始まりに向かって

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野生動物の肉料理、広がる・・「昆虫食」展も盛況

2015-06-27 | 環境(ガイア)


                 ・・・・・

「ジビエの味、広がる?・・害獣対策で生産増、生食はNG」

                朝日新聞2015・04・06


イノシシやシカなどの野生動物の肉「ジビエ」を調理して食べる動きが広がりつつある。

農作物の食害対策をかね、国や自治体が流通を後押ししているからだ。

飲食店の他、店頭やネット販売で手に入るが、生で食べず充分加熱するなどの注意も必要だ。

東京・JR神田駅そばに2年前に開店した「焼ジビエ罠(わな) 神田」。

エゾシカ、ニホンシカ、イノシシ、カモなどの肉を網に載せて焼く。

真夏には最高の味になるというシカ肉の赤みをいただくと、ジビエ特有の臭さがまったくなかった。

店長の中尾健児さんによると、秘密は仕入れにあるという。

狩猟後に内臓の処理と血抜きをすばやく終わらせることで、臭味を抑えられる。

原則1時間以内に処理できる狩猟家と契約して仕入れている。



「味付けはシンプル。
気軽に焼いて、肉本来の味を楽しめます」

おいしく、かつ安全に食べるため、客にはまず、店員が焼いてみせる。

ステーキの「レア」のように、中が赤いのはNGだ。

肉の中心部までしっかりと火を通す。

野生動物による農作物の被害は各地で問題になっている。

5月には、捕獲事業の認定制度導入などで対策を促す改正鳥獣保護法が施行される。

その肉を地域振興にいかす取り組みも進む。

三重県は、解体から加工、販売まで、ジビエを扱う業者の登録制度を独自に作り、肉は「三重ジビエ」と名付けて商標登録した

県が自ら市場調査や営業活動を実施し、販路拡大を目指す。
イノシシとシカ肉の生産量は3年で3倍に増え、年間計6~8トンに上るという。

農林水産省は、処理加工施設の整備や商品開発、流通経路の確立を支援。

食肉利用のマニュアルを作成し、研修も実施している。

同省の調査では、野生動物の処理加工施設は2008年は42か所だったが、昨年6月現在は少なくとも146か所ある。

とはいえ、売る先がなく苦戦する自治体も多い。

農水省によると、30市町村が対象の限られた調査だが、食用に利用されるのは約1割。

中尾さんは「ジビエが日本の食文化に育てばいい。販路が拡大して消費量が増えれば、地域の農作物の保護につながるし、猟師の生活も守れる」と話す。

ジビエは家庭でも入手できるが、食中毒への注意も必要だ。

家畜に比べて健康状態がつかみにくく、病原菌や寄生虫、ウイルスなどを持っている可能性がある。

代表例がE型肝炎で、感染すると発熱や黄疸などの症状が出て、場合によっては劇症化して死亡することもある。

2003年には、鳥取県で野生イノシシの肝臓を生で食べた2人が感染、うち1人が死亡した。

厚生労働省は昨年11月、衛生管理の指針を全国の都道府県に通知した。

狩猟、加工、運搬、調理、販売での注意点を定め、食べる際には「75度で1分以上」加熱するなどの注意点をあげている。

同省監視安全課は「法改正で捕獲量が増えると予想され、ウェブページも含め、一般にもわかりやすく周知したい」という。


             ・・・・・

 

「昆虫食展、意外な人気・・伊丹で17000人来館」
                  朝日新聞2015・04・21

コオロギの素揚げ、蜂の子のつくだ煮、、昆虫食をテーマに、兵庫県の「伊丹市昆虫館」が開いた企画展が好評だ。

2か月で予想を上回る約17000人が来館。

会期は3週間延長されて、今月27日までに。

タイトルは「昆虫食・・とる・つくる・たべる」。

国内を含む世界各地で食べられている約40種類の昆虫料理を、タイ・カンボジアの露店などで買い付けた。

実物やそのレシピ、写真などで紹介する。

企画したのは副館長の坂本さん。

タガメの飼育を担当していた16年前、タイでタガメの素揚げを食べ、柑橘系のさわやかな味に感動。

東南アジアを中心に、昆虫を食べ歩いた。

国連食糧農業機関によると、世界の約20億人が約1900種の昆虫を食べている。

昆虫は高タンパクで、カルシウムも鉄分も豊富。

企画展でこれまでに開いた試食会では、カイコのさなぎの素揚げなどをふるまい、盛況だった。

                ・・・・・

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タイの人々と、学び合う・・紀子さま父の実践、18年目に

2015-06-24 | アジア


秋篠宮紀子さまのお父様の記事がありました。

18年は長いと思います。


           ・・・


「村人から学ぶ」タイで支援18年・・紀子さま父・川嶋さん発案、養蜂復活
                        朝日新聞2015・03・05


タイ北部の山岳少数民族の村に20年近く通って、土木作業や養蜂技術の指導に汗を流すボランティアグループがある。

率いるのは秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大名誉教授(74)。

今年も先月、現地入りした。

「与えるのではなく、村人から学ぶ」姿勢に徹した支援は、互いの言語を学び合う活動へと広がっている。

NPO法人「草の根国際協力研修プログラム」の頭文字から「GONGOVA」(ゴンゴバ)と呼ぶ活動。

1997年に学習院大の課外活動プログラムとして川嶋さんが始めた。


当初は研究室の学生や卒業生が中心だったが、2011年の退任後は、参加者は全国へ広がり、今回は東京、大阪、埼玉、山口、沖縄などから15人が参加。

2月20日に日本を発って、現地に入った。

活動先は、数十人から100人前後が自給自足で暮らす、カレン族の村落。

川嶋さんがトレッキングでタイを訪れた際、ガイドから水くみが大変だという話を聞いたのがきっかけだった。

村の技術を使い、村人とともに、村に水洗トイレを整備し、共同の給水施設を造る。

校舎の建設や太陽光パネルの設置もする。

地元で途絶えていた養蜂も東洋ミツバチの導入と技術指導で復活させ、主要産業の一つに育てた。

資金は日本での募金で集め、資材は主にタイで調達して村人に工賃や食費を払う形で、18年間に10村以上で活動してきた。




活動拠点の一つホエヒンラートナイ村に滞在して5年になる川嶋研究室出身の富田育磨さん(42)は「村の生活と村人の意欲を徹底して尊重して、村の技術を使って村人と一緒に進める。だから喜ばれ、継続するのでは」と話す。

この1、2年は村人の間で日本語学習熱が高まり、富田さんが夜、村の長老の家などで村人に漢字や仮名を教えるようになった。

今では、会話ができる人も数人いるという。

参加する日本の学生にも現地語である白カレン語の習得を目指す人が増え、互いに学び合っている。

「言葉を学ぶということは、相手をより深く知りたいという思いの発露。活動が受け入れられてきた成果でしょう」と富田さん。

昨年参加して白カレン語を学び、今回も参加している東京女子大2年の塩原佑実さん(19)は

「現地の言葉で話すことで、村人がより身近になる。ゴンゴバに参加して、どこに住んでいても人は皆同じなんだと実感しました」という。

下準備や引率で毎年数回現地入りし「タツ」の愛称で村人や学生に親しまれている川嶋さんは

「ともに喜び合うボランティア。ぼくらが学ぶチャンスを村にいただいています」と話す。



「〝大学発″の先駆け」

放送大学の「国際ボランティアの世紀」という講座でゴンゴバの活動も紹介している山田恒夫・同大教授の話。

約10年前から現地での活動を数回視察してきたが、衛生状態の改善から始まって生活環境の整備、産業の育成、さらに語学や文化交流まで、村のニーズの変化をよく把握し20年近く続けている点で特筆すべき活動だ。

日本語熱の高まりは、支援が村人にとてもよく受け入れられてきた証しで、国際ボランティア団体としては未踏の領域に入っている。

「大学発」の国際ボランティアの先駆けであり、経験は非常に貴重だ。

 
              ・・・・・



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諏訪神社の御頭祭と、イサクのいけにえ・・日ユ同祖論の検証(7)

2015-06-20 | 古代キリスト教


ひき続き、清川理一郎著「諏訪神社 謎の古代史・・隠された神々の源流」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

謎めいた諏訪神社の奇祭・御頭祭と「旧約聖書」を比較しています。


            *****


         (引用ここから)


次に、「みさくち神」をより一層理解するために

m-isaku-chi(接頭語―イサクー蛇の古語)と分解してみる。

イサクとして考えるということである。


次に挙げるのは、江戸中期の国学者で紀行家の菅江真澄が描写した江戸時代の「御頭祭」・「御神神事」の模様である。

            ・・・・・

神長(かみおさ)が篠の束の縄をほどき、それをばらばらにして、・・先のとがった柱を押し立てる。

これを御杖(おつえ)とも、御贄柱(おにえばしら)ともいう。

「御神(おこう)」と呼ばれる8才くらいの子どもが紅の着物を着て、この御柱に手を添えさせられる。

人々が、子どもを御柱ごと、力を合わせて竹のむしろの上に押し上げて置く。

そして神の子ども達を、桑の木の皮をよりあわせた縄で縛りあげる。

大紋を着た男が、藤蔓が繁っている木の下に行き、家を造った時屋根に刺した小さな刃物を8本投げる。


いよいよ祭りは最高潮となる。

諏訪の国の司から来た使者の乗った馬が、登場する。

その馬の頭をめがけて、人々は物を投げかける。

しかしこの馬はとても早く走る。

この馬を、今度は子ども達が大勢で追いかける。

その後ろから、例の御贄柱を肩に担いだ神官が「御宝だ、お宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを5個、錦の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走りだす。

そして神の前庭を大きく7回まわって姿を消す。

そして長殿の前庭で、先にくわの木の皮で縛られていた子ども達が解き放たれ、祭りは終わった。

十間廊には鹿の頭が75個、まな板の上に並べられていた。

その中に、耳の裂けた鹿がいた。

その鹿は、神様が矛で獲ったものだという。

            「菅江真澄の信濃の旅」信濃教育会出版部刊


謎に満ちている。

御神(おこう)という子どもを、御贄柱とともに押し上げ、その後、子どもを立木に縄でしばりつけるのは何ゆえか。

                   (藤森照信氏筆)


            ・・・・・

「旧約聖書」との対比を試みた。

菅江真澄が描写した御頭祭の「御神生贄の神事」は、「旧約聖書・創世記」22章の記述とぴったり合致するようだ。


             ・・・・・

「創世記22章」

これらのできごとの後、神はアブラハムを試練に会わせられた。

神は仰せられた。

「あなたの子、あなたの愛している一人子イサクを連れて、「モリヤの地」に行きなさい。

そしてわたしがあなたに示す山の上で、全焼のいけにえとして、イサクをわたしに捧げなさい」。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎをとり、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取った。

二人は一緒に進んだ。

アブラハムは答えた。

イサク神ご自身が、全焼のいけにえの羊を供えてくださるのだ。

二人は神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。

そしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭りのたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀をとって、自分の子を殺そうとした。

その時、主の使いが、天から彼を呼んだ。

「アブラハム、アブラハム」と仰せられた。

御使いは仰せられた。

「あなたの手をその子に下してはならない。その子になにもしてはならない。

見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいる」。

アブラハムは行って、その雄羊を捕り、それを自分の子の代わりに全焼のいけにえとして捧げた。

           
             ・・・・・


「御頭祭」で、国の司から馬に乗った使者が登場し、さらに「御贄柱」を肩に担いだ神官が現れるが、これは「創世記」で、アブラハムにイサクの生贄を止めた神の御使いを意味すると思われる。

また、「供物として並べられている75の鹿の頭の中の、耳の裂けたものは、神様に選ばれたもの
だ」と菅江真澄は書いているが、この鹿は「御神(おこう)」の生贄の身代わりの鹿である。

「旧約聖書」では鹿ではなく羊を身代わりにしているが、「創世記」22章の記述に合致する。



次に紹介するのは、神長官「守矢家」に伝わる「御家紋」についてである。

この「御家紋」は、○に十字である。



この紋の由来について、確かなものは何も残されていない。

この紋と同じ紋で有名なのが、島津家の紋である。



この紋の起源については諸説あるが、世界的に古くからあったようである。

わたしが賛同する説は、シュメール学の世界的権威・広島大学の吉川守教授の説である。

岩田明著「十六菊家紋の謎」の中で、紹介されている。

それによると、○に十字は、シュメールの古拙楔形文字で、羊を指すと言う。

恐らくシュメール人が、羊の歩く姿を後ろから見て作ったのではないか、という説である。

わたしはこの文字がそのまま「守矢家」の「御家紋」になったものと思う。

わたしは、神長官「守矢家」は、「旧約聖書」の世界、古代オリエントと密接なつながりがあり、「イサク」伝承とともに諏訪に持ち込まれ、「守矢家」の「ご家紋」として残されたと考える。

諏訪大社の上社・下社の「神紋」は、図のようである。



上社前宮の「守矢家」の「御家紋」が、二社のご神紋とまったく異なるという事実は、「洩れ矢神」、「守矢神」、「イサク神」の系統や由来が、一般に「諏訪大社」と呼ばれる二社のそれとは明確に違うということを如実に現しているものと思われる。



わたしは「日ユ同祖論」を全面的に支持はしない。

しかし古代の日本に、イスラエルの部族の中のいくつかが来ていたことは確かだと思う。

小石豊著「日本ユダヤ連合超大国」で、小石氏は「わたしはイスラエルに行って、十部族調査機関・アミシャーブ方々とお会いした。

それは互いの神話と神話が対話した初めての会合で、ささやかではあったが、歴史的には意義あるものだった。

なぜなら多くのユダヤ人の口から、直接熱心に「日本人こそ十部族に違いない」と言われたからである。

更に十部族問題について研究を進めておられる大学教授の方々や、政府高官ともお会いした。

そしてユダヤ人が真剣にこの問題に取り組んでいることを確認した」と述べておられる。

イスラエル側の、「十部族」と日本に関するこのような熱心な対応に対して、日本側の対応はどうであろうか?

文中のアミシャーブとは、イスラエルにある「十部族」の行方を世界的規模で追跡している調査機関で、代表はラビのエリ・アフアビハイル師である。
 
            
             (引用ここまで)

写真(上)は、守矢家の家紋
HP「from八ヶ岳原人」さまよりお借りしました。
写真(中)は、島津家の家紋  wikipedia「島津家」より
写真(下)は、本書より

             *****


著者の考えと同じく、わたしも「日ユ同祖論」を全面的に支持するわけではありません。

しかし、一笑に付すのはもったいないような気もするのです。

日本、アジア、中東、、混沌とした世界が現前するのは、スリリングです。

ひき続き、Aのようでもあり、Bのようでもある。しかしAでもなければ、Bでもない、、というような世界を追いかけてみたいと思っています。



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諏訪神社の守矢(モリヤ)山と、イスラエルのモリヤの丘・・日ユ同祖論の検証(6)

2015-06-17 | 古代キリスト教



日本の中のユダヤ、という視点をもった本として、清川理一郎著「諏訪神社 謎の古代史・・隠された神々の源流」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

諏訪神社については、後日もう一度研究したいと思っています。


              *****


            (引用ここから)


諏訪大社の前宮の祭神は、「みさくち神」と「洩矢(モレヤ)の神」である。

「みさくち神」は、樹や笹や石に降りてくる霊魂や精霊で、人にも憑く神である。

そして「みさくち神」の祭祀権を持っていたのが神長官(かみおさ)で、神長官は代々、「守矢(モリヤ)家」の世襲となっていた。

室町時代初期の「諏訪大明神画詞(えことば)」によると、古い時代、建御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪に侵入した時、この地の「洩れ矢(モレヤ)神」を長とする先住部族が、天竜川河口で迎え撃ったが、「洩れ矢神」が敗北した、と伝えている。

「神長官・守矢氏系譜」によれば、この「洩れ矢(モレヤ)神」が「守矢(モリヤ)家」のご先祖神で、現在の「守矢家」のご当主は、78代目にあたられる。

「洩れ矢神」に戦勝した「建御名方命」の神は、「諏訪大明神」となり、この系列の諏訪氏からは「大祝(おおほうり)」という生神様が生まれた。


「洩れ矢神」の子孫の「守矢氏」は、神長(かみおさ・のち神長官)という筆頭神官の位についた。

神長は、大祝(おおほうり)の即位の時の神降ろしの法、神の声を聴く呪術、「みさくち神」の上げ・降ろしの技法などの力を持つ神官とされ、古い時代には、この地の祭祀の実権は「守矢氏」が持ち続けたと伝えられている。

神長がおこなう神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、一子相伝により「口うつし」で伝承された。

その内容は

「みさぐち神」祭祀法

冬季の「御室(みむろ)神事」の秘法

「御頭祭」の御符礼の秘法など、75回の年中行事の秘法

などであった。


「御頭祭」は、4月15日に行われる。

上社の年中行事の中で、最も重んじられてきた行事である。

古くは前宮の十間廊を中心に行なわれ、「御神(おこう)」の神事、75の鹿の頭の奉納、猪、鹿、
鳥、魚を、大祝や神官が供膳する神事が行われた。

一連の神事の後、前宮から、「御神(おこう)」と呼ばれる神のお使いの童男が諏訪の近隣の地域を巡視する。

これを「湛え(たたえ)神事」という。

「湛え神事」は廻り神とも言われ、主役は御祭神のお使いである神使という「大祝」の代理となった童男である。

袖の長い紅色の服をきて、御杖柱を背負い、首には錦の袋に納めた御宝(御宝鈴・鉄たく(さなぎ))をかけ、馬に乗る。神使は行く先々の「湛え」とよばれる特定の七樹、七石のある所で、鐸を
振り鳴らし、「みさくち神」を降ろす。

「御室(みむろ)神事」は、12月22日に「神原」に作られる竪穴の中で、神職が、第一のご神体・「みさくち神」と第二のご神体・「そそう神(蛇神)」と一緒に過ごす冬の神事である。

古い時代には、翌年の3月末までの間続いたという。


前宮がある場所を「神原」という。

諏訪大社の社伝によれば、「諏訪大神」がはじめて出現された地であるという。

「神原」には、室町時代中期まで「大祝」の神殿があった。

現在では祭祀だけが残っている。

「神原」の祭祀は、「みさくち神」のものであり、諏訪の人々にとって、諏訪の神とは、「みさくち神」であった。


さて、わたしは1991年に開館した長野県茅野市の「神長官守矢資料館」を初めて訪れたとき、「みさくち神」の「御頭祭」を復元した展示物を直に見た。

またその祭りには75頭の鹿の頭が神に供えられることを知り、これは外来の狩猟民、あるいは遊牧民の祭祀ではないかと考えた。

また、「守矢神」の音読み=モリヤは、エルサレムの聖地「モリヤの丘」に関係するのではないかと考えた。

さらに、「みさくち神」は漢字で数10通り書けて、漢字表記の定説がない。

このことから、「みさくち神」とは日本でつけた音読みの神名で、元からの神名はこの音読みの中にあると考えた。

高橋正男著「旧約聖書の世界」によれば、「旧約聖書」の舞台となったカナンの地には、古くから、聖地に結びついた地縁神、すなわち山河、樹木、石などの、一定の土地と結びつく土地神の信仰があり、その信仰はカナンのパンテオンの主神がエルであった古い時代にさかのぼるという。

「モリヤの丘」とは、「ヤハベが備える地」、あるいは「ヤハベ顕現の地」という意味である。

そしてアブラハムが、イサクを捧げるよう命ぜられた地でもある。

神ヤハベが、いけにえの羊を用意された場所でもある。

「守矢(モリヤ)山」、神職の「守矢(モリヤ)氏」との符号を感じざるを得ない。


              (引用ここまで)


               *****


突拍子もない話のような気もしますが、「日ユ同祖論」の論拠としては有名なものなので、収録しました。

諏訪大社の伝承については、縄文時代に遡る歴史をもつものとして、何度も検証していますが、もしかしたら、ユダヤ人のお祭りなのかもしれません。


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外国人労働者・・日本、シンガポール、韓国

2015-06-13 | アジア


〈 きつい仕事、外国人頼み・・受け入れ停止、農家困惑 〉

                      朝日新聞2014・12・25


メロンの産地として知られ、約7000人が農業で働く茨城県鉾田市。

市内の外国人技能労働実習生約1600人の多くが、農業で働く。

騒ぎはこの夏に起きた。

「JAほこた」の組合員農家が中国人実習生に対し、残業代を払っていなかったことが発覚。

東京入国管理局は7月、27家に実習生の受け入れを5年間停止する処分を出した。

実習生は、「割増し賃金の不払いがあった」と訴え、組合長は辞任に追い込まれた。

「JAほこた」は、管理団体として、実習生を受け入れ、受け入れ労働環境をチェックするのが仕事だ。

農家の怒りの矛先は「JAほこた」に向かった。

「農家を適切に指導しなかった」との理由だ。

だが「JA」にも言い分がある。

労働基準法は残業に対し、割増し賃金を払うよう、義務づけるが、天候で作業時間が変わる農業は適用されてこなかった。

「JAほこた」によると、同じ姿勢だった東京入管は一転して、割増し賃金の支払いを求めるようになった。

昨年3月農林水産業が、農業でも割増し賃金を支払うよう求めたことがきっかけと見られる。

制度の運用がころころ変わり、現場に説明がいきとどかず混乱した。

そもそも管理団体は、同じ地域や業種で設立されることが多く、雇い主と管理団体トップが同じであることも珍しくない。

実習生問題に詳しい弁護士は「管理団体が受け入れ団体と監視役の両方を担っていることが、劣悪な待遇を放置する一因だ」と指摘する。

管理団体とともに、農家に指導する立場の「国際研修協力機構」に対し「JAほこた」は昨年500万円の賛助金を支払ったが、巡回するだけだったという。

処分を受けた農家は、実習生に代わる担い手がみつからない。

「JAほこた」は言う。

「農業をしてくれるなら、実習生はもちろん、外国人労働者でもいい。
選択肢を増やしてほしい」。



〈 国民不満抑制策へ転換・・シンガポール 〉

1990年代から積極的に外国人を受け入れてきたシンガポール。

中心部のインド人街に、夜になると多くの人が集まる。

外国人労働者支援団体による給食プログラムだ。

建設現場や工場で、怪我をしたり、賃金が未払いだったりして、収入のない労働者が、コインを受けとり、レストランで食事と交換する。

バングラデシュ人のアクラム・フセインさんは、昨年5月、工事中に大怪我をし、2か月で12回も手術をした。

だが、手続きが煩雑で、十分な保険金も受け取られない。

「シンガポールに来なければよかった」と嘆く。

シンガポールは日本をしのぐペースで少子高齢化が進み、外国人労働者は今年6月で約134万人と、人口の4分の1を占める。

政府はいま、外国人抑制策に乗り出している。

11年の総選挙で、与党が議席を減らした背景に、外国人労働者の多さに対し、自湯が脅かされる国民の不満があるとされる。

今年8月、管理職や専門職の一部について、国民のみに2週間の求人を出すことを義務づけた。

外国人労働者のトラブルも増えている。

労働者を支援するNGOでは、「自国民と等しい条件で雇えば問題は起きない」と指摘する。



〈 政府が前面、ブローカー排除・・韓国 〉

日曜日の午後。

ソウル市内にある「韓国外国人力支援センター」で、韓国語の授業が始まった。

東南アジアなどから来た労働者が、韓国人講師から言葉を学ぶ。

センターは政府が設立し、社団法人に運営を委託している。

「ただで教えてもらえて、本当にありがたい」。

最前列のフィリピン人男性は、笑顔で語った。

韓国で働くのは2度目。

最初は2005年から3年間。

南東部の工場で働いた。

就労期限がきたので、台湾に移り、昨年再び韓国に戻った。

今は仁泉市内のカーアクセサリー工場で働く。

「韓国人との間に賃金の差別はないし、部屋も食事も会社が提供してくれる。
とても満足している」。

男性は、韓国が2004年に導入した「外国人労働者の雇用許可制」に基づいてやって来た。

韓国政府と外国人労働者を送り出す国が「覚書」を結び、両国の公共部門が労働者選定にかかわる。

「覚書」の締結先は、当初の6か国から15か国に増えた。

受け入れ期間は基本的に3年間だが、一定の条件を満たせば最長で通算9年8か月働ける。

少子高齢化が進む韓国では現在、他の制度の適用者も含め、約85万人が製造業や農・畜産業で働いていると見られる。

韓国ではきつい肉体労働などを避けるムードが広がり始めるなかで、1993年、日本の「技能実習制度」に似た「産業研修生制度」を始めた。

だが、労働者としての権利が保障されず、低賃金で働かされる例が続出、不法滞在者も急増したため、現在の制度に移行した。

政府が前面に出て、悪質なブローカーなどは排除され、在留外国人に占める不法滞在の割合も、2004年の27・9パーセントから今年9月には11・8%に低下。

日本政府も、「技能実習制度」の見直し策として、送り出す国との取り決めの締結を検討する。

中島・慶大教授は「企業や団体が自らの利益のために制度を利用するのは当然で、日本は制度を抜本的に見直す必要がある。労働力として受け入れればトラブルにも両国で責任をもって対応するようになる」と指摘する。

               ・・・・・

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少数者としての、移民・難民の受け入れ

2015-06-11 | アジア


またまた古くなった記事ですが。。

問題はひとつも解決していないので。。



「日系人や難民申請者の声、政治家のみなさん、聞いて。」
                       朝日新聞2014・12・25


衆議院の自民圧勝を受けて24日、第3次阿部内閣が発足した。

戦後最低の投票率のかげで、日本で働く外国人や彼らを支援する人々は、どのような思いを抱いたのだろうか?


「学校に通えず、教育で差別」

浜松市。

1990年の入管法の改正で、日系人の単純労働が例外的に認められ、工場などで働く日系人らを含む、約8000人のブラジル人が暮らす。

日本で生まれたり、幼少期から日本で育ったりした「第2世代」と呼ばれる若者も多い。

Oさんもそんな一人。

両親と共に4才で来日。

中学校にはほとんど通わず、13才の時からアルバイトで家計を助けた。

外国籍のため、義務教育の対象外だ。

溶接工の資格を持つが、建設現場や工場での待遇はいつも派遣社員だ。

「選挙権はないが、教育や就職で外国人と日本人の間に差別がない社会にしてくれる政治を期待しています」。


阿部政権は、労働力として外国人に期待する反面、移民政策には否定的だ。

だが日系人の中には、事実上移民のように暮らしている人たちがいる。

Oさんのように義務教育を十分に受けられずに大人になった日系人も少なくない。

浜松市では、学齢期の小・中学生への学習支援に取り組む。

しかし教育を受けずに社会に出た「第2世代」への支援はほぼ手つかずだ。

日系人の教育支援に取り組む浜松学院大の津村教授は「日系人への教育や社会保障などには十分手が回らず、同じ人間というよりも、安い労働力としてしか見ていない」と指摘した上で、

「少子高齢化の中で、日本は外国人の労働力に期待している」。

「それなら、共に社会を築く仲間として、彼らの声に耳を傾けなければ」と話す。



「長期間の収容、ひどい」

難民として日本にやってくる外国人も、増えている。

茨城県牛久市の「東日本入国管理センター」。

難民申請が認められないなどの理由で、不法滞在になった外国人らが収容される施設だ。

同県つくば市の田中さんは、施設での難民申請者の処遇改善を訴え続ける。

「今年3月、収容中に体調不良を訴えた2人が、相次いで死亡した。

先進国の中で、日本は難民の扱いがひどい。

世界から人権感覚を疑われています」。

法務省によると2013年の難民認定申請者は過去最高の3260人一方同年に難民と認められたのは6人だ。

「国連難民条約」に加入する他国と比べると、認定された難民は著しく少ない。



「自民一強体制、増す不安の声」

阿部首相は昨年9月、国連総会の演説で、シリア難民へ6000万ドルの人道支援を表明。

一方日本では、難民申請者でも長期間にわたり施設に収容されることもある。

「国連人種差別撤廃委員会」は、報告書の中で、「収容は最後の手段として、かつ出来得る限り最短の期間において利用されること」、と日本に勧告した。

田中さんは「自民一党体制の下で、難民支援のような少数派の意見に耳を傾ける政治がますます遠のいていく気する」と案ずる。

民主党政権下で「永住外国人法的地位向上推進議員連盟」の事務局長だった川上・前参議院議員は

「より多様な意見を取り入れた、寛容な社会を実現するには、少数意見が聞き入れられる仕組みが必要だ」

と話す。


             ・・・・・


             ・・・・・




(再掲)「難民申請、初の5000人 昨年認定は11人・・就労目的一因か?」
                     朝日新聞2015・03・11

日本で難民認定を求める外国人が2014年、初めて5000人に達した。

2013年に初めて3000人を突破したが、さらに5割増えて、過去最高を大幅に更新した。

就労目的で来日した外国人が、難民申請が増えていることが要因の一つと見られる。

一方、難民と認定された外国人はわずか11人に留まる。

日本の認定基準の厳しさが、改めて浮き彫りとなった。

法務省入国管理局によると、難民認定を申請した人は、10年前には384人だった。

昨年は国籍別では、ネパール人が1293人で、初めて最多となり、トルコ、スリランカの順に多かった。

日本は繰り返し申請ができ、申請中は強制送還されない。

また、2010年にあった制度変更によって、在留資格を持つ人に限り、申請の半年後から就労が認められる。

入管局は、こういった制度が口コミで広がり、申請急増につながっていると分析する。

うその申請を手助けするブローカーの存在も明らかになっており、入管局は昨年ネパール人の男を摘発した。

難民は人種、宗教、政治的な迫害の恐れを理由に認められるが、日本はその審査が厳格で、数万人規模で受け入れる欧米諸国より、きわめて少ない状況は変わっていない。


             ・・・・・


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内村鑑三も支持していた・・日ユ同祖論の検証(5)

2015-06-06 | 古代キリスト教



宇野正美著「古代ユダヤの刻印」という本を読んでみました。

もちろん日ユ同祖論なわけですが、内村鑑三がこの説を肯定していたということは、初めて知りました。

これは、本の書き出しの部分です。

前回の記事でご紹介した対談本の中で、中丸薫氏とトケイヤー氏が、意気軒昂に語り合っていたのも、このようなことなのだと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****


           (引用ここから)

日本および日本人は、自信をもつことができる。

それは、従来の日本人的発想からは湧いてこない。

世界的発想とでもいうべき、「聖書」からの発想である。

とかく日本人は、「聖書」といえばキリスト教の経典と思いがちである。

しかし聖書は、キリスト教の経典ではない。

「旧約聖書」が世界最古のものであり、この中から、ユダヤ発想、イスラム発想、そして欧米発想が生まれ出てきたのである。

それゆえに、〝聖書的発想″が世界に通じるものなのである。

本書のテーマである「古代ユダヤの刻印」とは、今から約2700年前から数度にわたって、日本に古代ユダヤ人達がやって来ていた、ということである。

正倉院といえば、奈良時代の御物が納まっている。

納まっている御物は、日本のものだけではない。

世界中から集められた。

西アジアから、シルクロードを通ってやってきたものも多くある。

その時も、ペルシア人たちと共に、古代ユダヤ人たちが日本に来ていたのである。


〝聖書的な発想″では、日本はどのようになるのであろうか?

聖書の約束の根本、すなわち古代ユダヤ人達の始祖であるアブラハムへの、神の約束は次のごとくである。

             ・・・

「その後、主はアブラハムに仰せられた。

あなたは、

あなたの生まれた故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるも
のとしよう。

あなたの名は、祝福となる。

              (「創世記」12章1節)

             ・・・

この言葉は、欧米人ならば誰もが知っている有名な言葉である。

アブラハムの子孫は、必ず祝福される。

大いなる試練を通っても、必ず復元する。

日本の歴史を鑑みてみよう。

元軍が来襲したこと。

幕末維新の間の混乱期、日露戦争。

何をとってみても、日本は完全に復元したではないか?

あたかも、このはるか以前の〝約束″が、日本の歴史の中に生きているようである。

たとえ古代ユダヤ人の子孫が、全世界のいたる所に散ったとしても、必ず元に戻ってくるとい
う約束である。

このことは、言葉を変えれば、古代ユダヤ人は、いついつまでも生き続けているということになる。


かつて日本は多民族国家であったことを忘れてはならない。

この日本列島に、東西南北さまざまなところから、人々が渡って来た。

その中に、古代ユダヤの人々が幾度もやってきていたということである。

古代ユダヤの血統はほぼ純潔な形で、ある地域に残っているのである。

今から約2600年前の「エゼキエル」の言葉も、「旧約聖書」の中にある。

             ・・・

彼らに言え。

神である主はこう仰せられる。

見よ。

私は、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く

                (「エゼキエル書」37章21節)


             ・・・


モーゼと同じように、全世界いたるところにユダヤ人達が散っていても、元の国、すなわち三大大陸の要である「パレスチナ」に帰還することが述べられているのである。

今日のイスラエル国家のことを指しているのではない。

将来本当にユダヤ人たちが全世界から「パレスチナ」に帰ってくると言っているのである。

日本に来ている古代ユダヤ人とは、「本当のユダヤ人」、すなわち、アブラハムの血統を受け継いだ人々なのである。


では「本当のユダヤ人」とは、何なのか?

かくのごとく、日本に古代ユダヤ人達がいる限り、日本は復元する。

そのことは全世界の多くの人々が、〝聖書的発想″によって認めるところなのである。


大正年間1924年11月、内村鑑三は述べた。

             ・・・

「日本人のうちにユダヤ人の血が流れていることは、早くから学者の唱えたところである。

かつてある有名なるヨーロッパの人類学者が、京都の市内を歩きながら、行きかう市民のうちに、まぎれものなく多くのユダヤ人があると見て、指さして、これを案内の日本人に示したとのことである。

その他、日本人の習慣の中にユダヤ人のそれに似たるもの多く、また、神道とユダヤ教との間に、多くの著しき類似点あり、という。

今日のアメリカの日本人排斥に対して、その国一派のキリスト信者が「日本人=イスラエル説」を唱えて、多いに日本人のために弁じたことを、私たちは知っている。

日本人の「敬神」に、ユダヤ人的の熱誠あるは、人の良く知るところである。

                (「内村鑑三著作集」24巻)

             ・・・


内村はこのことを、「日本の天職」という論文の中で書いた。

日本および日本人には「天職」があると言う。

もしそうだとするなら、それを経済的に終わらせず、もっと時間と空間を超えた、世界的影響力を持つものにすべきであろう。


         (引用ここまで)


           *****


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若者たちよ、世界を目指せ・・フィリピン、中国、台湾

2015-06-03 | アジア
国のわくを超えて、海外の友人たちと連なる若者たちの記事を集めました。

            ・・・




「装飾ブランドをフィリピンの先住民族と起こした・山下彩香さん」
                   朝日新聞 2015・01・21

               

戦いの後に奏でたと言われる「平和の竹笛」をかたどったピアス、竹の根でこしらえたネックレス。

作者は、フィリピン・ルソン島北部の山岳先住民族カリンガ族の職人だ。

2年半前、「エダヤ」というブランドを作り、オンラインストアなどで彼らのアクセサリーを売っている。

自らもデザインに加わる。

「伝統を次の世代に継ぐ、支えになりたい」

東大大学院でフィリピンの金鉱山を研究して、そこで働くカリンガ族に関心をもった。

豊かな音楽や工芸をもつ民族だが、それだけでは食べていけない。

鉱山で、金を手掘りし、作業に使う薬品の中毒で亡くなる人がいた。

若者は出稼ぎで山を下り、伝統文化の継承は難しくなっていた。

現地に工房を建てた。

地元の老人に山の管理を託され、アクセサリーの材料にはそこに生える竹を使っている。

今は月に30万円の売り上げがある。

カリンガ族への思いが強いのは、自分も「少数者」という自覚があるから。

生まれつき左の耳が聞こえない。

それを知られたくなくて、友人が右に来るようにいつも自分の居場所を気にしていた。

カリンガ族に関わって、そんな自分も解放されたという。

「民族の技が世界で認められれば、誇りを持てるはず。

「少数者」として、根を張って生きていける」。

これは自らに向けた言葉でもある。


              ・・・



「中国への感謝を胸に再出発・・俳優・小松拓也」
                     読売新聞2014・11・01


フジテレビ系の昼の帯番組「バイキング」の火曜日レポーターを務める。

時には体を張るVTR出演だが、本業は俳優。

実は中国では、道を歩くと声をかけられるほど知名度が高い国際派だ。

高校3年でスカウトされ芸能界入り。

所属事務所に中国語の勉強を勧められ、台湾に留学し、2007年には中国本土の勝抜型オーディション番組に挑戦。

80000人の中から外国人としては唯一のトップ20位まで進出して注目を集めた。

日本人が勝ち抜くことで、ネットなどでは「日本へ帰れ!」などの中傷もあったが、「過去ではなく、未来も見るべきだ」との意見が飛び交った。

「僕の話題でいろんな論争になることに驚いた。異国で支えてくれる人の温かさも知った」と話す。

心に残るのは「日本人が嫌いでした。だけど礼儀正しく、ひたむきな姿を見て応援するようになりました」という10代後半の少女からのメッセージだった。

拠点を上海に移し、現地のテレビやイベントに引っ張りだこだったが、尖閣列島問題で仕事のキャンセルが相次ぎ、去年帰国。

「ゼロから再出発。中国の方々への感謝は忘れない。日本でがんばり、恩返ししたい」。


               ・・・



「台湾で日本を紹介する雑誌を創刊した 許哲寧(シュイ チョーニン)さん(23)
                     読売新聞2015・03・23


本州の弓なりの形から日本刀、サンマへと連想がつながった。


昨年11月、日本文化を紹介する雑誌を台湾で創刊。「秋刀魚(サンマ)」と名付けた。

本や大衆文化の紹介など、ソフト路線で人気を集める。

台湾の夜間大学で印刷を学びながら、昼間は書店や出版社で働いた。

取材を通じ、ファッションや食など台湾の生活に「日本」があふれていることに気づく。

日本をテーマに雑誌を作ろう、と決めた。

初めて来日したのは、2年前の旧正月。

格安航空のチケットを買って、アイルランドのバンドのコンサートを聴きに行った。

もともと日本に詳しかったわけではない。

台湾も経済発展を遂げ、「日本とそれほど変わらないだろう」と思っていた。

東京の街を歩き回り、カルチャーショックを受けた。

書店に並ぶ雑誌の種類、CD店の品ぞろえ・・。

「欲しいものがなんでもあった」。

「知りたい日本100」を特集した創刊号は、3000部を完売。

京都の旅行事情を特集した第2号は、4500部を刷った。

市場規模の小さい台湾では、順調な滑り出しだ。

レトロな装丁も目を引き、大型書店も「台湾人の好みをとらえている」と販売促進に力を入れる。

世界で最も親日的だといわれる台湾だが、意外にも日本文化を紹介する定期刊行物は少ない。

社員は3人とまだ小規模だが、「さまざまな日本をパッケージにして届けたい」。

               ・・・

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