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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

「ホワイトイーグルの教え」(1)・・インディアンの太古の叡智・霊的な太陽

2017-10-28 | アセンション



「アメリカ大陸の太陽人たち・・ホワイトイーグルの教え」という本をご紹介します。

この本は、白人女性のもとを訪れた「ホワイトイーグル」と名乗るインディアンの霊が語ることを書き留めたものです。

そのため、言葉が西洋的な部分もあり、折衷した一種奇妙な感じがするのですが、西洋人が感受したインディアンの霊言ということです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

           (引用ここから)

私は生まれてこの方、ずっと「ホワイトイーグル」と交際してきたと、今の私には思われるのです。

彼が初めて私の前に姿を現したのは、私がほんの子供の頃でした。

夜眠りかけた時、なんとインディアン達が輪になってベッドの周りに立っているのに気づいたのです。

彼らは私の友達なんだ、とすぐに分かりました。

その輪の中に、全身白ずくめの装いをした、一際背の高い、印象的な人物がいました。

その堂々とした古代インデアンの長は、夢うつつの私を、木の精霊や空気の精霊や水の精霊の住む、太陽の光と幸福に満ち満ちた国へと連れて行こうとしました。

そんなわけで、私は彼をとてもよく理解し、愛するようになったのです。

後に彼は、自分は「ホワイトイーグル」という名で、私の今世における指導霊であり教師である、と明かし、私たちが共に成し遂げるべき仕事について告げました。

彼を通して私は、インディアンの知恵に親しむようになりました。


また彼は私が、遠い過去世でインディアンとして暮らした時の生涯を思い出させてくれました。

インディアン時代、私達は「神なる大生命」・「大霊」を間近に感じて暮らしていました。

自分達は、顕幽両界のあらゆる生き物からなる広大な「同胞団」、他の生命世界、他の惑星をも含んで広がる生命の「同胞団」の、小さな一部分にすぎないことを、私達は理解していました。


「ホワイトイーグル」は私に、「生命の法則」=「太古の叡智」に関する教えを授けてくれました。

その「太古の叡智」こそ、あらゆる宗教の基礎であり、それらの叡智はこの‶人類周期”の始めに、ある人々によって人類にもたらされたものである、と「ホワイトイーグル」は言いました。

「ホワイトイーグル」は、「叡智を持つ存在」のことを「太陽の神々」あるいは、「太陽人」と呼んでいます。

彼らは遥か彼方から地球にやってきて、今は海底となっている土地に降り立ち、まだ幼い、霊的には純粋な人類に、自分達の叡智をもたらしました。

彼ら「太陽の神人」たちは、人類に「神の法則」を教えました。

その初期の文明以来、彼らの降り立った母国から、使者達は東西へと奔走し、世界の至る所に教えを伝え、叡智の中心となる「秘教学校」(ミステリースクール)を設立しました。

アメリカに住み着いた彼らは、ずっと昔の時代の人々に、火を囲み、輪になって傾聴する私達に酋長が伝えたと同じ霊的真理を教えたのです。

「ホワイトイーグル」は言います。

始めの頃に設立された「秘教学校」(ミステリースクール)は、大陸から大陸へと広まりつつ、この世の歴史を通じて存続し続けてきました。

この地球で人類の生活が始まった頃、偉大な真理が導入されました。

それは「光」、「人間の心に宿る光」という形でやってきました。

それを理解されたなら、皆さんは永久にその本当の源泉から力を、光を、引き出すようになることでしょう。

その源泉とは、「太陽」のことです。

と言っても、太古の人々が崇拝したのは「霊的な太陽」でした。

世俗的な人々は、それを「物質的な太陽」の崇拝と勘違いしてきたのです。

古代の「太陽」崇拝者たちは、自分達の世界に生命をもたらすものの「霊的な意味」を理解していたのです。

霊界と人類の歴史は、皆さんが考え得る以上にずっとずっと古いものなのです。


数え切れないほど昔に、人々は「太陽」を礼拝するために、屋根の無い神殿に集いました。

彼らは他の惑星から地球に、光と力のセンターを設立するためにやって来た人々でした。

今もって、大地やすべての人の内に閉じ込められている、その「太古の光」を解放することが、「生命の同胞団」の、今日の仕事なのです。

彼らは「霊的な光」を確立するために、地球にやってきました。

それ以来、人類はその「光」を糧としてきたのです。



人類に太古の叡智をもたらした「太陽人」「神人」達は、かの偉大な「光の丸十字同胞団」、「大白光同胞団」から遣わされた使徒たちでした。

その「同胞団」は、地球に生命が誕生して以来、人類の保護育成にあたってきたのです。

使徒たちの何人かは、アンデス山中に住み着き、そこに「同胞団」のセンターを設立しました。

「ホワイトイーグル」自身、アンデスで兄弟姉妹と共に暮らした時の記憶を語ってきました。

彼らは金で装飾された白いローブをまとい、羽飾りのついた被り物をしていました。

彼らの中には、不可視の世界で活躍する者もいれば、地上で特別な仕事をなし得るように定期的に肉体をまとう者もいました。


今世、わたしが初めて「同胞団」について知ったのは、何年も前、「ホワイトイーグル」に、私が古来の「同胞団」とつながりがある、と告げられた時のことでした。

私の心霊力が発達するにつれ、私は瞑想中に美しい場所に連れて行かれました。

私は自分のガイドと共に、まぶしい光の漏れ出る洞穴の入り口に来ていました。

洞穴の中に導かれる途中に、その光に充満している霊力を感じました。

私には、沈黙の儀式が執り行われているのだと分かりました。


「ホワイトイーグル」は語りました。

「あなたがたが住む、固い世界のただ中に、より希薄なエーテル質から成る世界が存在しています。

ご存じのように、そこは霊界ではありません。

肉体が死ぬとエーテル界へ行きますが、そこは地上により近い所です。

そのより希薄な世界の中に、古代の「太陽の同胞」たちが今なお生きており、自分達の「太陽神殿」や「太陽都市」で礼拝生活を送っています。


いったいなぜ、「太陽人」たちが今なお地球の周りに住んでいるのでしょうか?

それは彼らには、地球と人類に関係した仕事があるからなのです。

静かに、人に知られることなく、その活動は続いており、そこから放たれる「霊光」が、地球の闇を刺し貫いています。

人間を利用しようとしている二つの力があります。

一方は建設的な力。一方は破壊的な力です。



インディアンの「ブラックエルク」の言葉を紹介します。

「インディアンの行為はすべて「円」の中で行なわれます。

宇宙の力は常に「円」の中で作用し、あらゆるものは“丸くあろう”と努めているからです。

私達が力強く幸福だったいにしえの時代、私達の力はすべて私達種族の「神性の輪」から生じており、その「輪」が壊されない間は繁栄しました。

花の咲いている木が、その輪の生きた中心となっており、4つの方向からなるその「輪」がその「木」を養っていました。

東側からは平和と光が、南側からは温かさが、西側からは雨が、そして北側からは力強さと忍耐力が与えられました。

宇宙の力がすることは、すべて円の中で行われます。

地球もボールのように丸く、すべての星も丸いということです。

風は、その力が最大になると「渦」を巻きます。

鳥は自分達の巣を、円形に作ります。

太陽が出て、再び沈むまで、円弧を描きます。

月も同じです。

両方とも球形です」。


「ホワイトイーグル」は次のよう語っています。

「はじめに言葉がありました。

その言葉とは、バイブレーション(振動)のことです。

常に拡大しつつある「円」の中で、振動し、こだましていた力強い音です。

あらゆる被造物は、その円の中にあるのです。

自分の人生が、光の輪の中に保たれていると考えてください。

皆さんは、その光の輪に包まれているのです。

自分はその「言葉」とその「光」と「力」と保護の輪の中にあって生きている、と考えてください。

    
            (引用ここまで)

              *****

「白光同胞団」という言葉が、なんとも言いようがないのですが、わたしが思うに、これは西洋においても、インディアンの世界においても、真実で有り得たと思います。

その「白光同胞団」が、人類発祥と時を同じくして、他の星からやってきた、という点も、わたしは、否定はしません。

洋の東西の垣根を超えれば、このような表現もあるかと思います。

著者であるこの女性が、「ホワイトイーグル」と名乗るインディアン霊からの通信を受けていた頃、同じようにインディアン霊から教示を受けていた人が幾人もいるということです。


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「最古の文字なのか?」・幾何学模様のデータベース・・ラスコー展に行ってきた(10)

2017-10-25 | その他先史文明




昨秋に行ってきた「ラスコー展」のすばらしさが心を離れないので、いろいろな本を読んでいます。

次は「最古の文字なのか?」というジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー氏の本をご紹介します。

副題は「ヨーロッパの旧石器時代の洞窟内に残された32の記号の謎を解く」とあります。

調査可能なヨーロッパの洞窟をすべて調査して、幾何学模様に特化してデータベースを作り、どの記号がどのような頻度で記されているか、などが調べられている、興味深い本です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

前回まで「洞窟のなかの心」で、著者ルイス・ウィリアムズが取り上げていた、アフリカのサン族の岩絵について要約している所をご紹介します。

                *****

             


              (引用ここから)

ルイス=ウィリアムズは、内視現象の普遍性を出発点として、岩壁画が、初期の人類のスピリチュアルな行為と直接関係があることを示そうとしてきた。

彼はこの根拠として、シャーマニズムに関連する岩壁画を描く最近の狩猟採集民、特に南部アフリカのサン族の例を引いている。

サン族が旧石器時代からこの地域に暮らしていることは、考古学的、遺伝学的データから分かっていて、一帯には彼らが太古の昔から描いてきた岩壁画がある。

旧石器時代の作品で唯一残っているのは、ナミビアのアポロ11洞窟の石板に描かれた2万7000年前~2万5000年前の黒い動物の絵だ(アポロ11号が月面に着陸したときに発掘が行われたため)。

サン族はカラハリ砂漠に暮らし、今も狩猟採集民の生活様式をある程度維持している。

彼らはシャーマニズムを実践し、どの集団でも4割以上の人がシャーマンとして超自然的世界に働きかけ、ものごとの成り行きに影響を及ぼす役割を担っている。

彼らは一般に、激しく歌い踊ることによってトランス状態に達する。

それぞれのシャーマンが、雨を降らせる、獲物を獲得する、病める者を癒すなど、得意分野をもっている。


彼らは日常的に、岩壁画も描いている。

彼ら自身の説明によると、日常世界の上下にある見えざる世界と行き来する時に見えるものを、岩壁画に表わすのだという。

サン人はこのようなイメージを、シャーマンが危険な世界に足を踏み入れる際に利用することのできる「超自然的能力」の宝庫と見なしている。

イメージを描く岩の表面は、実世界と精神世界とを隔てる「ベール」や「薄膜」であり、そこに付けた「手の陰画と陽画」を通して、「薄膜」と直接つながるのだという。


幾何学的な視覚現象は普遍的に見られ、その時見える模様は目が映し出すことのできる形状に限定される。

すると、岩壁画に含まれる幾何学記号にはスピリチュアルな意味をもつものがあるのかもしれない。

それに具象イメージ、特に「半人半獣像」にも、シャーマニズムに由来するものがあるかもしれない。

「半人半獣像」は、儀式の装束を身に着けたシャーマンや、霊的世界を訪れたシャーマンを導くスピリチュアルな存在、あるいは霊的世界を訪れたシャーマン自身を表している可能性がある。


最近の岩壁画文化を例にとりながら、これらの可能性を一つ一つ検討してみよう。


1つ目として、一部の文化ではシャーマンが、頭部が着いたままの動物の毛皮を身にまとったり、マスクをかぶったりして、動物の姿を模倣することがある。

19世紀と20世紀の岩壁画にも、このような衣装を着たシャーマンの姿が描かれた例がある。


2つ目として、精神的ガイドは多くのシャーマン文化に見られる存在で、動物(精霊動物)の場合もあれば、半人半獣の場合もある。

ガイドは、シャーマンと長年かけて関係をきずいてきた個人的な指南役であることが多く、シャーマンが「見えざる世界」に移動する手助けをしてくれる。


3つ目として、特にサン人は、スピリチュアルな世界に入ったシャーマンが「動物に化身する」と信じていて、シャーマンが描く「半人半獣像」は、別世界にいる自分自身を表している。


この様に、3つの説にはそれぞれ論拠があり、洞窟の壁にこれらのうちの複数のイメージが同時に描かれていることも、恐らくあるのだろう。

だがこうしたイメージは全く違うものを表している可能性もある。

              (中略)

私が氷河期のヨーロッパに焦点を絞った理由は、1万年以上前の岩絵遺跡がここに集中しているうえに、自分のフィールドワークを補完するのに利用できる強固な研究基盤がすでに存在したからだ。

こうして私は52か所の遺跡を実際に回って集めたデータと、古今の優れた研究者の資料をもとに、世界最大の幾何学記号のデータベースを構築した。

この先もこれを拡充していくつもりだ。

今後はこのデータベースに、「持ち歩けるものに描かれた作品」の例も加えたい。

また、まだ調査が進んでいない地図上の空白を埋めたい。

ヨーロッパの中央部と東部には、発見されるのを待っている多くの遺跡がある。

最近ではアフリカ、アジア、オーストラリア大陸周辺の島々、近東でも、氷河期の岩絵遺跡の調査が始まっている。

新しい調査方法や年代測定のお蔭で、インドネシア・スラヴェシ島の世界最古の岩絵遺跡のような、胸躍る発見がなされている。

           (引用ここまで)

            *****


著者は、「洞窟のなかの心」の著者の考えとは一線を引いて、旧石器時代のすべての作品を、時間と場所を超越した内視光現象に還元するのではなく、言語の芽生えや、移動による伝播といった可能性も指摘しています。

データベースを作る価値は、とても高いと思います。

そこから見いだせる様々な事実は、人類の謎をとく一助となると思います。


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アフリカ・サン族の岩絵2「心のなかの洞窟(5)」・・「ラスコー展」に行ってきた(9)

2017-10-21 | アフリカ・オセアニア



昨秋に行ってきた「ラスコー展」のすばらしさを、ことばに置き換えたくて、参考資料として「洞窟の中の心」という本のご紹介を続けさせていただいたいます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

同書の中の、アフリカ原住民・サン族(ブッシュマンと呼ばれていました)の岩絵について書かれたところの続きです。

サン族の岩絵に描かれているものは、人類に普遍的な変性意識によるもので、それゆえ、それは2万年前の後期旧石器時代の洞窟壁画ともほとんど同じものであると、述べられています。


           *****



          (引用ここから)


サン族はみな、宗教的な基層を共有している。

この基層の核心には、霊界と偉大なるトランスの踊り、シャーマンの活動とをつなぎあわせる関連性が存在する。

このトランス状態によって得られる啓示は、彼らの社会生活のすべてがそこで把握されるという点において、最も重要なものである。


私は、こうした基層となるレベルでは、普遍的な人間の神経システムの働きが、もっとも有用な情報伝達の媒体になると主張したい。



サン族の宗教は、‶多層的な宇宙の存在”を巡る信念に基づいて作り上げられている。

世界中のシャーマニズムを信仰する民族と同じように、サン族も自分たちが生きている世界の表層を超えた「地下の領域」と「天上の領域」とが存在すると信じている。


私達は、意識変容状態について、実験を行った。

「渦巻き」ないしは「トンネル」の中を、通り抜ける感覚について説明したが、その時被験者は「強度にみちた意識のスペクトル」を移行し、深い意識状態にある「ステージ3」へ入ってゆく。

トンネルを潜り抜ける経験は、夢の中や、死の間際の経験としても起きる。

しばしばトンネルの出口では、まばゆい光が差し込んでくる。

まわりを取り巻かれた渦の傍らに、図像的なイメージが最初に現れる。

大地の中を通り抜けて行くようにして、地下の領域へ旅することを、世界中のこれほど多くの民族が信じている理由がここにある。

こうした考え方は、人類に普遍的である「意識変容状態」に起源をもつが、社会的なコミュニケーションを通じて文化の一部になるため、「強度に満ちた意識の軌道」の極点まで行き着く経験をしたことの無い人たちでも、その信念を受け入れている。

これらの経験は、人間の「脳」と「神経システム」が神経学的に構築され、「意識変容状態」の中でそれらが電気化学的に作動することから生じる結果であることを留意すべきだ。


多層的な宇宙と、雨乞いを行うシャーマンたちが、雨の動物を下から上へと移動させる方法で、その宇宙は統合される。

これらの動物たちは、人間の神経システムに配線された「意識変容状態」によって引き起こされる感覚に関係している。


さて南部アフリカのサン族の住処には、深さのある鍾乳洞はほとんど存在しない。

わずかに存在する洞窟も、サン族によって利用されてきたようには見えない。

一方で、岩石彫刻は、中央の大地の開けた平原で見つかることが多い。

岩絵と彫刻の最も興味深い違いは、彫刻家は岩絵の画家に比べて、はるかに「ステージ1」の幾何学的な光輝く神的なイメージにより強い関心を抱いていたように思われる。

岩絵画家たちは、「内在光学現象」を探求する時、彼らはそうした現法を図像的なイメージに組み入れる傾向にあった。

このことは、彼らが「ステージ3」の段階における「内在光学パターン」の残像を描いていたということを示唆している。


それでは、サン族の人々は「内在光学的な現象」をどのように理解し、解釈していたのか?

一つは「変性意識状態」が、視覚のみならず、あらゆる感覚に幻覚を生じさせることである。

共通して見られる聴覚経験は、ブーンという音や低いうなり声のような音を聞くというものだ。

アマゾン盆地のシャーマンたちは、そのうなり声をカエルやコオロギ、セミの鳴き声と解釈した。

これを、風や滴り落ちる水、あるいは雨音と解釈する民族もある。

南部アフリカのサン族は、こうした聴覚経験と同時に生じる「内在光学現象」のチラチラ光る舟型の幻覚を結びつけ、自分たちはミツバチが巣の上を自ら飛び回っているのを見聞きしているのだと信じていた。



待ち伏せする狩人の下にアンテロープの群れを導く力を持つとされたシャーマンにとって、彼らの「意識変性状態」が同時に引き起こす、明減する弧のイメージと、持続的なうなり音は、

おそらく目の前で疾走するアンテロープの光り輝く足をまざまざと目撃し、そのひずめが大地を叩く音をはっきりと聞くという、情動的な力を持つ体験として喚起されたのだろう。

狩りをするシャーマンたちにとって、これこそ彼らが精霊の世界に祈願したことに他ならず、その世界では彼らは意のままにアンテロープの動きを操った。

この図像では、外側の縁の部分に5つの白いジグザグが描かれた赤と白の舟ある。

この絵において、サン族のシャーマン=芸術家は明減する弧をジグザグとして表わす西洋の実験者たちが明らかにした表象にごく近いイメージを創り出している。

2つの「半人半獣」の像が、内側から現れ出てきており、これは岩の深い裂け目から現れ出てきたイメージを想起させる。

一方は白い点で覆われており、その一部が体の輪郭からはみだしている。

「半人半獣像」の背中の中からは、「ハエ払い棒」が突き出ていて、これもまた、実際に日常生活で見られるものよりはるかに本数が多い。

不可視の領域への消失と、動物への変身は、深いトランス状態に導く渦の中に入っていくことにつながりを持つ。


19世紀のサン族の神話では、あるシャーマンは、3度地中に潜り、いずれも違った場所から地上に出た。

3度目の地下世界の旅の後で、彼は大きな雄のエランド(ヘラ鹿)に変身して地上に現れた。

絵の描き手の中には、舟形の「内在光学現象」の弧の内側にある目に見えない領域を、精霊界への入り口であり、変身の門であるととらえた者もいた。

この様にして、不可視の領域は、「渦巻き」と並行関係にあった。

芸術と宇宙、そして霊的な経験が再び一体と化す。

サン族は、「意識変容状態」の抽象的な経験を、自分たちが生きている世界の物質的な次元に融合させた。


最も驚くべきことは、おそらくこうした融合がお互いに遠く隔たった岩のシェルターで見られるという事実だ。

まったく同一の光の線が確認されるのである。

シャーマンたちは、脱身体的な旅のネットワークを構成し、そしてこのネットワークは遠く隔たった共同体を束ねたし、人々の生活の場所にはっきりと現れていたのだ。


岩の表面が、「こちらの世界」と「異界」という、2つの領域の蝕知可能な境界面として意味があるとしたら、そこに塗られた絵具はどういう意味を持ったのだろうか?

そしてどのように絵具は製造され、岩絵の作成とそれを見る行為はどう関係していたのだろうか?

わたしはサン族にとって、絵具は岩の上面を溶解することができ、向こう側にある異界のイメージが入って来られるようにするという点において、特別な力を持つ物であると示唆した。

絵具の製造が、イメージの生産から観賞までの、複雑な儀礼上の連鎖の重要な一部をなすとしても、驚くにはあたらない。


         (引用ここまで)

           *****

非常に込み入った文章で、抜粋するのが困難なのですが、著者は、サン族の岩絵を解釈するにあたって、実験室で心理学的な実験を行ない、その結果とすり合わせて、理解しようとしています。

サン族の描いた岩絵が、現代の実験室においても確認された「意識変容状態」を描いているものであることを指摘しようとしています。

これはとても重大なことだと思いますので、角度を変えて、改めて考えたいと思います。


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「洞窟の中の心」4・アフリカのサン族の岩絵(1)・・「ラスコー洞窟展」に行ってきた(8)

2017-10-18 | アフリカ・オセアニア


昨秋に行ってきた「ラスコー展」のすばらしさを、ことばに置き換えたくて、参考資料として「洞窟の中の心」という本のご紹介を続けさせていただいたいます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

次は、同書の中の、アフリカ原住民・サン族(ブッシュマンと呼ばれていました)の岩絵について書かれたところです。

サン族の岩絵が、数万年前の後期旧石器時代の洞窟壁画とほとんど同じものであることが、詳しく書かれています。

         *****



       (引用ここから)

「第5章・南部アフリカ・サン族の岩絵」

1874年、ドイツの言語学者ブレークは、サン族(当時はブッシュマンとも呼ばれていた)の人々と親交をもつ機会を得た。

彼らは、自分たちの言語と民間伝承をブレークに教える機会ができたことをとても喜んだ。

彼らは自分たちの生活様式、言語、宗教、つまり民族のすべてが、植民地の拡張によって脅かされていることを認めていた。


南部アフリカのサン族の共同体で、古くからの生活様式を今なお維持し、昔からの言葉を話している部族は、もう一つも残っていない。

彼らはすでに別の集団に吸収されたり、周辺の土地に追いやられたりしてしまった。

言語学者ブレーク一家が研究を行ったサン族の人々は皆、白人の入植者に遭遇した経験があった。

白人たちは、はるか遠くへと、部族の地にまで入植の幅を広げ、植民地を拡張させた。

その結果、植物を荒らし、それ以前は自由に動き回っていた獣たちの群れを絶滅に追いやった。


彼らサン族の親たちの世代は、白人たちがやってくる以前からそこで暮らしていたのであり、まさに古き民話の宝庫だった。

ケープタウンに来たサン族の人々も、彼らの祖先も、ともに石器を制作し、弓矢で狩りをし、致死的な毒物をどう使えばよいかを心得ていた。

つまり、サン族は石器時代人で、狩猟採集を行う共同体だったのである。


ブレークと義姉ロイドは、サン族が岩絵(絵文字)と彫刻(線刻画)を制作することを知っていたが、2人とも、描かれた絵がまだ新鮮な輝きを放ち、図像が岩に刻み込まれたばかりの現場を訪れたことはなかった。

1875年、ブレークは、完成度の高い、フルカラーの模写画を見る機会を得た。



それは大いなる可能性を秘めており、限りなく高尚な趣味と、私達が最も豊かな想像力によって期待するものをはるかに凌駕する芸術的な達成を示していた。


サン族の男が、その岩絵の模写を見て発した言葉には、「ギ―テン」についての信仰の情報も含まれていた。

その語の最初の音「ギー」は、「超自然的な潜在力」を意味する。

これはいたずら好きな神(トリックスター神)であるツァンゲンが、人間にあてた一種の「電気」であり、偉大なる動物たち、特にアフリカのアンテロープの中で最も大型のエランド(オオカモシカ)に備わっているとされる。

「ギー」とは男性であれ女性であれ、超自然的な潜在力を持つ人物のことを指す。

ロイドはこの語を、「魔術師」と訳した。


サン族の居住地にいる男性のおよそ半分と、女性の3分の1ほどがシャーマンだった。

サン族は、霊的な領域の存在を信じているが、そこには神とその家族、神の所有する多くの動物達、人々に‶病の矢″を放つ死霊、奇妙な怪物たちが住んでいる。

サン族のシャーマンの務めは、自らの「超自然的な潜在力」を活性化し、その力が煮えたぎって、背骨を駆け上り、頭頂部で爆発して、自分たちを霊的な領域へと一挙に引き上げるようにすること、すなわち「強度に満ちた意識の軌道」の極点において、トランスの状態に突入することである。

サン族にとって、このような横断的な旅は、呪術医と治癒の踊りとダンスの最中や、夢の中で、あるいは2、3人だけが参加する特別な治療儀礼の中で行われる。


これらの偉大なる踊りは、サン族の宗教儀礼の中心をなす。

老若男女も訪問者たちも、すべての人々が踊りに参加する。

彼らは、皆シャーマンに手をかざされることで治癒を受けるが、これは人々が気づかぬうちに体の中に‶病の矢″を撃ち込まれているからだろう。



南部アフリカの岩絵は、深南部の地方には多様な踊りの型が存在していたことを示している。

今日見られる踊りのパターンは、円陣を組むものである。

中央では、力の源として火が焚かれる。

そのまわりには、お互いの肩がぶつかるぐらい、間を詰めて女性たちが座り、輪を作る。

彼女たちは歌をうたい、手をたたいて、潜在力があるとされる呪術の歌の複雑なリズムを刻む。

女性たちの輪の外がわでは、男たちが輪になって踊る。

男たちは足を踏み鳴らして踊りのリズムを取り、ふくらはぎに結びつけたダンス用のガラガラの音でリズムにアクセントをつける。

彼らは‶病の矢″を払い落とすために、動物の尾で作った‶ハエ払い‴を手に携えている。

それを使うのは踊りの中だけである。


サン族は、幻覚剤は使わない。

その代わり、徹底した集中と、聴覚を刺激する持続的でリズミカルな動き、そして呼吸の亢進(速くて浅い呼吸)によって意識変容状態をひきおこす。

踊りの間、女性のシャーマンは火の周りを囲んでいる輪から時折立ち上がり、男たちより優美なステップと身のこなしで、彼らの輪に加わる。

サン族にとって、踊りがもっとも重要な宗教儀礼であることに、疑問の余地はない。

踊りはシャーマンにとっても重大で、しばしば危険をともなう務めである。

彼らが自らえた力をコントロールできなくなれば、強硬症になって地面に倒れ、全身が引きつってしまう。


サン族の人々は、ドイツ人研究者ブレーク達に「シャーマンが体を激しく痙攣させながら踊ると、その背中にはライオンの鬣が生える」と語った。

ライオンや他の動物に「変身」することは、サン族の「霊的な経験の鍵」となる部分である。

自らの潜在力を使いこなせる大シャーマンは、人々から病を抜き取れて、それを自分の身体に移すために、手の平をかざして回る。

そして、猛々しい叫び声と共に、シャーマンは抜き出して、取り込んだその病を、自分の首の後ろの穴から外に捨て放つ。

こうして病は、それを初めに送り込んだ指令の元へ戻ってゆく。


サン族のシャーマンが深いトランス状態に入ると、時に鼻から出血することもある。

人々は、この血の臭いが病気を寄せ付けないと信じて、それを患者に塗布した。

深いトランス状態の中でシャーマンの魂は、頭頂部を通り抜けて、体から離脱すると信じられている。

その魂は、彼らの国の別の土地に行って、友人や親せきの暮らしぶりを確認し、あるいは神の家に行って、病人の命乞いをする。


今日のカラハリ砂漠では、サン族のシャーマンの名声は高く、治療をしてもらうために、人々が遠くから彼らを呼び寄せることもある。

        
            (引用ここまで)

写真は、サン族が描いた岩絵の「舟型」と「動物」。ラスコーなど旧石器時代の動物図像とそっくりです。


              *****
    
              ・・・

>南部アフリカのサン族の共同体で、古くからの生活様式を今なお維持し、昔からの言葉を話している部族は、もう一つも残っていない。

彼らはすでに別の集団に吸収されたり、周辺の土地に追いやられたりしてしまった。

言語学者ブレーク一家が研究を行ったサン族の人々は皆、白人の入植者に遭遇した経験があった。

白人たちは、はるか遠くへと、部族の地にまで入植の幅を広げ、植民地を拡張させた。

その結果、植物を荒らし、それ以前は自由に動き回っていた獣たちの群れを絶滅に追いやった。


彼らサン族の親たちの世代は、白人たちがやってくる以前からそこで暮らしていたのであり、まさに古き民話の宝庫だった。

              ・・・

この部分を読んで、このブログの主テーマであるホピ族のことを思い出しました。

さらに、踊りの仕方も、ホピ族の踊りとしてご紹介している「足にガラガラをつけて、地面を踏み鳴らし、輪になって踊る」という踊り方と、全く同じであることに驚きました。

              ・・・

>男たちは足を踏み鳴らして踊りのリズムを取り、ふくらはぎに結びつけたダンス用のガラガラの音でリズムにアクセントをつける。
 
              ・・・

とても興味深いことだと思います。

また、男性の半分、女性の3分の2がシャーマン、というのもすごいことです。

つまり、彼らにとっては、シャーマニックな現象が日常であり、現実であるのだと思います。

人間にとっての本来の在り方を、考えさせられます。


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デニケンの「星への帰還」の宇宙人飛来説(2)・・「ラスコー展」に行ってきた(7)

2017-10-14 | その他先史文明



「ラスコー洞窟展」を見て、そこに描かれているものは何なのかと考えたくて、様々な本を読んでみました。

その中の一冊として、エーリッヒ・フォン・デニケン著「星への帰還・地球人はいかにして生じたか」のご紹介を続けます。

この本は、デニケン氏が考える、人間の原初の有り様を述べたものです。

彼は「人類は、先史時代に、宇宙からやってきた宇宙人により、教えを受け、現在の「知性」と呼ばれているものを与えられた」と考えています。

先史時代の洞窟の壁画にも、その痕跡は見られ、世界中の先史時代の壁画には、地理的な隔たりがあるにも関わらず、共通の出来事の記録が残されていると述べています。

デニケンの調査と考察は様々な地理的、歴史的遺物に及んでいるので、ラスコー洞窟に関係するような、先史時代の洞窟壁画に言及した部分だけ、抜粋してご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

               *****

             (引用ここから)


古代人の絵や石工の作品には、円、球、ボールなどが次第に現れる。



アルジェリア・サハラにあるタシリ山脈では、何百か所もの岩壁の絵に、奇妙な様子をした者の絵が描かれている。


それらは、頭上に球型帽子とアンテナをいただき、無重力で空間を漂っているように思われる。


とりわけ注目すべきは、フランス人アンリ・ロートが半球型の岩の下に発見した「タシリの球」である。


浮かび漂う一群のカップルーー女が後ろに男を引き連れているーーとともに、明らかに、4つの同心円が描かれている球が見受けられる。

球の上縁には、明かり窓があり、そこからまったく近代的な装いのテレビアンテナが飛び出している。

だが球の右半分からは、指を広げた2本の巨大な手が伸びている。

この球に付き添って遊泳している5人の人々は、頭上にヘルメットを載せている。

こうしたヘルメットは、いずれも頭にぴったり合っているが、白地に赤い点が打ってあるか、あるいは赤地に白い点が打ってあるかのどちらかである。

極めてけばけばしいヘルメットである。

宇宙飛行士のヘルメットか?

今日でも子供たちにクレヨンを何本か与え、「月旅行を自分たちの考えている通りに描いてみよ」と命ずるなら、おそらく出来上がってくる彼らの作品は、タシリの壁画そっくりのものとなるであろう。

それというのも、神々の訪問の思い出を岩壁に描いた未開人は、きっと子供の精神状態に置かれていたはずだからである。

サハラのみではない。

人々はやたらと球や円をみつけるである。


キビク・・スウェーデン・シムリスハム南方80キロ。

旅行案内書に星印がついている有名な岩の穴の中に、「神々」の象徴として多くの単純な円、それに垂直に分割された多くの円がある。


タスム・・スウェーデン・ゲーテボルグの北。

多くの奇妙な球と光線に取り囲まれた円がある。


バル・カモニカ・・イタリア・ブレスチア近郊。

約2万の先史時代の画。
その中には無数の光、輝く円。
ヘルメットをかぶった「神々」がある。


フェンカリエンテ・・スペイン・コルドバ北東70キロ。

光冠のあるもの、ないもの合わせ、多くの円と球。


サンタ・バーバラ・・アメリカ・ロスアンゼルス北西80キロ。

一部重なり合った、光を発する円の数々。


アイニュア・カウンティ・・アメリカ・東カリフォルニア・チャイナ湖畔。

輪、星、球、多彩な光線と、「神々」の姿。


円と球のシンボルは、まるで戦略的に配置したように世界の無数の場所で見出されている。

ここにまとめてみよう。

すべての球や円は、それが創造神話であろうと、先史時代の素描であろうと、あるいは後世の浮彫、絵画であろうと問わず、「神」、もしくは「神性」を表している。

ほとんどの場合、光は、地上に向けて発している。

こうしたことが至る所で観察できるため、何かあるな、ということを考えされると思う。

私は、伝えられてきた「球」や「神々の卵」が、単に宗教的、象徴的な意味をもっているだけではないと確信している。

われわれはこれらの印を、いよいよ別の観点から見るべきである。


われわれのこれまでの思考形式は、まったく誤っているはずだ。

長い間、われわれにとって、「神々」の遺産を、祖先の証言や記録の中で、完全にはっきりと捉える前提が欠けていた。

だが人類が月面上陸をした今日では、何世紀にもわたるありきたりの説明では、もはや満足すべきではない。

わたしの住居から30キロもない所、スイスのある地方、シルスの土地で、400メートルにわたり先史時代の遺跡が発掘された。

なにごとか書き込まれた岩の壁、球、円、らせん、光を放つ円などがしるされている多くの板。

光に囲まれた球、卵、翼ある球などは、単に洞穴や岩壁や、古代の石の浮彫や円筒封印にだけ見受けられるものではない。

こうしたものは、堅い石からできた彫塑として、世界のありとあらあらゆる場所に散在している。

そのほとんどは、これといった決まりもなく分散し、しかもおよそ薄気味悪い土地に転がっている。

たとえばアメリカでは、球は、テネシー、アリゾナ、カリフォルニア、それにオハイオの各州に見受けられる。


           (引用ここまで)

             *****

デニケン氏は、これらの岩絵を、「神々の遺産」だと捉えています。

神々は、私達に、なにを伝えようとしているのでしょう。

謎は深まるばかりです。

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「デニケンの「星への帰還」の宇宙人飛来説(1)・・「ラスコー展」に行ってきた(6)

2017-10-11 | その他先史文明


「ラスコー洞窟展」を見て、そこに描かれているものは何なのかと考えたくて、様々な本を読んでみました。

その中の一冊として、エーリッヒ・フォン・デニケン著「星への帰還・地球人はいかにして生じたか」をご紹介します。

この本は、デニケン氏が考える、人間の原初の有り様を述べたものです。

彼は「人類は、先史時代に、宇宙からやってきた宇宙人により、教えを受け、現在の「知性」と呼ばれているものを与えられた」と考えています。

先史時代の洞窟の壁画にも、その痕跡は見られ、世界中の先史時代の壁画には、地理的な隔たりがあるにも関わらず、共通の出来事の記録が残されていると述べています。

デニケンの調査と考察は様々な地理的、歴史的遺物に及んでいるので、ラスコー洞窟に関係するような、先史時代の洞窟壁画に言及した部分だけ、抜粋してご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

最初に、「はじめに」と題された部分からの抜粋です。

           *****


       (引用ここから)

「はじめに」

星に戻る!

戻るって? それならわれわれは星からやってきたのか?

平和への願い、不死への願い、そして星への憧れーーこれらすべては人間の意識の深奥で湧きあがり、その実現のために太古から休むことなく努力が払われてきた。

この人間存在に深く根差す衝動は、しごく当然のことなのであろうか?

これらは実際には、単に人間の「欲望」なのか?

それとも星へのこの憧れの背後に、何か別のものが隠されているのだろうか?


私は、星をめざすわれわれの憧憬には、「神々」によって残された遺産が秘められていると確信する。

われわれの中には、われわれの地上の祖先たちへのいわば追憶と、宇宙からのわれわれの教師たちへの記憶が生きている。


人間の知性獲得は、限りない発展の結果であるとは思われない。

この過程はあまりにも突然進行したからだ。


私は、われわれの祖先たちは、彼らの知性獲得のプロセスを短期間にまとめ上げさせるに足りるだけの十分な知識を持っていたに違いない「神々」から授かったのだと信じる。

わたしの主張の裏付けは、従来の歴史探求の方法では、もちろんこの地球上ではほとんど見出されることはないであろう。

これまで通りの方法では、せいぜい人間や動物の遺品の収集量を今より増やすことだけに終わるであろう。

こうした方法を用いていたのでは、われわれは問題の核心に迫るわけにはいかない。

なぜなら問題の核心は、私の確信するところによれば、「いつ、そして何によって、われわれの祖先は知的になったか?」という大問題の中にあるからである。

              (引用ここまで)

                *****

第2章 「生命のあとを求めて」

                *****

              (引用ここから)

地球以外の生物が、人類進化のプロセスに介入したこともありうるとする私の仮説は、たしかに大胆である。

もしこの考えが正しければ、サルが木から降り、人間の祖先になるという説は打破される。

ホモサピエンスに至る道程は、ネアンデルタール人はじめ、種族発展の跡を辿ることはできる。

ただ、「知性」の発生については、決してまとまりのあることを示すわけにはいかない。

灰色の太古からある程度の手がかりは得られるものの、どうしても全体像をまとめあげることはできない。


人間の「知性」の発生、、この「奇跡」がいかにして起こったかについての仮説・学説は山のようにあるが、私は万物が生成した何百万年の間に、人間の「知性」はある時〝やにわに″出現したように思われる。

この出来事は、突然起こったに違いない。

すでに類人亜目であった時、われわれの祖先は今日〝人類の文化″と言われるものを驚くべき早さで発育させた。

自然の突然変異によって類人亜目が発生するまでには何百万年もたっていた。

しかしその後、類人を経過する〝気違いじみた発展″が行われた。



約4000年前に、巨大な進歩が現れた。

武器としてのこん棒が発見され、狩猟具としての弓が発明された。

火が、豊かな助力を与えてくれる物として利用され、石のくさびが道具として導入された。

洞窟の中の壁に、初めて絵画が浮かび上がった。



だが、技術的活動の最初のしるしである陶器作りから、類人の居住地の最初の遺跡の間には、50万年経っているのだ。

人類学者ローレンス・エイズリーは、次のように書いている。

             ・・・

動物から人類への進化、、この法則には例外がある。

人間の「脳」だけは、あらゆる兆候からして最後に急速に形成され、これによって人類は初めて最終的にこれまでの仲間たちを離れた。

             ・・・

では、誰が、われわれに思考を与えたのだ?

わたしが興味があるのは、原人がはじめて信頼、愛、友情のような道徳的感情を、共同体の中に導入したのはいつか?、ということである。

これらの変化を体験した時、われわれの祖先は、いったい何の影響の下に置かれていたのだろう?

誰が彼らに、畏敬のような感情をもたらしたのだろう?

誰が彼らに、性交時に恥ずかしいという感情を与えたのだろう?

なぜ未開人が、やにわに衣服をまとうようになったか?

これらについて納得のいく説明があるだろうか?


エジプトの神官は、ミイラにされた神官に、死後、彼岸において取るべき態度を指示したものを添えて墓に埋めた。

これら「エジプトの死者の書」はきわめて詳細である。

これらの書は、およそ考えられるすべての状況についての忠告を含んでいる。

これらの指示の目標は、「「原神ブター」との再合一」である。

「エジプトの死者の書」の中で、最も古い祈願は、次のように述べている。

              ・・・

おお、世界ーー卵よ。 わたしの声を聞け!

わたしは何百万年もたったホルスである。

わたしは王座の主人であり、師である。

悪を逃れたわたしは、かぎりない時間と空間を通り抜けた。

              ・・・

           (引用ここまで)

             *****

「洞窟のなかの心」のご紹介も、まだ続けさせていただきます。

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「ホピ族と、隠された青い星(1)・・刑部恵都子さん」(4)まであり


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「洞窟の中の心」3・心・意識・社会・知性の関連・・「ラスコー展」に行ってきた(5)

2017-10-07 | その他先史文明



昨秋行った「ラスコー展」で、旧石器時代のすばらしい洞窟壁画を見て、感動しました。

参考になる本を探してみましたので、ご紹介を続けさせていただいたいます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

              *****

          (引用ここから)



3章「創造的幻想」

人類のホモ・サピエンスへの「移行期」という現象は、寒冷という気象的要件だけで説明されることはない。

この決定的な時代は、およそ35000年前にピークを迎える。

寒冷期にあたるが、ネアンデルタール人はそれに先だつ気象的な不安定期をずっと生き延びてきた。

「移行期」の間、巨大な氷河がアイルランドとイングランドの北部一帯、スカンジナビア半島、そしてドイツの一部に広がっていた。

それとは別の氷原がピレネー山脈とアルプスを覆いつくしていた。

北極の氷河の南端は、ツンドラとステップの広域に及び、そこは吹き曝しの不毛の地で、緑の無い凍土地帯だった。

氷河期はそのピークを、「移行期」のずっと後、18000年前から20000年前の間に迎える。

氷河期の間、たとえば50000年前から30000年前には小規模な気象変動もあった。

総じて当時の気温は、今日の平均を10度前後下回っていた。

冬の間は降り積もる大雪が人間の移動を困難にしたが、夏には自由に旅をすることができたのである。

さらにいえば、氷河の中に大量の水が閉ざされるとともに、海面の水位が下降して、北海の大部分が陸続きになり、イングランドやアイルランドへ渡ることも可能になった。

こうした〝陸の橋”は氷河期の最期、つまりおよそ8000年前まで残存した。


動物群の移動を合理的に予測を立てて追うことができた共同体にとっては、後期旧石器時代は比較的豊かな時代で、当時の人口密度は初期農耕共同体のそれと同じだった。

こうした状況が、西ヨーロッパの「移行期」の背景だったのである。



初期のネアンデルタール人は、こうした場所を自分達のものとしていた。

しかし35000年前までに彼らはフランスから消滅し、その居住地はホモ・サピエンスに取って代わられた。

1994年のショーヴェ洞窟での発見は、もろもろの誤った仮定をすべて一掃した。

洞窟内で発見された非常に洗練され、進化した壁画は、今から33000年以上も前のもであった。

こうして発見された彫像は馬やマンモスやネコ科の動物を表現したもので、人間の体とネコ科動物の頭を持つ、注目すべき「半人半獣」の像もある。

中でもとりわけすばらしい馬の像は、まるで袋の中に仕舞われて持ち歩かれ、あるいは儀礼などの際に手で握られていたかのように光沢があった。

そこには磨いた後に肩の部分に刻まれた、はっきりとした山形紋も見られる。


西ヨーロッパでは「移行期」に一連の画期的な革命が起こり、そのすべてが現生人類にとって重要な心的・社会的変化であった。

後期旧石器人は、中期旧石器時代の先陣と比べて、かなり異なる行動様式を持っていて、その変化はオーリニヤック文化の初期にまで遡ることができる。

この時期を指して「創造の爆発」と言われる理由が理解できる。


考古学の研究者は、この「移行期」に関して、2つの解釈を展開してきた。

芸術の起源を巡り対立するそれらの解釈は、西ヨーロッパの後期旧石器時代における、地下洞窟芸術をめぐる探求にとって決定的に重要な意義を持つ。

一つは、先住のネアンデルタール人が、徐々に解剖学的に〝モダンな人類″に進化したと唱える考え方である。

他方では、‶ネアンデルタール人は解剖学的にホモ・サピエンスに、あっという間に取って代わられた″と主張する考え方である。

今日ではほぼすべての学者が、「住民の入れ替わり」という、後者の説を受け入れている。


動物や人間の像といった表象物、絵画や彫像は、身体装飾とは対照的に、〝ネアンデルタール人が継承しなかった″種類の芸術である。

この断絶は、この二つの芸術が根本的に異なった性質を持っていたと考えられるということではないだろうか?

たとえば、身体装飾は、図像の制作に発展しない。

図像の制作は、身体装飾より進化した秩序を有する心的能力や慣習に依拠する活動なのである。


オーリニヤック人の視点から見ると、社会的なコンテクストの中で心的イメージ(獲物、シャーマンなど)を形作り、それを楽しみ操作する能力、また霊的な領域を思い描く能力、死者をその領域へ送る想像力を抱く能力は、彼らが西ヨーロッパに移動した時に持ち込まれた慣習である。

そして彼らは、ネアンデルタール人がこのような能力を持っていないことに気づいたに違いない。

彼らは、こればかりは彼らにはどうすることもできないとみなした。

社会関係に特別な意識と心的イメージを利用することは、オーリニヤック人にとって、ネアンデルタール人の社会と自ら社会を区分する大きな特性になった。

それを持っていることが、ネアンデルタール人に対する優越感を生じさせ、相手との関係性を色づけることになっていっただろう。


私は、後期旧石器時代の開花を背後で促したダイナミズムは、「社会区分を巡る対立的な情景」だったと信じている。

拡張しつつある集団同士の競合、集団内の結束、情報の交換、二項対立の解消などを促すと主張することで、イメージ制作の「有用性」を強調したのであった。


それは突如として出現した‶美‴や‶美的な感覚‴などでは決してなく、芸術と儀礼は、他の集団からある集団を区別する何かであり、そうすることで社会的な緊張関係を生み出す可能性を作り出したのである。


アフリカと中東でも、いわゆる「創造の爆発」の予兆は見られるのであるが、全体的に見ればそれほど爆発的なプロセスではない。

とは言え、私達が人類の革命の最初期の証拠を求めなければならないのは、何よりもアフリカなのである。


アフリカの事例は、決定的なポイントを指し示す。

「人」という種における行動様式上の〝モダニティ″への移行は、アフリカでは25万年から30万年前、あるいはもっと前から始まっていた。

「モダンな人間性行動様式」への移行は、1度きりの発生ではなく、数回にわたっていると考えるべきであろう。

研ぎ石を使う刃の制作や、顔料の生産は、25万年前まで遡ることができる。

長距離の交易と貝類の採集は、14万年前から始まった。

骨器の使用と採掘は10万年前、ダチョウの卵の膜を使ったビーズ制作は4万年前から始まった。


こうしたすべてのものの中でも最も驚くべき事実は、考古学者クリスとその同僚がブロンボスという名で知られる南アメリカの南部海岸の洞窟で行った近年の発見だろう。

中央と周囲に線のある交差紋様がていねいに刻まれたオーカー片の年代は、早くて77000年前のものであろうと考えられる。

表象的な図像ではないが、これは今のところ、世界で最も古い日付を持つ芸術である。

それは途方もなく古い時代に、明らかに「モダンな人間」の行動様式が存在していたことを物語っている。


「モダンな心」と「モダンな行動様式」がアフリカで散発的に進化していったとしたら、私達が後期旧石器時代の西ヨーロッパで確認したような象徴活動の潜在的な可能性は、ホモ・サピエンスの共同体が西ヨーロッパに到達する前から存在していたということになる。

私達は、図像の果たした役割と、社会的闘争状態における図像制作の複雑な社会的なプロセスを探求する必要がある。

宗教と結びつく図像制作は、「純粋で高尚な美的感覚」に根差す芸術活動では全く無く、日の射さない暗
がりで行われたもので、私達が今日知るような階層化された社会編成から生まれ、またそれを強化した。


最初に取り組むべき課題は、人の「知性」と「意識」の間にある断絶と、そしてその断絶が、西ヨーロッパの洞窟内で後期旧石器人の「心」に生まれたものの表出を促したプロセスである。

どうして人々はあのような暗い通路や空間の奥まで入り込み、そして今日でも光と闇の競演の中で見る者を圧倒し、私達が息を止めるほど鮮烈なイメージを描いたのだろうか?


             (引用ここまで)

              *****

ホモ・サピエンスは今の人類と変わらない、と言われます。

彼らが旧石器時代に生み出した、息をのむようなみごとな芸術は、著者によると、社会的な要因があって、発展したのだということです。

それはそうかもしれません。

しかし、それとは別に、芸術としての完成度の高さは、相変わらず謎として、残るのではないかと思います。

本書は丁寧に解説を続けていますので、もう少し続きを読みたいと思います。

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10月1日から、ブログが10年目に入りました。

2017-10-03 | 心理学と日々の想い


早いもので、今月1日で、このブログも10年目に入りました。

読みにきてくださる皆様に支えられて、今日までくることができました。

心から、感謝申し上げます。


これからも、微力ながら、精一杯勉強して、わたくしに書けるだけのことを書いてゆきたいと望んでおります。

どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。


写真は、春3月に、近所のお餅やさんで作っていた、自家製の、お雛様のひし餅です。

色も美しく、大きさもみごとで、飛ぶように売れていました。


世界は、多難な情勢を見せていますが、皆様の、平安な毎日を、お祈り申し上げます。


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