中間層を中心として、徐々に市民社会が発展し、市民社会が成熟しながら国家主義ないし民族主義を卒業する様相が現れている。

今日の東アジアは、日本に続いて韓国、台湾、タイ、インドネシア、中国などで、次々と高度産業化が展開され、その結果、東アジアには約六億の中間層が形成されている。

またほぼ20億近くのネティズンが暮らしている。

これら中間層を中心に、広範囲な東アジア市民社会が展望されている。

中国でも天安門世代、80年代以降世代、7億5000万人のインターネットとSNSの世代などが立ち上がり、中小都市で行われる新公民運動、200万を超えるNGO運動、香港市民15万人の天安門威示支持デモと最初の雨傘革命、それを支持する台湾市民の持続的な民主化運動などが広がっている。

中国では政治権力を除外した市場経済領域での市民社会化が広範囲に展開され、複数政党制の導入も遠くないと期待されている。

東アジアは漢字文化圏、あるいは儒教文化圏、仏教文化圏という伝統的共通性を超えて、貿易と投資の域内化という経済統合の段階にきており、すでにASEAN共同体の形成が近づいている。

今や、経済統合を超えてソーシャル・アジア、あるいはシビル・アジアという歴史的局面の前夜に至っている。

ただソーシャル・アジア(社会として統合されたアジア)は労働面を中心に議論される傾向があり、EUでもローマ条約後のできごとであった。

その意味では今の段階では、シビル・アジア(市民社会としてのアジア)がふさわしいし、市民の主体的参加意識を高める効果も狙っている。

ここで「シビル」とは、市民の間、または文明化した人民の間、または現在の軍事優位のタカ派支配構造を乗り越えて〝実質的なハト派支配の文民統制システムの確立″を含む概念である。


「アジア時代」と多くの人々から言われていた。

眠れる獅子であった中国だけが目覚めたのではなく、本当に眠っていたもっと偉大なる実体、シビルアジア(市民社会としてのアジア)というライオンが目覚めようとしている。

今や、西洋化という1世紀半にわたった長いトンネルを抜けて、シビル・アジア(市民社会としてのアジア)という新しい風景が見え始めようとしている。

ここまで来られたことには、日本の「平和憲法」の役割が大きかった。

「平和憲法」はアジアの平和と発展に大きく寄与した点において、東アジアの共有資産であると言えるし、

そうした点からノーベル平和賞を受賞するに値する。

東アジアから見て、我々は「平和憲法」にノーベル平和賞を授与することを支持する。

受賞の主体を誰にするかの問題は、法的な考慮も必要であるが、これはあくまでも精神的あるいは運動史の次元から推進されるだけに、

絶え間ない憲法改定の試みの中で、これを堅く守り抜いてきた憲法主導の市民運動側が受賞の主体になってしかるべきであり、その点では「九条の会」が適切であると思う。


「敵対的相互依存の悪循環メカニズムをこえて」


主権者である国民ないし市民の意思と、国家ないし政府の意思との間のかい離は、現代の民主主義が直面している難しい問題であるが、日本、中国、韓国などでは、そのかい離が深まり広がっていく構造に陥ったところに問題の深刻さがある。

中国は150年あまりに亘った「屈辱の世紀」をへて、眠れる獅子が目を覚ましたように立ち上がっているが、それが覇権主義に向かわないようにするためには、過去の日本の覇権主義の遺産を清算することが非常に重要である。

百余年前におきた日本帝国主義による「韓国併合」の不法無効化運動をわれわれが展開した理由も、韓国民族主義の要求にとどまらず、シビルアジアの必須の前提条件であるからであった。

しかし、安倍政権は正反対の方向に向かった。

「日本を取り戻す」という安倍政権のキャッチコピーは、われわれが乗り超えようとする過去をむしろ肯定し、美化する「歴史修正主義」の立場から、われわれがこれほどまでに守ろうとしている平和憲法体制を克服の対象とみなす憲法改正論として現れており、それをまず「平和憲法」の精神に反する「集団的自衛権の行使容認」という便法で実践する形として具体化している。

それはまさに戦後、冷戦の波に追われて歴史清算の作業が不十分であったところを、冷戦後さらに清算しようとする、いわば謝罪の時代に正面から逆行することであった。

このごろ世界的な注目を浴びているトマ・ピケテンは「21世紀の資本」で「過去が未来を支配する」という原理を実証的に説明しているが、安倍首相の行動は、過去に対する認識が現在、未来を支配する現象をリアルタイムで見せている。

その結果として中国、韓国などとの歴史の衝突をもたらし、それが領土ナショナリズムの対立を柱として全般的なナショナリズムとナショナリズムの間の対立をあおり、日本と中国との間には安保ナショナリズム、ひいては覇権主義対覇権主義という敵対的関係が形成されてしまった。


           (引用ここまで・続く)

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