始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

弥勒の千年王国(1)・・未来仏が現れるのはいつか?

2010-11-30 | 弥勒
ミトラス教のミトラは、東方においてはミロクとなった、という説について考え中です。。
ミロクという仏について調べています。


宮田登氏が編纂した「弥勒信仰」という本の中に、鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会い」という示唆に富む論文がありました。

聞いたことがあるような、ないような。。
不思議な話が展開しています。

以下、抜粋して引用させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


     *****


(引用ここから)

弥勒下生の筋書き

仏教的世界における千年王国信仰の中核をなすのは弥勒下生信仰であるが、この未来仏はいかなる脈絡の中で出現したのだろうか。

まとまった記述として南宋の「仏祖統記」の所説を、「大正新脩大藏經」より略述する。


        ・・・・・


仏教思想によると宇宙世界の時間は、形成と持続と破壊と空の4段階からなるとされる。

それを一サイクルとして、所定の時間を経てこの宇宙世界はすでに一度消滅し、そして現在の世界のサイクルが始まった。

この現在世界の「形成」の段階の時、人間の祖先が現れ、はなはだ幸福で自由な生活を楽しんだが、「持続」の時代のある時、釈迦仏が出現した。

それから「正法」の時代が尽き、「像法」の時代となり、「末法」の時代を迎えた。

それより3100年をへて7年7月7日続く飢饉・災いがあり、人がみな十悪を行うようになり一切の食物が姿を消し、一大干ばつが起こって飲み水もなくなる。

やがて一人の人が福徳ある男女10000人を集め、これが人の「種」となり人類の生活は復活する。

「末法」に入ってより4100年、再び7年7月7日続く災いがおこり、人々は病死し葬る者もないが、病災は止んで、人々は蘇生する。

さらに「末法」の一万年が過ぎる時、「月光菩薩」が中国に出現して、法を説き、その後「末法」は終わる。

さらに時がたち、釈迦の教義は滅び尽きる。

さらにまして「金綸王」が出現するが、これより「滅客」がはじまり、その後ミロク仏が出現する。

・・・

(引用ここまで・続く)



*****


wikipedia「大正新脩大藏經」より

大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、高麗海印寺本を底本として日本にある漢訳経典をすべて調査校合した、民間人の手になる大蔵経である(通常は、国家事業である)。

プロデューサーは高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙の3名で、当時の仏教関係の大学が協力して、校訂作業に当たった。

現行版は大蔵出版にあり、新たな学術研究の成果を踏まえた現代語訳の一部「新国訳大蔵経」も、1990年代から刊行中である。

『国訳一切経』は、大東出版社から<印度撰述部155巻>と<和漢撰述部100巻>が刊行されている。


wikipedia「仏祖統記」より

『仏祖統紀』(ぶっそ とうき)とは、中国・南宋の僧志磐が、咸淳5年(1269年)に撰した仏教史書である。全54卷。

天台宗を仏教の正統に据える立場から編纂されている。

引用する内外の典籍は200種に近い。

本書の欠点は、収録する名僧の間に往々にして僧名を記さず、山名、師号、寺名などによって代替し、徒らに後世の研究の困窮を増していることである。

その「志」中の「法運通塞志」(ほううん つうそくし、第34-48巻、全15巻)は、編年体の通史に相当する部分であり、『釈門正統』や、禅宗史書である『隆興仏教編年通論』などの先行書、元代の『仏祖歴代通載』、明代の『釈氏稽古略』などの後代の書と同様、仏教伝来以来の歴史を通観するのに便利な書物となっている。

但し、唐代以前の部分に関しては、引用の誤りなども散見されるため、利用する際には、原典に当たって記述を確認する必要がある。

また、その中には、仏教のみにとどまらず、道教・マニ教・ゾロアスター教などの記事も含まれるため、天台宗史・中国仏教史のみならず、中国の宗教史の研究の上で、貴重な資料を提供している。



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牡牛の呪力、太陽神の密儀・・ミトラス神殿について(2)

2010-11-25 | エジプト・イスラム・オリエント
引き続き、フェルマースレン著「ミトラス教」の紹介をします。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

        *****


       (引用ここから)



ヘッデルンハイム出土の浮彫りの裏側では、太陽神とミトラス神とが殺された牡牛のレリーフの背後で一緒に横座りしている。

牡牛の皮の上に横座りする例も時々見かけるが、彼らが牡牛から取り出そうと願う呪術的な力が、ここでもまた強調されている。

コナイツ出土の浮彫りでは、“大鵜”と“獅子”(カラスとライオン)の位階の信徒2人が、それぞれの獣面をかぶり、パン、果実、あるいは魚などの酒食を供する。

あるいは太陽神がひと房の“葡萄”を手渡すと、ミトラス神はこの贈り物を畏敬の念をもって見つめる。


しばしばミトラ教の遺跡に接して発見される廃棄用の竪穴(ゴミ捨て場)からは牡牛、野猪、羊、鳥類などの骨が出る。

通常は、牡牛の肉を食べ、その血を飲んだものと推測されるが、牡牛が手に入らなかったりした場合は、他の手近の動物の肉、あるいはパンと魚を、血の代わりには葡萄酒を用いた。

信徒集団の必要経費が壁面に刻みつけられている神殿では、そのリストの冒頭に、肉と葡萄酒の代金がある。

太陽神のレリーフの手に乗せられたひと房の葡萄もその証拠の一つである。


そこで4世紀末の暴力的キリスト教徒によって最も手ひどく破壊されたのは、まさしくこれらミトラス教の「聖さん式」のシーンであった。

キリスト教神父によれば、ミトラス神崇拝者の「聖さん式」は、キリスト教のそれの“悪魔的模倣”である。


ミトラス神の信徒たちは、復活の儀式も執り行っていた。

彼らは確固としてこう信じていた。

すなわち牡牛の肉を食し、その血を飲めば、生命そのものが牡牛の血から再創造され、また蘇ることができる、と。

この食物と飲み物はいつの日にか魂を蘇らせて久遠の光に浴させ、救済をもたらすと考えられた。

この信仰を元として、牡牛は自らを供物として捧げたミトラス神に他ならないからこそ、信徒たちはディオニュシス的な陶酔的密儀の中で聖なる肉を食し、血を飲んだのだ、と著述家たちは結論した。


ユスティヌスによると、会衆は「聖さん式」の際に、キリスト教のそれと似たきまり文句を用いた。


キュモンが刊行した中世の文献では、ゾロアスターは弟子たちに次のように話しかける。

「わが肉体を食し、我が血を飲む者は、我に帰一し、我はその者に帰一するが、そうしないものは救済の極意に至らない。」


これとキリストの弟子への言葉を比較してみよう。

「我がからだを食し、我が血を飲む者は永遠の命を得る。」


このペルシア起源の重要な章句の中に、キリスト教徒と敵手との間の争いの元があるのである。



ミトラス神はこれらの秘蹟をなしとげた後に戦車に乗って昇天した、と言われる。

いくつかの浮彫りでは彼は4頭立ての太陽神の戦車の後ろから走って行く。


時として彫刻家は、戦車の進路を天界へと向ける。

そこでは翼と魔王の杖によってそれと分かるヘルメス神が道案内を務める。


しかしドナウ川地方で発見された浮き彫りでは、ミトラス神は天界ではなく、大洋に向かわんとする戦車の方に静かに足を運んでいる。

この場合、大洋は“横に伏した髭もじゃの神”の姿をとっている。(まるで布袋さまのような、リラックスしたお姿で。。)

彼の足はマントに覆われ、左手は水かめの上に置かれる。


大洋が図式化されて、波打つ線の文様で表わされることもある。

このシーンを示す浮彫りでは、大洋の神オケアヌスを一群の妖精で取り囲む図像もある。

彼の頭上には翻るヴェールが見える。

その、神の頭上に翻るヴェールの図像は、キリスト教会の下からミトラス神殿が発掘されたサンタ・プリスカ教会の、地下のミトラス神殿の礼拝用の壁画に描かれた横臥する人物と、比較されるべき類似的特徴を示している。


ドナウ川地方にある神殿の浮彫りでは、オケアヌス神の体は“蛇”によって取り囲まれている。

水界の神は、自らの中に永遠の時の神と天界の神の能力を併せ持つように見える。

この結合体は、天界と水界の両方が一つのものと考えられていた時代の名残である。

キリスト教の図像製作者達がこのテーマを描くためのインスピレーションは、オケアヌス神の代わりに“擬人化されたヨルダン川”として表現された。

(引用ここまで)


               *****


おそらく人類にとって、動物を殺すことには、同族(人間)を殺すことの暗喩が含まれているのではないか、という気がします。

「人間の死」が、テーマとなっているのではないか、とわたしは思います。

また、カラスやライオンが登場するのも、ここだけの話ではないですから、これは何か人類共通のストーリー、つまり人類の宿命が示されているのではないかと思います。

もうすぐクリスマス。。

チキンのステーキを、我が家も作ることでしょう。




wikipedia「オケアノス」より

オーケアノス(古典ギリシア語)は、ギリシア神話に登場する海神であり、ティーターンの一族に属する。

特に外洋の海流を神格化したものである。

ギリシア神話の世界観では、世界は円盤状になっており、大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐるぐると回っているとされた。

それ故、神話においてオーケアノスの領域という言葉は、しばしば「地の果て」という意味で用いられる。

また、地上の全ての河川や泉の水は、オーケアノスの水が分かれて地下を通り、地上に現れると考えられていた。

古代のアナクシマンドロスの世界観を絵にした地図で見ると、世界は、大洋=オーケアノスが周囲を取り囲み、真ん中に、エウローパ、アシアー、リュビアーの三つの領域・大陸があることになっている。



写真・ミトラス教の聖さん式・カラスとライオンのお面をつけて神々に酒食を供する (同書より)


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ミトラス神殿について(1)・・地底の太陽神

2010-11-20 | エジプト・イスラム・オリエント


古代ペルシアのミトラ神は、ヘレニズム期に西洋に伝わると、ミトラス神という神格になるようです。

ミトラス神の神格は、現在のキリスト像にとても類似しているように思われます。

同じミトラ神が、東に移動すると弥勒という東洋の救世主になる、という説もあります。

これらをできるかぎり追ってみたいと思います。



フェルマースレン著「ミトラス教」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
以下、抜粋して引用させていただきます。

実に、血沸き肉おどる、とは、このことでは?、、と思いながら読んだのですが、
昔「ローズマリーの赤ちゃん」という映画を見た時の印象を思い出しました。
(内容は覚えていないのですが、、もう一度見てみたいものです。)


キリスト教の源泉を辿るのは、人類の源泉に至る道の一つでしょう。

西洋の源泉は非西洋的であり、東洋の源泉は非東洋的、なのではないか?

そんな思いが募ります。。


*****


(引用ここから)


ミトラス神は元来、決まって水のこんこんと湧き出る泉に近い自然の洞窟で礼拝されなければならなかった。

その洞窟には、岩壁に牛を屠る神としてのミトラス神の図像が彫りつけられていた。

ルーマニアのミトラス神聖域は1958年に発見されたものだが、中央レリーフを作成した彫刻家のニコメデスが奉納した碑文には、「この洞窟はユーフラテス川の岸辺の神聖な森にある」、と書かれている。

すなわち、近くを流れる小川を、ミトラス神の密儀が最初に原型を整えた場所であるメソポタミアの大河ユーフラテス川になぞらえたのである。


適当な敷地が見つかり、主だった信徒が聖域建設のために自宅の一部を提供したりした場合、ミトラス神殿はしばしば地下室に建立された。


地下の洞窟は天の曲面のシンボルであった。

したがってミトラス神殿の天上はアーチ状に作られることが多く、そこには星が描かれた。

カプアの神殿では、星の他に聖牛に引かれる戦車に乗った月の女神ルナの姿もあった。

神殿の内部は、ほとんど例外なく窓がなく、光はさえぎられる。

そのためにキリスト教神父はこれを冷笑し、「至高の神だというのに、それをまっ暗闇の陣営のような所で礼拝することがどうしてできるのか?」と記している。

4世紀の著述家マテルヌスは、その「邪宗論」の中でこう言っている。

「彼らが“ミトラス”と呼んでいるのは実は太陽神であるが、その密儀は秘密の洞窟の中でとり行われる。

その結果彼らはいつでも隠微された牢獄の暗闇の中に沈んで、光の輝きと明るさという美を閉めだしてしまう。」



「聖さん式」は洞窟の中で行われた。

「聖さん式」は太陽神とミトラス神の両神間、また信徒たち自身が神々に侍って飲食するという神人混在の性格を持つものもあった。

「聖さん式」の儀式を理解するためには、まず西暦220年頃作られた壁画を見よう。


放射状の暗いアーチ型天井の岩窟はローソクの光で金色に照らし出される。

そこでは太陽神とミトラス神とが寝椅子に横座りする。

彼らの前には小さな食卓がある。

太陽神は赤い長衣を着て黄色のバンドを締め、左手に地球儀をもつ。

ミトラス神は赤い外衣をまとい、フリュギア帽をかぶり、右手を相手の肩にかける。

両側に各一人の従者が立つ。

その一人が神々に聖酒を注ぎ、もう一人は大鵜(う=カラス)の面をかぶって楕円形の皿に食物を盛る。

碑文によって“獅子”の位の信徒であることが分かる8人の若者が、供物を奉納する。

彼らはパンと鉢、雄鶏、それと一掴みのろうそくを携える。

両神はしばし地上の追従者と同席し、もてなしを受ける。

このようにして信徒たちは神々を手本として、その面前で密儀を祝う。


(引用ここまで・続く)


                  *****


wikipedia「聖さん」より


聖餐(せいさん)とはイエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式。
「エウカリスト」(ユーカリスト)の日本語訳。

「聖餐」はおもに西方の教派で使われる訳語だが、カトリック教会では「聖体拝領」、「聖体の秘跡」と呼ばれる。

日本の聖公会、プロテスタント教会などでは「聖餐式」とも呼ばれる。

正教会における「聖体礼儀」、「聖体機密」「領聖」に相当する。
「主の晩餐」の語はいずれの教派でも使われる。



wikipedia「ヘレニズム」より

ヘレニズムとは、ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。

その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。

また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。

この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。


古代オリエント文化との融合

アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。

しかし、この文脈での「ヘレニズム」という視点が、多くの問題を残したのも事実である。

同時代にギリシア語(コイネー)が各地に広まったのは事実であるが、既にアケメネス朝の時代より商用語としてのアラム語が各地に普及しており、広大な世界における意思疎通は、アレクサンドロス以前より十分に可能であった。

アケメネス朝の時代より各地域の文化は融合・発展しており、ことさらこの時期に流入したギリシア文化の役割だけを過大評価することは、それ以外の文化を軽視しているともいえる。



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動物霊たちと人間の行進・・ホピの祭・ヤヤ祭3(終)

2010-11-14 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」から、ホピのお祭りの紹介をしています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
続きです。

          *****

              (引用ここから)


こうして人々は霧の立ち込める中を進んでいった。

小さな「狩りの母」を先頭に、大角羊が率いる動物霊たちは一列になって進み、人間たちがその後に続いた。

彼らは長い間、別の小村落の人たちと生活をともにした。

動物は豊富にいて、人々は狩りを喜んだ。
だが、この村の人たちは動物界を尊ばなかった、

そこで動物霊の長は、霧族の指導者に言った。

「この人たちはわれわれへの憎しみを増やしている。

離れる時になりました。

今後この人達は食糧を得るのに、長い時間をかけて狩りをしなければならないでしょう。
あなたがたは、われわれといっしょに来てください。」


先頭は儀式用のローブに身を包んだ三本脚のコヨーテ。
次に大角羊、大鹿、カモシカ、すべての鹿がこれに続き、あとから狩りの女神、そして人間が続いた。

こうして彼らは旅を終り、ワルピに辿り着いた。
そして太陽族とともに住んだ。


「ヤヤ祭り」は長年ワルピで行われ、特別なハポがつくられていた。
力のすべては人々の幸せのために使われた。

ツヒクヤ(=人を癒す)は呪師に対する通称である。
そしてポシ(=目)は、闇の中も見通せる動物界の目を持つ呪師に対する尊称である。

いずれの名前もヤヤの力の出所であるツボシ(=動物界)に派生している。
ポワカは全員二心で、人間の心と動物の心の両方を持つ。

かれらは古代にヤヤの儀式が行われていたキャニオン・デ・チェリーの入り口にある大絶壁パラングウ(赤い岩場)に、夜の闇にまぎれて飛んでゆく。

この場所の名は、動物界の王者パングウ(大角羊)に派生する。

この岩の中にあるグレート・キバには、世界中からポワカが集まってくる。


           (引用ここまで・終)


        *****



ところで、ヤヤの始まりとなった少年シリオモモについてですが、彼の父は
“お前が何と呼ばれているかは知っている。”と言っていました。

これについて、訳注には次のように書かれていました。

“シリオモモは植物界の名であるが、動物界とのつながりも暗示されている。

シリオモモはユッカのさやを揺すった時に聞こえる音を意味していて、この同じ音がカモシカの睾丸の皮で包んだガラガラから聞こえる。”

ユッカという植物は、ホピ族が清めと契りのしるしに髪を洗う儀式に用いる植物として何度も登場しています。

また、カモシカ族は蛇族と共に、ホピ族の大事な祭り=「蛇祭り」を行う宗団であり、ホピ族の精神の一端を担っている宗団です。

この伝承は、ホピ族の世界の一部は魔術的思考を重要な要素として構築されていることを示唆していると思われます。


しかしまた、このようにして見るとたいそう奇妙に見えますが、おそらく人間が傲慢になる前は、人間は動物にたくさんのことを教えられ、導きを受けて、暮らしていたのであろうと思います。



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守護星はシリウス、かくされた者となる・・ホピの祭り・ヤヤ祭(2)

2010-11-09 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」から、ホピのお祭りの紹介をしています。
続きです。

ホピ族とはいったい何者なのでしょうか。

これら神話的な世界は、彼ら部族内で完結しているものなのでしょうか?
それとも、真に彼らは、シリウスから地球へのメッセンジャなのでしょうか?

彼らは今も、“世界への隠れたる存在”としての意味性を持っているのではないかと、わたしには思えるのですが。。


           *****

              (引用ここから)


年月がたち、移民の民は「大角羊の家」と呼ばれる大きな村に長いこと定住していた。

この中に巨大なキバが作られた。

村の長は霧族の者で、この巨大なキバで彼が行った最も重要な儀式の一つが「ヤヤ」だった。

このころには、「ヤヤ」は大いなる力の祭りとして完全に定着していた。
その祭りの掛け声、「ヤーヒーヒー、ヤーヒーヒー」が名前の元となっている。

これは儀式がおこなわれる時に、主神ソマイゴリの訪れを告げる男が出す掛け声だ。

ソマイゴリ自身はまるで動物が息をする時のような、フーフーという声しか出さなかった。

ヤヤの大いなる力は、動物界、角のある獣から来た。

4日目の夜、中心的儀式がはじまる前に、入団者たちは奇妙な儀式の中で教父たちを選ぶ。

真夜中の直前に、年配の団員たちは、自分の代表する動物の毛皮と角を頭にかぶり、上の入り口に向かって伸びている狭いはしごの前に座を占める。

火が消されてキバの中は真っ暗になる。

新しい入団者は一人一人中に導かれ、胸の毛皮と心臓から波動を感じることによって自分の新しい教父を選び取る。

火が灯されると、入団者たちは自分の選んだ教父と動物を知る。


多くの年月がたち、霧族は再び移動の旅を始め、このときに「ヤヤ」の儀式も携えていた。

人々は4日かけて南下し別の村に入った。
ここには数年いた。

導きの星が動き、さらに北西に移動した。
大きな川の岸辺に着くと、4日にわたる儀式を行った。

最初の日に彼らはモミの木、樫の木、つるつるした木、野生イチゴをパホ作りのために植えた。

4日目にはこれらの木は成熟していた。

それからヤヤの動物たちが全員現れた。

夜半になって濃い霧がたちこめ、互いの顔の見分けがつかないほどになった。

動物の指導者はこう言った。

「これはあなたたちの儀式が完璧になった証拠です。
今後あなたがたの動きは隠れたものとなるでしょう。

あなた方の守護星はシリウスとなり、動物界が地上で繁栄するように、あなたがたはこの星に願掛けをしなくてはなりません。

行きなさい。
われわれの母が先導します。」

この場所は今のシプロックの西部にあるサンファン川だと言われている。

     
     (引用ここまで・続く)


          *****


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ホピの祭り・ヤヤ祭(1)・・・アニマルピープルと人間

2010-11-04 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
だいぶ間が空いてしまいましたが、フランク・ウォーターズの「ホピ・宇宙からの聖書」にあるホピの祭りを紹介します。

これは少し毛色の変わった祭りですが、ホピの人々の出自を示している祭りの一つだと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



       *****

      (引用ここから)


ニューメキシコ州アステカのグレート・キバの数ある珍しい特徴の中でも、祭壇の中央にある二つの巨大な穴ほど人々の好奇心を誘うものはない。

それは長さ2,5メートル、幅1メートル、奥行き1メートルの長方形の穴で、壁は石造りになっている。

一体何の目的でこの大きな穴が使われたのかについては、正確なことは分かっていない。

だがホピ族にとってはなんら謎ではない。
彼らはグレート・キバについて説明してくれた。

これらは「ヤヤ」と呼ばれる魔法の火祭りに使われたもので、その痕跡は今もホピ族の村むらに残っている。

その起源にまつわる伝説は、ホピ族をアステカ、チャコキャニオンなどの古代遺跡に住んだ先史時代の住民と、密接にリンクさせる。


以下にその伝説を語ろう。


昔人々が今のところに永住する前に、移動の民の一派が東北のキャニオン・デ・チェリーに住んでいた。

ある少女が山で奇妙な男と出会い、その子どもを産んだ。
子どもはシリオモモと名付けられた。

子どもが少年になり、母親が奇妙な男と出会った所に行くと、父親だと名乗る人が現われ、こう言った。

「わたしはお前の父だ。
おまえを受け取りに来たのだ。
お前が何と言われているかは分かっている。
それで、われわれが誰であるか、教えてあげよう。」


二人は、モミの森を抜けて行くとキバに着いた。

男はキバの上で足をドンドンと叩いたので、シリオモモは自分が重要な人物であることを知った。

というのも、権威ある者が重要人物を連れて来る時のみ、霊人たちに分かるようキバの上で足を踏み鳴らすからだ。


キバの中には男女含めてたくさんの人たちがいた。

「ようこそいらっしゃい。」
とだれもが声をかけてくれた。

女たちは、うさぎを受け取って祝福し、炉穴の横に置いた。


食事が終わると、父は彼をもう一つのキバに連れていき、前と同じようにもてなしを受けた。

このキバは前のよりもっと大きく、壁には、うさぎ、鹿、カモシカ、ヤギなどたくさんの動物の毛皮がかかっていた。

キバの人たちは、どの毛皮が誰のものかをシリオモモに教えてくれた。

「ほら見てごらん」とある男は言った。
彼は鹿皮に身を包むと、すぐに鹿になった。

ウサギの毛皮に身を包んだ女はすぐに、うさぎになった。

こうして一人一人が動物に早変わりしてみせ、それから毛皮を脱いで、また元の人間の姿に戻った。


シリオモモの父親はカモシカだった。
彼は人の姿に戻るとこう言った。

「さて、お前は神秘を見た。
もう我々が誰か分かるだろう。

われわれはアニマルピープルなのだ。
動物界から、われわれは大いなるヤヤの力を受けているのだ。」

彼らはカチナではなく、動物界に所属する霊人である。
その魔法の力は偉大だった。


( 引用ここまで・続く)


       *****


wikipedia「獣人」より

民間伝承、神話学、人類学において獣人とは人と他の動物の特徴を合わせ持つ人物を指す。


先史時代、動物と人間の混ざったイメージは世界各地でみられ、アニミズムの延長などで信仰の対象となっていたと考えられている。

チャタル・ヒュユク遺跡などの壁画には獣の特徴を持った人間が描かれることがあり、自然の力を借りようとした何らかの儀式に基づくものと推測されている。

古事記には、光る井から現れた生尾人(いくおびと)の記述がある。

キリスト教圏でも、初期には土俗信仰とキリスト教が共存してその様な偶像が崇拝されていた地域があったが、中世以降魔女狩りと同様に獣人は反キリスト・悪魔のとる姿と位置づけられるようになり、人狼狩りや人狼裁判なるものが度々行なわれた。


また、キリスト教圏以外の地域でも動物などの精霊が憑依して獣化する獣憑き(けものつき)の伝承が世界各地に存在しており、インドや中国では虎憑き、中南米ではジャガー人間、また、日本における狐憑きなどそのバリエーションは世界中に分布する。



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