始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

神はあらゆる方法で浄化をおこなう・・Oshoの「アカップオブティー」

2008-10-29 | メディテーション

1962~1971年にoshoから弟子と友人たちに向けて送られた書簡集より。
十字架としての愛、、感慨深いものがあります。。

       ***


Love

神はあらゆる方法で浄化をおこなう
浄化のために火をくぐらなければならないのは黄金だけではない
人間も同じこと・・
人間にとってこの火は愛の苦悩だ
ひとりの人間の生にこの火が入ってきたとき
それはひとつの祝福だと言える
それは数限りない祈りの成果
数かぎりない誕生の成果なのだ
強烈な渇きが最後には愛と化す
だが不幸なことに、それを歓迎できるものは数少ない
苦悩という形をとった愛を認識できるものは少ないからだ

愛は玉座ではない
それは十字架だ
しかし、喜んでおのれをその十字架にかける者は
まさに最高の玉座に達することができる
十字架は目に見える
が、その玉座は目に見えない
それはつねに十字架のうしろに隠されている
そして、イエスでさえこう叫んだ
「父よ、なぜわたしを見捨てたもうたのですか?」
しかし、次の瞬間
彼は思い直して言った
「御心のままに」と
それで充分だった
十字架は玉座となり
そして死が新生となった
最初の言葉と次の言葉にはさまれた革命の瞬間に
キリストがイエスのなかに降臨したのだ

あなたの苦しみは激しく、新生は間近い
喜びなさい
感謝するがいい
死を恐れないこと
ありがたく思うのだ
それは新生の吉報だ
新しきものが生まれるためには古きものが死ななければならない
花が咲くためには種子は壊れねばならないのだ

         「ア カップ オブ ティー140」



Love

われわれ(ひとびと)は自分たち自身に向かってひざまずく
というのも、われわれ(ひとびと)は
自分たちの経験や欲望や夢の数々から
あるいは、いわゆる論理や愚かしい議論の数々から
自分たちで創り上げた神々に向かってひざまずいているからだ
こんなものは謙遜でもなければ、祈りでもない
反対に、ありうべきもっともエゴイスティックな態度だろう
真の宗教心とはただひざまずくことを言う
誰に向かってでも、特別どんな像に向かってでもなく・・・
こうしてひざまずくことは
そのひとの全面的な「無」の開花以外の何ものでもない
そうしたとき、ひざまずくことは内なる生き方となる
そして、祈りがそうしたものでないかぎり
それは祈りとは言えない
人は祈ることはできない
祈りに満ちてあることができるだけだ
     
       「ア カップ オブ ティー・276」




Love

生はひとつの垂訓だ
存在はそれ独自の説法をする
ただし、いつも婉曲に・・
そして、それがその美しさなのだ

自然の調和は
いかなる意図もなく
生における均整を教えてくれる
翼をひろげた鳥をみてごらん
あなたは努力しないでも瞑想のなかに入ってゆけるだろう
あるいはその鳥の歌声を聞いてもいい
すると、あなたのハートは
どんな動機もなしにその声といっしょに舞い上がるだろう
そして、あなたの側になんの努力もないとき
瞑想は深まり、忽然としてあなたを変容させる
そして、そこになんの動機もなしにあなたが動くとき
その動きは聖なるもののなかにある

        「ア カップ オブ ティー・268」





Love

あなたはわたしの声が聞こえるだろうか?
わたしの姿が見えるだろうか?
わたしは戸口に立って、ノックしている
それはいつか別な時代、いつか別な生でした約束のためなのだ
       
        「ア カップ オブ ティー・296」
 
   

         ***
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山尾三省の遺言…清らかな水と安らかな大地

2008-10-27 | 環境(ガイア)



子供達への遺言・妻への遺言

      

山尾 三省


 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、こ
こにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、
大変うれしいのです。
 というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな
い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことにな
っているからです。
 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛す
る者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同
時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引
き締まります。

 
まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も
う一度飲める水に再生したい、ということです。
神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、
あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に
未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行
くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほ
しいと思います。


 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から
原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほし
いということです。
自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまか
なえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、
ぼくは考えるからです。


 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心
の中で唱えているものです。
その呪文は次のようなものです。
 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法
第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

 
以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供
達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、
そんなことはけっしてありません。

ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、
子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこま
でも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。
 つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当に
あなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、
ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。
けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任
を感じることも、負担を感じる必要もありません。

あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。
市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があるこ
とを、ぼくたちは知ってるよね。
その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。



---------------------------------------------
やまお さんせい
詩人。1938年東京神田生まれ。早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
77年鹿児島県屋久島に移住。執筆と農耕の日々を過ごす。
エッセイ集も数多い。        
============================================================

 上記「遺言」、『MORGEN』2001年7月7日号より転載



wiki「山尾三省」より
 
早稲田大学西洋哲学科を中退し、1960年代の後半にナナオサカキ長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」をはじめる。1973年、家族と、インド、ネパールへ1年間の巡礼の旅に出る。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。以降、白川山の里づくりをはじめ、田畑を耕し、詩の創作を中心とする執筆活動の日々を屋久島で送る。2001年8月28日、屋久島にて亡くなる。
                         
          ***

息子が鼻水がでるというので、今日は学校を休ませて、耳鼻科に連れて行った。
耳鼻科に行くのは何年ぶりだろう、数年前まで二人の子どもたちとかわるがわるこの耳鼻科に通っていたことを思い出した。
小さい子は鼻がつまることが多いので、いつも同い年くらいの小さい子どもたちがいっぱい来ていた。

お医者さんは久しぶりに伺った息子に目を見張って、「うわぁー、おっきくなったもんだねー!外で会ったら分からないねー、あっはっは。」と豪快に笑って懐かしんでくださった。

待合室で、持ってきた田口ランディさんの本「旅人の心得」を読んだ。
山尾三省の話がでてくるのだ。


三省さんは
「東京の水が飲めるようになったら、社会は変わります。
だけど、それはそんなに難しいことでしょうか。
まずは自分の住んでいる町の川をきれいにする。
そこから始めればいいわけです。
水は実は循環しながら世界を繋いでいます。私たちは水によってつながれたひとつの生態系に生きているんです。」と言っていた。


「水は自然界の魂なのではないでしょうか?」と言う田口さんに、三省さんは

「そうですね。わたしは魂を濃度変化だと思っています。
密度が薄くなれば幽霊のようになり、濃くなれば人間になり、もっと濃くなれば神になる。
だけど、それは濃度が変化しているだけで、おおもとは同じものなのだ、と。
水も水蒸気になったり、氷になったりする。でもおおもとは変わりません。とても、魂に似ていると思います。」と言っていた。


水は自然界の魂であろう、、そして魂もまた、自然界に、濃くなったり薄くなったりして立ち現われているものであろうと、ふたりは感じているのである。

濃度が濃ければ、神になります、というのである。
比喩でないところが、三省の真髄である。


東京の水と言えば、三省さんの遺言は、「ふるさと東京を流れる神田川を、もう一度飲める川に再生したい、」というものだった。

町のなかに川が流れるということは、町のなかに魂が立ち現われる、ということだ、、
そういうことが言いたいのではないかと思う。
川が澄み、清くなればなるほどに、町には魂の力が充ち溢れ、神々しさをとりもどす、と。

屋久島ではないこの町に暮らすわたしにも、もっと自分の魂に近づきたいという望みはある。
おだやかに過ぎてゆくこの町の日々もまた、魂の現れであり、止めることのできない急流そのものなのだと思う。

wiki山尾三省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B0%BE%E4%B8%89%E7%9C%81
田口ランディブログ
http://runday.exblog.jp/
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予言と世界平和の祈りの意義・・五井昌久さん

2008-10-25 | アセンション

老人ホームにも七夕祭りがあり、母も毎年お願い事を書く。
母は毎年、半分に切った鮮やかな折り紙にサインペンで“世界平和”と書く。
家にいた時、母とわたしはそういうことについて話をしたことはなかった。

台所にいる母、買い物かごをもっている母、庭の花の手入れをしている母の憶えはあるが、
母が“世界”について、なにがしかのはっきりとした思いを持っていることに気づくことなく過ごして
きたということに、今になって気がついたのだった。

前回に続き、五井昌久さんのお話。
いまから47年前に語られている。

「責めてはいけません」というタイトルの本で、平成になって出版された。
以前嫁姑の口げんかをしてしまって、、本屋で手にしたもの。(汗)
十数年、本だなにこっそり置いてある。

タイトルを見るたび、若かった自分の苦い経験を思い出す。
お姑さんとけんかをするなんて、ほんとうにわたしも若かったんだなあ。。
さすがにお姑さんとの戦いは終結したようだけれど、それでも何かにつけて常に自分の心は思うようにはならない。

愛せないということは、愛されないということと同じくらい、苦しいものだと思う。
浮世は憂き世、と言いたくなることは多いです。



        *****



今年(昭和36年)になっていろいろな予言が出ていますね。
さてはたして世界大戦があるものでしょうか、どういうものでしょうか。

これは実に大事なことですけれど、私は“ない”という予言をするのです。
“そういうことはありません”という予言。
わたしは良い方の予言者。
悪いことは一切予言しないことに決めているのです。

それでそういうふうに持っていくための世界平和の祈りなのです。

それではこれから世界平和の祈り,の重大なる意義を申しあげましょう。

世界が大戦になればどういうことになるかといえば、原水爆が落ちてくると、こういうわけです。

私どもは安閑として生活しておりますけれども、実は毎日毎日明日あさって死ぬかもわからない
生命のかたちで生きているわけなんですよ。
だた知らないだけなんです。

キューバでなにがあったって、インドシナでなにがあったって、ちょっとも関係ないような気がするでしょう?
ところがキューバであることが、インドシナであることが、朝鮮であることが、どこかであることが、
どんな小さな国である戦争でも結局は日本に影響してくるわけだし、全世界に影響してきて、
これが地球最後の日になるかわからない、という境目になるわけです。


肉体のほかに幽体というものがあって、その世界を幽界と言います。

幽界という世界はどういうことかというと、みんなの想いが溜まっているところです。

いろんなことが一年中ありましたね。
一年中あったことを皆さんは憶えていますか?

憶えちゃいませんね。
特別なこときり、憶えていません。
あとはみんな忘れているんです、
その忘れたものはどこにあるかというと、幽界を波になって、ぐるぐる廻っているわけです。
これを普通、潜在意識というのです。

そうした想念の波動が自分の幽体の中に廻っている。
それが他の人にも関係してずーっと幽界をぐるぐる廻っている。
だから一人の人がいろんな想いをすることは、幽界という広い範囲をぐるぐる廻っているわけですよ。

だから一人の人が、あのやろうやっつけちゃおう、あいつは憎らしいからやっつけちゃおうというように想います。
それで自分は忘れてしまう、
忘れてしまうけれど、その想いは、幽界をぐるぐるまわっているわけです。

そういうような想いがたくさん溜まると、憎らしいという想いと想いがぶつかって、それが
戦争になったり、天変地異になったりするのですよ。

天変地異をおこすのも、戦争をおこすのも、全部人間の想いなのです。

嵐が起こるのも、 地震が起こるのも、戦争が起こるのも、原因は一つです。
人間の業想念、自分勝手な想い、人をやっつけようとする思い、要するに調和しない、不調和の
想いがみんなそういうものを作るのです。

それで幽界を見ますと、そういう戦いの波だとか、やっつけちゃおう、やっちゃおう、いろんな波が
いっぱい溜まっているわけなんで、その波をたどってゆくと、ああ、今年あたり、もう戦争が
あるなという風に見えるわけなんですね。

そういう波が実際にあるわけなのだからね。


だからそういう予言は必ずしも嘘ではないんです。
けれども、そうなってしまったんじゃ、神は愛ではなくなってしまう。
みんな滅びちゃうんだからね。
そういうことがあるわけがない、あっちゃいけないように、守護霊、守護神があるんですね。

だから守護霊、守護神とか世界平和の祈りを考えなければ、神様なんていうものは非常に残酷なものですよ。

そのまま人間は滅びちゃうのだから。
かならず肉体界は滅びちゃうのですから。

ところが私は、破滅するとは思わない。

世界平和の祈りが生まれてきたということは、幽界にできているあらゆる業想念をみんな清め去って
きれいにして、本来ある神様の生命を、神様の子の生命を、このまますうっと神様の世界から
肉体界まで、まっすぐに光を投げかけて光の交流を図ればね、幽界というのは、きれいになって、
神様の御心の絶対調和がこの地球人類の世界に開けて来るに決まっているのですね。

そういう風にできているのです。


世界人類が平和でありますように
と、まともに言っている時は、その人は大きな観音様です。

そう思ってこの日常生活をしてください。
すると心が豊かになって軽くなって、この世が楽しいですよ。

そうしなければ、世界は平和になりません。

霊界から、サアーッと光をあててね、業想念の迷いの想い、人をやっつける思い、自分が威張りたい
思いを人類の潜在意識の中から、サアーッと消してゆくんですよ。

   
    五井昌久「責めてはいけません」予言と世界平和の祈りの意義

         *****
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人の“想い”が地球の運命を決定する・・・五井昌久さん

2008-10-23 | アセンション

五井昌久さんという宗教家がおられた。

もう亡くなってしまったけれど、30年前に出された本を読んでみた。

地球への祈り、、今も様々あるけれど、この方も地球存亡の危機をずいぶん古くから感じておられたのだと思った。

ホピの人は“ホピは地球の守り人だ”と言うけれど、誰もが、一人ひとりその人のしなければならない仕事があるのだろう。

地球に生きる一人、として。。
地球の守り人、として。。

前に読んだときは宗教書だし、シンプルすぎて物足りないような気がして、本棚の奥の方に入れたままになっていたのだが、読み返してみると、こういう考えは底力をもつ考えだと思い直した。

本が出て30年、、30年を祈ってすごしたか、忘れてすごしたか?

そういうことが問われているのではないかと思った。


*****

普通の人々は、自分の想念波動が、それほど大事なものと思っていないようです。
しかし人間の想念波動ほど大事なものはないのです。

人間の想念波動が、地球世界の運命を決定するのです。

想念波動というと特別の言葉と思われる方々がいるでしょうが、わたしは人間の“想い”を想念波動と言っているのです。

なぜそこに波動という言葉をつけるかと言いますと、人間の想いというのは、波の動きのようになっていて、この地球をつねに経めぐっているのです。

人間の肉体は科学的研究の結果からみて細胞分子、原子、電子、素粒子というように、細かくできているもので、最後は波動になってしまっていますが、想いのほうはさらに微妙な波動なのです。

人間の想いはたとえどんな細かいことでも、この地球や宇宙を巡り巡っていくわけなのです。

人類はどうしても、大生命である神の永遠の道につながる、お互いの朝夕の道を歩まねば、いつかは滅びてしまうものでありまして、今日では大きく人類滅亡のきざしが見えているのであります。

人を傷つける想念波動や、不調和な波動の流れが、この地球世界には多くて、調和した波動の流れは少ないのですが、ただ縦の流れ、いわゆる神の大生命のひびきは、いつの日にあっても、なお調和の流れそのままであることを忘れてはいけません。

権力欲、金銭欲、そうした欲望につながる感情で世界が動いているわけですから、、その内容は生存競争ということになります。

そういう時代は人類時代ではなくて、獣類時代だと言えましょう。
人類と言うのには程遠い感じのする地球世界の住民なのです。

これは人類が進化途上にあるのですから致し方ありませんが、現在のような生き方で地球の住民が生存競争をやっていますと、この人類はいつかは滅びてゆくに違いないのです。

人類はまだ真実のものをほとんどわかっていない。
生命のことも、心のことも、時のことも、空間のことも。

それなのに、そういう重大なことをほったらかしにして、目に見えている世界、現在手のとどく世界のことだけに血眼になって競争しているのです。

情緒(心の本源)の世界をはなれた、肉体人間だけを保存しようとする欲望想念だけで、この地球世界に住み続けようとしているのです。

地球世界は現在、人類のさまざまな業想念波動で汚れきっているのです。

その汚れた波動を清めきらなければ、地球は地球本来の動き方を続けるわけにはゆかなくなってしまいます。

地球自体もやはり波動体であるから、その波動の流れが汚れきっていては動きが狂ってくるのは必定です。

現在の地球世界の崩壊を防ぐためには世界平和祈り,のような光明波動で地球の掃除をし続けなければいけません。

そうして地球をきよめ続けながら、そこに新しい人類の生きる道をつくってゆかねばならないのです。

各人がなにもしないでのほほんとしていたら、地球は必ず滅びてしまいます。

滅びるより、滅びない方がよいにきまっています。

現在では個人だけの幸せなどというものはあり得ないのです。
現在幸せだと言っている人も、実は幸せそうに見えるだけで、その幸せはいつ崩れるかもしれないはかないものなのです。

宇宙は常に変化しています。
そして今や大きな変化を成し遂げようとしています。

地球も宇宙の一つの星です。

地球の動きも大きく変わりつつあります。
これは科学的に種々と知らされています。

今までのような生き方を続けていたのではやってゆけない程、地球の変化は大きいのです。

地球人類は好むと好まざるとによらず、大きな転換期に入ってきているのです。

      五井昌久「純朴の心」(1978年)より抜粋

       *****


wiki「五井昌久」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BA%95%E6%98%8C%E4%B9%85
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チチェン・イツァ・春分の日のピラミッド

2008-10-21 | マヤ・アステカ・オルメカ
世界遺産 チチェン・イツァ


今年の春分に来日された、マヤの第13代神官ドン・アレハンドロさんの神戸での講演が、
スピリチュアルTVにアップされていましたので、載せておきます。
わたしは聞きに行けなかったので、こちらで見られてよかったです。

お話はちょっと聞き取りにくいのですが、ゆっくり聞くとだんだん心に入ってきます。
印象的なところをピックアップするような聞き方ではいけない、と思いつつ、アトランティス
から来たこと、星から来たこと、、たびたび消えてしまっていたこと、など、興味深く聞きました。
チャネリングものは論拠を証明することが難しいですが、民族の伝承は文化的な論拠になるのでは
ないかと思うからです。
リンク先枠内の一番下のPLAY1・2を押すと出ます。
5200年周期の次回の世界の立て直しは、いつなのでしょう。。

      ↓

スピリチュアルTV「マヤ神官ドン・アレハンドロ神戸講演会」
http://spiritual-tv.com/


上の動画は、春分・秋分の日のマヤピラミッドの仕掛けを撮影したものです。
暦を熟知していた人々ならではの仕掛けかと思い、アップします。
youtube「チチェン・イツァ春分の日」



wiki「チチェン・イッツァ」より「ククルカンのピラミッド」の解説


マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。
基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)。
通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。
「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれる。大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されている。
ピラミッドの最上段には真四角な神殿がある。
ピラミッドの階段は4面の91段を合計した364段に最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。
また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。
このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。

北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、
ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れる。

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太古の地球がこれからの地球のモデルになる・・木内鶴彦さん

2008-10-19 | その他先史文明

木内鶴彦さんという彗星の研究家がおられる。

何回か講演会でお話を伺って、とても興味深く思った。

木内氏は、若い時突然奇病をわずらい、瀕死の状態に陥った。
30分間心肺が停止してしまったが、奇跡的に生還した。
その30分のあいだ、いわゆる臨死体験を経験した。

臨死体験のなかで、木内氏は、地球の過去や未来を体験したという。
立花隆さんの「臨死体験」にも収録されている。

壮大な地球創生の体験なので、ことの真偽が立証できるかどうかわからないが、木内氏
ご自身を先頭に、実証的な調査が行われているようだ。


著書「生き方は星が教えてくれる」“太古の地球がこれからの地球のモデルになる”より、
抜粋・転載する。



        *****


太古の地球は生命を生み出すエネルギーに満ちた環境でした。
(略・地球の生成の経緯が書かれる)

さまざまな生物が地球に誕生し、満ちていきました。

しかし、それは現在考えられているような「進化論」に適応した結果ではなく、たたひとつの
目的のもとに増えていったのです。

その目的というのは、地球の環境バランスを整えるということでした。

生命体はよりよい循環を地球上にもたらすために発生し、変化してきました。

植物性プランクトンの死骸を新たな生命発生の土壌とするために動物性プランクトンが発生
したように、すべては生命の循環のために存在しているのです。

わたしが臨死体験の中で見た太古の地球は、植物中心の生態系を維持していました。
その植物の生態系を維持するための役割を担って、動物が発生したのです。

生物にとっては増殖は非常に重要な課題ですが、ひたすら増殖し続けることは、自らの種を
絶滅させることにもつながります。
ある一つの生命体が増えすぎるということは、全体のバランスをゆがめることになるからです。

進化論では、生命体は自らの種をより繁栄させることが可能なように、厳しい自然環境に
適応していくかたちで自らの肉体を進化させていったという言い方をしますが、本当にそうなのでしょうか?

私が見てきた世界は、自らの種を繁栄させるためではなく、地球環境のバランスを整え、
より長く生命が循環しつづけられることを目的に進化していました。

そして種種雑多な生命のバランスを管理するものとして、進化の最終段階で生まれてきたのが
人間だったのです。

生命体のバランスを整えるのは、非常に難しい役目です。
自ら学習し、物事を考え、発想し創造する能力をもつ生命体がどうしても必要となってきたのです。

それはちょうど縁のないお盆の上に置かれたビー玉を落とさないようにバランスを取り続けるゲームに似ています。

お盆が右に傾いたら左側に、左に傾きすぎたら右に戻すといったぐあいで、たえずそのときの
状況や変化に合わせてバランスを取り続けなければならないのです。

わたしは地球の歴史を見ることによって、膨大な意識のなかからこのことを読み取りました。

人類にとっての最大のテーマである「人はなんのために存在しているのか」という問いかけに対する答えを、
わたしはこうして手に入れたのです。

      
   *****


臨死体験により得られた、進化論への反駁の証言である。

アダムとイブがリンゴを食べなかったら、という話かもしれない。


木内氏は講演の際、いつもいつも繰り返して話しておられる。
「人間の仕事は、地球のバランスを保つことなんです。」

もし人類のDNAに、進化論以外の生存のありかたが記憶されているとしたら、それは人類にとっての、
大きな財産ではないだろうか?




Wiki「木内鶴彦

小学5年生の時に池谷・関彗星を見て以来、彗星に興味を持つ。
学生時代には天文同好会に所属。卒業後も長野県臼田町(現佐久市)にて天体観測を続ける。
臨死体験者としても有名。
航空自衛隊にて運航管理者(ディスパッチャー)として勤務していた22歳のとき、当時としては大変珍しい上腸間膜動脈性十二指腸閉塞で一度死亡を確認されるも30分後蘇生した。
死後蘇生したことが医師のカルテに記録されている例としては国内で唯一である。
その経過は学会で報告され、本人側の記録も木内の著書として刊行されている。
回復後は、航空自衛隊を退官、彗星捜索を再開する。
コンピュータによる軌道計算と写真乾板による彗星探査が普通である中で、木内は電卓と大型双眼鏡での眼視によって、当時行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星を再発見するほか、3つの彗星を発見するなどして、全世界から一躍注目をあびた。
木内の当時の彗星捜索のスタイルは、毎日、大型双眼鏡を八ヶ岳の山中にかつぎ上げ、眼視で観測することが特徴であった。

2008年現在、全国で講演会・観望会を行い、天文や環境問題を説いて回っている。
特に光害と、そこから派生する自然環境破壊を強く訴える。

2008年7月、2003年に出願していた、太陽光を利用した炭素化炉システムの特許が日本をはじめ各国において認可された。
2009年完成を目指して実証試験炉を建設中である。

炭素化炉は、巨大な反射鏡により太陽光を集光し、真空透明容器に入れられた廃棄物等に照射することで処理を行う。
通常の物質は炭素・水素・ナフサなどに分解し、二酸化炭素や有害ガス等は発生しない。
ダイオキシンや化学兵器、爆薬なども安全に処理することができ、理論上は核廃棄物も処理可能であるという。
太陽光により処理をするため、燃料費が不要であり、環境汚染の恐れがない、あらゆるものの処理が可能であることなどが最大の特徴である。 また、生成される炭素・水素・ナフサは高純度であり、産業での利用が期待される。l
略歴
• 1990年3月16日、チェルニス・木内・中村彗星(1990b)発見。
• 1990年7月16日、土屋・木内彗星(1990i)発見。
• 1991年1月7日、メトカーフ・ブリューイントン彗星発見。
• 1992年9月27日、スイフト・タットル彗星再発見。
• 1993年、北海道の北見観測所で円舘金と渡辺和郎が発見した小惑星 (5481) が「木内」(Kiuchi) と命名される。
• 2001年 6月公開の映画 STEREO FUTURE (製作・配給=東北新社 監督:中野裕之)に出演
• 2004年 長野県北佐久郡望月町(現長野県佐久市)に、北八ヶ岳第一天文台を開設。

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とても古い人類としての日本人、について・・・DNA型解析

2008-10-16 | その他先史文明

ヒトのDNA型を分析して、人類の歴史を調べる方法があるという。

この方法を用いて日本人のDNA型を分析して、日本人の古代の歴史を調べた研究がある。

その研究によると、日本人は、
人類が始まったころに近い、とても古いDNAをもっていること
また、
とても多くの種類のDNAをもっていること
が明らかになったという。


どのくらい古いかというと、人類が登場したのは14万年前のアフリカであると考えられているが、
日本人のDNAは12万年前に発生したDNAを含んでいるという。

これは、アジア人の先祖と考えられているモンゴロイドが現れるよりも前の時代である。

また、ヨーロッパの人のDNAは主に2種類であるのに比べて、日本人はありとあらゆる種類のDNAを含んでいる。

アフリカから出発した人類は、何万年もかけて東に移動した。
北側のルートで進んだ人類はヨーロッパ、アジア大陸を進み、
南側のルートで進んだ人類は沿岸を進み海洋を開拓した。

日本人はその両方の人類の要素を持っていると同時に、それらが分岐する以前のDNAも持っているというのである。

前回まで、日本の先住民族の主張をとりあげていたのだが、このような観点から見ると、
世界の先住民族としての日本、という見方がうまれる。

これはDNAに残っているというだけのことで、日本人が先に生まれたとか古い方が偉いというわけではないのだが、
人類の記憶がDNAというデータとして日本人の中に保存されているとしたら、それもまた興味深いのではないかと思った。

日本は大陸の端だから、人類の歴史の経緯が、塵が積もるように堆積してきたのであるらしい。

文化の吹きだまり、ということだろうか。

それにアジアの源泉がモンゴロイドより古い、というのはパラドックスで面白い。

アイヌ&沖縄→縄文
という暗黙の図式があるが、DNA型分析ではこれは否定的に見られている。

DNA型の分析からは、アフリカから最初に分岐したDNAが、日本人の基底としてあるとされる。

非常に古い人類が日本にきており、それがDNAに残されている。

そこにアジア系のモンゴロイドのDNAが加わっているとされる。

縄文は新興勢力と考えられている。

アイヌも沖縄も、イコール縄文ではなく、それ以外の要素を含んで成立していると考えられているようだが、定説はわからない。

(下に紹介する崎谷氏と宝来氏の見解も、別々である。)

一部東北地方のヒトのDNAからはかなりはっきりヨーロッパ型のDNAがみられるともいう。

だから、アイヌが先か松前藩が先か?などという問題ではなく、日本列島はDNAレベルでは
多民族国家であり、かなり堂々たる世界の先住民族である、と考えられるようだ。


これらの観点からは、いろいろな考察がうまれる可能性があると思う。

以下はwiki「日本人」の説明文。
(ただしこの欄は“検証中”に分類されています。)

         ***

分子人類学による説明・Y染色体による系統分析
崎谷満による説明)

以下、前掲崎谷の分析に依拠して説明する。

最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、シベリアの狩猟民であるC3系統である。
バイカル湖周辺からアムール川流域およびサハリンを経由して、最終氷期の海面低下により
地続きとなっていた北海道に達した。また一部は沿海州を南下し、朝鮮半島を経由して北部九州に達した。
細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えられる。

その後、一万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。D2は日本だけで見られる系統であり、
アイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本人42~56%で、朝鮮半島では0%である。近縁のD1,D3がチベットで見られる。
D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。

同じ頃、経路は不明であるがインドに起源を持つC1系統が南方から入ってきた。貝文土器を用い、
縄文人とは異なる文化を南九州に築いた。

O1系統は台湾が起源であり、オーストロネシア語族との関連が想定されている。台湾と近いにも関わらず、
日本列島ではO1はごく少数に過ぎない。

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは 2800年前である。
長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上し、
山東省、朝鮮半島、日本列島に達した。長江文明の稲作を持ち込んだと考えられる。

O3系統は黄河中上流を起源とし、漢民族に典型的に見られる他、周辺の諸民族にも広く見られる。
歴史的にO3は一貫して拡大しており、このためにD系統およびO2系統が駆逐されたと考えられる。

日本列島の特異な点は、D2やO2bなど、大陸では敗者となった集団が、絶滅せずに混じり合って
存在していることである。
その他にもC1,O1,O3など多様な遺伝子集団を吸収し、保持し続けている。

一方ミトコンドリアのハプログループに注目すると、日本には世界で日本人にしか見られない
M7aというグループがある[要出典]。
これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている。

          ***



参考

HP「古代で遊ぼ」DNA分析による日本人形成・・川上しのぶ
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/dna/dna.html
(大変分かりやすい。図表がとても貴重なので、ご一読をおすすめします)

「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満・YomiuriOnlinehttp://www.yomiuri.co.jp/book/review/20080212bk05.htm

「DNA人類進化学」 宝来聴 岩波書店

Wiki日本人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

wiki古人類学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6
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先住民族サミット、あれからどうなった?(3)

2008-10-14 | アイヌ

以前の記事で紹介した「先住民族サミット宣言」に続いて、サミットの開催主である日本政府に、
国際的な基準としての「先住民族の権利に関する国連宣言」を守ってほしい、と呼びかけた「提言」が、採択された。

多様な文化の在り様を認めることは、日本に住むどの人々にとっても、より生きやすい社会を作ることになるのではないかと思う。

先住民族サミット」HPより転載する。
      

「先住民族サミット」HP
http://www.ainumosir2008.com/map5.jpg




          *****


先住民族サミット「アイヌモシリ」2 0 0 8から日本政府への提言


北海道・洞爺湖サミットに参加した各国の首脳に、国際連合の「先住民族問題に関する常設フォーラム」の
ヴィクトリア・タウリ・コープス議長とともに先住民族からの提言を行うため、このアイヌモシリ(北海道)に集まった。

我々世界各地の先住民族の代表は、「アイヌ民族は日本の先住民族であ
る」という、衆議院、参議院、すべての議員の賛成決議を受け、日本政府が、アイヌ民族を正式に先住民族と認めたことを高く評価する。

アイヌ民族を先住民族と認めた日本政府は、2007年9月13日に、自らが国際連合で賛成票を投じた
「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の内容を速やかに実施するために、アイヌ政策のあらゆる立法化や
、行政レベルでの対応を検討すべきであることから、まず過去のアイヌ政策を反省し、明確な言葉で公の場で謝罪する事から始めなければならない。

現在、日本政府が設置しようとしている「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」のメンバー8名のなかに、
アイヌ民族の委員が1名しか入っていないことは、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を日本政府が認めたにも関わらず、
それを無視するものであり、認めることはできない。

したがって、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の構成や運営においては、アイヌ民族と
日本政府との対等な関係が保障されるべきであることから、その数についても、少なくとも半数以上が
アイヌ民族から選ばれ、委員の選定についてもアイヌ民族の意見が尊重されるべきである。

日本政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に明示されている、先住民族の権利、
とりわけ、自己決定権、言語権、自然資源利用権など、アイヌ民族が本来もっていたすべての権利の
速やかな回復を図るべきである。

アイヌ民族だけでなく、日本のすべての国民、とりわけ、将来を背負う若者たちのためには、
幼児期からの教育がもっとも重要である。

アイヌ語を公用語とし、義務教育でも学べる言語とすること、
アイヌ民族の視点で歴史教科書を作成することなど、日本政府は若者の教育を重視した施策を
早急に実施すべきである。

アイヌ民族は、北海道だけでなく、本州、サハリン(旧樺太)、クリール諸島(旧千島)、カムチャツカなど、
広大な地域で生活していた先住民族である。
この事実にもとづき、日本政府は、いわゆる「北方領土」の返還交渉にアイヌ民族を主権者として
加えるべきである。

さらに日本はウチナンチュウ(沖縄)の人々、在日韓国人などを含む、様々な人々からなる多民族国家であり、
日本政府は多民族で多文化主義の国家という考え方を基本とする社会を構築することを明確に示すべきである。

先住民族サミットアイヌモシリ2008参加先住民族一同
  2008年7月4日 決議

      

        *****


ニュージーランドでは、先住民族マオリ族の固有な言葉を、生きた言葉として使う試みで、
その独自な社会と文化が保持されているという。
日本においても、様々な立場から、様々な歴史が語られるのは、文化に豊かさをもたらすことだと思う。

報告会でも、「イオル(伝統的生活空間)の再生」(狩り場の再生など)といった静的な政策より、
もっと主体的にアクティブに現実にかかわってゆきたい、と話されていた。

当然の要求ではないだろうか。
他者の自由を認めなければ認めないほど、自分の自由さもまた、見失ってゆくのではないだろうか。

「ニュージーランドの先住民」HPから転載する。

「ニュージーランドの先住民」HP
http://www.newzealand.com/travel/ja/about-nz/features/maori-culture/index.cfm



         ***


近年では、コハンガ・レオ(マオリ語でことばの巣の意)という言語教育システムの導入によって、
マオリ語が復活しつつあります。

就学前児童を対象とするコハンガ・レオでは、子どもたちが積極的にマオリ語で話せるよう工夫がなされています。

早期にマオリ語の基盤を作り、続く初等・中高等教育においても各課程の中にマオリ語を含める
ことで、マオリ語が日常生活の中で根付き、育っていくようにしています。


歴史を昔話や神話、伝説などの形で口承する伝統は今日でも引き継がれています。

多くのマラエでは長老が部族の知恵、礼儀作法、系譜を若い世代に伝授しています。

長老が語り伝える話には、マオリの本質的な世界観に基づいたものが数多くあり、例えば、
北島を釣り上げたマウイの伝説 [ マウイの魚の物語 ] や、ティエケ(セアカホオダレムクドリ)
の背中はなぜ赤いのか [ マウイと鳥のティエケの物語 ] 、といった物語が
よく知られています。

伝統工芸彫刻家もまた、マオリ文化の継承に大切な役割を果たしています。

彼らの刻み込む複雑な彫刻作品には、歴史に対する敬意がこもっています。
各作品にはひとつの物語が彫刻で表されていて、読める人が見ればわかるようになっています。

頭の形にも、体の姿勢にも、ひとつひとつの模様にもそれぞれに意味があり、その全てが合わさって
過去の出来事を記録し、記憶を後世に伝える働きをしています。

現在のニュージーランドの指導者たちもマオリの伝統的な信仰を尊重しています。

近年では、マオリの禁忌に触れないために、北島で道路計画の修正が行われた例があります。

計画の原案では、道路はある沼地の上を通る予定になっていました。

ところが、地元の部族ナティ・ナホの人々は、この沼にはカルタヒという一つ目のタニファ
(水辺に住む魔もの)がいると信じていました。

カルタヒはワイカト川が氾濫している間はそこで泳いで暮らしているが、一年のうち半分は
この沼地で過ごしているので、カルタヒを怒らせることになると恐れました。

そこで、ニュージーランド国土交通省はナティ・ナホの人々にとって歴史的に大切な場所として
この沼地を保存することを認め、道路計画を変更したのです。

         ***

「先住民族サミット」HP
http://www.ainumosir2008.com/map5.jpg
「伝統的生活空間(イオル)の再生について」
http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/ka/seikatu/chouminseikatu-ioru.htm
「ニュージーランドの先住民」HP
http://www.newzealand.com/travel/ja/about-nz/features/maori-culture/index.cfm
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いとし子よ、愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言

2008-10-12 | 野生の思考・社会・脱原発
長崎で、原爆に被爆なさり、夫人を亡くされ、ご自分も被爆により43才で世を去られた長崎医大の医師、
永井隆さんが、二児に残された遺言です。
63年の時をこえて、肉声が伝わってくるように思います。


     ***


いとし子よ。

あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、

お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。

そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。

原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。

そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。
これきり戦争を永久にやめることにしよう」

・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと
戦争がしたくなってくるのである。

私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

我が子よ。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。

憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。

もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、
叫び通しておくれ。

敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。

しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。

オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
    
   
      ***


永井隆記念館HP
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/

コメント (16)
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青木やよひ著・「ホピ族と徴兵拒否の思想」をよむ

2008-10-10 | ホピ族




広島に原子力爆弾が投下された日が、めぐってきた。。

若き日のあこがれの、青木やよひさんの「ホピの国へ」(1975年刊)という本を読み返した。


            *****

              (引用ここから)


第二次大戦の時期のアメリカで、人口数千人のインディアン・ホピ部族から6人の徴兵拒否者が出て、
裁判にかけられた。

ホピ(平和)の掟を守りつづけてきた部族の一員として、たとえどんな状況下にあろうと
武器をとって人を殺すことはできないと、6人は主張したのだ。


ここに一通の文書がある。

第二次世界大戦後の1949年、ホピ族が発した公式文書である。

それは「ホピインディアン帝国」から、合衆国大統領あてになっている。

つまり、彼らは戦後になっても自分たちを合衆国国民とは思っていないらしい。

そしてそこには、戦時下に彼らがなにをもって徴兵拒否の思想としていたかを、うかがい知ることができる。


「我々は、我々自身のやり方で、みずからの運命を決定しようと欲している。

我々は、我らの弓と矢を、だれにも向けようとは思わない。

我らの伝統と宗教的訓練は、いかなるものをも、傷つけ、殺し、苦しめることを禁じている。

我々は、我らの子弟が、戦争のための殺人者となり、破壊者となる訓練を強制されることに抗議する。

この国土における生命の聖なるプランは、偉大なるマサウウによって、我らのために整えられたものである。

この計画を変更することはできない。


いまは人類史のなかで、もっとも危機的な時代である。

いたるところで民衆は混乱している。

いま我々が決定し、今後なすべきことが、各自の民族の運命なのである。

いま我々は、審判の日について語っているのである。

我らホピの予言の光のなかで、審判の日は近づきつつある・・。」



予言といえば、「ホピの書」という本のなかに、ホピの30人のスポークスマンがこもごも語った
言葉の聞き書きがのっていて、その「ホピの予言」と題する章は私たちを考えこまさずにはおかない。

これは、1961年に第三次世界大戦が起こる可能性を予測しながら、語られたものである。


(もし第三次世界大戦がおこったら)

「合衆国は、土地も人民も、原爆と放射能によって滅びるであろう。

ホピ族とその故国だけが、難をのがれる人々のオアシスとして残るであろう。

原爆シェルター(避難所)など作ろうと考えるのは、唯物的な人々だけである。

その心にすでに平和を抱く者は、生命の偉大なシェルターの中にいるのだ。

邪心ある者にはシェルターなどありはしない。

たとえ黒色、白色、赤色、あるいは黄色人種であろうと、イデオロギーによる世界分割に

役割を持たない人は、他の世界において生命を取り戻す用意がある。

彼らはみな等しく兄弟である。」


さて、砂漠の賢者たちの高貴なよびかけに対して、私たちはどう答えられるだろうか?

はたして私たち日本人は、彼らの兄弟の列に加わることができるのだろうか?           


(引用ここまで・4章「未開から見た文明」より)
 

                  *****


若い日に、ホピ(の魅力)に捉えられて、うめいた時のことを思い出した。

「平和」という思いは、わたしにとっては、いさかいの元凶そのものであるわが身を裁く
「掟」との対峙であり、

わが身の在り方について、おそろしいばかりの強烈さを持って省察を迫ってくるものなのだ。


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ふつうのこと・・ふつうの唄を聞ける暮らしへの雑感

2008-10-08 | 心理学と日々の想い



山根麻以さんの「ふつうの唄」、いいですね。

老人ホームに暮らす母の歯茎がやせて、入れ歯がうまく合わなくなってきた。
口の中の入れ歯がうまくはまらないというのは、想像の外やっかいなことのようで、
口をあけると歯が落ちてくるので、食べることも話すこともすっかり難儀になってしまったようだ。

だんだん口数が少なくなって、姿はまた少し小さくなった。

吸飲み(すいのみ)で牛乳を飲ませてあげながら、あぁお母さんは赤ちゃんになっちゃったんだ、、と思った。

飲み込みが困難なので、生まれたての赤ちゃんの方がずっと上手だ。

かつてお母さんの乳房からお乳を飲んだであろう自分を思った。

十数年前わたしの乳房からお乳を飲んだわたしの子ども達のことも思った。

母とわたしとこどもたちと、まだ見ぬ彼らのこどもたちと。。

たくさんの顔が流れるように現れて消えていった。

だれかの子どもになり、だれかの親になり、年老いて、土にかえり、、それからまた、
その土の上に生まれて、だれかに育てられ、だれかを育てて、土にかえる。。

わたしが今生きているのは、そんな生なんだ、と改めてもう一度思い直した。



先日新聞に上のお子様を亡くされた小学生のお母さんの投書があった。

「娘が亡くなってから、小学校は苦手な場所だった。
痛々しい娘の姿を思い出してしまうから。
息子の入学式。意を決して出席した。
平常心でいられるのか、自分のことが心配だった。
けれど息子の姿がとてもまぶしく輝いて見えた。
娘が泣いてしまった入学式をもう一度やり直している気がした。
娘はきっと、弟を見守ってくれている。
自分がもっともっとやりたかったことを、弟とここで一緒に経験していくんだ。
あこがれの給食、体育、運動会。。
そう思えて、息子に、その存在に心から感謝した。
息子の後ろ姿のとなりに、娘の笑顔が見えた気がした。」
       
        A新聞・生活欄投書より


あこがれの給食、体育、運動会、、というところで、何回読んでも泣いてしまった。

子育ては、日常の連続。

生命に添って生きるという約束。

今日の次には明日が追いかけてくる。
キャンセルも、延期もできない。
生命の流れとリズムが、すべてに優先する。

妊娠を知った瞬間、はじめてわたしは、わたしの体が自分だけのものではないという
ことに気がついた。

体の中で、別の生命と取り結んでしまったエニシ、、その不思議のループを味わうのが、
わたしにとっての子育てかと思う。

学校教育これでいいのか、給食に冷凍食品出していいのか、一番を競う運動会反対
、町にあふれる危険をどうする、子供たちの心は荒れ果てているじゃないか、、、

文句はいくらでもつけられるだろう。

でもただ生きているだけで、どれほど面白いか、
世界がどれほど不思議に満ちているか、
たくさんのものたちに守られて、なにかとひきかえに、今の自分がある、

そういう感じをぬぐいきれない。

ふつうの日々のなかに流れる、豊かさと実り、
大切にしないでどうする?
と、自問した。
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ホピ・インディアンの「第1の世界」。。

2008-10-08 | ホピの宇宙神話・伝承・祭

前からきちんと読んでみたかったホピ・インディアン関係の本を少しずつ読んでいる。

ホピ族の神話によると、今の世界は火山の噴火や氷河期や大洪水を乗り越えてたどり着いた
4番目の世界であるという。

以下の文章は、一番初めの、第1の世界、世界のはじめのありようについて述べられた中の、ごく穏当な部分の“聞き書き”である。
この“聞き書き”は三十人の長老たちの語りの集成ということである。。

さて、
語る方=長老、たちから言えば、生きた口承文化を存続させるためには、
文字は受け入れてはならないのである。

文字文化は、口承文化を死滅させてしまうからである。

だから、ホピ族の方たちは、文字をかたくなに否定してきた。
だからこの本は、矛盾の産物なのだとも言える。


ホピ族は言う。


大いなるものとの約束を忘れないためには、人間のつくった約束(法律)はいらない。

だから、土地は私有しない。
お金はいらない。
文字はいらない。
学校教育はいらない。
安楽快適な生活はいらない。
頼むから、わたしたちを放っておいてくれないか?


。。
これはまことに信仰深い人間の独白ではないだろうか?
生きた旧約聖書の世界と言うべきではないだろうか?


これ以上赤裸々な人間の姿を、わたしは知らないのだ。

神話という形で伝達するのがふさわしい意味合いを、生身の生活者が実践する、というのは、
幸せなことなのか、、
これはわたしにとっては重い問いなのだ。。


    ***


最初の知恵が与えられたとき、彼ら(人類)は大地が自分たちと同様に生き物であることを理解していた。

大地は彼らの母である。
彼らは母の肉体から造られ、その乳房をすすった。
動物がみな食む草、そして人類のために特に造られたトウモロコシが母の乳房だった。
トウモロコシはまた、多くの点で人と似たからだを持つ生き物であり、人はその肉を自分たちの肉体とした。
したがってトウモロコシもまた、彼らの母であった。

彼らはまた、父をも二つの面からとらえた。
父はまず宇宙の太陽神である太陽だった。
しかし太陽は創造主タイオワが彼らを眺めるための顔にすぎなかった。
これらの宇宙的な実体がまことの親であり、人間の親は彼らの力が現されるための器にすぎなかった。

近代まで、彼らの子孫はこのことを覚えていた。

子が生まれると、母なるトウモロコシが脇に二十日間置かれ、その間、子は暗がりの中で過ごす。
それは、体はこの世のものであっても、なお宇宙の両親の保護の下にあるからである。
二十日目の朝早く、まだ暗いうちに、子供の伯母全員が家に集まる。
太陽が地平線の上にすっかり顔を出すと、母は一歩進み出て子供を太陽にさし出し、
「父なる太陽、これがあなたの子供です。」という。

彼女は子供が杖にすがって歩くようになるほど長生きし、こうして創造主の掟に従ったことを
身をもって証しすることができるようにとの願いをこめて、ふたたび同じことをする。
母親が終えると、祖母が同じことをする。

そして、二人はこの新しい命のために太陽に向けてコーンミールで道を描く。

子供は今や、家族と地球、両方のものとなる。

母と祖母は、伯母たちが待っている家に子供を連れて帰る。
村の呼び役が子の誕生を告げ、祭りが子供のために開かれる。

七年か八年の間、子供は月並みな地上生活を送る。

それからある宗教団に所属して、自分が地上の親をもっていても本当の親は母なる大地と
父なる太陽であることを学びとる。

彼は地上の家族と部族の一員であると同時に大宇宙の民でもあるのだ。

この認識は、彼の理解が増すにつれていっそう深まってくる。


   ***

       「ホピ・宇宙からの聖書」より引用させていただいた。
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ろうそくの炎という瞑想

2008-10-05 | メディテーション

先日、出先ではじめてダスカロスという人の本を手にしたので、おみやげに買って帰った。

ダスカロスとは、ギリシャ語で先生という意味だそうだ。

ユダヤ教エッセネ派の系統の教えのようである。

ぱらぱらめくると、ろうそくの炎という瞑想があった。



「右手を右足の上に置き、深い呼吸をしながら、指先を動かしてみましょう。目をつぶって、その手と、純白のエーテル体の手を詳細に観察します。

次に、目をつぶったまま、肉体の腕からエーテルの腕を上げ、顔の前に持ってきてください。
そして指の関節、爪、指先の指紋などを詳しく観察します。

次に、空気中にあるエーテルバイタリティーを使って、その手の中に大きな白いろうそくを作ってください。
一本一本の指がそのろうそくをどのように握っているか、感じてください。

運動性エーテルを使って、エーテルの手をろうそくに沿って動かしてみましょう。
その時、手の中でどんな感じがしますか?
ひんやりしたロウの感触や硬さなどを感じてみてください。

あなたの心の中には、火が燃えています。
それは、永遠の愛と優しさ、憐れみの炎です。
その炎で、ろうそくに火を点してください。

ろうそくの炎をよく観察してみましょう。
芯の周囲が少し暗い色になっていることに気づきましたか?
この暗い部分の周辺や上部の炎はより明るく、オレンジ色から始まって、頂点は金色に輝いています。

もしあなたの心に妬みや不安、怒りがあれば、ろうそくの炎はパチパチ音をたてたり、ゆらゆら揺れるでしょう。
あなたの思考と感情をリラックスさせれば、炎は穏やかになっていきます。
一つ一つの欲望、思考、感情を炎の中に入れ、あなたの心と思考を浄化してください。

はじめに、誤解から生じる思考、偏見、判断のすべてが頭の中から流れ出て、炎の中を通り抜けるのをイメージしてください。
次に、あらゆる苦しみ、妬み、不平不満の感情をあなたの心から離し、その炎で浄化させましょう。
そして最後に、あなたの太陽神経叢の中に溜まっている怒りと恨みをすべてその炎の中に放ってください。

あなたの意識の足かせになっている、このようなエレメンタルの数々は炎によって非活性化されるか、宇宙意識へと送られるか、あるいは浄化されてあなたの元に戻されます。

あなたの現在のパーソナリティーは、炎によって清らかに浄化されました。

炎を見つめてください。
炎はまっすぐ高く安定し、静止しています。
その光は澄み、明るく輝いています。

炎が完全に静止状態になった時、あなたの心は迷いがなく、洗い清められ、一点に集中された状態になっています。

さあ、ロゴスに感謝しましょう。
炎をあなたの心に戻し、ゆっくりとろうそくを溶かしていきましょう。」

     ダスカロス著「エソテリックプラクティス」P120 


エーテルバイタリティーって何か、エレメンタルって何か分からないながらも、やってみると、
思ったより、ろうそくの炎は、強く一本まっすぐに立ち上がって燃えていた。

わたしの心はとても弱く、つねに迷いに満ち、また時にはあわただしくいきり立ち、
バランスを崩しがちであるけれど、それは炎の一瞬の揺らめきにすぎないのだろうかと思われた。

あらゆる魂がそうであるように、わたしの魂もまた、その本質の次元では、不動の決して尽きることのない、
輝かしく活ける実体なのだと思った。
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あしたは夏至・・あかりを消して見えるもの

2008-10-05 | 環境(ガイア)
(6月20日記す)

あしたは夏至
太陽が一番長く地上に留まる日。
太陽を思うと、自分の中の、太陽ほど古いなにかを思っていることに気づく。
泣きたいほどのなつかしさ。
どうしたら、戻ることができるのか、、
なぜ、わたしはここにいるんだろう、、。

街では、100万人のキャンドルナイトのイベントもあるようだ。
電気を消して、ろうそくのあかりで一夜をすごすという。

100万人のキャンドルナイト」HP
http://www.candle-night.org/jp/

いつもわたしたちは、明るすぎる世界に生きているから。
なにかを遠くに置いて来てから、ずいぶん長い時間がたつ。

電気を消すと、闇を照らして炎が立ち上がるのがわかる。
それが、人間の生活の自然なのだろうと思う。
それなのに、、わたしは、、ずいぶん自然から遠くはなれたところに来てしまったものだと思う。

山の背を黒く染めて傾き迫る夕刻の太陽と、闇のなかの炎をうたった山尾三省の詩を思い出す。

夏至の日を前に、静かな気持ちで火をたくことの大切さを忘れないでいたいと思う。


         ***

「火を焚きなさい」


山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい


少しくらい煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そうしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか
背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる
夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ
不思議の時
火が 永遠の物語を始める時なのだ


それは
眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものでもない
お前達自身が お前達自身の裸の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議の物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持で 火を焚きなさい



人間は
火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを


山に夕闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色の神殿から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい


びろう葉帽子の下で/山尾三省詩集」(1993年、野草社刊)
「葉っぱの鉱夫」HPより
http://happano.org/index.html
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アイヌはここにいるよ・・という集い

2008-10-05 | アイヌ
(6月8日記す)

今日は、「アイヌ オカイ アン ワ(アイヌはここにいるよ)・・・首都圏アイヌ民族文化祭」という集いに行ってみた。

主催はアイヌウタリ連絡会
http://ameblo.jp/ainu-utari-renrakukai


アイヌ民族を日本の先住民族であるとする国会の議案が採決された今、アイヌの方々が思い、望んでおられることを語る、ということがテーマである。


アイヌは北海道にいる少数民族、という印象があるけれど、実際は関東などに来ている人たちも多いという。

その人たちは、二重にアイデンティティを失っている。

今日の集いでは、シンポジウムやユーカラ吟唱、楽器の演奏、踊りなどの演目があった。

先住民族と認定されたことについては、長い苦しみからようやく一歩前進できたという喜びと、さあ、これからだ、というきもちと、またしてもないがしろにされるのではないかという疑心暗鬼、が絡まりあっているように話されていた。

wiki「アイヌ旧土人保護法」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%97%A7%E5%9C%9F%E4%BA%BA%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95
「アイヌ国会決議、懇談会参加めぐり駆け引き」
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20080607hog00m010005000c.html

印象的だったのは、
「わたしたちは北海道を和人にあげたつもりも、貸したつもりもまったくない。」ということば。


また、自治体(白老町)で「イオルの再生」に取り組んでいるという報告があった。
イオル」というのは、アイヌのひとたちのかつての生活空間のことである。
アツシという民族衣装の原料になる木の植林をしたり、鮭漁の禁止条例の撤廃が試みられているということだ。

これは地元自治体の試みであるが、民族博物館といった過去の遺物ではない、現実の生活空間の再生という意味で、大切だと思った。

「イオルの再生」
http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/ka/seikatu/chouminseikatu-ioru.htm

今日の集い,は午後からだったのだが、朝は河川敷でカムイノミという儀式が行われたという。

このような儀式も、アイヌの土地をはなれると、なかなか行いづらいのではないだろうか。
知名度が上がればいいな、と思った。
今の日本なら、こういうネイティブ系シャーマニズムは、株価が高い。

wiki「カムイノミ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%9F
YouTube「平取ダム道路着工・カムイノミpart2」
http://jp.youtube.com/watch?v=yUBf7yJj6RY&feature=related

踊りもすごくよかった。
わたしは男性の地の底からひびくような雄たけびにしびれてしまった。
胸がぐーっと痛くなって、呼吸ができなくなって、声にならないすごい悲鳴が出て、のたうった。
今もまだ、胸から上が痛い感じがある。
なんだろうか?

アイヌの文化は、文字がない。
見た目はすごく静かで、押しが弱い感じがする。
民族楽器のムックリも、トンコリも、無垢で切ない楽器だと思う。

しかし、どうしてどうして、だと思う。

先日読んだ本に、今の世界は動物が野生化している時代だ、と書いてあった。

これはパラドックスである。

アイヌの世界は、動物が野生化していないのだ。

アイヌが“野蛮な土人”だと見えるのは、今の世界の錯覚である。

今の世界が、野生の動物と、野生の“土人”という観念を生み出しただけなのだ。

わたしはそう思うのだけれど。。




YouTube「酒井美直・旧土人と呼ばれて・わたしはアイヌ、魂の歌」
http://jp.youtube.com/watch?v=0RdDGPl-Zss&feature=related
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