始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

アザラシを食う人と、人を食うアザラシの精霊による祭・・「熊から王へ」(6)

2012-06-30 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

         *****

         (引用ここから)


北米アメリカ・北西海岸インディアン諸部族に関する記録によると、このあたりの人々は夏と冬の生活形態にドラスティックな変化を行います。

夏の間は共同のテリトリーで漁労や狩猟を行います。

この季節には「首長」がみんなのリーダーとなります。

冬になると、みんないっせいに夏の小屋を放棄して、一つの場所に集まってきます。

そこには大きな共同の祭りのための建物が建てられていて、その建物を中心にして、冬の村が作られます。

それまでは家族中心の生活でしたが、冬になるといくつもの「秘密結社」が作られ、人々はそれぞれのポジションに従って、どれかの「秘密結社」に属することになります。

日本の冬の祭りで言ったら、「講」とか「座」にあたる組織がこの「秘密結社」なのです。

アザラシ組、ワタリガラス組といった集団ごとに、お祭りが行われるわけです。

このお祭りでは、とても複雑な構成をもった入社式が行われます。

北西海岸部インディアンの世界で一番重要な儀式は、「アザラシ結社」のものだと言われています。

この結社は数ある中でも一番格が高いと言われています。

ここでは「ハマツァ」の儀式が行われます。

「ハマツァ」とは「人食い」を意味しています。

この結社では一人前の結社員になるとは、立派な「人食い」になることを意味しているのです。

壁をくりぬいて出来た穴のむこうから、若者が踊りながら出て来ます。

彼が「人食い霊」の親玉に食べられ、その親玉の口から外に向かって「食いたい」「食いたい」と叫びながら出てきた時には、この霊と同じ「人食い」になったと考えられているのです。

「人食い」の精霊に食べられることによって、「人食い」の秘密を授けられ、そして自分自身が「人食い」に生まれ変わる。

これがお祭りの最高段階です。


これはどういうことなのでしょうか。

それは、その地では夏と冬の生活パターンがまるで正反対を向いた、逆転関係にあるからです。

夏は狩猟の季節ですから、人間が動物を殺します。

ところが、冬にはこの関係が逆転して、人間が「人食い」に食べられます。

この「人食い」の「首長」である精霊は、森を住みかとしている大いなる「自然」の主です。

この怪物に「食べられる」ということは、動物霊もそこを住みかとしている「自然」によって食べられてしまうわけですから、冬の期間の権力の所在場所は自然のふところ深くにあるということになるでしょう。

この「対象性社会」の倫理が、このような奇妙な祭りを作りだしたのです。



新石器時代の宗教思想とは何か、というのはとても難しい問題ですが、わたしには北西海岸部インディアンの祭りに表現されているこの考え方こそ、

国家の祭儀だとか、いわゆる大宗教だとかの思想が登場する以前に、地球上に広く実践されていた宗教思想のエッセンスを表現するもののように見えるのです。


この祭りは、一つの実存思想の証言なのです。

祭りと戦争はどちらも日常的な暮しの外に出て行って、普通の状態ではありえないような力を発揮してみせるものですし、破壊や消費が盛大に繰り広げられるところまでそっくりです。

すぐれた戦士は、より強力な「人食い」であるということです。

この人々の戦争の目的は、本来失われたバランスを取り戻すのが目的ですから、報復が完了したらそれで十分で、けっして大量虐殺などということは行われません。

これは新石器的な社会に一般的な特徴で、たしかに戦争は行われますが、全面的な征服戦とか虐殺戦はめったにおこりません。



こうして新石器的な社会には4種類の性格の違うリーダーが存在することが分かります。

1番目は、夏の狩猟の季節を指導する「首長」です。

2番目は、冬の季節に中心的な存在となる「秘密結社」のリーダーです。

3番目は「戦士」のリーダーです。

4番目のリーダーとしては、シャーマンをあげなければならないでしょう。

この4つの種類のリーダーを、アメリカリンディアンをはじめとする新石器的な社会では、2つにわけて機能させようとしています。

つまり「首長」と、秘密結社+戦士+シャーマンのリーダーとを峻別しているのです。

あとの3つのタイプには共通性があります。

それは、彼らの活動が「冬」を中心としたもので、もっぱら人間の理性の限界を踏み越えた領域で行われる活動に関わっています。

ところが夏の季節と世俗的な生活全般の指導を任された「首長」だけは、理性の限界内で「社会」に平和をもたらそうとしているのです。


         (引用ここまで)


           *****

ワタリガラスに関しては、以前アラスカインディアンのクリンギット族のことなど、取り上げてみたことがあります。


wikipedia「クリンギット」より

トリンキット(Tlingit ['tlɪŋkɪt])はインディアン部族の一つで、アラスカ、カナダの先住民族。

正しい発音はクリンキット['klɪŋkɪt], もしくはクリンギット['klɪŋgɪt]。
もともとはフリンキット(Lingít)[ɬɪŋkɪt]と呼ばれていた。

彼らの自称は「リンギット」で、「人間」という意味。


アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビア、ユーコン川流域の太平洋沿岸の海と山に挟まれた環境に住み、発達した母系の狩猟採集社会を構築していた。

鮭やクジラを獲って暮らし、ポトラッチやトーテムポールの風習で知られる。

彼らの話すトリンギット語には数多くの方言がある。

豊富な木材資源を基に建築技術が発達し、巨大な木造家屋を作る。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、流入した白人が持ち込んだ伝染病によって、トリンギットをはじめとする一帯のインディアンは壊滅状態となり、村単位で消滅した。

病死したトリンギットの遺体は、白人によって地面にあけた大穴に無造作に放り込まれ、墓標も立てられないまま1世紀放置された。

1990年代になって、トリンギットの有志により、葬られた遺体の検分が進められ、1世紀ぶりに遺骨が遺族のもとへと返還されることとなった。

日本のアイヌとは文化共通面が多く、表敬訪日しており、ここ数年来交流が続いている。



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環太平洋文明があった・・・中沢新一「熊から王へ」(5)

2012-06-23 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

人が熊になる変身術=シャーマニズムの源泉を、環太平洋全体の文化の在り方の特徴であると措定して、筆者は埋もれてしまった、声なき大文明圏があったのではないか、と考えています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

         (引用ここから)


今から10年近く前の事になりますが、わたしは中国西南地方を旅行していました。

そのあたりはイ族やナシ族やリース族など、たくさんのいわゆる少数民族と呼ばれる人々が暮らしている地帯でした。

この人々は、今では中国の南の端の方の山岳地帯に住んでいますが、もともとはもっと揚子江に近い平原部で生活をしていたらしく、

縄文時代の日本列島に住んでいた人々とは、物質文化においても、神話のような精神的な文化においても、密接な繋がりを持っていました。

実は中国に住んでいるこの少数民族は、ミャンマーの山岳地帯にいる人々とも、チベット族ともかつてはとても近い場所でいっしょに暮らしていたこともあった人々でした。

こうして見ますと、ヒマラヤ山脈のふもとから出発して雲南地方を通りぬけ、揚子江流域をへて日本列島にまでつながっていく、大きな眉月の格好をした少数民族の帯の広がっている様子が想像できます。

これらの少数民族には共通点があります。

それは、自分からは「国家」というものを作りださなかった人々だと言うことです。

このあたりで最初に「国家」を作りだしたのは、後に漢民族と呼ばれるようになった人々で、彼らは揚子江と黄河の流域に暮らしていました。

さて、雲南の少数民族の境を歩行しているうちに、わたしは一つのイメージのとりこになってしまいました。

それは大きなドーナツ状の環が太平洋を取り巻いて広がっているイメージです。

その環は南米大陸の南の突端から出発して、北米大陸を北上し、ベーリング海峡を超えて、東北アジアに連なっていきます。

大陸のほうではアムール川流域のあたりで、その環は一旦途切れて見えなくなってしまいますが、そのかわりサハリン島と北海道を抜けて、日本列島に入り込んで、再び中国の南西部に顔を出すのです。

“自分から「国家」というものを作りだそうとしなかった人々”の環が太平洋を取り巻いているイメージです。

数千年前までは、この環はもっとはっきりとつながっていたのですが、黄河流域に「漢民族」が国家を作りだしてからは、あたりの光景はどんどん変化していきました。

それでも北アメリカのインディアンや南アメリカのアマゾン流域のインディアンたちは別で、ここには「国家」を作りだす運動はほとんど起こることなく、1492年のヨーロッパの到来という事件を迎えることになったのです。

日本列島に生きてきた人々は、目には見えないこの環太平洋をつなぐ大きな環の中にあって、自分達の文化を作り上げてきました。

私たちの精神の土台は、じつは今もこの見えない環に、深くつながれています。

この環の中にあって、日本列島には「縄文」と呼ばれる新石器文化が形作られることになりました。

じつは、その時形成されたものの考え方や感じ方は、形を変えて現代にまで生き続けています。

すでに縄文文化の痕跡を色濃く残したまま、歴史を刻んできた東の日本では、私たちが少しでも心をそのことに向けさえすれば、この「環」の実在を今でもありありと感じとることができます。

自分達の精神性の土台をつくりあげているものが、遠くアメリカインディアン達の感受性や思考方法などと、深いところでの共鳴を示しているのに気づくことが多いのも、そのためです。

技術・経済大国に発展した日本人の心の深い部分には、姿をやつした「野生の思考」がまだ活動を続けています。


わたしは日本人の精神性の中にあって、いまだにこの環太平洋の環との繋がりが、現実に実感できる部分ないし場所を「東北」と呼んでみようと思います。

ここで今わたしの考えている「東北」は、日本の東北地方から北海道、サハリン島、アムール河流域から東シベリアにかけての地帯、さらにはアリューシャン列島から北米大陸の北西海岸部にまで広がる広い地域を含んでいます。

この地帯には、歴史的な繋がりが実際に存在していたわけです。

もうひとつの理由は、この「東北地帯」に住んでいた人々が、自分の内部から「国家」というものをつくりだしてもいい条件を、すでに十分に備えていたにも関わらず、

「国家」と「非国家」の微妙な臨界点のような場所にとどまり続けることによって、“「国家」を形成しようとする道”に踏み込むことを、なかば意識的に拒否してきたことにかかわっています。

そのために、この「東北」で行われていた思考の傾向を詳しく観察してみることによって、「国家」というものがどこから発生してくるのかが、よく見えてくるようになるのでは、と期待が持てるのです。

「国家」の発生については、これまでにもいろいろな考えが提案されてきましたが、神話的思考の分析からそこへ踏み込んでみようとする、このような試みは多分今までになかったものだと思います。


私たちの「東北」は、太平洋によって隔てられ、日本列島とアメリカ北西海岸を一つに結んでいます。

このような考えは、まったく突拍子もないように感じるかもしれませんが、じつは最近の考古学の研究はむしろこの考えを支持しているのです。

1万年以上も続いた日本列島の縄文文化と、アメリカ大陸のカリフォルニア・インディアンの文化との間には、なにか深い関係があったようです。

それはきわめてよく似た「縄文土器」が、両方の場所で見出されていることなどによっても示唆されていますし、なによりも北西海岸一体の生業の形が、縄文文化ととてもよく似ているのです。

どちらの地帯も、狩猟と漁労に頼っていました。

そしてその狩猟と漁労の文化の中で、熊と鮭がきわめて重要な動物となっていました。

この地帯では熊や鮭の捕り方に始まって、動物霊の送りの儀礼についても、根底にある考え方に深い共通性をみつけることができます。

そして一番重要なのは、この「東北」の人々が「国家」を作りだすことも可能な条件をすべて揃えながら、自らは決して、そうしなかったという点だと思います。

「首長」はついに「王」にならなかったし、「長老会議」は「政府」にはなりませんでした。

これらの社会はすでに階層化されていましたが、社会が階層化されているということは、「国家」が発生するための必要条件ではあっても、決して十分条件とはならないのです。

階層化のすすんだ「社会」が、自らの意志によって、あるいは思想や倫理によって、自分の中から「国家」を作りだすまいとして、「国家」発生の現場で厳重なコントロールや管理をおこなってきたケースはたしかに存在するのです。

青森県の三内丸山の縄文遺跡で「平等な社会」が繰り広げられていたと想像することは、かえって難しいことです。

そこは豊かな自然の資源にめぐまれた環境で、「階層化された社会」が発達していたはずだ、と考えた方が、人間の性質によくかなっているように思います。

日本の東北地方に展開した「縄文社会」は、階層化されていたが、そこの「首長」はけっして「王」となることがなく、人々が必要に応じて「連合」を作ることはあっても、それが「クニ」に変化することはなかった、とわたしは見ています。


これは一つの「東北」の思想なのだと思います。

「クニ」=「国家」というものの誕生の寸前にまで達していながら、「対象性社会」の「社会思想」を何よりも重要と考えた人々は、さまざまな方策を用いて、「クニ」=「国家」が生まれようとするその臨界点で、絶妙なターンを切って、「対象性社会」への着地を行ってみせるのです。


           (引用ここまで)


              *****

これは中沢新一氏がもっとも強く愛している、国家を作らないことを選択した人々への、熱い礼賛の言葉であると思います。
中沢氏は、この人々がもつ感性が、人類の未来を救うことを夢見ているのだと思います。

そして、わたしたち日本人はその一メンバーであると考えられているのだと思います。



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長老がいた社会・・中沢新一「熊から王へ」(4)

2012-06-15 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

シャーマンと長老という、古い社会のかなめとなる人々は、今の社会にはもう存在できないのでしょうか。

シャーマンのような人や、長老のような人はいますが、彼らが成り立たせてきた、かつては生きて存在していた社会は、もう今は消えてしまったということなのでしょう。



            *****

         (引用ここから)


シャーマンは「自然」の力の秘密を知っています。

そういうシャーマンは、人々の暮らしからは離れている必要があったでしょう。

日常生活は別の原理によって成り立っていないと、シャーマンが身に帯びている危険な力は、人間の「社会」の内部に侵入してきて、そこに危機を作りだしかねないからです。

シャーマンはどんなにすぐれた能力をもっていても、そういう「社会」ではいつも周辺部にいて、社会的な「権力」の中心に近づくことは出来ないようになっていました。

では、「対称性社会」の智恵に選ばれ、その中心部にいたのはいったいどんなタイプの人達だったのでしょうか。

「首長」とよばれている人たちがそれに当たります。

シャーマンと「首長」は、いろいろな点で対立する存在です。

シャーマンは人々の暮らしから離れて、人間の能力の限界を超えようとしている人々です。

人間の限界の外と言えば、それは「自然」の奥にひそむ力のことを指していますから、シャーマンを支えている力の源泉は、「自然」の内にあると言えます。

これに対して、人々と一緒に暮らしながらみんなが抱える問題を解決に導こうとするのが、「首長」なのです。

「首長」はむしろ「自然」に対立する「文化」の原理を、自分のよりどころとしていますので、シャーマンや戦士のように流動性あふれる力の領域に踏み込んでいくことを避けて、「文化」を成り立たせている規則や良識にしたがって、「社会」を平和に保とうとしています。

人類学の研究がすすんで、新石器時代の思考法をつい最近まで保ち続けてきた社会についてのたくさんの正確な情報がもたらされるようになって以来、こうした社会の「政治」がどのように行われていたのかがよくわかってきました。

それまでは多くの人は、そういう社会の政治には理不尽や非合理がまかり通り、呪術師や占い師のご託宣によって、事が決められていたかのように考えていましたが、

実際には意外なほどに 「民主的」な方法によって、政治が行われていたらしいことが分かってきたのです。

この「社会」のリーダーは、思考のレベルでも現実の生活の場面でも、「対象性」を保ち続けようとする、およそ政治権力などをもたない「首長」と呼ばれる人物で、

この人物は人々に強制するのではなく、むしろ「全員一致 」を原則として、気長な交渉を行いながら、力や緊張の偏りを社会から取り除いていこうとしていました。

「首長」にはたしかにある種の「威信」というものがありましたが、それは「首長」が何かの力を行使できるからという理由で得られたのではなく、自己の利害を離れて、不偏不党の立場に立つ事が出来る「正しい心」の持ち主であることから、もたらされるのです。

しかし、首長によるそういう調停が、いつでも成功するとは限りません。

そうなると首長には手のほどこしようがなくなります。

最悪な場合には部族間の戦争が発生してしまいます。

その時には、「首長」とは別の人物「戦士」が戦争のリーダーに選ばれて、男達を率いて戦争に出かけるのです。

戦時のリーダーには「首長」の政治原則とは違う原理によって活動をおこなう別の人物が立ち、二つのタイプのリーダーは完全に分離されるというのが、こういう社会では一般的なのでした。

「戦士」のリーダーは実際的な勇気と判断力によって評価され、文化を成り立たせている言葉の原理よりも、「自然」の力とわたりあう狩人と同じように、流動的な力を取り扱っていくために、技術の原理の方を重視します。

しかしその戦いが終われば、たちまちにしてこの戦士のリーダーは任務を解かれて後ろに引っ込んで、再び平和時の「首長」が元の場所に戻ってきます。

「対象性」の社会では、この二つのタイプのリーダーは画然と分離されているのが普通の在り方です。

こうして平和が保たれている限り、社会は「首長」の行動様式に代表されるような「理性」によって運営されることになります。

 
          (引用ここまで)

           *****



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シャーマンは熊になる・・中沢新一「熊から王へ」(3)

2012-06-10 | 野生の思考・社会・脱原発


ちょっと更新が滞ってしまいましたが、まだ続きます。


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

熊とは自然の力を、王とは社会の力を現していると思われます。

しかし、人間は熊になることもできるし、熊はまた自然界の王でもあります。

人間と熊を分かつものは何なのか、そして人間と熊を結んでいるものは何なのか。

大変興味深い考察が述べられています。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****

        (引用ここから)


はじまりの意識は、世界を詩のようにして、とらえています。

そのことは、「有用性」を大事なものとしだすと、たちまち見えなくなってしまいます。

しかし、心を澄ませてもう一度世界を見つめ直してみると、私たちにだって、表面では分離され、孤立しているように見えるものを、現実の深い層でつなぎあわせている通低器の働きが感じとれるようになり、

世界が一つの全体として呼吸しているようすをとらえることができるようになるでしょう。

フランスの詩人が言ったように、まさに世界は「象徴の森」なのです。


神話の思考も、比喩の能力をフルに活用しています。

それによって、神話は詩の場合以上に雄大な哲学的意図をもって、この世界を「象徴の森」につくりかえようとするのです。

現実の表層では、人間は熊を追い、殺して、その体から毛皮と肉を採って、自分達を養おうとしています。


ところが現実の「詩的な層」では別のことがおこっている、と神話は語ります。

偉大な自然の首長である熊が、気に入っている自分の友人である人間に、気前よく毛皮と肉を贈り物として与えてくれようとしているというのが、現実の「詩的な層」でおこっている事実なのだ、と神話は言うのです。


熊が人間と一つにつながっている世界の「詩的な層」においては、日常の意識が捉えているものとは別の過程が進行していて、その層に踏み込んでみると、動物も植物も鉱物も水も風も、ありとあらゆるものが一つの全体性を呼吸しているのが理解され、

残酷と友愛が同居し、現実性と詩とが結びあいながら、「贈与の霊」がその全体性を動かしている様子をありありと実感されているのがわかります。

「神話的思考」はこのようにして、現生人類の脳におこった飛躍の瞬間の記憶を今に留めているわけです。

それは人類におこった最大の革命の生きたモニュメントです。


熊は自然界の偉大な治癒者でした。

そのために熊はシャーマンであり、シャーマンは熊であるとも考えていたのです。


北方の世界には、シャーマンと呼ばれる特殊な能力をもった人々が、かつてはたくさん活躍していました。

シャーマンになるための訓練はとても厳しいものだったといいます。

シャーマンになるための試練は、冬眠する冬の熊の行動様式にとてもよく似た手順を辿ります。

シャーマン志願者は、“冬の熊のように”ものも食べず、飢えと寒さに耐えながら、“冬眠”・・生きているのか死んでいるのかさえ定かでない精神の状態の中に留まらなければなりません。

そのやり方はシベリアやアメリカインディアンの世界の、文化や社会の構造の違う場所でも、ほとんど同じスタイルで行われています。

同じやり方は仏教やイスラムの神秘主義的な伝統がおこなわれているところでも踏襲されているのです。


この普遍性は、いったいどこからくるのでしょう?

わたしはそれがきわめて古い、おそらくは旧石器時代以来の伝統につながっているのだろうと推測しています。


シャーマンは「熊になる」ことのできる人間なのです。

実際にシャーマンたちは熊の毛皮を全身に身にまとって、人前で踊ることさえありました。


この時シャーマンは動物霊の領域に足を踏み込んでいます。

それは普通の思考では追いついていくことも、捉えることも出来ないような、力や速さでできている領域ですので、日常生活にとってはとても危険な領域であるともいえます。

シャーマンの持っている特別な力とは、普通の人間には近付くこともできない自然の力の源泉に、身をもって触れることができることからもたらされたものです。

シャーマンは、とても矛盾をはらんだ存在です。

彼らは「熊」になる能力を身につけることによって、「自然」の奥に潜む力の源泉に触れるのですが、そこからほんの一歩を外に踏み出すだけで、

今度は熊たちが守っている「自然」の柔らかく優しい体を引き裂いてしまう力を持った、高エネルギーの状態をひっぱりだしてしまうような、危険な存在に早変わりしてしまいます。


現代の世界をつくりあげたのは技術の力です。

またそれを破壊することさえできるのも、技術の力です。

現代世界はこういう技術を手に入れたのはいいですが、それをコントロールできなくなっています。

そういう人類にとっての“大問題の発生する臨界点のような場所”に、シャーマンという存在は立っていると言えます。


シャーマンは「自然」の力の秘密を知っています。

そういうシャーマンは、人々の暮らしからは離れている必要があったでしょう。

日常生活は別の原理によって成り立っていないと、シャーマンが身に帯びている危険な力は、人間の「社会」の内部に侵入してきて、そこに危機を作りだしかねないからです。

シャーマンはどんなにすぐれた能力をもっていても、そういう「社会」ではいつも周辺部にいて、社会的な「権力」の中心に近づくことは出来ないようになっていました。


では、「対称性社会」の智恵に選ばれ、その中心部にいたのはいったいどんなタイプの人達だったのでしょうか?

「首長」とよばれている人たちがそれに当たります。

シャーマンと「首長」は、いろいろな点で対立する存在です。

シャーマンは人々の暮らしから離れて、人間の能力の限界を超えようとしている人々です。

人間の限界の外と言えば、それは「自然」の奥にひそむ力のことを指していますから、シャーマンを支えている力の源泉は、「自然」の内にあると言えます。

これに対して、人々と一緒に暮らしながらみんなが抱える問題を解決に導こうとするのが、「首長」なのです。

「首長」はむしろ「自然」に対立する「文化」の原理を、自分のよりどころとしていますので、シャーマンや戦士のように流動性あふれる力の領域に踏み込んでいくことを避けて、「文化」を成り立たせている規則や良識にしたがって、「社会」を平和に保とうとしています。

人類学の研究がすすんで、新石器時代の思考法をつい最近まで保ち続けてきた社会についてのたくさんの正確な情報がもたらされるようになって以来、こうした社会の「政治」がどのように行われていたのかがよくわかってきました。

それまでは多くの人は、そういう社会の政治には理不尽や非合理がまかり通り、呪術師や占い師のご託宣によって、事が決められていたかのように考えていましたが、

実際には意外なほどに 「民主的」な方法によって、政治が行われていたらしいことが分かってきたのです。

この「社会」のリーダーは、思考のレベルでも現実の生活の場面でも、「対象性」を保ち続けようとする、およそ政治権力などをもたない「首長」と呼ばれる人物で、

この人物は人々に強制するのではなく、むしろ「全員一致 」を原則として、気長な交渉を行いながら、力や緊張の偏りを社会から取り除いていこうとしていました。

「首長」にはたしかにある種の「威信」というものがありましたが、それは「首長」が何かの力を行使できるからという理由で得られたのではなく、自己の利害を離れて、不偏不党の立場に立つ事が出来る「正しい心」の持ち主であることから、もたらされるのです。


しかし、首長によるそういう調停が、いつでも成功するとは限りません。

そうなると首長には手のほどこしようがなくなります。

最悪な場合には部族間の戦争が発生してしまいます。

その時には、「首長」とは別の人物「戦士」が戦争のリーダーに選ばれて、男達を率いて戦争に出かけるのです。

戦時のリーダーには「首長」の政治原則とは違う原理によって活動をおこなう別の人物が立ち、二つのタイプのリーダーは完全に分離されるというのが、こういう社会では一般的なのでした。

「戦士」のリーダーは実際的な勇気と判断力によって評価され、文化を成り立たせている言葉の原理よりも、「自然」の力とわたりあう狩人と同じように、流動的な力を取り扱っていくために、技術の原理の方を重視します。

しかしその戦いが終われば、たちまちにしてこの戦士のリーダーは任務を解かれて後ろに引っ込んで、再び平和時の「首長」が元の場所に戻ってきます。

「対象性」の社会では、この二つのタイプのリーダーは画然と分離されているのが普通の在り方です。

こうして平和が保たれている限り、社会は「首長」の行動様式に代表されるような「理性」によって運営されることになります。

 
          (引用ここまで)


           *****

wikipedia「シャーマニズム」より

シャーマニズムとは、シャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している宗教や宗教現象の総称であり、宗教学、民俗学、人類学(宗教人類学、文化人類学)等々で用いられている用語・概念である。巫術などと表記されることもある。



シャーマンとはトランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである。

「シャーマン」という用語・概念は、ツングース語で呪術師の一種を指す「醇}aman, シャマン」に由来し、19世紀以降に民俗学者や旅行家(探検家)たちによって、極北や北アジアの呪術あるいは宗教的職能者一般を呼ぶために用いられるようになり、その後に宗教学、民俗学、人類学などの学問領域でも類似現象を指すための用語(学術用語)として用いられるようになったものである。

シャーマニズムという用語で、上記の現象自体に加えて、その現象に基づく思想を呼ぶこともある(ミルチャ・エリアーデなど)。

広義には地域を問わず同様の宗教、現象、思想を総合してシャーマニズムと呼ぶ。



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“地球法”の感覚・・中沢新一「熊から王へ」(2)

2012-06-02 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」という本を読んでみました。

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同書では次に、宮沢賢治の童話が紹介され、そこに描かれる動物達と人間のかかわりが述べられます。


              *****


           (引用ここから)


宮技賢治の生きていた時代、北方にはまだたくさんの狩猟民達が住んでいました。

北海道とサハリンにはアイヌが、サハリンの北地方にはオロッコやニヴフ(ギリヤーク)がいました。

対岸のオホーツク海に面したアムール河流域には、オロチやウリチなどの狩猟民がいましたし、さらに北にはコリャーク、アジア側ベーリング海峡のあたりにはチュクチが住んでいて、

そのままベーリング海峡を超えると、文化的な連続性を保ちながら、イヌイットやアメリカ大陸北西海岸のインディアン諸部族(トリンギット、ハイダ、クワキウトゥル、ツィムシアンなど)の豊かな世界が広がっていきます。


その世界にはまだ人間と動物の間の「野生」の関係、つまり「対照的」な関係の記憶が、色濃く保存されていました。


夏の季節の間は、人間が生きるために狩猟を行って、動物を殺すのですが、冬の季節になると、今度はその関係が逆転して、動物達の王である精霊が、人間を食べてしまう、という考えが、神話や儀礼を通して、鮮やかに表現されていました。

そこでは人間がいつでも圧倒的な力で動物たちを支配するのではなく、人間もまた他の動物を食べたり、他の動物によって食べられたりする、

捕食の連鎖の中に巻き込まれた、なんら特殊な存在ではない生命の一員として、人間よりも大きな存在によって食べられなければならない、という思想が生きていました。

ところが、アイヌの世界を南限として、このような「対象性」の思想は語られなくなります。

代わりに登場してくるのが、生物圏における、人間の圧倒的な優位を少しも疑わない人々です。

この人々は、自分だけは食物連鎖の環から「超越」した存在であると思いこみ、動物達を自由に家畜にしたり、動物園に囲い込んだりしてもかまわないと思うようになりました。


圧倒的な「非対称」でできあがった世界に対する動物達の憤りや悲しみは、宮沢賢治作品にはとても印象的に描かれています。

北極の動物たちによるテロに直面した宮沢賢治の童話の主人公の青年は、次のように考えました。

青年は言います。

           ・・・


「おい、熊ども、お前達のしたことはもっともだ。

お前達が言うように、確かに最近の人間達のやり方はむごすぎる。

最近の人間の心からは、「地球法」の感覚が失われてしまっている。

「地球法」というのは、地球の生命圏に生きるあらゆる生物に同等の権利を認めて、その上で食物連鎖の環や生態系に一つの秩序を産み出そうとする「法」の働きのことだ。

かつては神話が、その「地球法」の表現者になっていた。

その「法」に対する感覚を今の人間がなくしているという、お前達の主張は全く正しい。

だから、あんまり“無法なこと”はこれから気をつけるように言うから、今度は許してくれ。」


            ・・・


「無法をやめる」、、これが人間に出来る唯一で最高のことではないでしょうか。

狩猟民の世界で、このような地球的な意味をもった「法」が守られていたことの記録がたくさん残されています。

狩猟民たちは、自分に必要なもの以上の動物を捕ったりすることを固く禁じていました。

また自分達が殺した動物の体を丁寧に、尊敬を込めて扱おうとしていました。

そうしないと、動物達が再びこの世界に再生して来られなくなってしまう恐れがあるからです。

それが「法」のある世界、別の言い方をすれば、「野蛮」でない世界の在り方なのです。


 
         (引用ここまで)

           *****

象徴の森

ボードレールの「万物照応」

  自然は荘厳な寺院のようだ
  列柱は厳かな言葉をおりなし
  人は柱の間を静かに歩む 
  「象徴の森」をゆくが如くに

  遠くから響き来るこだまのように
  暗然として深い調和のなかに
  夜の闇 昼の光のように果てしなく
  五感のすべてが反響する

  嬰児の肉のような鮮烈な匂い
  オーボエのようにやさしく 草原のように青く
  甘酸っぱく 豊かに勝ち誇った匂い

  無限へと広がりゆく力をもって
  こはく 麝香 安息香の匂いが
  知性と感性の共感を奏でる
    



wikipedia「熊送り」

熊送りまたは熊祭りとはユーラシア・タイガの内陸狩猟民族の典型的な文化要素の一つ。

熊祭りには、子熊を数年間飼育した後に殺して魂を天に送る飼い熊型熊送り儀礼と、狩りで捕殺した熊を祭る狩り熊型熊送り儀礼がある。

前者の分布は北海道、樺太から黒竜江流域のハバロフスクあたりまでのナラ林帯で、アイヌのイオマンテもこれに含まれる。

飼い熊型熊送りはツングース系のトナカイを飼養する牧畜文化との接触によって派生したとみられ、ところによっては西方の騎馬遊牧民文化の影響もみられる。

なお、北米先住民の中には、イヌワシの雛を数年間飼育した後に殺して魂を天に送る儀礼を持つ部族があり、北海道ではシマフクロウのイオマンテが行われる地域がある。



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