始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

“日蝕(日食)”が 過ぎて・・黒い太陽に思ったこと

2009-07-29 | メディテーション
7月22日は、日蝕(日食)でしたね。

わたしはNHKで放送されたものを、11時の実況と再編集した夜のものと、2回見てみました。

テレビをぜんぜん見ないわたしとしては異例で、家族も意外に思ったようです。


「日蝕は大凶事であるからぜったいに見てはいけない」とネイティブ界やヒンズー教では言われているようです。

なので、わたしのまわりの人たちはかなり日蝕は見ないよう心がけるという人が多かったです。


そんな中でわたしは日蝕を見て、いろいろ思うこともありました。



おそらく「日蝕を見てはいけない」というタブーは、人々のかつての記憶からの知恵なのではないかと思います。

おそらく、かつて昔、太陽が黒くなり、本当にいつまでも朝がやってこない時があったに違いないのだと思います。

わたしはそのような記憶が自分の中にもあるように思われるので、「日蝕の太陽を見る」ことは、わたしには深い経験になりました。


テレビで、太陽のアップの映像を見ていると、太陽を凝視している自分を見出し、「月輪観」とか「日輪観」という瞑想法があったことを思い出しました。

これは「昼間、月が今どこにあるかを心で感じる」、また「日が沈んでから、太陽が今どこにあるかを心で感じる」瞑想だったと思います。


普段誰も訪れないような遠い島に、日蝕がよく観察されるルート上だという理由で多くの人々が宿泊しているとテレビは報じていましたが、

人が太陽を見ることに、誰も是非を唱える権利はなく、太陽や月を、自分が魂の中にいかに掴んでいるか、ということが大事なことではないかと、改めて思いました。

「魂の中の太陽」こそが神秘であり、ある意味、黒い太陽も黒い世界も真実だ、と思いながらテレビの中継を見ました。



また、テレビに映し出された黒い太陽は、かなり怖かったですが、その黒い太陽の下、身の回りの、ふだん使っているいろいろな文化物、特に電化製品、、電子レンジとか、携帯電話が異様な妖気を発しているのが感じられ、印象深かったです。

人工的なものが、ものすごく“異様なもの”であることが露わになり、これらはなんと恐ろしい“魔物”なのだろう、と思わずにはいられませんでした。

感性がいつもと違い、この世界が違って見え、こういう“異様なもの”に囲まれて、わたしたちは生きているのであると、心底思いました。

すでにわたしたちの社会は、〝魔物にかこまれた世界”であり、わたしたちは〝正気″などではない、のでしょう。

‶魔物″としての日常、そして、私たち、という思いを、はげしく感じました。


“日蝕”は社会的には“ものいみ”すべき凶事というべきことかもしれませんが、瞑想的には、様々な気づきを与えてくれました。




北山耕平ブログNativeHeart「日蝕を見ずにヴィジョンを見ること」
 


afpbb.com2009・07・20より
「皆既日食で暴動が起こる」占星術師が警告

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2622780/4373669

7月22日の皆既日食は、世界各地で暴力や混乱が起きる予兆だと、インドの占星術師らが警告している。

 ヒンズー教の神話では、日食はラーフ(Rahu)とケトゥ(Ketu)という魔物が太陽をのみ込むことによって起きる現象と考えられている。

生命の源となる光が奪われることで、食物や飲料水も生き物が口にしてはならないものに変わるとされる。

 妊娠中の女性は胎児への悪影響を避けるため、日食中は屋外に出ない方がよいとされる。

ニューデリー(New Delhi)市内のある婦人科医によると、皆既日食がみられる22日に帝王切開手術を予定していた妊婦から、手術日の変更依頼が相次いでいるという。

 日食中の正しい過ごし方としては、断食や聖なる川での沐浴が奨励されている。



源氏物語用語辞典より
物忌み・物忌 [ものいみ・ぶっき・ものいまい]

 暦や占いで凶兆がある時や夢見が悪い時にそれらを避けるため、また触穢(人の死や出産などに接触または接近すること)の時などに、1日~数日間、家に籠もって身を慎むこと。

 物忌み中であることのしるしに、柳の木の札や忍草に「物忌」と書いて、冠や簾にかける。



モーセの十戒より

1. 主が唯一の神であること
2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 偽証してはいけないこと
10. 隣人の家をむさぼってはいけないこと


wiki阿字観より

阿字観(あじかん)は、平安時代に弘法大師によって伝えられた瞑想法。阿字観ヨーガ・密教ヨーガとも言う。

大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめ、姿勢と呼吸を整え瞑想する。

元々、真言宗の僧侶が鍛錬の方法として実践していたもので、真言寺院に伝えられていた。

トレーニングの瞑想法として、息数観、阿息観、月輪観がある。
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イギリスの環状列石・ストーンヘンジをめぐるあれこれ・・その1

2009-07-25 | その他先住民族
     
先日、イギリスの古代遺跡ストーンヘンジのそばの土中に、現存するものよりはるかに大規模な、かつそれよりずっと古い、今から6000年前に建てられた巨大遺跡があることが判明したというナショナルジオグラフィック発のネット記事を見つけました。

少しだけ引用しますが、この大規模な古代遺跡はイギリスにおける邪馬台国か、仁徳天皇稜のように扱われるべきなにものかかもしれません。

この大規模遺跡の今後の発掘が待たれます。

以下2009・0616・Yahooニュースから一部引用します。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090616-00000002-natiogeo-int


          *****
              
                     (引用ここから)

「6000年前の遺跡、イギリスで発見」


 イギリス南部で撮影された航空写真にミステリーサークルのような奇妙な地形模様が写っていたが、このたび、それが先史時代の巨大な複合型儀式施設であることが判明し、考古学者たちは驚きの声を上げている。

 今回の発見につながったデイマーハム考古学プロジェクトのリーダーで、ロンドンにあるキングストン大学の考古学者ヘレン・ウィックステッド氏は次のように話す。

「この遺跡の近くにはあの有名なストーンヘンジがあるが、それよりも1000年古いものだ。

遺跡には木製の神殿の痕跡のほか、6000年前に建設された2基の巨大な古墳が確認されている。

イギリス最古の建造物の一つと考えられるが、このように巨大な遺跡が今日に至るまで発掘されてこなかったとは、まったく驚くほかない」と話す。

 ストーンヘンジの調査を続けているストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクトのリーダーの一人で、イギリスにあるブリストル大学の考古学者ジョシュア・ポラード氏は今回の調査報告を受けて次のように話している。

「今回の発見は並大抵のものではない。

考古学者は過去数十年にわたりストーンヘンジの周辺地域に注目してきたが、この地のことはいままで誰も気付かなかった。

おそらく、あまりに規模が大きい複合的な遺跡なので、とっくに発見済みで既に知れわたっているものだと考えられてきたのだろう」。


 遺跡が発見されたのはストーンヘンジからおよそ24キロ離れたデイマーハムという村で、村の農地には200ヘクタールにわたり、数々の構造物の外郭線がところどころに描き出されていた。

               (引用ここまで)

      *****



ところで、すでに地表にあるストーンヘンジは、どのような歴史をもっているのだろう、と思いました。

日本の環状列石は、その起源や用途はいまだ解明されていませんが、イギリスのストーンヘンジもやはり謎のままのようです。

ですが、この荒涼とした平原にそびえる円形の巨石群(写真で見ただけですが)は、人の心の奥深くに眠る古代の魂を呼び覚ますかのように感じられます。

日本人のわたしですら、遠い記憶を辿りはじめたく感じるのですから、ヨーロッパの方たちにとってはずっと身近な、ヨーロッパの民族のアイデンティティに係る遺跡としてとらえられてきた歴史があるようです。

「ヨーロッパの人々は、ストーンヘンジは誰が作ったと考えてきたのか?」、という問題を辿ってみようと思います。

続きは次に投稿します。



wikiストーンヘンジより

ストーンヘンジ(stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石のこと。

現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。ストーンヘンジは北緯51度10分43.9秒西経1度49分6秒 に所在する。



円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなる。

考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。

しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。

馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。

夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。

また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。


遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。


クリストファー・チッペンデールの Stonehenge Complete によると、ストーンヘンジの語源は古英語で石を意味する “sta-n” と、蝶番を意味する “hencg”(横石が縦石に蝶番のように積んであるから)もしくは絞首台または拷問具を意味する “hen(c)en” から来ているとされる。

中世の絞首台は、今日見られるような逆L字型ではなく、二本の柱とそれに乗った横木で出来ていて、ストーンヘンジの構造に似ていた。

「ヘンジ」の部分はヘンジとして知られるモニュメントの一群を指す名前になった。

考古学者は、内側に堀を持つ円形の土塁をヘンジと定義する。

考古学の用語でしばしば起こる通り、これは古美術収集家の用語からの転用であるが、実際にはストーンヘンジは土塁が堀の内側にあるので、ヘンジには分類されない。

本当の新石器時代のヘンジやストーンサークルと同時代であるにも拘らず、多くの点で非典型的である。

例えば、トリリトンは他では見られない。

ストーンヘンジは、ブロドガーのリングのようなブリテン島にある他のストーンサークルとは全く異なる。


関連記事

画面右上の検索コーナーで、ブログ内検索にして
「ストーンヘンジ」で9件
「ケルト」で11件
「ドルイド」で9件
あります。(重複していますが)
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“日の丸原発”がすごい勢いで進んでいる・・・温暖化対策の名のもとに。。

2009-07-21 | 環境(ガイア)



先日の新聞に、なにげない風情で、原発の技術輸出の記事がありました。

“地球温暖化の対策には原発を、”という合意が世界中でしずしずと進められていることに驚きを禁じえません。

太陽光発電とか風力発電とか、エコカーとか、いろいろ言いながら、世界は全然違う思惑のもとに全然違う方向に向かって進んでいるようで、不安を感じます。

以下、2009年7月10日付け朝日新聞より。

    
     *****


“海外原発 人材育成で協力
      導入目指す新興国にアプローチ、研修など産官学で連携”

                                   

アジアを中心に原子力発電の新規導入を目指す動きが広がっている。

ただ、ほとんどの国で法律もなく、技術も人材も足りない。

この潜在的な大市場を、欧米や韓国など原発先進国が狙う。

日本も産官学が連携し、幅広い分野で新参国の人材育成に力を入れ始めた。


◇ライバル国は除外

(中略)このプログラムは文部科学省と経済産業省が始めた「アジア人財資金構想」の一環。
日本の原子力産業に役立つ人材育成が目標で、メーカーや電力各社、商社など13社が参加、講師を派遣したり、職場研修をしたりしている。現在は8人のアジア人留学生を受け入れている。

留学生8人の国籍はタイ、ベトナム、インドネシア、カザフスタン、モンゴル。原発の新規導入国かウラン資源国に絞り、日本の競争相手になりそうな中国、韓国からは受け入れないことにした。

「これまでにも原子力の海外人材育成は行われていたが、外務省や原子力委員会、原子力安全・保安院と各機関がバラバラ。
戦略がなかった」。

日本原子力研究開発機構の杉本純・原子力研修センター長は話す。

今年6月、経産省が中心となって国際原子力協力協議会を作った。

産学官連携の原発の国際協力を目指す組織は日本で初めて。

内閣府の原子力委員会も今月、国際専門部会を設置、原子力平和利用の国際対応の検討を始めた。


◇新規導入国20以上


「原発を商機に、」というのには訳がある。

現在、建設・計画中の原発は約30カ国で150基前後。

50年に世界の原発は最大だと1400基に上ると経済協力開発機構(OECD)原子力機関は予測する。

中でも20カ国以上あるとみられる新規導入国は、日本に期待を寄せる。

技術はもちろん、規制や法律、行政組織や人材も一から作らなければならない。

核不拡散や安全面でも国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れや核物質の管理の徹底が求められる。

「日本は安全規制や核不拡散の取り組み、ものづくりが評価されている」と経産省資源エネルギー庁の高橋泰三・原子力政策課長。

人材育成や専門家の派遣を通じてノウハウを伝え、関係強化を図りたいという思いがにじむ。

日本のライバルたちは、一歩先んじている。

フランスは、08年5月に原子力庁の下に国際原子力支援機構を設立。すでにアルジェリアやヨルダン、リビアなどと政府間協定を結んでいる。

韓国も08年、世界初の原子力安全学校を開設。IAEAのアジア地区訓練センターと位置づけられた。前身組織時に3年間で11カ国の132人に安全規制を教えている。


◇「日の丸原発」目標

ベトナムでは20年に100万キロワット級の原子炉4基の運転開始を予定、導入に向け予備調査の実施が今年中に国会で決まる可能性がある。

日本のメーカーや電力などで作る原子力産業協会は00年にベトナム原子力委員会と覚書を交わし、専門家の派遣や現地でセミナーを開いてきた。

原産協会の小林雅治・国際部マネジャーは「予備調査を受注した国が、原子炉も受注する可能性が高い」と意気込む。

ベトナムの原子力委員長は日本で研修経験があり、原産協会が何度も視察に招く知日派だ。

小林さんは「苦労して支援してきたのだから、日の丸原発を作りたい」と話す。

      *****
          

次の記事は、産経新聞2009・06・19の関連記事です。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/268127/

     
      *****

「原発回帰 オールジャパン 官民で国際協力協議会設立」

                2009/06/19

 政府は18日、原発プラントメーカー、研究機関などからなる「国際原子力協力協議会」を設立した。

地球温暖化対策として原子力発電所の導入を進める「原発ルネサンス」の動きが世界で広がる中、原発計画を進める各国の要望に応じて法整備や運転ノウハウ、人材育成面で協力すると同時に、日本の関連業界の海外進出を後押しするのが狙いだ。

◆ワンストップ窓口

 協議会には、電気事業連合会や日本電機工業会、日本原子力産業協会といった業界団体のほか国際協力機構(JICA)、日本原子力学会も参加。

政府側からは経済産業省を中心に、文部科学省、外務省などが加わった。

 この日の会議では、核不拡散や安全確保を前提に国際協力を進めることで合意。

二階俊博経産相は「オールジャパンの態勢で臨むことが重要だ。

(原発計画を進める)諸外国の要望にこたえたい」と語った。

 「原発ルネサンス」の流れは欧米はもちろん、アジアや中東地域に広がっており、技術や運転ノウハウへの需要が高まっている。

 スウェーデンやイタリアは「脱原発」の方針を転換したほか、米国は原発建設に関する規制を緩和。

中国は今後、毎年2~4基を建設する計画で、ベトナムやアラブ首長国連邦も原発推進策を採っている。

 このため、日本に対し「国を挙げて支援やアドバイスを求める」(経産省)ケースも多く、官民一体で各国との協調を進める「ワンストップの窓口」への期待が高まっていた。

 具体的には、事務局を務める経産省が協力依頼を受けて関係団体や機関の調整役を担い、プログラムを提案していく。

すでにフランスが原子力庁のもとに国際協力を目的とした官民組織を設立しており、競いあうことにもなりそうだ。


 ◆建設・運転に実績

 世界の原発プラント業界では、仏アレバ、米ウエスチングハウス・エレクトリック(WH)、ゼネラル・エレクトリック(GE)が高いシェアを誇っている。

ただ、日本勢も三菱重工がアレバと合弁会社を設けたほか、東芝はWHを買収。

日立製作所はGEと原子力分野で新会社を設立するなど、「原発ルネサンス」の追い風を利用するための態勢を整えている。

 日本の強みは、米スリーマイル島原発事故(1979年)、旧ソ連のチェルノブイリ事故(86年)以来、世界で原発建設が停滞する中でも建設・運転の実績を重ねてきた点にある。

 中小企業を含めて、層の厚い「ものづくり」技術を持っていることも各国の信頼を集める要因になっているという。

 高い技術力の輸出を通じ、関連産業の活性化や、地球温暖化対策への貢献にいかにつなげていくか。協議会の成果が問われる。


          *****


こうした動向に対して異議を申し立てている2008・10・28付け「グリーンピース」のメルマガを転載します。

http://archive.mag2.com/0000003561/20081027170339000.html

        
       *****.


「「日の丸」原発を日本国民の税金で輸出?!」

               

日本政府は国内原子力産業の国際競争力向上をめざし、海外原子力市場の開拓・拡大と、日本企業による原発輸出を後押ししています。

しかし、原発は放射能汚染や事故、核拡散など、きわめて大きなリスクを抱えているうえ、その建設には多額の資金が必要です。

そこで日本政府は「地球温暖化対策」を口実に、政府系金融機関や貿易保険制度に原発輸出を後押しするしかけを新たに組み込みました。

さらに原子力事故の可能性を想定し、事故がもたらす損失をカバーする国際的な賠償制度への加入も検討しています。

最初の支援対象国として名前があがっているのが米国です。

米国の金融界は、過去30年間も受注がなかった原発への投資には消極的で、米国民も新規建設に税金を補助金として投入することに強く反対しています。

昨今の金融危機もあって、米国では原発建設への資金調達がますます困難になっています。

米国の原発建設を、私たち日本国民の税金を直接・間接に使ってまで支援するのは、危険でまちがった政策ではないでしょうか。

グリーンピースは、米国だけでなく世界のどの国へも「日の丸」原発が輸出されないよう活動を続けていきます。


         *****



ビジネス用語辞典wisdomより「ワンストップ」

ワンストップとは「一カ所、一度に」という意味で、ワンストップサービスとは、必要な調達やサービス、手続きなどを1つの事業者などが提供するもの。

コンビニやスーパーのように、1つの店舗で複数の需要を満たすサービスの形態も該当するが、一般的には、システムベンダーやインテグレーターなどが複数の異なる製品や部品を組み合わせて、単独の窓口としてサービスを提供する場合に用いられることが多い。

マーケティング的には、消費者への利便性を提供すると同時に、企業側では顧客の囲い込みができる点で有利とされている。
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地震を予知し全員避難した・・スマトラ沖地震と海の部族モーケン族

2009-07-17 | その他先住民族
先日の新聞に、スマトラ沖地震のとき、地震が発生する20分も前に津波の発生を予知した部族がいたという話が載っていました。

集落の老若男女1200人全員が高台に避難して無事だったという、タイのモーケン族の人々のことです。
以下転載してみます。

      *****


「スマトラ沖地震 大津波・・先住民、伝承した知恵」

          地震学者・島村英紀
       2009・6・25 朝日新聞



2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震。
直後におきた大津波がインド洋沿岸各地を襲い、被害が拡大した

地震と津波で犠牲となった人は22万人を超えた。

タイの観光地プーケット島では多くの観光客も犠牲となったが、島の南端で生活する先住民族モーケン族は、その時一人の死者も出さなかった。

いち早く集落の全員が、近くの高台に避難したからだった。

わたしは5月12日、現地であった国際会議「障害のある人たちの災害への備え」に招かれ、津波をテーマに基調講演をおこなった。

主催したDAISYコンソーシアムは障害のある人や特有の言語を使っている先住民族の人たちにも理解できる無料のデジタルシステムを普及させる目的をもつ。

モーケン族は有名リゾートのプーケット島やランカウイ島があるアンダマン海の沿岸各地に住み、主に漁業を営む。

タイ、インドネシア、ミャンマーの沿岸に最初に住みついた海洋民族と言われる。


地震が起きたのは現地時間の午前8時前。

モーケン族の人たちは、大津波が襲って来る20分ほど前に海の異変を知った。

海洋民族にとっての潮の満ち干は頭に精密に入っているが、それ以上に潮が引いたことに気づいたのである。


“先祖からの言い伝え通り、津波が襲ってくる。”

そう直感した人たちが、ただちに245戸の集落全員を村の高台に避難させた。

約1200人のうち、障害がある人が20人、うち全盲の人が2人いたという。

地震学者の知識では、津波の初動は、引き潮とは限らない。
いきなり満潮として襲ってくる津波もあるし、場合によっては第二波以降の方が大きいことも多い。

とはいえ、同じ場所で何百年と見ていれば、同じような津波の初動に出食わすことは不思議ではない。

モーケンの人たちはこの経験を伝承していたのであろう。


モーケン族の暮らしは貧しい。
彼らの住んでいる土地は自分たちのものではなく、いわば不法占拠している形だ。

タイでは近年までモーケン族には土地所有や義務教育が許されていなかったことが影響している。

水は雨水と井戸水を使うが、井戸水は煮沸しないと飲み水には使えない。

貧しさと医療の不足から、津波から避難できたのに、二人の人が地震後に亡くなったという。
モーケンの人たちも、世界各地の先住民族と同じような課題を抱えているのである。


            *****


記事の筆者は、この民族の暮らしは貧しいけれど、しかし自分たちが教えようと思っていた災害時広報システムが、じつはすでに彼ら先住民族の中には存在し、機能している、と述べているのではないかと思います。

彼ら先住民は大津波発生時、障害者も、全盲の人も、一人も見捨てることなく全員を安全な地に導いたというのです。

科学者たちが教えようとした“緊急避難システム”は、すでに先住民族の社会ではみごとに体現されていた、というわけです。

種族としての生存本能として、先住民族の意識には途方もない知識が内蔵されているように思われます。

災害時にはどうしたらいいか?

先住民族の知恵から学ぶことは多いのではないかと思うこのごろです。


写真は記事と無関係の太平洋。


Wikiモーケン族より

モーケン族(Moken)とは、ほぼ一年中海上で過ごす海洋民族。
別名「海のジプシー」。

ただし「海のジプシー」という呼び名は東南アジアのいくつかの民族集団の総称であり、モーケン族のみを意味するものではない。

オーストロネシア語族に属するモーケン語の他、タイ語やミャンマー語を使用する。

アンダマン海、タイ王国、ミャンマー、メルギー諸島の近海に暮らしている。

ミャンマーとタイの政府はモーケン族を文化的に同化させようと試みてきたが、その成果は限られたものである。

1990年の報告によると、ミャンマーの軍事政権は一部のモーケン族を陸地に強制移住させたという。

主に、カバンと呼ばれる家船(えぶね)に住んでいて、見知らぬものと出会うことを恐れている。

しかし最近はミャンマー政府の政策により、海岸で定住生活をさせられている者もある。

また、陸上での狩猟にも長けている。

ナマコを燻したものを売って現金収入を得て船の燃料を購入するなど、資本主義社会と無関係ではない生活をしている。

一方で、その資本主義社会からやってくる商業船団によって魚介類を根こそぎもっていかれてしまうなど、生活が苦しくなってきている。

海を強く意識しているため、いくつかの地域のモーケン族は2004年12月のスマトラ島沖地震の際に津波の前兆をつかんでいた。

しかし、タイ・パンガー県のタプタワンなど沿岸部の村々では住宅やカバンに対する深刻な打撃に苦しめられた。
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ホピのフルート伝説

2009-07-14 | ホピ族
youtube・ホピフルート ←

クロマニヨン人のフルートが発見されたという話をしていましたが、インディアンフルートの音色も奥深く神秘的です。

ホピ族が起源と言われ、北米インディアンに古くから伝わる“ココペリ”と呼ばれる精霊は、笛を吹く精霊です。

笛を吹き鳴らしながら、背中のこぶにしまった植物の種を出して、それを播きながら、かなたこなたへと旅をします。

30人のホピ族の長老たちが語った伝承をまとめた本「ホピ・宇宙からの聖書」(Book of The Hopi)から、ホピ族に伝わる笛の伝承を紹介します。


*****


かくして、人々は高い山を登って移民を開始した。
彼らはマフと呼ばれるキリギリスに似た2人の“虫人”に伴われた。

山の峰でかれらは巨鳥ワシに出会った。

人びとへの通訳を担うマフの一人が、ワシにこうたずねた。
「長いこと、ここに住んでいるのですか?」

「そうだ。」とワシは答えた。
「この第4の世界の始めからな。」

「わたしたちは遠い道を旅してここまでやってきました。
あなたと一緒にここに住んでよろしいでしょうか?」

「まず君らを試さにゃなるまい。」
ワシは足でつかんでいた矢を一本抜くと、2人のマフにもっと近づくよう言った。
そして一方のマフにこう言った。

「この矢をおまえの目に突っ込むが、もし目を閉じずにいられれば君らは皆ここに留まってもよい。」hhhh

さてワシは矢の先端をマフの目に触れんばかりに近づけた。
しかしマフは、またたき一つしなかった。

「君は強い力をもつ人間だ。」
とワシは観察して言った。
「だが次はもっと厳しいぞ。」

「次のもお受けしましょう。」
と二人のマフは言った。

ワシは今度は弓を出してこれに矢をつがえ、最初のマフの体を射抜いた。

するとこのマフは矢を体に突き刺したままフルートを取り出して甘美な音色の曲を吹いた。

「たいしたものだな。」
とワシは言った。

「思ったよりすごい力を持っているようだ。」
そこで次のマフの体も射抜いた。

二人のマフは矢を体に刺したままの状態で、さらに美しい曲を吹き、それが霊を高揚させて体の傷も癒してしまった。

ワシはようやく人々に土地に住む許可を与えて言った。

「君らは二度の試験をパスしたので、これからは創造主である父なる太陽に話しかけたい時はワシの羽根を使ってよい。

ワシは空の支配者だから、君らの言葉を伝えよう。
ワシは上天の力を持つ唯一の者である。

霊の気高さを代表する者であり、君らの祈りを創造主に伝えることができるのだ。

それ以来、ひとびとは祈りの羽根にワシの羽根を使い、音楽に癒す力があることを知って、病気の子供に歌いかけるようになった。

キリギリスのマフはせむしの笛吹き、ココペリという名のカチーナとして知られている。

彼は背中のこぶの中に植物と花の種を入れて運び、また笛の曲によって熱を生み出した。

大陸を移動して行った時、人々は南米の先端から北はカナダに至るまで、あちこちの岩にこの絵を刻みつけた。

また青笛と灰笛の各部族および宗団の名は、この二人のマフから名付けられた。

ワシの許可を得ると、人々は4グループに分かて、それぞれ別の方角に旅立った。

北に向かったのは青笛族で、マフの一人がこれに付き添った。
このせむしの笛吹きは各所で頻繁に立ち止まっては、背の突出部から種をまき、笛を吹き、歌を歌いながらまた行進した。

彼の歌は今も伝わっている。
しかし言葉があまりに古く、その意味を知る者は今はいない。


*****


ホピの神話を紹介する度いつものことですが、この精霊もまた、ホピ族の人々が旅をするとき、彼らに“付き添って”いるのですね。

ヤタガラスやオオカミや狐がかつての日本で様々な所に出没していたように、モーゼが燃える茨(いばら)に守られていたように、ホピ族はずっとたくさんの精霊に囲まれて生きてきたのでしょう。

それがホピ族の生き方であり、しかし今はもうその伝承が生きた共同体としては機能していないということは、寂しいかぎりの話です。

でもわたしは、ホピの伝統が消滅したとは思っていないのです。
それは消えることはなく、ただ、見えないだけだと思っています。



wiki「ココペリ」より

ココペリ (Kokopelli) は、アメリカのホピ族のカチーナ(神・精霊)の1柱。豊穣の神(男神)。ココピラウとも。

笛を吹くことで豊作・子宝・幸運などをもたらす。
ココペルマナ (Kokopelmana) を妻とする。

美術では、縦笛を吹く、横からの絵で描かれる。

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古代人の音楽会 ・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?

2009-07-11 | その他先史文明

ドイツの洞窟で35000年前のフルートが何本も発見されたという新聞記事がありました。

先日のビーナスと同じ洞窟から見つかったとのこと。

この洞窟はクロマニヨン人のものということですが、当時の文化状況がいったいどれほど洗練されたものであったのか、計り知れないように思います。
以下、朝日新聞より転載します。

     *****

「古代人も音楽会? 3万5千年前のフルート、独の洞窟で発見」

 古代人は3万5千年以上も前にフルートを演奏し、音楽を楽しんでいた。

独チュービンゲン大のチームは独南西部ウルム近郊のホーレ・フェルス洞窟(どうくつ)など二つの洞窟で、鳥の骨でできたほぼ完全なフルートやマンモスの牙でできたフルートの破片を発見した。

世界最古級とみられ、音楽の広がりを示す貴重な証拠だ。
24日付英科学誌ネイチャー(電子版)に発表する。

 もっとも完全な形で出土したのは、ハゲワシの骨でできたフルート。

12の破片にわかれ、つなぎ合わせると長さ21.8センチ、直径約8ミリのほぼ完全な楽器になった。

五つの指穴があいており、広い音階をもっていたらしい。

 地層の年代や放射性炭素測定の結果などから、3万5千年以前のものと結論づけた。

 ホーレ・フェルス洞窟では同じチームがこの5月、人類最古のマンモスの牙でできたビーナス像の発見を同誌に報告している。

この地方の洞窟では1973年から2005年にかけて、フルートとみられる複数の破片が発掘されていた。

 東京大総合研究博物館の西秋良宏教授(先史考古学)は「アフリカからヨーロッパに現生人類の祖先がたどりついた時期に、ビーナス像と楽器という現生人類の象徴的行動を特徴づける人工物が出そろっていたことは、興味深い。

なぜヨーロッパでこの時期に、このような文化が開花したのかは謎で、今後の研究課題だ」と話す。

       2009・6・25 朝日新聞


         *****


ナショナルジオグラフィックの同記事では、実際に笛の音色を再現してみたことが書かれています。
低音でゆったりとした音だということです。。

ナショナルジオグラフィックHP http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/index.shtml
から一部転載します。

        *****
 

このように、現代人はフルートの製作者が誰なのかということに関心を寄せているが、当の先史時代の製作者たちが最も気に掛けていたのはその音色だろう。

先週、プロの音楽家がこのフルートの複製品を演奏する機会があったという。

その場にいたコナード氏は次のようにコメントしている。

「ドイツ国歌や“アメージング・グレース”が低音でゆったりと演奏されるのを聴いて、この先史時代のフルートは現代の楽器とはまったく異なるものであることがわかった。
ただ、もしかしたら練習不足のせいもあるかもしれないがね」。


     *****

直径8ミリの筒に、5つの指穴をあける技術とは?
相当な高度技術では?

英文学者のデビッド・ジンクさんは、「ヨーロッパの新人類クロマニヨン人が出現直後から優れた文化を生み出したのは、彼らが文明崩壊したアトランティス大陸から脱出してやってきたからではないか?」という仮説を立てていましたが、

もしそのような、もう一つの先史文明があったとしたら、、
この洞窟で奏でられていたのは、アトランティスの音色ということになるのかもしれないとも空想します。

また、笛と言えば、「かつてホピ族には、西の島からやってきた時の様子を演じる『笛の儀式』という伝統があったという。」というA・C・ロスさんの本の記述を紹介したことも思い出しました。

もしかしたら、その音色も似た調べかもしれない、などとも思えます。

もっとも、アメリカ大陸の西というと、アトランティスではなくて太平洋のムー大陸ですが。

ロスさんやジンクさんの言っている仮説は、古代世界は今考えられているよりはるかに濃密な交流をしていたのではないか、という仮説であり、新聞記事にある35000年前の人々もまた、わたしたちの思っている“原始人”というイメージとはまったく違った生活をしていたのではないかと思われ、たいへん興味深く、妄想たくましく読みました。

A・C・ロスさんの「我らみな同胞」には次のように書かれています。
先住民族の記憶は、先史文明にまでさかのぼることができるのでしょうか。
彼らはなにを見、なにを経験したのでしょうか。
        
    
 *****
 

ホピの口承の歴史では、「祖先は7つの島からやって来た。」という。

なおかつある人々は「その島は太平洋にあった。」と信じている。

最近までホピ族の間には「笛の儀式」というものがあり、その儀式ではその「西の島からの民族渡来の様子」を演じていたという。

   
   *****



wiki「クロマニヨン人」より
クロマニョン人(Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。

1868年、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によって研究された。

ヨーロッパにおける化石現生人類をひろくクロマニヨン人と言うこともある。

またネアンデルタール人を旧人と呼ぶのに対し、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを新人と呼ぶこともある。約20万年前に誕生した現生人類を称するための用語としては、学名の「ホモ・サピエンス・サピエンス」以外には、「新人」ぐらいしかないので、不正確ではあってもこれらの用語で代用されることも多い。

進化の様相
後期旧石器時代に属し、約4万~1万年前のものと考えられる。

身体的特徴
骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている(特にヨーロッパ人に似ていると言われる)。身長は男性で180cm前後。


クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス(Homo sapiens)に属し、白色人種に入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。

精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。

また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、きわめて進んだ文化を持っていたが、狩猟採取生活に依存し、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らず、そのため野ウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少、絶滅すると共に彼らも滅亡したとする学者もいる。

しかし主流派の学説ではクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとしている。

精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残す。

研究史
クロマニョン洞窟での発見以来、同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見された。

南フランスでは19世紀末にシャンスラード人・グリマルディ人が発掘されているが、発見当初、前者はエスキモー(イヌイット)に、後者は黒色人種に類似するとされた。

しかしその後否定され、そうした類似と見えるのは個体差や、土中に埋没していた際の土圧による変形であり、いずれもクロマニョン人に含まれるとされている。
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天空がぐるぐる廻った時・・アトランティス探検は続く

2009-07-08 | アトランティス



前回の続きです。

デビッド・ジンクさんは、実際の調査船にも何人もの霊能者を同乗させて、彼女たちの反応に信頼を寄せています。

彼女たちは、ビミニ島は本当にかつて宗教施設であった、また人類はプレアデス星と深いつながりがあり、ビミニ島はその交信のための施設でもあったと述べています。

こういったことは、彼にとっては驚きではありましたが、なぜかくも多くの古代の民族の神話にプレアデス星が登場し、その文化において重視されるのかという問いへの答えを得たという満足感も示しています。

相当量の話が書かれているのですが、混沌としているので、ドライに割り切って少しだけまとめてみます。
以下デビッド・ジンク著「海底大陸アトランティス」より。


      *****


先史時代の研究者の間で心霊術が資料として使われ出したのは、エドガー・ケーシーという天才的な心霊術師に負うところが大きいが、現在では多くの直観的な人々の力で古代遺跡の謎を解いたり、その建設者の思いについて立証可能な仮説を立てることができる。

わたしはキャロルに、「ビミニの遺跡を建てたのはどの文明だったのか?」と質問をした。

驚いたことに彼女の答えは、「その建設者はペルーのナスカ平原に巨大な幾何学模様を描いたのと同じ人たちだ」というものだった。

「彼らはかなり浅黒い肌をした人たちだが、アメリカインディアンではなく、おそらくアトランティス人でしょう。」と言った。

わたしが感じていたのと同じである。
ナスカの線はまさに文化と言えるものだった。

わたしはそれを何度も見続けてきたのだ。

ビミニを見た時、ナスカと同じだと、わたしは思っていたのだ。

彼女はまた、「ストーンヘンジが建設されたのは、現在信じられている紀元前2000年代ではなく、紀元前16000年でしょう。」と言った。

「ビミニはストーンヘンジより以前に建設され、ストーンヘンジは大洪水の後に建てられたのです。

ビミニロードは、大洪水より前に建設されたのです。」と彼女は語った。

彼女は、「我々がビミニに見ているものは、太陽神崇拝のなごりである」ことを強調して、ビミニ遺跡の全史は、まず原始太陽神崇拝にはじまり、その後、自然崇拝、月神崇拝、最後に別の太陽神崇拝へと発展していったという。



ハリバートンは人類がプレアデスをあがめる普遍的傾向は、星座が宗教、暦、神話、伝説、そして象徴化の中心を占めていた、年代さえわからないほど古い時代の人類史にまでさかのぼると主張している。

世界各地に共通して現れるプレアデスの神話、伝説、暦そしてプレアデス星団の昇る方位に向いている構築物は、プレアデスとの神聖なふれあいがかつて何世紀も前にあったという民族の想い出が広く深い宗教的感情として表現されているのではないだろうか?

当時の多くの人々は地球上の大変動のためにプレアデス星団が消滅してしまうのではないかと心配したのではないだろうか?

プレアデス星団の季節ごとの動きは宇宙の秩序を示しているように思われ、星の運行を確認することで、神話や口承伝説に残っている恐ろしい地球の大変動が繰り返されていなこということを確認したのではないかと考える。


キャプテンクックがハワイ諸島を訪れた時に、島民が歌って聞かせたという「地球生誕の歌」がある。
それはこんな歌詞である。

地球が熱くなったとき
天空がぐるぐるまわったとき
太陽が暗くなった時
月がかがやき
プレアデス星団がのぼったとき
ねばねばした土、これが地球の源だった
(M・ベックウィズ訳)


“天空がまわったとき”というところは、破壊を主題としているのではないかと思われる。


ケーシーの資料を読めば読むほど、彼のアトランティスについての解釈がまことに首尾一貫していることにひどく感銘する。

彼のもたらした多くの情報の中には、健康の増進と個性の成長のための実質的な効用をもつ医学的精神的解釈もあり、これがケーシーのアトランティス解釈を無視できないものにしている。

人類が地球に現れたのは1000万年も前だという、はじめは考えられなかったような彼の主張も、科学が昔にさかのぼるにつれて、あり得べきことのように見えてきた。
(アフリカでのリーキーの研究では、人類の誕生は少なくとも375万年前とされる。)

ケーシーの解釈はアトランティスの初期の時代から黄金時代をへて、最後にはその文明を破壊してしまった3度の、次第に激しさを増した天変地異を追ったものである。

大変動はそれぞれ紀元前およそ48000年、28000年そして10700年におこったという。

ケーシーの描いたアトランティスは、巨大な石の都市で、そこではエレクトロニクスをはじめとする近代的通信手段、陸と空と海底の交通機関を備え、無重力状態や大水晶、あるいは耐火石材を使っての太陽熱利用も行われていた。

この高度な技術は、ケーシーの解釈の中でも奇妙な側面だと言えるだろう。

しかし、この高度な技術によって作りあげられたものが、実は我々の現代文明が衰退への道を辿る未来を暗示しているようにも見えるのだ。

アトランティスはその黄金時代から精神的、道徳的な堕落が始まり、とうとう水晶を通して利用し得る自然の大きな力が乱用されるに至った。

この“技術の乱用”が、少なくとも大災害をもたらす一つの原因となり、それが天変地異による破局へとつながっていったのである。

      ・・・


おそらくわたしがこれらのことをしばらく資料として温めている間に、地球物理学上の新しい発見によって、謎を解明する新しい手がかりがつかめることだろう。

問題はきわめて複雑であり、現時点ではアトランティスが実在したことを完全に立証することは不可能だが、逆にこれを否定する材料も十分ではない。

人間の過去に光をあて、その由来を探ることは、現代文明に影響をもたらすばかりでなく、文明の存亡そのものを左右するほどの重要性を持つ問題と言えよう。

              (転載ここまで)
     
  
         *****


地球が熱くなったとき
天空がぐるぐるまわったとき
太陽が暗くなった時
月がかがやき
プレアデス星団がのぼったとき
ねばねばした土、これが地球の源だった

ハワイの人たちが歌ったというこの言葉を見たとき、わたしはマヤ族のドン・アレハンドロさんが言っている、近い将来のできごとのビジョンを思い浮かべました。

ところで、ハワイといえば、太平洋であり、アトランティスではなくてムー大陸、レムリアの横たわる場所です。

マヤの民が見たものと、ハワイの民が見たものは、同じ光景だったのでしょうか?

ますます謎が深まるように思います。



写真はストーンヘンジ(同書より)


wikiジェームス・クック(キャプテン・クック)より

第3回航海(1776年 - 1780年)

第3回航海の公式の目的は、北極海を抜けて太平洋と大西洋をつなぐ北西航路を探索することであった。

クックは再びレゾリューション号の指揮を取り、チャールズ・クラークが僚船ディスカバリー号の指揮をとった。

オマイをタヒチに返した後に、クックらは北へと進路を取り、1778年にはハワイ諸島を訪れた最初のヨーロッパ人となった。

クックはカウアイ島に上陸し、時の海軍大臣でクックの探検航海の重要な擁護者でもあったサンドウィッチ伯の名前をとり「ハワイ諸島」を「サンドウィッチ諸島」と命名した。

クックの最期

レゾリューション号は1779年にハワイに戻りケアラケク湾に投錨した。

約1ヶ月の滞在の後、クックは北太平洋探検を再開したが、出航後間もなく前檣が破損し、補修のためケアラケク湾に戻らなければならなくなった。

しかし、ハワイの宗教上の複雑な事情ではこの突然の帰還は「季節外れ」で、先住民の側からすると思いがけないことだったため、クック一行と先住民の間に緊張が生じることになった。

1779年2月14日に、ケアラケク湾でクックらのカッターを村人が盗むという事件が起きたが、引き取りのために下船した際、浜辺に集まった群衆と小ぜり合いが起きてしまった。

クックは刺し殺され、死体は先住民に持ち去られた。

現地の宗教上の理由で奇妙な崇敬を受けていたクックの遺体は、先住民の長と年長者により保持され肉が骨から削ぎ取られ焼かれた。

レゾリューション号とディスカバリー号がイギリスへ帰国したのは1780年8月のことであった。
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クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検

2009-07-05 | アトランティス


プラトンの語るアトランティスが実在するかどうかを調べるために、エドガー・ケーシーが「そこはアトランティスの一部であり、近い将来浮上する」と語ったカリブ海のビミニ島の海底調査に取り組んだデビッド・ジンクさんは、海底にたくさんの人工的に配置されたと思われる巨石を見出しました。

そして古今東西の資料を集め、ビミニ島はアトランティスとどういう関係にあるものか、調査しました。

そして、古代の人類が共通して語る大洪水の神話は、実際の人類の経験に基づいているのではないかと考えます。

デビッド・ジンク著「海底大陸アトランティス」から抜粋して、まとめてみます。
また2回に分けます。


            *****


アトランティス論者の中には、クロマニヨン人とアトランティスを関連付けている者もいる。

地球磁場の逆転現象は、海床の岩石の生成時に得られる記録で証明されているのであるが、約30000年前におこったとされる。

エドガー・ケーシーはアトランティス島をおそった強い地震のために、30000年前にアトランティスからメキシコ・ユカタン半島へ人口の移動があったと語っている。



一方クロマニヨン人の骨は、古いものでは35000年前のものもある。

そこでわたしも、クロマニヨン人はおそらくこの“磁場の逆転現象”を経験し、天変地異の時期を生きたのではないだろうかと考えている。


わたしは“先史文明のひとつの源泉としてのアトランティス”という新しい観点から、人類学を注意深く調べてみることにした。


従来の東西移動の学説では、人類はまず中東の肥よくな三日月地帯からはじまり、次いで遊牧狩猟文化、農民、村民と一直線上に上がってゆき、ついにウルやジェリコ、ウガリットのような古代文明の中心地の都市住民となると主張している。

そしてここから人類は西へ広がっていったというのだ。

しかしこの見方は炭素を使った年代測定法の発達によって異義をとなえられている。

ヨーロッパの巨石文明はエジプトやミケーネ文明とは別のもので、はるかに古いと考えられるのだ。


わたしはルイス・スペンスがやはり西から東への人類の移動形態から、アトランティスの存在を支持する主張をしているのを思い出した。

彼は、西ヨーロッパからみつかったクロマニヨン人の遺物が、ブラジルでも発掘されていることに注目している。

クロマニヨン人はどのようにしてブラジルまで辿り着いたのだろうか?

もしアトランティスがクロマニヨン人の生誕の地で、クロマニヨン人が、移住の時期にそこから流出したのだとすれば、大西洋をはさんで両側にクロマニヨン人の骨がみつかっても驚くにはあたらないだろう。


人類が新大陸に姿をあらわしたのは、古くは50000年前までさかのぼって考えられる。
(ブラジル・カビバラ洞窟)

わたしもブラジルがアトランティス研究者にとって有用な意味を持っていると確信している。


コロンブスによる発見以前のアメリカ大陸の芸術の権威アレクサンダー・F・プテノー博士は、中央アメリカと南アメリカの装飾品や道具類はあらゆる人類のタイプに共通するものを持っていることを発見した。

彼はこのことから、あらゆる民族集団が中央・南アメリカに移住していた時があるとする学説が有力視されると主張している。

要するに現在知られているよりもはるか以前に、世界的規模で、複雑な民族移動が行われていたことが立証されつつあるのだ。


      *****


写真は、本書より。

上・「アトランティスの王妃と言われる胸像。エルチェの貴婦人。
先史時代のこの作品は、南スペインで発見された」と書かれている。

下・「マヤ・アステカの“前にいた島”。アステカ語でアズトランと書いてある(アトランティスと近い語である)」 と書かれている。



wikiクロマニョン人より

クロマニョン人(くろまにょんじん、Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。

1868年、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によって研究された。

ヨーロッパにおける化石現生人類をひろくクロマニヨン人と言うこともある。

またネアンデルタール人を旧人と呼ぶのに対し、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを新人と呼ぶこともある。

約20万年前に誕生した現生人類を称するための用語としては、学名の「ホモ・サピエンス・サピエンス」以外には、「新人」ぐらいしかないので、不正確ではあってもこれらの用語で代用されることも多い。

後期旧石器時代に属し、約4万~1万年前のものと考えられる。

骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている(特にヨーロッパ人に似ていると言われる)。身長は男性で180cm前後。

クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス(Homo sapiens)に属し、白色人種に入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。

精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。

また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、きわめて進んだ文化を持っていたが、狩猟採取生活に依存し、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らず、そのため野ウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少、絶滅すると共に彼らも滅亡したとする学者もいる。

しかし主流派の学説ではクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとしている。

精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残す。


wiki「エルチェ」より・エルチェの貴婦人

現在の都市から10kmの位置にある遺跡「ラ・アルクディア」がエルチェの起源である。
イベリア人によって築かれ、カルタゴついでローマに支配された。

エルチェでは膨大な考古学資料が発見されており、エルチェの貴婦人(en:Lady of Elx)の像が有名である。

この像は紀元前4世紀のイベリア人の時代に作られたと見られる。
像のオリジナルはマドリード国立考古学博物館にあり、エルチェにあるのは正確なレプリカである。


BS朝日「古代からのメッセージ・さいしょのアメリカ人をさがせ」番組紹介より
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/history/hi_06_03.html

ブラジル北東部に位置するセラ・ダ・カピバラにある洞窟の壁には、太古の人々の暮らしを表した絵が描かれている。

この絵はモンゴロイドのアメリカ先住民が新大陸に到達した以前のものだと判明。

そして洞窟内部の発掘により、アメリカ先住民の到着以前にもアメリカ大陸に人が暮らしていたことが分かった。

番組では最初のアメリカ人の謎に迫り、様々な角度から解明していく。

アメリカ先住民が新大陸に到着した経緯や当時の地球の様子、そしてそれよりさらに前、アボリジニーの特徴を持った人々がどうやってアメリカ大陸にたどりついたか、そしてなぜ彼らが大陸から一掃されてしまったかが語られる。

学者のコメントや資料映像も交え、最初のアメリカ人の姿が浮き彫りにされる。

ブラジル北東部に位置するセラ・ダ・カピバラ。

切り立った断崖と谷間の広がるこの土地に、先史時代から存在する洞窟がある。

洞窟の壁は、太古の人々の暮らしを描いた様々な絵で埋め尽くされている。

しかし、何を意味しているのか不明な絵も多く、描いた人々が誰なのかも謎のままだった。

この絵は、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の祖先がアメリカ大陸にやって来たおよそ1万2千年前より、ずっと古い時代に描かれていた。

その後、洞窟内部の発掘で4~5万年前の地層から人が暮らしていた痕跡が発見された。

この発見で、アメリカ先住民の到着以前にもアメリカ大陸に人が暮らしていたという事実が明らかになった。

この最初のアメリカ人は一体どんな人々で、どこからやってきたのだろう。

この疑問に、ブラジルの洞窟で発掘された人骨が答えを出した。

9千年から1万2千年前の地層から出土したもので、これまでアメリカで発見された人骨の中で、最古のものだった。

中でも最も古い、若い女性の頭蓋骨の特徴を調べると、意外な事実が判明する。

この頭蓋骨はアメリカ先住民が属する人種、モンゴロイドのものではなく、ニグロイドに似たものだった。

しかも、オーストラリア先住民、アボリジニーの頭蓋骨と極めて近い特徴を持っていた。

つまり、アメリカ大陸に初めてやってきた人類は、アボリジニーの祖先たちだったことになる。

しかし、広大な太平洋を隔てたオーストラリアから、彼らはどうやってアメリカ大陸に到達したのだろう。

そして、彼らの子孫が現在のアメリカ大陸に暮らしていないのはなぜだろう。
どこかでひっそり生き残っているのだろうか…。




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ケーシーの説はプラトンの説に酷似している。。悩める英文学者の大冒険

2009-07-02 | アトランティス


文学の講義でプラトンを教えているうちに、そのプラトンの説く“アトランティスの地”の探策に携わることとなったデビッド・ジンクさんの著書「海底大陸アトランティス」のまとめ部分の紹介を続けます。

古地磁気学や地球科学と、エドガー・ケーシーたちの言っていることを突き合わせて、整合性を見ようとしています。

内容は本の本篇の中で資料を集めて検証してあるものです。
長くなったので、また2つに分けます。

*****


ケーシーの資料によれば、アトランティス大陸のサッガーソ海地方(バハマ諸島沖合の大西洋上あたり)は、大陸が最終的に崩壊する7500年前の紀元前18200年に崩壊した。

200年後に(紀元前18000年)地球の磁場の両極が正常な状態に戻った。

そして紀元前15000年から10000年にかけて、北極の地軸がハドソン湾から現在の場所に移動した。

前にも示唆したように、この現象は地球の大変動に関係があり、地殻がますます不安定な状態になったのではないだろうか?



紀元前10700年。
ケーシーによれば、アトランティスが崩壊した最後の年だ。

彼はまたビミニが紀元前28000年以後に残ったアトランティスの2つの島の一つ、“ポセイディア”の一部だったとも言っている。

キャロルのリーディングによれば、アトランティス人がビミニその他の新世界の植民地に移住を開始したのもこの頃である。


紀元前10376年
ふたたび地球の磁場が逆転した年。
“イエーテボリの磁気宙返り”、、この逆転はチャールス・ハプグッドが主張している、紀元前15000年から10000年にかけての最後の磁極の転換と関連があるかもしれないし、またケーシーが唱えている年代とも非常に近い。

紀元前9600年
エミリアーニによれば、世界的な洪水の年。
酸素同位元素でメキシコ湾の地層を測定した結果から推定される。
高緯度で氷河が急速に溶け、洪積期が終わった。

紀元前9570年
プラトンがアトランティスの最後とした年。
ケーシーとプラトンでは1100年程違いがあるが、これは地球の天変地異が一度ではなく、2度あったことを示唆しているのではないだろうか。

紀元前6031年
キャロルによると、地殻の激変がビミニの市街地を破壊した。
この頃ビミニロードは海面上9.6メートル、あるいは、24メートル上にあったと推定される。



紀元前4021年
ビミニ遺跡と関係のある文明が、この地域を放棄した。

この後、少なくとも独立した環カリブ海文明である“ルカヤ・インディアン文化”によって最終的に支配されるまでの間に、エジプト人、フェニキア人、ケルト人などが大西洋を渡ってきて、ビミニ文明に強い影響を及ぼしたものと推定される。

フェニキア人とケルト人はニューハンプシャーのミステリーヒルに、巨石に刻みこんだ碑文を残している。

サンライズ・ゴードンは紀元前3000年から1200年ごろにかけて、青銅器時代の海の首領たちが、大西洋を渡って航海をしていたと推測している。

エジャートン・サイクスは、ビミニは有史時代以降、常に占領されてきたと考えている。


         *****


とてもややこしい文章ですが、筆者はビミニはアトランティスの一部であるというケーシーの説と、アトランティスと同時期に存在した別のものでアトランティス人を受け入れたという説を同時に述べているように思います。

また、ビミニに住んでいたアトランティス人あるいはその末裔が、ビミニを捨てた後に、別の文明が存在した痕跡がある、と言っているのだと思います。

ビミニの海底という一つの場所に、重層的にいくつもの文明が堆積しているのを、直観しているのではないかと思われます。




写真は、同著より「アトランティスの大洪水からの脱出を描いたと見られるマヤの石の小壁」


Wiki古地磁気学より

古地磁気学(こちじきがく、paleomagnetism)とは、岩石などに残留磁化として記録されている過去の地球磁場を分析する地質学の一分野。

火山岩や堆積岩には、それができた時のできた場所の磁場が記録されており、それを分析することで、地磁気の逆転や大陸移動の様子などを調べることができる。

残留磁気からは伏角と偏角が得られ、偏角からは極の方角、伏角からは極の距離がわかる。

当初は火成岩に対してしか使えなかった。しかし、1950年代に磁力計の感度が大きく向上し、堆積岩にも使えるようになった。

また、洋上から深海底(ほぼ全てが玄武岩)の残留磁気を測定できるようにもなった。

わかるのは厳密には極ではなく磁極である。
ただし、磁極と極は過去においても大きくは違わないと考えられ、また、数千年以上の時間スケールで均せば、磁極の分布の中心は極に一致すると考えられている。

伏角を得るためには当時の水平面を推定する必要がある。



wiki地球科学より

地球科学は、地球磁気圏から地球内部のコアに至るまで地球に関するあらゆる学問を総称した名称であり、内容は地球の構造や環境、歴史などを目的として多岐にわたる。

地球に関する研究は、石炭の発掘などの実用的な目的の中で地層の層序や堆積構造などを解明する地質学が発達したことに始まるが、自然史学的な色彩が濃かったために比較的進歩は遅く、20世紀になってようやく地球に対する認識が大きく進展してプレートテクトニクスの発見などの飛躍を見せた。

しかしながら地球に関してはまだ解明されていないことが多く、まだ本格的な研究は始まったばかりと言っても過言ではない。

地球は実質的に人類の生活できる唯一の星であり、資源の利用法など、人類の進歩のためにその解明の必要性はむしろ高まりつつある。

また、近年大きな関心を寄せられている地震予知や環境問題、火星探査などに直接関わる分野として注目され始めており、今後の更なる発展が期待される学問である。

地球科学あるいは地球惑星科学は、ひとつの学問体系というよりは地球に関する様々な学問分野の総称であり、地質学・鉱物学・地理学・地球物理学・地球化学などに細分化されているのが現状である。

またその研究対象も分野によって大気圏・表層環境・生命圏・地球内部・太陽系など多様であるが、最近ではこれらの相互関係に重点を置いて地球全体をひとつのシステムとしてとらえ総合的に研究しようとする地球システム学(惑星システム学)が提唱されている
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