インカ文明を出発点として、どこまで時間をさかのぼれるのでしょうか。
増田義郎・友枝啓泰氏共著「世界の聖域(18)神々のアンデス」という本には次のように書かれていました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
最初の統一文化
古期の終わりには原初農耕の実験段階をすでに終えた中央アンデスに、土器の使用とトウモロコシ耕作が導入され、農耕を基盤とした社会が成立するに至った。
最も古い年代(紀元前1800年)の土器はコトシュ遺跡から出土しているが、この土器はすでに高度の技術によって作られている。
このことは年代的にはコトシュより遅い他の遺跡出土の土器と考え合わせると、中央アンデスの土器伝統が、この地域で始まったものではないことを示している。
おそらく紀元前3000年ごろとされる古い土器が出てくるコロンビアやエクアドルからの影響が、海岸沿い、あるいは東斜面沿いに及んだ結果として中央アンデスの土器使用は始まったのであろう。
トウモロコシも土器と相前後して耕作されるようになったと推測されるが、形成期初期の段階では、あったとしても、まだ重要な作物ではなかった。
このトウモロコシも中央アンデスに起源をもたなかったようで、やはりアンデスの北部から導入された可能性が強い。
いずれにしても土器を使用し、農耕に依存する社会は紀元前1000年のころにはそれぞれの特色をもって中央アンデスの全域に広がっていった。
紀元前1000年を過ぎると、突然のようにジャガー神信仰を中核とするチャビン文化が現れ、急速に中央アンデスの大部分を覆うようになる。
すでに 古期の終わりから形成初期にかけて各地方に独自の祭祀センターがつくられ、地方ごとの共同体を統合する信仰、儀礼の体系は確立していた。
だがこの時になって初めて、そうした諸地方の差異を貫く普遍性を備えた宗教イデオロギーやその造形表現の様式が確立するのであり、
中央アンデスの文化統一が少なくとも、宗教的側面で実現されたことになる。
宗教的性格の強いチャビン文化の起源については、形成期初期段階の考古学的研究の不足もあって確実なことは言えない。
造形表現に見られるジャガーなどの動物モチーフは、アマゾン低地との関係を示唆するし、
また時期を同じくしてメキシコに成立していたオルメカ文化がジャガー神の信仰を中心としていたことから、中米との歴史的関連を指摘する説も重視される。
中央アンデスのどの範囲にチャビン文化が広がったのかは公共建造物や造形表現の主題や様式、分布から知ることができる。
北のカハマルカにあるクントゥル・ワシには三層のピラミッドがあり、ジャガーの牙を持つ神を現した石彫や、牙と爪を備えたコンドルの石彫が発見されている。
海岸地方では日干しれんが造りの神殿があり、この壁面にも様式化したジャガーの装飾が施されている。
(引用ここまで)
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ジャガーやコンドルといういかにも古代アメリカを感じさせる文明が登場した頃の、熱気にみちた空気、動物と人間の激しい鼓動が感じられるようです。
オルメカ文明との関連も興味深いです。
Wikipedia「チャビン・デ・ワンタル」より
チャビン・デ・ワンタル(チャビン遺跡)はペルー中部、ワラス近郊にある遺跡である。
リマから北に約250km、ブランカ山脈東麓のアンデス山中にある。
標高は3200mほど。
インカ以前の紀元前1500年頃から200年頃にかけて栄えた、チャビン文化の代表的な遺跡である。
内部に地下通路が縦横に張り巡らされている。
1985年、「チャビン(考古遺跡)」の名でユネスコ世界文化遺産に登録された。
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