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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

ホピの予言のある風景・・「ホピの太陽」から

2025-05-18 | ホピの予言と文明の危機
06 | ホピの予言と文明の危機

文化研究者である北沢方邦さんとお連れ合いの青木やよひさんは、1971年に初めて、ホピの地を訪れておられます。

彼らはその後1975年、1984年と訪問を続けられ、とても貴重な経験を何冊もの著書にまとめておられます。

ホピ族の方たちとの交際から実り多い考察をめぐらして書かれたそれらの著書は、“野生の思考”を取り戻そうとする当時の文明論の流れを、翻訳ものから、日本人による思考として根付かせた役割は大きかったと思います。


1975年、2回目のホピの地訪問を終えて北沢方邦氏が著した本「ホピの太陽」にある、ホピの村の日常のひとこまを、抜粋・引用して紹介します。


         *****


            (ここから引用)

わたし達が出発する前の日の朝、村では泉の清掃儀式が行われていた。

その日は朝から村はなんとなく神話的で童話的な気分に包まれていた。

というのは、静かな朝の村のそこかしこに、鈴の音やカメの甲羅の音、あるいはフー、フーという呼吸音など、それぞれのカチナに固有の響きが鳴り渡り、あの辻、ここの通りにキヴァから姿を現し、見るからに恐ろしげな黒鬼やフクロウなどの姿が、ちらちらと見え隠れしていたからである。

祭りの日ならいざ知らず、きわめて日常的な村のたたずまいに、極彩色のカチナたちが出没するとはなんと幻影的で、超現実的な風景であることだろう。

わたし達は家の窓からこの一服の超現実派の絵のような光景を眺めていた。

そのうちに黒鬼のカチナが一件一件の戸口を回り始めた。

あたりを睨みまわす独特のしぐさをしながら、何やらホピ語の口上を述べ、それに答えた口上を受けるやいなや、隣の家へと去っていった。

やがて各戸から現れた大人たちは、手に手に掃除用の道具をもってメサの下の泉の方に降りていき、また幼い少年少女たちも家々からぞろぞろと現れて、天水溜の方に向かっていった。

シドニー家の末子も素足になって裏口から一人で出て行った。

その間にもカチナたちは村の辻辻に出没し、独特の叫びや声をあげている。

子どもたちは裸足で天水溜に降り立ち、石やごみを拾い出しては捨てていく。

カチナたちはいわば子ども達を監督し、励ましているのだ。

子どもたちはカチナ達にたわむれに追いかけられて、きゃっきゃと逃げ回ったり、また作業に戻ったり、きわめて楽しげに働いている。

わたしは子どもたちの自主性や自立性を尊重しながら、強制を同意に変え、労働を神話的な遊びに変える、このホピの部族教育のすばらしい知恵に打たれた。

ホピではカチナ儀礼以前の子供は厳しいしつけの対象となる。
ときには体罰もくわえてホピの価値体系を教え込む。

小さな虫や植物にいたるまで、すべての生き物を理由なく傷つけ、殺すことはもっとも厳しく戒められる。

無機物も含め、全自然は人間の友愛に満ちた兄弟なのだ。

ついで、怒りとかしっとといった、人間のもっとも醜い感情を表すことは悪いことであり、恥ずかしいことであると蔑まれる。

すべてこうした“ホピ(平和)”の信念に反する行動は“カホピ(ホピでない)”の一語でしりぞけられる。


この時期の子供たちにとって、カチナは実在する精霊であり、子どもたちの集団の背後に無言で存在する宇宙的な監督者である。

氏族の祖父たちや祖母たちから語り継がれる無数の神話や伝説は、彼らの文学であり、芸術であり、こどもたちの想像力は現実のカチナの姿に結び付いてその翼を宇宙の果てまで広げる。


こうしてある時、カチナ儀礼の日がやってくる。

少年少女たちはキヴァの暗闇の中に儀礼父母と共に一人づつ招き入れられ、恐ろしいカチナの手から厳しいむち打ちを与えられる。

そしてむち打ちのあとで、カチナは静かに仮面を取り外し、鞭打った者が、神々の霊ではなく、村の隣人だったことを教える。

この瞬間、少年少女はカチナが、人間によって実行される精霊たちの使者にすぎない現実を認識するとともに、目に見えない精霊たち、言いかえれば超自然的なものと、目に見える全自然と、そしてカチナ仮面をかぶる隣人と同じ人間であるおのれとの、三者の関係を理解し、それらのものの調和の世界の中で、人間の負うべき責任と義務とに目ざめるのである。

彼らはもはや一人前とみなされるとともに、自分たち自身の自立した独自の集団の世界を形成する。

そしてキヴァ結社に加盟し、それによって大人たちとの新しい関係の中に踏み入るのである。

少年たちはそれぞれのキヴァ結社固有の教育を受け、儀礼や祭りのやり方を学び、仮面を作り、モカシンを縫い、カチナ人形をつくる技術を習得する。


男性には、最後にウウチム=成人儀礼がやってくる。

この儀礼はホピの諸祭礼や諸儀礼の中でも、最も恐ろしい秘密の帳に包まれている。

ウウチムの夜、村は封鎖され、外部と完全に遮断される。

村の入口はもちろんのこと、辻辻には一角の兜をかぶり、槍を手にした一角獣結社の屈強な男たちが終夜、警護の陣を張り、キヴァの秘密を盗もうとするものを容赦なく殺そうと待ち構えている。

しかしウウチムは、人類の誕生と受難の秘密をすべて集約した、人間の死と再生の秘儀なのであり、もしこの秘密が破られるなら、ホピのみならず、人類全体におそろしい災厄を招くに違いないのである。


教育的見地からすれば、少年が男となるためには、単に一部族だけではなく、人類と世界全体に対する、この恐ろしいまでの責任の自覚が要求されるということに他ならない。

ここに、われわれの文明に対するホピの教訓がある。

              (引用ここまで)

 
     *****


ここに書かれているウウチム祭などホピの祭りは、たいへん意味深いものと思われます。

次回からホピの祭りについて、紹介していきたいと思います。
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再掲・ホピの予言・「この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」研究(その1)(8まであり)

2015-09-11 | ホピの予言と文明の危機
アメリカでの本書の出版が1997年、今から18年前。

日本での同書の出版が2001年、14年前である。

ホピ族の長老ダン・エヴェヘマと、元牧師でありホピ族の研究に熱心なトーマス・E・マイルズ氏の共著である「ホピ・神との契約・この惑星を救うテククワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。

二人は、1995年には「ホテヴィラ」という本も出版しています(未翻訳)。

「ホテヴィラ」とは、ホピの地の集落の名前ですが、その地を中心に起きたホピ族と外部世界のあつれき、またホピ族内部の歴史と諸問題が、事細かに、分かりやすく書かれたものです。

本書は、その共著第二作というべき作品で、エヴェヘマの承認の下にトーマス・E・マイルズが資料を分析して書いたものです。

テックワ・イカチとは「大地と生命」という意味で、「大地と交わり命を祝う」と解されます。

1975年から11年間にわたって書き継がれた伝統派のニュースレターの題名も「テックワ・イカチ」といい、二人は本書を書くにあたって、このニュースレターを資料としてたくさん引用しています。



まず、この本がどのような理由で書かれたのかということについて、本書には以下のように書かれています。


           *****


         (引用ここから)


本書の必要性


本書では(ホピのおしえの)「実行」にあたって、最も大切なことを告げ、即実行できる形に知識をまとめている。

このようにする理由は、「契約」が全体の核になっていることを知れば判然とする。

「契約」の核の中央に浮かぶ「霊的箱舟」が、私たちが「預言」と「教示」、「警告」を活用する場所である。

共著「ホテヴィラ」が完成した時でさえ、ダンから託された仕事を完全にやり終えていないという不足感がわたしにあった。

世界に累積する問題の解決方法は十分に特定されておらず、すぐ使える形にまとめられてもいなかった。

この時、希望と逃れる道を与えず、恐ろしい予言の迷路に人を導くことは神の御心ではないと、自分が常々感じてきた理由がのみ込めた。


「ホピの予言」について聞きかじった人々は、その全貌が明らかになる日を心待ちにしていた。

「霊的箱舟」について知っていれば、期待はさらに大きかったはずである。


「ホテヴィラ」と本書は、その究極の勝利を証言する。

いかにして生の修羅場を戦い抜くべきか、を教えるものなのだ。

ホピ族としばらく生活を共にした著者たちが記録した、若干の「予言」を読んできて、それが非常に特殊な「予言」であることは、むろん私にもわかっていた。

だが、「ニュースレター(テックワ・イカチ)」を調べる過程で、そこにはホピの「予言」全体ばかりか、これまで正しく受け入れられず評価もされずにいた「教示」と「警告」が含まれていることを知った。

創造主が逃れの道をあらかじめ備えていることに気付かせるのが、(ホピの守護神)マサウが「予言」を伝えた主たる理由だ。

いままで認識されなかったのはこの点である。

          (引用ここまで)


            *****


「ホピの予言」は、人類の未来を示す予言の一つとして、ノストラダムスやジュセリーノなどと共に、人類の数々の予言を取り上げる場面ではよく登場します。

しかし筆者、長老エヴェヘマとマイルズは、「ホピの予言」をそのような“きわもの”扱いすることにためらいを感じて、改めて自分たちの言葉で語りたいと考えているのか確かです。

「ホピの予言」のメッセージは、破局が来るという恐ろしいメッセージのみではない、と筆者たちは考えているのです。

この本は、長老は共著者で、長老エヴェヘマの出版承諾のサインもあります。

むしろ、長老エヴェヘマ自身が出版を望んでマイルズ氏を招へいしたと書かれており、驚かされます。

わたしがこのブログに、この紹介記事を連載したのは、2010年なので、今読み返すと、書き直したいような部分もあります。

別の本で、もう一度考えてみたい、という思いがあり、複雑な気持ちです。



             (続く)


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再掲・・青木やよひ著「ホピ族と徴兵拒否の思想」を読む

2015-08-10 | ホピの予言と文明の危機


長崎の被爆者・永井隆氏の遺言を、たくさんの方に読んでいただいております。

この記事は、その一つ前に投稿したもので、当ブログの骨子をなすものです。

2008年、ブログを書き始めたばかりで、写真もリンクもないものですが、写真とリンクをつけて再掲してみたいと思います。


              ・・・・・


広島に原子力爆弾が投下された日が、めぐってきた。。

若き日のあこがれの、青木やよひさんの「ホピの国」(1975年刊)という本を読み返した。


            *****

              
              (引用ここから)


第二次大戦の時期のアメリカで、人口数千人のインディアン・ホピ部族から6人の徴兵拒否者が出て、
裁判にかけられた。

ホピ(平和)の掟を守りつづけてきた部族の一員として、たとえどんな状況下にあろうと
武器をとって人を殺すことはできないと、6人は主張したのだ。


ここに一通の文書がある。

第二次世界大戦後の1949年、ホピ族が発した公式文書である。

それは「ホピインディアン帝国」から、合衆国大統領あてになっている。

つまり、彼らは戦後になっても、自分たちを合衆国国民とは思っていないらしい。

そしてそこには、戦時下に彼らがなにをもって、徴兵拒否の思想としていたかを、うかがい知ることができる。


「我々は、我々自身のやり方で、みずからの運命を決定しようと欲している。

我々は、我らの弓と矢を、だれにも向けようとは思わない。

我らの伝統と宗教的訓練は、いかなるものをも、傷つけ、殺し、苦しめることを禁じている。

我々は、我らの子弟が、戦争のための殺人者となり、破壊者となる訓練を強制されることに抗議する。

この国土における生命の聖なるプランは、偉大なるマサウウによって、我らのために整えられたものである。

この計画を変更することはできない。


いまは人類史のなかで、もっとも危機的な時代である。

いたるところで民衆は混乱している。

いま我々が決定し、今後なすべきことが、各自の民族の運命なのである。

いま我々は、審判の日について語っているのである。

我らホピの予言の光のなかで、審判の日は近づきつつある・・。」



予言といえば、「ホピの書」という本のなかに、ホピの30人のスポークスマンがこもごも語った
言葉の聞き書きがのっていて、その「ホピの予言」と題する章は私たちを考えこまさずにはおかない。

これは、1961年に第三次世界大戦が起こる可能性を予測しながら、語られたものである。


(もし第三次世界大戦がおこったら)

「合衆国は、土地も人民も、原爆と放射能によって滅びるであろう。

ホピ族とその故国だけが、難をのがれる人々のオアシスとして残るであろう。

原爆シェルター(避難所)など作ろうと考えるのは、唯物的な人々だけである。

その心にすでに平和を抱く者は、生命の偉大なシェルターの中にいるのだ。

邪心ある者には、シェルターなどありはしない。

たとえ黒色、白色、赤色、あるいは黄色人種であろうと、イデオロギーによる世界分割に

役割を持たない人は、他の世界において生命を取り戻す用意がある。

彼らはみな等しく兄弟である。」


さて、砂漠の賢者たちの高貴なよびかけに対して、私たちはどう答えられるだろうか?

はたして私たち日本人は、彼らの兄弟の列に加わることができるのだろうか?           


       (引用ここまで・4章「未開から見た文明」より)
 

                  *****


若い日に、ホピ(の魅力)に捉えられて、うめいた時のことを思い出した。

「平和」という思いは、わたしにとっては、いさかいの元凶そのものであるわが身を裁く
「掟」との対峙であり、

わが身の在り方について、おそろしいばかりの強烈さを持って省察を迫ってくるものなのだ。


                  ・・・・・


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身の丈にあった世界と、身の程を知った生活を作れるか?・・「熱い社会」と「冷たい社会」(3)

2011-07-11 | ホピの予言と文明の危機
“原発後”“脱原発”の世界は、どのようにしたら作れるのだろうか、と思い、「レヴィ・ストロースとの対話」を読んでみました。

1970年に日本語訳が出版された古い本です。続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


引用文の中で、二人の対話は、近代社会に生きる人間の無力感について言及しています。

今のわたしたちの社会は、生きるにはあまりにも大きすぎる、という感覚が、人々に無力を感じさせている。

共同体としての作用は一方通行で、わたしたちは自分たちが何を感じているのかすら分からなくされている。

ちょうど原子エネルギーについて言及していますが、原子エネルギーなどという巨大すぎるものを、巨大すぎる社会が扱っていることに、わたしたちは感性的についていくことができない。

認識したり、判断することができなくなっている、と語られています。


1960年代、世界中で反体制運動の潮流が始動し始めた頃、“反原発”は反体制側の常識であったと言えると思います。

質問者の「人類愛的なものではなく、経済原理が作用しているのだ」という見解はレヴィ・ストロースの思考に配慮し、左翼的思想が席巻していた当時の常識的な考えを述べたものであると言えると思います。

それでも、なぜ環境破壊がおきるのか、なぜ戦争はなくならないのか、という問いに対して、社会が大きすぎるからだ、という答えは、当時としても斬新だったのではないかと思います。

「未開社会」と「近代社会」の違いとして、その構成の大きさの違いをまず挙げるのは、今でもなるほど、という感じがします。





       *****


           (引用ここから)



問  すると、「進歩」とはまったく認識の発達の係数なのではありませんか?

したがって、認識によって全面的に決定されているのではありませんか?

知識と認識方法のうちに内的決定論があって、そのために我々はなにもできなくなっているのではありませんか?
 


レヴィ・ストロース  まさにそうであるようです。

もし私たちがある“進歩”に対して、賛成か反対かをおおっぴらに表明することを求められたなら、、
そして現在では原子エネルギーの開発とともにこの問題が提起されるのですが、、

多数の人間が、「いやそんなものは持たぬほうがよい、今のままの状態でいるほうがよい。」と答えることが、少なくとも考えられるからです。

自動車をもつという事実は、私には本質的な利益とは思えません。

他の多くの人々が自動車を持つような社会では、それは欠かすことのできぬ自己防衛ですが、しかしもし私が選ぶことができるなら、そしてわたしの同時代人も同様にことごとくそれを放棄してくれるなら、どんなにかほっとして、私は自分の車をお払い箱にすることでしょう。



問   わたしは人々が習慣的に人類愛的立場と考えているすべての立場のことを考えます。

そんな立場は常に空しく、つねに全く無用なのです。

人間愛が前もって要求していたところの一つの立場を勝ち取ることを可能ならしめるものは、つねに経済的進歩または技術的進歩なのであって、人類愛的立場はけっしてそれ自身ではそれを勝ち取ることはできないでしょう。

人々が必要とするこれこれの財物を自由に入手することを可能ならしめるものは、これこれの場所に設けられる“市場”なのです。

しかし“市場”を設置するという条件が実現されぬかぎり、人々は人権の名においてその財物を要求することは出来ますが、けっしてそれの恩沢に浴することはありますまい。



レヴィ・ストロース  自分自身を前にした人間のこの種の無力は、きわめて大きな度合いで、現代社会の膨大な人口の多さに起因しているとはお考えになりませんか?

小さな社会、小さな集団が自分たちの条件を熟考し、それを修正するため、意識的な、考え抜かれた決断をすることは想像がつきます。

わたしたちをとらえているこの無力さは、わたしたちがその中で生き抜いている、とほうもなく巨大な人間の集塊のせいだと思えるのです。

なぜかといえば、私たちはもはや一つの国民的な文明の体制下にさえ留まることなく、次第次第に一つの世界的文明、または亜世界的文明を実現する傾向にありますからね。

そしてこの、文明を制御しがたいものにするものは、この新しい大きさの秩序であり、人間社会の諸次元のなかでの階層の変動なのです。



(芸術の話題になり、芸術の個性といったことをめぐって)




問  「集団的」と「個人的」という二つの語は、社会学的文脈の中では何を表すのでしょうか?

二つの間には、どんな関係が存在するのでしょうか?


レヴィ・ストロース  我々にはきわめて明瞭なものと見える「個人的」と「集団的」との区別が、未開社会の美的生産の条件の中ではわずかしか有効な範囲をもたないのです。

ひとりの個人が肉体的あるいは精神的ななんらかの危機的状況に立ったとき、そしてその状況から脱したいとき、彼は絵師でもあるところの呪術師に頼み込んで、かならずしも直接に表現的な性格をもつわけではない大きなモティーフによって、自分の家の壁面を飾ってもらいます。

だから呪術師はただ単に癒し手としての神聖な能力の持ち主として知られているだけでなく、絵師として名の通った才能の人なのです。

彼は依頼人の家に、仕事をすべき日の前夜に行きます。

そしてたいへん気前のよい報酬をもらい、依頼人の家の客となって、夢を見るべく一夜を過ごします。

その夜の夢の挿話や詳細をこまごまと、その家の壁面に再現してみせるのです。


一方、そうは言うものの、彼が製作する作品は彼の最も深い個人的な無意識の結果ではなく、きわめて厳格な規範に忠実なのです。

外側からそれを眺めるよそ者のアマチュアにとっては、それらはみな同一作者の手になったもののように見えるでしょう。

しかし、その画が50年古かろうと新しかろうと、あるいはもっと年代に差があろうとも、いずれも大同小異なのです。

そういうわけで、ここでは、一方には芸術的生産の最も個人的な条件と、他方にはもっとも社会学的な、集団的な条件とが、ほとんど解きほぐせないような具合に交じり合っています。

この二つの相は解きほぐせないほど結びついていて、あたかも、自発的な定型的なやり方で、芸術作品を生み出すために精神の無意識の活動にたよるとき・・

というのはそもそも夢なんですからね・・その画家たちは実際、「個人的」と「集団的」との区別がなくなってしまうような境地に達するかのようです。

いわゆる未開社会は、美的創造の中の無意識的活動の役割を、より多くの客観性をもって認識しており、精神のこの暗い生命を驚くべき洞察をもって取り扱っています。

というわけで、これがわれわれの社会と未開社会との第一の相違点なのですよ。


        (引用ここまで)


            *****




上の写真はホピ族の岩絵「ロードプラン」(「ホピ・神との契約」より)です。

上の道を行く、白人的な生活をする者たちは破滅し、下の道を行く、ホピ族本来の生活態度を貫く者たちは生き残るという、説明的な図です。


この図についてはもう幾度となく取り上げていますが、このような図は未開社会本来の思考形態から産まれたものとは言えないと、わたしは常々思ってきました。

時間を直線的に表わすことも近代西洋的だし、その時間が左から右に進むのもまるで定規のようで、おかしい。



「未開社会」の歴史観について、同書が述べているところを引用しておきます。
 


             *****


           (引用ここから)


レヴィ・ストロース   「歴史なき」社会と「歴史的 」社会とを区別してはなりますまい。

実際にはあらゆる人間社会は歴史を持ち、その歴史はそれぞれの種の起源にまでさかのぼるのですから、同じだけ長いわけです。

しかしいわゆる「未開社会」が、歴史の液体に浸っていて、その水を自分の中に浸透させないようにしているのに反し、我々の社会は、歴史を自分の発展の原動力とするために、いわば歴史を内部に取り込んでいるのです。



           (引用ここまで)


            *****



レヴィ・ストロースの述べている歴史観の分類から言えば、ホピ族のこの有名な岩絵「ロードプラン」は“歴史を内部に取り込んでいる”近代社会の思考方法そのものであると言えるでしょう。

すなわち、この説明的な図の解釈は、説明的であるがゆえに、彼ら本来のものではないでしょう。

反文明思想のひとつの目印として、分かりやすい図ではあるけれど、彼ら本来のメッセージではないでしょう。

彼らが本当に言いたかったことは、何なのでしょう。。



それはさておき、私たちは私たちの問いを解かなければならないのだと思います。


現代文明は、持続しないようにできている。。

それならば、持続可能な社会、を創らなければ、世界は持続しないと思われます。

文明の構成員に、持続しよう、生きようという意思があれば、良い選択をし、良い修正をし、より良い社会をつくることはできるに違いないのだと思います。。

大きすぎない社会、機能するコミュニティ、持続可能なエネルギー、搾取ではなく、与え合うことが原理となる社会。。

社会の構成員の一人ひとりに、社会をいかに築いていくか考える責任があるのだろうと思います。





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「原発」を捨てて、旅に出よう・・「熱い社会」と「冷たい社会」(2)

2011-07-08 | ホピの予言と文明の危機

「原発後の世界」「脱原発の世界」はどのようにしたら構築できるのだろう?と考えようと思うと、やはり透徹した眼力のあるレヴィ・ストロースを読んでみたくなりました。続きです。


「レヴィ・ストロースとの対話」という1970年に日本語版がでた、古い本です。

「冷たい社会」と「熱い社会」という概念を用いて、現代社会についてのインタヴューに答えています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


近代社会が「熱い社会」であるとすると、よく言う、「持続可能な社会」は、その「熱が高温にならない社会」であろうと思いますが、レヴィ・ストロースは「持続可能な社会は実現する」と安易には発言しない立場を取っています。

そう考えられる論拠がはっきりないからでしょう。

個人的には、引用文の中の、以下の部分が要になると思っています。

これはインタビュー番組で、彼が民族学者として、普段なら自分が属する社会について提言するような言葉は使わないのですが、四苦八苦して答えているのが、面白いところです。




            ・・・

レヴィ・ストロース   われわれの社会については、進歩と最大の社会正義の実現は、社会のエントロピーを文化に移すことにあるはずだ、と考えることができましょう。



未来の正しい社会と、民族学者の研究する社会の間には、一つの差異、ほとんど対立と言えるくらいの差異が存在しつづけるでしょう。


それらの社会は、いずれも「歴史的ゼロ度」にきわめて近い温度で活動するでしょう。

しかし、一方は社会の平面において、他方は文化の平面においてそうなのです。

           ・・・


            ↓


                *****


         (引用ここから)


レヴィ・ストロース  たとえば社会的あつれき、政治闘争など、すべての未開社会がたぶん私たちが考える以上に意識的で組織的なやり方で避けている混乱を、私たちは生み出しているのです。

そこで、文明の大きな問題は格差を保つということでした。

植民地主義とか、帝国主義政策とかがそれですが、それはとりもなおさず、社会そのものの内部において、または被征服民の社会において、たえず支配層と被支配層との間の格差を実現しようとすることなのです。

しかしこの格差は、不動性に向かおうとする蒸気機関の場合と同じく、常に一時的なものです。

というのは、冷たいエネルギー源は熱くなるし、熱いエネルギー源は温度が低くなるというわけですから。


差別をつくる隔差は、したがって、平らにならされる傾向にあり、その都度新しい差別をつくる隔差をつくる必要があります。




 問  それは避けがたいものですか?、逆転できぬものですか?


レヴィ・ストロース   われわれの社会については、進歩と最大の社会正義の実現は、社会のエントロピーを文化に移すことにあるはずだ、と考えることができましょう。

私はサン・シモンにならって、「現代の問題は「人間支配」から「事物の統治」へ移行することにある」と繰り返しているにすぎません。

「人間支配」とは、(近代)社会であり、増大するエントロピーです。

事物の統治とは“文化”であり、つねにより豊かで複雑な“秩序”の創造です。

とは言え、未来の正しい社会と、民族学者の研究する社会の間には、一つの差異、ほとんど対立と言えるくらいの差異が存在しつづけるでしょう。


それらの社会は、いずれも「歴史的ゼロ度」にきわめて近い温度で活動するでしょう。

しかし、一方は社会の平面において、他方は文化の平面においてそうなのです。

これこそ私たちが、産業的文明は人間性を失わせるものだ、と言う時、あいまいに表現あるいは認識しているところの事実なのです。




 問  我々の社会においては、未開社会では考えられぬような型の格差があらわれているのではないでしょうか?


レヴィ・ストロース  未開社会では、住民の全員が、われわれの社会の場合よりはるかに充実した全面的なやり方で、集団の文化に参与していることはたしかです。

未開社会と呼ばれる社会の生活の中では、大掛かりな宗教儀礼とか、祝祭、舞踏などの形で、文化への集団参加が行われ、しかもそれが生活の中で相当重要な位置を占めています。

生産に充てられる活動と同じくらい、時にはそれ以上に重大なくらいです。

ところで賢者、祭司、司式者は、集団全体のものである一つの生活様式、一つの行動の型、宇宙を理解する一つの仕方の、化身であり範例であるのです。

他の場合、たとえばアフリカ人社会や他の牧畜民型の社会における鍛冶師のカーストを考えると、鍛冶師は動物や植物とはかかわりなしに、大地の中の鉱物とそして火と関わりをもっています。

彼らは集団の秩序とは別の秩序からもたらされる知識と技術の所有者です。

その結果、人々は彼らに、同時に尊敬と恐怖、讃嘆と敵意とがもたらした特別の地位をあてがうのですが、その立場はちょうど我々の現代社会の中のある専門家のおかれる立場と類似している、またはその傾向にあるように見えます。




問 (現代の)人々は彼ら専門家を抹殺してしまいたいのですか?それとも彼らの存在と必要性とを完全に認めているのですか?

レヴィ・ストロース  いや、すこぶるあいまいな感情を抱いているのでしょう。

最近アメリカで男女の青年に対して行われた「科学者」について青年たちが抱いているイメージをはっきりさせようという目的のアンケートがありました。

むろん現代では科学者といえば、原子物理学者です。

ところでそのイメージと、それに対応する態度とは、一種の恐怖と嫌悪とを、ほとんど神秘的、宗教的な讃嘆に結び付けたようなっものなのです。

ここにはわれわれの観察した未開社会の人々の鍛冶師階級に対する態度と大変近い態度が認められます。




 問  われわれにとって意味がありそうに見える“進歩”、つまるところわれわれがそれに意味を与えているところの“進歩”は、あなたの研究しておられる社会の内部では、意味をもたないわけですね?

レヴィ・ストロース その通りです。



問  “進歩”なんてなんの意味もないのでしょう?

レヴィ・ストロース  たしかに意味が無いのです。

それらの社会はいずれもその本質的目的、その究極的目標は、その存在の中に、祖先が創設したものをそのまま、しかも祖先がそのようにしたというだけの理由で、執拗に継続することにある、と考えています。

「祖先がそうした」、という以外の裏づけは要らないのです。

私たちがある情報を提供してくれる未開人に、ある習慣ないし制度の理由を尋ねる時、「わしらはいつもこのやり方でやってきた」、これが例外なしに必ず聞かされる答えなのです。
その習俗は、“それが存在する”という以外にそれを裏付ける理由が無いのです。

その合法性は、その“持続”に依存しているのです。



問 ところが一方、我々の社会では「進歩」とは進化と変化を意味している?

レヴィ・ストロース  そう。 しかしそれは我々の社会がポテンシャルの差異の上に、内的格差の上に、機能を保っているからです。


     (引用ここまで・つづく)



             *****


「持続可能な社会」を求めるならば、わたしたちは“近代社会”を捨てて、“未開社会”と私たちが呼ぶところの社会システムを、意識的に構築することが有効なのだと思います。

それは未開社会と同じことをすることではなく、未開社会のもつ「良き本性」を指標にする社会であることでしょう。

それは「文化の上で歴史的ゼロ度を示す」文明であることでしょう。



エコとネイティブは、雑貨屋さんでも同じような雰囲気ですが、それがどのようにしたら、いわゆる“少数派”や、センスのいいおしゃれや、文化の飾り、あるいはエキセントリックな体制批判でなくなる時が来るのかを考えるべき時が来ている、のだと思います。

しかしそれは、かつて幾度と無く繰り返し試みられてきた挑戦でもあり、ひとつも新しいことではないことも確かです。

はてしない“ボタンの掛け違い”は、まさに文明の温度を上げる作用そのものかもしれません。

「解き放つこと、旅すること、眺めること、、」と言ったのは、レヴィ・ストロースでした。

この文明から解き放たれることが必要なのだと思います。



写真はホピ族の岩絵「ロードプラン」(「ホピ・神との契約」より転載)


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「冷たい社会」と「熱い社会」(1)・・原発後の社会は“冷却”可能か?

2011-07-05 | ホピの予言と文明の危機

「原発後の世界」、「脱原発の世界」はどのようにしたら構築しうるだろうか、と思って、「レヴィ・ストロースとの対話」を読んでみました。

日本語訳が1970年に出ている、古い本です。


文化人類学者であるレヴィ・ストロースは、“未開社会”とよばれる世界を研究対象としましたが、そこに存在するのは、“未開な”社会ではなく、わたしたちの属する近代社会とは“異なった”形態の社会であると考えるべきだ、ということを見出した人だといえると思います。

“未開社会”は、便利さや迅速さを求めて、社会を変革しようという気持ちをもたない社会であり、その意味では「冷たい社会」であると言える、と彼は言います。

一方便利さや快適さを求めて変革し続ける衝動をもつ、わたしたちの属する社会を「熱い社会」と名づけています。


若い頃、はじめて読んだ時には最初、ジャングルや砂漠のイメージから、“未開社会”の方を熱い社会かと思ってしまい、エアコンの効いた涼しい“近代社会”は冷たい社会かと思ったものですが、

筆者が言おうとしていることは全然そういうことではなく、“われわれの近代社会”は実に、他に類を見ない程、混乱し、迷動し、浮沈の激しい、非常に特殊に“熱い”社会である、ということだったのでした。

そのように、自分たちの属する社会を相対的に見る視点を知った時の驚きは、大変大きなインパクトをもっていました。

以下、すこし抜粋して引用します。


         *****

     
            (引用ここから)


問         「未開社会」と「近代社会」との決定的な差異は何でしょうか?


レヴィ・ストロース 社会は少しばかり機械に似ていて、それに二つの大きな型があることが分かります。

「工学的機械」と「熱力学的機械」とです。

「工学的機械」は、最初に与えられたエネルギーを用いて、もし摩擦や加熱が全然なければ、出発点に与えられた最初のエネルギーでもって論理的には際限なしに作動することができると考え
られる「機械」です。

一方、蒸気機関のような「熱力学的機械」は、その諸部分、つまりボイラーとコンデンサーとの温度の差によって作動します。

これは「時計」のような「工学的機械」よりもずっと大きな働きをしますが、しかしそのエネルギーを費いながら、次第にエネルギーを消尽してしまうのです。


民族学者の研究する諸「未開社会」は、われわれの大きな「近代社会」と比べると、 「蒸気機関」に対して「時計」がそうであるように、「熱い社会」に比して少し「冷たい社会」であると言えましょう。

それは物理学者がエントロピーと呼ぶところのあの混乱を、ごくわずかしか生じない社会であって、どこまでも始めの状態の中に自分を保とうとする傾向をもっています。

だから私たちは、そうした社会が歴史も進歩も無いように見えるわけです。

一方、「われわれの社会」はその社会構造という観点からして、「蒸気機関」に似ています。

つまり作動するためにポテンシャルエネルギーの差を利用するわけで、その差は社会階級のさまざまな形態によって実現されているのです。


このような社会はその内部に不均衡を作り出すに至ったのですが、その不均衡を利用してさらにずっと多くの秩序と同時に、さらにずっと多くの混乱を、ずっと多くのエントロピーを、人々の間の関係という平面の上に生み出しているのです。



問  「未開社会」、また、「現代社会」の内部における「不平等」という語の価値はどのようなものですか?


レヴィ・ストロース  「未開社会」はその一つ一つが、「近代社会」と異なっているのと同じくらい、互いに異なっています。

このことはいくら繰り返し述べても十分でないほどです。

とはいうものの、全体としての大きな違いは何かと言えば、意識的または無意識的な仕方で、「未開社会」は、西洋文明の飛躍を可能ならしめ、あるいは有利にしたところの、あの“構成人員の間の格差を生み出すこと”を避けようと努める、ということです。


その最も有力な証拠の一つは、「未開社会」の政治組織の中に見出されるようです。

そうした社会では人々は討議し、投票します。

しかし満場一致でなくては決して採決されません。

オセアニアの人々の例でいうと、重要な決定がなされる場合はまず前夜か前々夜に、一種の儀礼的闘争がおこなわれ、その中ですべての古い争いは、多少とも模擬的な闘争によって、水に流されるのです。

その争いでは、危険を避けるように努力していても時として負傷者の出る場合もあります。

こんなふうに、社会は不和の動機をことごとく浄化することから取り掛かるわけです。

その後で始めて、不一致の種を除いて、清新の気を吹き込まれ若返った集団が、満場一致となるであろう決定をなす、、かくして“共通の善”を表明する立場に立つのです。



問 決定に依存しない満場一致の状態があるのですね?

まず一致の状態を作り出し、それから決定のため意見を問うのですね?


レヴィ・ストロース  その通りです。

集団が集団として永続するためには、全員の意見一致が必要不可欠なものと考えられているのです。

すなわち、今しがた言ったことをよく考慮に入れていただけるのなら、これは分裂の危険に対する防衛と言えましょう。

社会集団の中に、善人かもしれぬ側と悪人かもしれぬ側との間に、暗々裏に位階制度が形成される危険に対する防衛であるわけです。

言い換えれば、少数派というものが無いのです。

社会はそこでは、すべての歯車が同じ活動に調和的に参与している時計のように存続しようとするのであって、自分の内部に潜在的な敵対関係、つまり(近代社会の動力源であるところの)“熱源と冷却装置”のような敵対関係を隠匿しているように見えるあの蒸気機関(近代社会)のように動くのではありません。


いわゆる「未開社会」は、ある点までエントロピーの無いシステム、あるいはきわめてエントロピーの弱いシステムで、一種の「絶対零度」・・物理学上の温度でなく、「歴史的温度の絶対零度」で作動する、と考えることができます。


我々の社会のような歴史的社会はもっと高い温度をもつと言えましょう。

もっと厳密に言えば、それはそのシステムの内部の温度差、社会的差別に由来するところの大きな温度差によって存在しているとでも申せましょうか。

「歴史なき」社会と「歴史的 」社会とを区別してはなりますまい。

実際にはあらゆる人間社会は歴史を持ち、その歴史はそれぞれの種の起源にまでさかのぼるのですから、同じだけ長いわけです。

しかしいわゆる「未開社会」が、歴史の液体に浸っていて、その水を自分の中に浸透させないようにしているのに反し、我々の社会は、歴史を自分の発展の原動力とするために、いわば歴史を内部に取り込んでいるのです。


未開人は彼らの文化によってほんの少しの秩序しか作り出しません。

彼らはその社会のなかでほんのわずかのエントロピーしか生み出しません。

これらの社会は平等主義的で、「機械的な型」に属し、意見一致の原則によって律せられています。

それと反対に、文明人はその機構や文明の大事業が示しているように、その文化の中で多くの秩序を作り出していますが、社会の中では多量のエントロピーをもまた、作り出しているのです。


      (引用ここまで・つづく)


             *****


上の写真はホピ族の岩絵「ロードプラン」です。(「ホピ・神との契約」より転載)


文明社会と自分たちの社会との対比を岩に記した「ホピ族」に関する研究が、当ブログの主テーマであるとすると、この話はホピ族の世界観に似ていると言うこともできると思います。

ホピ族は白人社会に激しく抵抗し、自分たちのアイデンティティを白人との対比の上に置きました。

その説明的図である岩絵が、「ロードプラン」と呼ばれる上の写真の絵で、そこに描かれている二本の線を、われわれの「熱い社会」の線と、彼らの「冷たい社会」の線であると言ってもよいと思います。

ホピ族によれば、白人の世界に未来は無く、ホピ族の伝統的な生き方に従う者には長い生命が与えられる、ということです。

そうであるとすると、わたしたちはレヴィ・ストロースの言う「熱い社会」の方が「冷たい社会」より偉いわけでも強いわけでもない、という考え方を、もう一度確認するべきなのだと思います。

原発というやっかいな「かまど」の火を、いったいどうしたらいいのか?

本当に「かまど」の火を消すことはできるのか?

燃えているものは、何なのか?

「熱い社会」の熱を冷却するための知恵があるはずだと思えます。





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人は真に大地と交わることができるか?・・ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(8・終)

2010-08-12 | ホピの予言と文明の危機
ホピ族の長老ダン・エヴェヘマと、彼が招へいした白人著述家トーマス・E・マイルズの共著「ホピ・神との契約・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

この本の原題は「ホピ・サバイバルキット」といいます。

“生き残るためのホピの知恵”といった意味ではないかと思います。

それで、著者マイルズ氏は、“生き残るためにはどうすればいいか”を簡潔にまとめて、読者に提示しています。


*****

(引用ここから)

「霊的箱舟」の生活について、これまで得てきた情報を要約しよう。

預言の指摘するわざわいを逃れるには、次の事項が出発点になる。


1・マサウと契約をする

2・マサウ自身がそうだったように質素な生活をする

3・克己の実践

4・自給の実践

5・優先順位の変更

6・わたしたちを救うことが創造主の願いであり、ホピとともに世界を救えることを心に刻む


創造主とマサウがわたしたちに告げているのは、世界人類が命と環境への態度を完全に変化させなければならないということである。

ホピの伝統派がしているように、生まれてから死ぬまで母なる大地に浸る、ということである。

簡単に言えば、わたしたちは命を祝えるように、大地と交わる必要がある。


思えば単純なことである。

だが、わたし達はそれをしてこなかったのだ。


大地と交わるべき理由は多くある。

教えに従い、新しい思いと行いを新しい生活に応用してゆくにつれ、この世の変化を生き抜いてきた長老の性質がわたしたちのものになる。

母なる大地との交わり、それは自分自身に交わることでもある。

その結果としてわたしたちはより穏やかになる。

より静かになり、議論好きな性格は減り、より落ち着いた性格になる。

世界がどんな展開になろうとも他との一体感がいっそう深まるようになる。


自分のありのままを知り、自分がなにに忠実であるかを知る。

正しい選択が容易になり、誘惑は問題ではなくなる。


この種の態度が培われてくると、他の被造物への畏敬の念が深まってくる。

地球を救う意味では、するべき事が自動的に出来るようになる。

命への態度が改められた結果、そうなるのである。

他を利用、誤用するために地球に君臨する存在としてではなく、活ける全体の一部として自分を見るようになる。



創造主の求めをすべて行う中で、生き残りに必要な・・特に大変動が預言されている第4周期末期を生き残るのに必要な・・知恵と強さと確信が得られてくる。

今、わたしたちがあらゆるものに向けてその態度を変えなければ、預言どおりになり、それと共にわたしたちの一部も犠牲者になるだろう。

だがわたしたちが生きている限りは、今後の世界を子子孫孫のために最善のものにするよう働きかけるのである。

ホピの長老たちのようになり、正しい選択をすることによって、私たちは世界が崩れるペース、変動の度合いに影響を与え、第4周期の終わり方をかたどることができるのである。


これが信じられないとすれば、それがどれほど単純かつ易しくできるかということを認識するに至っていないからである。


わたしたちの選択はこうである。

教示に従い、新しい態度で私たちが結束すれば、世界全体の空気が私たちとともに変化する。

表立ったことをしなくても、目に見えないところで変化がおきる。

最初は起きていることにさえ気づかないかもしれない。

だが、同じ問題が繰り返される中で、以前存在した問題が消えていることに気づくに十分な結果が、各所で見えてくる。

そのように混とんの最中にも希望と勇気づけがある(であろう)。

ホピの予言そのものは、「新しい日の出があり得る」と告げている。


伝統派が年ごとに行っていることを見習うにつれて、わたしたちもその態度と感覚を培うようになる。

長老たちは12月を、冬の家に来た太陽が夏の家に帰る支度をする時、と表現する。

だから12月には太陽がうまく帰れるための敬意と楽しさが必要になる。

そこで人々は朗らかで健全な言葉を交わすよう心がける。

健全な言葉とは、隣人、特に何か辛いことを経験している人を明るくするような言葉である。

そのような言葉が好まれる。

そのような言葉は温かい人間関係を築く。


自分で始めたことだけが大事だと考え、強力な心理学的変化だけが世界の諸問題を解決できると信じる者たちがいる。

彼らは、精神の拡大と意識の変成ばかりを問題にする。

このような人は本書に書かれているような単純な教えを馬鹿にするだろう。

だが彼らの方法を試しても何一つ人間的に温かな関係を作り出せなかった人は非常に多いのである。

教育がしばしば信仰の邪魔になることも御存じだろう。

創造者はオライビにおいて、虚偽も謀略も知らない真に謙虚な民を選んだのだ。


(引用ここまで)


   *****


この提言はありきたりなようですが、よく考えると、驚くべき提言かもしれません。

なぜならこの提言は、ホピの長老自らが共著者となり「ホピの提言する生き残りのすべ」として述べているのですから。

そして彼らは、「人類が生き残るため」に、「ホピの長老のように生きてみよう」、と言っているのですから!

この「生き残る」という言葉は実際には二重に使われているのかもしれません。

「ホピが生き残る」ことと「人類が生き残る」ことが、二重になっているのです。

それは、彼らの言うところの「ホピが地球の番人である」、からなのでしょう。


守護神マサウが、ホピの救済を請け合ったのと同じように、人類と新たなる「契約」を結ぶ気があるかどうかは、わたしには分かりません。

ただ、人類が滅びてもホピは滅びない、という確信を持つホピの長老のまなざしが、なにがしかを語っているような気はします。

彼らは、「わたしたちの土地を放っておいてくれ、」と言っているわけではないのです。

「自分たちは人類全体への責任がある」、ということを決して忘れる時はないのでしょう。


その信念の強さが、ホピを世界レベルの存在としているのではないかと思います。


その信念の強さはどこからくるものなのか。。

ホピ研究家フランク・ウォーターズ氏の言うように、わたしも、

「ホピは特殊な宗教的団体なのではないだろうか?」
と考えておりますが、

彼らの信念と確信は常ならぬ宗教性をはらんでいると感じます。

ニュースレター「テックワ・イカチ」は、そうした彼らの信念と確信(=予言)が、歴史的側面(=現実)と接触する様を、彼ら自らが述べたものとして、貴重な文書であると考えます。

本書はニュースレター「テックワ・イカチ」の発刊者である長老エヴェヘマが、“白人にも分かるような説明的文章”で語ることを許可した、「生存への道すじ」なのだと思います。

(終わり)


写真は石版「小道の石」の表側


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世界の終わりはどう知ればいいか?・・ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(7)

2010-08-07 | ホピの予言と文明の危機
「ホピ・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。続きです。


ホピ族長老のダン・エベヘマと彼が招へいした白人著作家の共著です。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


「テックワ・イカチ」とは、大地と生命という意味で、大地と交わり、生命を祝う、と解されます。


1975年から10年間発行された伝統派のニュースレター44冊の題名でもあります。

ニュースレターの日本語訳HPは下記になります。

       ↓

「テックワ・イカチ」全翻訳
http://hyla.jp/hopi/Techqua_Ikachi_Index.htm



「ホピ・神との契約・・この惑星を救うテックワ・イカチという方法」という邦題の本書は、この伝統派のニュースレター「テックワ・イカチ」を資料の一つとして書かれたものです。

ホピ族伝統派が白人の協力を得て英語で記したニュースレターは、伝統的ホピ族が書きしるした数少ない文章の一つです。

「ホピの予言」は文章としては伝承されていませんから、原典の一つと言っていいかもしれません。

本書はそのニュースレターや石版、岩絵ロードプラン、その他言い伝えを分析して、ホピの予言は現代に生きる人間にとってどのような意味をもつものかを書いたものです。



*****


(引用ここから)

長老たちは、予言された出来ごとがいつ頃起こると見ているのであろうか。

ニュースレター「テックワ・イカチ」に見る次の言葉がこの問題に答えている。


「ホピの予言は決まった日付を打ち出していないが、ホピは来たるべき未来を見る方法を心得ている。

地球の自然なバランス、人間、野生動物の動きと行動を注視することだ。

動物は危険な環境も、好ましい環境も探知する感受性をもっている。


とくに注視するように言われているのが、“人間の行動”である。

人間は地球・自然界の大敵だからだ。


そこで、未来を見るわれわれの中心的情報源は人間である。

人間は、その行動を通して、望む目標に至るからだ。

人間は、創造主の法則の価値を低めることによって、じょじょに世界の未来を決定してゆく。


創造主の法則を無視して行動することが、繁栄を生むか、災害を生むかについては、人類は自力で世界の問題を解決し、平和を作りだせると考えている。


(しかし)すべての人間が、聖なるものとして創造されたのだから、人間としてのわれわれは、一つの目的をもってこの惑星に置かれたのである。

土地を世話し、大地を害から保護し、それが提供するすべてのものをいつまでも享受する、ということである。

他方この創造の法則を生きられなければ、われわれは大地を失う結果になるだろう。

これは大創造主によって据えられた人類普遍の計画書である。」


・・・・

石板を見てみよう。


「小道の石」の石板の裏の、頂上に見える弓は、火族のシンボルである。

それは彼らが世話役であることを示している。

裏面の下に始まる、ぐるりと囲む線は時間である。

失われたかけらを一つにすれば、そこにあるどんなシンボルも、マサウとホピの創世に関係するにちがいない。

線をなぞるとバハナ到来以前の、ホピの放浪の時代を示すS字線を通る。

それから1906年にオライビで起こった分裂を象徴するV字線に来る。


終わりが近づいたときに、それが位置付けられていることに注意してほしい。

それはすでに起こっていて、「ロードプラン」は、第三次世界大戦勃発前にそれが起きると告げているので、歴史的には第4周期の終わりは遠くないと推定できるのである。


「遠くない」とは、教示に従っていてさえ、何世紀も引き延ばせないという意味である。

「教示」はこの「終わりの時代」を生き抜くためのものであることを記憶してほしい。

「小道の石」の石板の表側を見ると、端が欠けた後に残されているシンボルは、終わりには人類が大分裂し、混とんとした情況になることを示している。


「ロードプラン」に描かれた上の水平線を見ていただければ、石板と同様な線で終結していることが分かる。

再び言えば、第4周期の混とんたる最後がここに見える。


「白い兄が“失われたかけら”を手にして戻り、それを合わせる時のみ、終わりの正確な事が分かるだろう。」


わたしたちは警告されていると考えるべきである。


(引用ここまで)


        *****



この本に紹介されている「ホピの予言」また「伝統派のことば」は、ニュースレターの原文と照らし合わせて、ていねいに確定しなければいけないと考えますが、それはまた後日に譲りたいと思います。

続きます。(次回が最終です)


写真は石板「小道の石」の裏面

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誰も乗っていない箱舟・・ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(6)

2010-08-03 | ホピの予言と文明の危機
「ホピ・神との契約・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。続きです。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


テックワ・イカチとは、ホピ語で「大地と生命」という意味で、「大地と交わり生命を祝う」、と解されます。

この言葉はホピの人々にとって、とても大切な言葉なのだと思います。

ちょっと引用が長くなりましたが、長老の承認のもとに書かれたホピ族の歴史であり、またホピ伝統派のニュースレター「テックワ・イカチ」がどのような経緯で発刊されることになったのかについての、とても貴重な文献でもあるので、抜粋して引用を続けさせていただきます。


      *****

     (引用ここから)


長老たちは胸を痛めた。

それまでは彼らは自分たちの時代には最悪の事態は起こるまいと考えていた。

少なくとも、子どもと孫の代までは。

オライビの「命のひな形」の喜びを経験できるよう、未来に引き延ばせると希望を託してきた。

だがそれも今や、実現不可能な望みと化していた。

民の心を変えない限り、それは不可能なのだ。

長老モノンギエを「テックワ・イカチ」発刊へと動かした思いはここに始まりを見る。


中でもマサウが予言した環境問題は1970年に頂点を迎えていた。


現代の人間が環境を誤用した結果について、長老たちは、外が見えない居留地に閉ざされていながらも答えるすべを知っていた。

母なる大地は、祭祀場(キヴァ)で彼らに地球の現状を語りかけた。

ビーボディー社の操業は長老たちに日々、環境破壊を経験させた。

新聞と雑誌は、科学者たちが何を語り予知しているかを伝えてくれた。


マサウが彼らに与えていた前兆が、情報の意味を明らかにした。


1975年6月、「テックワ・イカチ」創刊号作成のため会合が開かれた。


伝統派が契約の誓いを遵守していることを確かめられる場所に、誰もが立たなければならないのであった。

古代の予言の多くが成就するにつれ、ホピはますます不安になり、堅固な指導力をどこに求めるべきか、思案しはじめたのだ。

1978年には、白人の盗人により御神体が盗まれた。

二心(ふたごころ)と邪悪な勢力の基本的な動機は、私たちとこの惑星を救うのに必要な、重大なメッセージを鎮圧することにある。

ホピ長老たちの危機は、より大規模に全世界に起こる危機の先触れである。


ダン・エヴェヘマは、狭い舟から飛び出し、戻れずにいるホピの話をしてくれたが、それは過去のことである。

今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。


(引用ここまで)


         *****


「今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。・・・」

この一文は、ホピの歴史から視点がずれて、西洋人の独白の部分でしょう。


この西洋文明への絶望感が、人々をホピに向かわせるように思います。


1970年代、「行き過ぎた工業化や開発は環境を破壊して、地球を狂わせる」、という強烈なメッセージは、現代文明の終わりを感じさせました。

自然食やヨガのブームといった自然への回帰、身体への回帰、さらに極端に脱文明を志向したものもあったと記憶しています。

文明の果てには何があるのか?

もう地球は終わりなのか、それとも生き返るすべはあるのか?

そういう感じが、どこからともなくしていたように思います。


ホピ族と彼らを応援する人々の、世界に向けての当時の上記のような活動が、実質的にそのようなムーブメントそのものの一端だったのだと、このように年代をすり合わせてみると、今さらながら思います。

この本のテーマとなっている「霊的箱舟」というキリスト教的な言葉は、当時耳にした記憶はありませんが、「箱舟」というイメージは、当時のそのようなカウンターカルチャーの文脈では、キリスト教的な意味合いよりは、ひたすら終末論的な雰囲気を醸し出す言葉として、“もうすぐ到来する、来たるべき文明”を暗示するものであったろうと思います。


インディアンムーブメントとカウンターカルチャーは互いに補完しあう運動として、時の波そのものだったのだと思います。

物質文明に屈しないインディアンの姿は、遠くからそれをかすかに感じていただけのわたしにとっても、あるべき人間の姿として、魂をとらえる実に威厳のある本物の風貌として感じられました。


つづく


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聖地の破壊と環境破壊・・ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(5)

2010-07-29 | ホピの予言と文明の危機
ホピ族の歴史と地球の運命について長老が語る「ホピ・神との契約・・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。

ホピ族の苦難の歴史が、引き続き語られます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

        *****

    (引用ここから)


1917年 アメリカは第一次世界大戦に突入し、ホピの男性は軍への入隊を求められた。

市民権を認められず、投票権もなかったにも関わらず、徴兵されたのだ。

「伝統派」は宗教上の立場から兵役を免除してほしいと説明したが、許されなかった。


その間、「伝統派」は「世界の大部分が参加する大戦争が3度起こるだろう」、と予言したマサウの言葉を思い出していた。

指導者たちは崖の斜面に描かれた「ロードプラン」を再確認し、戦争を暗示する3つの輪が刻まれているのを見た。



戦争の後、「伝統派」代表は、広島、長崎の原子爆弾は「灰のつまったひょうたん」であることを「ウンモの家(国連)」にでかけて、世界に語りかけることを4度試みた。


1960年代を通して土地問題は、「進歩派」と「伝統派」双方の焦点となりつづけた。

「伝統派」が、契約と母なる大地の保護におけるホピの役割を訴えれば、「進歩派・部族会議」(名前とはうらはらにアメリカ政府が作り与えた組織)もまた、自分たちの行動の伝統性をうたい、政治的影響力の基盤となるホピの地下資源への経済的関心を募らせた。

1961年から64年にかけて、「進歩派・部族会議」は「伝統派」の意見を無視して石油、ガス、鉱物のための試掘、開発、掘削のための借地契約を結んだ。

1969年、ピーボディー社がブラックメサで石炭の採掘を開始した。

ピーボディー社は採掘の権利にくわえ、石炭の搬送のためにブラックメサの地下から380億ガロンの地下水を汲み上げる権利も獲得した。

伝統派は資源の枯渇を見通し、反対した。


操業は大規模化し、1970年にはあらゆる問題が起きてきた。


1971年、ホピ、環境学者、法律家、人類学者が村に集まり、数か月にわたって集会を開いて、意見を戦わせた。

ホピの予言、ホピの聖地の一部としてのブラックメサの重要性、ホピの主権の問題が出た。

訴状が作られた。

6人のホピ長老は、ブラックメサは「母なる大地の心臓の一部」であり、「大霊、マサウのために霊的な道を遵守するため、ホピに与えられたものなのだ。」と説明した。

「ホピは命がけでその権利を授けられたのである。

土地が乱用されれば、ホピの命の神聖は消えしまう」、と語った。


この時点でホピ内部に、「伝統派」と「進歩派」との間に大きな溝ができていることは明らかであった。


長老たちは、「小道の石」の石版を見直した。

彼らは、時間の線の中に3つのV字のシンボルを見てようやくその意味を理解し始めた。

1906年にオライビで起きた分裂。。

彼らはそれが予期したように、始まり、拡大するのを見たのである。

分裂は否定できないほど、はっきりしていた。

ホピ族全員が「伝統派」、「進歩派」、「日和見派」に分裂した。


(引用ここまで)


         *****



ホピ族の行動は、世界のための、世界に向けられた動きであると言えると思いますが、
聖地の保護を訴える行動が、聖地の地下資源の発掘中止を訴える行動として大きく取り上げられたことは、時代の流れそのものだったように思います。

環境保全という、世界に向けての大変明快で現代的なメッセージとなり得たことは、とても大きなことだったと思います。
このことで、ようやくインディアンの問題と西洋人の問題の共通項ができたからです。

あまりに明快になりすぎて、“ホピ族の謎”が置き去りにされたのではないか、と感じるほどです。


「聖地の保護」というもう一つのテーマも、引き続き世界中の共通認識となり、聖地と先住民族の叡智とがセットとして認識されることとなったと思います。

続きます。。



「環境白書」より

http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=163&bflg=1&serial=6676

 
国際社会における環境に関する認識の高まり

 1972年の国連人間環境会議から、1982年のナイロビ会議等を経て、1987年の「環境と開発に関する世界委員会」に至るまでの15年間において、環境問題に関する認識、特に環境と開発の関係に関する認識が深まり、「持続的開発」という考えが定着した。

この間、熱帯林の減少等の問題に加え、オゾン層の破壊等の問題が国際的に提起され、「地球的規模の環境問題」が国際社会において大きくクローズアップされるようになった。

(1) 1970年代の認識

 1960年代を通じて、我が国をはじめとする先進国では戦後の高度成長を背景に大気汚染、水質汚濁等の環境問題が急激に顕在化し、一方、開発途上国では人口の爆発的増加等に伴う諸問題等が大きな問題となった。

こうした問題は、「宇宙船地球号」の考え方を生み、国連はその取組のため、1972年6月にストックホルムで国連人間環境会議を開催した。

 同会議では、「かけがえのない地球」を守るため「人間環境宣言」や広範な分野にわたる「行動計画」が採択され、その後の国際的な活動や取組の指針となった。

1970年代はじめ、環境と開発の関係は、対立するものとしてとらえられた。

この点は同会議の議論のなかで、特に環境問題に対する先進国と開発途上国の認識の隔たりとなって現われた。

すなわち、工業化の過程で深刻化した環境問題への反省としてその対策の必要性を訴える先進国に対し、開発途上国は、過剰な人口、栄養不足、不十分な衛生といった貧困を背景とした諸問題の解決には開発を進めることが不可欠であり、環境対策を行うことで開発や経済発展を阻害してはならないという認識が大勢を占めた。

 また、同会議と相前後して「ローマクラブ」は、「成長の限界」を発表し、急速な経済成長や人口増加等に対し、環境破壊、食糧不足の問題とともに人間活動の基盤であるエネルギーや鉱物資源が有限であることを警告した。

資源の有限性は、1973年の第一次石油危機の勃発もあって人々の意識のなかでは定着したが、当時問題とされた資源は、石油や鉱物等の非再生可能資源が中心であった。

今日問題化している熱帯林等の再生可能な自然資源の保全については、国連人間環境会議でも討論されたが、熱帯林問題は国内問題であると主張する国があるなど国際的な環境問題としての認識は希薄であった。

 国連人間環境会議は、環境に関する世界的問題についての国連主催の一連の政府間会議の冒頭を飾るものであり、その後1970年代から80年代初頭にかけて人口、食糧、人間居住、水、砂漠、気候等について会議が開催され、国際的な議論が進められた。



写真は岩絵「ロードプラン」


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ホピの危機と人類の危機・・ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(4)

2010-07-25 | ホピの予言と文明の危機
「ホピ・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。続きです。

この本はホピの長老ダン・エヴェヘマと、彼が招へいした白人トーマス・E・マイルズ氏との共著です。

長老エヴェヘマが承認を与え、マイルズ氏が資料を分析して書いたものです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


長老がなぜホピ族の世界を公に語ることを決意したのか?

その理由は、ホピ族の出現から現在に至る「時の物語」の中に記されているのであると彼らは語ります。


*****


(引用ここから)


人々はオライビ村を作り上げ、マサウの教示に従い始めた。

オライビ村の目的は、マサウとの契約を守るために必要な調和と統一を推進することにあった。


村はずっとマサウが教えた祭りの周期と農耕生活の指導に従った。

生活は乱れず、オライビの住民たちはどんなことも結束して行い、長い間繁栄した。

また、「預言」、「聖なる石板」で「ロードプラン」を毎年調べ直すことで、彼らはいつの日か他の国々から奇妙な人々が来ることを心に刻みつけた。


予告通り、スペイン人がやってきたのは1540年だった。

1826年には新たな宣教師たちが押し寄せた。
宣教師の背後にはアメリカ政府があった。

1881年、アメリカ政府は第一メサの近くに政府機関を設置し、はじめてホピの国に足がかりをつかんだ。

翌年には大統領令によって「ホピ居留地」を設置した。

境界線を引かれた部分はホピの領土の十分の一にも満たないものだった。
むろんこの件についてホピには何一つ相談はなかった。

政府は、まず着手するべきはホピの固有の文化を滅ぼし、白人文化に差し替えることであると見た。

そこで、政府は村の活動、とくに祭りに加われないようにするために子どもたちを村から遠く離れた寄宿学校に入れることにした。

伝統派はこれがホピにとって致命傷になることをすぐ見てとった。

ホピが折れようとしないのを見て、政府は軍事力に訴え、強制的に同意させようとした。

ユキオマ率いる伝統派の指導者たちはバハナ(白人)の提供するものを受け入れれば破滅的な結果になり、契約の誓いを守ることができなくなると民に警告した。

しかし政府の考えを受け入れる友好派はしだいに増し、祭りは中断され、家族氏族の関係は引き裂かれた。

1906年には、オライビの紛争は戦争と化した。

オライビの住民は700人に激減した。


その年、両派は伝統的な方法で勝負をし、敗れたユキオマは村を去った。

ユキオマたちはホテヴィラという名の泉に移動し、ここで独自の村づくりを開始した。


アメリカ政府はこどもたちを寄宿学校に送り込み、反対する親を逮捕して鎖につないで刑務所に送り込み続けた。

著者エベヘマは当時10代で、不在の父親たちの持ち場を埋める経験をしている。

ホテヴィラの伝統派は力を取り戻し、いかなる脅迫にもひるまず、政府の要求をはねつけた。


アメリカ政府は、ユキオマの先祖が、創造主伝来の生き方に永遠に従う厳粛な誓いを立てたことなど、知るよしもなかった。

「第4の世界が終わる兆こうが見えたなら、特殊な「警告」と「存続の道」を伝えなければならない」との約束ごとが、その誓いに含まれていることも知らなかった。

白人にとってはそんな知識がホピから来ること自体あり得ないことだったのである。

これほど重大な歴史的役割を、神が原始部族に託することなどあり得ないと、たかをくくっていたのだ。

ユキオマは言った。

「よいですか。
わたしがこのようにしているのは、わたしの民のためだけではない。
あなた方のためでもあるのです。
わたしがあなたがたの命令に屈してみなさい。
バハナ(白人)の道を受け入れてみなさい。
その瞬間、巨大な蛇はのけぞり、海は雪崩込み、わたしたち皆がおぼれ死ぬのです。」


歳月の経過とともに、基準を満たせるホピはますます少なくなってきた。

ユキオマの子ダン・カチョンバが1972年に死ぬと、ユキマオの近親者がホピを治めた。


彼らの在任中、政府はユキオマの時と同様、村にたっぷりと襲撃を加えたため、伝統派は混乱をおこし、契約と伝統の道の砦たるホテヴィラ村の存続を、誰もが危ぶんだ。

次にモノンギエという輝かしい宗教指導者が族長になり、死ぬまでホテヴィラ共同体を治めた。

彼は「ニュースレター(テックワ・イカチ)」の編集者になり、伝統を強固につらぬき、毎年の生の循環を確実に保ち、政府の襲撃に強く抵抗した。

彼は政府のかいらいである「ホピ部族会議」の宿敵となった。

(引用ここまで)


*****


ホピ族は北米インディアン最古を誇る部族であると言われています。

しかし、「ホピ族伝統派」と呼ばれる派は、1906年、ホピ族が外部の勢力を受け入れるかどうかを巡り分裂するに至った時、はじめて現われたものです。

それ以前はホピ族はひとつの部族としてまとまっていたのですが、100年ほど前に部族内が分裂したのです。

そしてその時はじめて、「伝統的な生き方」を主張する一派が歴史上に現われるという逆説的な事態が起き、その出来事がホピの大転換期となりました。

今の長老たちが石板に見るのは、その分裂の印です。

それは避けるすべなくやってきた分裂だったのです。

守護神マサウとの約束を数千年守り通してきた彼らの前に、約束を破る「道すじ」がはっきりと表れてきた時、、、かつて3つの世界が不道徳のために滅びたように、世界は滅びの道を歩むことが判明したのです。


つづく


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ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(3)・・生き残るためのロードプラン

2010-07-21 | ホピの予言と文明の危機
「ホピ・神との契約・・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読みました。


本書は、ホピの長老ダン・エヴェヘマに招かれた白人著述家によって、ホピ族の在り方を文章にしたもので、二人の共著となっています。

テックワ・イカチとは「大地と生命」という意味で、「大地と交わり命を祝う」と解されます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


ホピ族の歴史が、引き続き語られます。



*****


(引用ここから)

長老たちが語るには、古代には世界のどの場所にも、この責任を共有する選ばれた部族がいた。

だが、外国の侵略に文化が屈するに至って、ホピの伝統が世界をつり合いに保つ責任すべてを引き受けた。

そこで、現在と未来のバランスはホピの手に、特にホテヴィラの長老たちの手にかかっているのである。


オライビでの歴史的会見を記念するために、マサウはいくつかの小さな石板をホピに手渡した。

記録と記念の両方の意味がそこに込められていた。

それはオライビでの会見の事実、そこで伝えられたことを証明するものでもあり、近年になって、一番大事な石板が伝統派の正統な所持者から奪われるまでは、毎年祭りを行うたびに参照されてきたのである。


石板の一つは熊族に手渡された。

マサウはホピ族の土地の所有権に関わるシンボルをそこに刻みつけた。

この熊族の石板はホピと他部族あるいは部外者との間に土地問題がおこったときは、今でも証拠に使われている。


第二の石には一層深い意味が込められている。

画面に描かれたシンボルは、預言全体の流れをおおまかになぞるもので、「小道の石」と呼ばれている。

約2000年前の石であるが、現代の視点から眺めると、描かれていることの正確さは目を見張るばかりである。


マサウはホピに「ロードプラン」も与えている。

そこには生き残りを望むホピが引き受けなければならない一本道と、バハナ(白人)が取る混とんへと向かう道が図示されている。

この計画を記憶させ、定期的に参照できるように、ホピ族の指導者たちはオライビからそれほど遠くない岩の斜面に岩絵を描いた。


「ニュースレター(テックワ・イカチ)」に掲載されたオライビでの会見の記事によれば、「彼らにすべての教示を残してからマサウは姿を消した。」という。

これは彼がどこか遠くに去ってしまったことを意味するものではない。

彼はホテヴィラでも他のホピ村でも、民の生活に活発に関わった。

今でも関わっているのだ。

彼はまた世界各地で夜間、火球と輪の形をとって現れている。


(引用ここまで・続く)


    *****


わたしはここに書かれている内容は本当のことであろうと考えています。

古代の人々は世界中でおのおのの“持ち場”を守っていたに違いないと思っています。

それが時の経過にしたがって、形が崩れ、今は“持ち場”を守る人々の数が減ってしまっているのだと思っています。

ホピ族の歴史も本当のことなのだと思っています。

彼らの前にマサウは本当に現われ、互いに交わした「約束」は事実なのだと思います。

そして今もなお、人々の前に現れ続けている、ということも。。


ただ、岩絵については少々ひっかかるものがあります。

ホピ族の歴史は、いくつかの石板が中心となっており、
岩絵「ロードプラン」も重要な証しとして位置付けられていますが、

石板「小道の石」では円環で描かれている“時間”が、なぜ岩絵「ロードプラン」では直線で描かれているのか、よくわかりません。

古代人が、時間を左から右への直線で表わすのだろうか、率直に言って疑問です。。

聞いた話ですが、「ロードプラン」は本来とても古いものなのだけれど、それは別の意味を持っており、今解釈されている説は、近年(100年ほど前)新たに作られたという話も聞いたことがあります。
わたしはその説の方が納得がいくようようにも思います。

その場合でも、問題はないのでしょう。

時の続く限り、与えられたシンボルを見直し、過去・現在・未来のありかたを決めるのが、ホピ族の在り方なのだと思います。

ここ100年の解釈は、この解釈なのではないでしょうか?


写真は「ロードプラン」の岩絵です。
「小道の石」は別の記事に載せます。


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ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(2)・・世界のバランスを保つ仕事を引き受ける

2010-07-17 | ホピの予言と文明の危機
ホピの長老と白人著述家トーマス・E・マイルズの共著「ホピ・神との契約・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

テックワ・イカチとは「大地と生命」という意味で、「大地と交わり生命を祝う」、と解されます。


続きです。

ホピの長老ダン・エヴェヘマは、なぜホピの現状を部外者に話そうと思うに至ったのでしょうか?


筆者たちは、ホピが一番初めに地球上に現れたときから始まる、ホピ族の歴史を語ります。

守護神マサウによって拓かれるこの歴史こそが、ホピの歴史であり、歴史は彼らの魂の旅路そのものだと言っていいかと思われます。

歴史が神話であった頃のこと。。

アダムがリンゴを食べる前のこと。。


ホピの人々の運命がかくも私たちの心を惹きつけるのは、その神話でしか保てないのではないかと思うような無垢な世界を、あえて現世と摺り合わせ、「それでもこれが自分たちの生き方だ。」と堂々と語るところにあるのではないでしょうか。


     *****


(引用ここから)

ホピの人々は、地上に出現した後まもなく、創造主ご自身とマサウに出会った。

マサウは彼らに「平和」を意味する「ホピ」の名を与えた。

ホピは未知の場所で彼らを待っているといわれるマサウを探さなければならなかった。

彼らが創造主と現実に契約を交わし、移動してその命令を実践したことには異論の余地はない。

彼らは信じがたいほど長期にわたってそれを行い、ホピが移動のたびごとに残した集落の数は、考古学者が発見したものだけで15000に上る。


地表に出現した時に、彼らは創造主との間に最初の「契約」を交わした。

「どんな困難に会おうとも、どれほど時間がかかろうとも、マサウを探す旅を続ける」という約束だ。

そして彼らは実際にそうした。


西暦1100年、彼らはついにマサウを発見した。

マサウは大音響が鳴り響く岩の上で毎日足を踏み鳴らし、彼らを引き寄せていた。

後で分かったことだが、この足踏みは創造主の心に対する民の感度を試すものだった。

自分たちのおしゃべりにではなく、創造主の心に耳をそばだてる者だけが、マサウをみつけ、祝福を望めるのである。

忍耐もマサウの尊ぶ徳だった。

マサウは恐ろしいいでたちをしていたが、ホピは逃げるどころか興味を募らせて近づいた。


ホピはマサウに尋ねた。

「共にオライビに定住してよいですか」、と。

マサウは、「わたしの持ち物は穴掘り棒と種、外套と水筒だけだ。」と伝え、こう告げた。

「わたしと同じように生き、わたしの指導、つまりわたしがあなたがたに与える“生命の計画”に従う気持ちがあるのなら、あなたがたは共に住み、この土地を耕してもよい。

あなたがたは末永く幸せになり、実り多き生活を送るだろう。」

人々はマサウの言葉に同意した。

マサウはしばらくホピ族と生活を共にした。

彼が去る時になって、恐れを感じた人々は、「今後も教えを伝え、指導者でいてくれますか?」と尋ねた。

マサウはこう答えた。

「いいえ。
あなたがたが「生命のひな形」を完了するその時まで、あなたがたを導いた者が指導者だ。」

彼は人々の心の中を見透かし、多くの利己的思いが抜けていないことを知ったのである。


マサウはホピを見捨てたわけではない。

だが、日々の問題を処理する責任は人々にあった。

マサウはその方法を彼らに伝授し、「第4周期の終わりに至った時には、また彼が支配するだろう。」と付け加えた。

マサウは教えの期間に、オライビで生活する時に従うべき「生命のひな形」をホピのために定めた。


マサウから与えられた課題は、年ごとに見直された。

人々はその生き方に従う中で教えを実感し、毎日その恵みに浴したのである。

彼らは約束を守り、伝えられたメッセージを今に至るまで保持しているのである。

当時のホピとその子孫が、その仕事を全うしていた人々なのである。


彼らの性質を総合すれば、彼らが選ばれた理由が理解されてくる。

ホピはマサウと同じ質素な生き方に同意したように、マサウの大いなる教えを保持することにも同意したのである。

外部世界の圧政によって彼らの先祖の多くがずたずたにされたという事実も、彼らが着手したことを左右することはなかった。

それは1000年近くも続けられたのである。


ホピには、地表に出現した時に与えられた契約とオライビで与えられた契約という、二つの契約があることを思い出してほしい。

ホピはこの両方を守ることを誓った。

この約束事が、ホピの歴史全体を通して貫かれてきているのである。


ホピはマサウから求められたすべての事をしているので、もう一つの責任を負っていると言われている。

それは、「大地と宇宙をバランスの中で保たせる」責任である。

二つは相互に関連しあい、バランスには独自の機能の仕方がある。

与えられた「ひな形」に添う生き方を毎日送れば、バランスは保たれる。


バランスとホピの生き方は関係しあっている。

それは、世界のどこかで誰かが、大地と人間のバランスを崩すようなことをしていても、地軸を中心に世界が周り、生命を調和ある状態に保たせるに十分なバランスを、ホピが与え得ているということである。


(引用ここまで)


*****

つづく


写真は、マイルズ氏がエヴェヘマから贈られた「パホ・祈りの羽」


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ホピの予言のある風景・・「ホピの太陽」から

2009-10-06 | ホピの予言と文明の危機

文化研究者である北沢方邦さんとお連れ合いの青木やよひさんは、1971年に初めて、ホピの地を訪れておられます。

彼らはその後1975年、1984年と訪問を続けられ、とても貴重な経験を何冊もの著書にまとめておられます。

ホピ族の方たちとの交際から実り多い考察をめぐらして書かれたそれらの著書は、“野生の思考”を取り戻そうとする当時の文明論の流れを、翻訳ものから、日本人による思考として根付かせた役割は大きかったと思います。


1975年、2回目のホピの地訪問を終えて北沢方邦氏が著した本「ホピの太陽」にある、ホピの村の日常のひとこまを、抜粋・引用して紹介します。


         *****


            (ここから引用)

わたし達が出発する前の日の朝、村では泉の清掃儀式が行われていた。

その日は朝から村はなんとなく神話的で童話的な気分に包まれていた。

というのは、静かな朝の村のそこかしこに、鈴の音やカメの甲羅の音、あるいはフー、フーという呼吸音など、それぞれのカチナに固有の響きが鳴り渡り、あの辻、ここの通りにキヴァから姿を現し、見るからに恐ろしげな黒鬼やフクロウなどの姿が、ちらちらと見え隠れしていたからである。

祭りの日ならいざ知らず、きわめて日常的な村のたたずまいに、極彩色のカチナたちが出没するとはなんと幻影的で、超現実的な風景であることだろう。

わたし達は家の窓からこの一服の超現実派の絵のような光景を眺めていた。

そのうちに黒鬼のカチナが一件一件の戸口を回り始めた。

あたりを睨みまわす独特のしぐさをしながら、何やらホピ語の口上を述べ、それに答えた口上を受けるやいなや、隣の家へと去っていった。

やがて各戸から現れた大人たちは、手に手に掃除用の道具をもってメサの下の泉の方に降りていき、また幼い少年少女たちも家々からぞろぞろと現れて、天水溜の方に向かっていった。

シドニー家の末子も素足になって裏口から一人で出て行った。

その間にもカチナたちは村の辻辻に出没し、独特の叫びや声をあげている。

子どもたちは裸足で天水溜に降り立ち、石やごみを拾い出しては捨てていく。

カチナたちはいわば子ども達を監督し、励ましているのだ。

子どもたちはカチナ達にたわむれに追いかけられて、きゃっきゃと逃げ回ったり、また作業に戻ったり、きわめて楽しげに働いている。

わたしは子どもたちの自主性や自立性を尊重しながら、強制を同意に変え、労働を神話的な遊びに変える、このホピの部族教育のすばらしい知恵に打たれた。

ホピではカチナ儀礼以前の子供は厳しいしつけの対象となる。
ときには体罰もくわえてホピの価値体系を教え込む。

小さな虫や植物にいたるまで、すべての生き物を理由なく傷つけ、殺すことはもっとも厳しく戒められる。

無機物も含め、全自然は人間の友愛に満ちた兄弟なのだ。

ついで、怒りとかしっとといった、人間のもっとも醜い感情を表すことは悪いことであり、恥ずかしいことであると蔑まれる。

すべてこうした“ホピ(平和)”の信念に反する行動は“カホピ(ホピでない)”の一語でしりぞけられる。


この時期の子供たちにとって、カチナは実在する精霊であり、子どもたちの集団の背後に無言で存在する宇宙的な監督者である。

氏族の祖父たちや祖母たちから語り継がれる無数の神話や伝説は、彼らの文学であり、芸術であり、こどもたちの想像力は現実のカチナの姿に結び付いてその翼を宇宙の果てまで広げる。


こうしてある時、カチナ儀礼の日がやってくる。

少年少女たちはキヴァの暗闇の中に儀礼父母と共に一人づつ招き入れられ、恐ろしいカチナの手から厳しいむち打ちを与えられる。

そしてむち打ちのあとで、カチナは静かに仮面を取り外し、鞭打った者が、神々の霊ではなく、村の隣人だったことを教える。

この瞬間、少年少女はカチナが、人間によって実行される精霊たちの使者にすぎない現実を認識するとともに、目に見えない精霊たち、言いかえれば超自然的なものと、目に見える全自然と、そしてカチナ仮面をかぶる隣人と同じ人間であるおのれとの、三者の関係を理解し、それらのものの調和の世界の中で、人間の負うべき責任と義務とに目ざめるのである。

彼らはもはや一人前とみなされるとともに、自分たち自身の自立した独自の集団の世界を形成する。

そしてキヴァ結社に加盟し、それによって大人たちとの新しい関係の中に踏み入るのである。

少年たちはそれぞれのキヴァ結社固有の教育を受け、儀礼や祭りのやり方を学び、仮面を作り、モカシンを縫い、カチナ人形をつくる技術を習得する。


男性には、最後にウウチム=成人儀礼がやってくる。

この儀礼はホピの諸祭礼や諸儀礼の中でも、最も恐ろしい秘密の帳に包まれている。

ウウチムの夜、村は封鎖され、外部と完全に遮断される。

村の入口はもちろんのこと、辻辻には一角の兜をかぶり、槍を手にした一角獣結社の屈強な男たちが終夜、警護の陣を張り、キヴァの秘密を盗もうとするものを容赦なく殺そうと待ち構えている。

しかしウウチムは、人類の誕生と受難の秘密をすべて集約した、人間の死と再生の秘儀なのであり、もしこの秘密が破られるなら、ホピのみならず、人類全体におそろしい災厄を招くに違いないのである。


教育的見地からすれば、少年が男となるためには、単に一部族だけではなく、人類と世界全体に対する、この恐ろしいまでの責任の自覚が要求されるということに他ならない。

ここに、われわれの文明に対するホピの教訓がある。

              (引用ここまで)

 
     *****


ここに書かれているウウチム祭などホピの祭りは、たいへん意味深いものと思われます。

次回からホピの祭りについて、紹介していきたいと思います。

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「ホピの予言より」(1978)・・生存のための、もう一つの生き方(2)

2009-10-02 | ホピの予言と文明の危機
前回の記事の続きです。

「ほびっと村」に関わりの深い「プラサード出版」の「やさしいかくめい」(1978年)に掲載された「ホピの予言より」という文章の後半を、ご紹介させていただきます。


              *****

            (引用ここから)


『卍(まんじ)と太陽』

何千、何百年もの間、ホピ族はその様々な儀式を通して、以前の世界のこと、私たちの現世界への出現、そしてここに来た目的などを受け継ぎ、思い起こし続けてきた。

そして彼らは、マサウウの設計通りの質素でつつましい生活、そしてまた全生物のため自然のバランスを保つことへの誓いを新たにしてきたのである。

世界の出来事に関する知識は、各時代が次々と展開していくたびに、それを見守る少数の宗教的グループの間で伝えられてきたのである。

そのリーダーたちは地球を激しく揺さぶるような3つの出来事が続いて起きることに注意を払ってきた。

これらの出来事は、天候、地震、民族の移動、戦争など、種の芽生えから全生命の流れを決定するような力をあらわすいくつかの兆候を伴っていた。

瓢箪(ひょうたん)のガラガラはキーシンボルである。

ひょうたん自体は種となる力を意味する。

儀式において瓢箪を鳴らす行いには、生命力を呼び起こさせるという意味がある。

ガラガラには、古代のシンボル卍(まんじ)が描かれているが、それは種から四方に芽生えるらせん状の力であり、種を芽生えさせ、成長させる太陽の温かさは、そのらせんを囲む赤い輪として描かれている。

卍と太陽で表現された力とは、全世界を揺さぶった初めの二回の出来事に関連したものである。

最初の出来事の暴力と破壊から出現する最も強力な要素は、さらに強い力を得て二度目の出来事の原因となる。

これらの兆候が現実にあらわれた時、この予言の中のこの時代に至ったということが明白になる。


『灰がつまったひょうたん』

ついには「灰がつまったひょうたん」が発明されて空から投下される。

そして太陽の水をふっとうさせ、大地を焼きつくしてしまい、そこには幾年間もの間何も育たなくなってしまう。

これは近いうちに第三度目の最終的な出来事が起こるであろうことを、そして手遅れにならないうちに、人類とそのリーダー達が考えを改めない限り、全生命に破滅をもたらすであろうと全世界に警告するために、ホピ族がその教えを明らかにしなければならないというサインである。

現在、ホピのリーダーたちは、始めの二度の出来事とは、第一次と第二次世界大戦であり、「灰がつまったひょうたん」は原始爆弾であったと信じている。

広島と長崎への原始爆弾投下の後、それまでは秘密に保たれていたホピの教えが再検討され、公開された。

ここで紹介した内容はその教えの一部である。


『浄化の日』

最後の段階は「浄化の日」と呼ばれ、「ミステリーエッグ(神秘の卵)」とも言われている。

教えには卍(まんじ)、太陽、そして第三の力を象徴する赤色が描かれており、それらの行きつくところは全面的な再生、または破滅のどちらかとなっている。

わたし達がどちらに行き着くのかはわからない。

ただし、選択は私たちの手に握られている。

戦争や自然の大異変などが起こるかもしれない。

その破滅の度合いは、世界の人間間のバランスと自然のバランスがどの程度崩れているかによって決定されるであろう。

この危機のおいては、金持ちも貧乏人も生き延びるために、同じように戦わざるをえなくなるだろう。

伝統的なホピ族たちの間では、それが非常に破壊的なものになるであろうということは、当然のことと考えられている。

しかし、人類同士及び自然への接し方を改めることによって、人類にはその破壊の程度を和らげる可能性が残されている。

ホピ族のような昔からの精神的な基盤の上に成立しているコミュニティは保護されるべきである。

また、その賢明な生き方、及び心に誓った自然資源の保護を保てるようにするべきである。


『人類の運命』

ホピ族が自然のバランスを保つ目に見えない力とがっしりと手を結んでいることは、人類の生存にとって重要な役割を果たすことになる。

それは自滅的な人工のシステムに対するもう一つの現実的な生き方の例であり、世界の出来事の核心とも言えるものである。

行きつく先は分かりきっている。

「地球全体は激しく震え、赤く燃え上がり、ホピ族を侵害している者たちに対して立ち向かうであろう。」

現在ホピ族を破滅に追いやっているごう慢な人工的システムは世界中至る所で同じような冒とくを行っている。

予言に語られている、転換によって起こる破壊は自然な流れである。

もし、現在のシステムの中で資産や権力の搾取を行う者たちが、ホピ族の破壊を食い止めることができれば、多くの者は、浄化の日を生き延び、新しい平和な時代に入ることが可能となるだろう。

だが、もしホピ族の生き方を継続する者が一人もいなくなれば、そのような時代の到来は不可能となる。

そのために私たちが立ち向かうべき権力は強大である。

しかし残された道は全滅だ。

だがしかし、一人の人の意思を他人に押し付けるという方法を使っている限り、その人工的システムを変えることはできない。

なぜならそれこそが、問題の根源であるからである。

もし人々が自分自身とリーダーたちの在り方を考え直せば、両者間の断絶は解消されるだろう。

それを成し遂げるには、ひとりひとりが、「真実というものの持っているエネルギー」そのものを信頼するしかない。

ホピ族の生き方の基盤となっているこのアプローチは、人間にとって最も厳しい直面である。

そのために、ごく少数の人しかそれに立ち向かおうとはしないだろう。

だが、この基盤の上に平和が築かれ、そして私たち本来の生き方が実を結ぶことになれば、私たち自身の独創的な能力を賢明に使い、恐れることなく、勇気をもって生きることが出来るであろう。

そしてその恩恵は他者の犠牲の上に立つ少数の者たちだけにではなく、すべての者に行き渡るであろう。

全生命への配慮が、個人的なものを凌駕し、以前に比べてさらにすばらしい幸福をもたらすであろう。

そしてすべての生命は限りない調和を楽しむことになる。


          (引用ここまで)


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