始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

古代アジアの相撲・・「相撲の歴史」新田一郎氏著(2)

2018-01-31 | 日本の不思議(現代)



引き続き、新田一郎氏著「相撲の歴史」のご紹介をさせていただきます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

           (引用ここから)


次に、考古・歴史資料の中に、「相撲」の古い姿を求めてみよう。

「相撲」に関連する考古出土物としてよく知られたものに、和歌山市八幡山古墳から発掘された「男子力士像埴輪」がある。

6世紀初頭のものとされる古墳から出土したこの埴輪は、裸身の腰回りにふんどし状の布を巻き、やや腰を落とし気味にして、両手を前へ伸べている。

岡山県から出土した、二人の男が組み討ちをしている姿を模した人形土器も、これと類似している。

その他、5世紀末から6世紀にかけての作と見られる装飾須恵器小像、力士埴輪の類が、日本各地から出土されている。


この「裸身にふんどし」という格闘の姿は、4世紀から6世紀にかけての高句麗の古墳壁画に描かれた格闘技図像にも共通して見られる特色でもある。

それは中国の「史書」に描かれている東北アジアの民俗に時々見出される風俗にも共通する。


また「日本書紀」によれば、「皇極天皇元年7月、百済より来朝した使者を迎えた際に、宮廷の健児らに「相撲」をとらせた」という。

これについては、ともすれば、百済の使者の饗応のための宮廷での催し、と理解されがちであったが、この記事には、「百済使人を宮廷に饗応す」とある一方、

「使人、宴終わりて退き、君の門を拝す」、とあることに留意すべきである。

「君」は当時在日して、小川内に居た百済の王族であり、「相撲」はその前で行われ、一方宮廷で行われた饗宴の後に、君の門前に赴いて礼拝・拝礼した」というのであるから、この「相撲」は朝廷における饗宴とは別のものであり、

使者の饗応のためでなく、在日する百済の王族の「君」のために行われたものと考えた方がよいだろう。

実は「君」は5月下旬に子を亡くしており、門前における礼拝がこのことに関わるものであるとすれば、

この「相撲」は、葬送に関わる百済の習俗に関連するのかもしれない。


この点について、考古学者の森浩一などは、「高句麗の古墳壁画に見られる「相撲」図像や、日本における「力士埴輪」の広範な分布とも合わせて、「相撲」と葬送儀礼との間には密接な関係があり、

それは東北アジアから朝鮮半島を経て、日本に至る文化の流れに沿うものだったのではないか」と推測している。


「相撲」の祖である「スクネ(野見宿禰)」がまた、埴輪制作に携わる「土師(はじ)氏」の祖とされていることを、この点と結びつける論者もある。

もっとも「相撲節」と葬送儀礼との間には、直接の関連を見出すことは出来ず、「スクネ」と埴輪制作との関係も、「日本書紀」では「クエハヤ」との力比べとは別の個所で書かれており、「相撲」との関連で考えるべきではないとする指摘もあるのだが。


さて、このように、「相撲」にまつわる習俗を、東北アジアから朝鮮半島という、いわば北方の文化からの連なりの中で説明しようとする見方がある一方で、

「裸身にふんどし」という「相撲」の姿態を、南方の習俗と結びつける見解もある。


中国・江南地方の習俗として、古くから、5月5日に「戦力の戯」とよばれる格闘競技の行事が行われていたことが、「随書」などの記述によって知られる。

この地域でもやはり「裸体にふんどし」の姿の格闘技図像が発見されている。

そしてその地域の習俗には、琉球弧状列島を経て、古くは「隼人(はやと)」と呼ばれた人々の居住した

南九州に至る、東シナ海南・東縁地域のそれと多くの共通点を持っていたとされている。


後に触れる「隼人相撲」もまた、「裸体にふんどし」の姿態で行われたと推測されている。

これらの格闘競技の、実際の形態的・技術的な様相については、知られていない。


しかし、このように「裸津にふんどし」といういでたちを鍵として、「相撲」の文化的な系統を論じようとすると、東シナ海をめぐって中国大陸から朝鮮半島、琉球弧状列島を含み、さらに日本列島へと延びる

「「裸身にふんどし」の格闘競技を共有する文化」が想定されることになる。

「相撲」を生み出した土壌をこのあたりに求めるのは、確かに有望な可能性であるようにも思われる。


こうした可能性を的確に認識することは、「日本」を「東アジア世界」の中で相対化して考え、

「相撲」についても「日本の国技」などという固有論にとどまるのではなく、文化交流のダイナミズムの中でその源流を考えるための貴重なきっかけとなるだろう。

              (引用ここまで)

                *****

テレビの相撲中継を、見るともなく見て、というか、聞いていると、すごく眠くなってきます。

ああ、平和だなあ、という安心感で、心が落ち着くのだろうと思います。

スポーツ競技としては、とてもシンプルですし、体操競技などのように、高い所から落ちるのではないか、とハラハラする心配もなく、勝った力士が負けた力士に手を貸して、助け起こしたりする情景は、わたしは好きです。

おそらく世界中にあるであろうというシンプルさも、安心感の一つだろうと思います。

小さな男の子が数人いれば、じゃれあう姿が見られますが、そういう自然さが、好ましく感じられます。


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「相撲の歴史」新田一郎氏著(1)・・「力くらべ」をする者と、させる者

2018-01-27 | 日本の不思議(現代)



年末から、お相撲の世界では、次々と生々しい事件が露わになって、いやがおうでも人々の耳目を引いています。

わたしも、毎日、テレビやネットで進展を追っていました。

わたしは東京・両国の「国技館」に行ったことはなく、ただ漠然と、夕方になるとテレビから聞こえてくる、のどかなNHKの相撲の中継放送を見るともなく見ていると、子どものころの思い出がよみがえってくるようです。

その記憶を辿ろうとしても、記憶はいつも同じで、「国技」と言われる催しが、変わりなく一年に何度も行われていて、髷を結って、四股を踏んだり、塩を撒いたりする、巨大な力士たち、行司の声、鳴り物の音、観客の声援、古めかしい四股名、独特の書き文字、、なんとなく懐かしいような気持ちになるばかりでした。

わたしの若い頃には、若貴ブームがあり、一気に世間に身近になったような印象はあります。

その貴=貴乃花が、今回はだんだんと焦点となってきて、まだ事件はこれからも解明が続けられるのではないかと思われます。

外国人力士たち、相撲協会の体質、貴乃花はなにを言いたいのだろう?

相撲っていつから国技になったのだろう、なぜ今相撲の世界が批判されているのだろう、と、改めて自分がなにも知らないことに気づきました。

新田一郎氏の「相撲の歴史」という本を読んでみました。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

                *****

              (引用ここから)

日本のあちこちの地域に行われていたであろう「相撲」の原型としての挌闘は、どのような過程を経て、現在見られる「相撲」のような形態に成形されていったのだろうか?

その過程は自然発生的なものであったのか、それとも何者かの意思がそこに働いていたのだろうか?


日本神話に題材をとって昭和30年代に制作された「日本誕生」という映画の一場面に、アマテラスが弟スサノオの乱暴狼藉に怒り、絶望して、天岩戸にこもり、世の中が暗闇におおわれた時、

アメノウズメの歌舞に誘われたアマテラスがかすかに開けた岩戸を、こじ開け、光を世に取り戻す役割を担った「タジカラヲ」を演じたのは、誰あろう、時の「大相撲」の人気力士・朝汐太郎(後の朝潮)であった。

「タジカラヲ(手力男)」という名称に示されているように、彼の役所は、「力持ちの神」であり、筋骨隆々の朝汐にはまことに似合いの役柄であった。


「相撲」の原義・原型が、「力比べ」にあるのであれば、「タジカラヲ(手力男)」こそは「相撲」の祖神にふさわしい存在であるようにも思われる。

ところが実際には、「記・紀神話」において、「タジカラヲ」はまことに影の薄い存在であって、活躍の場面といえば、この天岩戸の一件くらいのものであり、この神話の中にも、「相撲」との関連を見出すことはできない。


それでは、「記・紀神話」の中に表れる「相撲」ないし「力比べ」の話としてよく知られているものの一つに、いわゆる「国譲り神話」がある。

高天原の主宰神であるアマテラスは、自らの孫であるニニギノミコトに、「葦原の中つ国」を支配させようとし、

そこを現に支配している勢力である「大国主」に帰服を勧告しようと、タケミカヅチを使節として派遣した。


大国主は、従う意向を示したのだが、その子タケミナカタは納得せず、決着をつけるために、使い神・タケミカヅチに「力比べ」を挑んだのである。

出雲の国のいなさの浜(現・島根県出雲市)において立ち会った二神は、互いの手を取り合って「力比べ」をする。

しかし、タケミカヅチはいとも容易くタケミナカタの手をつかみ、投げ飛ばし、敗れたタケミナカタは遁走する。

タケミカヅチは、タケミナカタを信濃の国・諏訪の地(現・長野県諏訪市)に追い立てた。

タケミナカタはついに降伏し、服従と隠遁を約して、諏訪に祀られた。


この結果、「葦原中つ国」はアマテラスの天孫・ニニギノミコトの支配下に入ることとなったのである。

これが「古事記」が描くところの「国譲り神話」の大筋である。


もちろんこれは、今に言うところの「相撲」ではない。

「「力比べ」に勝利をおさめた側が、国の支配権を手中にする」という、いわば、国の命運をかけた決闘であり、手を取り合っての「力比べ」というその内容も、現代の「相撲」とはかなり異なっている。


しかし、この闘争の敗者・タケミナカタが祀られた諏訪社は、古くは畿内勢力の及ぶ領域の東端であり、東方の〝化外の地″に接した外縁部であった。

そのことから、「タケミナカタが追われて、諏訪に至った」という一節に、「征服者による抵抗勢力の、‶化外の地"への追放」という隠喩を読み取ろうとする見方がある。

勝者・タケミカヅチは、畿内勢力の東国進出経営の象徴的な位置づけを与えられた鹿島神宮に、「武神」として祀られているように、「外来の征服者である天孫勢力」の拡大過程を象徴する地位を与えられている。

この、「外来者による土着勢力の征服」の過程が、二神の「力比べ」という神話的表現を与えられたことの意味について、注意しておく必要がある。

この神話が形成された時代の「力比べ」(=広義の「相撲」)の形態を、なんらかの形で反映したものである可能性が考えられる。


また、この神話の、「外来の強者が土地の強者を圧伏する」という構造自体について、「遠方の「マレビト」が土地の悪しき精霊を鎮める」という民間信仰のモチーフを、「相撲」・「力比べ」を媒介に、いわば換骨奪胎し、「外来者による政府=天皇支配の由緒を語る説話」として再構成したもの、と解釈することが可能である。


もう一つ、「日本書紀」に描かれている「相撲」起源説である「スクネ(野見宿禰)」と「クエハヤ(当麻蹴速)」の「力比べ」の逸話を参照しよう。

この逸話はおよそ次のような内容からなる。


第11代垂仁天皇7年のこと、大和国当麻村に「クエハヤ」と名乗る比類なき強力な男がいた。

「クエハヤ」は、自らの力を誇り、不遜無頼の行いが多く、四方に敵とすべき強者無し、と言上げして憚(はばか)らなかった。

7月7日、このことが天皇の耳に入り、天皇は

「「クエハヤ」は天下無類の力士であると聞く。これに比すべき者はあるか?」と群臣に問うた。

すると、ある臣が進み出て、

「出雲に「スクネ」という勇士がおります。これを召して、「クエハヤ」と対戦させてはいかがでしょうか?」と言った。

そこで天皇は直ちに「スクネ」を召し、「クエハヤ」と対戦させることとした。


召しに応じて対峙した二人は、それぞれ足を上げて蹴りあったが、「スクネ」は「クエハヤ」の脇骨を蹴り、次いで腰を踏み砕いて殺してしまった。

天皇は、「クエハヤ」の領地をことごとく「スクネ」に与えた。

その後、その地は「腰折田」の名で呼ばれるようになったという。


「スクネ」は、天皇に仕えて土師臣(はじのおみ)の祖となり、天皇王族の死に際しての殉死の風を改めて、埴輪をもって代えることを建議するなど、多くの功績を残した。

学問の神として知られる道真を出した藤原氏は、その子孫であるとされている。


長谷川明氏は、説話の最後で、「スクネ」が「クエハヤ」の所領を獲得した、という点を重視して、

この説話の本質は、「ヤマト」土着の当麻氏と、「外来」の「土師氏」の間の、土地をめぐる抗争の記憶を反映した「入植説話」であるとしている。

そしてそれが「日本書記」の編纂過程で、「相撲」説の起源説話として利用されたのではないかとして、「国譲り神話」との構造的な類似性を指摘している。


ここで展開されている「力比べ」の形態は、互いに足で蹴りあうというもので、現代の「相撲」とはかなり異なり、「日本書紀」には「相撲」の文字は用いられず、「捔力」と表記されている。

しかし「類聚国史」はこれを「相撲」項の冒頭に置いて、「相撲」の起源説話として扱っている。


また二人の「力比べ」を示す「日本書紀」の原文の表現「令捔力」は、普通、「すまひとらしむ」と訓読されているように、これが古くから「相撲」の起源を語る逸話として扱われていたことは間違いない。

この部分は、本来は「力を比べしむ」、あるいは「力比べせしむ」と読んだのではないかとする説もあり、本来の読みとしてはこちらをとるべきかと思われる。

しかし、平安期にはすでに、「すまひとらしむ」と訓読され、これが「相撲」の起源として意識されていたことは重要である。


この大一番に勝利を治めた「スクネ」は、今でも「相撲」の祖、「相撲」の神様として遇され、東京都墨田区にある「野見宿禰神社」では、年に三回の「東京場所」ごとに、日本相撲協会の関係者らが出席して、例祭が営まれている。

             (引用ここまで)

              *****

そういえば、タケミカヅチとタケミナカタは争ったけれど、あれが「相撲」の始まりの形だった、と言われて、はじめて「相撲」のイメージがつかめたような気がしました。

著者は非常に慎重に筆を進めておられ、断定的なことは極力言わないようにしておられるのですが。


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イエスの神秘主義は古代宗教に源をもつ・・エドガー・ケイシーの「キリストの秘密」(3)

2018-01-24 | 古代キリスト教


引き続き、リチャード・ヘンリー・ドラモンド著「エドガー・ケイシーの、キリストの秘密」のご紹介を続けます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

          *****

        (引用ここから)

この種の「イニシエーション」は、すべての魂がその成長過程で通過しなくてはならないものである。

すべての実体(すべての魂)は、イニシエートとして、自己を解放し、神の随伴者となるという目標を達成するために、同じような墓、つまりピラミッドを通過しなければならないということである。

この教えは、イエスが弟子に語られた言葉、

「自分の十字架を負って私にしたがいなさい」、

「命を見出すために、命をすてなさい」、

という言葉に一致するのである。


しかしながら、ケイシーのリーディングは、イエスのこの「イニシエーション」には、預言の成就という意味合いがあったことを強調している。

つまりイエスの「イニシエーション」は、イエスが磔刑の後、三日三晩、墓の中にいるようになることを予示したものであり、

このイニシエーションによって、イエスは墓の力、すなわち死をも打ち破ることができるようになったのである。


多くのリーディングが、イエスを偉大な奥義体得者であると述べている。

イエスは、さきがけのヨハネと共に、今日、ギザと呼ばれているピラミッドの中で、同胞団の最終階位を授かったのである。

イエスは偉大な奥義体得者、人の子、天父に受け入れられし者だった。

リーディングは、キリスト教発祥以前の、いわゆる全盛期の神秘宗教と、イエスキリストの生涯が、次の点において連続したものであると述べている。


その点とは、

イエス自身が神秘宗教の伝統的儀式に参加したということ、

それと同時に、イエスが神秘宗教の最終目標を体現し、

それによって神秘宗教は少数の者に留まらず、全人類に対して深淵な意義を有するようになった、という点である。


ある意味で、イエスの公生涯は、いとこのヨハネの手によってヨルダン川で洗礼を受けたことと、

その後に続く悪魔の誘惑をもって始まったと言える。


ケイシーのリーディングは、ヨハネについて多くを語っている。

人々から恐れをもって語られていた親戚。

母親は、エッセネ派の祭祀たちに選ばれた。

ヨハネは、ユダヤ人の位の高い祭祀の直系であった。

更に、神殿で仕えるという祭祀の地位を捨て去り、流浪者となり、荒野の教師となったというリーディングは、ヨハネの父・ザカリアを聖所と祭壇の間で殺されたあのザカリアと同一人物であるとした。

そえゆえ、ヨハネが祭司の職を放棄したのもきわめて当然のことであったと思われる。


イエスにとって、このヨハネの手による洗礼によって、公生涯を始めたということは、イエスの目指す方向を象徴的に示した事象として、特に重要である。

その場所柄と時代背景を考えれば、イエスの行為は、既存の宗教組織から見れば、分派、さらには異端宗教を意図しているとしか解釈のしようがなかったであろう。


しかしながら、リーディングは、イエスの教えは、生活様式が完全にヨハネのそれに一致していたと主張しているわけではない。

体を浄化する方法として、ヨハネが教え、かつ実践していた極端な禁欲とは対照的に、イエスは疑念を抱かれるほど、それらのことがらに寛容であった。

またヨハネは、イエスよりもエッセネ派的であった。

というのも、イエスは律法の精神をくんだが、ヨハネは律法を字義通りに取ったからである。


リーディングの描写する洗礼は、明らかに「浸礼」であった。

というのも、イエスは川の中に立ったのでも、水を注がれたのでもないと分かるからだ。


これは、教会の教義と関係なく、一つの興味深い情報である。

しかし、その形式より、その出来事の意義が重要である。


洗礼は、イエスの「イニシエーション」の成就であった。

イエスはそこから荒野におもむき、いわゆる「荒野の試練」を通過するのである。

この「荒野の試練」の目的は、イエスが最初にしたことを再修正するためであったとされている。


つまり〝最初のアダム″としての誘惑を、今度は、〝第二のアダム″として、完全なる勝利をもって反復する必要のあったことを述べているのだ。

リーディングの述べるところによると、イエスは「荒野の試練」の後、ヨハネと会った後に、戻って来ることになる。


戻ってきた場所は、カぺナウムといわれる。

イエスのユダヤ会堂(シナゴーグ)での説教は、イザヤやエレミヤの預言と小預言者らの教えについて、そして彼らが当時の生活にどのようにそれを適応したかについて、であった。

ケイシーは、「イエスの教えと実践の中心的要素は、真理を人生に適用することにあった」と,一貫して強調している。

イエスの最初の説教に関する前述の言葉は、それに完全に一致している。


ケイシーのリーディングによると、イエスがはじめて奇跡を示したのは、ペテロの義理の母を癒した時であるが、記録に残る最初の奇跡は、エルサレムの近くと言われるガリラヤのカナで見せた、「水を葡萄酒に変えた奇跡」であるという。

このことは、ケイシー資料が、「福音書」の中でも「ヨハネの福音書」に記録されている歴史的事象を評価している例の一つである。

リーディングは、この出来事にしてもまた、他の病気治癒にしても、これらを奇跡と呼ぶことにいささかの躊躇もない。


カナでのこの奇跡は、主がヨルダン川から戻られてまもなく、ガリラヤ湖の近くに滞在しておられた頃のことである。

カナでは結婚式があった。

リーディングは、水を葡萄酒に変えたこの奇跡を、遠地より戻って来て、伝道を始めた息子に戸惑うイエスの母親の目を通して語っている。


マリアは、イエスが誕生したときの出来事、

天使・ガブリエルの告知、

いとこのエリザベツを訪れた時の不思議な体験、

更にエジプトでのことや、パレスチナ帰還途上での、尋常ならざる出来事などについて、思い巡らせていた。


「これは最初の試練かもしれない。

だってあの子はたった10日前にサタンを退け、天使から使命をいただいたばかりですもの」。

マリアはイエスがサタンを退けたことについては、既に人から聞いていたのだが、イエスにはまだ会っていなかった。

イエスのカナ行きの目的も、母と話すことであった。

なぜならマリアは、母親としての愛情から、

「この子はいろんな点で人とは違っているけれど、今度は40日間荒野で修行し、そうして、卑しい漁師の所に戻ることで、神の召命を成就することにしたのかしら。

わたしにはまだ分からないわ」と思っていたからである。


この結婚式の花嫁は、リーディングによると、エリザベツの妹の娘であった。

したがって、マリアにとってはいとこの娘である。

彼女の名前もマリアであった。


そして後日、彼女は「もう一人のマリア」と呼ばれるようになる。

彼女はイエスと弟子たちが説教を続けられるよう、物資を提供した人たちの一人であったとされる。

事実、イエスがパレスチナで伝道を行っている時に、聖なる婦人たちがそれに随行したことを示す記述が多数ある。


ともあれイエスの母マリアは、この結婚式の宴を準備するため、大切な役を受け持っていた。

そしてイエスが従者らと共にそこに現れると、イエスと弟子たちはその祝宴に招かれることになった。

花婿は、「後にイエスの従者となるヤコブとヨハネ」の兄で、ゼベダイの息子の一人であったと言われる。


リーディングによると、「ヨハネの福音書」も「ヨハネの手紙」も、正真正銘ヨハネが著したものである。

ケイシーのリーディングは、ゼベダイの息子たちは今日の言葉で言えば、上流階級の人々であって、貧しい人々ではなかった。

ヤコブとヨハネの二人が後日、イエスの伝道に加わったことに関して、別のリーディングは次のように述べている。

ゼベダイの息子たちは、マタイを除く他の使徒たちがそうであったように、今日的に表現すれば、経済的に裕福であり、そのために仕事を捨て、家を出ることができたのであるという。


またゼベタイの家では、イエスをたびたびもてなした。

またイエスが十字架につけられた後、イエスの母親の世話はゼベタイの息子ヨハネに委ねられたという。


葡萄酒が底をついたために、イエスが水を葡萄酒に変える前の様子を、リーディングは次のように描写している。

           ・・・

宴が催されるのがしきたりであった。

モーゼの律法、モーゼの慣習、モーゼの規則を守ってきた人々の習慣と伝統に従って、

特別な方法で準備されたパン。

香料をつけ、丸焼きにされた子羊などが出された。

葡萄酒をたくさん出すことも、しきたりであった。

その日は、汝らの言うところの6月3日である。

そこには野の草花がたくさんあった。

その日は日中もよく晴れていた。

夕方になっても空は晴れていた。

満月が出ていた。

かくして、葡萄酒の飲料は、いや増しに増えていった。

人々ははしゃぎ、輪を作ってダンスにうちこうじた。

これもまた、当時の慣習であった。

           ・・・

別のリーディングは、この出来事を次のように叙述している。

           ・・・

水が、主を認めた瞬間、水は赤く染まり、葡萄酒になったのだ。

覚えておくがよい。

水は、注がれることによって、葡萄酒になったのだ。

水がじっとしていたなら、いかなる葡萄酒も、この「実体(=人物)」の友人に訪れようとしていた困惑を解消することはできなかっただろう。

             ・・・

ここに登場する「実体」とは、ヤコブとヨハネの妹で、花嫁の知り合いであった。

しかし、カナでの出来事の本当の意義は、「結婚式のうたげに主の来臨を賜るという祝福」であった、と別のリーディングは述べている。

このリーディングは、心と精神と肉体との合一であるとされる人間の結婚がどれほど神聖にして意義深いものであるかについて論じている。

心と体が互いに引き合うとき、これは無目的なものではなく、目的にあふれるもの。さよう、神の栄光があらわれんがためのものである。そのことを肝に銘じよ。」と。

             (引用ここまで)

               *****

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ピラミッドの中でイニシエーションを受ける・・エドガー・ケイシーの「キリストの秘密」(2)

2018-01-19 | 古代キリスト教



引き続き、リチャード・ヘンリー・ドラモンド著「エドガー・ケイシーの、キリストの秘密」という本のご紹介をさせていただきます。

ケイシーがリーディングしたイエスの生活が描かれています。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

            *****

          (引用ここから)

リーディングによると、イエスは12才になるまで両親と共に暮らしたといわれるが、エジプトから帰ってからはカぺナウムに滞在したようだ。

しかし12才以降は、カルメル山で母親・夫と一緒に暮らしていたジュディの家で学んだと言われる。

この時の勉強は12才から15~16才の間に、時折行われた。


ケイシーのリーディングは、この傑出したジュディという女性についてかなりの情報を与えている。

彼女がエッセネ派の一グループで指導者の地位についていたということからも、エッセネ派内で女性がどのような役割を果たしていたかが推察される。

彼女の指導したエッセネ派のグループは、霊聴や夢、前兆といった霊界通信的な宗教体験を尊重したという点で、他のエッセネ派グループとは異なっていた。

リーディングは、エッセネ派の両親と聖霊によるジュディの訓練は、単に書物によるものだけでなく、エッセネ派が古来より最大の目的としてきたものと一致していたという。

「不可視の領域、未知の領域からの訪問を受けた者、すなわち人間の諸活動の中に現れる神の霊として崇拝されるものの訪問を受けた者たちの伝承された体験記録を研究すること」も含まれていた。

ここにおいて我々は、ユダヤ教に一貫して流れる深い霊性を見る。


エッセネ派の人々は、はっきりと言葉として話されたものを大切にするだけでなく、夢や幻、霊聴などの、通常の体験を超えた超自然的なものの訪問を人が受けていた時代の記録をも保管していたのだ。

またエッセネ派の慣例にしたがって、ジュディ自身、エジプトの行法、インドの行法、ペルシャおよびペルシャ周辺諸国の戒律・行法を勉強させられた。

成人してからも、彼女はこれらの研究を続けた。

というのもエッセネ派共同体での彼女の重要な役割が、共同体のために記録をつけ、それらを保管することであったからだ。


その仕事を遂行する中で、彼女はメディア人、ペルシャ人、インド人の権威者らと接触するようになる。

そして彼女自身がこれらの国の行法の優劣を見定めた結果、彼女は新しい理解に達したのである。

ケイシーのリーディングは、彼女こそ12才から16才の間のイエスに影響を与えた人物であると述べている。


彼女はヘブライ語聖書と、エッセネ派聖典の両方にあった、あらゆる預言を教えることを主眼としたが、とりわけ救世主の生涯に関する預言に焦点をあてていた。

そしてイエスの学習と修行を完成させるために、諸外国にイエスを送り出したのも、主にはジュディの働きである。

ジュディ自身、何度も天使の出現を経験したといわれるが、そのような高度な霊的体験を持つ一方で、彼女の日常生活は、物質的な事柄に対しては全く世俗的なものであった。

イエスはきちんとした教育を受けられなかったと、長い間信じられてきたが、これとは全く逆に、13才から16才の間、イエスはまずインドで、次にペルシャとエジプトで教育を受けたのである。


ペルシャでは、イエスはその国の伝統的主義に従って、肉体・精神・霊の「諸力の統一」に焦点をおいて修行を積んだということである。

イエスは、これらを教師によって試されたのだ。

これらの試験によって、志願者は神秘家たちに受け入れられるか否か、試されたのである。

これは、他国のさまざまなグループや学派でも同様であった。

このことから、イエスの教育体験はかなり広範なものであったことがうかがわれる。


それは「イニシエーション」とよばれる人格の変容過程において頂点に達したのである。

事実、この言葉は、イエスの教育課程のクライマックスに関係する用語として、ケイシーのリーディングで用いられている。


イエスは、エジプトに行く前にパレスチナに戻った。

イエスが帰郷した最大の理由は、父ヨセフの死である。

リーディングは、イエスはヨセフが死んだために、ペルシャから呼び戻され、そして「教師としての準備を完成するために、エジプトに向かった」と述べている。

この時点で、イエスの教育と、イエスのいとこである、後の洗礼者ヨハネの教育が係わるようになった。


エジプトでの訓練期間中、イエスは洗礼者ヨハネと共にいた。

ヨハネがエジプトに行き、イエスはヨハネとそこで一緒になった。

二人はエジプトの神殿、つまりピラミッドの中で、秘儀伝授者(イニシエート)となった。

ところで、リーディングによると、「聖なる婦人」の一人であったエッセネ派のソーファという女性は、彼女がヨハネを養育した一年間、幼いイエスに、ヨハネの生活ぶりや、訓練、人柄について教えることに、時間の大半を費やしたということである。

ここで言う「聖なる婦人」とは、エッセネ派内の様々な行事で会葬者として働いた者を指す。

これらの婦人の大半は結婚しなかったが、別に独身を誓ったわけではなかった。

イエスとヨハネが独身を貫いたのは、独身が高い霊性に必要であったためではなく、彼らの特殊な任務を遂行する上で、独身の方が活動しやすかったということが最大の理由であった。


このリーディングから、ヨハネはエッセネ派内においても、メシアの活動に対して、特別な役割を授かっていると見なされていたことがうかがわれるし、またイエスは幼少期より、このことを聞かされていたと考えられる。

この経路によってしばしば示されたように、エジプトにおいて多くの国々の教えが統合された。

というのも、エジプトは地球の放射活動の中心地であったからだ。

また、リーディングが、イエスがギリシャで、ギリシャ哲学者の下で勉強したという話や、あるいはユダ
ヤ人がイエスを追放した時にギリシャ人がイエスのもとにやって来て、イエスにギリシャに来てくれるように頼んだという話を否定していることも、興味深いことである。


リーディングは、エジプトでのイエスの秘儀体得(イニシエーション)は、ピラミッドの中にある墓、というか小室を、文字通り通過することが含まれていたと主張する。

この小室は、魂の墓を象徴し、翻ってこれは、「理想に対して自らを磔にし、それによって神によって成就すべきとされたものを遂行する能力を高めた」ことを示している。

つまり自己をむなしくし、父なる神とその御意志に対し、余すところなく自己を捧げること。

ケイシーによると、これこそイエスの父なる神に対する関係の本質であると同時に、イエスの全生涯と使
命の基礎であるという。

そのことが深い意味で、このイニシエーションに如実に現れているのだ。


しかしなら、このイニシエーションは、イエスのそれ以前の訓練から遊離したものではないし、またその後のイエスの修行と奉仕から分離したものでもない。

リーディングの示すところによると、ヨルダン川でイエスがヨハネの洗礼を受けたのは、「イニシエーションの通過」を成就させるものであったという。

ケイシーのリーディングと、イエスの教育・訓練や霊的修行は、父なる神に仕えるために自己を完成するためだけでなく、イエス自身が人間として必要なことを成就する上で、必要であったようだ。

つまりアダムとして下降した者が、イエスを通して上昇したことを現す最終的仕上げであったのだ。


今日のキリスト教会では、聖職にある者の間でも、また一般信徒の間でも、この「イニシエーション」という言葉に対して持つイメージにかなりの隔たりがある。

このような隔たりが生じた元々の原因はなにかというと、それは伝統的に「イニシエーション」というものを重視し、また「イニシエーション」に対し、壮大な儀式をつくりだしたフリーメーソン、薔薇十字会といったさまざまの非キリスト教を、キリスト教聖職者たちが否定してきたためであった。

敵対した一つの理由は、神学的なものであり、神人協力説、つまり救いという神の御業に、人間が協力するという説を意味する言葉を否定するためだった。

しかしもっと一般的には、これらの非キリスト教系の宗教の世俗化傾向を批判したのであり、

またイニシエーションの儀式を取り扱うことの意義を皮相的に理解したためか、あるいはその意義を疑ったために、そのような非難をしたものと思われる。

しかし堅信礼や成人の洗礼などのキリスト教の儀式の中にも、それとまったく同じ批判をまぬがれないものはかなりある、と言わざるを得ない。


いずれにしてもケイシーのリーディングは、生けるキリストの生涯と御業の中で、その「イニシエーション」がきわめて重大な出来事であったことを主張している。

この「イニシエーション」を得た時、イエスは16才であった。


         (引用ここまで)

          *****

ここでは、エッセネ派というユダヤ教の一派が、とても独立した思想団体として活動していたとされています。

また、イエスが青年時代に諸外国で古代宗教の奥義を学んでいたという話も、よく聞きます。

どちらも大変興味深い話で、もっと真相を知りたいと思わされます。

全体として、わたしはこのケイシーのリーディングに語られていることには信頼を寄せています。

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エドガー・ケイシーの「キリストの秘密」(1)・・エッセネ派の宇宙的役割

2018-01-14 | 古代キリスト教


「エドガー・ケイシーの、キリストの秘密」というリチャード・ヘンリー・ドラモンド氏の本を読んでみました。

これは、エドガー・ケイシーの、キリストに関するリーディングをまとめたものです。

著者は日本の国際基督教大学、東京神学大学、明治学院大学などでも、長きにわたってキリスト教学と比較宗教学の教鞭をとっていたということです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

                     *****

                 (引用ここから)

最後の晩餐が見える。

ここに主がおられる。

晩餐に彼らが食しているのは、煮魚とライス、それにニラと葡萄酒とパンだ。

ここで使われている水差しの一つは壊れている。

取っ手のところが壊れている。

それに、口のところもそうだ。

主の衣は白ではない。

真珠の灰色で、一つに縫い上げられている。

12人の中で、一番の美男子は、やはりユダだ。

一番若いのはヨハネだ。

卵型の顔に黒い髪。

すべすべした顔だ。

ヨハネだけが髪を短くしている。

ペテロは荒っぽくて気が短い。

ごわごわした短いひげをたくわえている。

アンデレはそれと正反対だ。

やや薄いひげを、顔の両側とあごの下の方に長く伸ばしている。

唇の上のひげも、かなり長い。

着ている物は灰色か、黒っぽいものである。

腰布は、縞模様になっている。

ピリポとバルトロマイの腰布は、赤と茶だ。


主の髪はほとんど赤で、一部巻髪になっている。

しかし女性的な感じはない。

力強い目は、青色、もしくは銅のような灰色で、見通すようなまなざしである。

主の体重は、少なくとも77キロはあるだろう。

長く先細の指爪は、きれいに揃っている。

この試練の時にあっても、陽気でいらっしゃる。

裏切られようとしている瞬間にあっても、冗談を飛ばされる。


袋が空になったユダが、離れて行き、最後の葡萄酒とパンが配られる。

葡萄酒とパンを手に取って、主はすべての弟子にとって、大事な象徴をお与えになる。


主は一枚の布でできたご自分の衣を横に置かれ、腰布に青いタオルを巻かれ、畳んだものを丸めた。

まず、ヨハネの前に、その次にヤコブの前にひざまずかれた。

ペテロの前にひざまずかれたが、ペテロは、ペテロは、それを拒んでいる。

ここで主は、〝最も偉大なる者は、すべての者に仕える″ということについて話されたのだ。

その洗い桶は木製で、取っ手の無いものだった。

水はひょうたんから取ったもので、そのひょうたんの水は、広口の水差しに入れてある。

その水差しは、ヨハネの父のゼベタイの家の中に置いてあったものだ。

ついに、「すべて終わった」という、あの場面が来た。

一同は、「詩編91番」を歌っている。

          ・・・

いと高きものの隠れ家に住む者は、全能者の陰に宿る。

私は主に言う。

主はわが避け所。

わがとりで。

我が神。

私は主を信頼する。

          ・・・

主は、音楽家でもいらっしゃる。

ハープをお弾きになるのだから。

一同は、その後、あの園へと出発する。


1932年6月14日のこのリーディングは、後日、エドガー・ケイシーや彼の周囲の人々は、最も美しいリーディングの一つとして数えあげるようになりました。


ケイシーのリーディングによると、アダムとして、そして最後にイエスとして受肉した魂は、「聖書」に登場する人物以外としても受肉している。

そのイエスの過去世の名前がすべて語られたわけではないが、「聖書」以外の人物として特に重要なの
は、ペルシャの予言者ゾロアスターの父としての過去世である。

その時の名を、ゼンドといった。


またイエスとなった魂が最初に受肉したのは、アトランティス時代のことで、その時の名はアミリウスである。

リーディングによると、アミリウスとしての受肉は、アダムとしての受肉以前のことである。

しかし現代的な意味での、肉体を最初にまとったのは、アダムである。


あるリーディングは、イエスが全部で30回の受肉を経験したと述べている。

ちなみに「ヨブ記」は、イエスがメルキゼデクとして受肉している時に書いたものであると述べている。

イエスの業と影響力について、ケイシーのリーディングは、さらにもっと重要な点を指摘している。


「この実体(イエスを指す)は、「神は一つである」ということを教えるあらゆる哲学、宗教思想に、直接的、もしくは間接的に影響した。

〝天父はただ一人である″、ということを根本原理としていた時代、主は、人間と共に歩まれた。

つまりキリストの霊と合一して、主は人間と共に歩まれた」。


これはイエスの過去世における役割について問うた質問に対する答えとして与えられたものである。


ナザレのイエスとなる魂は、受肉と受肉の間、霊界にいる時でも影響力を及ぼし、特にキリストと合一を成就した後は、その力が一層強くなったということである。

霊界から直接働きかける場合、地上の歴史的活動や運動を指導する者の深層意識に働きかけたのである。


リーディングによると、このように地上の出来事にたいして、高次の霊界が働きかけるということは、ユダヤ・キリスト教に限ったことではない。

もともと、ユダヤ教にたくさんの要素が後から付け加えられたように、儒教、仏教、プラトン主義、イス
ラム教にも、イエスが与えたものと同じものが多く付け加えられたのである。

「それゆえ、これらの宗教にはすべて同じ精神が流れている」。


「聖書」に登場するヘブライの最後の予言者からイエスが誕生するまでの400年間、イスラエルにはこれといった大きな歴史的出来事はなかったと言われるが、リーディングはこのような意見に異議をとなえる。

リーディングの主張によると、イエスとして知られる、かの大いなる意識が地上に入る際に、エッセネ派というグループがあり、

その宗派の人々は、彼らに与えられた、いにしえの約束を探求することに、その約束のため、自らの人生を捧げ、身も心も捧げたのである。


彼らの目的は、メシアの誕生の経路となるにふさわしい人物を育てることであった。

かれらエッセネ派の人々は、エリアの設立した預言者の学校の直系の霊統を継ぐ者たちであったということである。

またこの学校は、ある意味でサムエルが始めたものであり、またサムエル自身はメルキゼデクの教えを継承するものであった。

おどろいたことに、リーディングによると、エッセネ派はユダヤ人であろうと非ユダヤ人であろうと、平等にメンバーとして受け入れたのである。

エッセネ派の人々は、大きな国際的団体を持っていたといわれ、その当時の律法学者たちからは、異端視された。


ケイシーのリーディングによれば、エッセネ派の集会は、すべて秘密裡に行われた。

またエッセネ派は、多くの人々、特にパリサイ派のグループからは、反逆者とか過激分子のようにみなされたという記述もある。


ケイシーのリーディングは、マリアもヨセフも、またマリアのいとこであるエリザベツも、エッセネ派であり、彼らの子供もエッセネ派として育てられたと述べている。

リーディングは、エリザベツの夫であるザカリア(エルサレムの神殿の正統派の祭祀であった)は、最初
は、エッセネ派ではなかったが、晩年には神殿で見た幻がきっかけとなり、エッセネ派の支持者になった
と述べている。

また洗礼者ヨハネの父であるザカリアと、神殿と祭壇の間で殺されたザカリアとは、同一人物であるとした。

また、ザカリアが殺された理由は、彼が神殿で見た幻を公言したためであり、またおそらくそのような公言がエッセネ派への傾倒を示したためであろうと思われる。


リーディングは、キリストの誕生がいかに準備されたかを克明に描写している。

そしてマリアが選ばれ、養育される様子と、イエス誕生の様子に至って、描写はクライマックスを迎える。

リーディングは、イエスの処女降誕を断言する。

のみならず、古代東方の伝承にすら無いことも、主張する。

すなわちマリア自身も処女降誕した。

つまりマリアの母、アンも、人間の男性を知らずして、マリアを産んだというリーディングは、終始一貫
してマリアを高く評価している。

マリアは処女懐胎によって母体に宿っただけでなく、非常に神秘的・不可思議な概念であるが、「地球に
関するかぎり、主が地上に入られた際に、マリアとイエスは双子の魂(ツインソウル)であった」と述べられている。

              (引用ここまで)

               *****

キリスト教を、秘教的に語るには、エドガー・ケイシーの言葉遣いは、まことにふさわしく、また、もはやキリスト教的であることをやめて、異教的であるということもできるかと思います。



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あけましておめでとうございます。

2018-01-06 | 心理学と日々の想い



あけましておめでとうございます。

年末から、黒い女神・黒いマリアについて考えていたのですが、なかなか難しくて、難儀していました。

画像を張ろうと思いましたら、なにやらPCが、「動作を停止した」と申しており、画像も張れません。

これ以上、不具合が生じる前に、新年のご挨拶を投稿することにいたします。


今年も、牛歩のごとき歩みではありますが、あれこれと、考え続けてゆければ、と思っております。

どうか、引き続き、お読みいただければ、まことに幸いでございます。

皆様の、ご健康と、ご多幸を、お祈り申し上げます。


また、ブログ10年間の、うずもれている記事の見通しをよくするために、カテゴリー別に、年代順に、古い記事からリンクを張って並べて「資料集」の体裁をとってみようかとも思っております。

お探しの件に関する言葉を、「ブログ内検索」にて検索しても、それなりに出てくることが多々あるようです。


末筆になりましたが、命を与えられ、生きることを許されている、今という時を、自分にできる、力のかぎりを尽くして、生き抜いてまいりたいと、新年に、あらためて、お誓いを申し上げます。


veera拝
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