始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

嵐山光三郎氏「死ぬための教養」・・ゆうゆうと死ぬために。。

2014-10-29 | 心理学と日々の想い


死について考えていたら、こんな本をみつけました。

嵐山光三郎著「死ぬための教養」。

面白くて、一気に読んでしまいました。

エリザベス・キューブラー・ロスも読んでみましたが、こちらの方をご紹介します。

タレントとしても知られている作家である嵐山氏が、ご自身の半生を振り返りつつ、読み集めた「死とは?」という問いに関する何十冊もの本を紹介しています。

その中の何冊かを、氏の言葉を交えて、ご紹介したいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****

             (引用ここから)

「前書き」より

宗教を信じて死ぬことができる人は、それは信じる力を持った人です。

死後の世界を信じることができる人は、精神力が強く、パワーがある。

しかし、無常を説いた吉田兼好ですら、本心から来世を信じていたわけではなく、「信じよう」と努力していただけなのです。

宗教に帰依していない人は、自己の死をどう受け入れていけばいいのでしょうか?


生理学的に考察すると、人は死ぬとき、最後の最後に自分の死を受け入れることへの抵抗を試みようとします。

それは痛みによる苦しみとは別に、「死を受け入れる」決意の葛藤と言っていいでしょう。


自分の死を納得するためには、一定の「教養」が必要となります。

一定の「教養」とは、「死の意味」を知る作業に他なりません。

いかに悟っていても、己の終焉を納得するのは難しい。

いざとなったら、「死に対する教養」のみが、自己の死を受け入れる処方箋となるのです。


「自己の死」を受け入れる力は、宗教ではなく「教養」であります。

死の意味を知るために人間は生きている、と言ってもいいのです。

不治の病を宣告された人は、最後の力をふりしぼって「闘病記」を書きます。

しかしそれはそれまでの人生の言い訳になりがちで、純粋なる死の意味とはいささか違ってきます。

「死ぬための教養」は、精神が健康状態であるときに、虚無におちいることなく、冷静かつ科学的に書かれたものである必要があるのです。

まさか死なないだろうと考えている時にこそ、「死ぬための教養」を身に着ける必要があるのです」。


              (引用ここまで)


                *****


氏が50歳の時に読んだ本の中の一冊は、根岸卓郎氏の「宇宙の意思」でした。

                *****

            
              (引用ここから)


本のカバーには「人はいずこより来たりて、いずこへ去るか?」とサブタイトルがつけられていました。

「かつて、死が直接に具体的な事実として日常生活に居座っていた時代には、人生についてのあらゆる想念は「死とは何か?」に集約せざるを得なかった。

しかるに合理主義に基礎を置く現代西洋科学文明は、人間を直接「死の現象」から遠ざけるようになり、生を通じて死を考えたりするようなことは少なくなった。

現代西洋科学文明がようやく終焉を迎え、新たに東洋精神文明の台頭による「東西文明の交代」の兆しが見えてきた。

現代西洋科学は、科学的因果律に呪縛され「宇宙こそは生命体である」との物心一元論の立場を放棄してきた。

われわれは自然の持つ奥深い本質「宇宙の意思」を知れば知るほど、われわれは現代科学を超えて 「生命の不思議」それゆえ「生死の不思議」を思い知らされる」。

                 ・・・

「生死の宇宙法則・生死のプログラム」と言う項には、こうあります。

                 ・・・

「「人間」は「再生」しつつ生きている」、ということである。

つまり

「「細胞」は死ぬことによって「個」としては生きている」、ということである。

すなわち

「「細胞の死」によって、「個体の生存」が保たれている」、ということである。


同様の見地から、

「「人間」という「種」もまた、「再生」しつつ生きている」。

すなわち、

「「個人が死ぬこと」によって、「種」としては生きている」。

つまり

「「部分の死」が「全体」を保存する」というわけです。」


                  ・・・

とあります。


「死ぬための教養」とは、なんといっても宗教であります。

しかし宗教は教養と言うより、信仰であります。

教養はしばしば信仰の邪魔になります。

世界で起こっている戦争や爆破テロ事件に対して、宗教は人々を救済しえたでしょうか?

今ほど、宗教の無力を思い知らされた時代は無いのです。

イスラエルとパレスチナの戦いにいたっては、宗教が原因です。

宗教は人類を救済するどころか、逆に破滅を導いているのです。


               (引用ここまで)


                  *****


嵐山氏は、人が死ぬのは、人類が存続するためである、という考えを肯定しているわけです。

そのような納得の仕方が、氏の言う「死ぬための教養」ということだと思います。

同じく50代に読んだ本として、親交のあったビートたけし氏の本を紹介しています。

 
                  *****


               (引用ここから)


敬愛畏怖するタレントにビートたけしという人がおります。

たけしはガールフレンドのところにバイクで行って大事故にあったのですが、事故から8か月後、たけしはその時の顛末を「たけしの死ぬための生き方」に書いております。

   
                 ・・・

「原チャリにまたがった。。

そんなような気がするんだけど、その前後の記憶はまったく無いんだよ。

事故のことも、救急車に乗ったことも、病院に入ったことも。

気がついたら、おいらがぬいぐるみを持って佇んでいるんだ。

そう、背中にジッパーのついている全身タイプのやつ。

ジッパーはだらしなく下がったまんまで、いつでもぞぼっとはけるようになっている。

それが傷だらけでボロボロになったおいら自身のぬいぐるみなんだよ。

要するに、肉体と精神が分裂して、肉体っていうのは精神が借りてる着物だ、っていうことがバーンと見えちゃったんだ。


一般病棟に移った時には、もう事故は事故として確認できたから、考えたことはこの後どうしよう、だよね。

どうやって退院して、どうやってリハビリしてやっていくんだろう、と。

それで当初は、脳ばっか、気にしていた。

何をするにしても、頭がいかれてたら終わりだからね。

頭は正常に動いているか?・・それを自分で試してみる。

ベッドの脇に立っている人が誰かも、ちゃんと分かってきた。

ただ、片っ方の目が外に飛んじゃっているから、焦点がボケて2人分になるんだけどね」。

              ・・・


         そしてこう述懐しています。


              ・・・


「同時に、今までどうしてこんな生き方したんだろうって反省が猛烈におそってきた。

こりゃ駄目だったとか、無茶だったとか、過去の自分に対する自己嫌悪。

やってきたことというか、自分がどういうふうに生活して、どんなことをしてきたかっていうのが思い出されて、ほんとにバカだったなって。

果たして今までの芸能界の仕事は何だったんだろうか?

何一つ満足してなかったあな、と。


人は不慮の事故や急病などによって、病院に入って、自分が死ぬかどうかというぎりぎりのところに身を置かないと、生と死ということについて、なかなか考える時間がない。

死ぬってことは人間みんなの目的であるっていうか、終着点であることには間違いない。

死というのは突然来る暴力なんだね。

その暴力にいかに準備しているか?

それが必要だってことは薄々は分かるんだけれど、あまりにも儚いっていうか、むなしい努力のような気がして。

死はすべての終わり。

それに対して、なんで準備しなきゃいけないのか?

対応しようがしまいが、死ぬことは死ぬことで仕方が無い。

そう考えりゃ準備なんかしなくたっていいじゃないかという奴もいる。

だけど、準備なんかしなくていいと言ってても、結局死というものには、むりやり対応させられるわけだよ。

あまりにも一方的に、向こうが勝手に来るわけだから。

それに、準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。

死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ。

下手すると、これが哲学の究極の目的なんじゃないかって思うね。

頭のいいのから馬鹿から、金持ちから貧乏人から、人間全部に対しての問題なんだ。

そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。

そうした時、それの能力とか財産にも関わらず、人間は対応する努力をしていかなきゃならないと思ったんだ」。

                ・・・

わたしも「ああ、俺も全く同じだ、同じだ」とうなづきました。

   
          (引用ここまで)


               *****


私もそろそろ、友人の訃報をきく頃になってまいりました。

とても他人事ではありません。


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わたしはむやみに傷つけられなくてもよい・・なぜ人を殺してはいけないのか?(2)

2014-10-25 | 心理学と日々の想い



前の記事の続きです。

同じく、佐世保の少女の事件について語ったもので、「人はなぜ人を殺してはいけないのか?」というテーマで語られています。

           ・・・・・

○本法務教官 魚住絹代氏

その問いを真正面から発した子がいた。

少年院で出会った15才の少女で、傷害事件を起こし、「年少(少年院)上等!」とタンカを切って入って来た。

親から虐待を受け続けて育ち、暴力団に関わった。

あらゆる人間に憎悪をたぎらせていた。

殴り殴られるの日々で右手は完全につぶれ、「血が見たい」「残虐なことがしたい」と繰り返した。


彼女に「あなた自身と同じように、どの人も大事だから、殺してはいけない」などと説得しても通じない。

子どもは、言葉ではなく体験から学ぶ。

人を傷つけてもいい、と言う子は、例外なく傷つけられてきた子だから、かけがえの無い存在として扱われて初めて、他者の痛みに配慮できるようになる。

坂道を転げ落ちてくる子は、その前にあえぎながら坂を上る段階があり、途中で必ず何度もサインを出している。

今回の事件でもそうだと思うが、気付かれずに上がって行くと、何かの拍子に一気に転落する。


ころげ落ちる時の言葉は皆同じだ。

「もうどうなってもいい」。

自暴自棄で負った傷をどう癒すかが、私たちの課題だった。

多感な時期の彼らが暮らす少年院では、人間関係を巡って日々トラブルが起きる。

和たち達は、いけないことだと叱りつつも、一つ一つ丁寧にその行為にいたった思いを引き出すよう努める。

自分の感情を見つめ、受け止められる体験を重ねる中で、相手のことを思いやる受け皿が子どもの心の中に出来てくる。

繰り返しの中で、ある瞬間、、例えば農作業で汗が落ちた時に、子どもは理解する。

「私はなんということをしたのだろう?」と。

自分が傷つけられた過去を客観的に見つめ、そこから脱却する。

「わたしはむやみに傷つけられなくてもいいし、人も傷つけてはいけない」、と納得する。


少年院に来た15才の少女もそうだった。

「なぜ殺してはいけないの?」の問いを子どもが発してきたら、好機だ。

その子は必ず自分の疑問に困惑している。

重要なサインなのだ。

正解を教えなくてはと大人は身構えるが、子供は言葉ではなく、自分に向き合おうとしているかどうか、評価しようとしているのか、建前で済ませようとしているのか、五感をとぎすませて見分けている。

自分も他人もかけがえの無い存在だと気づいてもらうためには、一緒に考え、向き合うことだと思う。


           ・・・・・

まぁ、一般的な意見だと言えば、そうなのですが、心に残る記事でした。

先月は、この記事の中でいう山折哲雄氏のおっしゃる「絶対的な存在による、殺すなかれの声」についての記事がありました。


           ・・・・・


「しつけ「異界」の力で・・地獄絵本・鬼が叱るアプリ人気」
                 2014・09・18読売新聞


子どものしつけに役立つとして、「地獄絵」を描いた絵本が注目されている。

30年以上前に出版されたものだが、「子育て」がテーマの漫画で採りあげられ、評判になった。

鬼がスマートフォンで子どもを叱るアプリも人気。

妖怪のアニメが話題となる中、「異界」の力を子育てに活用する親が増えているようだ。


「うそをついた人が行くところです」。

東京都中野区の認定こども園「やよいこども園」年長組の園児約30人を前に、保育士さんが、釜に入れられた人々の絵を示していた。

手にした絵本は、1980年出版の「地獄」風濤社)。

千葉県の寺が所蔵する江戸時代の「地獄絵」に、文章をつけている。

細密に描かれた鬼の絵を前に、目をつぶる園児も。



「皆は良い子だから行くことはありません」と久川さんが強調した。

同園で「地獄」の読み聞かせを始めたのは昨年度。

当時、虫を殺す園児が複数いたことから、「命は大切だと伝えたいと思っていたところ、ネットで「地獄絵本」の評判を知った、と久川さん。

子どもの話を聞き、家でも読み聞かせを始めた保護者もいるという。


注目されたきっかけは、漫画家東村アキコさんが自身の子育てを描いたシリーズ「ママはテンパリスト」(集英社)。

2012年発刊の巻で、「地獄絵本」を読み聞かせすると、子どもが言うことを聞いたエピソードを紹介した。

約30年間で11万部発刊された絵本は、2012~2013年だけで26万部が売れた。

「怖い地獄の世界が、若い世代や子どもには新鮮だったのでは?」と風濤社。


スマートフォンのアプリ「鬼から電話」も人気だ。

12月9日に公開され、ダウンロードは670万件に上るという。

電話の応答ボタンを押すと画面に鬼の顔が現れ、「赤鬼です。まだ言うことを聞かないんですか?」、「仲間をいっぱい連れて行くからな」と迫る。

同社には「子どもが言うことをきいて助かった」、「しつけに効果抜群」といった声が寄せられている。


開発したウェブ制作会社の社長は、秋田市出身。

「なまはげが来るぞ」と叱られた経験から発想した。

「親が叱り続けてストレスをためずに、子どもの気持ちを切り替える道具として使ってほしい」と話す。


スマートフォンのアプリでは、妖怪が「お片付けしなさい」と叱る「しつけ妖怪」も利用者が多い。


ただ、子育てに詳しい大日向雅美・恵泉女学園大教授は、「子供は今も昔も聞き分けのない存在。

昔は親がいらいらしながらもそれに付き合い、してはいけないことを教えてきたが、今やゆとりが無くなり、しつけに即効性を求めるようになっている。

使いたくなる場面もあるだろうが、子どもにとって地獄や鬼は本当に怖い存在。

頼り過ぎないようにしたい」と指摘する。


                     ・・・・・


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なぜ人を殺してはいけないのか?(1)・・殺すなかれ、の声を聴く

2014-10-23 | 心理学と日々の想い


この夏おきた痛ましい女子高生の殺人事件をめぐる新聞記事がありました。
以下に引用します。

・・・・・


「なぜ人を殺してはいけないのか?・・佐世保事件を受けて」  
                      2014年8月7日 読売新聞

長崎県佐世保市で、高校一年の女子生徒が同級生を殺害した容疑で逮捕された。

同市では10年前にも小学生による殺人事件が起き、市や県を挙げた「命の教育」が行われてきたが、届かなかった。

少年による凶悪事件は、私達大人が、子ども達のある重要な問いに正面から答えていないという疑念を抱かせる。

なぜ人を殺してはいけないのか?

3人の識者に考えを聞いた。



○宗教学者 山折哲雄氏


人を殺すことは、人間の存在を根本からおびやかす行為で、当然に許されない。

だが、人を殺し得る人間がいくらそう説いても、説得力はない。

だから人類は、神や仏など宗教的な存在への信仰をうしろだてにして主張してきた。

殺すなかれ、と。

今や我々日本人は、その後ろ盾を失った。

原因として大きいのは、戦後の教育改革で、政教分離の名の下に日本人独自の宗教心を視野の外に置いたことだ。

教育基本法に「宗教教育」の項がかろうじて残されており、社会科の教科書にイエスや仏陀の名前は出てくるものの、その教えの内容や、何千年も生き残ってきたことの意味は教えられない。

「人を殺すな」という代わりに「命を大切にしよう」とは誰でも言える。

実際、日本の教育現場ではこの言葉が頻繁に使われる。

だが、「してはならない」という、禁止を強制する言葉は使われない。

それは人を超える絶対的な存在から発せられて、はじめて意味を持ち、秩序を維持する要となってきた。


時代の流れのなかで、人知を超える存在が失われた結果、我々は人間を理解したと錯覚した。

何等かの分析的思考によって、必ず人間を理解する答えが求められると誤って思うようになった。

今回のような事件が起きるたびに、報道や研究の世界で使われる手法が、その象徴だ。

まず社会的背景を分析し、次に容疑者の心理的動機の解明に進む。捜査は取り調べの過程で、常軌を逸した、理解できない
ことが現れると、精神病理的な面から原因の追究がはじまる。

この3つの手法で異常行動の意味が説かれるというのだが、根底には、人間は社会的に、科学的に理解できるものだという傲慢さが透けて見える。


しかし、人間はそんな薄っぺらな存在ではない。

胸に手をあててみれば、「人間、この未知なるもの」という声が聞こえてくるはずだ。

我々は、〝内なる闇″を抱えた存在なのだ。

人は、放置すると野獣化する。

人類はそれをくいとめる様々な文化装置を作りだしてきた。

宗教しかり、その意味を教える学校しかりだ。

ところが日本の教育は、タブーや禁ずる言葉ぬきに、ばくぜんと「生きる力」などと生を賛美する。

日本の教育には、取り上げるべき「死」が組み込まれていない。

「死とは何か?」を教えない既成の教育ほど、弱いものはない。

この根本的な問題をないがしろにしたまま、今道徳を教科化しても、効果は無いと思う。

宗教と聞くと、戦前の「国家神道」を思い出して距離を置く人も多い。

だが平均的な日本人は先祖やお地蔵さんに手を合わせ、食事前に「いただきます」と唱えるような信仰心、人を超える存在への畏敬の念を持って生活してきた。

そこに立ち戻り、大人、中でも教師と、教師を養成する大学が宗教アレルギーから自由になって教育を見直す。

そのとき初めてこの問いに説得力を持って応えられるのではないか?



○元高校教師・横浜の「夜回り先生」 水谷修氏


あえていえば、この問自体が成り立つのだろうか?

日本には死刑制度があり、重罪を犯した人は法で裁かれ、死を強いられることもある。

今この瞬間も世界各地でおきている戦争や紛争で、多くの人が命を奪われている。

それなのにただ 「人を殺してはいけない」と言えるのか?


死刑制度は、国のルールの一つだ。

社会には一定のルールが必要で、ルールが決まっている以上、背くならば出ていかなくてはならない。

ルールによって社会秩序が守られている事実も、忘れてはならない。

戦地で兵士は、殺さなければ殺される。

戦争での殺人を基本的に罪に問えないのはそのためだろう。

こうした現実を踏まえて、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに答えるのなら、抽象的な〝人″ではなく、人格を持ち名前があり、家庭をもつ特定の誰かを殺そうとすることはなぜ悪なのか?を前提にすべきだ。

それならば答えやすい。

被害者の夢や未来をつぶしてしてしまう、誰にも許されない行為だ、と言うことが出来るからだ。


本当は、私はいかなる場合でも、人を殺すこと自体が悪だと考えている。

人は誰かを幸せにするために生きている。

悲しませるためではない。

すべての人がそのことを知っている。

今回の事件の加害者もそうだと、確信している。


そう教えてくれたのが、「夜回り」で出会う子たちだった。

35歳から23年間、夜回りをしているが、一度も注意をして、殴られたり喧嘩を売られたりしたことがない。

夜の繁華街にいる子たちは例外なく、いてはいけない時間にいることを知っている。

だからこちらの言葉が伝わると、きちんと受け止めて「ごめんね。もうやらないよ」と聞き入れてくれる。


人間には本来、良心が根付いているのだ。

子どもの心の善、良心を引き出すためには、こちらもぶれずに善であることをてらいなく示すことだ。


人を殺すことは悪だと認識しているからこそ、人類は生き残ってきたと私は考える。

その根源的なものを信じて、善なるものを呼び覚ましたい。

まず大人から、絶えずその原点に立ち返り、今は潜んでいるかもしれない良心の声に耳を傾けたい。

「なぜいけないのか?」と頭で考えるのではなく、いけないことだと「腑に落ちる」ことが一番いい。



                    ・・・・・

>しかし、人間はそんな薄っぺらな存在ではない。

>胸に手をあててみれば、「人間、この未知なるもの」という声が聞こえてくるはずだ。

>我々は、〝内なる闇″を抱えた存在なのだ。

>人は、放置すると野獣化する。

>人類はそれをくいとめる様々な文化装置を作りだしてきた。

>宗教しかり、その意味を教える学校しかりだ。

>ところが日本の教育は、タブーや禁ずる言葉ぬきに、ばくぜんと「生きる力」などと生を賛美する。

>日本の教育には、取り上げるべき「死」が組み込まれていない。

>「死とは何か?」を教えない既成の教育ほど、弱いものはない。



一般論とも言えるかもしれませんが、力強い言葉だと思いました。

「殺すなかれ」の言葉がわたしの心に埋め込まれたのはいつだっただろうか?と思い返しました。

わたしは自分が仏教系の幼稚園に通っていたことを思い出します。

園歌が♪「のの様(観音様)は いつでもどこでも 知っている あなたのしたこと 知っている 知っている」♪というのでした。

みんなが集まる広い部屋の一角に、その「のの様(観音様)」をまつる一角があって、毎朝お当番の子供達が、お坊さんの園長先生の後について、お花やお水をお供えしてから、一日がはじまるのでした。

「のの様」は、優しく、頼もしく、そして怖い存在でした。

わたしの心に深く深く埋め込まれた「のの様」を、今もはっきりと感じます。



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遠い昔、遠い昔、遠い昔・・「一万年の旅路」の記憶(10)

2014-10-20 | 北米インディアン


イロコイ族の父祖から学んだ彼らの歴史の口承史を英語でつづった、ポーラ・アンダーウッドさんの「一万年の旅路」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****

            (引用ここから)



はじまりの歌

さて言っておくが、わが一族のはじまりは「大海のほとり」の里よりはるか昔にさかのぼる。

それはあまりにも遠い昔で、誰一人時を数えることもできないほど。

であるにも関わらず、我らの間には次のような物語が伝えられてきた。

遠い昔、遠い昔、遠い昔、、我が一族はゆるやかな群を作って暮らし、太陽がたまにしか見えないほど背の高い木々の間を縫って日々を過ごしていた。

それはのんきな時代。

手を伸ばしさえすれば何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。

それはまた滝をなして降り注ぐ雨が木の葉や枝の付け根にたまり、大地からばかりか、木々からも水を求められる時代であった。

木々の下の地面はしばしばぬかるんで危険に満ちていたから。


こうして一族は時を超える時の間、心安らかに暮らしていたが、やがて世界が変わり始めた。

木のない土地が近づいてきて、大きな木々が大地に捕らえられ、代わりに新しい樹が生えなくなったという報せが伝わった。

大地にしっかりと根ざし、長い長い間、揺るぎなくそびえていた巨木たちが、大地とのつながりを失って一つまた一つと退く森の方へ倒れはじめたのだ。

このためそれまで我らの住処であった木々が、我らを大いに脅すようになった。

そしてこの変化のありさまを見た者達は、草地へ歩み出すことを学んだ。

だがそこでの暮らしは困難を極めたため、多くの者は森に住み続け、最後には木々たち自身から振り落とされるはめになった。

一方新しいやり方を楽々と身に着けた者達は、一族にすばらしい贈り物をもたらした。

それは果実ではないけれども栄養になるものを見つけ、水の探し方を覚えて、生きていく新たな方法を学んだ者達であった。

というのも、雨の降る回数はますます減り、大地のあちこちに水たまりを作りはしても、木々の上に溜まることなど珍しくなったから。


さてわが一族の習性として、ゆるやかな群でほぼ北の方角へ移動していくことになった。

この移動生活を続けながら、手に入れたものをすべて食べつくさずにいくらか蓄えることなど、我らはこの新しい土地での暮らし方を身に着けていった。

我らにとってこれらのことは全体として一つの大きな学びとなった。

そのうち、土地の様子が変わりはじめた。

北と西はどんどん迫り上がって、最後に高くならないのは東だけになった。


そんなある日、一族の間でこう決まった。

東はあまり好ましくないから、北に進み続けようと。

そこで一族はゆっくりと北の西の方角へ上ってゆき、数日後にはその向こうが見渡せる高台に達した。

そしてむこうに広がっていたものは、彼らを仰天させた。

北と西、そして南も、目の届く限り水しか見えなかったのだ。

その大きな水はすべてを覆い尽くしていたので、一族はこの場所にはどれほど雨が降るものかとしきりに首をひねった。

次に一族は、先を急ぐには険しすぎる道を用心深く下りにかかり、ゆっくりと低地へ辿り着いた。

最後に出たところは乾いたザラザラの大地で、足がたやすく埋まってしまうのが、ぬかるんだ大地と違い、歩いても粘りついてこないのだった。

これほどたくさんの水のほとりで、なぜ大地がこんなに乾いているのか、一族は理解に苦しんだ。

さて彼らは一人また一人と、この「大いなる水」のほとりへ歩み寄った。

その水のあまりの大きさに、岸部の波は雷のような轟音を響かせていた。

彼らは水に近づき、意外な発見をした。

というのも、この轟く水に近づいて、有り余る豊かさに手を伸ばすと、それはかつて誰も知らない水だったから。

この水は苦い味がして、舌にも口にも胃袋にも不快だったのである。


一族のある者達は、超えてきたばかりの高地のむこうへ出るもっと楽な道筋を求めて、この「大いなる水」のほとりを北と南に探索したという。

それにより「大いなる水」に注ぐ二つの小さな、しかし素早く流れる沢が見つかった。

どちらも味は苦くなく、舌にさわやかでおいしく感じられた。

そこで彼らの間にはこの美味しい水が手に入り、ここで生きていくことが他と同じくらい容易ならば、この場所を自分たちの暮らしの中心にしてもいいという考えが生まれた。

東には大きな山地、西には「大いなる水」、北と南には見知らぬザラザラの大地が広がるこの土地を。



すべての者が「かつてあった木々」から「まったく木のない所」へ出て、最後にこの「大海のほとり」へ至る、多くの世代にわたる旅をまだ覚えていた。

そのためすべての者が、この土地がどれほど大きいかを心に留めていた。

そこで彼らは今度、この苦い水がどれほど大きいものかに思いを巡らせたのである。

多くの世代にわたって昼と夜が交代し続けるにつれ、彼らは北も南も限りなく歩いていけば、陸がだんだん西へ西へ西へと曲がっていることを理解し始めたのだが、

それでもなお、彼らは水の方が陸地より大きいという理解を失うことはなかった。


さてこうした学びの傍ら、もう一つのことが起こりはじめた。

時折「大いなる泳ぎ手」がやってきたのだが、彼らは我らと同じくらいの大きさか、ときにはもっと大きな体をしていた。

得体がしれなかったので、最初のうちは、我らは彼らを疎ましく思った。
けれども、親近感が強まるにつれ、心配はいらないことが分かった。

むしろこれらの生き物は我らと一緒に泳ぐことが大好きらしく、我らも彼らと共に泳ぐことを心がけるようになり、大海の性質をいくつか教わった。

我らが大海の深みについて、また幼い者達に泳ぎを教える方法について学んだのは、この生き物からだったのだ。



ところが最後に、新しいことがおこった。

そういう集団が一つ生まれ、たいそう後ろ髪をひかれながらも、山地を超えて道の明日へ旅立つことにしたのである。

そしてこれだけではそれまでと変わらないが、この時は次のような違いがあった。

新しい集団には我らの祖先が含まれていて、それ以来今日まで、我らの誰一人として、二度と再びその「中つ地」を見ることはなかったのだ。



              (引用ここまで)


                  *****


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我らは海を知る者たち・・「一万年の旅路」の記憶(9)

2014-10-15 | 北米インディアン


 ちょうど2年前に(8)まで投稿していた、北米インディアン・イロコイ族のポーラ・アンダーウッドさんが父祖から受け継いだ口承史を文字にした「一万年の旅路」という本のご紹介に続きがありましたので、投稿します。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

  

               *****


             (引用ここから)


そのころ、わが一族は山を背にし、南の東に面した場所に落ち着いていた。

我らの中心を占める山裾の砂浜は、左右に緩やかな曲線を描き、その端は切り立った崖になっていて、崩れた岩はまっすぐ海に落ち込むのだった。

当時世界が寒いときは、山の懐深く暗い場所が、暖かくて有難がられ、世界が暖かくなると、開けた浜が好まれた。

再び浜は、迫りくる海に飲み込まれた。

満ち潮になると、立っていられる場所もなくなった。

二たび、海面が下がって、砂がまた姿を現した。

そのような時は、世界全体が前より寒くなり、深くて暗い場所の有り難さが増したから、海水の多くがどこかへ行って氷になったと考えるのが道理にかなっていた。

そしてそのような時は、北の西に行くと、世界は海辺よりもっと寒くなったので、「大いなる氷」は北にあると考えるのが道理だった。

というのも、ただ東や西へ行っても、そんなふうに寒くはならなかったからだ。


その当時、わが一族は「物見」の一隊を送り出した。

彼らは毛皮にくるまって戻ると、たいそうな寒さや、誰にも上れないほど高い氷の壁のことを語った。

その近くで生き延びられるのは、わが一族の苦手とする大熊だけだと。

これこそわが一族がまわりの世界のありさまを知り、この「大いなる寒さ」の時、他の者達がどう過ごしているかを理解するようになった時代である。


「海を知る者」たちは、世界が主に水でできていて、その中にところどころ、大小の島が浮かんでいることを知っていた。

しかしいつも大地で暮らす、海を知らない者たちは、世界が大きな川で囲まれている平らな土地だと思っていた。

そしてわが一族はずっと海の民だったのである。

そこで我らは自分たちの道を大切にし、ぜひともそれを守ろうと語り合った。

世界が再び暖かくなり、海面が上がって砂を呑み込んでいく時、一族は新しい時代にもこれまでどおりつつがなく暮らせるよう、世界を立て直さなくてはいけないと考えた。


世界は再び暖かくなり、海が日一日と我らの方へ迫ってきた。

そこで一族も、深くて暗い場所から出て、開けた砂の上で暮らすようになった。

それは人々の数が増えるとともに、だんだんと砂浜が見えなくなっていく時代だった。

そして我らは一族としてどのように共存していくのかを、改めて取り決めなければならないことを悟った。


           (引用ここまで)

             *****


これは、膨大な語りの最初の部分です。

「一つめの主な語り」と題されています。

本文の下の注意書きの部分には、「山のふところ深く暗い場所が暖かくて有難がれ、、」というのは、天然の洞窟のことであろうと書かれています。

また、「世界全体が前より寒くなり、、といった世界の寒暖、海面の上下といった変化は、氷河期にともなう現象。現代型ホモサピエンス発祥以来の時間尺度から考えて、ここで語られる2度の寒暖変化は最近の2つの氷河期ではなく、およそ7万年前から1万年前まで続いた最後のウルム氷期中の変動によるものと思われる」と書かれています。

この記事が2年間、お蔵入りしていた間にも、人々は、2年間、黙々と歩き続けていたのでしょう。
「我ら」とは、もちろんイロコイ族の人々の先祖の方々のことですが、また同時に、あらゆる人間の意識の流れ全体でもあるように思えます。


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いずれのおん時にか・・

2014-10-08 | 心理学と日々の想い



「源氏物語」の書き出しにある「いずれのおん時にか・・」と言いたくなるくらい、更新したのが、はるか昔に思えます。

わたくし、元気なんですが、することが多すぎて、更新ができなくて、失礼もうしあげております。

せっかく図書館で借りた「ゾロアスター教」の貸出し日数期限も、あとわずか。。

読んでいない新聞も、半月以上。。

早大の小保方さんの研究論文の審査は、もう一年猶予されるそうですが、わたくしのブログも、なんとか、見捨てられずにいていただけたら、、と思うばかりです。







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