前回の続きです。
ホピの冬の三大祭りの聞き書きを、フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」より、抜粋して引用します。
”8日間で発芽し、その後8日間で長く伸びて花が咲く直前になって”いる 豆が、祭りの主役です。
*****
(引用ここから)
祭りの16日目には「盆で運ばれる植物」という儀式がおこなわれる。
儀式で使われるものは、長く伸びて花が咲く直前になっている豆である。
午後早くに、この豆を乗せた盆を運ぶ長い行列ができる。
行列は、ゆっくりと南から始まり、村へ辿り着く。
村のあちこちで、様々のカチナが呼びかけ、だんだんたくさんのカチナが集まって来る。
そして各世界から集められたカチナの大集団が出来上がる。
オライビの伝説によればおよそ300人のカチナが、それぞれに違った仮面と衣装をつけ、独自の歓声と足踏み、踊りをして回る。
人々は豆娘たちが運ぶ青々と育った豆の木に驚きの目を見張る。
それがあまりに重いため、父カチナが地面の上にコーンミールで描いた卍(スワスチカ)の上に時々下ろされる。
彼らは約一時間、大きな輪を作って踊り、歌い、奇妙な叫び声をあげ、独特な足踏みをしながら広場を埋め尽くす。
創造のすべてを表わす大いなる三幕劇は、かくして終わりを告げる。
その意味は明らかである。
第一幕(ウウチム)において、人はこの新世界に登場し、最初の火が灯され、生命が芽を吹いた。
第二幕(ソヤル)において、人は固まった大地の上に家を建てた。
太陽は芽吹いた命に熱と力を与えるため、軌道上に引き戻され、生物の生長を祝福するべく、最初のカチナが到着する。
第三幕(ポワム)において、植物が初めて姿を現わし、人は子どもとしてカチナの仲間入りをし、全世界にわたる完全な生命の道が清められる。
こうして人は今、完全なる被造物として誇り高く大地に立つ。
この偉大なる生態学的パターンの中では、除外される生命は一つもない。
それはあらゆる社会の人間ばかりか、植物や動物などの生命のすべて、また霊的存在者の高い秩序、地球を超えた世界の生命までも中に含みこむ。
どれ一つとして孤立して活動する自由をもたない。
かれらはみな、互いに関わり合って務めを果たし、あの宇宙的な生命の道の上を調和よく共に歩けるよう、活動しなければならないのだ。
ウウチム、ソヤル、ポワムの祭は、限られた人間の心を超越する「存在」の大計画を、高度に劇化して解釈したものなのである。
(引用ここまで・終)
*****
“人々は豆娘たちが運ぶ青々と育った豆の木に驚きの目を見張る。 ”
“それがあまりに重いため、父カチナが地面の上にコーンミールで描いた卍(スワスチカ)の上に時々下ろされる。”
という言葉が注意をひきます。
おそらく、ポワム祭という祭りでは、豆は特別の祈りの力で、驚くべき成長をとげるのだと考えます。
そして、その豆は、卍(まんじ・スワスチカ)の印の上に下ろされます。
おそらく、卍の印は、その重力を軽減するような作用を持っているのはないかとわたしは思います。
“全世界にわたる完全な命の道”と呼ばれるものは、自然と超自然の交わりとしての、自然現象、生命現象を見据えて、名づけられているのではないでしょうか。
ホピ族は農耕の民であり、水のほとんどない所で収穫するトウモロコシや豆を命の糧としていますが、この祭りは、ホピ族が農作物をいかにして育てるのか、彼らの神は彼らになにを約束したのか、その謎を明かしているのではないかと考えます。
ホピの冬の三大祭りの聞き書きを、フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」より、抜粋して引用します。
”8日間で発芽し、その後8日間で長く伸びて花が咲く直前になって”いる 豆が、祭りの主役です。
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(引用ここから)
祭りの16日目には「盆で運ばれる植物」という儀式がおこなわれる。
儀式で使われるものは、長く伸びて花が咲く直前になっている豆である。
午後早くに、この豆を乗せた盆を運ぶ長い行列ができる。
行列は、ゆっくりと南から始まり、村へ辿り着く。
村のあちこちで、様々のカチナが呼びかけ、だんだんたくさんのカチナが集まって来る。
そして各世界から集められたカチナの大集団が出来上がる。
オライビの伝説によればおよそ300人のカチナが、それぞれに違った仮面と衣装をつけ、独自の歓声と足踏み、踊りをして回る。
人々は豆娘たちが運ぶ青々と育った豆の木に驚きの目を見張る。
それがあまりに重いため、父カチナが地面の上にコーンミールで描いた卍(スワスチカ)の上に時々下ろされる。
彼らは約一時間、大きな輪を作って踊り、歌い、奇妙な叫び声をあげ、独特な足踏みをしながら広場を埋め尽くす。
創造のすべてを表わす大いなる三幕劇は、かくして終わりを告げる。
その意味は明らかである。
第一幕(ウウチム)において、人はこの新世界に登場し、最初の火が灯され、生命が芽を吹いた。
第二幕(ソヤル)において、人は固まった大地の上に家を建てた。
太陽は芽吹いた命に熱と力を与えるため、軌道上に引き戻され、生物の生長を祝福するべく、最初のカチナが到着する。
第三幕(ポワム)において、植物が初めて姿を現わし、人は子どもとしてカチナの仲間入りをし、全世界にわたる完全な生命の道が清められる。
こうして人は今、完全なる被造物として誇り高く大地に立つ。
この偉大なる生態学的パターンの中では、除外される生命は一つもない。
それはあらゆる社会の人間ばかりか、植物や動物などの生命のすべて、また霊的存在者の高い秩序、地球を超えた世界の生命までも中に含みこむ。
どれ一つとして孤立して活動する自由をもたない。
かれらはみな、互いに関わり合って務めを果たし、あの宇宙的な生命の道の上を調和よく共に歩けるよう、活動しなければならないのだ。
ウウチム、ソヤル、ポワムの祭は、限られた人間の心を超越する「存在」の大計画を、高度に劇化して解釈したものなのである。
(引用ここまで・終)
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“人々は豆娘たちが運ぶ青々と育った豆の木に驚きの目を見張る。 ”
“それがあまりに重いため、父カチナが地面の上にコーンミールで描いた卍(スワスチカ)の上に時々下ろされる。”
という言葉が注意をひきます。
おそらく、ポワム祭という祭りでは、豆は特別の祈りの力で、驚くべき成長をとげるのだと考えます。
そして、その豆は、卍(まんじ・スワスチカ)の印の上に下ろされます。
おそらく、卍の印は、その重力を軽減するような作用を持っているのはないかとわたしは思います。
“全世界にわたる完全な命の道”と呼ばれるものは、自然と超自然の交わりとしての、自然現象、生命現象を見据えて、名づけられているのではないでしょうか。
ホピ族は農耕の民であり、水のほとんどない所で収穫するトウモロコシや豆を命の糧としていますが、この祭りは、ホピ族が農作物をいかにして育てるのか、彼らの神は彼らになにを約束したのか、その謎を明かしているのではないかと考えます。