始まりに向かって

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シャーリー・マクレーンの「カミーノ」・・スペインの巡礼道

2018-12-12 | メディテーション


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/cc/10c933bda82b2562dae821f63b9d834c.jpg

シャーリー・マクレーン著「カミーノ」という本を読んでみました。

若い時から霊的なものに導かれてさまざまな経験をしてきた彼女ですが、この旅の記録は60歳を過ぎてから出かけたスペイン の巡礼 の旅のまとめです。

巡礼をしずかにしたいのに、おいかけてくるマスコミ陣をまきながら、質素で最低限の旅を続けますが、その様なマスコミの描写がなければ、これは事実なのか、空想なのか、よくわからないほど、彼女は自分の内面に入り込んでいます。

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         (引用ここから)


北スペインに、サンチャゴ・デ・コンポステーラ・カミーノと呼ばれて、何世紀にもわたり、多くの人々がたどった有名な巡礼の道がある。

その「道」という意味の「カミーノ」は、銀河の真下に横たわり、大空にある星々から流れ出しているエネルギーを反映しているレイ・ラインに沿っていると言われている。

東洋哲学では、この地球上の霊的な生命の力は、プラーナとよばれている。

このプラーナは太陽の生命力としっかりとつながっており、すべての生命にエネルギーを与えている。

この生命力はレイ・ラインと呼ばれているエネルギーの線にそっている場所で、特に強烈だと言われている。

これらのレイ・ラインは地球の霊気の基本構造を形作っている。

レイ・レインは通常ほとんどまっすぐに伸びているが、幅と強さは場所によって異なっている。

レイ・ラインの交わる場所は、砂時計の形をしており、中央の低い部分が地球の表面と交差している。

レイのエネルギーは、地表の上部と下部に半々に存在している。

そのエネルギーは非常に高い波動を発しており、

人の意識がこの高い波動に触れると、思考、体験、記憶が明晰になり、啓示がおこるそうだ。

レイ・ラインのエネルギーは、人間の脳を作っているエーテル体と物質の波動の波動数をたかめる。

このエネルギーの刺激によって、いままで抑圧されていた意識的な気づきや情報が上面に表れてくるのだ。

このエネルギー を受けた人は、好い意味でも、悪い意味でも、霊的に敏感になるので、不安になったり、恐怖感を感じたりすることもある。

このレイ・ラインは、太陽に関連した地球の霊的なエネルギーを帯びているばかりでなく、ほかの宇宙や星々に関連したエネルギーにもつながっている。

地球のレイ・ラインにそって存在するカミーノは、フランスに始まりピレネー山脈を超えて、北スペインを東から西へと延び、サンチャゴ・デ・コンポステーラに世界的に有名な素晴らしい大聖堂が建っている。

そこには聖ヤコブの遺骨が埋葬されているといわれている。

わたしはかつて一度も宗教的であったことはなく、そのかわりに霊性を探求するほうを選んできた。

そのために、わたしがカミーノに興味をもったのは、レイ・ラインエネルギーそのものと、800キロの道のりに徒歩で挑み、巡礼というものが要求している、我とわが身をどうしようもない状態に追い込み、弱みをさらけ出すというところにあった。

神と自分自身に対して完全に降伏する体験をしたいというのが、この道を歩きたいという人たちのほとんどの動機なのである。

カミーノを歩かなければならないという最初の思いは、1991年、ブラジルで起こった。

わたしの30年来のマネージャーが、手書きで差出人の名前が書いていない手紙を届けてくれた。

わたしは彼を信頼していて、彼が重要だと直感した場合、わたしは彼の言うことを聞くことにしている。

今世界で体験されている非常に多くの苦しみは、自分の中にこれまで詰め込んできたものを空にし、将来、私たちが本来的に享受すべき喜びのための空間を作る作業である、とわたしは信じている。

私たちは人間として、喜びを追求する道徳的な義務がある。

そうすれば、神と同調できるのだ。

しかし、わたしたちは自分について理解していることのもっと奥にあるものを認めなければならない。

なぜならば、そこに、私たちの対立、孤立、混乱、にくしみ、神からの乖離の歴史があるからだ。

もしむかしの感情と平和的関係を結ぶことができれば、わたしたちは喜びを追求する道義的義務に沿っていきる能力をもつようになると、わたしは思っている。

カミーノに沿って西方への旅をしている間、わたしは時間をさかのぼって、今の私と私たちを今のようにした体験が、まさに始まった場所へ向かっているような気がした。

それは神話的でかつ想像上の体験だったということができる。

でも、想像や神話とはいったい何なのだろうか?

意識がつくりだすすべての幻想は、何らかの記憶に基づいているのだ。

さもなければどうしてそこにいるのだろうか?

         (引用ここまで)

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騒々しい現実と、彼女自身の現実が錯綜しているので、なるべく彼女自身の独白部分を
選んで、わかりやすくしたいと思います。


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