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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

生けるも死すも、同舟す・・8世紀中国の景教碑文(4・終)

2014-08-10 | マニ・ゾロアスター



引き続き、神直道氏の「景教入門」から、唐時代の中国に建てられた「景教」の碑文のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

  
          (引用ここから)

第3段

大施主、紫の袈裟をたまわった僧イサクは温和で恵み深く、道をきいて修行にはげんだ。

遠いバルク(アフガニスタン近く)から、ついに中国に来た。

術は秀で、芸は円熟していた。

はじめて宮廷に仕え、その名を王帳に記された。


王が蛮族を北方に討伐したが、粛宗はイサクを共に行かせた。

王の寝床に出入りできる親しさのある地位にもかかわらず、普通の兵士と起居を共にし、よき参謀となる。

録や拝領物を散じて、家にためこまず、恩賜のガラス器を寺に献じ、いとまごいの時に送られた毛布を敷き、古寺を修理し、法堂を広め、寺の建物を立派にし、その壮麗さは雉が舞い飛ぶがごとくである。


「景教」のために力を尽くし、仁によって利をほどこした。

毎年、4寺の僧徒を集めて供物をささげ、50日間保存して、飢えた人は来て食らい、寒さにたえぬ人には衣類を着せた。

病気になった人は治り、死者は手厚く葬って安んじた。

清節のキリスト教徒でこのように美しいのは、まだ聞いたことがない。


白衣の景徒(在俗の役職者)であるイサクにして、初めてこのような立派な人を見ることができた。


大いなる碑に刻み、よきいさおしを世に揚げよう。

真主に始めなく 静にして常

よろずのものを 手作りて
天と地とを創ります

イエスをこの世につかわして
そのお救いや 限りなし

日昇りて 闇滅す
これみな真主の 御業なり

さかんなるかな 太宗や
その徳 祖宗にたちすぐれ

時に乱れを たいらげて
天地 おおいに広まりぬ

あきらかなるや 景教は
わが大唐に 伝わりぬ 

経を訳し 寺をたて
生けるも死すも 同舟す

よろずの福は みなおこり
よろずの那は みな安し

高宗つぎて 精舎たて
宮居はたかく あきらけく
中華の里に 満ち満ちぬ

まことの道を 宣明し
景法王を 扶持さるる

人には 慰楽と 安けさと
物には わざわい 苦患なし



「後記部分」

782年1月7日建立

時の法主僧 東方の景衆をつかさどれるなり。

(以下はシリア語で記される)

わが父祖の父の日(日曜日)に、
大僧正・総主教たる マリ・ハナンイシュー


ガブリエル 司祭兼首輔祭兼長安および洛陽の教会長

司祭 ラブラニシュー

司祭兼地方教主 マルセルギース

地方教主 イズドボージードの子、従者アダム

イオニア紀元1092年(西暦781年)、トカーレースターンの町バルクの、死せる霊・司祭ミリスの子、

同司祭兼長安の地方教主、マリ・ヤズドジード、

救い主の法と中国国王への先祖の説教を記した、この石の記念碑を建てる。


            (引用ここまで)

              *****


              ・・・・・

wikipedia「大秦景教流行中国碑」より


大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)は、明末に長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。

ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などを刻す。

唐代781年(建中2年)に伊斯(イサク)が建立した。碑文は景浄。

古代キリスト教関連の古碑ということで、世界的に有名。

現在、西安碑林博物館に保管されている。



431年にエフェソス公会議で異端として禁止されたネストリウス派は、西アジア・中央アジアに伝播。

そのころ唐は西方に国威を伸長しており、635年(貞観9年)阿羅本という者が始めて景教を中国に伝えた。

それから約150年間、不遇の時代もあったものの王朝の保護もあり隆盛。

781年(建中2年)に中央アジア・バルフ出身で唐に登用された伊斯(イサク)という人物がこの記念碑を長安の大秦寺に建立、景教の教義や中国伝来の歴史を残した。


しかし、9世紀半ばに即位した武宗は道教に傾斜し、仏教をはじめ他の宗教を弾圧(会昌の廃仏)。

景教も例に漏れず弾圧を受け、多くの大秦寺が破壊される。

その際に碑は土中に埋没したと考えられている。


出土したのは、埋没から約800年後の明末の長安。

異説もあり年代ははっきりしないが、1623年(天啓3年)または1625年(天啓5年)出土というのが有力。

明末の陽瑪諾(洋名Emmanuel Diaz)の『唐景教碑頌正詮』の序には「大明天啓三年」とある。

出土の状況は、ポルトガルのイエズス会士セメド(Álvaro Semedo、漢名魯徳照)の『支那通史』に記されている。


出土から30年足らずで、少なくとも3ヶ国語・8種類の碑文の西洋語訳が出るなど、即座にヨーロッパに紹介された。


石碑は長安の金勝寺境内に碑亭を建て安置されていたが、1860年代にこの地方で回教徒(イスラム教徒)による騒乱が起き、金勝寺が焼払われ碑亭も失われてしまう。

その後西安碑林に運ばれ、現在はその碑林を母体とする西安碑林博物館が所蔵している。

日本にはその模造碑が高野山奥之院と京都大学の2ヶ所にある。


碑のシリア文字

碑は黒色の石灰石からなり、高さは台の亀趺(亀形の碑趺)を除いて約270cm、幅は平均約100cm、厚さ約28cm。

題額には「大秦景教流行中国碑」とあり、その上部に十字架が線刻されている。

碑文は32行、毎行62字、計約1900字。景浄の撰。

書は呂秀巌で格調高い。

漢字の外にエストランゲロと呼ばれる当時伝導に使用された古体のシリア文字が若干刻されている。

この文字はおおよそ景教に関係ある僧侶約70人の名を記したもので、その大部分には相当する漢名を添える。

               ・・・・・


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青い乗り物が西の空にのぼり、大唐は光り輝いた・・8世紀中国の景教碑文(3)

2014-08-08 | マニ・ゾロアスター


引き続き、8世紀・唐時代に作られた中国の「景教」の碑文のご紹介をさせていただきます。

神直道氏「景教入門」より引用させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


              *****


            (引用ここから)


第2段

太宗文皇帝(627-649)は、光輝き、国運を隆盛にみちびき、徳は明聖にして人にのぞむ。

大秦国(ローマ)に高徳の士あり。
阿羅本(ア・ルワーン)という。

唐の情勢を占い、経文をたずさえ、時宜を得て艱難にたえて旅し、635年、都・長安に至る。

帝は長安の西に兵を出して迎え、賓客として宮廷に入らしめ、経を翻訳させ、道を御所で問い、深く正真の道を知り、特に伝道させた。


638年、秋7月、召してのたまう。

「道に定まれる名無く、聖に定まれる形なし。諸方の実情にしたがい、教えを設け、人々を救え。

大秦国の徳のある阿羅本(ア・ルワーン)は、遠くから経像をもち、京に来て献上した。

その教えの旨をつまびらかに見ると、元妙であり、人為的でない。

その根本は生成が要を担い、言葉は容易であり、理は手引きを要しない。

ものを多くし、人を利するのである。

よろしくこの教えを天下に行え。」と。


役人は都に大秦寺を一つ作り、21人を寺の僧とした。

むかし宗家なる「周」の徳がすたれた時、青い乗り物が西の空にのぼり、わが大唐は光り輝き、景風は東に吹いた。

役人をして、帝の肖像を寺壁に描かしめ、天の姿うるわしく景門に輝き、聖なる教えはますます栄えて、永く法界に輝いた。



「西域図記」および「漢魏の史書」を見ると、大秦国(ローマ)は南はサンゴの海に接してこれを領し、北は衆宝の山に区切られ、西は仙境の花林を望み、東は風しずかで長い川に接している。

国土には石綿製の布、香料(焚けば死者の霊をかえして、その姿をあらわすという)、明月珠、夜光壁を出す。

世に盗みなく、人は楽しみ安んじ、宗教は景教でなければ行われず。

国王は高徳でなければ位につかず、国土ひらけて文明さかんである。


高宗大帝(650-684)、恭しく父祖を継ぎ、まことの宗教を豊かにし、諸州に「景教」の寺を置く。

阿羅本(ア・ルワーン)を崇んで、鎮国大法守となし、法は十道に広まり、国は富んで大いによろこび、景寺は100域に満ちて、家は景福で盛んであった。

高宗の時代、仏教徒の勢いが盛んで、東周で「景教」は遺跡の論戦がおこなわれ、玄宗時代(712)の末、身分の低い役人や道教の下級祭司が大いに景教を笑い、長安でそしりののしった。

僧首ラーク、グラークならびに西国の帰属や世俗をはなれた高僧たちが、綱紀を正しくし、絶えんとする「景教」の教えをつなぎとめた。


玄宗至道皇帝(712-755)は、寧国王などの5王をして景寺に祭壇を建立させ、「景教」を家屋の柱とさせる。

ことごとくたわみ さらに崇まれ、「景教」の綱紀がしっかりと整った。


744年、ローマに僧ギワルギスあり。

星をみて民を徳化しようと、日を占って皇帝のもとに来た。

僧パウロなど17人にみことのりして、ギワルギスと共に功徳をおさめさせた。


ここにおいて皇帝が寺の額にみずから書いた。

宝のよそおい、珠はみどり、あかき霞のごとく、御筆は大空に輝き、激しい日陽をしのぐようである。

皇帝のたまものは南山の高さに比すべく、あふるる恩沢は東海の深きに同じ。


その後、4皇帝が「景教」の根義を体したので、よく民を育て、養いたもうた。

広慈、衆苦を救い、善きほどこしを人々にこうむらせるのは、わが修行の大いなるはかりごとであり、民をひきあげる緒についたのである。

風雨がほどよく来たり、天下はしずまり、人おさまり、物清く、生ける者はよく栄え、死せる者もよく楽しみ、かくあれとの念が生ずれば、響くがごとく相応じ、情が誠から発するのはわが景教のよくなすべきわざの巧用である。


           (引用ここまで)


             *****


ア・ルワーン、ラーク、グラーク、パウロ、ギワルギスなどという名前の西洋人が、唐にやってきていたことが分かります。

ウィキペディアには、阿羅本という人物は以下のように記されています。


wikipedia「阿羅本」より

阿羅本(あらほん、阿罗本、ピンイン: Āluóběn)は、唐朝へキリスト教を広めるために訪れた宣教師。

歴史上、最も早く中国にキリスト教(ネストリウス派)を伝えた人物といわれている。

「大秦景教流行中国碑」によると、 唐代貞観9年(635年)、阿羅本はアッシリア東方教会の使いでネストリウス派の主教として、宣教団を率い、首都・長安へ向かった。

唐太宗は宰相の房玄齢に長安郊外まで出迎えさせた。

当時、唐は各所からの外国人の来訪を歓迎していた。

貞観12年(638年)、ネストリウス派キリスト教は唐朝に認められ、唐朝は資金を援助して、教会(後の大秦寺)を建てさせた。

唐高宗時代になると、阿羅本に「鎮国大法主」に封ぜられ、各地に景寺(教会)を建てるよう、詔勅が下され、ネストリウス派キリスト教は唐王朝に広まることになった。



>むかし宗家なる「周」の徳がすたれた時、〝青い乗り物”が西の空にのぼり、わが大唐は光り輝き、景風は東に吹いた。

わたしはこの「青い乗り物」というものがどういうものなのか、興味がわいたのですが、同書の注によると、以下の意味があるようです。

老子が乗っていた青い牛の車だったんですね。

>周の王国の徳が衰え、衰退した時、老子が青い牛の引く車に乗って大秦(ローマ)に行った、という故事を引いて、国が衰えんとする時は、すぐれた人は去り、国が盛んになる時は、立派な教え(宗教)が来ることを言っている。


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恵みの舟に棹さして、天の宮居に昇りたまい・・8世紀中国の景教碑文(2)

2014-08-06 | マニ・ゾロアスター


引き続き、神直道氏の「景教入門」から、中国で8世紀に作られた「景教碑文」の説明のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


         (引用ここから)


「大秦景教流行中国碑」

第一段

ここに常然真寂、はじめなくして奥深く、霊むなしく、世の終末にあって妙力を持したまい、天地を創造し、預言者や使徒たちを妙なるものとし、かくて元尊なる者、それたださが三位一体の妙身(神)であり、はじめなき真主なる神である。

十字を切って世界を定め、聖霊を発して陰陽を生じたまう。

暗天が一転して天地がひらけ、日月がめぐって昼夜となる。

万物をつくりなしてアダムをたて、特に妻をたまわって転変きわまりない世の中を鎮めさせたまう。

人々の本然の心はむなしく、満ちることはなく、穢れない心は異神をむかえようとすることもない。

しかるに、にごれるかな、サタンは人々をまどわそうとして、人々の清いこころをかざり、神と人をへだて、くらい仲間を邪悪のうちに争わしめる。

多くの人々がサタンにひしめき従い、競ってサタンにまどわされた勝手気ままな宗教の和を広げる。

あるいは物をもって信の根基とし、あるいは空と有とを混同して二者をあやまらしめ、あるいは祈祷祭祀によって幸いをもとめ、あるいは己の善行をほこって人におごりたかぶる。

いかに考え悩み、いかに思いをこらしても、茫然として得るところなく、焼きただれる思いは、重なる暗さに道を失い、元の道に立ち返ることはできない。


そこで、わが三位一体神の分身であるメシアは、真の姿を隠し、人と同じ姿で、この世に出でたまいた。

天使は喜びを述べ、マリアは聖イエスを大秦(ローマ帝国領・ユダヤはその頃ローマ帝国の支配下にあった)に誕生する。



めでたい星はさいわいを告げ、ペルシアの学者=マギはその光をのぞみ見て、来献した。

24聖の説いた旧約聖書を成就し、家や国を神のはかりごとのうちにおさめた。

三位一体の聖霊は無言の新教を説き、よき人を正しい信にみちびき、世界の救いを図り、けがれをきよめて真となし、信望愛の三常門を開き、生をひらき、死を滅し、景日(大いなる日)をかかげて暗府を破り、魔妄をことごとくくじきたまう。


恵みの船に棹さして、天の宮居に登りたまい、人はすでにして救われる。

よきことかく終わり、日は真に昇る。

新約聖書を留めて神の御旨を伝え、信の霊関を発したまう。

洗礼の水と霊とは、浮華をきよめ、心をむなしくして、神の機能の印としての十字を持し、世界を融和し、人々を自由になしたもうた。


           (引用ここまで)


             *****


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8世紀・中国の、「異端派・景教ネストリウス派」の碑文(1)

2014-08-04 | マニ・ゾロアスター


7世紀の唐の時代の中国に栄えたとされる、「景教」について調べてみました。

神直道氏著「景教入門」という本を読んでみました。

はっきりとした記録が少なく、謎めいた「景教」について、わかりやすく書かれていると思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

筆者はまず、「景教」という言葉について、「はじめに」という部分で述べています。


            *****

        
          (引用ここから)


キリスト教で異端とされたネストリウス派が、シリアからイランに入り、更に東漸した。

唐・太宗の時(西暦635年)、阿羅本(アラボン)と表記される人物によって正式に入唐し、長安で歓迎され、布教し教勢を拡張したが、武宗の代に圧迫され、衰退した。

元代に若干の復興をみたが、後にカトリック派に押され、明代にいたって消滅した。


現在では、一般に上記のように記され、常識となっている。

わずか数行の記述であり、文化史的、宗教史的な意味はまったく触れられていない。

これは当然なことであって、文献や研究論文が人の目にふれぬ場所にしまいこまれ、あるいは棚ざらしになっているからである。


「景教」という名称について、少し考えてみたい。

唐時代およびその前後に、異国から入ってきた諸宗教の名前の付け方は、じつはなかなか興味ある問題である。


仏教=教祖の名をそのまま使用している。

梵語のブッダを漢字の表記で浮図(ふと)または浮屠(ふと)と印記し、佛、すなわち人にあらざる者、一般の人と比較して比較できないほどのすぐれた人という意味である。

マニ教=教祖マニの名をそのまま採って表音化する。

回教=ウイグル(回鵜)人が信仰していたイスラム教を、民族名の頭文字をとって名付ける。回回教(フイフイ教)ともいう。

祆教(けんきょう)=最高神アフラマズダを天の神とすることから、漢字の“示す篇”を用いて(神事をあらわす)、右に天を添えた。祭儀形式から、拝火教ともいう。


このように教祖の名、信仰民族の名、最高神または祭儀形態から、諸教が名づけられているのに対し、景教のみは抽象的な意味の「景」が使われている。

景教は「大秦景教流行中国碑」という碑文が発見され、その中に「強いて景教と称す」とあるところから一般的となったが、これは自称語である。

もちろん、碑文成立前の諸経典の中に、「景教」「景尊」(メシアの意味)の文字が使用されている。


この「景」の文字をめぐり、解釈に諸説ある。

故佐伯好郎氏は「景」の文字を、「日」と「京」に分解し、京、すなわち「多い」なり「高い」などの意味であるとして、「大日教を意味する」と述べている。

筆者は大日教とはいかなる宗教なのか知らないが、多分に太陽神信仰や大日如来信仰のニュアンスを感じる。

また、光り輝く宗教の意味であるとする説もある

これは漢字の意味を日本語的に訳したにすぎない。


筆者は一つの提案として景教の唐音(king-kau)が、中世ペルシア語のjad-denに似ていることを重視したい。

ペルシア語の同語は「他とは異なる教え」という意味である。

碑文に記された「強いて景教と称する」という文の「強いて」という後の意味が生きてくることになるように思う。

「他とは異なる、すぐれた教え」というほどの意味である。



            (引用ここまで)


             *****



景教の全体像をとらえようと、ずいぶん努力をしたのですが、うまくいきませんでした。

それで、wikipediaの力を借りて、概観をとらえようと思います。


              ・・・・・

wikipedia「大秦景教流行中国碑」より


大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)は、明末に長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。

ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などを刻す。

唐代781年(建中2年)に「伊斯」が建立した。碑文は「景浄」。

古代キリスト教関連の古碑ということで世界的に有名。

現在西安碑林博物館に保管されている。


431年にエフェソス公会議で異端として禁止されたネストリウス派は、西アジア・中央アジアに伝播。

そのころ唐は西方に国威を伸長しており、635年(貞観9年)「阿羅本」という者が始めて景教を中国に伝えた。

それから約150年間、不遇の時代もあったものの王朝の保護もあり隆盛。

781年(建中2年)に中央アジアバルフ出身で唐に登用された「伊斯」という人物がこの記念碑を長安の大秦寺に建立、景教の教義や中国伝来の歴史を残した。

しかし9世紀半ばに即位した武宗は、道教に傾斜し、仏教をはじめ他の宗教を弾圧(会昌の廃仏)。

景教も例に漏れず弾圧を受け、多くの大秦寺が破壊される。

その際に、碑は土中に埋没したと考えられている。


出土したのは、埋没から約800年後の明末の長安。

異説もあり年代ははっきりしないが、1623年(天啓3年)または1625年(天啓5年)出土というのが有力。

明末の陽瑪諾(洋名Emmanuel Diaz)の『唐景教碑頌正詮』の序には「大明天啓三年」とある。

出土の状況は、ポルトガルのイエズス会士セメド(Álvaro Semedo、漢名魯徳照)の『支那通史』に記されている。

出土から30年足らずで少なくとも3ヶ国語8種類の碑文の西洋語訳が出るなど、即座にヨーロッパに紹介された。


石碑は長安の金勝寺境内に碑亭を建て安置されていたが、1860年代にこの地方で回教徒による騒乱が起き、金勝寺が焼払われ碑亭も失われてしまう。

その後西安碑林に運ばれ、現在はその碑林を母体とする西安碑林博物館が所蔵している。

日本にはその模造碑が、高野山奥之院と京都大学の2ヶ所にある。


碑のシリア文字

碑は黒色の石灰石からなり、高さは台の亀趺(亀形の碑趺)を除いて約270cm、幅は平均約100cm、厚さ約28cm。

題額には「大秦景教流行中国碑」とあり、その上部に十字架が線刻されている。

碑文は32行、毎行62字、計約1900字。景浄の撰。書は呂秀巌で格調高い。

漢字の外にエストランゲロと呼ばれる当時伝導に使用された古体のシリア文字が若干刻されている。

この文字はおおよそ景教に関係ある僧侶約70人の名を記したもので、その大部分には相当する漢名を添える。


碑文は『大正新脩大蔵経』外教部に納められている。

『全唐文』にも収められているが、遺漏が多いとされる。

なお方壺島というサイトに書き下し文、日本語訳、詳注が載る。


景浄

円照が編纂した仏典目録の『貞元新定釈教目録』巻第17に、インド僧般若三蔵が胡本(ソグド語版)の『大乗理趣六波羅蜜多経』を翻訳する際、「波斯僧景淨」の協力を仰いだとある。

すなわち碑文を撰した景浄はペルシャ人であり、また般若三蔵と交流があった。

804年末に長安に入った空海が、サンスクリット語を学んだのがこの般若三蔵であり、また空海の長安での住居西明寺や般若三蔵の醴泉寺は大秦寺に近いことから、空海が景教に触れた可能性は高い。

なお、この『貞元録』は800年に徳宗へ上進されたほぼ同時代の証言なので信用できる。


               ・・・・・


>804年末に長安に入った空海が、サンスクリット語を学んだのがこの般若三蔵であり、また空海の長安での住居・西明寺や般若三蔵の醴泉寺は大秦寺に近いことから、空海が景教に触れた可能性は高い。

この空海が関連しているあたりが、また大変興味深いところです。

当時最先端の思想であったであろう、異端ネストリウス派キリスト教と空海、、。

空海は洗礼を受けたのでしょうか?

空海にとって、キリスト教はどのような意味を持っていたのでしょうか?

東洋と西洋の接点としての景教、、どのような教えだったのでしょうか?




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黄金の星はベツレヘムに現れる・・シュタイナーの人智学的ゾロアスター論(4)

2013-04-09 | マニ・ゾロアスター

 

引き続きシュタイナー著「仏陀からキリストへ」のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

      
                  *****


                 (引用ここから)


ゾロアスターは霊的に非常に高い人でしたので、ペルシア文化を創造したのみならず、次のエジプト文化にも関与しました。

ゾロアスターには二人の弟子がいました。

そのうちの一人は後のヘルメス、もう一人は後のモーゼです。

ゾロアスターは自らのアストラル体をヘルメスに与えました。

ヘルメスの中にゾロアスターのアストラル体を見ることができます。

ヘルメスはゾロアスターのアストラル体をまとうことで、ゾロアスターが有していた宇宙に関する智をエジプト民族に語り伝えることができたのです。

モーゼはゾロアスターのエーテル体をまとうことによって、宇宙と人間の歴史を壮大な映像として見、旧約聖書の創世記を書くことができました。

このようにゾロアスターはエジプト文化と古ヘブライ文化に貢献したのです。

ゾロアスターは紀元前600年にカルデアに再受肉しカルデアの秘教学院で偉大な宇宙の秘密を伝授しました。

この秘教学院にはピタゴラスも学んでいました。

ゾロアスターはピタゴラスの師でもあるわけです。

人智学が提供するものによって、ゾロアスターがザラタスという名でカルデアの秘教学院で教授していた事柄を感じとることができます。

ゾロアスターが教えたものは大宇宙に関する秘密で、ゾロアスターは世界に秩序と調和をもたらそうとしたのです。

ゾロアスターの弟子たちは単なる「秘術家(マギ)」や「秘儀参入者」ではなく、社会組織を秩序立てることができる故に「王」と呼ばれました。

ゾロアスターの人格に対するカルデアの秘教学徒の敬意は、非常に大きなものでした。

カルデアの秘教学徒達は、この東洋の賢者ゾロアスターと、彼らの師ザラタスとに親近性を感じていました。

彼らはゾロアスターの中に、「人類の星」を見ました。


ゾロアスターという言葉は、「黄金の星」、「光輝の星」という意味です。

彼らはゾロアスターの中に太陽の反照を見ました。

そしてこの「星」が彼らの師としてベツレヘムに再び現れる、ということが、彼らの深い智にはやがて見えてきたのです。

彼らは彼らの「星」に導かれ、この「星」が人々に与える最良のものの徴をこの師に捧げました。


ゾロアスターの霊統から人間に与えることのできる最高のものは、アストラル体の思考、感情、意志の中に受け入れられた宇宙の秘密に関する智です。

ゾロアスターの弟子たちは思考、感情、意志という魂の3つの力を、心的・霊的世界の深みから吸収することのできる英知で満たそうとしました。

この外界の秘密を吸収することによって自らのものとすることのできる英知の象徴として、黄金、香、没薬が用いられました。

黄金は思考、薫香は敬虔な感情、没薬は意志の力の象徴です。

この3つを、師がベツレヘムに再受肉した時、師と再会するための標としたのです。

ゾロアスターと共にあった賢者たちと、転生したゾロアスターとが、黄金と薫香と没薬という3つの最良のものの象徴によって、いかにつながりを表示したかを、「マタイ福音書第2章」は事実通りに記述しています。


                 (引用ここまで)


                      *****


シュタイナーが説明しようとしているのは、キリスト生誕の時にやってきた「東方の三博士」のことであると思われます。

wikipedia「東方の三博士」には、以下のように説明されています。

                   
                    ・・・・・


東方の三博士の来訪

東方の三博士は新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。
東方の三賢者、東方の三賢人とも。

『マタイによる福音書』2:1-13に博士たちについて記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていない。

彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。

彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)。

ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。

「博士」あるいは「賢者」と訳される言葉「マーゴイ」の原義は天文学者であったようである。

三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている。

メルキオール(黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者)、バルタザール(乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者)、カスパール(没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)。

シリアのキリスト教会では、ラルヴァンダード、ホルミスダス、グシュナサフが対応しており、ペルシア起源を強くほのめかしているが(例:ホルミスダス=アフラ・マズダー)、真偽は定かではない。

アルメニア正教会ではカグファ、バダダハリダ、バダディルマ[5]、エチオピア正教会ではホル、カルスダン、バサナテルが対応する。

キリスト教圏でクリスマスの季節になると飾られる馬小屋の模型(プレゼピオ)にはよく贈り物を携えた三博士の人形が飾られている。

また、東方の三博士がイエスに会った日が公現節の起源とされる。

ドイツのケルン大聖堂には、三博士のものとされる遺骨を納めた黄金の棺が安置されている。


                     ・・・・・




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お前は宇宙霊の一部だ・・シュタイナーによる人智学的ゾロアスター論(3)

2013-04-06 | マニ・ゾロアスター



引き続き、シュタイナーの「仏陀からキリストへ」という本のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                 *****


                (引用ここから)


仏陀の教えは「八正道」です。

「八正道」は、業の悪しき作用から逃れようとするときに行ずるものです。


仏陀が人類に与えたのは、慈悲と愛の精神と徳でした。

ゴータマ・シッダルタという菩薩は、人類の進化の歴史の中で特別重要な時期に仏陀になりました。

菩薩が仏陀とならなかったならば、人間の魂は「法(ダルマ)」を受け取れなかったでしょう。


「法」は、人間が業の悪しき作用から自由になるために、自らのアストラル体の中にあるものを外化する時にのみ、発展することができます。

仏陀はこのことを、「法輪を転ずる」と表現しています。

菩薩から仏陀への悟りから、人類全体に大きな波が流されたのです。


仏陀の教えを真に認識する時、人間は内から温められます。

仏陀の教えを心を込めて把握しようとする人は、若い力を再び得た仏陀の“内的な暖かさ”を「ルカ福音書」の中に見出します。


しかし、原ペルシア民族の中に生まれたゾロアスターは、仏陀と正反対の使命を課せられていました。

ゾロアスターは大宇宙を霊的に貫き、包括する“外在的な神”について教えを説きました。


人間の内にあるものは、神的・霊的な諸力から形成されたものです。

内的なものにはすべて、それに対応する外的なものがあります。

外部から流れ込んだ諸力が、人間の内部に存するようになります。

ゾロアスターは外界にあるもの、人間の「周囲」にあるものを解き明かす使命を帯びていました。


ゾロアスターは例えば、アムシャスパンドという偉大な聖霊について語りました。

アムシャスパンドは本来12人いますが、そのうちの6人は隠れています。

アムシャスパンドは人体器官の形成者として外部から働きかけます。

ゾロアスターは、いかに人間の感覚器官の背後に人間を創造する者達が存在しているかを明かしました。

この偉大な聖霊、人間の“外部”にある諸力について、ゾロアスターは語りました。


ゾロアスターは更に、アムシャスパンドの背後に立つ28人のイザルド、またはイゼドという、これも外から人間の内部組織に働きかける存在について語っています。


ゾロアスターは大宇宙の中の霊的存在と、外界と、人間の関係について語りました。

仏陀は人間の魂から思考を生み出す「思考実体」について語り、ゾロアスターは、私たちを取り巻き、宇宙のいたる所に散乱している「宇宙創造思考」について語りました。


人間の思考の中に存するものは、宇宙のいたる所に存在しているのです。

ゾロアスターは外界の解明と分析に関連した世界観をもたらしました。

ゾロアスターはこの世界観をペルシア民族に与え、外界に対して働きかけを開始したのです。

ゾロアスターの使命は、原ペルシア民族の特性と完全に一致したものでした。

ゾロアスターに託されたのは、外界の働きの中に力と能力を引き寄せることでした。

ゾロアスターの任務は、「人間は自らの内にのみ生まれたのではなく、心的、霊的世界の胎の中に安らうものである」という智をとおして、

今日では人間とは分断されたものとみなされている「外的な働き」のための力、能力、信頼を証しすることでした。


「宇宙の中に立つお前は、独りではない。

お前は、霊に充たされた宇宙の中で、宇宙神と宇宙霊の一部である。

お前は霊から生まれ、霊の中に休らう。

息を吸うたびに心霊を吸い込み、息を吐くたびに偉大な霊に供儀を捧げているのだ」

と人間は自らに言うことができる、とゾロアスターは教えました。


それゆえゾロアスターの秘儀参入は彼の使命に相応したものであり、ゾロアスターの使命は人類のもう一人の偉大な指導者ブッダの使命とは別のものだったのです。


                (引用ここまで)


                  *****



法輪を転ずる

   ↓

wikipedia「印相」より

「印相」 はヒンドゥー教及び仏教の用語で、両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものである。
印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)とも。

サンスクリット語ムドラー(मुद्रा [mudraa])の漢訳であり、本来は「封印」「印章」などを意味する。

主に仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。

寺院その他で見かける仏像には、鎌倉大仏のように両手を膝の上で組み合わせるもの、奈良の大仏のように右手を挙げ、左手を下げるものなど、両手の示すポーズ、すなわち印相には決まったパターンがある。

それぞれの印相には諸仏の悟りの内容、性格、働きなどを表す教義的な意味があり、仏像がどの印相を結んでいるかによって、その仏像が何であるか、ある程度推測がつく。

密教の曼荼羅などには、様々な印相を結ぶ仏、菩薩像が表現されているが、ここでは日本の寺院などで見かける代表的なもの数種類について略説する。

主な印相

転法輪印(てんぽうりんいん)

釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作る。

手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」とも言う。

「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。

親指とどの指を合わせるか、手の平を前に向けるか自分に向けるか上に向けるかなどによって様々なバリエーションがある。

例えば胎蔵界曼荼羅釈迦院の釈迦如来の場合、両手の指先を上に向け、右手は前に、左手は自分側に向ける。

この場合、右手は聴衆への説法を意味し左手は自分への説法を意味する。



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ゾロアスターはダビデ王の家に再受肉した・・シュタイナーの人智学的ゾロアスター論(2)

2013-04-02 | マニ・ゾロアスター




引き続き、ルドルフ・シュタイナーの「仏陀からキリストへ」という本のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                   *****


                 (引用ここから)


西暦紀元の始まりの頃には、人類の進化にとっての最も重大な出来事を成就させるために、非常に多くの意味深いことが起こりました。

「ゴルゴダの秘蹟」に向けて進行してゆく霊的経過を理解するためには、以下のことも考察しなくてはなりません。


古ヘブライ民族の中にダビデという家系がありました。

このダビデ家は、始祖たるダビデにまで遡ります。

聖書(第2サムエル書・5・14)には、ダビデはソロモンとナータンという二人の子を持っていたと記されています。

「ソロモン系」は王の系譜、「ナータン系」は司祭系に属していました。

イエスはこの「ナータン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子です。

また「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子もイエスと名付けられました。

この子の使命は「ナータン系」のイエスとは別のものでした。

宇宙の智は極めて深いものです。

「ソロモン系」のイエスは、成熟した魂を持つ者だけが与えることのできるものを人類にもたらすという使命を、l帯びていました。

この子は、かつてペルシアでアフラ・マズダーについて教えを説き、ヘルメスにアストラル体を、モーゼにエーテル体を与え、カルデアではザラタスという名で現れてピタゴラスの師となったゾロアスターの生まれ変わりに他なりません。

ゾロアスターの自我は「マタイ福音書」に記されているベツレヘムに住んでいたダビデ家の王家、すなわち「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子供の中に再受肉したのです。

この「ソロモン系」のイエスに、原ペルシア文化の創始者であるゾロアスターが再受肉しました。

ゾロアスターはペルシア民族に偉大な“太陽存在”=アフラ・マズダーの教えを与えました。

この“太陽存在”は、私たちが目にする物質的な太陽の、霊と魂の部分です。

ですからゾロアスターは「物質的な太陽が輝いているのを見るだけではなく、物質的な太陽の働きがその光と熱の中に現れているように、物質的な太陽に恵みを注ぎかけている霊的な力強い“太陽存在”を見るように」と言ったのです。

後に「キリスト」と名付けられることになる「アフラ・マズダー」を、ゾロアスターはペルシア民族に示していました。

けれどもゾロアスターは、地上に受肉した“太陽存在”について語ったのではなく、太陽を指さして「太陽に住む霊、アフラ・マズダーは次第に地上に近づきつつあり、いつか地上での生を送ることになろう」と言いました。

ここにゾロアスター教と仏教の相違があります。

ゾロアスター教と仏教を長い間分断してきた深い差異は、パレスチナで生じた霊的な出来事によって埋められ、互いに若さを取り戻しました。


                  (引用ここまで)


                     *****


Wikipedia「ゴルゴダの丘」より

ゴルゴタの丘は、エルサレムの丘。

新約聖書においてイエス・キリストが十字架に磔にされたとされる。

新約聖書には、ここで弟子のイスカリオテのユダの裏切りを受けたイエス・キリストが十字架に磔にされたと書かれている。

場所については諸説あり、はっきりとは分かっていないが、聖墳墓教会のある場所がゴルゴタの丘だといわれている。

日本のカトリック教会ではラテン語から派生した「カルワリオ」の丘と呼ばれることがあり、ラテン語より派生した英語の「カルヴァリー(カルバリー、(Calvary)」 はプロテスタントの教会の名前によく用いられるが、「ゴルゴタ」も「カルワリオ」も「カルヴァリー」も、すべて「髑髏(どくろ)」という意味をもつ。

日本ハリストス正教会では教会スラヴ語から「ゴルゴファ」と転写される。

一説には人祖アダムの墓がここにあったともいわれ、磔刑を表した絵画にはしばしばイエスの十字架の下に髑髏が描かれることがある。

日本語では、ゴルゴタはゴルゴダと最後の音が濁音となって流布している。


wikipedia「マタイによる福音書」より

マタイによる福音書は新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。

『マタイによる福音書』は構成上、五つの部分に分けることができる。

• イエス・キリストの系図、誕生の次第、幼年時代、公生涯の準備(1-4:16)
• ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4-17:16:20)
• ガリラヤにおける私的な活動(16:21-18)
• ユダヤにおける活動(19-25)
• イエスの死と復活(26-28)

本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。

『マタイによる福音書』には旧約の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。
旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。

この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。

『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、イスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。

このようなイエス理解や文体表現から、パレスチナにすむユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。

イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。

しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。


本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が分かれており、エルサレム陥落前(紀元60年 - 65年)に書かれたとする説と、陥落後(70年代)に書かれたとする説に分かれる。

いずれにせよ、遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。

『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。

この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。

その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。

一方、現代のリベラル派の聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。

マタイがこの福音書の著者であるという伝承の元となっているのは教会史家カイサリアのエウセビオスによる『教会史』の第3巻で、2世紀のヒエラポリスの司教パピアスの失われた著作からの引用として「マタイがヘブライ語で言葉(ロギア)を記した」と記している部分である。

また、歴史家エウセビオスによる次の報告にも根拠を置く。

「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。

現代、リベラル派でもっとも有力な仮説とみなされる二資料説では、『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)からQ資料という名前で呼ばれる)から成立したと考えられる.

さらに「M資料」というマタイによる福音書独自の資料も執筆時に参考にしていると主張する説もある。

この主張は聖書信仰の福音派では受け入れられていない。





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シュタイナーの人智学的ゾロアスター論(1)・・太陽神の福音

2013-03-30 | マニ・ゾロアスター



シュタイナー著「仏陀からキリストへ」を読んでみました。

題名は“仏陀とキリスト”なのですが、実際にはブッダとゾロアスターとキリストについての本です。

シュタイナーはゾロアスターをとても高く評価していて、独創的な論を展開しています。

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                 *****


               (引用ここから)



人類の進化の歴史の中で偉大な働きをしたゾロアスターのことを考えてみましょう。

彼は霊界の深みから「太陽神の福音」をもたらすことができました。

彼は人々に、後に「キリスト」として現れる偉大な霊を指し示しました。


彼は

「太陽の中にアフラ・マズダーがいる。アフラ・マズダーは地に近づいて来る」

と言い、アフラ・マズダーについて深い言葉を語りました。


ゾロアスターの霊智と霊眼は、かつてインドの神仙たちが神仙界の“かなた”に存在すると語った「ヴィシュヴァ・カルマン」すなわち「アフラ・マズダー」を見ることができ、

ゾロアスターは、アフラ・マズダーが人類の進化にどのような意味を持っているかを語ることができました。


ゾロアスターが原ペルシア文化を創設した時、すでに非常に成熟した霊が、彼の体の中に存在していました。

ゾロアスターは以後の転生を経て、ますます高く、豊かに老成してゆき、人類に対してますます大きな供儀を捧げることができるようになっていったと考えられます。


ゾロアスターは自らのアストラル体をエジプト文化の指導者であるヘルメスに与え、エーテル体を古ヘブライ民族の指導者であるモーゼに与えました。

このようなことは力強く進化した魂を持つ者にだけ行えることです。

ゾロアスターは紀元前600年、仏陀がインドで活躍していた頃、ナザラトス、あるいはザラタスという名でカルデアに現れ、ピタゴラスの師となりました。

ゾロアスターの魂はますます成熟したものになっていました。


              (引用ここまで)


               *****

シュタイナーの語るキリストは、限りなく異教的ですが、シュタイナーはキリストをとおして、太陽神を見ているのだと思われます。



Wikipedia「エーテル体」より

エーテル体とは、『シークレット・ドクトリン』では、「魂の体、創造主の息」であり、ソフィア・アカモート]が最初に顕在化した形態、7つの粗大順の物質(4つは顕在化し3つは未顕在)のうち最も粗大で塑性の物質であり物質の骨格であるとしている。

アストラル光とも。

初期の霊的世界において蛇として象徴されたものであり、ギリシア語の「ロゴス」に相当、厳密にはアイテールとエーテルは異なるが、物質が存在する前は、現在のアカシャやアイテールと同様の「父であり母」であったと説明している。

活力体、生気体 (vital body) とも呼ばれる。

人智学で知られるルドルフ・シュタイナーは、生命体、生命力体 、形成力体 とも呼んだ。

エーテル体は、秘教哲学において人体のエネルギー場すなわちオーラの第1層ないし最下層として提起されている、想定上の「生気体」ないし「精微な身体」(微細身)に対してネオ神智学が与えた名称である。

物質的身体(粗大身)と直に接しており、肉体を維持し、それと上位の諸身体とを結びつけるものと言われている。

プラトンおよびアリストテレス自然学の古典的元素であるエーテルは、ヴィクトリア朝の科学における仮説である光の媒質としてのエーテル、そして語源を同じくする化学物質としてのエーテルという名称に受け継がれていた。

神智学者たちとアリス・ベイリーによれば、エーテル体は物質界の上位4亜界に当たるエーテル界に存在している。

したがって、意図されたこの語の指示対象は、ある種の希薄な物質(質料)であり、スピリット(霊または精気、本来は「気息」の意)という言葉の用法に類似している。

神智学者たちはこれを、インド由来の形而上学体系で明確に定義された概念を指す用語として選び、これによってヴェーダーンタ思想の「プラーナマヤ・コーシャ(精微な気息ないし活力であるプラーナでできた鞘)のような観念と同列のものとした。



wikipedia「ヘルメス文書」より

ヘルメス文書(-もんじょ)、または、ヘルメティカ文書とは、ヘルメス・トリスメギストスが著したと考えられた、神秘主義的な古代思想の文献写本の総称である。

ヘルメス・トリスメギストスのトリスメギストス(三+偉大)はギリシア神話のヘルメスより三倍偉大という意味だという。

モーゼと同時代の知者とも考えられていた。

文書には紀元前3世紀に成立した占星術などの部分も含まれるが、紀元後3世紀頃までにネオプラトニズム(新プラトン主義)やグノーシス主義などの影響を受けて、エジプトで成立したと考えられている。

内容は複雑であり、占星術・太陽崇拝・ピュタゴラスなどの要素を取り入れている。

他にも、「一者」からの万物の流出(ネオプラトニズム的)や、神を認識することが救いである(グノーシス主義的)などの思想もみられる。

「ヘルメス文書」は、11世紀頃までに東ローマ帝国で17冊の文書に編集された「ヘルメス選集」が中心である(中世西ヨーロッパでは知られておらず、ルネサンス期にギリシア語からラテン語に翻訳された)。

それ以外に、ヘルメスの著作とされる『アスクレピオス』がある。

早くからラテン語に翻訳され、アウグスティヌスの『神の国』にも引用されたため、中世西ヨーロッパで知られていた。

また20世紀に発見されたナグ・ハマディ写本にも「ヘルメス文書」の一部が含まれていた。

柴田有は「ヘルメス文書」を4つに大別している(『ヘルメス文書』解説)。

• 哲学・宗教的な作品
「ヘルメス選集」(=荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』の内容)
アスクレピオス ほか

• 占星術の作品

• 錬金術の作品

• 魔術の作品


グノーシス主義との相違点

ヘルメス主義とグノーシス主義は互いに共通のイメージ(神話、プラトン哲学、聖書など)を用いるが、前者が親宇宙的(Pro-cosmic)であるのに対して、後者が反宇宙的(Anti-cosmic)である点が異なる。

創造主の否定につながるグノーシス主義が正統派のキリスト教と相容れないのに対し、ヘルメス主義は必ずしもキリスト教と矛盾するものではない。

たとえば、イタリアのシエナ大聖堂のモザイク画には“モーセの同時代人ヘルメス・メルクリウス・トリスメギストス”が描かれている。


イスラム圏への影響

ヘルメス選集の第一文書「ポイマンドレース」は、グノーシス主義的な文献として有名であり、アラビア語に翻訳され、イスラム圏のスーフィーズムでも言及される文書である。

ムスリムにとって、ヘルメスは預言者エノクと同一視されており、クルアーンでは預言者イドリースとされる。


西欧への影響

ヘルメス選集は、中世の西ヨーロッパでは知られていなかったが、ルネサンス期の1460年にコジモ・デ・メディチが東ローマ帝国から写本を入手し、人文主義者マルシリオ・フィチーノがギリシャ語からラテン語に翻訳した。

ヘルメス主義と総称されるヘルメス文書の思想はキリスト教以前の知とみなされ、キリスト教の立場から合理的に解釈する者もいたが、魔術思想の書とも考えられた。

ヘルメス主義は、地動説を唱えたコペルニクス、神学者で生理学者のセルベトゥス(三位一体説を否定し、異端とされた)、天文学者のケプラー、磁気による引力論を唱えたギルバート、微積分を編み出したライプニッツ、科学者ニュートン等にも広く影響を及ぼしたと言われる。



Wikipedia「ヘルメス・トリメギストス」より

ヘルメス・トリスメギストスは、神秘思想・錬金術の文脈に登場する神人であり、伝説的な錬金術師である。

ギリシア神話のヘルメス神と、エジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合し、さらにそれらの威光を継ぐ人物としての錬金術
師ヘルメスが同一視されてヘルメス・トリスメギストスと称されるようになった。

それら3つのヘルメスを合わせた者という意味で「3倍偉大なヘルメス」「三重に偉大なヘルメス」と訳される。(三人の賢者(ヘルメス)の伝説(三重の知恵のヘルメス))

1. 第1のヘルメス:ノアの洪水以前にいた神。アダムの孫という。衣服、ピラミッドを作ったという。天文などを研究したという。

2. 第2のヘルメス:ノアの洪水以後のバビロンにいた人。ピタゴラスの師という。医学、数学などに優れる。

3. 第3のヘルメス:エジプトの人。医学者、哲学者。都市計画をしたという。

ヘルメス・トリスメギストスは、エメラルド板やヘルメス文書の著者とされた。

また中世の錬金術師は、賢者の石を手にした唯一の人物と考えていた。

「ヘルメス思想」とはヘルメス・トリスメギストスにあやかって世界の神秘を味わい尽くそうとする思想のことを指す。



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アフラ・マズダーは、バターの箴言を創り出したもうたぞ・・聖典「アヴェスター」(2)

2013-03-27 | マニ・ゾロアスター



引き続き、伊藤義教氏訳ゾロアスター教聖典「アヴェスター」をご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



           *****



          (引用ここから)


ヤスナ第29章

御身どもに、牛の魂はこう訴えた。

「誰のために、わたしを御身どもは創造したのですか?
誰が、わたしを造成したのですか?

わたしを飢えと暴虐、残虐、それに虐待と暴行がしめつけています。
しかもわたしには、御身どもより他に,牧養者がありません。
ですから、わたしにとって、牧養者がよきものと見えますように。」


そこで牛の造成者はアシャ(正義)にこうたずねた。


「御身はいったい牛のための裁き人をおもちですか?

その牛の支配者たる御身たちが、牧地とともに、牛飼いの熱意をも創り出されるためにです。

不義者共と共に、アエーシュマをも追い払うべき主として、誰を、御身たちは牛のために望んでいるのですか?」



牛にアシャ(正義)を通して、「牛には抜苦的援助者なし」と御身さまは返答したもうた。


身分の高い者達が低い者達に、どのように対処すべきか、彼らにはわかっていないからであるが

生ある者どものうちで最強なる者といえば、われ、アフラ・マズダーがその叫び声に応じ、助けをさしのべて赴くところのものである。」


ツァラツストラいわく。


「アフラ・マズダーは企てを最もよく銘記し給う者。

まことに、諸天と諸人によってなされたことを、御心に留めてくださるよう。

そしてまた、諸天と諸人によってなされるであろうことをも御心に記してくださるよう。

その判決者におわすアフラ・マズダーその方が望み給うとおりに、我らにしてくださるよう。」


牛魂いわく。


「アフラ・マズダーを裁きに加わり下さるよう、促しまいらせるために、わが魂と乳牛(牛の妻)の魂となる我ら二人は、まことに手を伸ばし、アフラ・マズダーの大前に、こうして参進しているところです。

不義者どもにとりまかれては、正しい生活者にも行きゆく道がなく、牧畜者にもそれがありません。」


そこで、霊感のなかに秘儀を知ってましますアフラ・マズダーは、こうおおせられた。

「まことに天則によってのことであるが、全く、教え人もなければ裁き人もない。

というのは、汝=牛を牧畜者と牧養者のために、造成者は創造したからである。」



ツァラツストラいわく。


「牛に水飼場を、そして飢渇せる者たちにも。。教えを下して、聖アフラ・マズダーはアシャ(正義)と心をあわせて、このバターの箴言を創り出したもうたぞ。」


牛魂いわく。


「ヴォフ・マナフ(聖霊)と相たずさえて、我ら二人を、人間のために大切にしてくれる何者を、ツァラツストラはお持ちですか?」



ヴォフ・マナフ(聖霊)いわく。


「この者はただ一人、我らの教えに傾聴した者として、ここで私によって認められたる者、ツァラツストラ・スピマータです。

彼は、アフラ・マズダーよ、我らと天則とに、頌歌を献詠しようと望んでいるのです。

どうか彼にことばの華を頒与したまわんことを。」



すると牛の魂は嘆いて言った。


「無力なる飼育者に満足しなければならぬとは。

非力なる人の声に満足しなければならぬとは。

強権をもって支配する者を望んでいるこのわたしなのに。

手を貸して彼に助けを差し伸べる者は、いつの時に現れるのでしょう。」



ツァラツストラいわく。


「この信者たちに、アフラ・マズダーよ、御身たちはお授けください。

力をば、天則を通して、また、かの王国をば、ヴォフ・マナフ(聖霊)を通して、御身さまがそれによって、牛に楽園と平安とを創り出し給わんがためです。

このわたくしは、アフラ・マズダーよ、御身を王国の始元の建設者と認め奉っているのです。


どこにおわすのですか、天則とヴォフ・マナフ(聖霊)と王国とは?

御身たちは、アフラ・マズダーよ、それらを知るために偉大なるマガ(ゾロアスター教の神官)に参徹させてください。」



牛魂いわく。


「アフラ・マズダーよ、いざ我らの下へ降臨をしてください。

御身たち様への、我らが供物にめでて。」


              (引用ここまで)


                *****


牛の魂が、涙を流して悲しんでいる様子が、目に浮かびます。

ゾロアスターは、「神の子羊」ならぬ、「神の子牛」の神学を述べているようです。

そして、神は「バターの箴言」を与えてくださる、という。

日本人なら、稲の神様といったところでしょうか?

稲穂を供え、米を餅にして供え、穀霊に祈るありさまと心は同じなのかもしれません。

そして、日本でも、中国の長江文明でも、古代には、穀霊への供え物として、鹿の頭や、生血が供えられていたことを知ると、牧畜民族、農耕民族の別なく、動物と植物と人間と神々が交感しあう、生々しくダイナミックな世界を垣間見ることができるように思います。



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ゾロアスターに助力を与えたまえ・・聖典「アヴェスター」(1)

2013-03-23 | マニ・ゾロアスター



ゾロアスター教の根本聖典「アヴェスター」(伊藤義教氏訳)を読んでみました。

この聖典は、世界最古の聖典と考えられ、紀元前から口承で伝えられてきたものが、ササン朝ペルシア時代に編纂されたものであるということです。

原本は本来の4分の1しか残っていないということですが、残された部分はアヴェスター語という古代ペルシア語で書かれ、ゾロアスター本人の言葉を含んでいると考えられています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

始めに、登場する天使たちの説明をウィキペディア「ゾロアスター教」の項目から引用させていただきます。


               ・・・・・


             (引用ここから)



アフラ・マズダーと“善神”群

アフラ・マズダーは、ゾロアスター教の主神で、みずからの属性を7つのアムシャ・スプンタ(七大天使、不滅なる利益者たち)という神々として実体化させ、天空、水、大地、植物、動物、人、火の順番で創成した、世界の創造者である。

アフラ・マズダーを補佐する善神(アムシャ・スプンタ)としては、次の7神がある。


•スプンタ・マンユ : 「聖霊」を意味する人類の守護神で、アフラ・マズダーと同一視されることもある。


•ウォフ・マナフ : 「善なる意思」を意味し、動物界の統治者でアフラ・マズダーのことばを人類に伝達する役割をになっている。

常に人間の行為を記録しており、やがて訪れる「最後の審判」でその記録を詠みあげるとされる。


•アシャ・ワヒシュタ(アシャ) : 「宇宙を正しく秩序づける正義」に由来し、天体の運行や季節の移り変わりをつかさどる。

「聖なる火」の守護神。虚偽の悪魔ドゥルジに対峙する。


•アールマティ : 代表的な女神(女性天使)。「献身」「敬虔」の名の通り、宗教的調和や信仰心の強さ、さらに信仰そのものを顕現する。

大地の守護神となっており、「背教」と「推測」の悪魔タローマティと対立する。


•クシャスラ(フシャスラ・ワルヤ) : 「理想的な領土ないし統治」に由来し、「天の王権」を象徴する。

アフラ・マズダーによる「善の王国」建設のために尽力する。

金属ないし鉱物の守護神。


•ハルワタート : 「完璧」を意味する女性の大天使。

アムルタートとは密接不可分とされる。水の守護神。


•アムルタート : 主神アフラ・マズダーの子で、名は「不死」に由る。

植物の守護天使で、ハルワタートと力を合わせて地上に降雨をもたらす。


また、善神の象徴は「炎」とされ、そこから「火の崇拝」が生まれている。


                 (引用ここまで)


                   ・・・・・


次に、聖典「アヴェスター」から「ヤスナ」という、最も古い時代に書かれたと推定される祈祷書を少しだけ、ご紹介します。

カッコ内の属性は、わたしが加筆しました。


                  
                   ****


                 (引用ここから)


「ヤスナ第28章」

「スプンタ・マンユ(聖霊・人類の守護神)のこの御助けを、マズダーよ、、御身たちすべての方々に、私はうやうやしく手を伸ばし、天則に従い、行動をもって、まず第一に懇願いたします。」

「すなわち、ヴォフ・マナフ(善なる意思)の意思と牛の魂とを、私が満足させうるところの行動をもってです。」

「マズダー・アフラよ。」

「善思をもって御身たちをつつみまいらせようとする私に、天則に従って授けてください。」

「有象の世界と心霊の世界となる両世界の恩典を、その恩典によって、御身様が助力者たちを楽土に置き給うことのできんためです。」

「アールマティ(敬虔な女神)が国土を不壊に栄えさせてゆくのも、ヴォフ・マナフ(善なる意思)と始めなきマズダー・アフラとの御為ですが、この御身たちを、天則に従い讃頌しようとする私の下へ、呼び声に応じて、御身たちは助けに来てください。」

「ヴォフ・マナフ(善なる意思)と一体になって魂を覚醒させようと心に銘記し、またマズダー・アフラよ、アフラの下し給う行為の応報を知悉している者として、私は力あり、またよく成し得る限り、どこまでもアシャ(正義)を求めることに教化をおいていきましょう。」

「アシャ(正義)よ、御身を、献身者として私は、果たして見たてまつるでしょうか?」

「またヴォフ・マナフ(善なる意思)を、そして王座を、最も強きアフラ・マズダーの高諾をも、見たてまつるでしょうか?」

「あらゆるものの内にて最大なるその高諾へと、この祈呪によって、舌をもって、我らは仇なす輩を改宗させたいのです。」

「ヴォフ・マナフ(善なる意思)と共に、御身は来てください。」

「そして天則に従って授けてください、永劫の授けものを。」

「まことに崇高な御言葉をもって、マズダーよ、力強い御助力を、ツァラツストラなる私にです。」


信徒の唱和

「そして我らにも、アフラよ。
我らが敵人どもを克服するために。」


「御身は授けて下さい、アシャ(正義)よ、かのヴォフ・マナフ(善なる意思)の恩恵を。」

「御身はまことに授けて下さい、アールマティ(敬虔な女神)よ、強健さをウィーシュタースパに、そして私にも。」

「御身はまことに授けて下さい、アフラ・マズダーよ、そして自在に操って下さい、御身たちの預言者、ゾロアスターなる私が、よってもって人々の聞信を博するようになるところのものを。」

「最勝なるものを、御身最勝者、最勝なるよき天則と同心にまします御身、アフラ・マズダーに、私は懇願いたします。」

「私は望んできた者です。壮士のために、そして私のために、
かつまた、御身がかりそめにも恵み施されようとする人々のために、いつの日までもヴォフ・マナフ(善なる意思)のものたるその最勝なるものをです。」

「これらの懇願をもって、我らが怒らしめたくないのは、アフラ・マズダーよ、御身たち、御身と天則と最勝なるヴォフ・マナフ(善なる意思)と恩恵の王国とですが、

その我らは、讃嘆を御身たちに捧げるために着座している者、御身たちは最も迅速なる賦活者にましますのです。」

「では、人々にして、正信のゆえに正しいものと御身が認めたまい、また善思のゆえにふさわしい者と、アフラ・マズダーよ、御身が認めたまうなら、その者共の所願を果たさせて充たしてやってください。」

「そうすれば、御身たちへの聖歌、御身たちにとって得るところ多く、ふさわしい、称讃の聖歌を、私は知っているのです。」

「称讃の聖歌とともに、正信と善思をも永遠に留め置きたまう御身は、アフラ・マズダーよ、私が人々に説ききかすために、私に教えてください、御身のスプンタ・マンユ(聖霊)を通して、御身の口をもって、第一の世界がいかなるものになりゆくであろうかを。」

                                        ヤスナ第28章終わり



                  (引用ここまで)


                     *****

編纂されたものとしては、世界最古の教典ということで、大変興味深く思いました。

翻訳者の伊藤義教氏は、ゾロアスター教の研究の第一人者でいらっしゃるようですが、同氏の論文集「ゾロアスター研究」には、さまざまなことが書かれていました。

「ゾロアスターは啓示を下した神の前に自身を低くして終生変わらなかった。

彼はあくまで「神の言葉」を述べ伝えるものとの立場から、「わたくしは語ろう」というときにも、「神の言葉を述べ伝えよう」という表現を用いた。」とあり、魔術師ゾロアスターというよりは、非常に倫理性の強い人格を感じました。

古代における倫理とは、どれほど精神の鍛錬が必要であっただろうかと思います。

宗教や疑似宗教があふれている世界で、どれが正しいかと考えるのと違って、「真理そのもの」を自分の力で探究し、掴まなくてはならないのですから。

世界の大宗教の原型と言われるだけのことはあると思いました。




wikipedia「アヴェスター語」より


アヴェスター語とは、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』に用いられた言語。

インド・ヨーロッパ語族のサテム語派の代表的な言語であり、インド・イラン語派イラン語群東部方言に分類される。

実際に話されていた場所や時代は定かではないが、言語学その他による検証により、 紀元前7世紀頃のイラン東南部の言語とする説が有力。

現存する最古の史料はサーサーン朝ペルシア末期、6世紀頃の物で、それ以前は 口承伝持で伝えられてきたと考えられる。

分類

アヴェスター語は更に、開祖ザラスシュトラ自身の作と思われるガーサー(英語版) (Gāθā、詩)に用いられるガーサー語(Gathic Avestan, 古代アヴェスター語 - Old Avestanとも)と、後年弟子や信者達によって付け加えられた部分に用いられる新体アヴェスター語に分けられる。

ガーサー語はより古い言語、新体アヴェスター語はより新しい言語と思われ、音韻や文法などに若干の相違がある。

文字

表記にはアヴェスタ文字が用いられる。

これはパフラヴィー語と同じくアラム文字を元に、6世紀頃創作された文字で、母音や子音の微妙な相違まできちんと表記できる、イラン諸言語で用いられた文字としては唯一の例として知られる。

サンスクリットとの関係

インドのサンスクリット語とは極めて近縁の言語で、特にサンスクリットの最古層であるヴェーダ語(『リグ・ヴェーダ』などに用いられた言語)とは文法的にも酷似している。

そのため、俗に「アヴェスターをヴェーダ語に翻訳するには、一定の規則に従って個々の音を置き換えるだけで良い」と言われるほどである。



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我のもとに来たりて加われ・・ゾロアスターの、「神との対話」(2)

2013-03-20 | マニ・ゾロアスター


引き続き、前田耕作氏の「宗祖ゾロアスター」からのご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


           (引用ここから)


彼はなおも進み続け、ついに大いなる神の真近に至る。

彼は思わず祈りの声をあげる。

ヴォフ・マナフに導かれ、彼はいま天山に登り、アシャ(正義)の主アフラ・マズダーの御前にいるのである。

これより10年にわたるアフラ・マズダーとの対話が、今始まろうとしている。


アフラ・マズダー曰く。

「汝は誰に奉仕することを望むのか?」


ゾロアスター曰く。

「アフラ・マズダーよ、御身の火を拝し、お供えすることを。

私の力のかぎりアシャ(天則)のものとなりましょう。

ですから御身は私がかくもあこがれ求めている天則をお示し下さい。」


「私は御身にお尋ねします。正しく話してください、アフラ・マズダーよ。

誰が産みの親、天則の始めの父ですか?

誰が太陽と星に路を定めたのですか?

誰によって月は満ちたり欠けたりするのですか?

誰が大地を下に支え、天空を落ちぬように支えているのですか?

誰が水と草木を、風と雲に駿馬をつないだのですか?

誰がヴォフ・マナフ(良き思い)を創造したのですか?

どんな匠が光と闇を創造したのですか?

どんな匠が眠りと目覚めを創造したのですか?

誰によって暁と日中と夜があって、責負うものに勤めを思い起こさせるのですか?」


アフラ・マズダーの答えは次のようであった。


「ゾロアスターよ、産みの親は我なり。

天則の父にして養い親は我なり。

太陽と星の軌道を創りし者も我なり。

月の満ち欠けを知りし者も我なり。

支えなくも落ちない天と、地を分かち守りしは我なり。

水と草木を創りし者は我なり。

足疾き風を創りしも我なり。


されば我の元に来たりて、常に大地に最高の報酬たる雨を授けるヴォフ・マナフとワートに加われ。

ゾロアスターよ、世界中の被造物をヴォフ・マナフを通して創りしは我なり。」


「3000年間、我、万物を創造せしが、残りしものあり。

ゾロアスターよ、それは老いと死なり。

この3000年間、飢えも渇きも無く、眠りも目覚めも無く、老いも死も無く、寒風も熱風も無く、我が世は不死であり、正しく存在するものは光輝いていた。


ある時、正しい物質世界に災いが襲った。

我は眠りと目覚めを創り、次いで昼と夜、次に黎明と正午を創れり。」


ゾロアスター曰く。

「物質世界において完全なるものの第一はなんですか?

第二のもの、第三のものはなんですか?」


アフラ・マズダー曰く。

「第一の完全なるものとは正しき心、第二は正しき言葉、第三は正しき行いなり。」


ゾロアスター曰く。

「正しきものとはなんですか?

より正しきものとはなんですか?

最高に正しきものとはなんですか?」


アフラ・マズダー曰く。

「聖なる不死者の御名こそ正けれ。

聖なる不死者を観相することこそより正しけれ。

聖なる不死者に服従することこそ最高の正しさなり。」


アフラ・マズダーは言葉を継いだ。

「はじめに二霊ありき。

二霊は心と言葉と行為において、より正善なるものと、より邪悪なものであった。

二霊は光と闇なりき。

光を選ぶ者は光ある存在に列せられ、闇を選ぶ者は闇なる存在に列せられん。」


天則のもとに自然と祭儀と人倫を捉えなおすことこそ、ゾロアスターがアフラ・マズダーより受けた啓示の最大の課題であった。


対話が始まってから10年の歳月が流れた。

最後の対話が終わったとき、ゾロアスターは、

「供物として自分の命さえもアフラ・マズダーに捧げます」と誓い、人々に向かって高らかに宣教の声をあげた。


ゾロアスターは齢すでに40歳、円熟の人として人中に姿を現したのである。


後のストア派のディオンの言葉が残されている。


                 ・・・

ペルシア人が言うには、ゾロアスターは知恵と正義への情熱のゆえに仲間たちを捨て、とある山に独り住んだ。

するとすぐ山に火の手が上がった。

と、天空より巨大な炎がその上に下り、山の火はやむことなく燃え続けた。

ペルシアの王や名だたる人々が山の麓まで来て、神に祈りを捧げた。

するとゾロアスターが炎の中より火傷ひとつ負うことなく姿を現し、人々を慰め励まし、人々のつつがなきことを告げ、神がここに来臨したことを認め供儀を行うよう命じた。


                  
                  ・・・

アフラ・マズダーとの対話によって、正しい考え、正しい言葉、正しい行いを天則によって知ったゾロアスターは、一人、眼(まなこ)に神の姿を見た者として、今世界に向かって歩き始めたのである。


              (引用ここまで)


                *****


ひたすら真面目なゾロアスターの姿が目に浮かびます。
また、燃える山とゾロアスターの姿は印象的です。


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ゾロアスターの、「神との対話」(1)

2013-03-14 | マニ・ゾロアスター



前田耕作氏の「宗祖ゾロアスター」を読んでみました。

筆者は後書きで

「ゾロアスター伝を、切れ切れの情報をつなぎ合わせて書いてみようと思い立った。専門家たちの情報はどれもそっけないものばかりであった。どれも歴史的に裏付けできないからである。」

と書いておられました。

ゾロアスターと至高者アフラ・マズダーの会話の箇所を、ご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



                *****

           
              (引用ここから)


ゾロアスターが生まれてから30年の歳月が流れたあるとき、中春の祭を祝う村へ招かれて行くことになった。

祭に向かうため、平原を貫き走るただ一本の道を辿る途中、彼は眠気に誘われて、ふとまどろんだ。

彼はその時見た夢の中に、未来の弟子の姿を認めたという。


祭が始まり、45日が過ぎた。

ゾロアスターは村を去り、川のほとりにやって来た。

ゾロアスターが三筋目の川まで来たとき、彼は南方より人が来るのを見た。

そして四筋目の川を渡り、右足を川よりあげて衣服を身に着けた時、その人が正面にやって来た。

その人は手に白い枝をたずさえたオフルマズドの使者ヴォフ・マナフであった。


ヴォフ・マナフは輝くばかりの美しい姿をしていた。

髪は巻かれ、衣服は断ち目も縫い目もない絹とも見えるものであった。

身の丈はゾロアスターの9倍もあった。

アフラ・マズダーは自らの聖霊スプンタ・マンユを通じて6柱の下位の神格(精霊)ヴォフ・マナフ、アシャ、フシャスラ、アールマティ、ハウルワタート、アムルタートを現出させた。

アフラ・マズダーより発するこれら6柱の偉大な存在、中でもヴォフ・マナフ(良き意図)は、アフラ・マズダーにより最初に創造された者であり、人々を導く助力者である。


「なんじは誰なのか?誰と共にある者なのか?」

ヴォフ・マナフの発した最初の問いかけの言葉であった。

「わたしはゾロアスターです。スピターマーンの者です。
誰よりも正義を求め、神の意思を知ろうとする者です。」

ヴォフ・マナフ曰く。

「なんのために汝は努力するのか?」

ゾロアスター曰く。

「天則(アシャ=正義)のためです。」

ヴォフ・マナフ曰く。

「天則は実在するのか?それはどこにあるのか?」

ゾロアスター曰く。

「天則は実在し、輝き完璧なものであり、ヴォフ・マナフを通じて見出すことのできるものです。」

ヴォフ・マナフ曰く。

「汝と我とを創りたもうた、あの方と対話をしようではないか。
我はそのための使者としてここに来たのである。」

ゾロアスター曰く。

「よい使者を送り出された創造主は、よい方に違いない」

ヴォフ・マナフ曰く。

「精霊たちの集まる所に来たれ。」


ヴォフ・マナフが先に立ち、ゾロアスターが後についていく。

ヴォフ・マナフが9歩行く距離を、ゾロアスターは90歩で従う。

90歩行ったところで、彼は5柱の聖霊たちが集い寄る様が見えてきた。

聖霊たちとゾロアスターを隔てる距離は80歩であった。


その時、精霊たちから光が発する。

この強烈な光によって、ゾロアスターは自分の影を地上に見ることはもはやなかった。

影が消え去るということは、ゾロアスターが既に超越者の中に加えられた徴であろう。



             (引用ここまで)


                *****


この対話の描写は美しく、透明感があり、東洋的というよりは、西洋的な印象があります。

また、古代的というよりは、現代的な感じもします。

でも、古代にも、またいつの時代にも、時間を超えて、このようなできごとは起きてきたのであろうと思います。

本書の書き出しは、以下の文章から始まります。


                      *****


                    (引用ここから)


いつとはいえぬ昔、西方のアジアで人々の魂を深く揺るがした古い宗教があった。

その教えをアジアの荒野に開いた始祖の名によって、この宗教はゾロアスター教とよばれた。

ギリシアの人々は、自分たちの誇る「哲学の営み」を、この古き始祖より始まったという伝説をなかば信じていた。

ゾロアスター教は開宗以来2000有余年もの間、アジアの人々の心をとらえてきただけではなく、エーゲ海と地中海のかなたのヨーロッパの人々の心にも深い影を投げかけてきた。

キリスト教は長くゾロアスターのつきまとう幻影から逃れ出ることができなかった。

占星術師ゾロアスターというイメージは、ギリシア人たちがゾロアスター教と接してからずっと持ち続けてきたイメージなのである。

西方の誰一人ゾロアスターを見た者とてなく、ただただ伝説の人にすぎなかったゾロアスターが、ルネッサンスの人々はもとより、モーツァルトやニーチェに至るまで、彼らの魂を魅了し続けたのはなぜだったのだろうか?

そもそもゾロアスターとはいったいつの、どこの人なのであろうか?

私たちはまず幾世紀にもわたって深くたちこめたままの伝説の妖しい霧の中へと分け入らなければならない。


                  (引用ここまで)


                    *****

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世界は溶けた金属で覆われて浄化される・・・ゾロアスターと神秘主義(4)

2013-03-11 | マニ・ゾロアスター



山本由美子氏の「マニ教とゾロアスター教」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


          (引用ここから)


おそらく紀元前1200年ころ、イラン人の大きな文化的変動期・・すなわち青銅器時代から鉄器時代への移行期に、ゾロアスターは宗教改革者および預言者として、イラン高原の東北部にその姿を現した。

ゾロアスターの思想の特徴は、極めて強い倫理観にある。

彼はイラン人固有の世界観を継承しながら、そのような宇宙の創造や世界の存続も、倫理に即しているかどうかが重要なのであると信じた。

彼は現世を、善と悪の二つの原理が互いに対立し、相争う場とみなした。

彼によれば、ありとあらゆるものは、善か悪のいずれかに属しており、創造された宇宙や人間は、善により創造されたものである。


善とは生命であり、光であり、創造主アフラ・マズダー(英知の主)であった。

他方、悪である対立霊とは、死であり、闇であり、世界を破滅に導くすべての根源であった。


ゾロアスターの説くところでは、もともと二つの対立する原理が存在したのだという。

それはあたかも“双子”のようなものだ、と彼は述べた。


両者はまったく無関係に存在していたが、たまたま遭遇して互いに相手の存在に気付いた時、対立が生じた。

一方の霊は善であったので、生命を選んだ。

他方は悪で、死を選んだ。

善には光、正義、秩序、美といった良きものがすべてこれに帰属した。

悪の側には、闇や邪悪、嘘、憤怒など破壊につながるすべてのものがこれに帰属した。


英知の主アフラ・マズダーは、先見の明によって、対立する二霊は戦わざるをえないことを知った。

その場合、戦う場と武器と主体が必要になるし、戦った後には勝敗が決まる。

したがって、戦いを始めるにあたって、究極的に自らの勝利となる「時」を期限とすることができれば、自分が勝利して終わることは間違いない。

そこでアフラ・マズダーは、自分が勝利する「時」を終着の「時」とする、という条件で戦おうと提案した。

死と破壊の霊は、結果を見通すことがないので、ただ、戦うというチャンスに飛びつき、この提案は同意された。

つまり、天に始まり、水、大地、植物、動物、人間、火へと続く伝統的な7段階の世界創造は、創造主であるアフラ・マズダーの明確な意思のもとに、目的をもって行われたというのである。

それは倫理的な要素を強く持つアフラ・マズダーの諸々の属性が、守護として、7つの創造物にそれぞれ付与されたことからも明らかであった。

つまり天には望ましい王国(統治)、水には健康(完全性)、大地には聖なる信心(献身)、植物には不死、動物にはよい心(意図)、人間には聖なる霊、火には天則(秩序、正義など)がそれぞれ付与されたのである。


この「原創造」された世界に、悪の霊が侵入して破壊をもたらした。

天には穴が開けられ、水は汚され、大地は砂漠と化し、植物は枯れ、動物や人間には死がもたらされ、火は消された。

その反撃として善の勢力は、死んだものからその種を取り出して、更に多くの生命をもたらした。


こうして世界は善と悪の力が混じりあって戦う混沌の時を迎えた。

人間は「善い心」、「善い言葉」、「善い行い」の三徳を守り、善の側に立って戦いに参加する。


つまりゾロアスターによれば、人間はこの世界で積極的に善を増やすという重要な役割を持っている。


この戦いは初めに決められたように、無限に続くのではない。

最後には救世主が現れ、悪の力は滅ぼされ、世界は溶けた金属に覆われて浄化され、新しく作り直され、その後は完全な世界が永遠に続くことになる。


              (引用ここまで)


                 *****


wikipedia「アンラ・マンユ」より


アンラ・マンユ (Angra Mainyu, Aŋra Mainiuu) またはアフリマン (Ahriman, 中世ペルシア語形、アーリマン) は、ゾロアスター教に登場する悪神。


善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神アフラ・マズダーに対抗し、絶対悪として表される。

創世神話によれば、世界の始まりの時、創造神スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユと出会ったという。

そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユは「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造したという。

「ヴェンディダード (Vendidad)」 第1章によると、アフラ・マズダーが光の世界を創造すると、すかさずアンラ・マンユは対抗すべく冬、病気、悪などの16の災難を創造したという。

アンラ・マンユはさらにアフラ・マズダーが創造した世界を破壊し、被造物を殺戮すべくアジ・ダハーカを生み出したのである。

この世が始まる前の戦いでアフラ・マズダーに敗れ、深闇に落とされるが、徐々に勢力を盛り返し、再びアフラ・マズダーと戦うとされている。

実体はないが、この世に現れるとき、ヘビやトカゲといった爬虫類の姿で出現するとされる。

配下は大魔ダエーワや悪竜アジ・ダハーカなど。

英雄スラエータオナがアジ・ダハーカを退治しようとするが、剣を刺してもそこから爬虫類などの邪悪な生き物が這い出すため、これを殺すことができなかった。

そのため最終手段としてダマーヴァンド山の地下深くに幽閉したという説話もここから来ている。

つまりアジ・ダハーカはアンラ・マンユの力の結晶として生み出されたということである。


○キリスト教への影響

黙示録の赤い竜や善悪二元論、最後の審判といったキリスト教の要素にはゾロアスター教からの影響が見てとれる。

キリスト教のサタンも旧約聖書のヨブ記を見る限りは神の僕であり、試練を与える天使という位置付けであったが、新約聖書のサタンは完全に敵対者である。


                  ・・・


善と悪の闘いの場としての世界、、世界の終りには救世主が現れ、世界の混乱を終息させる裁きを行う。。

世界最古の預言者と言われるゾロアスターの思想が、その後の世界的な大宗教の原型として、大きな影響力をもったという説は、なるほどとうなづけます。

ただ、善と悪が双子のように相等しく生まれ、出会い、闘っている、という思想は、悪というものについてのとても面白い考えだとも感じます。

善と悪が双子だ、ということは、善も絶対的なものではないということですから、「最後の審判」により永遠の善の世界が創られるという思想とは異質な要素も含んでいるように思われます。

イランという、地理的に西と東を結ぶ中間的な地域ならではの宗教観なのかもしれない、という気もしました。

双子というのは、ホピ族の神話にも出てくるし、二つの理念のバランスという感覚は、大変興味深く思われます。

2009年に書いた記事から引用します。


                 *****

「終わりの時への展望・・インディアンの語る「浄化の日」その2 - 始まりに向かって」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/1c67036b074857f2a15d4e64a9d86e40
                  


ミタクエオヤシン、つまり「すべてのものはみな関連している」という考えを受け入れ、平衡つまり「赤い道」に至るための儀式を実践すれば、人は宇宙の森羅万象の中に存在する「二重性」を理解するようになるだろう。

この「二重性」という事柄こそは、この地球を平衡(=バランス)の中で支えている“ホピの双子”の本然の性格なのである。


しかしながら今日、地球という惑星は人間の頭脳からくる“陰の周波”に包囲され、不均衡に満たされている。

“地球を支える双子”は、共に衰弱し切っているのである。


                   *****


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大地には死すべき人間と原初の牡牛がいた・・ゾロアスターと神秘主義(3)

2013-03-07 | マニ・ゾロアスター



マニ教を調べた時にも読んだ山本由美子氏の「マニ教とゾロアスター教」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****


               (引用ここから)


ゾロアスター教は、もっとも古い天啓宗教の一つである。

しかしセム語族の宗教であるユダヤ教とは異なる伝統に基づいている。

ゾロアスターがイラン民族の古来の伝統的な宗教を改革したのは、ほぼ3000年以上も前のことである。

彼の説く教義や世界観は、当時のイラン人には問題なく理解されたはずだが、今日では理解不能なところが少なくない。

ゾロアスターのメッセージは、イラン人だけに向けられたものではないにしろ、ゾロアスターが当時人間とみなしたのは、彼と同じ種類の人々であっただろう。

彼らは自らを「アイルヤ(アーリア人)」つまり「自由な人・貴族」と呼んだ。


イラン高原にイラン人(アーリア人)が居住してから3000年以上になる。

彼らの言語、文化、伝統をはぐくんだ祖先は、インド・イラン語族に属した人々で、さらに遡れば、ヨーロッパの大部分の人々とも言語系を同じくするインド・ヨーロッパ語族の人々と考えられる。

彼らは南ロシアから中央アジアにかけて広がる草原地帯を活動の舞台とする遊牧民であった。

乾燥した砂漠地帯が多いイラン高原でも、遊牧生活を送ることは可能であったが、イラン人の多くは、移住してきた時、定住生活を選んだ。

しかしその時でさえ、彼らの自然観は、遊牧生活のもとで形成されたものから、それほどかけ離れてはいなかった。


彼らの世界観はどのようなものであっただろうか?


彼らは、世界が球体の天の中にあると考えた。

天は固くて透き通ったものであり、水がその球体の下半分を占め、大地はその水に浮かんでいた。

大地の中心には、隆起し続ける高い山(ハラ山)があり、大地の周辺は、やはりハラ山と呼ばれる山に囲まれていた。

その中心の山の頂を太陽や月や星がめぐり、山頂からは水が川となって流れ落ち、南の海に注いでいた。

その海の真ん中には、「すべての植物の種をもつ大きな木」が生えていて、その根は「カル魚」という大魚によって守られていた。

この木は「癒しの木」とも言われ、その隣には「生命の木」(白ハオマという)があった。


大地には、「死すべき人間」と「原初の牡牛」がいた。

すべての生命の活動は、この「牡牛」を犠牲にすることで始まった。

「死すべきもの」という名をもっていた最初の人間が死ぬと、その「種」から多くの人間が誕生することになった。

生命の活動は通常、「火」で表わされた。


このような世界観は、インド・イラン語族の人々に共通するものであったが、その細部はそれぞれ異なっていた。

おそらく、インド・ヨーロッパ語族の人々の故地においても、多数のヴァリエーションがあったものと思われる。

彼らは人間の力の及ばない自然現象や理解できない超自然的な力を神格化して、畏敬の対象にした。

世界を構成する基本的なもの、つまり天や大地、水や火、太陽や月も神とされた。


最初に「犠牲」になることで世界に生命を与えた「牡牛」は、特に重要な神となり、その魂は生物や世界に善をもたらすものとして崇敬された。

牡牛を「犠牲」にした際の原初の祭儀は、人間の祭司によって、日々、年々繰り返された。

それによって、世界が存続するためのエネルギーが与えられると考えられた。

したがって祭司は、その祭儀を正しいやり方で、つまり効果のあるやり方で、司祭できるよう訓練され、その地位は極めて高かった。


              (引用ここまで)


               *****

本文の注に、次のように書いてありました。

                  ・・・


「ハラ山」は大地そのものとも考えられる。

つまり周辺の山々も同名だからである。

これは世界の中心の山として、インドではシュメル山と言われる。

仏教をつうじて日本では須弥山の名で知られる。

                  ・・・


“原初の世界には、死すべき人間と牡牛がいた”、というシチュエーションは、牧畜民の魂が創り出したものでしょうか?

牛を飼い、その牛を殺して食べるという行為に、人間は原罪のような辛さを感じたのでしょうか?

そして、どんなにたくさんの牛を食べたところで、人間はいずれは死すべき運命から逃れられないことが、二重の苦しみとして感じられたのでしょうか?


犠牲の牛という強烈なイメージは、キリスト教の「神の子羊」としてのイエスキリストを思いださせます。

犠牲の牛、犠牲の子羊、人間の犠牲になって死に、そして蘇るキリスト。。

同じテーマをめぐる、非常に近い思想のように感じられます。


                 *****


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ゾロアスターと神秘主義(2)・・天界には守護霊がいて、人々に働きかけている

2013-03-03 | マニ・ゾロアスター



引き続き、岡田明憲氏の「ゾロアスターの神秘思想」のご紹介をします。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



                *****


              (引用ここから)



ルネサンスの思想家の中で、最も注目すべきは、異端者として破門され、若くして死んだピコ・デラ・ミランドラである。

彼はまた偉大な神秘家であった。

プラトンを学ぶだけでは満足せず、ユダヤ教のカバラやアラビア語まで習得した彼は、「マジア」をもって究極の知識と考えた。

この「マジア」が、ゾロアスター教の「マギ」に由来するのは明らかである。


アリストテレスとプラトンを統合したとされるピコの学説は、直接ゾロアスター教に結びつくものではない。

しかし、彼が人間の尊厳性を、自由において見出すのは、古代ペルシアの予言者の精神に一致する。


ピコからほぼ一世紀を経て、ドイツにゾロアスターの精神を感得する者が出た。

靴屋の哲学者ヤコブ・ベーメ(1575~1624)である。

彼の学問体系は確としないが、ルネサンス流の新プラトン主義と共に、中世以来の錬金術の伝統に影響されたのは確かなようである。

しかし彼の思想の特質は、全く彼個人の神秘体験に基づくのであって、その光と闇の二元論は、キリスト教の伝統を超越して、古代ペルシアに結びつく。


彼は宇宙を善と悪の対立と見て、悪の起源の問題を深刻に思索する。

そしてゾロアスターの場合と同じく、人間の自由意思に着目するのである。


さらに彼が、「神は「無底」から分裂により誕生する」、と説く時、そこに、ゾロアスター教におけるズルワニズム的発想との共通性を見出せる。


無論ベーメも、ピコの場合と同じく、ゾロアスターに結びつく歴史的事実は何もない。

しかし人間の霊性は不可思議であって、容易に時空を超越する。

ましてゾロアスター教の説にあるように、天界に守護霊が存在し、有縁の人に働きかけているとするなら、なおさらである。

 
               (引用ここまで)


                *****


文中の「ズルワニズム」という言葉は、「時間主義」と訳されるということで、同書の中で次のように説明されています。


                    *****


                 (引用ここから)


「ズルワニズム」は「ズルワーン」=「時間神」をもって、善悪両原理を止揚する。

時間を最高原理とするこの思想は、インド哲学ではあまり発展しなかった。

それはインド文化の非歴史的性格による。

これに反して、同じアーリア文化を継承したイランでは、バビロニアの天文学などの影響もうけながら、深遠な時間の形而上学を成立させたのである。

これがゾロアスター神学の一大潮流となる「ズルワニズム」(時間主義)である。


                  (引用ここまで)


                    *****



こうして見てくると、ゾロアスター教という謎の古代宗教は、思ったよりはキリスト教に似ているのだと思えてきます。

「やがて世界は終わりを迎える」、、という終末感覚は、キリスト教やユダヤ教で聞き知った、終末論的世界観と質を同じくするもののように思われます。

しかし、年代的に考えれば、ゾロアスター教の方が先に起きているのですから、終末論的な思想は、ゾロアスター教からキリスト教に伝えられたと想定されてよいように思います。

ヨーロッパのキリスト教の文明は、ユダヤ教と同じくらい濃厚に、東方の異教ゾロアスター教からも由来しているのではないかと思われます。

イエスの誕生を祝いにやってきた東方のマギたち、という逸話も、生まれたてのイエスに対して、東方のマギたちはいわば老賢者の趣をもつ老人たちとして、歴史を表現した逸話なのかもしれません。




wikipedia「ヘルメス文書」より

文書には紀元前3世紀に成立した占星術などの部分も含まれるが、紀元後3世紀頃までにネオプラトニズム(新プラトン主義)やグノーシス主義などの影響を受けて、エジプトで成立したと考えられている。

内容は複雑であり、占星術・太陽崇拝・ピュタゴラスなどの要素を取り入れている。

他にも、「一者」からの万物の流出(ネオプラトニズム的)や、神を認識することが救いである(グノーシス主義的)などの思想もみられる。

「ヘルメス文書」は、11世紀頃までに東ローマ帝国で17冊の文書に編集された「ヘルメス選集」が中心である(中世西ヨーロッパでは知られておらず、ルネサンス期にギリシア語からラテン語に翻訳された)。

それ以外に、ヘルメスの著作とされる『アスクレピオス』がある。

早くからラテン語に翻訳され、アウグスティヌスの『神の国』にも引用されたため、中世西ヨーロッパで知られていた。

また20世紀に発見されたナグ・ハマディ写本にも「ヘルメス文書」の一部が含まれていた。


西欧への影響

ヘルメス選集は、中世の西ヨーロッパでは知られていなかったが、ルネサンス期の1460年にコジモ・デ・メディチが東ローマ帝国から写本を入手し、人文主義者マルシリオ・フィチーノがギリシャ語からラテン語に翻訳した(Corpus Hermeticum)。

ヘルメス主義と総称されるヘルメス文書の思想は、キリスト教以前の知とみなされ、キリスト教の立場から合理的に解釈する者もいたが、魔術思想の書とも考えられた。

ヘルメス主義は、地動説を唱えたコペルニクス、神学者で生理学者のセルベトゥス(三位一体説を否定し、異端とされた)、天文学者のケプラー、磁気による引力論を唱えたギルバート、微積分を編み出したライプニッツ、科学者ニュートン等にも広く影響を及ぼしたと言われる。



Wikipedia「ピコ・デラ・ミランドラ」より

ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(Giovanni Pico della Mirandola、1463年- 1494年)は、イタリア・ルネサンス期の哲学者である。

「人間の尊厳」を主張したとされてきたが、近年では、ピーコの用いる「尊厳」の語には「序列」という意味もあり、今日でいう「尊厳」の意味はなかった、とも言われている。

ともあれ、ピーコにとって人間とは、なんにでもなれる変幻自在のカメレオンのごときものであった。なお、苗字だけで呼称されるときはピーコである。

生涯

北イタリアの貴族の家に生まれる。

ボローニャ大学で法律を学んだのち各地で研鑽を積み、フィレンツェへ行き、哲学者として高名なマルシリオ・フィチーノと接した。

若くして才能を発揮し、プラトンをギリシャ語で、旧約聖書をヘブライ語で読んだ。

博識で弁が立ち、メディチ家のプラトン・アカデミーの中心的な人物の1人になった。

人間は小さな宇宙であり、その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまでが含まれると考え、人間が動物と異なるのは、自由意志によって何者にも(神のようにも獣のようにも)なる事ができる点だとして、「人間の尊厳」を主張した。

1486年、ローマで哲学・神学の討論会を企画し、討論会のために書いた原稿が『人間の尊厳について』 (Oratio De Dignitate hominis) で、ピーコの主著である。

ただしこの題名はピーコ自身の命名ではない。

この討論会では聖体変化などについての議論も予定しており、ローマ教皇インノケンティウス8世から異端の疑いをかけられ、討論会は中止。

ピーコも逃亡後、捕えられてしまうが、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの努力により釈放され、フィレンツェに戻る。

ジローラモ・サヴォナローラとも親交があった。31歳で死去。

フィチーノと同様、近年は異教的な神秘主義の側面が注目されている。

自然を支配する業としての魔術を信じていたが、占星術については、人間の運命が定められているというのは人間の自由意志に反する、として反対するようになり、師フィチーノの説を批判した「反占星術論」を執筆している。

また非ユダヤ人としては、はじめてカバラを極めたとされる。



wikipedia「ヤコブ・ベーメ」より

ヤーコプ・ベーメ(Jakob Böhme,1575年 - 1624年)は、ドイツの神秘主義者である。

ドイツ語で主に著述した最初の思想家でもあり、信奉者から付けられた「フィロソフス・テウトニクス」(ドイツの哲人)という異名でも知られる。

ルター派教義を背景とし、パラケルススら新プラトン主義に影響を受けた独特の自然把握と「神の自己産出」という哲学史上稀な概念の展開は、敬虔主義やドイツ観念論といった近世のドイツ思想だけでなく、近代の神秘学にも影響を与えている。

主著は『アウローラ』、『シグナトゥーラ・レールム』、『大いなる神秘』、『キリストへの道』。




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