21世紀研究会編「イスラームの世界地図」を読んでみました。
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(引用ここから)
イスラームの教えは、7世紀のはじめにおこった。
「旧約聖書」、「新約聖書」が成立した後、つまりユダヤ教、キリスト教が成立した後だ。
ムハンマドが610年から632年まで、大天使ガブリエルを通じて受けた神の啓示を記したという「コーラン」に、
「「旧約聖書」に登場するアブラハムとその子イシュマエルが、メッカにあるカーバ神殿を建てた」と記されているように、ユダヤ教とはその成り立ちから深いかかわりがあった。
なぜならイスラム教のアラーとは、ユダヤ教徒たちが言うところのヤハベと同じ神なのだ。
ちなみにアラーとは「神」ということであり、英語でいえば「ゴッド」ということになる。
だからアラビア語では、キリスト教徒の神もユダヤ教徒の神も、アラーとなる。
したがってイスラム教では、「旧約聖書」に登場するアダム、モーゼ、イエス・キリスト、ムハンマドに至る人々が、すべて「イスラームの預言者」ということになる。
ちなみに「預言者」とは神の言葉、メッセージを預かった人ということであり、予言者ではない。
唯一絶対の神・アラーは、そうした何人もの「預言者」たちを通じて人々に教えを授けてくれたが、〝称讃される者・平安あれ″、という意味の名前を持つムハンマドが、「最後の預言者」だとされる。
「預言者」たちを通じて伝えられた神の教えも、時代が経つにつれていつのまにか歪められ、世の中が乱れてしまった。
そのためアラーはムハンマドに、正しいアラーの教えを改めて与えたのだとされている。
そして神による最後の教えはアラーの言葉そのもの、つまりアラビア語によって伝えられたとされている。
アラビア語を読める者だけが、神の教えを正しく理解できるのだと考えられている。
「コーラン」が、アラビア語で書かれたものしか認められていないのも、このためである。
別の言語に翻訳したりすれば、そこには必ず人間の意図が入り込み、神の声を正しく聞くことが出来なくなるからだという。
だから「新約聖書」のように、各国語に訳されたものを正典とすることはない。
原理主義と言われる人々は、自分たちがムハンマドと同じアラブ人であり、アラビア語が読めるから、ユダヤ教徒・キリスト教徒より神に近い存在だと思っているという。
したがって、キリスト教徒中心の欧米が世界の実権を握っているというのは、不完全な教えを信じている人々が世界を支配しているということであり、経済の格差も、風紀の乱れもすべてそこに原因があると解釈されているのだ。
私達は、イスラム教徒とアラブ人を同じように考えてしまうことがある。
「旧約聖書」のあの〝方舟″で有名なノアの息子、セム、ハム、ヤペテが地上のすべての民の祖先とされる。
このうちの長男セムが、ユダヤ人とアラブ人などいわゆるセム一族の祖先になったとされている。
これ以後はセムの子孫の物語が中心になり、セムの子孫アブラハムの長男でありながら、異腹の子どもであったために荒野に住むようになったイシュマエルが登場するが、イスラム教では彼がアラブ人の祖先だとされている。
イスラム世界の拡大によって、アラブとは、イスラーム共同体を構成し、アラビア語を自分の言葉とした人々ということになり、本来の意味での「アラブ民族」という存在が薄れてしまった。
つまり「アラブ人」とは、民族名というよりは文化概念となってしまったのかもしれない。
その上、アラブ世界とは言っても、そこにはアラビア語を話すキリスト教徒もいるので、必ずしもアラビア語をアラブの基準とするわけにはいかない。
また、北アフリカのベルベル人や、東南アジアの諸国の人々のようにイスラームの教えは受け入れても、言葉は変えなかったところもある。
言語だけでは〝イスラム教徒″、〝アラブ″をくくることができないとなると、あとは本人がアラブ人だと自覚しているかどうかというところに行きつくのだろう。
ところがこのように〝アラブ”という民族が意識されるようになったのは、ごく近年になってからのことだという。
こうした意識は、19世紀、オスマン帝国の支配下にあったエジプト、レバノン、シリアなどでおこったアラブ復興運動がやがて政治運動に発展し、20世紀になってからのユダヤ国家の建設問題に対抗する形で高まっていったものなのだ。
さらに中東戦争、欧米との対立によって〝アラブ″としての統一、イスラム教徒としての連帯などが強く意識されるようになっていったともいう。
イスラーム国家の中には、「原理主義」を合法的に採用している国もある。
「原理主義」という言葉がキリスト教世界の用語であることはすでに述べたが、この言葉は、むしろ「イスラーム復興主義」、「イスラーム主義」という方が適切だろう。
実際、こうした言葉が使われ始めている。
近代化を図りながらも西欧型社会を否定し、自分達の教えにできる限り忠実な社会を目指そうというものだ。
それは預言者ムハンマドが目指した〝ウンマ″=イスラーム共同体を起こし、社会道徳の根本であるイスラームの法に厳格に従う社会のことだということだ。
その代表的な国家がスンニー派のサウジアラビア、シーア派のイランである。
サウジアラビアでは1992年になってようやく統治基本法=条文憲法が発布されたが、そこではこの国が「コーランとスンナに基づくアラブ・イスラーム国家である」と規定されている。
哲学思想、神秘主義といった思想はイスラームの教えから逸脱したものだと否定し、聖者信仰や死者の墓(名を刻むなどしたもの)を強く否定した。
それはアラー以外のものに信仰心を持つのは多神教だ、という解釈によっている。
また、1979年のイスラーム革命後のイランは、その憲法の中で、「すべての法と条例はイスラームの諸基準に基づかなければならない」としている。
(引用ここまで)
写真(中)は14世紀のコーラン。大型版で、モスクで会衆が朗読するときに呈示された。
写真(下)は9世紀建立のモスク。
「イスラーム歴史文化地図」より
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