始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

再掲「「憲法9条を世界遺産に」・言葉は世界を変えるためにある・・中沢新一・太田光対談」

2016-08-31 | 野生の思考・社会・脱原発




「憲法9条」について語り合っているこの対談、以前ご紹介しましたが、当ブログから再掲したいと思います。

9条を世界遺産にしようではないか?というアイデアは、お笑いタレントの「爆笑問題」の太田光さんのアイデアで、当時たくさん発言や行動をしていた学者・中沢新一さんとの対談は、なかなか読み応えがあります。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

               *****


             (引用ここから)

「爆笑問題vs中沢 「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある」
                       2012-02-18




http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012021402000030.html
脱原発「グリーンアクティブ」 「格差社会に抵抗 国民戦線」

                       2012年2月14日 東京新聞朝刊

          ・・・・・

 文化人類学者の中沢新一氏らは十三日、東京都内で記者会見し、脱原発などに取り組む市民団体「グリーンアクティブ」の設立を正式に発表した。

中沢氏は「原発に依存せず、むやみな自由主義や経済格差に抵抗する人々の力を集め、現状の政治を変えていく」と設立趣旨を説明した。

 団体は「緑の日本」と称した将来の環境政党を目指す部門など、四部門で運営される。環境保護と経済成長の両立を目指した「緑の経済人会議」も置く。

具体的な政策では脱原発を柱に据え、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)の推進反対、熟議の民主主義の構築などを訴える。

 中沢氏は「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えていく国民戦線をつくる」と強調した。

             ・・・・・


グリーンアクティブという政治組織を作って「日本の大転換」をめざすこととなった中沢新一氏ですが、大変意義深いことと思いますので、いろいろとご著書を読んでみました。

以下にご紹介するのは、お笑いタレント「爆笑問題」の太田光さんとの対談ですが、なかなか面白かったです。

「憲法9条を世界遺産に」というアイデアを発案した太田光氏と、中沢新一氏が敬意を込めて話し合っています。

二人の力量には何の差もなく、いい友人の楽しい会話という風で、読んでいても心地良さをかんじました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



          *****


        (引用ここから)


中沢  言葉の戦場を戦い抜くのは、ほんとうに難しい。

でも僕は今、多くの仲間たちに呼びかけたい。

言葉は世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが
使っているこの言葉に、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。


太田  平和の問題というのは、最終的には、人間の持っている愛とはなにかという問題に突き当たると思うんです。

愛が人類を破滅させる危険も十分にある。

愛がなければ戦争も起きませんからね。


 
中沢  あのナチズムの場合でさえ、血が結びあう共同体へのゆがんだ愛情が、ドイツ人をあそこまで連れていってしまった。

ほんとうに微妙なものなんですよ。

真理はいつも危険なもののそばにあって、それを求めると間違った道に踏み込む可能性の方が大きいんです。



太田  今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、愛情というものを履き違えていますよね。

人間の愛はもっともっと未熟で危ういものなのに、そうじゃないところに行こうとしているように見える。

誰かを憎んだり、傷ついたりすることはすごく人間的なことなんだけれど、そこを否定して逃げようとしているんじゃないか。

過去の戦争も忘れたふりをしている。

それじゃだめだろうと思う。

戦争や愛情から発生するネガティブな感情を否定することは人間そのものを否定することですよね。



中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいう「幼形成熟」ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。

矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。

たとえば神話がそうでしょう。

神話にはちゃんとした論理が働いている。

しかしその論理は矛盾を受け入れて、その矛盾によって動いています。

そうすると未熟に見えてしまうんですね。

普通の大人はそうは考えません。

現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。

効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。

僕も長いこと、お前はいつまでも未熟だと言われてきました。

しかし自分の内面にそう簡単に否定できないカオスがありますから、そのカオスを否定しないで生きて行こうとしてきました。


中沢 「ギフト」と言うドイツ語は、「贈り物」という意味と同時に「毒」という意味ももっています。

贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだ、とでもいう意味が込められているんでしょう。

昔の人達は、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。

だから矛盾を平気で自分の中に受け得入れていた。

絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じていなかったし、あり得ないと思っていたわけですね。

神話を通じて理想的な状況を考えようとしていた人々は、一方でとても現実的なものの考え方をしていた。

そういう思考法が、日本人には一番ぴったりくるんじゃないですか。

マッカーサーはよく言ったものです。
「日本人は精神年齢12才の子供だ」って。

12才といえばハリー・ポッターの年ですね。
その年頃の子どもはよく世界を凍らせるような真実を口にするでしょう?

日本人はそういう存在として人類に貢献すべきなんじゃないかな。



中沢  太田さんは「憲法9条を世界遺産に」というすばらしい発想をどんなシチュエーションで思いついたんですか?



太田  戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。

時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向き合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。

日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしよう、というアメリカ側の思惑が重なった瞬間に、ぽっと出来た。

これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境界すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だと思ったんです。

アメリカは5年後の朝鮮戦争でまた降りだしに戻っていきますしね。



中沢 グールドという生物学者は、生物の進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう抗争に入らないで、ゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも“幼児型”を保ち続けた生物が哺乳類として後のち発展することになったと言っています。

日本国憲法に関しても、それと同じことが起こりうると考えるべきだと思っています。

太田さんの言うように、日本国憲法はたしかに奇跡的な成り立ち方をしています。

当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後に日本人の後悔や反省の中から生まれて来たよいところがうまく合体しているんですね。

ところが政治の世界でこんなことが起こるのはめったにないことなんですね。

政治の世界の常識が出現をずっと阻止し続けていた“子ども”がとうとう現れてしまい、それで世界は変わらざるをえなくなった。

そういうものを葬り去りたいという勢力は常に存在してきましたが、かろうじて今まで命脈を保ってきました。

もしこれを簡単に否定してしまうと、日本人は確実になにか重大なものを失うことになるはずです。


      (引用ここまで・続く)

   
        *****


wikipedia「幼形成熟」より

ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。

ネオテニーと進化論

進化論においてネオテニーは進化の過程に重要な役割を果たすという説がある。

なぜならネオテニーだと脳や体の発達が遅くなる代わり、各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い。

そのことで成体になるまでに環境の変化があっても柔軟に適応することができるとされる。

たとえば脊椎動物の場合、それに近縁な無脊椎動物として重要なものにホヤ類などがあり、それらでは幼生で脊椎動物の基本に近い構造が見いだせる。

このことから、そのような動物のネオテニーが脊椎動物の進化の始まりであったとの説が唱えられた。

しかし異論もあり、たとえばより似通ったナメクジウオに近いものを想定する説もある。

また、そのような現生の動物にこだわらなければ、ホヤの幼生の様な姿の祖先的動物がいたと考えた方が簡単ではある。




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「チンパンジーより平和な「ボノボ」・・殺人する猿、しない猿。。」

「2008年9条世界会議」(1)記事再掲します」(6)まであり


「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般
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「憲法9条」を世界規模で拡大しよう・・「2008年9条世界会議」(6・終)再掲

2016-08-30 | 野生の思考・社会・脱原発




すっかり間が空いてしまいましたが、2008年5月に開催された「9条世界会議」のまとめとして行われた「大会宣言」をご紹介します。

これは当時ウェブ中継していたものをわたしが聞き書きして、当ブログに掲載したものの、再掲載です。



                *****

              (引用ここから)


「大会宣言に見る「環境と平和をつなぐ」方法」

(5月15日記す)

前回の日記に転載した「9条世界会議」大会宣言文の中から、これまで取り上げてきた
「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの話し合いに関わりのある部分をまとめてみた。


             ・・・・・

今日の世界における9条
    
    ↓

今日の世界は、武力紛争、大規模な貧困、格差の拡大、武器の拡散、
地球規模の気候変動に覆われている。


「9条」の原則を保持し、地球規模の平和と安定のための国際メカニズムとして強化することが、
かつてないほどに重要になっている。



9条と地球市民社会

     ↓

1990年代より、地球規模の市民社会が、草の根レベルで国境をこえて団結し、
人類の将来の決定に参加するようになってきた。

そして、平和、人権、民主主義、ジェンダーおよび人種の平等、環境保護、
文化的多様性といった課題について、主要な役割を果たすようになってきた。




9条の約束を実現する

     ↓

世界的に軍事費を削成し、限られた資源を持続可能な開発に振り向けることは、
地球規模で人間の安全保障を促進し軍事活動による環境への悪影響を
軽減することにつながる。

持続可能な開発に関する世界サミットおよび国連委員会は、各国政府および企業に対して、
地球の気候、水、森林、生物多様性、食料、エネルギー供給を保全するよう求めている。

同時に、気候変動は紛争の発生、悪化、助長をもたらす危険があり、
気候変動の過度の影響から地球を守ることに投資することが重要である。



わたしたちはすべての政府に以下のことを求めます

       ↓

11 地球規模の気候変動に対処することを誓約するとともに、戦争と軍事のもたらす
環境への負の影響を転換すること。

持続可能な地球を守り、クリーンで安全なエネルギーのための技術を促進し共有するような
「国際持続可能エネルギー機関」の設立にむけて投資すること。



わたしたちは日本の政府が以下のことに取り組むことを奨励します

       ↓


3 世界各地における持続可能な開発のための人間の安全保障に注力するとともに、
ミレニアム開発目標の達成という経済大国としての責任を果たすことによって、
国際社会で主導的な役割を果たすこと。



市民社会は以下のことに取り組むことを誓約します

        ↓

1 「9条」の主要な原則の維持・拡大を地球規模で促進していくごとに真剣に取り組み、
平和の文化を普及していくこと。


3 平和、人権、人道援助、軍縮、環境、持続可能な開発といった異なるセクター間の
協力を強めることで、能力を高め、効果的なネットワークを築くこと。

地元、地域、世界レベルでの市民社会の参加をより拡大するために、政府、国家機関、
国際機関との定期的な連絡チャンネルを設置すること。


6 不公平を生み環境を破壊し紛争を助長するようなグローバル経済の力の集中に対抗して、
平和、開発、環境に投資し、公正で非軍事的な経済をつくり出すこと。
 
       ・・・・・

      (大会宣言抜粋ここまで)


軍事費を削減し、地球規模で人間の安全保障を図る
地球規模の視野に立ち、持続可能なエネルギーを探求する
戦争、軍事による環境破壊を防ぐ
開発に関わる人間の安全に責任をもつ
環境を破壊しない経済をつくりだす
「9条」の主要な原則を維持、拡大することを、地球規模で促進する


これらのことを希求するべきであるということが、大会で話し合われ、
確認合意されたのではないかと思われる。

「9条」という言葉が、日本から巣立って、世界規模の概念として取り扱われていることが、
実感として、感じられた。

さまざまな問題を、大きな視野にたって、前向きに考えていきたいと思った。


wikipedia「市民社会」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%A4%BE%E4%BC%9A

wikipedia「ミレニアム開発目標」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A0%E9%96%8B%E7%99%BA%E7%9B%AE%E6%A8%99

wikipedia「グローバル経済」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

wikipedia「反グローバリゼーション」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3


           (引用ここまで)


            *****


今読み返してみると、この会議が行われた時点では、政治より環境問題が、より重点的に「9条」と結び付けて考えられていたように思いました。

8年の歳月をへて、世界はいっそう危険に満ちた状況に陥っていると思います。

この国が「憲法9条」を手にしていることを最大限に大切にして、これからも考えてゆきたいと思います。


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「いとし子よ 愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/27a5d895c4fb420f33f14ffeca5b6b4c

「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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夢は枯野を かけめぐる。。・・人は夢みているのか、歩いているのか?

2016-08-27 | 心理学と日々の想い



少々忙しくて、ブログの更新が滞ってしまいました。

申しわけありません。

憲法9条については途中だし、その前のお稲荷さんのことも途中だし、コメントのお返事もしていないし、、ああ、なんということでしょう。

それでも、これから先の記事の下書きはもう出来ていまして、これらのお話しの後には、南太平洋、アフリカの習俗の記事を掲載しようと、張り切って準備しております。


用事で忙しくてブログの更新をできない今の心境を、、と思ったら、芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句を思い起こしました。

当然、私の心の中は、アフリカに行ったり、南太平洋に行ったりしています、という気持ちをこめたつもりでした。

ところがです。

ネットで調べてみたところ、この句には2つの解釈があるというので、ふうん、、と思ってしまいました。

安居正浩氏という方が解釈を書いておられたので、引用させていただきます。


                 *****


               (引用ここから)



「芭蕉会議・俳句コミュニケーションサイト」

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2010_10_02.html


2・「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句意

この句は芭蕉の中でも有名なものの一つで、多くの人がその鑑賞を書いている。

この句には「旅」・「病」・「夢」など読み手が共感しやすい言葉が並び、孤独を感じさせる「枯野」もある。

そして句の背景には近づく「死」があり、泣かせどころ満載である。


一般的な解釈は「旅の途中で病床に臥していながら、夢の中ではなお枯野をかけめぐっている(芭蕉事典・春秋社)」となろうか。

これだけだと詠んだ芭蕉の気持ちがはっきりしない。

もうすこし芭蕉に引きつけて解釈すると、


①夢の中ではまだ枯野をかけ廻っているのだけれど、病に倒れた私はもう旅に出ることも出来ない。
 悲しい。


 ②病気になったが、まだ私の夢は枯野をかけ巡っている。早く治ってまた旅に出たいものだ。

との二つの解釈が考えられる。


この句は悲観的なものか、それともまだ未来を見据えたものなのか。

現在では「夢は枯野をかけ廻る」に悲愴な芭蕉の気持ちを読み取ることが多く、前の解釈の方が一般的だ。

ただ私は芭蕉が「病中吟」とわざわざ付けていることから、まだまだ旅は続けたかったのだと思っている。


        (引用ここまで)


         *****



多忙で、ブログの更新は滞っておりますが、、つまり、わたしは無言のうちに10日を過ごしておりますが、、その合間にもわたしは考えごとは続けていまして、そういえば、アフリカの他にも、沖縄のSさんという、ひと昔前に有名だった方に関する本を数冊読み直したり、パン工場の夜勤をしながら幽体離脱して、チチカカ湖の義父のところに行って語り合う女性の本なども読んでいたのでした。

そういう意味では、あいかわらずわたしは、「人が生きるということは、何をしていることなのだろうか?」ということを考え続けているのであり、わたしは今も、もっともわたしらしい時の過ごし方をしている(させていただけている)のだと、改めて思ったりもいたします。

ああ、なんと恵まれた、幸せな人生なのでしょうか?


たぶん、人生は思っているより短いだろう、と思います。

言葉を自由に扱える時間も、もしかしたら、そんなに長くないかもしれません。

多弁でなくなる時が訪れたとして、そしてその先の時間が、もしかしたらまだまだたくさんあるかもしれないけれど、それでもやはり人生は束の間のことでもあるでしょう。

与えられた時間が長くても短くても、わたしは悲観も楽観もしないような気がします。

旅がしたい、という気持ちは、生きているかぎり持っているかもしれませんが、旅に出たり出なかったりすることは、実はわたしにとっては、しょせん同じこと、と思えます。

風景は、向こうからやってきてくれるだろう。。

風が、わたしを運んでくれるだろう。。

人の一生、、かけ廻っているわたしとは、いったい誰なのでしょうか?




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「3日は短くなく、むしろ長い、それで十分なんだ・・星野道夫、トーテムポールになる」

「春分の夜の蝶」

「今日は知里幸恵さんのご命日・・「アイヌ神謡集」の編訳者」

「愛されているという感覚・・キャンディーズのスーちゃん」

「嵐山光三郎「死ぬための教養」・・ゆうゆうと死ぬために」(2)あり

「石牟礼道子の語り・「名残りの世」(1)・・いとしく思いあう風景」(3)まであり

「脳と墓(1)・・社会という妄想」(2)あり


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安保と9条・ダグラス・ラミスさんの語り・・「2008年9条世界会議」(5)再掲

2016-08-16 | 野生の思考・社会・脱原発





引き続き、2008年5月に行われた「9条世界会議」のウェブ放送の聞き書きのまとめを、当ブログより再掲します。

次にダグラス・ラミスさんが登壇し、「安保と9条」という基本の部分に補足的指摘をされました。

その後プログラムは終了しました。

わたしの感想を含めて、再掲します。


              *****

             (引用ここから)

「夢見る力をはぐくみたい・・わたしの感想」

          (5月14日記す)

前回までの4つの記事で、「9条世界会議「環境と平和をつなぐ」シンポジウム」の聞き書きを記してきた。

リライト(まとめることで、元の言葉をいじってしまうこと)の責任を負ってまで、どうしても書き置きたいと思ったのは、やはりわたしにとって、とても興味深い、実験的な話の内容だったからである。

以下、わたしの感想です。



発言者たちの話に、コメントを求められたダグラス・ラミスさんが、

「9条の裏には日米安保があることを忘れてはいけない」と述べたが、

この話し合いでは、発言者たちは、その問題を視野に入れつつも、
極力ふれずに、「何とかしてそこを超えたものを探ろう」という視点が
強いように感じていた。

だからラミスさんのこの発言があったときには、来るべきものが来たと思った。


ラミスさんは、以下のように指摘した。

                  ***


沖縄に基地がいらないとか、辺野古が環境破壊だとか言っているが、

戦争になれば、それどころではない状況になることを忘れてはいけない。

今の日本を支配しているのは、9条ではなく、日米安保。

安保は見えにくいが、「9条と安保」の問題がある。

また、「経済成長と9条」は、セットでとらえられてきた。

「9条で平和をまもり、経済成長で豊かになる」、
というモデルがあった。

それを切り離し、マインドセットから抜けていく必要がある。                      

                 ***


このように指摘されると、それまでの議論は、やはりどこかしら空理空論に近い、
腰の弱さがあるように感じられた。

やはり“9条で戦争を放棄して、平和に生きることを選択する”、というのは、
空理空論のおめでたい理想主義なのだろうか?。。

ラミスさんに、理想主義と指摘され、さて、何と答えればいいのだろうかと、
わたしも身を硬くして、考え直した。


実際、今の日本の現状では、〝平和を守る″、ということが、

“安保で保障されている平和を守っているにすぎない″、

という状況が、盲点になって見えないでいれば、平和ぼけである。

平和を維持したいと望む気持ちが、軍備がはりめぐらされているという事実の、
かくれみのになってしまう。



それでは、日本が安保を捨てて、かつ戦争放棄ができるのか?、

という話になると、日本とただ二国、戦争放棄をかかげているコスタリカも、
アメリカの羽の下の安全、という側面があるし、問題はふりだしに戻ってしまう。

「環境と平和」、というお題に対して、「戦争は環境を破壊する」という観点は
誰にも等しく共通だけれど、、。


「戦争になれば、環境破壊など問題にしている状況でなくなる」、という現実優先の論理と、

「環境保護問題の革新性=環境破壊も戦争だ、人間と環境はつながっている」をうったえる論理のすれ違いは、

この問題の持つ大きなテーマではないかと思った。


それは、理想のもつ力と限界という風にも見え、人間の本質は善か悪か、
の定義に立ち戻ることとも言えると思う。

そして、人間は善か悪か、と考えるとき、

「日本という国家が9条を持ち、国家として武力を放棄している」、という事実は、ひとつの状況証拠として、大変貴重なのではないかと思われる。

なぜなら、「9条」から話を始めることで、従来の性悪説に基づく人間観、
を超えることができるからだ、、。

戦わない人間、殺さない人間、、そのような人間観から、人間を語ることができるからだ。

だからこそ、世界中の人々が、「9条」を持っている日本という国の奇跡を尊重し、
「なんと奇跡的なことだろう!」と、驚愕するのだと思う。

だとすれば、、この既成事実に立脚しないという手(脚?)はないのでは
ないだろうか?。

この既成事実を手放す手はないのではないだろうか?


“9条のもつ可能性”と、そこにある“もう一つの人間のすがた”を「夢見る力」について、これからも考えていければ、と思っている。


憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


はてなダイアリー「ダグラス・ラミス」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C0%A5%B0%A5%E9%A5%B9%A1%A6%A5%E9%A5%DF%A5%B9


wiki「コスタリカ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB


            (引用ここまで)


              *****


wikipedia「ダグラス・ラミス」より

ダグラス・ラミス(1936年 - )はアメリカ合衆国の政治学者、評論家。専門は政治学。日本在住。
サンフランシスコに生まれ、カリフォルニア大学バークレー校卒業。
1960年に海兵隊員として沖縄県に駐留。
1961年に除隊後、関西に住み、「ベ平連」の一員として日本での活動を始める。
1980年津田塾大学教授。2000年退職。
以後は沖縄に移り住み、非常勤講師を勤める傍ら、執筆や講演活動を行っている。
日本人論批判で知られ、のち平和運動家、また文筆活動をする。

ウェブマガジン「マガジン9」HP中にあるインタビュー記事



「この人に聞きたい・ダグラス・ラミスさんに聞いた沖縄と9条と日米安保」


上にリンクを張ってご紹介しているインタビュー記事で、ラミスさんは「今、〝9条はすばらしい″と言う人には、日米安保をよく理解していない人が多くいる」と述べていました。

わたしなどは、「9条保持」も大切だけれど、まずは「反安保」が前提に来るのが当然という感覚があるので、この問題は口が重くなりがちです。

「9条守れ」と言うとピースサインが返ってくるけれど、「反安保が基本」、と口にすると、「ダサい」「時代遅れな感覚だ」という反応が返ってきて、驚くことがあるのは事実なのです。


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「ハチドリのひとしずく・エクアドル・コタカチ州知事の語り・・「2008年9条世界会議(4)」再掲

2016-08-14 | 野生の思考・社会・脱原発



引き続き、2008年5月に開かれた「9条世界会議」の聞き書きを、当ブログより再掲します。

               *****

              (引用ここから)

「ハチドリのひとしずく・・アウキ・ティトゥアニャさんの語り」


(5月10日記す)

前回の記事に続き、9条世界会議「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの備忘録。

3人目は、南米エクアドル・コタカチ州知事就任12年目の、
アウキ・ティトゥアニャさんだった。

アウキさんは、

「デモクラティア」とは、「民衆の力」という意味の言葉である。

しかし今世界に民主主義はあるだろうか?

ない。

民衆には力がない。

だから民主主義もまた、ない。

石油の力がある。ドルの力が、テレビの力がある。


川を渡ろうとするなら、水に入らなければならない。

我々は参加しなければならない。

変革は、参加によってうまれる。


500余年の状況を超えて、民主主義を作り出すこころみがなされている。

「先住民の知恵」は、人々の政治的な意思と、政府の政治的な意思が、
同時になければならないと考える。

責任あるビジョンが必要だ。


先祖代々の3つの原則がある。

なまけものにならない
うそをつかない
盗まない


これが今までの政治への、われわれの答えである。

我々の働き方のかぎは、大きな集会をすること。

あらゆる人がみんなで集まり、みんなで話し合う。

不透明性や腐敗を追い出す日を定める。

いっしょに成功し、いっしょに失敗し、みんなで担い合おう。


そして我々は12年つねに勝利しつづけてきた。

かぎは、「対話」だ。

多文化の人々の話し合いだ。

経済や投資、予算も、100パーセント住民参加型で準備する。

平和を構築するためには、「対話」が重要だ。

我々は、腐敗した政治家、資本家がコタカチを食い物にすることを、

わたしたちの森や水を汚染し、社会をくずすのを、くいとめてきた。


エクアドルの軍事費は25%~30%。

長年アメリカの属国だった。

今や通貨もドルだ。

しかし、〝すべてのものをするための時間はある″、と言われる。

9条をもつエクアドル、
軍隊をもたないエクアドル、
エコなエクアドル

に向かう筋道を。


それは可能か?


今コタカチは非武装。

エクアドルは、コロンビアの脅威もあり、すぐに非武装にはできないが、

9条をかかげ、段階的にへらすことは可能である。

現にある雇用、産業を、どう転換するか?

環境教育者や、森の世話の仕事を。

環境危機だから、環境問題に取り組む必要があるのだ。


コスタリカでは、

空軍は、鳥でいい
陸軍は、蟻でいい
海軍は、さかなでいい

という。

我々は様々な攻撃を受けてきた。

だから我々は、戦争をにくむ。

だから我々は命と平和を愛する。


南米に伝わるハチドリの話をしよう。

森が火事で燃えていた。

森の生き物はみんな逃げていった。

でも一匹のハチドリだけは逃げなかった。

くちばしで水を一滴づつはこんで、火の上に落とし続けた。

動物たちがそれを見て、

そんなことをして何になる?ときいた。

ハチドリは答えた。

わたしはわたしに出来ることをしているだけです。


わたしが出来ることを、わたしがする。

一人一人が、できることをやっていきましょう。
               (文責veera 聞き書き)

             ・・・

実際に12年間州政治の変革に取り組んでいる人の、威風堂々たる演説だった。

9条との関連について、進行役の辻信一氏が補足した分は、次回に載せる。




憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

ナマケモノ倶楽部HP「エクアドル・コタカチ」
http://www.sloth.gr.jp/ecua/cotacachi_basic.htm

wiki「コスタリカ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB

「いま静かなブーム・・ハチドリのひとしずく」
http://allabout.co.jp/family/volunteer/closeup/CU20060830A/



           (引用ここまで)

              *****


実に、大変気高い精神を、感じます。

自分の卑しさを恥じずに読むことはできません。。

最近では、国際会議で発言されたウルグアイ大統領の発言が印象的でした。

「世界一貧しい大統領と呼ばれた男ムヒカさんの幸福論」2016・03・31朝日新聞 デジタル



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「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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イロコイ連邦の平和の法・星川淳さんの語り・・「2008年9条世界会議」(3)再掲

2016-08-13 | 野生の思考・社会・脱原発



引き続き、2008年5月に開催された「9条世界会議」のネット配信の聞き書きの記事を、当ブログより再掲します。

今度の話り手は、「グリーンピース」の元代表であり、著書・訳書多数、北米インディアンが先祖から口承で語り継いだ1万年にわたるアジアから北米への移動の驚異的な記録「1万年の旅路」の翻訳者でもある、星川淳氏です。

 
               *****

             (引用ここから)


「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」

(5月8日記す)

前回に続き、9条世界会議の「環境と平和をつなぐ」シンポジウムの備忘録。

二人目の発言者は、グリーンピース代表の星川淳氏だった。


星川氏は、

環境・エネルギーの問題は、自分たちをどう治めていくか、つまり、自治の問題だ、といえる。

人間には、グッドマインド、、理性、良い知、というべきものがある。

かつて12世紀、北米の東海岸に、イロコイ連邦というものが出来た。

当時熾烈な争いを繰り返していたインディアンの部族の中に、
ピースメーカーと呼ばれる人があらわれて、大変な努力をして、
部族間の争いをやめさせた。

すべての部族をまとめて、一つの“連邦”を作りあげた。

このイロコイ族が、“合衆国”の作り方を、米国人に教えた。

だから、日本の憲法はアメリカの押し付けだという人もいるが、
アメリカの先住民のいとなみから来ているとも言える。


「イロコイの大いなる平和の法」と呼ばれるものがある。

それは、武器をすてる、非戦の考えである。

この考えは、アメリカにはないが、日本にはある。

モンゴロイドからモンゴロイドに、「9条」が戻ってきたともいえる。

六ヶ所村は、たくさんの問題をはらんでいる。

再処理の技術が確立されていない状態は、トイレのないマンションのようだ。

未来への責任はもてるのか?

日本が、全然経済性のない核、プルトニウムにこだわるのは、
核武装できるオプションをとっておきたいためでは?

最近は、あたりまえ、いいじゃないか、という空気をかんじる。

マスコミ、メディアは全然機能していない。

これでは第二の戦艦大和だ。

負けるのがわかっているのにスタートする。

このまま行けば、ひどいことになる。

お金と人材は二度は使えない。

原子力に使うと、省エネには使えない。

どちらに使うかの分かれ道だ。


2050年までに原子力を半分にする、これは世界の平均値。

温室効果ガスの排出をへらし、気温上昇を2度以下におさえなければ。

日本は二酸化炭素を削減しなければいけない。

核物質があふれる世界作りにお金をそそいでしまっている。

2020年までに自然エネルギー、省エネルギーに大シフトしなければならない。

エネルギーの消費を30パーセント落とそう。

そのためには、

「まず原子力をはずそう、全然解決にならないからはずそう」、
というシナリオが必要。

自然エネルギーで70パーセント供給することをめざしたい。

年4パーセント削減で、複利計算で、80年までに80パーセント削減できる。


この世界は、安心で、壊れてしまわない、という感覚がなければならない。

自分がもっているものを花開かせられる気分が必要。

そのためには、たくさんのイエスとノーを言わなければならない。

たくさんのDO、やることと、BE、ありようで。

生きてきた恵みのかぎりを、在り尽くし、やり尽くす。

なににノー、イエスを言うかのわざをみがく必要。

民主主義はまだまだ発展途上だ。

たくさんの工夫をこらさなければ。

最終的にどういうことになるか。

自分の望む在り方、生き方を。

みんなで作っている社会だ。

安保、基地は9条違反だ。

安保闘争は70年でとだえたが、2010年を安保を考え直すときにしたらどうか。

パックス・エコノミカ(経済均衡による平和)に代わる、パックス・エコロジカ(生態学的均衡による平和)を。

         (文責 veera 聞き書き)

         ・・・

と、熱く語った。

たくさんの「DO」と「BE」を、という言葉が心に残った。

ひょうひょうとした、知的なさわやかさが印象的だった。



憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

wikipedia「イロコイ連邦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E9%80%A3%E9%82%A6

温暖化
http://contest.thinkquest.jp/tqj2001/40218/ondanka.htm

greenpeace「六ヶ所村核燃料再処理施設とは」
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/plutonium/rokkasho/


          (引用ここまで)

            *****

今、改めて読み直すと、

「生きてきた恵みのかぎりを、在り尽くし、やり尽くす。」

という言葉にも、ぐっときました。

こういう言葉は、本当にまっとうに苦しみぬいてきた人にしか出せる言葉ではないということが、年を重ねるとわかってくるように思われます。

そう、、9条支持者は、大人なのだ。



Amazon.com「1万年の旅路」(ポーラ・アンダーウッド著星川淳訳)より

イロコイ族の系譜をひく女性が未来の世代へ贈る
一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路

アメリカ大陸に住む、インディアンとも呼ばれるネイティブ・アメリカンの人々は、その昔ベーリング海峡が陸続きたっだころベーリング陸橋をわたり、アジア大陸へ渡ってきたモンゴロイドの子孫だという説が定着しつつある。

「一万年の旅路」は、ネイティブアメリカンのイロコイ族に伝わる口承史であり、物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住していたアジアの地を旅立つ所から始まる。

彼らがベーリング陸橋を超え北米大陸にわたり、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの出来事が緻密に描写され、定説を裏付ける証言となっている。

イロコイ族の系譜をひく著者ポーラ・アンダーウッドは、この遺産を継承し、それを次世代に引き継ぐ責任を自ら負い、ネイティブ・アメリカンの知恵を人類共通の財産とするべく英訳出版に踏み切った。

wikipedia「星川淳」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%B7%9D%E6%B7%B3


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「海は怒れる山のごとく立ち上がった・・「一万年の旅路」の記憶(1)」(10)まであり


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トウモロコシを燃やさない選択・・「2008年9条世界会議」(2)記事再掲

2016-08-12 | 野生の思考・社会・脱原発


引き続き、2008年5月に行われた「9条世界会議」の講演の聞き書きを、当ブログより再掲します。

         *****

      (引用ここから)


「トウモロコシを燃やさない選択・・アリス・スレーダーさんの語り」

                        (5月07日記す)


前回書いた「9条世界会議」の「環境と平和をつなぐ」というシンポジウムをWEBテレビで見た。

備忘録に、メモをまとめてみる。
9条と自分の関係を考えてみたいので。

3人の話なので、一人ずつまとめてみる。

最初に話をしたのは、核時代平和財団のアリス・スレーダーさんという方だった。

アリスさんは、

9条は、日本だけのものではない。

環境破壊は、自然への戦争である。
9条を拡大解釈すると、9条はその戦争に対抗するものとして、
世界的な意味合いを持ちうる。


地球上の生物は相互依存している。
9条は環境・生態系への戦争、破壊を防ぐものとなりうる。

代替エネルギーは今すでに可能なのに、私たちはそれを知らされていない。

原子力を段階的に廃止していかなくてはならない。
原子力廃棄物は、25万年影響力をもつ。
日本では45トンのプルトニウムが蓄積されている。
六ヶ所村の原子力施設の稼動で、2012年までの4年で、30トン増える。
代替エネルギーに変えるべきである。
日本は地熱と風力で発電をまかなえるのではないか。

世界の125兆円の軍事費を、生き延びるために使うか、
殺すために使うかの選択がある。

食料のトウモロコシをもやして車のために燃やすなんて、いやだ。

私たちは、自分たちがほしいものを知っている。
深遠なるビジョンも持っている。

私たちは質のよい、安全なクリーンなエネルギーを求めている。
私たちは世界を変えられる。
          (文責 veera 聞き書き)

と力強く語られ、大変説得力があった。


9条も戦争の概念も拡大解釈した上でのお話ではあったが、平和と環境、
9条と環境、というお題でどういう話をされるのかと思っていたので、
なるほど納得であった。


憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。



関連資料

ブログ「メディアサボール」矛盾だらけのバイオエタノール
http://mediasabor.jp/2007/07/post_154.html asahi.com

「新エネルギー覇権争い」
http://www.asahi.com/special/070110/TKY200802060298.html


            (引用ここまで)

             *****


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「山尾三省の遺言・・清らかな水と安らかな大地」

「イロコイ連邦の平和の法・・星川淳さんの語り」(2008年9条世界会議)

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2008年の「9条世界会議」(1)記事再掲・・9条関係を再掲します。

2016-08-11 | 野生の思考・社会・脱原発



敗戦の日近くになりますと、たくさんの方々が、永井隆氏の遺言「いとし子よ」を、当ブログ奥深くに埋もれているにも関わらず、読み直しに来てくださいます。

そこで、同じく埋もれている記事として2008年5月4日から行われた「9条世界会議」をネットで視聴した時の聞き書き記事など、あれこれ連載再掲します。

他の、昔書いた9条関係記事も再掲します。

お読みいただければ幸いです。


              *****



            (再掲ここから)


「9条世界会議、幕張で開催・・2008・5・4」
     

(5月3日記す)

憲法9条をめぐる「9条世界会議」が、明日から千葉の幕張メッセで開かれる。

憲法9条は、平和の手段たりうるか、それとも敗戦の遺物なのだろうか。。

憲法記念日は、憲法について思いをはせたい。。

     
                ・・・・

戦後60年たったから、新しくしなくちゃという発言も一部あったけれど、
60年以上も平和を守ってきた9条だから、もっと考えて、もっと大切にして!

 そう痛感して世界から9条へのメッセージを携えた人たちがやってくる、

それが『9条世界会議』です。

ノーベル平和賞受賞者や平和問題に取り組む人たちの話に耳を傾け、
ときに意見交換したりと、彼らとシェイクハンドするのは会場に足を運んでくれるみなさん。

ライブや研究発表、映像コンペなど、企画して、参加するのも自由。

誰かが企画するのを待ってないで、どんどん参加する、創っていくのが、
この新しい世界会議のスタイルです。

まずは、仲間と声をかけあってみよう。何がやりたい? できることは何? 

とりあえず、はじめの一歩を踏み出してみよう。

      (「9条世界会議公式HP」より)

                ・・・・

4日は基調講演
5日は分科会
6日に大会宣言

もりだくさんの話し合いがあります。

「9条世界会議」公式HP http;//whynot9.jp
「グローバル9条キャンペーン」HP http://www.article-9.org/

本部は、NPOピースボート内
呼びかけ人は伊藤真氏、辻信一氏ほか多数



「ミクシィ“9条世界会議”コミュニティ」よりスケジュールをコピーします。


              ・・・・
        
          (引用ここから)


【日時】
2008/5/4(日)~6(火・祝)

【場所】
幕張メッセ

【内容】

■□■5/4(日)■□■

<9条を考える 全体会>

開場:12:30
開演:13:30(21:00終了予定)
幕張メッセ・イベントホール 定員7000名

◆初日を盛り上げる音楽ライブ、”9ALIVE”出演アーティスト◆

UA
加藤登紀子
FUNKIST
原田真二
亀淵友香
高橋竹山
ナターシャ・グジー
普天間かおり
AINU REBELS

◆その他、講演などもりだくさん◆

ゲスト
マイレッド・マグワイア(北アイルランド/1976年ノーベル平和賞受賞)
コーラ・ワイス(アメリカ/ハーグ平和アピール代表)
雨宮処凜(作家)
池田香代子(翻訳家)
伊勢崎賢治(東京外国語大学)
伊藤真(伊藤塾塾長)
C・ウィラマントリー(元国際司法裁判所判事)
香山リカ(精神科医)
キャサリン・サリバン(軍縮教育家)
品川正治(経済同友終身理事)
高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
辻信一(NGOナマケモノ倶楽部)
星川淳(グリーンピース・ジャパン)
ベアテ・Sゴードン(元GHQ日本国憲法起草者)
水島朝穂(早稲田大学教授)
湯川れい子(作詞家)


■□■5/5(月・祝)■□■

<9条を生かす 分科会>
開場: 9:00
開演:10:00(19:00終了予定)
幕張メッセ・国際会議場 定員3000名

◆シンポジュウムはじめ特別フォーラム、ワークショップなど◆


■□■5/6(火・祝)■□■

◆まとめの総会、記者会見など◆


【チケット】
5/4(日)全体会・音楽ライブ(イベントホール)
前売り券1,000円/当日券1,500円(中学生以下無料)
※音楽ライブもこのチケットで見られます


5/5(月) 分科会(国際会議場)
前売り券1,000円/当日券1,500円(中学生以下無料)

ローソンチケット 
全国ローソン(店内Loppi)にて発売中 <Lコード33580>0570-084-003

【お問合せ先】

9条世界会議実行委員会
Tel 03-3363-7967 Fax 03-3363-7562

【公式サイト】
http://whynot9.jp


           (引用ここまで)

               ・・・・


なお、このイベントはスティッカムTVというところで、web中継をするそうです。


また、2月24日に広島を出発した9条ピースウォークが、4日同会場に到着です。

9条ピースウォークHP
http://homepage3.nifty.com/peace_walk/Welcome.html


          (再掲ここまで)

          *****


わたしのこのブログ「始まりに向かって」は2008年から作っていますが、2008年当時、ミクシィの日記に書き溜めたものをブログの形にしていくことで、骨子を作っていきました。

これからも、気合入れていこうと思います。


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「神と人のはざまに生きる」(1)・・稲荷巫女、奈良から大阪へ

2016-08-05 | 日本の不思議(現代)



村松潔氏の「稲荷」についての考察を読んで、現代人が忘れかけている日本人の一側面を強く感じました。

そこで、つい最近まで生きておられた、三井シゲノさんという稲荷信仰の巫女の語りを集めた本アンヌ・ブッシィ著「神と人のはざまに生きる」という本を読んでみました。

伏見稲荷大社の稲荷山を中心に、京都、奈良、大阪の古層に迫る、人間の魂の命がけの冒険譚です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****


          (引用ここから)


私は13で母を亡くし、22で目が見えなくなり、27で夫に先立たれましたが、昭和9年9月9日、そのような私に神様は「夢のお告げ」でこのように教えてくれました。

「神の御用を裏切るがために、苦の絶え間がない。

10という日をもって「玉姫大神」の膝元に来れば、幸せの道に入れる。

3年修行すれば子供と共に暮らすようにしてやるからおいで」。

そしてこの神様の地所を探し当てるためには、「今いるこの行場より十数里へだたった、繁華街の真ん中に鎮座まします「紀伊の国の玉姫大社」を求めればよい」と。

あとでその場にいた人から聞かされたこのお言葉は、私が、故郷・奈良の「滝寺」の滝に身を打たれ、普通の意識とはちがった状態におりました時に思わず知らず口にしたものでした。

当時私は31才で、その日は毎月9日にするのと同じように、10人ばかりの人たちといっしょにおばあさん(大叔母)の神様をお祀りしておりました。


おばあさん(大叔母)は私の幼い頃、神様にささげる祈祷や、山中にかくれた神々のお社やお滝に行く道すじを教えてくれたものでした。

「滝寺」というのは村の北にあります行場で、失明して以来、私は足しげくそこへ通っては、滝に打たれながら神様にお祈り申し上げておりました。


「お告げ」の言葉から考えれば、かの〝繁華街″とは大阪でしかありえないと思い、すぐさま明くる10日、発とうと決意いたしました。



とある神社に着いた時、私は目が見えませんけれど、門前に並ぶ石灯篭の一つのその支柱に指先をふれて、そこに刻まれた、「安居天神」の御名を読み取ろうとしました。

それから境内に入ったのですが、足を踏み入れた瞬間、その場の作りが、まさにこの「お告げ」に見えたものそのままだと感じました。

境内の小山の麓にやってきますと、そこでおのずと足が止まりました。

そこだったのです、私があちこち探し回っていたのは。

そこにはちゃんとささやかなお社がございました。


私は御前に額づきました。

持ってきたお供え物を差し上げようと思い、携えていた手ぬぐいで拭いて差し上げてから、おにぎりの包みを開いて燭台の上にお供えしました。

最後に、そこに祀られていらっしゃる神様に向かって精一杯、「あなた様が「夢のお告げ」に現れなさった神様でいらっしゃいますか?」と声をかけました。

私は心の奥の方で、「神さん」が「そのとおりだ」とお答えになったような気がいたしました。



その時です。

この見えない右目から白の「巳(みい)さん=蛇」がひょろりと流れ出て、スルスルと足を伝って降りたかと思うと、お供え物の箱の下に姿をくらましたのです。

その箱の下を手探りしますと、骨と垢に化した「巳(みい)さん」の抜け殻がございました。

私は「巳(みい)さん」の脱ぎ捨てた衣を手に取り、お供え物を包んでいた紙の上に乗せて、「これこそきっとわたしの守り神にちがいない」と心の内で言いながら、それをおにぎりの横に奉り、それからもう一度神様にお伺いを立てました。

私は喜びに感極まりながらも、同時にまた当惑しておりました。

といいますのも、不意に私の右目から現れて、この足を這った「巳(みい)さん」の〝お出まし″を何と心得てよいのやら、わからなかったものですから。

ただこれが「玉姫さん」だとしたら、すばらしいものだと思うばかりでした。


右目はまったく見えませんでしたけれども、左目の方は薄もやの中にたくさんの赤い斑点がぼんやり見えていましたので、お社の周りにぐるっと小さな吊り灯篭がたくさん並んでいるのだと察することができました。

そのうちの一つを取り外し、顔に目いっぱい近づけて、なんとか読み解くと「玉姫大明神」とありました。

このようにして私は、「夢のお告げ」に示されていたところに自分はちゃんと辿り着いたのだと、そしてこのお社こそ、まさしくこれから私が身を合わすことになるところなのだと心得たようなわけであります。


          (引用ここまで・写真(中)(下)は東京新宿の花園神社稲荷社)

                *****


またしても、ヘビが現れましたね。。


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動物が運んで来るもの、運んで行くもの・・日本人はなぜ狐を信仰するのか?村松潔氏(4・終)

2016-08-01 | 日本の不思議(現代)


村松潔氏の「日本人はなぜ狐を信仰するのか」という本のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


              *****

          
            (引用ここから)



伏見山は連山になっている。

初期には三つの峯にそれぞれ上、中、下の三つの社を置いていた。

もともとは下社が大宮の女の神、中社がウカノミタマ、上社がサルタヒコを祀っていた。

サルタヒコは辻の神様と言われ、異質な外にある影響力を新しく持ち込む導入の神さまでもある。

ウカノミタマは、食物の女神である。

下社の大宮の女の神は巫女の女神でもあり、この点が狐と同一性が高く、現実に巫女たちを狐と同一視していた時代は長い。

心霊的な力を持つ霊的な狐と、巫女の性格を同一視したのが「命婦」という呼び名だが、伏見稲荷大社には命婦社も残されている。


「お代(だい)さん」

こっくりさんは、下田港に漂着したアメリカ船の船員たちが村人たちに伝えた「テーブルターニング」がはじまりで、これが1885年から87年にかけての第1次ブームである。

テーブルがこっくりこっくり、と動くところから名付けられたらしいが、やがて「狐狗狸」という三大動物の当て字が割りあてられ、文字板に朱の鳥居も描かれて、お稲荷の狐といつのまにか習合してしまった。


むかし、狐憑きになる人のことを「お代さん」と呼び、狐憑きは大歓迎された。

テレビも娯楽もない中では、こうしたキツネ憑きに同席することは興奮もので、そもそもこっくりさんも、そうした期待感から行うことが多かったのではないだろうか?

イザナミの住む黄泉の国、見えない世界との接点を探すのに、身近なものといえば、こういうこっくりさんや、キツネ憑きだったのだろう。

自然界の母神さまとの仲介者が狐であるから、狐憑きになった人にお願いごとをすると、神様に聞き届けられるという。

狐はこのような伝達者としての役割もあるし、精神が自然界の形のない領域に解放されるための、いわば人から人でないものに連れ出すための、精神の遊び場として使われるということも多いのではないかと、わたしは考えている。

いわば感情の体操のようなものだから、気持ちが揺さぶられればそれでいいのである。

現代ではなかなか想像がつかないが、〝自然界と交信しないで生きてゆく”ことなど考えられなかった時代は非常に長かった。

狐が住み着いていた森は聖地であり、そこには祟りがある。

狐を「御先」と呼ぶのは、狐が人よりももっとむこう、森の奥にある何者かに向かって飛ぶ「先鋒」であり、神霊をうかがうためには、この「御先」を通じてでないと接点などつくれないと考えられていたからであろう。



狐信仰にはその根底に、人類の古来からの知恵が含まれている。

国家が台頭してきた段階で、かつてのシルクロードが結んできた広範囲の知恵は損なわれ、普遍的な知識の断片は、それぞれの国のローカルな風習に矮小化されていった。

しかしその元の痕跡は、かろうじて残されている。

元のサイズに復元するには、具体的な証拠を発見するということの前に、それを解読する私たち自身が、もっと普遍的なものを理解できるように成長する必要がある。


わたしが狐に関して書いているという話をすると、半分以上の人が「狐の祟りというのはどんなことですか?」といった質問をしてくる。

祟りがあるという話の真偽を問うのは、あまり意味がないようにも思える。

すべては気のせい、と考えたにしても、私たちの心の中にある狐という集団的な記憶の持つ記号が、わたしたち自身に与える作用もあるだろうし、それに抵抗できる人は少ないと思う。

また狐というと、すぐに低劣で動物的な思いに支配されるというイメージで拒否感を持つ人も出てくる。

これは本来日本人の性質としては自然な感情ではなく、外来の感情が未消化なまま残っている結果ではないかと思う。

動物的なものと至高なものというのは対極にあるから、至高なものを目指すには、動物的なものに関与しない方がよい、という二項対立の考え方だ。

しかし環太平洋圏の思想という観点から言うと、「日常自我」から動物的な「低自我」へ、そして「高自我」へ、という進み方をしなければならない。

まずは動物的な領域へ降りることから始まるし、狐から連想する動物意識は、至高のものと対立しておらず、むしろ同居して、共に町のはずれという非日常領域に混じりあっている。

だから、狐ということで即座に出てくる拒否感や蔑視の感情は、むしろそう思うことそのものの方が間違いという気もしてくるのである。



日本の狐には長い歴史があるので、狐を通じて私たちは意識の古層に触れることができる。

それはとても貴重なことなのではないだろうか?

かずかずの稲荷神社を訪れ、ろうそくに照らされた大量の狐の像が置かれた特殊な空間を見ると、まるでこの世ならざる怪しさにいつもながら驚かされてしまう。

ここにやってくる人々はこの異様な空間の中で、いつもの人間的な意識を忘れ、言葉もまだ存在していないような原始的な意識の中に回帰しているのではないかと思う。


        (引用ここまで・写真(中・(下)は東京新宿の花園神社稲荷社)


             *****

「命婦社」を調べてみたら、こんな記事がありました。

             ・・・

「佐賀の稲荷神社、不思議な白狐の言い伝え」 
                「産経ニュース」2015・10・27
http://www.sankei.com/region/news/151027/rgn1510270030-n1.html

(略)「命婦(みょうぶ)社」は稲荷大神のお使いである白狐をまつっている。

 この命婦社には不思議な言い伝えが残る。

 天明8(1788)年、京都御所が火災となり、その火が御所の一角にあった花山院邸に燃え移った時、白衣の一団が現れて屋根に登り、消火にあたった。

 花山院の当主は礼を述べ、白衣の一団に「どこの者か」と尋ねた。

すると、「肥前の国、鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げただけでございます」と答えた。

 当主は「私の屋敷などどうでもよい。どうして御所に行かないのか」と促すと、「私たちは身分が卑しく宮中に上がることはできません」と言い、消え去った。

この奇跡的な出来事を聞いた光格天皇は、白狐に「命婦」の官位を授けるよう命じた。祐徳博物館には「命婦」の文字が書かれた掛軸が所蔵されている。

               ・・・

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