始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

畑正憲の「ヨーシヨシヨシ」・・動物抱きしめ心の交流

2013-12-30 | 心理学と日々の想い



今年最後の投稿になりました。

何にしようかと思ったのですが、畑正憲さんの記事のご紹介にしようと思いました。

畑氏は、麻雀に、ものすごくお強いのだそうです。

その、勘の良さについて、30年近く前に、どこかで読みました。

その文章を探しているのですが、まだみつかりません。

読んだ時の記憶によれば、畑氏は、麻雀と動物との交流とを同じ次元で語っておられました。

私の理解する表現で言うならば、右脳的な直観力が強い方であると思いました。

くわしいことは後日、調べまして、投稿したいと思います。


本年は、お付き合い下さり、ありがとうございました。

どうぞ、よいお年をお迎えください。



                 ・・・・


「畑正憲のヨーシヨシヨシ・・動物抱きしめ心の交流」読売新聞2013年7月14日


動物たちと衣食住を共にする「動物王国」の建設で知られる。

愛称はもちろん「ムツゴロウ」。

動物に接する時が印象的だ。

ヨーシヨシヨシと声をかけ、抱きしめる。

それはどんな猛獣だろうと変わらない、たとえヒグマであってもライオンであっても。


その原体験は満州開拓団の村で育った小学生時代に遡る。

医師だった父がオオカミと犬の雑種を拾ってきた。

「タロといって真っ黒で水かきもあって、近所の犬なんかは相手にしない、とても強い犬でした」。

なつかせようと、母親が赤ん坊をあやす要領で「ヨシヨシ」とやってみた。

「しかし遠くを見てね、全く相手にしてくれない。

おやじの姿が現れるとパッと駆け寄って行ってしまう。

気持ちがむずがゆかった」。

ありとあらゆる動物に憧れ、追い求める根底にあるのは、”ほろ苦い思い出”なのかもしれない。


心を通い合わせることができたと感じたのは、執筆活動を始めた1970年代の始めに、ヒグマ「どんべえ」と北海道の無人島で暮らした時のこと。

「この子の親になるにはどうしたらいいか」。

24時間、徹底して子どもとして接する生活を3年続けた。

どんべえは抵抗し、初めは生傷が絶えなかった。

しかし最後の方で「オッオッオッ」と独特の鳴き声で後追いするようになった。

「僕が現れないと鳴き続ける。母親になれたと思った」と振り返る。




1980年から2001年に放送されてブームとなったフジテレビ系の動物情報番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」。

ロケでは世界中の動物たちと出会った。

時には恋愛関係に発展したと感じたことも。

「象に「お前、好きだよ」と信号を送り続けたら、乗ってこられてね。でも体重はかけない。

ここまできたかと感動しました」と恍惚の表情を浮かべる。

「好きになられちゃったことがたくさんありました。

オンエアできなかったマル秘映像がいっぱいあるんですよ。ふふふ。」



犬と共にドッグフードを食べ、象と汚物混じりの水辺で遊ぶ。

誰にも真似できないムツゴロウ流交流術は、どこを目指しているのか?


「ぼくはね、絶対的に動物側に立つ人間でありたいと思っているんですよ。

やっぱり彼らは言葉で意思表示できないから」。


人間の赤ん坊も同じという。

「動物との付き合い方を教えてくれた存在ですし、人間が端的に現れるのが赤ん坊ですからね」。

街中で赤ん坊をみかけると、やはり「ヨーシヨシヨシ」と構わずにいられない。

動物への人並外れた無償の愛。

その「動物」には人間も含まれているのだ。


                 ・・・・・

HP「ムツゴロウ動物王国」


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「蛇を統御する・・ホピ族の「蛇とカモシカの祭り(3)

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マヤ、紀元前1000年に祭祀建築・・オルメカ文明との関係も

2013-12-28 | マヤ・アステカ・オルメカ



マヤ文明の研究が進んでいるそうです。

                ・・・・・

「マヤ文明・最古の建築物・・紀元前1000年 定説より200年早く」
                        2013年4月26日朝日新聞


中米グアテマラにある古代マヤ文明の遺跡で、日本人らの研究グループが神殿ピラミッドの原型となる最古の建築物を見つけた。

年代測定の結果、同文明の起源が、従来説より200年早まる可能性があるという。

     
                  ・・・・・


同記事について、マヤ文明研究者の青山和夫氏が、読売新聞に次の解説記事を寄せています。



                  ・・・・・


「グアテマラの遺跡で供物発掘・オルメカ文明との関係も再考」2013・06・19読売新聞


16世紀まで中米で栄えたマヤ文明には、統一王朝がなく、地方色豊かな諸王国が共存した。

神聖王であった諸王は、生ける太陽神でもあり、諸都市では、太陽が運航する東西の軸が重要だった。

王や貴族は、公共祭祀建築の神殿ピラミッドに囲まれた大きな公共広場で、公共祭祀を執り行って権力を強化した。

従来は、マヤ低地の農民が土器を使い、紀元前1000年ごろに主食のトウモロコシ農耕を基盤にした定住村落を営みはじめてから、マヤ文明が徐々に発展し、前800年以降に公共祭祀建築が建てられたと考えられていた、

私たちは中米グアテマラのセイバル遺跡において、大規模で層位的な発掘調査を行い、豊富な試料の放射線炭素年代による詳細な編年を確立した。

その結果、マヤ低地で最古の公共祭祀建築と公共広場は、従来の学説よりも少なくとも200年ほど早く、前1000年ごろに建設されたことがわかり、米国の科学雑誌「サイエンス」に発表した。



公共広場の東と西に面する公共祭祀建築の基壇は増改築され続け、前9世紀に、西側の基壇は神殿ピラミッドになった。

初期の建設活動は、従来考えられていたよりも盛んだった。

神殿ピラミッドは、神聖な山を象徴した。

多くの人を動員し、神殿を増改築した上で、さらに大きな神聖な山を築き、権力を今日かしたのである。

グアテマラ高地産のヒスイを含む、計12点の緑色の磨製石斧の供物が、前1000年ごろの公共祭祀の一環として、公共広場に埋納された。

これも、マヤ低地で最古である。


マヤ人にとって、緑は世界の中心の神聖な色であった。

ヒスイは、その神聖な色、稀少性、硬さゆえに支配層の間で威信財として、金よりも重宝された。

当時の中米で支配層が装着した、ヒスイの胸飾りの供物も出土した。

初期のセイバルにも、ヒスイの胸飾りを身に着ける権力者がいたことがわかる。

セイバルや周辺地域の権力者は、緑色の磨製石斧やヒスイの装飾品を埋納する儀式を共有していたのである。


グアテマラ高地からは、鋭利な打製石器の材料の黒曜石も搬入された。

広場では、支配層の間でもっとも重宝された海産貝のウミギクガイに人の頭部を彫刻した胸飾りの供物もみつかった。

基壇内から出土した成人男性の頭蓋骨には、後世の支配層の間で広く行われた、幼少時に板をあてがって頭を人為的に変形する頭蓋変形が認められる。



マヤ文明の特徴は、その興った当初からすでに形成されつつあった。

これまでマヤ文明の起源に関して、マヤ低地の西隣、メキシコ湾岸で栄えたオルメカ文明(前1200年から前400年)の一方的な影響によって興ったとする説が提唱されてきたが、再考する必要がある。

マヤの人々は、オルメカ文明の特徴の巨石人頭像を取り入れなかった。

オルメカ文明のラ・ベンタ遺跡では、公共祭祀建築はセイバルより遅く、前800年以降に建設された。

従来の見方とは逆に、マヤからオルメカへの影響も考えられる。

マヤの人々は、地域間ネットワークに参加して、グアテマラ高地産の翡翠や黒曜石、海産貝のような重要な物資だけでなく、観念体系や美術・建築様式などの知識を、取捨選択しながら交換して、マヤ文明を築き上げて行った。


中米は、独自に文明が誕生した世界でもまれな地域である。

マヤ文明の形成過程の解明は、中米だけでなく、人類史を考える上でも重要である。

今後はセイバル付近の湖において、マヤ地域で初めて発見した年縞(ねんこう)・・湖底に年にひとつ形成される「土の年輪」から、環境変動を高精度に復元し、マヤ文明の盛衰との相互関係を探究すると共に、セイバル周辺部を調査して全社会階層の研究をすすめる予定である。

   
               ・・・・・

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カエルを捕える白蛇神・・弁才天の変身(3・終)

2013-12-26 | 日本の不思議(中世・近世)


山本ひろ子氏の「異神」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


           (引用ここから)


経典は、次のように述べている。


              ・・・

舎利弗は次のように尋ねた。

「なぜ未来世の貧しい衆生に福徳を施すのですか?

いかなる因縁で、衆生の運命は貧困から富貴へ、また富貴から貧困へと転変するのでしょうか?


仏は答えると、城の北西の方角に向かって三度弾指した。

すると乾の方角から、一人の美しい天女が現れた。

頭上に白蛇を乗せ、四方に如意宝珠、ほこ、剣、棒をたずさえた天女は、15人の童子と35000の眷属を率いていた。


仏の前に進み出た天女は「如意宝珠」という名の神呪を受持していると告げ、その由来を次のように語る。



「如意宝珠は悠久の昔に空王如来より授けられたものです。

「宇賀神王」はこの力を仰ぐことにより、福の神として貧窮無福の衆生を利生してきたのです」というのだ。


仏は「宇賀神王」を讃嘆しつつも、次のように言う。

「その福徳にあずからない者もいる。それは障碍神(しょうげしん)である」。


「宇賀神」の住まう所は、吉祥の方位であった。

しかしその反対側、辰巳(東南)には三悪神がいるという。


三悪神とは「飢渇神」、「貧欲神」、「障碍神」という名の悪神である。

経文には彼らのおぞましい姿が描かれているが、とりわけ「貧欲神」は“ガマ”と表現されている。


「宇賀神」が降伏する対象は、しばしば“ガマ”の姿をとる。

「宇賀神」の冠上の“白蛇”は、“ガマ”の姿の「貧欲神」をしりぞけ、剣の力で「障碍神」を破り、如意宝珠の効能で「飢渇神」を降伏する、という。

「宇賀神王」は三悪神のいる辰の方向と対峙していることで、三神の障碍の働きを封じているのだった。


舎利弗が再び、仏に向かって問う。

「なぜ長者は今世に七度富貴、七度貧困になったのか」の因縁を尋ねる。


すると仏は、「長者が仏事を怠ったため、「荒神」の怒りをかい、福徳を奪い取られて貧と福が逆転した」と答える。

七貧の原因は荒神にあった、とされるのだ。


この経典から、「宇賀神王」の物語は、仏典に「荒神」因縁譚を取り込んだものであることがわかる。

そのためにプロットに無理がありストーリーの展開がなめらかでないにしても、福を与える者と奪う者という両極の関係において、「宇賀神」と「荒神」が劇的に交渉する場面が浮かびあがってくるのだ。

  
             (引用ここまで)


                *****


筆者の論考はまだまだ続くのですが、今回はこのあたりで止めておきます。


蛇年の蛇が十二支の中にあるように、蛇と人間は深いかかわりがあるのだと思われます。


年明けには弁才天の信仰、天台宗の信仰、荒神の信仰、神仏混交に分けて、調べていきたいと思います。


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比叡山と白蛇のすがたで現れる神・・弁才天の変身(2)

2013-12-24 | 日本の不思議(中世・近世)


山本ひろ子氏の「異神」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

  
           (引用ここから)


宇賀神。異貌の弁才天女。

「記紀」はもちろん「延喜式神名帳」にも登場しない「人頭蛇身」のこの像は、10世紀半ばにはその名を現すが、恐らく院政時期ごろから成熟し、中世を通して独特の姿と信仰を宗教史上に刻みつけていったのだ。

本稿の主題は、中世という時代の中で「宇賀神」とは何であったのか、どのように信奉されたのかを、中世の比叡山延暦寺における行法と言説を通して明らかにすることにある。


なぜなら比叡山こそ、「宇賀神」信仰最大の拠点であったと考えられるからだ。

比叡山の典籍中、「弁才天」に関する言説が集中して見えるのは、花園天皇の文保2年(1318)に成立した「渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう」」だろう。

同書は密教の行法に関する比叡山の口伝記録を集めた大著で、「弁才天法秘決」と「弁才天縁起」が収められている。

これらの経典はすべて日本で作られた「宇賀弁才天」のための偽の経典である。

これらの偽経典は、同書が成立する14世紀の初頭までにすでに成立し、伝えられていたわけで、「宇賀神」の素性とその世界を考察していくことは、ひとえにこれらの偽経典の解読にかかっている。


            (引用ここまで)


              *****


筆者は、このように説明して、偽経典を紹介してゆきます。

     
              *****


             (引用ここから)


ある時、竹林精舎で、釈迦の大光明が十方世界を照らすことがあった。

おそれおののく大衆を前に、金剛手菩薩は「宇賀神将」の因縁譚を語りだす。

するとこの時、「宇賀神王」が忽然と姿を現すのである。

その姿は、“天女が頭に頂く宝冠の中には、眉毛の白い、老人の顔をした白蛇がいる”というものであった。

この奇怪な姿こそ、世に「宇賀弁才天」と称される尊の姿なのだ。

「宇賀神王」は西方浄土にあっては無量寿仏、娑婆世界では如意輪観音であるという。

また、ダキニ天、大聖天、愛染明王などにも変貌する。

こうして「宇賀神王」の変貌を説き終えた釈迦は、「宇賀神王」出現の由来を語る。

「過去、私は貧女であったが、仏により「宇賀神王」法を受けるとたちまちに大福長者となった。

この因縁によって、三世の諸仏出現の際に、「宇賀神王」も現れて、衆生を利益するのだ」と。


そして「宇賀神」の供養の仕方が示される。

1・供養の時期は、白月(月の一日から十五日までの間)とすること。

2・祭壇場は清浄な部屋か霊験のある社、または深山の峰や樹下、あるいは人里離れた場所を選ぶこと。

3・壇には百味の供え物を供えよ。

4・行者は百日間潔斎せよ。そうすれば一切のことは七日を過ぎないうちに成就するだろう。

5・白月に行法を行えない者は、巳と亥(たつみとい)の日を用いるように。


上の供養法で目につくのは、屋内の道場の他に野外祭場があげられていること、

また「宇賀神」の縁日として巳と亥が指定されていることだろう。

これは後に述べるように、荒神信仰との類似を思わせる。

さらに教理は、“蛇の翻るがごとき印を七度振る”というきわめてシンプルな作法に凝集されている。


           (引用ここまで・続く)

(真ん中の写真は「異神」より・頭に鳥居と蛇老人を乗せた弁才天。)

               *****




>するとこの時、「宇賀神王」が忽然と姿を現すのである。
>その姿は、“天女が頭に頂く宝冠の中には、眉毛の白い、老人の顔をした白蛇がいる”というものであった。

この不思議な姿が、偽経を作ってまで、天台宗の経文として、保存されているとしたら、非常に奇妙なことだと思えます。

奇妙なのは、弁才天なのか、宇賀神なのか、天台宗なのか、、ちょっと判断がつきかねます。

宇賀神の供養の仕方も、普通ではありません。
妖しすぎます。。

>2・祭壇場は清浄な部屋か霊験のある社、または深山の峰や樹下、あるいは人里離れた場所を選ぶこと。

なぜ仏教に、このように民間宗教的な要素が内包されているのか、たいへん興味深いです。


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白蛇のすがたで現れる神・・弁才天の変身(1)

2013-12-22 | 日本の不思議(中世・近世)



2013年・蛇年のうちに書いておきたいと思っていたことがあります。

たしかお正月頃に、新聞におもしろい写真が載っており、切りぬいておきました。

記事の写真は撮ったのですが、なぜかその後切り抜いた記事が行方不明になり、どうしたものかと思っていました。




記事は上のもので、蛇の体に老人の頭が乗っている像が紹介されていました。

悪趣味ですが、インパクトが強く、どこのお寺か神社にあるのか知りたいと思っていました。




先日やっと、この像がどこにあるのかが分かりました。

これは、東京の井之頭公園にある弁才天のお堂のそばに建立されているものだと思います。

「井之頭公園・弁才天へようこそ」

トップ画面の右下の再生ボタンを押すと風景が変わります。5つ目に“蛇に老人の顔”の像があります。


そこで、“蛇に老人の顔”の像はどんな由来があり、それと「弁財天」はどのような関係にあるのかを調べてみました。


“蛇に老人の顔”の像は、「宇賀神」と呼ばれていることが分かりました。

ウィキペディアには以下のように説明されています。


           ・・・・・


「宇賀神(うがじん)」は、日本で中世以降信仰された神である。

その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性など一様ではない。

その出自は不明である。

また、蛇神・龍神の化身とされることもあった。

これが比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体した。

この合一神は、「宇賀弁才天」とも呼ばれ、「宇賀神」はしばしば「弁才天」の頭頂部に小さく乗る。

その際、鳥居が添えられることも多い。

出自が不明で、経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、「宇賀神」は、「弁才天」との神仏習合の中で造作され案出された神、との説もある。

「宇賀弁才天」への信仰は、天台宗比叡山延暦寺に近い近江国・竹生島を中心に、安芸国・厳島、相模国・江ノ島など全国に広まった。

これらは、明治の神仏分離の際に市寸島比売命(いちきしまひめ)などを祭神とする神社となっている。

鎌倉市の宇賀福神社では、宇賀神をそのまま神道の神として祀っている。


               ・・・・・


そこで、「宇賀神」について書かれた本を探してみました。

山本ひろ子氏の「異神」という本を読んでみました。

この本は「渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)」という中世の比叡山の書物に載っている資料を用いて書かれていました。

この中世の本については、別の人が書いた本の紹介がありました。

                     ・・・・・

名古屋大学出版会HP 田中貴子著「渓嵐拾葉集の世界」

天台宗の「百科全書」とも言われる『渓嵐拾葉集』は、仏教教理のみならず多くの説話や巷説、和歌を含み、中世の思想・文学・歴史の一大資料となっている。

その作者・ 諸本・成立背景等を明らかにするとともに、説話の場に光をあて、同書を結節点とする中世文化のネットワークに迫る。

                     ・・・・・


では、山本ひろ子氏の「異神」のご紹介に入ります。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                    *****


                 (引用ここから)


日本にあって「弁財天」はその功徳ゆえにしばしば「弁財天」とも表記され、池や側などの水辺に祀られて崇敬されてきたのは周知の事実である。

ところが日本にはこの「妙音弁才天」の他に、もう一種の「弁才天」が存在した。

こちらの「弁才天」は頭の上に「宇賀神」という奇妙な神を乗せており、そのために「宇賀弁才天」と呼ばれた。

では「宇賀神」とはどのような姿であったのか。

江戸期の学者の語るところをみてみよう。


                ・・・

宇賀神とて頭は老人の顔にし、身体は蛇体に作り、カエルを押さえたる様をして神社に安置し、祀る時には一器に水を盛り彼の像を入れ、“天の真名井の水”などと文をとなえてその像を浴す。

                ・・・

続き、記事には次のようにある。

                ・・・

「宇加耶」は梵語にして「白蛇」と訳す。

されば、もと密教の修行法にして、神人が伝えてこの法を修行したと見る。

ただ俵の上に蛇を作り、これをも「宇賀神」といふ。

いと古きものなり。

                 ・・・


ここには「宇賀神」にまつわる秘密の多くが、不明瞭ながらも語られている。

頭上に蛇を乗せた「弁才天」は、「宇賀弁才」とも呼ばれること、

「宇加耶」とはサンスクリットの「白蛇」の意味で、密教徒の行った修行法が神祇信仰に取り入れられたらしいが、

伝統的な密教にはそのようなものはなく、中世に作為されたものであること。

江戸時代にも、宇賀神の像が神社などで祀られ、信奉されていたことがわかる一方で、この神の生い立ちや名称の由来などがすでに不明になっていたことが知られよう。

 
              (引用ここまで)


                *****


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「三陸復興国立公園」をPR・第1回アジア国立公園会議・・自然通して震災復興

2013-12-20 | アジア


先月行われた「アジア国立公園会議」という国際会議について、10月に書かれていた記事です。

                ・・・・・

「三陸復興国立公園をPR・・第1回アジア国立公園会議」2013年10月14日


自然環境研究センターの渡辺綱男さんに伺いました。

「第1回アジア国立公園会議」が来月、仙台市で開催されますが、どのような議論が行われるのですか?」

アジアは経済発展が著しいが、人の暮らすゾーンと自然との距離が近く、生物多様性も豊かだ。

自然と対峙せず、自然の中で生きるという、共生の知恵があり、地震や台風などの自然災害にも対応していた。

来年11月にシドニーで「世界国立公園会議」が開催されるが、その前にアジアの考えをまとめる狙いがある。

具体的にはアジア地域23か国からの行政関係者や研究者ら約500人が参加し、各国での公園管理の手法や自然災害への対応、エコツーリズムなどについて意見交換する。

日本は、東日本大震災からの復興を目指して今年5月に指定された「三陸復興国立公園」もPRする。


米国では国が土地を購入して公園を指定するが、日本などアジアで私有地を指定することもある。

アジアでは公園内とその周辺で暮らす人がいる中で、生活の場と公園の保護をどう調和させるかが課題になる。


そのモデルとして、「三陸復興国立公園」には各国の注目が集まっている。

人を遠ざけて自然を守るのではなく、700キロメートルの遊歩道を整備して三陸の自然・文化をつなぎ、観光客を呼び込みながら地域を再生させていく。

会議の開催期間には、参加者が現地を視察するイベントもある。

震災を経て海の豊かさと厳しさを知った我々だからこそ、世界に発信できることは多い。

(写真はwikipedia「三陸復興国立公園」より)

  
                 ・・・・・

会議後の記事もありました。
      
                 ・・・・・


「自然保護へ連携強化を 「国立公園会議」が憲章発表」

                       読売新聞2013.11.17 1


 仙台市で開催中の第1回アジア国立公園会議は最終日の17日、防災や減災に貢献する自然公園の役割を強調し、政府や企業、非政府組織(NGO)が連携して保護に取り組むことを盛り込んだ「アジア保護地域憲章」を発表した。

 憲章は、アジアの豊かな自然環境が急速な都市化で脅かされ、計画性のない開発行為のため自然災害による被害のリスクが増していると指摘。

国立公園などの自然保護地域を適切に管理することで、生態系保全と開発の両立や、防災・減災の取り組みを進めるよう求めた。

 また地域経済に利益をもたらすエコツーリズムの推進や、政府と民間の連携強化も提言している。

 会議は国際自然保護連合と日本の環境省が主催。

5日間で46の国・地域から約800人が参加した。


                ・・・・・


アジアの生物の多様性を示す記事もありました。


                 ・・・・・


「3年で123種の新種発見・・ボルネオWWF報告」
                 朝日新聞2010年5月11日


世界最長の昆虫に、空飛ぶカエル・・東南アジアのボルネオ島で、この3年間に少なくとも123の新種の生物が発見された。

世界自然保護基金(WWF)が報告書をまとめた。

マレーシアとインドネシア、ブルネイにまたがる同島の熱帯雨林を保護するため、3国は共同して2007年、22万平方キロメートルを「ボルネオの心臓部」と命名、研究者らが環境調査をおこなった。

この結果、植物67種、無脊椎動物29種、魚類17種などの新種が見つかったという。

全長57センチ、体調36センチに達するナナフシの他、大きな水かきや腕と脚の膜を使って樹木の間を15メートルも滑空するカエル、、頭の3倍もの長さの尾を持ち「恋矢」と呼ばれる針で交尾時の相手にホルモンを打ち込むナメクジなどだ。

月に3種以上のペースで新種が発見されたという。



1978年に報告され、絶滅が心配されていた体調7センチのカエルは見つかった個体を解剖した結果、完全に肺がないことが確認された。

報告書は「現地は生物多様性の面では、地球上で最も豊かな場所の一つ。
新発見された生物種の数と多様性から、3国による保護が重要なことが裏付けられた」としている。

                   ・・・・・

「第一回アジア国立公園会議」HP


wikipedia「三陸復興国立公園」より

三陸復興国立公園は青森県南部から宮城県北部に至る三陸海岸一帯を占める国立公園。

東日本の国立公園では唯一ともいえる本格的な海岸公園である。

管理上では、北部の八戸・宮古地区と南部の大船渡地区に分割される。面積は12,212 haである。

1955年5月2日に陸中海岸国立公園として指定。

2011年に発生した東日本大震災による津波で、指定区域が大きな被害を受けたことを受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、2013年5月24日に、青森県の種差海岸階上岳県立公園及び八戸市鮫町の2地区を編入の上、現在の名称に改められた。

今後2014年中に南三陸金華山国定公園を編入することを目指しており、続いて宮城県の県立公園の編入も検討されている。

公園の名称は復興状況を見て、将来的にふさわしい名称を検討する。

三陸の豊かな自然や文化に触れるための遊歩道の整備のほか、震災により被害を受けたキャンプ場などを保存するなど、津波の脅威を学ぶことができる国立公園を目指す。


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子供ミイラの仮面、生前そっくり・・5000年前、チリ先住民

2013-12-18 | インカ・ナスカ・古代アンデス


「子どもミイラの仮面、生前そっくり・・5000年前、チリ先住民」朝日新聞2013・4・22

南米チリの先住民族、チンチョロ族の、約5000年前のミイラのマスクをCTで調べたところ、目や鼻や口の位置を合わせて、故人のおもかげを残すように作られていたことがわかった。

装飾性よりも亡くなった人のことを思う気持ちを重視したらしい。

チンチョロ族は7000年前頃から、ミイラ作りをしていたと考えられている。

ツタンカーメン王のミイラなどで有名な古代エジプト文明より2000年以上古く、最古のミイラ文化とされている。

国立学博物館の篠田健一人類史研究グループ長らが、身長約70センチの一歳未満の赤ちゃんと見られる遺体を撮影した。

その結果、顔にすっぽりとかぶせられた土製のマスクは、目や口を示す赤ちゃんの顔に正確に合わせて掛けられていたことが初めて分かった。



チンチョロ族が暮らしていた地域の河川には、付近の火山から噴出した有毒物質が溶け込んでいたと見られている。

CTでも、骨に重金属の蓄積の痕跡が確認できた。

篠田さんは「チンチョロ族の社会は、有毒物質で子供が多く死亡する社会だった。亡くなった子を忘れないように、親が面影を残したマスクをかぶせておいたのではないか」と話した。


                  ******


最初のミイラは7000年前に作られたというのですから、驚きです。

想像を絶するほど古く、アンデス文明はエジプト文明よりはるかに古い歴史をもつのだと、改めて思いました。

子どもにかぶせられていたという5000年前のマスクの表情はいきいきと、あどけなく、愛らしく、色も鮮やかで、じっと見ているととても不思議な気持ちになります。

子どものミイラが展示されていた「国立博物館特別展・グレートジャーニー人類の旅」HP
2013・3・16~6・9(映像がある部分はリンクが張れませんでした)

この特別展は、行きたかったけれど行けず、残念でした。


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「英語の次に中国語」有益

2013-12-16 | アジア



                 ・・・・・

「英語の次に中国語」有益
              
              読売新聞2013年5月12日 山内昌之「地球を読む」

            (中略)

これから重要になるのは、学問や芸術の領域を別として国際競争をリードするグローバルエリートを国内において育てるのを怠った日本において、グローバルリーダーとして名実ともにふさわしい人材を、大学がいかに養成するかといった問題であろう。

あえて語学に関してのみ提案しておこう。

それは、日本の大学が東アジアに存在しながらグローバル化している現状を踏まえ、外交安全保障や経済活動、ひいては文明論的な重要性を理解しながら、中国語を英語の次の語学として重視することだ。


すぐに英語と同じ水準や能力をもつ必要はない。

とりあえず、入試やそれ以後の英語の成績でトップレベルの希望者を相手に、ネイティブ教員によって、中国語を集中的に教えればよいのだ。

その結果として、日常会話から司馬遷や杜甫や「三国記」といった古典まで読み込み、エリート教養人として将来の安全保障論争や多国間の商取引といったタフな交渉や議論の基盤を鍛えるのである。


日本の企業では、中国人やシンガポール人の採用が増えている。

母語に加え、流暢な英語と、日常会話に不自由しない日本語の3か国語を駆使するグローバル人材と、英語力も教養も貧弱な日本人大学生のどちらを採用するか、雇用側からすれば自明であろう。


中国は今、外交安保の脅威となっているが、広大な市場でもあり、文明論的に日本が無視できない歴史的実在であることも否定できない。

中国は尖閣諸島の領有権主張にあきたらず、新たに沖縄帰属が未解決とまで言い始めた。

情緒的な批判や感性的な共感では、中国と長期的かつ戦略的に対峙していくことはできない。

大学でグローバルリーダーに不可欠な資質として、健全な愛国心とバランスのとれた中国の言語や歴史に関する教養を身に着けることは、中国本土人だけでなく、中国系外国人の間に人脈を作る利点にもつながる。

それは企業利益のみならず、将来の紛争解決に寄与する交誼を個人的に深める意味で、日本の公益、ひいては国益を根本から支える道すじである。

プルタルコスはその教育論で次のような詩を紹介していたではないか。

「まだ子供の間に 立派なわざを教えねばならない」


               ・・・・・

大学の本質的な意義を文明論的な視野で論じていて、面白いと思いました。

今時の大学生、、と呼ばれて久しいですが、天下国家の人材の育成機関にもなりうることを改めて認識しました。

そして、今起きている日中間の軋轢といった問題を解決するには、中国文化と日本文化の深い理解が鍵になると、改めて思いました。

どうあがいても、漢字を用いずに、自分の思うところを述べることは、不可能なのですから。

日本の文化に誇りを持ち、かつ、中国の文化にも敬意を持つことが、根本的に大切なことであろうと思います。


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ペルー古代神殿のレリーフを発見・・3000年前の遺跡に人物・猛禽類

2013-12-14 | インカ・ナスカ・古代アンデス


「ペルー古代神殿のレリーフを発見・・3000年前の遺跡に」読売新聞2013年10月25日


ペルー北部のワカ・パルティーダ遺跡で約3000年前の神殿跡から、高さ約3メートル、幅2メートル超えと見られる、巨大な人物とワシのような猛禽類のレリーフの一部が見つかった。

今年8~9月の発掘調査で柴田幸一郎・神戸市外語大准教授が発見した。


この遺跡では2005年、古代アンデス文明で最大のジャガーのレリーフ(高さ約3メートル、幅約4メートル)が発見されており、神殿全体を覆うレリーフが残る極めて貴重な遺跡の可能性が高くなった。


遺跡は、首都リマから北西約400キロの海岸地帯にある。

神殿跡は南北28メートル、東西30メートル以上、高さは10メートル以上。

三段の基壇上に、部屋や回廊などがあり、レリーフは頂部の部屋の東と南の外壁を飾っていた。



人物も猛禽類も、残っているのは下部の約1メートルほどで、全体の3分の1ほどと見られる。

人物は足首から下が怪物の横顔になっており、すねの骨が透けた超人的な存在として表現される。

古代アンデスで神聖視されていた猛禽類は、尾羽や脚が確認できた。

古代アンデスのレリーフは粘土製のため、風雨などで劣化しやすく、現在まで残っているものは少ないが、この神殿は後世の神殿建設の際に石などで埋められたため、保存状態が良好だった。


芝田教授は「位置や組み合わせが明確に分かることから、古代アンデスの人々が信仰した世界観を知ることができる。

「未発掘部分にはまだ10面以上のレリーフがあるはずだ」と話す。

大貫良夫・東京大名誉教授は「これだけ大規模にレリーフが見つかった例はない。大発見だ」と話している。

     
            ・・・・・

大発見の記事に、心おどりました。


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地球は6度目の絶滅の時を迎えている・・温暖化のゆくえ

2013-12-12 | 環境(ガイア)
 

            *****

2010年9月24日読売新聞

「人類の繁栄、危機生む 6度目の大絶滅」


この半世紀たらずで世界のエネルギー消費量は3倍近くに増え、穀物需要も2倍になった。

地表の1割が農地になり、森林の減少は歯止めがかからない。

世界の人口は坂本竜馬が生きた150年前の約5倍に膨れ上がった。


≪ 6度目の大絶滅 ≫

地球はいま、6度目の大絶滅時代に入っている。

未知のものも含めると3000万種もの生き物がいると推定されるが、絶滅種は1年間に4万種にも及ぶとの説もある。
国際支援保護連合によると、世界の野生動植物約4800種のうち、17000種が危絶滅の危機にさらされている。

レッドリストは、哺乳類490種で全体の21パーセント、両生類9998種で全体の30%、爬虫類1677種で全体の28パーセントが絶滅危惧種に指定されている。

この生態系の危機は、人類の繁栄が引き起こしたようだ。

国連によると、2010年の世界の全人口は69億人、1970年の約2倍になった。

増加のスピードは衰えず、2050年には91億人に達するという。


人口増に伴い、食糧の需要も急増。

2010年の米、トウモロコシ、小麦などの穀物需要量は22億トンで、1970年の2倍の水準だ。

食糧増産のため灌漑が進んだ。

世界の灌漑耕地面積は1970年の約1億7000万ヘクタールから、2008年には約3億ヘクタールに増えた。

耕地面積全体で見ると、地表の12パーセントに及ぶ。


農業には大量の水が必要だ。

河川や湖沼などからの取水量は約4400立方キロリットルで、20世紀初頭の約8倍にまで増大している。


国連事務総長が「最悪の環境破壊」と呼んだ中央アジアのアラル海は、灌漑がひきがねとなり、干上がっている。

中国黄河では水を取りすぎ、河川の水が河口まで達しない断流も起きた。


食糧問題は海にも及ぶ。

蛋白質源として魚の需要が増大している。

タラやスズキなどの大型魚の漁獲量は、北太平洋だけでは半世紀で3分の1になったという。

世界の食用の漁獲量は、年間約6000万トン。

1980年代までは増え続けていたが、漁業資源の枯渇から現在は養殖が増えている。

東南アジアでは、エビの養殖場を作るためにサンゴ礁やマングローブが壊された。

それが津波被害を拡大する原因にもなっている、と指摘されている。


FAOによると2000年からの10年間に毎年520万平方メートルの森林が失われている。

農地への転用などで消失した森林は、年間1300万ヘクタール。

世界一の熱帯雨林アマゾンをっ帰る南米では年間400万ヘクタール、アフリカでは年間340万ヘクタールの森林が失われている。

いずれも生物種が豊かな地域、ホットスポットだ。


人口は都市部に集中していく。

国連によると2009年に初めて都市人口が農村人口を上回った。

2050年には、世界人口の3分の2が都市で暮らすと予想される。

エネルギーの消費の増大も目立つ。

BPの統計では1965年の世界のエネルギー消費は原油換算で約40億トンだったが、2008年には110億トンを超えた。

こうした化石燃料の大量消費により、大気中の二酸化炭素の濃度は上昇を続ける。

平均気温は上昇カーブを描き、高地や極地の氷河は年々減っている。

「気候変動に関する政府間パネル」の報告書によると、CO2の排出がこのまま増えれば、今世紀末までに地球の平均気温は最大6・4度上昇する可能性がある。

平均気温の上昇が1,5~2,5度を超えると動植物の2~3割で絶滅リスクが高まるとも予測されている。


動物や植物は地球の表面だけで生きている。

海の深さは最大で10キロほど。
地球を直系1メートルの球とすれば、1ミリ弱でしかない。

人類もその薄皮のような生物圏で生まれた。

長い間動物の一種として控えめに生きてきたが、最近になって大きな力を手に入れ、地球の表面を荒し始めた。

その結果として起きているのが温暖化、生態系の破壊、砂漠化、海の汚染。

今私たちの目の苗にある地球環境問題である。


人間の破壊パワーが一気に大きくなった時期は3回ある。

1回目は約1万年前に農耕牧畜生活に入った時だ。

生産力が上がり、古代文明が誕生した。

人口も増え森が農地に代わった。


2回目は18世紀後半からの産業革命。

化石燃料を手にして、産業活動が一気に拡大した。


3回目は20世紀だ。

産業革命の続きだが、特別な100年間と考えざるを得ない。

人間活動の規模が爆発的に膨張し、地球の浄化能力を超えて汚染が広がった。

人口は16億人から61億人に、穀物生産は約7倍、鉄の生産は約30倍になった。

海が埋められ、道路や巨大都市が建設される。

地球の表面は私たちの人生でも実感できる速さで変貌している。

それを支えるエネルギー消費がいかに激しいか。


石油は主にジュラ紀など恐竜時代にできた。

1億年もの間、地下に眠っていた資源を人類は2~300年という「一瞬」で使い切ろうとしている。

誰もがこんな時代が続くはずがないと思っていたが、問題への本格的な取り組みは1990年頃の冷戦の終焉を待たなければならなかった。

核戦争の恐怖が消えたことで、地球環境問題が世界共通の脅威として認識されるようになった。


1988年の秋の国連総会で、当時のソ連外相が、転換期を象徴する歴史的な演説をしている。

「我々は開発活動によって、ソビエトの生命の基盤である環境が破壊される現実に直面している。

この脅威の前では、軍事に基づく国家の安全保障は時代遅れだ。

生物圏として見れば、国境に意味はない。

すべての人たちは同一の気候システムを共有している。

軍事力に基づいた東西対立の安全保障観から、生態系に基づく地球規模での安全保障観への転換が必要だ」。


世界の動きは早かった。

1992年には「生物多様性条約」と「気候変動枠部位条約」ができた。

地球環境保護の、双子の条約である。

「持続可能な開発」を問う新しい環境哲学も産み出された。

乱開発を止めて生態系のバランスを守る。

化石燃料の使用を減らして温暖化を止める。

突き詰めれば、二つの条約には、住みよい地球を取り戻すためにしなければならないことが集約されている。


ただすでに、地上面積の1割が耕地になった。

灌漑に水を取られて川は細り、乱獲で漁獲量は減っている。

こうした人間活動を一気に止めて、遠い昔の地球に戻すことはできない。

まずは悪化にブレーキをかけ、回復が不可能になるぎりぎりの転換点を回避することを目指す。

二つの条約は人類の反省と知恵から出来た。

21世紀は条約に基づいた行動を強める時期だ。

地球を荒らすのも人間だが、直すのも人間だ。

                   *****


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先住民族学校、祖先を知る・・台湾

2013-12-10 | その他先住民族

               ・・・・・

「先住民族学校」祖先を知る・台湾 2013・08・09読売新聞


台湾東部・台東市の中心街から車で約20分離れた自然豊かな郊外の村で、先住民族・ピュマ族が自らの伝統文化を、その子供たちに教える「集落学校」が開かれていた。

ピュマ族で元軍人の林三郎さんが、クマよけの鈴のように腰につけて音を鳴らす伝統的な鉄器の使い方を子供たちに教えた。

「森の中で、敵と遭遇すれば、音のリズムが変わる。遠くにいる仲間に伝える警報機能があるんだ」

続いて、刀や楯の使い方も、実演をまじえた解説した。

ピュマ族は現在約13000人。

日本でもコンサートを開く女性歌手・張恵妹さんもその一人だ。

別の先住民族との縄張り争いを繰り返し、17世紀には台湾を占領したオランダにも抵抗した歴史を持つ。

林さんが紹介した武器類は、今では使われておらず、子供たちは興味津々で見入った。

この「集落学校」は、馬英九総督が打ち出した、先住民族に対する教育振興政策の一環として、今年設けられた。

授業は普段の土曜日や夏休みなどにある。

12才から15才の約30人が武器の扱いのほか、固有の言語や歴史、伝承、祭事など、学校教育カリキュラムには無い内容を3年間学び、民族のアイデンティティーを養う。

この日臨時の助っ人や教師として呼ばれた林さんを含め、教師も全員ピュマ族だ。

学費は無料、志願して入学した楊揮祖君は、「特に弓矢を習うのが面白い。家にいるより楽しい」と話し、評判は上々だ。

入学時に面接を課されるが、元警察官の校長によると、「選ばれたという名誉な気持ちを持たせるため」だという。

台湾当局は、ピュマ族を含め14の先住民族の「集落学校」を、10年間で30校以上設置していく計画だ。

背景には、多数派の漢族文化の流入で、先住民族の固有文化が失われつつあるとの危機感がある。

ただ武器類の扱い方などは実生活に役立つのか、意味はあるのか。

そんな疑問をぶつけると、校長はきっぱりと答えを返した。

「われわれの祖先がどうやって生きてきたかを知ることには、大事な意味がある」


              ・・・・・

読売新聞2013・05・13には、次のような記事がありました。

              ・・・・・



台湾の山岳地帯で自然と先住民文化を満喫するエコツアーが人気を呼んでいる。

森林と共生するブヌン族が案内人だ。

台東県の中心地から車で30分、亜熱帯高木のアコウなどがそびえる海抜500メートル以上の森林に、人口約900人のブヌン族の集落がある。

年間約15000人が参加する「森林文化博物館」と名づけられたツアーの拠点だ。

主催者は地元育ちのマティカラン・アリマンさん。

ツアーに先立ち、山で部族の繁栄を守っているとされる祖霊に酒を供えるよう、参加者にお願いする。

聖なる森林を大切に引き継ぐブヌン族ならではの慣習。

「文化体験を通じ、自然を尊重する心を養ってほしくてね」

ツアーでは、森林散策に加え、猪肉のバーベキュー、山菜料理も楽しむ。

リフレッシュを求める中高年の参加者が多く、木登り遊びに真顔で取り組む姿も。

ツアーは2004年から。

前年に集落一体で台北の開発業者によるリゾートなどの建設計画が持ちあがったことがきっかけだった。

「先祖伝来の地を守りたい」一心で、アリマンさんは予定地約8ヘクタールを約1300万台湾ドル(約4300万円)を借金してして買収。

「自然の大切さを人々が知れば、安易な開発も防げるはずだ」とのアリマンさんの発案で、ブヌン族仲間も案内役に加えたツアーが始まった。

「人間は主役ではなく自然の一部なんですよ」ーー濃い緑の中、参加者に語るアリマンさんの言葉に力がこもった。

                ・・・・・

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ナスカの地上絵に人の顔、斬首の光景か?・・山形大調査

2013-12-08 | インカ・ナスカ・古代アンデス


                ・・・・・

                           2011・02・16 朝日新聞


南米ペルーのナスカで、山形大学の研究チームが新たな地上絵を多数発見するなど、大きな成果をあげている。

昨年からは、地上での本格的な考古学調査もはじまり、ナスカの地上絵の謎に挑んでいる。

山形大学では、1994年からナスカの研究にとりくんでいる坂井正人教授(文化人類学)を中心に、2004年、心理学や地理学、情報科学の研究者によるチームを編成し、調査を続けてきた。

2006年までに、生物のような絵柄や直線、幾何学模様などの地上絵100点以上を発見。

先月は、人の頭部や動物とみられる2点の地上絵や放射状の直線が交わる「ラインセンター」を新たに76点確認したと発表した。




人の頭部は、4・2メートル×3・1メートルの範囲に描かれ、両目や口のような模様が見て取れる。

周辺の遺跡では人の頭部だけを埋めた穴や、切られた首を掘った石像がみつかっており、坂井教授は「この絵も着られた首だろう」と推測する。


新たな地上絵の発見には、衛星写真が威力を発揮した。

従来は航空写真が主体だったが、撮影には多額の費用がかかり、約220平方キロメートルに及ぶナスカ台地をくまなく調査するのは困難だった。

しかしここ10年ほどで、高解析度の衛星写真が安く入手できるようになり、台地全体の把握が可能になった。

さらに昨年、ペルー政府の許可がおり、地上での本格的な考古学調査が始まった。

これによりさっそく、直線の地上絵が描かれた時代の解明につながる成果があった。

これまで、ナスカ台地に直線が描かれた時期をめぐっては、有名なハチドリやクモなどの動物が白い線で描かれたナスカ期(紀元前200年~後600年)以降とする説と、ナスカ期より古いとする説の間で論争があった。

去年、少なくとも3か所のラインセンター付近で、ナスカ期の前のパラカス後期(紀元前400~前200年ごろ)の土器を発見。

この時期には、地表面の黒い小石を残して人間の姿などを描いた「黒い地上絵」が制作されており、同じ時期に直線が既に描かれ始めていたことを明らかにした。


直線やラインセンターの調査は、地上絵の性格を解明する上でも重要だ。

ラインセンターは高さ数メートルの小山になっている場合が多く、付近に意図的に壊したと見られる土器片が多数散乱している。

このため坂井教授は、「線が集まるだけでなく、儀礼のような活動の中心だったのだろう」と推測する。


さまざまな時代の土器片が混在している例もあり、長期にわたって使われたと考えられる。

米国の研究者は、移動の道しるべとして使われた可能性を指摘しており、土器の年代や分布の分析が進めば、時代ごとの使用目的の解明につながると期待される。

ペルーで遺跡調査を続けている井口欣也・埼玉大教授は「ナスカでは地上絵全体の正確な図面や年代決定の鍵となる土器との関連など基本データの蓄積が不十分だった。

坂井教授らの研究で、地上絵を考古遺物や周辺の遺跡、地形などと総合的に比較分析できるようになった」と評価する。


新年度には、現地に山形大学の研究施設も建設される。

研究チームは今後、気候変動と地上絵の関連を検証する他、鳥類の専門家も交えて、描かれた鳥類の特定を試みる。

坂井教授は「なぜ地上絵が描かれ、16世紀にスペイン人に征服されるまで1500年以上も使われ続けたかを明らかにしたい」と話している。


              ******

同じような記事がもう一つありました。

               *****


朝日新聞2011年4月13日


ペルーのナスカ台地で、斬首の場面を描いたともとれる新たな地上絵が発見された。

山形大学人文学部付属ナスカ研究所が12日発表した。

ハチドリやコンドルを描いた地上絵より古い紀元前400~紀元前200年ごろのものだという。

2011年の夏、ナスカ大地の中心部で、同研究所メンバーが見つけ、レーザーを使って詳しく調査した。


左の人物は全長約13メートル、幅7メートルで、頭部が逆三角形。

右の人物は、頭が胴と分断されていて、全長約9メートル、幅8・5メートル。

同研究所副所長坂井正人教授は、「左の人間が右の人間の首を切ったようにも見える」と話す。

また右の人物から出ている放射状の線は、現地の古い織物にもある図柄で、重要な存在を示すと考えられており、「ある種の儀礼行為の場面が描かれている可能性もある」という。

ナスカの地上絵は世界遺産で、山形大は昨年10月に現地に研究所を開設。

ペルー国外の機関では唯一、現地調査が認められている。

           *****

写真は同新聞より。
一番下の地上絵は「ナスカ・地上絵の謎」より。


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「尖閣国有化一年・沖縄独立・最悪のシナリオ

2013-12-05 | アジア


                ・・・・・

「尖閣国有化一年・沖縄独立最悪のシナリオ」読売新聞2013年9月22日

今年5月、沖縄の独立を目指す民間団体が結成された。
「琉球民族独立総合研究学会」。
龍谷大の松島泰勝教授(石垣島出身)が中心となり、事務局は沖縄国際大に置かれた。

メンバーは約150人で、民主党の照屋衆院議員も名を連ねている。

設立趣意書は謳う。
「琉球は日本、米国の植民地となっている。
日本から独立し、すべての軍事基地を撤去し、平和と希望の島を自らの手で作り上げる必要がある」。

地元のマスコミは「学会」に好意的だ。

「琉球新報」は5月17日の社説で
「歴史の局面が転換した。そんな感を禁じ得ない。
沖縄の人々の幸せには、自己決定権の拡大こそが欠かせない」と書いた。

現時点で沖縄民の多くが独立を望んでいるとは言えない。
しかし日本が尖閣諸島を失えば、「沖縄独立」 が絵空事ではなくなるおそれがある。

どういうことか?。

朝日新聞元主筆の舟橋洋一氏が理事長を務める財団法人「日本再建イニシアティブ」は、今春、日本が直面するかもしれない国家的危機を考察した「日本最悪のシナリオ 9つの死角」を出版した。

尖閣問題も取り上げ、自動小銃で武装した漁民風の中国人グループが島に上陸し、居座るケースを想定。
日本政府はこれを排除できず、外交交渉に失敗し、中国人グループが島に施設を作って中国の実行支配が確立する事態を「最悪のシナリオ」として紹介した。

その上で、尖閣諸島喪失の影響をこうシミュレーションした。

「中国が西太平洋を庭にしたことで、米軍との衝突の可能性は当然高まった。
米中の板挟みになった沖縄が取った道は中立化である」。

米中の対立激化に危機感を抱いた沖縄が、日本とも距離を置くようになる・・というのだ。

同書は、尖閣の喪失は沖縄の喪失につながると警鐘を鳴らした。



ただ日本国内でこうした危機感はまだ薄い。
「尖閣問題で譲歩したって構わない」と言わんばかりの主張もまかり通っている。

6月25日、香港のテレビで「中国側から見れば日本が尖閣を盗んだと思われても仕方ない」と発言した鳩山元首相。

同日夜、東京都内の自宅前に集まった記者団に発言の論拠をとうとうと説明した。

「ポツダム宣言」に書いてあるでしょう?北海道・本州・四国・九州が固有の領土だと。日本は戦争に負けて、それが固有の領土になったんです」。

確かに「ポツダム宣言」には日本の領土を「本州・北海道・九州及び四国、ならびに我ら連合国の決定する諸小島に局限されるべし」と記している。

だが「諸小島」の範囲は具体的に明示されていない。
鳩山元首相の立場によれば、尖閣どころか沖縄すらどこの国に帰属するのか分からなくなってしまう。


尖閣の領有権を主張する中国も、「沖縄独立論」に注目している。

中国共産党機関誌「人民日報」系の「環球時報」は社説で繰り返し取り上げた。

「中国は琉球問題を歴史的に未解決の問題として指摘すべきだ。
(5月22日)
「沖縄の独立性には正統性がある。
中国側は国際法が許す範囲で後押しすべきだ。(5月16日)

日本政府はこうした中国紙の主張は明らかに、米軍がアジアの拠点とする沖縄への揺さぶりを狙ったものと見る。

そして中国の動きに神経を尖らせ、公安当局は「沖縄独立派」と中国の関係に目を光らせている。

尖閣をめぐる日中の暗闘は、沖縄をも巻き込もうとしている。


                  ・・・・・

「琉球民族独立総合研究学会」HPあります。

このような記事があったことも記憶に新しいです。

 
                 ・・・・・


「帰属の再議論要求・・人民日報、論文を掲載」

日本政府は、琉球藩を置いた1872年、廃藩置県で沖縄県を置いた1879年には、沖縄が日本の一部であったおとは確かだとしている(2010年6月18日政府答弁書)。

また第二次大戦後の日本の領土は「ポツダム宣言」ではなく、1952年発効の「サンフランシスコ平和条約」で法的に確定したとする。

同条約は沖縄を米国の信託統治下に置いたが、日本政府は沖縄に「潜在主権」があると主張を続けた。

沖縄は1972年に日本へ返還された。

一方中国共産党機関紙「人民日報」は今年5月8日、沖縄の領有権が中国にあると示唆する論文を掲載した。

明朝や清朝の時代に沖縄(琉球)は「中国の属国」であったが、日清戦争で日本に奪われたと主張。

日本は「ポツダム宣言」を受諾したのだから尖閣諸島とともに沖縄の帰属も改めて議論すべきだとする内容だ。

筆者は政府系研究機関・中国社会科学院の研究員だった。


            ・・・

また、10月28日の「沖縄新報」に次のような記事がありました。

10月に「琉球民族独立総合研究学会」の第1回の会合があったようです。

             ・・・

「自治への自覚、団結を 沖縄独立で海外識者議論」 沖縄新報2013年10月28日



 沖縄の自己決定権行使に向けて、学術的に「独立」を議論する「琉球民族独立総合研究学会」の第1回研究大会シンポジウムが27日、那覇市の沖縄大学で開催され、市民ら約150人が参加した。

「グアム・台湾・パラオから考える琉球独立」を主題に、パネリスト3人が世界の「独立」に関する動きや現状について報告した。

 国立東華大学講師のサキヌ・テピク氏は、台湾原住民族の「民族自覚運動」により、2005年に原住民族の基本権利の保障をうたう「原住民族基本法」が台湾立法院で制定されたことを紹介した。

同法により、先住民族が望まないリゾートホテル建設を差し止めた事例などを報告し「原住民族として自治を行うという自覚を持ち、団結することが重要だ」と訴えた。

 龍谷大学の松島泰勝教授は、米国を施政国とする国連信託統治から1994年に独立を果たしたパラオ共和国の歴史と現在の状況を説明した。

「パラオは独立して以降、大きな経済的問題はなく、国家主権を行使した外交や国内政策を展開している。

人口2万人のパラオに学ぶことで、琉球も独立した国を自分たちで造ることが可能になる」と提起した。


グアム政府脱植民地化委員会のエドワード・アルバレス事務局長は「現在、世界の17地域が国連の『非自治地域リスト』に登録されている。

沖縄をリストに登録することで、植民地状態に置かれている現状を国連に注目させ、沖縄の自治権獲得を世界に訴え掛ける戦略がある」と強調した。


                ・・・


以下は「日本再建イニシアティブ」HPより・「想定される最悪なシナリオ・9つの死角」
「日本再建イニシアティブ」HP
 

            ・・・・・


原発事故を経て、「想定外」とされた事態が本当に起こりうることを実体験した今でも、日本では直面する可能性のある危機に対して手をこまねいていたり、漠然とした不安を持ちつつも問題を直視することを避けていたりという状況が見られます。

本プロジェクトは、日本の危機管理体制の脆弱性を検証するべく発足しました。

プロジェクトメンバーは、中堅~シニアの研究者、ジャーナリスト、弁護士、保険・銀行などの実務家合わせて20名、

自然災害やテロ、軍事衝突など9つの危機をケーススタディとして取り上げ、テーマ毎にこれまで「想定外」とされているような危機の展開をシミュレーションする「最悪のシナリオ」を設定してそれを叩き台とし、半年にわたる関係者に対するヒアリング調査を経て現在の危機管理体制の課題を提示しました。

本プロジェクトの成果として、2013年3月に報告書『日本最悪のシナリオ 9つの死角』を新潮社より刊行しました。2013年度中に英語版、2014年には韓国語版の出版も予定しています。


             ・・・・・


沖縄が独立するのが「最悪のシナリオ」なのかどうかは、わかりません。
沖縄の方たちがどう思うかが大切だと思います。

現時点では、沖縄の方たちに独立を願う気持ちが大勢を占めているとは言えないと思います。


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“北海道”名付け親・探検家の松浦武四郎「遺品展」・・古物収集品も展示

2013-12-03 | アイヌ


「“北海道”名付け親・探検家の松浦武四郎「遺品展」・・古物収集品も展示」
                            読売新聞2013年9月25日

当ブログでは珍しく、当日に間に合うご紹介記事です。


                ・・・・・


幕末に蝦夷地を踏査し、“北海道”の名付け親にもなった探検家の松浦武四郎の遺品展が10月5日東京世田谷の静嘉堂文庫美術館で始まる。

描いた地図の他に、約120年ぶりに同文庫で確認された武四郎が収集した古物も初公開される。

アイヌとの交流をうかがわせる資料もあり、多面的な顔を見られる趣向だ。

松坂藩(三重県松坂市)の下級武士の家に生まれた武四郎は幕末、ロシアの南下政策を知ると危機感を抱き、1845年以降6回に亘って当時蝦夷地と呼ばれた北海道や樺太を探検。

だが、明治に入り、任じられた蝦夷地の高官をすぐに辞し、日本各地の古物収集に没頭したとされる。

ただこれまで収集の実態は分かっておらず、武四郎の子孫も古物の行方を把握できていなかったという。

同文庫では、創設者で三菱2代目社長の岩崎弥太郎が、武四郎の没後その収取品約600点を入手しており、4年前に着手された調査でようやく存在が公にされた形だ。



今回はこのうち 約90点を展示。

注目されるのが、縄文時代から近代にまで作られた勾玉、切り子玉など約240点を連ねた長さ140センチの大首飾りだ。

玉は5センチ近いヒスイやメノウ、水晶などで、全国を旅した武四郎が生涯をかけて集めたものを自ら首飾りにしたと見られる。

この大首飾りは肖像写真や、釈迦の代わりに武四郎が横たわる「武四郎涅槃図」でも首にかけており、晩年に愛用していたようだ。



さらにこの涅槃図で武四郎の周囲に描かれたコレクション30数点のうち、共に江戸時代後期に制作された木彫りの聖徳太子像、地蔵菩薩立像など20点が同文庫の所蔵品に含まれていたことが判明、陳列される。

この他、古墳時代の勾玉などで作られた別の首飾りや、古墳から出土したと推定される大型の鈴なども並ぶ。

「松浦武四郎記念館」(松坂市)の山本学芸員は

「文献でしか知られていなかった収取家としての顔が確認された。

集めた古物の価値は高く、コレクターとしての存在の大きさもうかがえる」と語る。


また探検家時代の業績として、国後島・択捉島を含む北海道全域を詳細に記した地図「東西蝦夷 山川地理取り調べ図」も展示される。

地図に10000語以上のアイヌ語の地名が細かく記載されている他、調査記録「天塩日記」には、アイヌに手を引かれて崖に架けられた丸木橋を渡る姿が描かれ、アイヌとの交流を知ることができる。

同文庫の須藤雄事務長は「武四郎は、明治政府のアイヌへの同和政策に反発して外交官を辞した。

アイヌ政策が転換期を迎えた今、当時のアイヌに入り込んだ数少ない和人としての武四郎を知ってほしい」と話している。

展示は12月8日まで。

                   ・・・・・

とてもスケールの大きな人物だったのだと分かりました。
出口王仁三郎に似ているような感じもあります。


静嘉堂文庫美術館HP


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温暖化で異常気象・干ばつや洪水が日常的に・スパコン駆使し結論・・IPCC報告書

2013-12-01 | 環境(ガイア)


                  ・・・・・

「温暖化で異常気象・干ばつや洪水が日常的に・スパコン駆使し結論・・IPCC報告書」
                            読売新聞2013年9月28日


世界各地で地球温暖化の影響が疑われる異常気象が続いている。

国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が公表した最新の報告書は、「温暖化」の原因を人間活動とほぼ断定する一方、「温暖化」による異常気象が一部ですでに実現化していることを示した。

「温暖化」と「異常気象」がどう関係するのだろうか?

報告書の公表を受け、環境省などが東京で開いた記者会見。

報告書の執筆者の一人でもある東京大大気海洋研究所の大本昌秀副所長は、「異常気象」の増加と「温暖化」の関連について「個別の極端な現象を「温暖化」と直接結びつけるのは難しいが、「温暖化」という背景がないと説明しにくい」と語った。

この夏日本では、高知県四万十市で8月に国内最高の41度を記録したのをはじめ、各地で最高気温が塗り替えられた。

6~8月の平均気温は西日本で平年より1・2度高く、1946年の統計開始以降最高となった。

東日本でも平年より1・1度高く、過去3番目の暑さだった。

木本副所長は、日本の記録的猛暑を振り返り「めったにないことが続けて起こっている。
気候が変わるとこういった現象が増える可能性があり、災害対策を講じてほしい」と話した。



IPCCは、今回アジア・欧州・豪州で熱波の頻度や期間が20世紀半ば以降、増加している可能性が高いと指摘。

その原因として人間が石油や石炭を使うことで起きる「温暖化」を挙げた。

今世紀末には世界中のほとんどの地域で、熱波や豪雨が増える可能性が非常に高いとも指摘している。

5月には米国オクラホマで大型の竜巻が発生。

8月には中国、欧州、カナダで、日本と同じように高温が続いた。

中国やパキスタンでは大規模洪水も起きた。

記者会見で「世界気象機関」のミシェル・ジャロー事務局長は「報告書で検証した多くの証拠が、気象パターンの変化や、熱波、干ばつ、洪水といった極端な気象現象の増加を示している。


この10年の極端な気象は過去にはみられない。

報告は、すでに日常的におきている極端な気象現象が将来どう増えていくか予測を示した」と語った。

気象庁の定義によると、「異常気象」とは、30年に1度程度しか起きない非常に暑い日や寒い日のこと。

「温暖化」がなくても、「異常気象」は一定頻度で起こる。

ある日の気温は、その月の平均気温に近い確率が高いが、平均より暑い日も寒い日もある。

ところが、「温暖化」で全体の気温分布が暑い方に移動すると、より暑い日が増え、記録的に暑い日も増えるようになる。

IPCCが指摘するのは、「異常気象」の強さや頻度が大きくなる長期的な傾向のことで、今年の夏の猛暑といった個別の現象を示しているわけではない。


「スパコン駆使し結論」

「温暖化」が人間の活動によるものかどうかは、温室効果ガス削減対策の必要性に直結する。

IPCCは、人間活動が「温暖化」をもたらした可能性は95%以上だと指摘した。

その基礎になったのは、過去の気温や降水量、温室効果ガスの濃度などのデータに基づき、スーパーコンピュータの中に実際の地球をそっくり再現する手法だ。

この手法でスパコンの中に,温室効果ガスが増える地球と増えない地球を再現する。

地球が過去に経験した気温上昇は、温室効果ガスを増やした地球でしか再現されない。

これが、人間活動が温暖化を招いている根拠だ。


現在よりさらに温室効果ガスを増やしていくと、将来の地球が再現される。

基本は日々の天気予報を導き出す手法と同じだが、遥かに長い期間の計算が必要なため、世界中の研究チームが開発した計算方法を比較して精度を高めている。

今回の報告書作成の過程では、IPCCの信頼回復にも重点が置かれた。

前回報告が「ヒマラヤの氷河が2035年までに消滅する」といった誤った内容を含んでいたことで、信頼を大きく失墜したためだ。

IPCCは、報告書原案の段階でより多くの研究者が査読できるようにした。

IPCCのラジェンドラ・パチャウリ議長は「今回の報告はより慎重な検討を重ねてまとめた」と語り、信頼が取り戻せたとの認識を示した。

                ・・・・・


平成25年9月27日に内閣府から発表された「IPCC第5次評価報告書の結論」は下記になります。

  
               ・・・・・


3.第5次評価報告書 第1作業部会報告書の主要な結論

観測事実

・ 気候システムの温暖化については疑う余地がない。

1880~2012年において、世界平均地上気温は0.85(0.65~1.06)℃上昇しており、最近30年の各10年間の世界平均地上気温は、1850年以降のどの10年間よりも高温である。

・ 世界平均地上気温は数十年にわたって明確な温暖化を示しているが、その中には、概ね十年程度の周期での変動や年々の変動もかなり含まれている。

過去15年(1998~2012年)の世界平均地上気温の上昇率は1951~2012年の上昇率より小さい。

・ 1971~2010年において、海洋の上部(0~700m)で水温が上昇していることはほぼ確実である。

・ 1992~2005年において、3000m以深の海洋深層で水温が上昇している可能性が高い。(新見解)

・ 海洋の温暖化は、気候システムに蓄えられたエネルギーの変化の大部分を占め、1971~2010年の期間ではその90%以上を占めている(高い確信度)。

・ 過去20年にわたり、グリーンランド及び南極の氷床の質量は減少しており、氷河はほぼ世界中で縮小し続けている。

また、北極の海氷面積及び北半球の春季の積雪面積は減少し続けている(高い確信度)。

・ 19世紀中頃以降の海面水位の上昇率は、それ以前の2千年間の平均的な上昇率より大きかった(高い確信度)。(新見解)


温暖化の要因

・ 人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主な要因であった可能性が極めて高い。

・ 1750年以降の二酸化炭素の大気中濃度の増加は、地球のエネルギー収支の不均衡に最も大きく寄与している。

太陽放射は20世紀にわたるエネルギー収支の不均衡にほとんど寄与していない。

・ エーロゾルの排出や、エーロゾルと雲との相互作用による放射強制力は、地球のエネルギー収支の変化の見積もりやその解釈において、最も大きな不確実性をもたらしている。


将来予測

・ 1986~2005年を基準とした、2016~2035年の世界平均地上気温の変化は、0.3~0.7℃の間である可能性が高い(確信度が中程度)。

             ・・・・・


温暖化については、諸説ありますが、これは今年度発表のIPCC「真説・温暖化説」です。

私は、IPCCの将来予測を見ると、仮説を論証しているにすぎないような気もするのですが、とりあえず一つの人類への予言であると考えます。

現在、人間の活動により、地球は温暖化を進みつつあるが、現在は海底の温度により、急激な気温の上昇はおきていない。

しかし海底の深部では温度が上昇しており、しかるべき期間の後、地球の気温はさらに上昇するであろうということのようです。

そして、将来は、陸地の氷河の氷解により、水面が上昇して、地形が変動し、異常気候が頻発するということが予言されています。



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