「ユーチューブ・アイヌレブルズ」
https://youtu.be/QwMhjY5uI9U
10年ほど前に、お祭りで見た「アイヌレブルズ」のステージは、とてもすてきで、印象的でした。
半年も前の新聞記事ですが、ボーカルの「酒井美直」さんの記事が載っていたので、大切にとっていました。
記事によると、酒井さんは、今は「アイヌレブルズ」は解散して「イメルア」という音楽ユニットで活動しているということです。
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(引用ここから)
「イメルア」はアイヌ語で「稲妻が光る」の意味。
プロデュースは「ファイナルファンタジー」シリーズなどゲーム音楽の作曲家として知られる浜渦正志(45)で、ボーカルを担うのが、アイヌ民族の父親を持つ酒井美直(33)だ。
ポップ、テクノ、ロック、民族音楽。
イメルアの音楽は、そのどれにも分類しにくい。
日本語だけでなく、英語やアイヌ語の歌詞の曲もある。
視聴回数は66000回を数え、ユニット名にもなっているデビュー曲「イメルア」は、弦楽器やピアノの旋律に、アイヌ伝統の弦楽器「トンコリ」がアクセントを加える。
アイヌの伝承曲「バッタキ(バッタの意)」のビデオには、CGを多用。
独特の音階と軽快なリズムに乗せて、折り紙のバッタが舞う映像が印象的だ。
アイヌ文化の要素をまったく含まない作品も多い。
5年前にポーランドとフランスで行ったデビューライブには、約300人が訪れ、その後も世界各地でライブを開いている。
「活動家ではなく表現者へ」
北海道帯広市で、生まれ育った。
北海道は今も、アイヌ民族の流れをくむ人とその家族が数万人住むという。
帯広は、彼らが多く暮らす地の一つだ。
酒井の父親はアイヌで、酒井が5才の時、出稼ぎ先の東京で亡くなった。
差別反対運動に身を投じたと聞いたが、父の記憶は、その温かいぬくもりをうっすらと覚えている程度だ。
母親と2歳上の兄と、公営住宅に暮らした。
冬は暖房費を節約するため、日当たりに合わせ、時間帯によって部屋の中を移動することもあった。
母は朝から晩まで働きづめだったが、生活苦を口にすることはなかった。
水泳や英会話など、酒井がせがむ習い事はすべてさせてくれた。
4歳から高校卒業まで酒井にモダンダンスを指導した帯広市の松本道子(83)は、「愛くるしくて明るくて、お利口さん。生徒たちの中でピカ一に輝いていた」と振り返る。
ただ、酒井が家の前に「アイヌ」と書かれたことをボソッと明かした時、たった一度だけ表情を曇らせたことを覚えている。
アイヌの人々はかつて「土人」と表され、日本政府に独自の文化や言語を否定された歴史がある。
小学校の演劇界では主役を務め、中学校でもいつもクラスの輪の中心にいた酒井だが、アイヌであることを「恥ずかしい」と思い、友人にも隠していた。
高校1年の時に、転機が訪れる。
カナダで先住民族の若者たちと交流するツアーに参加した時のこと。
民族の名を、腕に入れ墨し、堂々と伝統舞踏を踊っている同世代の彼らがまぶしく見えた。
「アイヌであることは、誇れることなのかもしれない」と初めて思えた瞬間だった。
東京の大学に進み、国連でアイヌの若者として、先住民族の権利についてスピーチもした。
卒業後、関東に住む若いアイヌら十数人に声をかけ、パフォーマンス集団「アイヌレブルズ」を結成。
「レブルズ」とは英語で「反逆者」の意味だ。
「伝統文化」というイメージにあらがい、アイヌをかっこよく、楽しく表現したいという思いを込めた。
伝統舞踏や伝承曲を現代風にアレンジして、ライブハウスや音楽フェスティバルで披露した。
目鼻立ちのはっきりした美男美女が民族衣装をまとい、激しく踊る姿は話題を呼び、国内外のメディアに取り上げられるようになった。
代表の酒井には、全国の人権団体や行政から講演の依頼が相次いだ。
求められるままに、差別の経験を話し、舞踏や楽器演奏を披露した。
だが、次第に、そんな日々に焦りを感じるようになった。
「アイヌ」や「差別」という部分ばかりが注目されて、このままだと自分は「活動家」になってしまうと思った。
「一人の表現者として認められるようになりたかった」。
2010年、酒井はこれまでの自分と決別するかのように、講演活動を断り、「アイヌレブルズ」を解散した。
次への一歩を踏み出すため、酒井が声をかけたのが、知人の浜鍋だった。
次の記事は、酒井さんの結婚を紹介した記事です。
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(引用ここから)
「ありのままの君でいい」 2008年11月12日
悠久の時をこの国に刻み、アイヌの人々は独自の言葉、文化をつむいできた。
その言葉、文化、大地をも奪われた人々のことを、私はほとんど知らなかった。
アイヌのいまを訪ね、そこに吹く新しい風を伝えたい。
「アイヌレブルズ」というグループがある。
関東の若いアイヌら12人でつくる。
ポップな音楽に合わせ伝統舞踊を踊り、アイヌ語で歌う。
結成2年、メディアにも紹介され「かっこいい」と公演依頼が相次ぐ。
「レブルズ」は反乱者たち、のような意味だ。
「アイヌを誇れる社会にしたい」という思いを、名前に込めた。
でも、グループの中心、酒井美直(みな)(25)がそう思えるようになったのは、ほんの数年前だった。
高校まで北海道帯広市で育った。
幕別町出身のアイヌだった父の衛(まもる)は、上京してアイヌの権利回復運動に身を投じ、美直が5歳の時に亡くなる。
小学校の時、若い学童保育の女の先生が、ポリ袋を細かく切り裂き、もじゃもじゃの毛に見立てて頭にかぶり、「アイヌがいますよ」と言った。
アイヌだということを隠す大人は多かった。
アイヌの友人と一緒にいるところを見られたくなかった。
アイヌとは良くないこと、そんな空気が自分の心をも染めていた。
美直が変わり始めたのは、高校の時にカナダで先住民族と交流する機会を得てから。
自分と同世代が、自信たっぷりに伝統舞踊を舞う姿に衝撃を受けた。
さらに、東京の大学に進んで2年、豪州で先住民族と交流するツアーに参加して一人の青年と出会う。
米国人の父と、在日中国人の母の間に生まれたロニー・エバソン(28)だった。
小学校4年まで名古屋で過ごした。日本の中のマイノリティーの歴史に関心をもち、米ハーバード大で日本と朝鮮半島の歴史を学んだ。卒業後は北海道の阿寒湖畔にあるアイヌ民芸店に2カ月半、住み込んだ。
そんなロニーに、美直はツアー帰りの飛行機で、胸の内を話していた。
「アイヌであることでコンプレックスもあって。夢を持ったり、恋愛したりする資格すらないんじゃないか、ぐらいに自己否定してて」
ロニーは言った。「美意識、価値観は社会に支配されてて、マイノリティーは犠牲になっちゃう。美直はそのままでいい」
2005年、2人は東京で伝統的なアイヌの結婚式を挙げた。
美直は、唇の周りを黒く塗り、アイヌの成人女性のシヌイェ(入れ墨)を模した。
アイヌを同化しようとする明治政府に、禁止された慣習だ。
「今の日本では不気味に見えても、昔のアイヌにとっては美だった。あえてマジョリティーが支配する価値観にぶつけたかった」
そして、「アイヌレブルズ」。
結成のきっかけは、関東地区のアイヌの世話役、美直が「フチ(おばあさん)」と慕う宇梶静江(うかじ・しずえ)(75)の言葉だった。
「若いウタリ(同胞)で、新しいアイヌ文化をどんどん表現してちょうだいよ」と言われた。
歌と踊りなら、それができるのでは。。
呼びかけに、若者たちが集まった。
その中に幕別町出身の村上恵(24)がいた。
小学生の時に机に「アイヌ」と書かれた。
「目立てば、いじめの標的になる」と思い、ずっと下を向いていた。
「アイヌっぽい」自分の容姿がいやで、下まつげを際まで切った。
18歳で、逃げるように北海道から本州に。
美直の誘いに「どんな目で見られるんだろう」と不安だった。
でも公演で拍手を受けるたび、「猫背が伸びる」ような気がした。
今年、出した曲「エカトゥフ ピリカ(君は美しい)」の詞は、美直が書いた。
〝若いウタリに届け″、と。
エネ エアニ ネノ エアン ヤク ピリカ ナ(ありのままの君でいいんだよ)
それは、かつて自分の心を開いてくれた言葉だった。
(引用ここまで)
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「NHK「俺たちのアイヌ宣言・民族と自分のはざまで」という記事もありました。
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次は、「文化経済研究会」という文化団体が酒井美直さんの講演を企画しているという記事です。
〝日本文化の中の多様性の重要性″ということがテーマになっているようです。
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(引用ここから)
「life design journal CLUB 酒井美直氏が生む音楽・文化の多様性」
アイヌ出身の酒井氏は、2006年にアイヌの若者でバンド「AINU REBELS(アイヌレブルズ)」を結成。
2011年に結成され、ファイナルファンタジーシリーズなどの作曲で知られる 浜渦正志氏とともに結成した「IMERUAT(イメルア)」は、より現代的なアレンジの上に酒井氏の歌声が響くユニット。
バンド名を冠した楽曲「IMERUAT」ではアコースティック楽器とシンセサイザー、伸びやかなボーカルが溶け合うアンビエントな雰囲気。
現代的な重音のピアノがリズムを作るGIANTでは、コンテンポラリーなダンスで国家権力への警戒を表現。
●音楽の遺伝子
特定のコミュニティにのみ受け継がれてきたリズムや音階、楽器は、歴史の主流であった西洋音楽と溶け合い、吸収されたように見えながらも、その体内で生き残ってきました。
(ハンガリーのチャール・ダーシュがシュトラウスを経由し西洋音楽に浸透したように)
音楽や芸術に、民族性を乗せるということは、精神的・文化的な意味において、その民族の遺伝子を芸術の物語に組み込むということ。
酒井氏は海外で公演をすることも多く、「IMERUA」の音楽を聴いた誰かが新たな楽曲を生み出せば、それは、アイヌの音楽的遺伝子が国境を超えたということ。
今後、世界の音楽に「IMERUA」がどのように影響するのでしょうか?
●多様性と企業の支持
2007年以降に生まれた子供の半分が、100歳以上まで生きるという国連の調査があります。
65年程度の年月を、一生として捉えていた戦後の価値観で形作られた人生観や仕事観は、通用しないのは明白で、新たな生き方や価値観の先端にいる人に学ぶ必要があります。
「文化経済研究会」が酒井氏にご登壇いただくのは、アメリカという多様性の象徴だった(と一応はされていた)国が、多様性を排除し始めた今、日本においても多様性とは何かを考えることが、社会に参加している人一人ひとりに求められるからです。
我々日本人が単一民族であるという考え方は、知らず知らずのうちに多様性の排除に加担することになり、
多様性にいかに貢献しているかが企業経営にとっても重要な指標となっている昨今は、危険であると言っても過言ではありません。(事実、LGBTへの理解や就業促進をいかに進めているかが米国では企業の指示に直結しています)
日本の国の中ではなかなか直面することがない民族の問題、アイディンティティ、多様性の課題を問う会です。
是非お越しください。
(引用ここまで)
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