始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

蛇を統御する・・ホピ族の「蛇とカモシカの祭り」・その3(終)

2010-03-27 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
前回の続きで、フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」から、蛇とカモシカの祭りの紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


   *****

     (引用ここから)


こうしてあたりが暗くなる中、踊りは一種の催眠的魅力の中で続けられる。

蛇を口にくわえて踊るこの男たちには、何一つ興奮した様子は見られない。

ただ神秘に深く閉ざされたていることを暗示する不思議な威厳と、彼らを包んでいるように見える謎めいた力が感じられるのみである。


聴きなれない音をかすかに立てる貝殻は、母なる水が来て地を満たしてくれるよう訴えている。

カモシカ族の歌は、雲が四方から集まり、雨を降らせることを歌っている。

この踊りは二つの宇宙的な極の結合であり、体の心霊中枢全体を充電しなおし、人と地球両方の生命エネルギーを一新する、あの神秘な雨を解放する儀式なのである。


黄昏になる。

天の闘いは終わりを告げ、空は低くたれこめた雲で覆われている。

そこからわずかばかりの雨滴が落ちてくる。


それで十分である。

蛇は解き放たれ、祝福され、地の四方に「全生命を一新せよ」とのメッセージを携えて行く。


蛇・カモシカ祭りはウウチムに始まり、笛祭りへと続く一年の周期の中でも、最後の中心的な祭りである。


それは盛大であると同時に、微妙な意味を担っている。

というのも、最初の3つの祭りが“創造の3つの面”を象徴し、次の2つの祭りが“生命の道の上での進化発展”を象徴するものであるとすれば、

「蛇・カモシカ祭り」は、“過去を通り越して永遠に向けた今から”が、そのテーマであり、

客体化された宇宙ではなく、人間自身のたましいという空間宇宙が、その舞台になっているからである。

その意味は見る人によって違ったものに映るかもしれないが、人間に内在する宇宙的な力がいかに制御され、この物質世界に現れうるものかを示すものである。

    (引用ここまで・終)

          *****


蛇祭り、スネークダンスを見たことはないですが、どこかで見たことがあるような気がしてしまいます。

それは古今東西の蛇に関する習俗への混同した印象なのだと思いますが、ヘビと人類がどのような関わりがあるのか、大変心ひかれる思いがします。

おそらく、“ヘビを統御する”ということには、人類共通の意味があるに違いなく、ヘビと人には相当深い関わりがあるのではないでしょうか。


ホピにおいては、ヘビを統御する「ヘビ使い」は、“カモシカ”として表現されているということだろうと思います。

カモシカは、二本の大きな角のある動物ですが、それが人間の宇宙的なマジカルパワーの源泉であるとされます。


毒ヘビの「破壊的な力」と、それをを統御する二本角のカモシカの「叡智」。

このどちらの力をも持っているのが、生きている人間であり、人間であることの神秘を味わうことが世界とグレートスピリットへの敬意である、ということなのでしょうか。


この本の著者フランク・ウォーターズは別の個所で、「ホピはおそらく宗教団体だったと思われる」と述べています。

マヤ族と同祖の、とある宗教団体だったのだろうか、などと思ったりします。



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高校無償化して、扶養控除をへらす?・・“無償”と言われる気持ち悪さ

2010-03-18 | 野生の思考・社会・脱原発
「高校無償化 法案可決 子ども手当法案も 衆院本会議」
3月16日 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100316-00000014-maip-pol


       ・・・・・

 鳩山政権の目玉政策である高校無償化法案は、16日午後の衆院本会議で採決され、民主、社民、国民新の与党3党と公明、共産両党などの賛成多数で可決された。
子ども手当法案も、引き続き与党と公明、共産両党などの賛成多数で可決され、衆院を通過した。
政府・与党は両法案を週内に参院で審議入りさせ、年度内成立を目指す。
成立すれば高校無償化は4月から実施され、子ども手当は6月に支給開始される。

高校無償化法案は公立高校の授業料を無料にし、私立高校生には世帯の所得に応じて年11万8800~23万7600円を助成する。



     ・・・・・・・

我が家も当事者なので、感じるところが多いです。

一番思うのは、「高校に進学しないこと」を誇りを持って選択する若者に対して、ほんとうに失礼だという気持ちです。

高校には、ただで行けるよ、って、どういう意味があるのだろうと思います。

それで喜ぶ人もいれば、喜ばない人もいるのが、世の中なのに、高校に行くことこそをよしとする、という施策は、納得がいきません。

そのうえ、高校無償化の財源の一部は、16才から22才までの子どもを育てている家庭の特定扶養控除を圧縮することで創り出すと聞き、驚いています。

    ・・・・・


3月11日付「しんぶん赤旗HP」より
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-11/2010031102_04_1.html

「高校無償化財源
特定扶養控除額引き下げ
文科相「負担増世帯が相当数」
宮本議員追及」

 日本共産党の宮本岳志議員は10日の衆院文部科学委員会で、高校無償化法案について、政府が財源の一つとしている「特定扶養控除額の引き下げ」に伴い、実質的に増税となる世帯が生まれる問題をただしました。

川端達夫文科相は、「相当の世帯で負担増になると認識している」と認めました。

 特定扶養控除は、16歳以上23歳未満の子どもを持つ場合に適用される控除で、16歳から18歳の控除額が高校無料化とともに引き下げられる予定です。

 宮本氏は、学校に通えず、就労もしていない子ども、特別支援学校の高等部に通う子ども、定時制・通信制に通う子どもなどを持つ家庭は、これまで授業料の負担はないか、あるいは低廉だと指摘。

「高校無償化の負担軽減より、特定扶養控除の一部廃止で負担増となる家庭は少なくない」と迫りました。

川端文科相は「そういう事態が生じると想定される。

実態を把握し、対応を講じていきたい」と述べました。


 さらに宮本氏が「増税は私立高校に通う子どもを持つ家庭にも影響する」と認識をただしたのに対し、川端文科相は「授業料を全額減免されている家庭は増税となる」と述べました。

宮本氏は「負担増にどのように対応するか、具体的に示すべきだ」と求めました。

 宮本氏は、「授業料が無償化されても、公立で24万円、私立で66万円以上の学校教育費の父母負担が残る」と述べ、給付制奨学金の創設を求めたのに対し、川端文科相は「大変重要な課題だと認識している」と表明しました。

         ・・・・・


話はちがいますが、、

我が家は高校に進学するのですが、「無償化」という言葉は、麻薬のように脳内に入り込んでいる、という感じがあります。

今日は高校の入学説明会で、体操着を買ったり、PTA会費を払ったりしたのですが、そういった費用も五万円では足りません。

それは当然の支出だと、自分は思っていると、わたしは思っていたのですが、「ちょっと鳩山さん、無償なんじゃないの?なにこの教科書代、2万円なの?ただじゃないの?」と言いそうになる自分が怖かったです。。
(「無償化」は年間の学費11万円についてであり、その他諸費用は無償ではない。)


このようにして人間は“権力”に飼いならされ、堕落してゆくのだ、、と、思ったことしきりな1日でした。

3年期限で合計30万円の学費についてですら、こうなのですから、15年の長きにわたって個別に家庭に配られるという何百万円という「子供手当」なるものは、人心にどのような影響を及ぼすのだろうか、と思うと、人ごとながらなんとも不安な気持ちになります。。

しかも、それが、税金との相殺で、家庭の負担が減るわけではない場合もある、のだとしたら、こうした「手当」と名づけられたものは、いったい何なのだろうと、改めて思います。。


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蛇とカモシカが、地底世界と共鳴する・・ホピの蛇祭り2

2010-03-14 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
前回の続きです。

フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」(Book of the Hopi)から、ホピ族の蛇祭り(蛇とカモシカの祭り)を紹介します。


このような祭りは、人間(ホピ族)は必要にせまられて行っているのだと思われます。

このような祭りの伝承をもつ文化が、西洋世界にどのような影響を与え得るか、東洋世界とどのような関係があるのか、その他古代文明、あるいは超古代の文明といかなる関係にあるのか?

あらゆる可能性が考えられ、それを追求することは有意義だと思い、わたしも追求したく望む者ですが、実際にこのような祭りが行われているとしたら、わたしはそれはそっとしておかれるべきであろう、という気持ちが強くなります。

彼らアメリカ・インディアンは人類のために大きな役割をもっていると、わたしは思っていますが、彼らは文字なき世界の中で闊達に活躍しているものであろうと思われます。

彼らが西洋世界に対して、あまりものを言わないのは、おそらくそうすべき必然性があってのことなのだと思います。





*****

(引用ここから)


踊りの場所は、蛇キバの前にある広場で、地底からの出現の場所を表わす小穴=シパプニがそこにある。

春のポワム祭では、人類の出現の道を清めるために二人のカチナ、エオトトとアホリが水差しからこの穴の中に水を注ぎ込んだ。

小穴の上には音響版の役割を果たすハコヤナギの板が置かれている。

その背後にはハコヤナギの緑の枝で作られた隠れ家(キシ)があり、入口には毛布がかけられている。


16日目の午後早くに、キバから集められた蛇がすべてキシの中に運びこまれる。

人々は二列になって広場に入ってきて、広場を4回回る。


ガラガラの出すかすかな音が不思議な静かさを醸し出す。

キシの前を通る時に、一人一人はお辞儀をして小穴(シパプニ)を覆う音響版の上で足を踏みならす。


陰鬱な静けさの中で、鈍い足ふみの音はまるで地底世界からの低いうなり声のようにも聞こえる。

それが反響して、遠くの雷雲から来るとどろきのような音に聞こえてくる。


これは蛇・カモシカ祭り全体のクライマックスでもある。

これほど深く強烈な音は、他の祭りでは聴くことができない。


それは地上の者たちが祭を忠実にとり行っていることを下界の者たちに確信させ、同じ音を地軸に沿って響かせながら、地中深くの波動センターを呼び覚ます。

さらに地の四隅に向かっては、失われた白い兄に呼び掛け、彼が忘れられていないこと、来なければならないことを訴えかける。


神秘な呼びかけの解釈は明らかである。

これは地球と人間両方の体の最下位のセンターに、蛇のようにとぐろを巻いて眠っている創造的な生命力に、目を覚まし、主人の座に昇って神秘な結婚をするよう、命じるものなのだ。


力は現に昇って来る。

キシ(小屋)から長い列を作って立っているカモシカの動きにそれを見ることができる。


その力がゆっくりと湧き上がってくるにつれて、彼らは柔らかな歌声となり、蛇のように体を左右に揺する。


この時、蛇族の長はキシ(小屋)の前で足踏みをして後、体をまっすぐにして、口に蛇をくわえる。

蛇の首の真下を歯の間でしっかり押さえ、左手と胸の間に蛇の上体を固定し、右手は腰のところで蛇の下体を押さえる。


広場で踊り終えると、踊り手は口から蛇を離し、地面の上に置く。

第三の男(蛇集め)が解放された蛇に近づき、すばやく蛇をつかんで高々と挙げ、列をなして歌っているカモシカ族の一人に渡す。

渡されたカモシカ族の男は、のたうちまわる蛇を右手でやさしくなだめ、さらに歌い続ける。


(引用ここまで・続く)


*****


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ホピの祭り・・「蛇」宗団と「カモシカ」宗団の儀式(その1)

2010-03-07 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
間が空いてしまいましたが、フランク・ウォーターズ氏の「ホピ・宇宙からの聖書」(Book of the Hopi)から、ホピの一年を巡るお祭りの紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


今回は、蛇の祭りです。

「蛇」の祭りはスネークダンスとして有名ですが、蛇とカモシカがセットになって一つの祭りを構成しています。


*****

(引用ここから)


蛇・カモシカ祭りは、公式の出し物として世界的にも名が知られている。

この踊りでは、口に蛇をくわえたまま踊るのである。

それはホピの祭り全体の中でも最も理解しにくい部分であろう。

蛇祭りは笛祭りと交互し、一年置きに実施される。

祭りは16日間続き、作物の最後の実りのために雨を降らせることがその直接の目的である。


(以下、参加者から聞き書きしたもの)

キバの中の祭壇の全体は、「大地、風、水、植物、人類」の世界を表現している。

世界の創造を物語る歌と、水による清めで、祭壇作りの一つ一つが進められていく。


12日目、蛇が集められる。

蛇を祝福する儀式がキバで行われる。

集められた蛇がキバの床に放たれると、男たちは動かず、やさしい顔つきで歌った。

すると大きなガラガラヘビが一人の老人のほうに向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。

それから続々と蛇がこの老人に集まり、やさしそうな顔を覗き込んでは眠り始めた。

蛇はこうやって、心の清い人間を見分けているのだ。

蛇は、実際には人間を怖がりもしなければ、怒りもしない。

ただ人の心の中にあるものに対してのみ、とぐろを巻くのだ。

だから人はよい心を持ち、恐れを抱いてはならない。


次に、カモシカ族の青年と蛇族の少女の結婚の儀式が行われる。

この儀式の表の意味は、2宗団が一体化することにある。

だが、さらに深い意味があるのだ。

人体と地球は同じ構造になっているので、蛇が住む“地底”は、人体の最下位の波動センターに等しい。

逆にカモシカは、人体における最高位の波動センターに関わる。


カモシカの角は人体の“頭頂”=コパビにあたり、この場所は人間においては生命の出入り口、創造主と霊的な交わりをするための「開かれた扉」である。


したがって、蛇とカモシカは、人間の生命線の両端の極、粗雑かつ肉体的な極と、精神的・霊的な極を表わす。

霊的なものが肉体的なものを超え、また制御するように、カモシカ宗団は蛇宗団に勝り、その儀式のすべてを制御している。

したがって彼らの神秘なる結婚は、共通の儀式という(象徴的な)体内における二重の力の融合と言えるのだ。



走るカモシカは雷鳴の音をたて、その波動が彼らの社殿から雲を導き出す。

そのように、カモシカの踊りではまず雲が引き出される。

蛇は雲の中から命と雨を引き出す力を持っている。

このため、翌日の蛇踊りで雨がもたらされる。

(引用ここまで・続く)


*****


wikipedia「ケツァルコアトル」より

ケツァルコアトル(Quetzalcóatl)は、アステカ神話の文化神・農耕神である。また、風の神とも考えられた。

マヤ文明ではククルカンという名で崇拝されていた。

古くは水や農耕に関わる「蛇神」であったが、後に文明一般を人類に授けた文化神と考えられるようになり、ギリシア神話におけるプロメテウスのように、人類に火をもたらした神ともされた。

特にトルテカ族の祖神として篤く崇拝されていたが、アステカ族の神話に取り入れられてからは、原初神トナカテクトリとトナカシワトルの4人の息子の1人として、ウィツィロポチトリらとともに、創造神の地位にまで高められた。

「五つの太陽の神話」の中では太陽神としてのケツァルコアトルの逸話も残されている。

神話では平和の神とされ、人々に人身供犠をやめさせたという。

それ故に、人身供犠を好むテスカトリポカの恨みを買い、トゥーラ(又はアステカ)の地を追われた。

この際、金星に姿を変えて天に逃れたとも言われ、ケツァルコアトルは金星の神ともされるようになった。

これは10世紀ごろ、ケツァルコアトルを名乗っていたトルテカの王が、人身供犠に反対してトルテカの首都を追い出された事件からつくられた神話だとされている。

アステカにはケツァルコアトルへの人身供犠についての記録や遺跡などが多数あり、人身供犠に反対する神話が書かれたのはコルテスによる征服後だと推定されている。

その名は古代ナワトル語で「羽毛ある蛇」(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)を意味し、宗教画などでもしばしばその様な姿で描かれる。

また、白い顔の男性とも考えられている。

ケツァルコアトルは「セーアカトル(一の葦の年)に復活する」と宣言してアステカを立ち去ったといわれており、16世紀初頭にコンキスタドールが侵略してきた際、コルテスがメキシコに来た1519年が偶然にも「一の葦の年」と一致したため、アステカ人達は、白人である彼らをケツァルコアトルの再来かと錯覚し、対応を遅らせたとも言われている。



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