引き続き、新田一郎氏著「相撲の歴史」のご紹介をさせていただきます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
次に、考古・歴史資料の中に、「相撲」の古い姿を求めてみよう。
「相撲」に関連する考古出土物としてよく知られたものに、和歌山市八幡山古墳から発掘された「男子力士像埴輪」がある。
6世紀初頭のものとされる古墳から出土したこの埴輪は、裸身の腰回りにふんどし状の布を巻き、やや腰を落とし気味にして、両手を前へ伸べている。
岡山県から出土した、二人の男が組み討ちをしている姿を模した人形土器も、これと類似している。
その他、5世紀末から6世紀にかけての作と見られる装飾須恵器小像、力士埴輪の類が、日本各地から出土されている。
この「裸身にふんどし」という格闘の姿は、4世紀から6世紀にかけての高句麗の古墳壁画に描かれた格闘技図像にも共通して見られる特色でもある。
それは中国の「史書」に描かれている東北アジアの民俗に時々見出される風俗にも共通する。
また「日本書紀」によれば、「皇極天皇元年7月、百済より来朝した使者を迎えた際に、宮廷の健児らに「相撲」をとらせた」という。
これについては、ともすれば、百済の使者の饗応のための宮廷での催し、と理解されがちであったが、この記事には、「百済使人を宮廷に饗応す」とある一方、
「使人、宴終わりて退き、君の門を拝す」、とあることに留意すべきである。
「君」は当時在日して、小川内に居た百済の王族であり、「相撲」はその前で行われ、一方宮廷で行われた饗宴の後に、君の門前に赴いて礼拝・拝礼した」というのであるから、この「相撲」は朝廷における饗宴とは別のものであり、
使者の饗応のためでなく、在日する百済の王族の「君」のために行われたものと考えた方がよいだろう。
実は「君」は5月下旬に子を亡くしており、門前における礼拝がこのことに関わるものであるとすれば、
この「相撲」は、葬送に関わる百済の習俗に関連するのかもしれない。
この点について、考古学者の森浩一などは、「高句麗の古墳壁画に見られる「相撲」図像や、日本における「力士埴輪」の広範な分布とも合わせて、「相撲」と葬送儀礼との間には密接な関係があり、
それは東北アジアから朝鮮半島を経て、日本に至る文化の流れに沿うものだったのではないか」と推測している。
「相撲」の祖である「スクネ(野見宿禰)」がまた、埴輪制作に携わる「土師(はじ)氏」の祖とされていることを、この点と結びつける論者もある。
もっとも「相撲節」と葬送儀礼との間には、直接の関連を見出すことは出来ず、「スクネ」と埴輪制作との関係も、「日本書紀」では「クエハヤ」との力比べとは別の個所で書かれており、「相撲」との関連で考えるべきではないとする指摘もあるのだが。
さて、このように、「相撲」にまつわる習俗を、東北アジアから朝鮮半島という、いわば北方の文化からの連なりの中で説明しようとする見方がある一方で、
「裸身にふんどし」という「相撲」の姿態を、南方の習俗と結びつける見解もある。
中国・江南地方の習俗として、古くから、5月5日に「戦力の戯」とよばれる格闘競技の行事が行われていたことが、「随書」などの記述によって知られる。
この地域でもやはり「裸体にふんどし」の姿の格闘技図像が発見されている。
そしてその地域の習俗には、琉球弧状列島を経て、古くは「隼人(はやと)」と呼ばれた人々の居住した
南九州に至る、東シナ海南・東縁地域のそれと多くの共通点を持っていたとされている。
後に触れる「隼人相撲」もまた、「裸体にふんどし」の姿態で行われたと推測されている。
これらの格闘競技の、実際の形態的・技術的な様相については、知られていない。
しかし、このように「裸津にふんどし」といういでたちを鍵として、「相撲」の文化的な系統を論じようとすると、東シナ海をめぐって中国大陸から朝鮮半島、琉球弧状列島を含み、さらに日本列島へと延びる
「「裸身にふんどし」の格闘競技を共有する文化」が想定されることになる。
「相撲」を生み出した土壌をこのあたりに求めるのは、確かに有望な可能性であるようにも思われる。
こうした可能性を的確に認識することは、「日本」を「東アジア世界」の中で相対化して考え、
「相撲」についても「日本の国技」などという固有論にとどまるのではなく、文化交流のダイナミズムの中でその源流を考えるための貴重なきっかけとなるだろう。
(引用ここまで)
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テレビの相撲中継を、見るともなく見て、というか、聞いていると、すごく眠くなってきます。
ああ、平和だなあ、という安心感で、心が落ち着くのだろうと思います。
スポーツ競技としては、とてもシンプルですし、体操競技などのように、高い所から落ちるのではないか、とハラハラする心配もなく、勝った力士が負けた力士に手を貸して、助け起こしたりする情景は、わたしは好きです。
おそらく世界中にあるであろうというシンプルさも、安心感の一つだろうと思います。
小さな男の子が数人いれば、じゃれあう姿が見られますが、そういう自然さが、好ましく感じられます。
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