始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

汝らは森の中に隠れよ・・マヤの予言「チラム・バラムの書」(2)

2011-02-26 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤ族の予言書「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)の紹介をしています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


          *****


     (引用ここから)



首長も立ち去るだろう。


首長が汝らの町に戻る時、その富はなくなっているだろう。


禿鷹が家の中に飛び込み、多くの動物が森で死ぬ時が来るだろう。


プルメリアのカトゥンが続く間、オシュの実がパンとなるだろう。


それから気違いの主張、うそつきの主張が13重ねのマットのてっぺんで支配する日が来るだろう。



続いて6つの地方(くに)に「大勅書」(訳注・法王の教書)が来るだろう。


「大勅書」は三度、読み上げられるだろう。


黄金の棒を持つ殿が審判をするために来、白いろうそくが上げられる時、「大勅書」の審判が訪れるだろう。


正義が天降り、キリスト教徒が正義のまなざしの前を歩く時こそ、白いろうそくの時である。


やがて天と地は震えるだろう。


そしてプルメリアのカトゥンが終わるだろう。


誰もそのカトゥンの予言を止めようとはしないだろう。


人々は木の枝の前でこうべを垂れるだろう。


国全体にわたり、地面は揺れるだろう。


プルメリアのカトゥンの予言成就は売られるだろう。(訳注より・「売りに出されるだろう」という訳もある。)



汝らが大司教に従う理由はない。


彼が訪れたら、汝らは出てゆき、森の中に隠れよ。


もし汝らが従ったら、シュポ(キリスト)が来られる時、汝らは彼の後を歩くようになるだろう。


彼が訪れるのはその時だ。


それからプルメリアに水を振りかける時となるだろう。


やがて汝らは分かるだろう。


静かな天に雷が轟き渡るだろう。


いにしえの壁に描かれた言葉が響きわたるだろう。


汝らはまた、その神聖を宣するだろう。


その時こそ、汝らは心の奥深く、その神聖を納得するだろう。


汝らの中には、このことが分かる賢人が一人はいるだろう。


このことが分かる者は、キリスト教に仕えるために、森へでかけるだろう。


だがこのことがわかる者は、一体誰であろうか?



       (引用ここまで・続く)


         *****


西洋人とキリスト教が訪れて、原住民マヤ族は支配されてしまう、ということを言っているのだと思いますが、

>汝らが大司教に従う理由はない。
>彼が訪れたら、汝らは出てゆき、森の中に隠れよ。
>もし汝らが従ったら、シュポ(キリスト)が来られる時、汝らは彼の後を歩くようになるだろう。

という部分に、彼らのしたたかな本心があるのではないかと思いました。


解説など随所に、「キリスト教を受け入れたような語り方がされているが、そのように語らないと公にすることができなかったのであろう」と解釈されています。


「白いろうそくの時」「地面は揺れるだろう」「天に雷がとどろき渡る」「いにしえの壁に書かれた言葉」といった言葉づかいは、キリスト教の聖書の言葉と似ていますが、ホピ族の言葉づかいとも共通しているように思いました。



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マヤの予言「チラム・バラムの書」(1)・・訪れる不幸を甘んじて受けよ

2011-02-23 | マヤ・アステカ・オルメカ
古代メキシコのオルメカ文明とマヤ文明はどのような関係か、ということを考えているのですが、この二つの文明の関係はいまだはっきりと結論は出ていないようです。


一つの立場は、紀元前1500年前に出現したオルメカ文明がマヤ文明の源である、という立場です。


もうひとつは、マヤ文明には小規模ながら、オルメカ文明と同時期に出現した遺跡もある。
だから、オルメカ文明がマヤ文明の源泉とは言えない、という考えです。


ただ、歴史を跡付けるには決定的になにかが足りないようです。

どのような仮説も、すべての問題点を解くことはできないようです。

では、どうしよう、、と思っているのですが、「マヤの予言の書」というものを読んでみました。


これはスペイン人がやって来てから書かれたもののようで、キリスト教についても言及されています。


「困難な時代が来るが、耐えなければならない」という民族の予言があり、それゆえ、その困難を受け入れなければならない、彼らの深い苦しみの感情を感じました。


また他の文書も同じようなことになっているのですが、すでにキリスト教と同化したかのような、渾然一体とした表現になっていたり、すじが通らないと思われるところもあります。


でも、予言と言えばマヤ、、ということで言えば、これはそのオリジナルの一つだということができると思います。


以下、作家ル・クレジオが仏訳したものの日本語訳「マヤ神話――チラム・バラムの書」から、抜粋して引用させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



           *****


       (引用ここから)


「チラム・バラムによって代弁された真実の神の予言」



これは唯一の神フナブ・ク、13の神、8000倍も偉大な神から、太陽の神官、予言者、チラム・バラムによって説明されるために、地上に下された故事の記録である。


彼らは予言者であった神官ナコム・パラムの家に集められた。


それからチラムの家で予言を受け、予言の重みを知った。


だが、彼らは発せられる予言の意味が分からなかった。


予言者がチラムと呼ばれる理由は、彼が動きまわらず、寝ている家を離れず、そこに寝、止まっているためである。(訳注よりーーマヤ語の“チル”は「寝ている」の意味」)


しかしその家の高みで述べ、その家に座しておられる方の顔も姿も見ることはできなかった。


太陽の神官たちは、チラム・バラムの家に集められた時、予言を受けた。


予言は彼らに及んだが、誰が述べているのか分からなかった。


伝えられるところによると、そのように話したのは、唯一の神、天空の殿フナブ・クだということである。


予言を聞き始めると、神官たちは地にひれ伏し、地べたに額をすりつけた。



第十のカトゥン、プルメリアのカトゥンが始まる日が訪れたことを知らねばならない。


三度の月の満ち欠けの間、ヤシュム鳥すなわちケツァル鳥の羽が現れる。


それから力に満ち満ちた神、九の山々の神、ヤシュム鳥の羽が現れる。


第12年が自らの名を名乗る時、首長たちの中で誰一人として、悔悛の日に気づく者はいないだろう。


その頭は“ジャガー”の頭、その歯は長く、その身体は、うさぎの身体、犬の身体である。


その心臓は槍で刺し貫かれている。


その食物は美味く、その飲み物は甘い。


それはおそらく話しもせず、聞こうともしないだろう。


その言葉は卑猥で、偽りに満ち満ちている。


どこにおいても、大地の最も若い娘たちは守られてはならない。


娘たちはこの国から、さらわれるだろう。


大地の最も若い乙女たち、明日生まれてくる娘たちも、そうなるであろう。



わが若い弟たちよ、兄たちよ、諦めよ。


訪れるカトゥンの不幸の重荷を、甘んじて受けよ。


もし汝らが従わなければ、汝らはその足が根付いた地からさらわれるだろう。


もし汝らが従わなければ、木の幹、草を食んで生きてゆかなければならないだろう。



(引用ここまで・続く)

        
             *****


予言と言えば、マヤやホピが思い浮かびます。。

ホピの予言については、時代精神との関連にも注意を払ってきたつもりですが、マヤの予言もまた、身じろきもできないほど絶望的に重苦しい気配に、押しつぶされそうな気分になります。


マヤの予言とは?

“マヤの予言”と銘打たれた書であるからには、ここには何が記されているのでしょう?

あの2012年まで、あと一年を切りましたが、マヤの心は、今どこにあるのでしょうか?





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などあります。(重複しています)
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マヤ族の神話「ポポル・ヴフ」(7)・・故郷「トゥラン」はどこか?

2011-02-19 | マヤ・アステカ・オルメカ
紹介してきたマヤの神話「ポポル・ヴフ」は、悲しみに満ちたマヤ族の物語でしたが、彼らはどこから来て、どこに旅をしていたのだろうということが気になります。

彼らの故郷とはどこなのか?

彼らはどこに行ったのか?

彼らはどこに戻ったのか?

彼らが故郷に残してきたという“兄弟”とは誰なのか?

彼らが海を渡ってやってきたというのは本当なのか?


マヤ、アステカの歴史を書いた本を何冊か読みましたが、とてもややこしく、どの説を選べばいいのか分からなくなります。

「ポポル・ヴフ」の文庫本の後書きには、翻訳者・林屋永吉氏による歴史的なことがらの説明がありました。

焦点が絞ってある分、分かりやすい説明だと思いますので、抜粋して紹介してみます。

他の解釈は、また改めて検討したいと思います。



           *****


「ポポル・ヴフ」文庫本後書きより


    (引用ここから)


キチェー国の古代史の概要

「ポポル・ヴフ」には、古代マヤ帝国の崩壊後に、現在のグアテマラ共和国の地域に住みついた原始諸部族の民間伝承、宗教思想、ならびに彼らの移動と発展の模様があますところなく記されている。


1524年、スペイン人がメキシコの南にあるこの地域に攻め入った時、彼らはメキシコの文化にも劣らない優れた文化をもった種族がこの地域に住んでいるのを見て驚いた。


グアテマラのこれらの土着諸民族は、いずれもこの国の北部と現在のユカタン地方の輝かしい文化を展開したマヤ族の後裔であった。


これら諸部族の容貌や体格の特徴、また諸土語の相似性から見て、彼らが祖先を一にし、血縁関係にあったことは明らかである。


また今日残っている古絵文書も、メキシコ中央高原から中央アメリカの北半分にかけての広大な地域の原住民が、同一起源のものであることを一致して証明している。


すなわち「ポポル・ヴフ」第三部では、供犠師の国ヤキ・・メキシコのトルテカ族を指す・・の人達がキチェーはじめその他の部族と一緒になり、ともにもどかしく太陽の出を待ったことが記されている。


彼らが「町があることを知ってそちらへ向かっていった」ことが明らかにされており、

その町が「トゥラン」であったことが述べられている。


カクチケルの古文書には、「この部族の祖先は「トゥラン」から来たもので、西の方からこの地に到来した」とある。すなわち、


        ・・・・・

われわれは海を越えて、西方から「トゥラン」にやって来た。

そしてこの「トゥラン」で、我らの母、我らの父によって創造され、産み出された。

        ・・・・・

と述べられている。


この先史時代における諸部族の移住については、植民時代の歴史家のほとんどすべてが言及しているが、サアグンは、


        ・・・・・


言い知れぬほどの昔、最初の住民がメキシコのこの地方にやって来た。


彼らは現在のパヌコに上陸し、この港から海岸伝いに、雪に覆われた山々や火山を見ながら、歩いてグアテマラ州に到着した。


彼らの先頭には、彼らの神を棒持した神官が立ち、彼らに何をすべきかということをいつも教えていた。


そして彼らはタモアンチャンに住みついて、ここに長い間を過ごした。


        ・・・・・

と述べている。


グアテマラの諸部族が「トゥラン」から出た時代については、なにも正確に分かっていない。


しかし、だいたいユカタン半島のウシュマルとチチェン・イツァにその後住みついた部族と同じ頃に移動したものとすれば、7世紀ころに移住を開始したものと考えられよう。


「ポポル・ヴフ」にも「カクチケルの記録」にも、彼らが「トゥラン」から石や砂伝いに海を渡って来たことが出ているが、特に「カクチケルの記録」には詳しい記述が残っている。


彼らは相集い、現地の人々と闘いながら東に進み、海を渡り、タブロ・オロモンの地の地に退いたが、その住民が好意を持っていないことを見て、海岸を放棄し、よりよい土地を求めて奥地へ入っていったということである。


このタブロ・オモロンの名は「ポポル・ヴフ」にも登場するが、これはメキシコのオルメカ族をさしている。


グアテマラの部族たちがメキシコにある彼らの同族につねに思いを馳せていたことは「ポポル・ヴフ」の記述に、

彼らがその太陽の出を見て喜びにあふれている時も、北の地、すなわち東方に残してきた連中が共にいないことを悲しんで泣いた、とあることでも明らかである。


この“東方”の語は、彼らがやって来た国、すなわちその起源を漠然と示すために用いられている。


またキチェーの諸族は東方、すなわちシカランコとチチェン・イツァに住みついた彼らの偉大な指導者ケツァルコアトルすなわちククルカンに対して忠誠を守り続けた。


事実、彼らがグアテマラに定着後、最初にした最も重大なことの一つは、その親たちが死ぬ前に残した遺言を守り、ナクシットから叙任を受け、栄誉を授かるために東方に出向くことであった。


この王子達の旅については、すべてのグアテマラの古代文献が言及しているが、ナクシットがケツァルコアトル自身、またはこの名を襲名した彼の後継者と同一体であることはもちろんである。


そして彼はキチェーの王子たちをよろこんで迎え、各種の栄誉や贈り物を彼らに与えているが、その贈り物の一つが、「彼らの歴史を記したトゥランの絵文書」であったのである。



         (引用ここまで)

   
           *****



この説明を読むと、メキシコも、ユカタン半島も、グアテマラも、
あらゆる場所の部族がマヤ族であり、近い血族であるように考えられます。

別の本を読むと、また違う説があり、戸惑うのですが、この解説は「ポポル・ヴフ」を語り継いだ人々に関する貴重な一文であると思います。


また、彼らの歴史的な足取りを追う中で、ずっと古い古代メキシコ文明であるオルメカ文明との接点が指摘されていることは、注目に値すると思います。


> 彼らは相集い、現地の人々と闘いながら東に進み、海を渡り、タブロ・オロモンの地の地に退いたが、その住民が好意を持っていないことを見て、海岸を放棄し、よりよい土地を求めて奥地へ入っていったということである。

>このタブロ・オモロンの名は「ポポル・ヴフ」にも登場するが、これはメキシコのオルメカ族をさしている。





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三島由紀夫の「ポポル・ヴフ」賛・・マヤの宗教の悲哀の本質が、露呈している

2011-02-15 | マヤ・アステカ・オルメカ

マヤの神話「ポポル・ヴフ」を紹介しています。

この神話の日本語の翻訳本に、三島由紀夫が賛辞をよせており、文庫本の冒頭に載っていました。

第三部に関する所をちょっと抜粋して、紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


          ***


(引用ここから)


マヤ民族には幼児の尻に蒙古斑があるそうで、これがわれわれに不思議な民族的親近感を与えるが、その文明は独自の20進法の算術の驚くべき発達や、古代ギリシアの都市国家を思わせる整備された政治組織などをのぞいては、わが民族の好尚とはまるで違った熱帯的怪奇と煩雑に満ちている。


とくにトルテカの影響をうけてからは、有名な人間供犠がさかんになるとともに、建築様式にも荒々しい誇大な趣が加わり、この「ポポル・ヴフ」を読んでも、すべては目くるめく太陽のもとの荒御霊の跳梁であって、出てくる人物がみんなスサノオノミコトのヴァリエーションのように思われるのである。


第三部から、この国の歴史が始まり、「供犠師の国ヤキ・・メキシコのトルテカ族を指す・・の人たちがキチェーをはじめ、その他の部族と一緒になり、共にもどかしく太陽の出を待つ」ことになる。


第三部は「ポポル・ヴフ」の頂点であって、ここでは太陽の出現がサスペンスを形づくり、被造物はすべて集まって暁の到来を願うのである。


「夜が明けるのを待とう。」

「太陽が出るのだけでも、見ることができればよいのに。」


かくてついに太陽は上がり、「人間のように立ち上がって登った」けれど、「太陽の熱はとても耐えられないほど熱」かった。


そしてそれによって、神とあがめられていたピューマも、ジャガーも、蛇も、怪鬼も、ことごとく石に化してしまうのである。


このあたりの記述を読む私の目には、ありありと灼熱の密林の中にそそり立っていたマヤのピラミッドや、その浮き彫りのおびただしいジャガーや蛇の姿が浮かんで来、事実、マヤの文化そのものが、こんな激烈な太陽の光のために石化して、今に残されたのではないかという気がするほどだ。


待ちに待たれた暁のこのような恐ろしい相貌には、マヤの宗教の独自の悲哀の本質が露呈しているように思われる。

   
                   1961年8月6日 「朝日ジャーナル」より転載


                     (引用ここまで)



            *****


わたしとしては、この「ポポル・ヴフ」を読み、今ちょっと言葉にならないくらい感動しているところです。



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汝らの血を少しだけ、我らに与えよ・・・マヤ族の神話「ポポル・ヴフ・三」(6・終)

2011-02-12 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤ・キチェー族の物語「ポポル・ヴフ」第3部を抜粋して紹介しています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。 


        *****


       (引用ここから)


●第10章


さてそれでは、四人が彼方の山に一緒にいた時の模様を述べるとしよう。


彼らはシダやコケの間に置き去りにしてきた神々のことを考えて、心に泣いていた。



四人はこの神々に敬意を表わし、暁が到来したことを感謝しようと、神々がいる所にやってきた。


神々は森の中の草の深みや石の間に置かれていた。


そして神官や供犠師がその前にやって来た時、神々はその魔術の力で口をきくことができた。


四人は神の前で贈り物を火にくべた。


神々は彼らに助言を与えて、こう言った。



「これこそ真に我らの山、我らの谷だ。


われらは汝らのものだ。


すべての人間の力によって、我らの栄光は偉大となり、我らの子孫は数多くなるだろう。


すべての種族は汝らのもの。


われは汝らの友である。


汝らの町を守れ。


われらは汝らに知識を与えよう。」



「種族の者たちの口から出る言葉やその行いが元で、我らが怒っている時には、

決して我々を 種族の者たちの前へ出してはならない。


そして汝らは代わりに草の子、野の子、鹿の雌、鳥の雌を我らに与えよ。


汝らの血を少しだけ、我らに与えにやって来るように。



我らに情をたれよ。


われらは鹿の皮を与えよう。



汝らは、我らをだました者に気を付けよ。


この鹿の皮を我らの印として種族の者どもに示せ。



もし、「トヒールはどこだ。」と問う者があれば、その目の前にこの鹿の毛皮を差し出せ。



汝らも姿を出してはならない。


汝らのすることは他にあるからだ。


汝らの身分は高い。


汝らがすべての種族を支配するのだ。


そしてその血と肉を我らの所へ持って来るように。


我らを抱擁しに来る者は、すべて我らのものとなるだろう。」


これが神々の言ったことであった。



四人が貢物を捧げようとやって来た時には、この神々は男の子の姿をしていた。


そしてそれからすぐに鳥のひな、鹿の子狩りが始まり、神官や供犠師が猟の獲物を受け取った。


鳥や鹿の子がみつかると、すぐに彼らは鹿と鳥の血を石像の口に捧げに行った。



神官や供犠牲師がその貢物を捧げ、神々がこの血を飲み終わると、石像は口を開いた。


神官たちは彼らの御印の前でも香を焚いたのであった。


それぞれの御印は神官たちの手によって、彼方の山の上に安置されていた。



しかし神官たちは、日中は家で暮らさず、山の中を歩き回り、見つけだした馬あぶや蜂やミツバチの子だけを食料としていた。


その食料も飲料もよいものではなかった。


その上彼らは家への道も知らず、その妻たちがどこにいるかも知らなかった。         



        (引用ここまで・第三部終わり)


                  *****


ここで物語られている神々と人々の関わりは、もしかしたら、こんなに白日の下にさらしてはいけないものなのかもしれません。

不思議の物語の中でも特に私は、結びの言葉にある神官たちの姿に強い衝撃を感じます。

この神話の随所に、歩いている人々と、さまよっている人々の姿があります。

太陽の謎、暁の星の謎。

分からないことが多すぎると感じます。



>しかし神官たちは、日中は家で暮らさず、山の中を歩き回り、見つけだした馬あぶや蜂やミツバ>チの子だけを食料としていた。

>その食料も飲料もよいものではなかった。

>その上彼らは家への道も知らず、その妻たちがどこにいるかも知らなかった。         



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マヤ族の神話「ポポル・ヴフ・三」(5)・・離れ離れになった兄弟を思い出す

2011-02-09 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤ・キチェー族の物語「ポポル・ヴフ」の第三部を紹介しています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

 
         *****


      (引用ここから)


●第9章


さて、いよいよ暁となり、太陽と月と星が現れた。


暁の星を見たとき、男たちは非常に喜んだ。


太陽に先駆け、星は光り輝いて現れた。


彼らは、かねてから焚こうと考えていた東方から将来した香の包みをすぐに開いた。


前から星に捧げようと思っていた三つの貢物の紐をほどいた。


三人はそれぞれの香を焚いて、東の方に向かって踊りを始めた。


彼らは踊りながら喜びに泣き、その大切な香を焚いた。



そして今度は太陽がまだ出ないのを嘆き悲しんだ。


太陽はすぐに出た。


小さな獣も、大きな獣も大喜びで、川のほとりや谷の間や、さては山の上に立ちあがって太陽の出てくるかなたに目を向けた。


ピューマ、ジャガーは吠えたてた。


しかし最初に鳴き出したのは、ケレッツーという鳥であった。


鷲をはじめとする大きな鳥、小さな鳥はその羽を大きく広げた。


本当にすべての獣が喜んだのである。



神官や供犠師は、ただひざまずいていた。


神官や供犠師をはじめ、すべての部族がみな喜びに喜んだ。


その数は数えきれないほどであった。


暁は、それらのすべての部族の人々の頭上に等しく輝いた。


そして地の表面は、太陽のおかげですぐに乾いてしまった。


太陽は人間と同じような姿をしていたが、地表を乾かすその顔は燃え立っていた。


実際、太陽が現れるまでは、地表はじめじめとし、どろどろとしていた。


しかし太陽は上った。


人間のように立ちあがって登って行った。


太陽の熱はとても耐えられないほど熱かった。


そしてそのうち、太陽は鏡のような形になっっていった。


歴史の伝えるところによれば、この太陽は今日我われが見ている太陽と、まったく同じものではないということである。



一方、神々はたちまちのうちに石になってしまった。


神とあがめられていたピューマも、ジャガーも、蛇も、奇鬼もまた、石と変わってしまった。


彼らの腕は、太陽と月と星とが現れ出た時には、木にぶら下げられていた。


こうしてすべてのものが石に変わってしまったが、

ピューマやジャガーや蛇などの最初の動物がこの太陽のおかげで石と化していなかったなら、


我々はおそらく、これらの飽くことを知らない獣のために生きていられなかっただろうし、

きっと我らの栄光も失われていたであろう。




太陽が現れ出た時、心は喜びに満ちあふれ、夜が明けたのを喜びあったが、その場に居合わせたものは多くなかった。


山の上にいたのは、ほんの少しにすぎなかった。


その山の上で夜明けを迎えた彼らは、自分たちがやってきた東方を向いて香を焚き、踊り合った。


あの東方には、彼らの山があり、谷があった。


しかし彼らが増えていったのは、こちらであった。


山の上であった。


この山こそが彼らの町であった。


その上に太陽と月と星が出て、夜が明け、地表が、そして全世界が光り輝いた時、彼らはここにいたのであった。



そしてまた、ここで彼らはカムクーという歌を歌い始めたのであった。


この歌に彼らの心や腹の悩みを託したのである。


そして


「ああ、憐れな我らよ、


トゥランで我らは敗れ、離れ離れになってしまった。


そして我らの兄や弟はかの地に残ってしまった。


ああ、我らは太陽を見た。


しかし夜が明けた今、彼らは一体どこにいるのだろう。」


とヤキの神官や生贄師に向かって言ったのである。


と言うのも、実を言えば、彼らの神の一人トヒールは、 ヨルクアト・キッツァルクアト(ケツァルコアトル)という名のヤキの神とおなじ神だったからである。



彼らは互いに


「われわれは、あのトゥランで離れ離れになり、あそこから一緒にやって来た。


そしてやって来る時、あそこでわれらの民族が出来上がったのだ。」


と言い合った。



そしてその時、彼らはその兄や弟、ヤキの人たちのことを思い出していた。


「ヤキの人たちは、今日メキシコという国で、暁を迎えているのだ。


他にも東方に残ってしまった人たちがいるのだ。」


と彼らは言った。



トゥランにおいて石の傍らで、彼らに神が授けられた時、神の言葉も変えられてしまった。


暗黒の内にトゥランからやって来た時、その言葉が変えられたのである。


そしてすべての部族が集まっている時、その神がみが集まっている時、すべての部族の上に暁の光が輝いた。


       (引用ここまで)

   
           *****


>太陽は人間と同じような姿をしていたが、地表を乾かすその顔は燃え立っていた。

>実際、太陽が現れるまでは、地表はじめじめとし、どろどろとしていた。

>しかし太陽は上った。

>人間のように立ちあがって登って行った。

>太陽の熱はとても耐えられないほど熱かった。

>そしてそのうち、太陽は鏡のような形になっっていった。

>歴史の伝えるところによれば、この太陽は今日我われが見ている太陽と、まったく同じものではないということである。


彼らはいったいどのようなことを経験したのでしょう?
彼らの崇める太陽と暁の星は、私たちの知らない何かなのでしょうか?

彼らが言うように、
今日われわれが見ているものとはまったく違った世界のできごとを、彼らの父祖は経験したのでしょうか?





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父祖たちは石伝いに海を渡ってきた・・マヤ族の神話「ポポル・ヴフ・三」(4)

2011-02-04 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤ・キチェー族の神話「ポポル・ヴフ」の第三部を抜粋して紹介しています。
続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                  *****
 

          (引用ここから)


●第7章

やがて彼らはある山の頂へやって来た。


ここですべての部族が集まって、いろいろと相談し合った。


こうして彼らは寄り集まって、夜明けを待ちあぐねた。


太陽がまさに上ろうとする時、太陽に先駆けて現れる明星の出現を待っていたのである。


そして

「我々は同じ様にあちらの方から一緒にやって来たのに、いまは散り散りバラバラになってしまった。」

と言い合った。


彼らは幾多の悩みを抱え、いろいろな苦しみをなめていた。


食べるものがなくて、食事もできなかった。


杖の先のにおいをかいでは、物を食べているような気持になっていた。



彼らがどのようにして海を越えて来たのかは、はっきりしていない。


まるで海などというものが無かったかのように、彼らはここへ渡って来てしまったのである。



彼らは石伝いに渡って来た。


砂上に列をなしている石伝いに渡って来たのである。


それゆえこの石は「一列の石」、「取り出した砂」などと呼ばれているのである。


これは彼らが、水が二つに分かれてしまった所を渡って来た時につけられた名前であった。



ところで彼らの心は悩みに閉ざされていたので、寄り集まってお互いに話しあった。

みんな暗闇の内、夜の間、断食を続けていた。

あの山の上にいた頃の彼らの悲しみは、真に深いものであった。



●第8章


再び、神々が彼らに語った。

「さあ、行こう。

さあ、立ち上がろう。

ここにいるのはもうよそう。

我らをどこかひっそりとしたところへ連れて行ってくれ。


もう夜明けが近づいている。

お前たちが守っていてくれるこの壁の中で、我々が敵のとりこになってしまったら、それこそお前達にとって不幸なことではないか。

われわれを一人一人、確かな場所に安置してくれ。」


神々がこう言ったので、


「よろしゅうございます。出かけることにいたしましょう。

森を探しに出かけることといたしましょう。」

とみんなが答えた。


それから早速、彼らはめいめい、それぞれの神を手にとって、肩にかついだ。

こうして神々を森の大きな谷間に運んで行って、そこに安置した。


彼らはいっしょになって暁の到来、つまり夜明けに太陽に先立って現れるあの「イコキフ」という星の出現を待っていた。

彼らは眠りもせずに、じっと立ち続けていた。

彼らの心と腹は、暁と夜明けをひたすらに待っていた。


しかしその時、彼らは恥ずかしくなってきた。

彼らは非常な悲しみにおそわれ、非常な悩みを感じ、苦しみでいっぱいになった。


実際そんなにまでなったのであるが、彼らは

「ああ、われらは喜びも知らずにここまでやってきたのだ。


太陽が出るのだけでも見ることができればよいのに。

これから我々はどうしたらいいのだ。

我々が祖国にいる時は、みんな同じように考え、同じように感じることができたのに、今ではどうしてこんなに離れ離れになったのだろう。」

と彼らは哀れな声で、寂しさと悲しみのうちにこう言い合った。


彼らはこのように話し合ったけれども、暁の到来を待つもどかしさはいっこうにおさまらず、彼らの心ははやるばかりだった。


彼らは

「神々は谷間や森にあり、つたやコケのなかに座っている。

座る板の台さえも無いのだ。」

と言った。


かれらの神々がすべての部族の神々の上に及ぼしたその栄光、その力、その勢威はまことに偉大だった。

彼らは幾多の奇跡を行い、寒さにも関わらず、数えきれないほど幾度も旅や巡礼に出たのであった。

そして部族の人々の心は、みな彼らを恐れる気持でいっぱいだった。


彼らが森にたむろしている時、夜は明け、暁の光がこの我らの祖父、われらの父たちの上に輝いた。


     (引用ここまで・続く)



               *****



>彼らがどのようにして海を越えて来たのかは、はっきりしていない。

>まるで海などというものが無かったかのように、彼らはここへ渡って来てしまったのである。


この言葉は謎めいています。



>彼らは石伝いに渡って来た。

>砂上に列をなしている石伝いに渡って来たのである。

>それゆえこの石は「一列の石」、「取り出した砂」などと呼ばれているのである。

>これは彼らが、水が二つに分かれてしまった所を渡って来た時につけられた名前であった。


彼らの父祖が海を越えてやってきたという、この謎めいたストーリーを、彼らはこんなにもはっきりと記憶し、それをこのような形で記録に残しているとは、なんとすばらしいことでしょうか!



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マヤ族の神話「ポポル・ヴフ・三」(3)・・暁の輝かしい星「イコキフ」を待つ

2011-02-01 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤ・キチェー族の神話「ポポル・ヴフ」第三部を読んでみました。
続きです。

              *****


                 (引用ここから)


●第6章

彼らのやってきた、あの「トゥラン」では、彼らは暁の到来を待ち、太陽の出を待って断食を守っていたから、なにも食べないでいることには慣れていた。

太陽の昇る前にまず現れる、かの偉大な星「イコキフ」がやってきた。

あの「トゥラン」に彼らがいた頃は、いつも東の方に輝いていた、かの輝かしい星を見守って、彼らは代わる代わる見張りに立った。

彼らがその権力と主座を得たのはこの地ではなく、かの「トゥラン」であった。

かの地で彼らは、大部族、小部族を屈服させて征服し、すべての者をトヒールの前に供犠とし、その血、その中身、胸、腋肉などを捧げたのであった。

彼らは「トゥラン」でたちまち権力を得た。
その智慧は、暗闇のうち、夜のうちに、絶大な力を持っていた。


やがて彼らは「トゥラン」を去り、東方を後にした。


彼らの神は言った。

「ここは我らのいる場所ではない。

我らの落ち着く先を探しに行こう。

お前たちも感謝を示す行いをせよ。

おまえたちの耳から血を出す用意をせよ。

おまえたちのひじをさして、おまえたちの供犠を行え。

これこそ、お前たちが神に感謝をささげる印だ。」


人間たちは、

「かしこまりました。 」

と言って、耳から血を出した。

そして歌いながら泣きだした。

「トゥラン」を去るので、彼らは心から悲しかったのである。


「あぁ、憐れな我らよ。

太陽が昇り、地の表が光り輝くあの夜明けをこの地で見ることもなく、我らは立ち去って行くのだ。」

と言いながら、彼らは「トゥラン」を去っていった。


しかし彼らは、通った道に人を残して日の出を見張らせたのであった。



どの部族の者も、太陽に先んじて出る星を見ようとして起き続けた。

彼らは東方からやってきた時以来、暁の明星を心に憧れていたのである。

彼らは今でも歌に歌われているように、こうした憧れを抱いて、あんなに遠いところからやってきたのであった。


       (引用ここまで・続く)



              *****


訳注によると、

「イコキフ」の語義は「太陽を担ぐ者」の意で、金星をさす、とあります。

また、ラス・カーサス氏による記録として
「土人たちは太陽を第一にあがめ、その次には暁の星をどの星よりも崇拝していた。
というのは、ケツァルコアトルが死んで、この星になったと考えていたからである。
彼らは毎日この星が出るのを待っていて、礼拝し、香をたき、自らの血を流して崇めていた。」と
記されている、とあります。


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