7月22日は、日蝕(日食)でしたね。
わたしはNHKで放送されたものを、11時の実況と再編集した夜のものと、2回見てみました。
テレビをぜんぜん見ないわたしとしては異例で、家族も意外に思ったようです。
「日蝕は大凶事であるからぜったいに見てはいけない」とネイティブ界やヒンズー教では言われているようです。
なので、わたしのまわりの人たちはかなり日蝕は見ないよう心がけるという人が多かったです。
そんな中でわたしは日蝕を見て、いろいろ思うこともありました。
おそらく「日蝕を見てはいけない」というタブーは、人々のかつての記憶からの知恵なのではないかと思います。
おそらく、かつて昔、太陽が黒くなり、本当にいつまでも朝がやってこない時があったに違いないのだと思います。
わたしはそのような記憶が自分の中にもあるように思われるので、「日蝕の太陽を見る」ことは、わたしには深い経験になりました。
テレビで、太陽のアップの映像を見ていると、太陽を凝視している自分を見出し、「月輪観」とか「日輪観」という瞑想法があったことを思い出しました。
これは「昼間、月が今どこにあるかを心で感じる」、また「日が沈んでから、太陽が今どこにあるかを心で感じる」瞑想だったと思います。
普段誰も訪れないような遠い島に、日蝕がよく観察されるルート上だという理由で多くの人々が宿泊しているとテレビは報じていましたが、
人が太陽を見ることに、誰も是非を唱える権利はなく、太陽や月を、自分が魂の中にいかに掴んでいるか、ということが大事なことではないかと、改めて思いました。
「魂の中の太陽」こそが神秘であり、ある意味、黒い太陽も黒い世界も真実だ、と思いながらテレビの中継を見ました。
また、テレビに映し出された黒い太陽は、かなり怖かったですが、その黒い太陽の下、身の回りの、ふだん使っているいろいろな文化物、特に電化製品、、電子レンジとか、携帯電話が異様な妖気を発しているのが感じられ、印象深かったです。
人工的なものが、ものすごく“異様なもの”であることが露わになり、これらはなんと恐ろしい“魔物”なのだろう、と思わずにはいられませんでした。
感性がいつもと違い、この世界が違って見え、こういう“異様なもの”に囲まれて、わたしたちは生きているのであると、心底思いました。
すでにわたしたちの社会は、〝魔物にかこまれた世界”であり、わたしたちは〝正気″などではない、のでしょう。
‶魔物″としての日常、そして、私たち、という思いを、はげしく感じました。
“日蝕”は社会的には“ものいみ”すべき凶事というべきことかもしれませんが、瞑想的には、様々な気づきを与えてくれました。
北山耕平ブログNativeHeart「日蝕を見ずにヴィジョンを見ること」
afpbb.com2009・07・20より
「皆既日食で暴動が起こる」占星術師が警告
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2622780/4373669
7月22日の皆既日食は、世界各地で暴力や混乱が起きる予兆だと、インドの占星術師らが警告している。
ヒンズー教の神話では、日食はラーフ(Rahu)とケトゥ(Ketu)という魔物が太陽をのみ込むことによって起きる現象と考えられている。
生命の源となる光が奪われることで、食物や飲料水も生き物が口にしてはならないものに変わるとされる。
妊娠中の女性は胎児への悪影響を避けるため、日食中は屋外に出ない方がよいとされる。
ニューデリー(New Delhi)市内のある婦人科医によると、皆既日食がみられる22日に帝王切開手術を予定していた妊婦から、手術日の変更依頼が相次いでいるという。
日食中の正しい過ごし方としては、断食や聖なる川での沐浴が奨励されている。
源氏物語用語辞典より
物忌み・物忌 [ものいみ・ぶっき・ものいまい]
暦や占いで凶兆がある時や夢見が悪い時にそれらを避けるため、また触穢(人の死や出産などに接触または接近すること)の時などに、1日~数日間、家に籠もって身を慎むこと。
物忌み中であることのしるしに、柳の木の札や忍草に「物忌」と書いて、冠や簾にかける。
モーセの十戒より
1. 主が唯一の神であること
2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 偽証してはいけないこと
10. 隣人の家をむさぼってはいけないこと
wiki阿字観より
阿字観(あじかん)は、平安時代に弘法大師によって伝えられた瞑想法。阿字観ヨーガ・密教ヨーガとも言う。
大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめ、姿勢と呼吸を整え瞑想する。
元々、真言宗の僧侶が鍛錬の方法として実践していたもので、真言寺院に伝えられていた。
トレーニングの瞑想法として、息数観、阿息観、月輪観がある。
わたしはNHKで放送されたものを、11時の実況と再編集した夜のものと、2回見てみました。
テレビをぜんぜん見ないわたしとしては異例で、家族も意外に思ったようです。
「日蝕は大凶事であるからぜったいに見てはいけない」とネイティブ界やヒンズー教では言われているようです。
なので、わたしのまわりの人たちはかなり日蝕は見ないよう心がけるという人が多かったです。
そんな中でわたしは日蝕を見て、いろいろ思うこともありました。
おそらく「日蝕を見てはいけない」というタブーは、人々のかつての記憶からの知恵なのではないかと思います。
おそらく、かつて昔、太陽が黒くなり、本当にいつまでも朝がやってこない時があったに違いないのだと思います。
わたしはそのような記憶が自分の中にもあるように思われるので、「日蝕の太陽を見る」ことは、わたしには深い経験になりました。
テレビで、太陽のアップの映像を見ていると、太陽を凝視している自分を見出し、「月輪観」とか「日輪観」という瞑想法があったことを思い出しました。
これは「昼間、月が今どこにあるかを心で感じる」、また「日が沈んでから、太陽が今どこにあるかを心で感じる」瞑想だったと思います。
普段誰も訪れないような遠い島に、日蝕がよく観察されるルート上だという理由で多くの人々が宿泊しているとテレビは報じていましたが、
人が太陽を見ることに、誰も是非を唱える権利はなく、太陽や月を、自分が魂の中にいかに掴んでいるか、ということが大事なことではないかと、改めて思いました。
「魂の中の太陽」こそが神秘であり、ある意味、黒い太陽も黒い世界も真実だ、と思いながらテレビの中継を見ました。
また、テレビに映し出された黒い太陽は、かなり怖かったですが、その黒い太陽の下、身の回りの、ふだん使っているいろいろな文化物、特に電化製品、、電子レンジとか、携帯電話が異様な妖気を発しているのが感じられ、印象深かったです。
人工的なものが、ものすごく“異様なもの”であることが露わになり、これらはなんと恐ろしい“魔物”なのだろう、と思わずにはいられませんでした。
感性がいつもと違い、この世界が違って見え、こういう“異様なもの”に囲まれて、わたしたちは生きているのであると、心底思いました。
すでにわたしたちの社会は、〝魔物にかこまれた世界”であり、わたしたちは〝正気″などではない、のでしょう。
‶魔物″としての日常、そして、私たち、という思いを、はげしく感じました。
“日蝕”は社会的には“ものいみ”すべき凶事というべきことかもしれませんが、瞑想的には、様々な気づきを与えてくれました。
北山耕平ブログNativeHeart「日蝕を見ずにヴィジョンを見ること」
afpbb.com2009・07・20より
「皆既日食で暴動が起こる」占星術師が警告
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2622780/4373669
7月22日の皆既日食は、世界各地で暴力や混乱が起きる予兆だと、インドの占星術師らが警告している。
ヒンズー教の神話では、日食はラーフ(Rahu)とケトゥ(Ketu)という魔物が太陽をのみ込むことによって起きる現象と考えられている。
生命の源となる光が奪われることで、食物や飲料水も生き物が口にしてはならないものに変わるとされる。
妊娠中の女性は胎児への悪影響を避けるため、日食中は屋外に出ない方がよいとされる。
ニューデリー(New Delhi)市内のある婦人科医によると、皆既日食がみられる22日に帝王切開手術を予定していた妊婦から、手術日の変更依頼が相次いでいるという。
日食中の正しい過ごし方としては、断食や聖なる川での沐浴が奨励されている。
源氏物語用語辞典より
物忌み・物忌 [ものいみ・ぶっき・ものいまい]
暦や占いで凶兆がある時や夢見が悪い時にそれらを避けるため、また触穢(人の死や出産などに接触または接近すること)の時などに、1日~数日間、家に籠もって身を慎むこと。
物忌み中であることのしるしに、柳の木の札や忍草に「物忌」と書いて、冠や簾にかける。
モーセの十戒より
1. 主が唯一の神であること
2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 偽証してはいけないこと
10. 隣人の家をむさぼってはいけないこと
wiki阿字観より
阿字観(あじかん)は、平安時代に弘法大師によって伝えられた瞑想法。阿字観ヨーガ・密教ヨーガとも言う。
大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめ、姿勢と呼吸を整え瞑想する。
元々、真言宗の僧侶が鍛錬の方法として実践していたもので、真言寺院に伝えられていた。
トレーニングの瞑想法として、息数観、阿息観、月輪観がある。